藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

日本人の感性



スーパーの特売コーナーに、陶器市。
小皿やら、急須に茶椀、徳利にぐい飲み、河童のフィギュアまで置いてある。



おどろいたのは、その人気ぶり。
日本人はやはりなぜか「陶器」が好きとみえる。
そう言えば陶器教室、は昔から主婦の人気アイテムか。
などと思いながら、自分も小皿やら猪口やらを三千円あまり買っている。(汗)


店主に聞くと、「お客さん、日本人より韓国の人のほうが好きだよ。小皿とかお茶椀なんか、山のように買ってくもの」とのこと。
ほほう。



で話は違うが、最近は家族間通話無料、とか社員間無料とか、電話もいろいろなサービスが出てきているけれど。


基本的に「よそ」に電話して十円かかるのは変わらない。
(マイラインは6円ですよ、とかはともかく)


で、一方最近はどこへ行くにも予約なし、ということがずい分少ない。
電話で告げずにフラッと行くのは、それこそ身一つで、悪くすれば混雑で入れなくてもいいような場合だけだ。


そして、お店側も「予約ください」とよく言う。


現に行きつけの美容院で髪を切るのも、焼き鳥屋も居酒屋すらも人気店は予約が前提。
いきなり行っても「ご予約は?」と聞かれる始末だ。


居酒屋に予約、とは似合わぬが。


昭和の時代はそば屋の出前で、品物とともにお返しの小さなお年玉袋に入った十円、をみかけたものだが、今はもう見ない。


そのうち、どんどん通信のコスト概念はタダに近くなるのだろう。
(いや今でもかなりそれに近いか)
営業社員向けに公衆電話の「テレホンカード」を配っていたのはそんなに昔のことではない。


ほんの十年前のことだ。


そんな風に見てみると、通信の速さ、安さで「コモデティ化」が極限まで進み、携帯も含めて通信はついに電気、上下水道なみに「真のインフラ化」するのだろう。

通信の中身

なので、何でもかんでも携帯、である。
会社のお客、セールス、友人、家族にお店。
内容はどんどん「薄まって」いないか。


昔なら、アポイントを取るために、事前にかなり周到に計画し、アポがもらえなかった場合の対策まで考え、ようやく受話器に手を伸ばす。


今はとりあえず「電話しとこう」。
相手が出なくとも「着信しといたから」と。

で何がいいたいか。
というとくだんの「十円」のこと。


お客様がわざわざ「十円かけてまで電話してくだすった」その心根を大事に思うからの「お返し袋」。

もっと一通話の価値を大事にすべきではないか。


相手に呼び出しをかけて、たとえ会議中でも、移動中でも呼び出しを知らせ、こちらの用件を伝えるのだ。


携帯で用件を聞いたあと、そんなことだったのか、と脱力する人は自分だけではないに違いない。


通信が便利になればなるほど、その中身は慎重になる使命があるのではないか。

その心得がない携帯電話の濫用は、「必要のない荷物が始終移動している」ような不毛なコミュニケーションを助長すると思う。


携帯だからこそ。
便利だからこそ。


相手の状況のの想像と、自分の覚悟を確かめる「習い」が欲しい。


陶器を愛でる日本人、を眺めながら、そんなことを考えた週末。