藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

全ては二人から始まる。

日経より。
新薬を作る画期的な会社、ペプチドリームの話。
糸川英夫さんの論文に「ペアシステム理論」というのがあるが、(いずれゆっくりと書き留めたいと思う)この東大発のベンチャーの様子を聞いていて、また自分の経験からもつくづく「イノベーションは最小単位で起きる」ということを感じる。
一言でいえば

イノベーションは必ず「二人」から始まる。
・その二人は全く「異質」なもののペアである。
というものだ。

だから企業のM&Aなどではイノベーションは起きない。もっともその案件に「異質な二人」がトップでいれば別の話だと思うけれど。

ただ人同士が仕事をしていて大変なのは、何よりもまず「ウマが合う」ということだろう。
前提でここがかみ合っていないと「その後」は潰える。
だから単に異質なもの同士がどんどん交わればいいか、というとそうでもなく、まるで男女の出会いのように色んなシチュエーションがあって、ごくまれなタイミングで出会いがあり、そこから化学反応が起こるのだと思う。

ペプチドリームの窪田社長の言う

にわかに信じられませんでした。ところが勉強するにつれ、非常に論理的だと分かり、面白いビジネスになると確信しました。今ではノーベル賞を獲得するほどの優れた技術だと考えています。

この場合はビジネスマンの側から、技術の世界へとアプローチしていったわけで、「まったく異質なお互い」はお互いの壁をどちらかが"無理矢理にでも乗り越えるような努力"をしないと融合もないのだと思う。

ウマが合う二人が、
タイミングよく出会い、
互いを訝(いぶか)りつつも興味を持ち、
どちらかが垣根を超える努力をして、初めて互いが混ざり合う。

何だか生物の時間に聞いた精子卵子の結合の話に似ているけれど、自然科学の世界って案外そんなものかもしれない。
こうして「イノベーションの理屈」が分かっていたとしても、「じゃあイノベーションを起こそうか」と言って次々やれる話でもないところがリアルの難しさというか。

でもブレイクスルーに悩む人がいれば、ぜひ考えてみてもらいたいテーマなのである。
このエントリーに書いてみて自分でも改めて挑戦したいと思ったのでした。

「iPSも海外が奪う」 先駆者ペプドリ社長の警告 2015/12/2 6:30日本経済新聞 電子版

高い技術力で次世代を担う革新の種を生み出そうとする東大発ベンチャーを追う

 技術系の東大発ベンチャーの中でも「最も成功した」と語られる企業がペプチドリームだ。治療薬のない病気に対する薬を作り出す特殊ペプチドの技術を、スイスのノバルティスなど国内外の大手製薬会社に提供して着実な成長を遂げた。失敗するリスクが高いといわれるバイオベンチャーの中でどう独自の地位を築き上げたのか。独創的な事業モデルがなければ「iPS細胞のビジネスも海外勢に奪われる」と警告する窪田規一社長(62)に、国内の大学発ベンチャーが目指すべき方向性を聞いた。


ペプチドリームの窪田規一社長。1953年東京都生まれ。日産自動車を経て、1978年に医療関連の検査会社スペシアルレファレンスラボラトリー(現エスアールエル)に入社。2000年にDNAチップ開発のJGS(ジェー・ジーエス)を立ち上げる。2001年にJGS社長就任。2006年7月にペプチドリームを設立。2013年6月にマザーズ上場

■製薬大手に負けない技術を磨く

――2013年に東証マザーズに上場し、現在の時価総額は1600億円を超えます。成功できた理由は。
 「東京大学の菅裕明教授が開発した、特殊ペプチドを自在に作る『フレキシザイム』という素晴らしい技術に加え、2006年の会社立ち上げ時から安定した利益が出る仕組みを作り上げたことです。従来のバイオベンチャーの場合、大手製薬会社に技術を持ち込んでも、実証のための実験を無償で繰り返すだけになってしまいがちでした。いくら将来の顧客のためにと一生懸命やっていても、その間は何もお金が入らない。そのうち資金がなくなって、疲弊してダウンしてしまうのです」
 「ペプチドリームでは、製薬会社が有償でも使いたくなる独自の事業モデルを作り上げました。数千億から一兆もの特殊ペプチドの群(ライブラリー)を試験管の中に作り出す技術、その中から薬の候補になる物質を正確に抽出する技術。これら新しい薬を作り上げるための一連の技術をそろえることで、製薬大手に負けないオンリーワンの地位を築きました。我々の独自の技術を使う場合は、実証のためであっても常に利用料をもらうという契約形態を取っています」
 「2010年に初めて契約を結んだ米ブリストル・マイヤーズスクイブは、実は薬の候補を抽出する技術については自分たちで持っていました。それでもビデオ会議で我々の説明を聞いたあと、突如取締役の5人が来日して『我々がやりたかったことを実現するためのすべての技術をあなたたちは持っている』と話し、契約を結んだのです。このときに事業モデルは間違えていなかった、大手製薬とも対等にビジネスができると実感しました」

