藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

達人のかたち


例えば、えんえんと、ハノン。
スポーツの基礎トレが面白くないのに同じ、
ピアノの基礎トレも面白くない。


だいいち、疲れる。


そりゃそうだ。
一日の十分の一とかを費やすのだ。


見えてきたことは何だ。


プロとの違い、だろうか。

例えば、泳ぎのプロ


そういえば、似た感覚が。


少し前、よくプールで泳いでいたのだが、中に元競泳の選手がいた。年は三十半ばか。


元インターハイ・クラスとかでその泳ぎっぷりは、イルカのように速く、美しい。


はーきれいなもんだなぁ、と思っていたらそのうち弟子ができていた。


弟子(のおじさん)は先生の後をついて泳ぐ。
25メートルのプールを何回も往復するのだが、間ぢかで見ると少し違う。


何か、手で漕ぐ動きのつなぎ目、とか。
あるいは「間」(余裕)とか。



一番違いがわかったのはターンのときだ。


片手をポンとプールサイドにおいて少し肩を水面から出し、水しぶきを上げずにスーッとまた潜っていくのだが(この動作もとてもイルカぽい)


ここが「先生と弟子」では優雅さが全然違うのだ。


自分でもやってみたが息継ぎとか、脚力とか、水面での腕の動きとか、とうてい真似できぬ。


見てると段々弟子はへばってきた。
先生はまったく変わらず。


もう500メートルは泳いだか。


先生は体力自体もトンでもない。


*


脱線したが。
プロのピアニストがハノンを弾くと、多分かなりきれいに、楽しく聞こえる。


自分は残念ながら昔の先生のくらいしか聞いたことないのだが。
(コンサートでハノンって絶対やらないしなあ)


一番からして素人とは違うだろう。
何となくなぜ違うか、に気づいてきた。


あれだ。


普通の人とプロの選手が鉄棒で逆上がりしても全然フォームが違う。
倒立とか。


つまり、何でも同じか。


自分たちは通常、
スポーツでも、
音楽でも、
将棋でも、
絵でも、
歌でも、


「最高レベル」のものを見ている。
テレビやライブや映像メディアやらを通じ。


かなり完成されたものばかり見て、「目が肥えて」いる。


そんなところに「自分がやってみよう」と言うのだ。


そりゃ同じようにできるわけない。


イメージ先行でイルカのように泳ぐこと。
イメージ先行でベロフのように弾くこと。


ようやく「隔たりの大きさ」になど気づいたり。


いやあ、先は長い。と。