藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

答えは自分が導き出す。


他方「指示してもらう方が有難い」という声もよく聞く。

多分根本的なことを、例えばその「そもそも」を考え出すと答えの出にくい「なぜ働くのか」とか「なんのために動くのか」ということをあまり突き詰めないで済むからではないかと思う。

学生時代でもそうだが、なぜ勉強するのか?(なぜ働くのか?)とか何のために生きているのか?と言うことの答えは、迷いながらでも自分で考え見つけていくしかないテーマなのだ。

そこに他人からの借り物の答えをはめてみても、真に納得の行く道筋は見えにくいものである。
また時々の答えは、自分のその時々の置かれている状況とか、心理状態にもよるだろう。

誰しもが日常の中で「何か満たされていない感覚」を感じていると思うけれど、ただ流れる周囲の状況に反射的には反応するのではなく、たとえ小さなことでも"自分から発すること"は非常に重要なことだと思う。

何か閉塞感とか停滞感を感じて、(でも社会を生きる日常は「そんなことなし」には過ごせないものだけれど)心が「しんどいな」と言い始めたら、ぜひ自分の本音とか原点に却ってみて考えを検証する必要があるのじゃないだろうか。
あまり立ち止まってばかりいるのもよろしくないが、考えずに惰性で過ごすのでは後々後悔が残ることもあるだろう。

好きか嫌いかではなく、自発的に取り組める(むしろ取り組みたい)毎日かどうかを毎日意識しておく、という第三者的な視点をぜひ持っておきたいものである。