ペプチドリームは東京・目黒の東京大学駒場リサーチ(駒場II)キャンパス内部にある産学連携施設にオフィスを構える

――菅教授との連携も成功の一要因なのでしょうか。

 「その通りです。菅教授は会社を立ち上げるときに、経営は素人だから窪田さんにまかせるよ、と言いました。その代わりオレは技術を世界的なものに発展させると。それが2人の約束なのです。ビジネス上でこんなものが必要だと相談をすると、しっかり開発をしてくれます。キャッチボールは常にうまくいっています」
 「実は産学連携で会社を立ち上げても、先生との連携がうまくいかないケースは多いのです。大学の先生にとって、自分の技術はかわいい子供のようなものです。いわば婿養子で来た経営者の方針に、それは違うと言う方が多いのです。ビジネス上はこうすべきですといくら説明しても聞いてくれない」
 「そういう問題を抱えている経営者は私の知人にも数多くいます。以前、医療用検査の大手企業に勤務して全国の病院を回っていました。現場のお医者さんや研究者を数千人は知っています。そういう方々が立ち上げた会社を目の当たりにして、良い面と悪い面を見てきました」
 「菅教授のご実家は商家で、商売は簡単なものじゃないと子供の頃から実感してきたと聞きました。だから研究者が二足のわらじで経営なんてできるはずないと。そうした感性を持っていらっしゃったことが、最初に気が合った理由かもしれません」


 人間の体を構成するたんぱく質を分離すると、ペプチドになる。それをさらに細かくしたものがアミノ酸だ。人間の体の中で合成できるアミノ酸は20種類だけだが、自然界や人工的に作ったものを含めるとアミノ酸の種類は数百種類もある。それらの特殊なアミノ酸を試験管の中で合成できるようにした技術が菅教授の「フレキシザイム」である。この技術で作られた特殊ペプチドは、これまでにない医薬品候補物となる可能性を持つ。



ペプチドリームの設立の基盤となった技術を開発した東京大学の菅裕明教授

■過剰な資金が狂わせる

――菅教授とはどのように知り合ったのでしょうか。

 「以前経営していたDNAチップ開発のジェー・ジーエス(JGS)を2005年に解散させたあと、京都大学の治験施設を立ち上げる手伝いをしていました。そんなときに、アナリストの知人から菅教授と会ってほしいという依頼があったのです」
 「菅教授の技術で何か会社がつくれないかと、ベンチャーキャピタル東京大学エッジキャピタル(UTEC)や東京大学TLO(技術移転機関)が、あちこちで経営者の候補を探していたのです。その中の一人が私でした。駒場キャンパスで菅教授と会い、開発した技術の話を聞きました。2005年9月のことです」
 「一般的な理科の常識からすると、そんなことはできるはずない、ウソだ、と言うのが最初の印象です。教科書で習ったはずの、いわば神様が作ったルールを書き換えてしまう技術が存在するとは、にわかに信じられませんでした。ところが勉強するにつれ、非常に論理的だと分かり、面白いビジネスになると確信しました。今ではノーベル賞を獲得するほどの優れた技術だと考えています。約10カ月間にわたり事業の方向性を検討し、06年7月に会社を設立しました」

――バイオベンチャーは立ち上げ時に膨大な資金が必要なのでは。

 「実はお金をかけずとも、立ち上げることはできます。しっかりとした事業計画を立て、ビジネスの筋道が見えてきた時点で必要があればお金を調達するというのが本来のやり方です。我々は個人で資金を集めたほか、運良く海外の製薬会社と共同開発をする話がまとまったことで、なんとかやっていくことができました」

 「当時は、優れた技術があり、東大がバックアップする案件であれば、2億でも3億でも集まる時代でした。でもお金をどんどんかけられることを前提に始めても、それだけでは成功しません。例えば、いきなり誰かからぽーんと何千万円もお金をもらったら、人生が狂ってしまう人もいるでしょう。会社も同じなんですね。目標や筋道がないのに、お金だけ集めるというのは間違っています」

ペプチドリームの事業について語る窪田社長。背後のギターは「研究者でなければミュージシャンになっていた」というほどの音楽好きである菅裕明教授のもの

 「08年に受けたUTECからの出資も、どうしても必要というわけではありませんでした。出資と言ってもお金を借りているわけです。一定期間が過ぎると、ある意味で回収に入ってくる。ベンチャーキャピタルに頼りすぎてはいけないねというのは菅教授と2人で話した結論でした」

――資金の考え方は、解散したJGSを経営した経験から得たのでしょうか。

 「そうです。JGSは上場会社5社が出社したベンチャーで、開発を目指していたDNAチップの技術は米国が先行していました。追いつけ追い越せと、時間を稼ぐためにお金をかける戦略を取っていました。各社が相当の資金をつぎ込んでくれたほか、ベンチャーキャピタルからも9億8000万円ほどの出資を得ました。しかし、最終的には解散することになりました」
 「日本のベンチャーキャピタルの契約には個人保証が入っていることがあります。つまり、出資ではなく貸し付けです。お金を出してもらいました、会社がつぶれましたとなれば、返さなければいけない。そうなると、はっきり言えば敗残兵です。もはやリバイバルはできません」

