藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ゴールの先。


酒場でアルバイト中の、就職活動まっ盛りの学生さんからの相談。
「ともかくそこそこの会社に就職しないと。」
横から常連のアラサー女史が「私は正社員になりたいの。」
カウンターの中からアラフォーのバーテン氏「オレは自分の店が持ちたいす。」

どこにでもありそうな会話だがちょっと待てよ?と思う。
自分も就活時はそんなだったから大きな事は言えないけれど。

「ともかく就職」「ともかく正社員」「ともかく自分の店」。

それぞれ「どのような」という部分がまるで抜けているのだ。

自分の年齢でその言葉を聞くと、どうも「ゴールの先」を見ていない感じがして仕方がない。
ともかく資格を取りたい、というようなものもある。

自己目的化。
英語ではbecome its own goal.と言うらしい。
own goalって自殺点のことだ。

ゴールしてみれば、なんと自陣へアタックしていたという話。
ゴールはゴールであるけれど、それは目的地であって「そこで終わり」ではない。

次のゲームがスタートするし、攻守も入れ替わる。
まだまだ「その先」の方が長いのだ。
夜が更けて、今度は二十代の若者が参戦。
「ともかく起業したいんですが、何をやればいいスかね?」
起業はプロセスであって、それは終点ではなく始まりなのだ。

一つの目標に焦点を絞れば絞るほど、その先のことに思考が及ばないということって、日常的に自分にもあるなぁ、と思いつつ、でもでも抹香くさくて「キミィ、その先を考えておかなきゃ意味ないよ」などと言うのも興ざめな気分がした。

自分もそうだったからの反省だが、それにしても価値観の均質化というか、「他人と違うことをしたい」という欧米人に対し「他人と同様でいたい」という日本人の気質は教育制度の賜物だろうか。

ようやく社会人を何十年も経験して「ユニークこそが大事」と気付いた自分なのであった。