――JGS解散後、ペプチドリーム社長としてリバイバルできた理由は何でしょうか。

 「ずうずうしいからじゃないでしょうか。ずぶといくらい心が強くないとやってられません。この会社を立ち上げるとき、昔お世話になったベンチャーキャピタルの方には『いや窪田さん、さすがだね。まるでゾンビだね』と皮肉を言われました。日本のベンチャーを取り巻く環境はまだそんな状態なのです」

 「すべてが良いというわけではないですが米国では違います。米国のベンチャーを成功させた人の半分くらいは過去に事業をつぶしています。チャンスを与えることで、失敗を次に生かせる仕組みができているのです」

「進み具合はどうですか」と研究員に気さくに話しかける窪田社長。温和な性格で社員に親しまれている

■「2匹目のどじょう」はない

――目標としている会社はありますか。

 「米アムジェンや米ジェネンテックのようなバイオベンチャーを目指したいと話すことはありますが、彼らの歴史は我々の歩んできた方法とは全く異なっています。独自の技術を持っているなど似ている部分はありますが、事業モデルについて言えば、柳の下にどじょうは2匹いないものです」

 「ヒントにする程度ならいいですが、全くその通りの戦略をなぞってもうまくいくことはあり得ません。ビジネスというものは、時期やそのときの状況で変わるんです。自然を相手にするのと同じです。昔のものをそのまま持ってきても、絶対に無理です。IT(情報技術)関係では2番手か3番手でもうまくいくことがあるかもしれないですが、バイオ関連は独自性がなければ成功できません」

――特許があれば独自性を確保できるのではないでしょうか。

 「特許は特許です。それをいかにビジネスに組み込むかを考えないといけません。一時期、ある大学の年間の特許出願数が何百件もあります、すごいでしょう、とやっていた。でもそれだけではビジネスにならないのです」

 「日本の大学や企業の基礎研究は素晴らしい、でもそれがビジネスにつながっていないというのはよく言われることです。現在、日本では山中伸弥教授のiPS細胞で盛り上がっています。京都大学もiPSの基本特許を取っています。とはいえ、iPS細胞で実際に治療に使われるようになるには、あと20〜30年かかるでしょう。そのときには特許の期限が切れてしまいます」

 「そうするとiPS細胞に関する技術がオープンになってしまいます。バイオ系のベンチャーキャピタルは半分以上ボストンに集まっていますが、現時点でiPS細胞に投資している会社はありませんよ」

 「米国のベンチャーキャピタルに言わせると、京大の特許は今は強固だけれども、iPS細胞が本当に臨床で使えるとメドが立ったときには期限が切れているし、そのときには新しい応用特許でビジネスを展開すればいいねと。そんなストーリーを彼らは考えているのです」

■がんの薬も独自開発

――今後のペプチドリームの目標は。

 「大手製薬に技術を提供する一方で、今後はペプチドリームで独自の薬を開発しようとしています。2つ取り組みがあります。1つは特殊ペプチド自体を薬にしようというもの。例えばインフルエンザ。最近のインフルエンザは既存の薬が効かなくなりつつあり、パンデミックを引き起こす可能性があります。それを前提に作り上げている薬です。目標としては来年の6月までに臨床試験に入り、東京五輪の2020年ころには薬を完成させたいと考えています」

 「もう1つは、PDC(ペプタイドドラッグコンジュネイト)というがんの薬です。これまで開発された抗がん剤の中には副作用が強すぎて、お蔵入りになってしまったものがいっぱいあります。正常な細胞もけがをさせてしまう。でもがん細胞は確実に殺すことができるのです。もし、その薬をがん細胞だけに届けることができる運び屋を作ることができれば、がん細胞のみをたたける。それを今、我々がやっているのです。これも2020年度の完成を目指しています」

――菅教授がノーベル賞を獲得するために必要なことは。

 「ノーベル生理学・医学賞の傾向を見てみますと、もちろん科学的にも技術的にも素晴らしいですが、人類や社会への貢献が評価されています。今年受賞した大村智先生もアフリカの何億人もの人々を失明から救っているわけです」

 「そうなれば我々がすべきことは明らかです。必要な薬がなくて治療ができない人に我々が新しい薬を届けること。ペプチドリームが届けてもいいが、我々が技術を提供している製薬会社が届けてもいいのです。我々の技術をもとに作られた薬が患者さんに貢献できたという事実を作り上げることが最大の応援だと思っています」

■取材を終えて

 「社内に特許はたくさんあったが、それが製品に生かされていない」。メーカー勤務ののちに独立した起業家にそんな話を聞いたことがある。大学発の技術も同じ構図に収まっているようだ。新たな産業を生み出すには、優れた技術だけでなく、優れた事業モデルもつくり上げる必要がある。窪田社長はその成功例を示した。ペプチドリームに続く有力なベンチャーを創出するには、技術を理解し、独創的な事業モデルを考案できる専門性の高い経営者を育成する環境づくりも必要となりそうだ。
(電子編集部 松元英樹)