藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コンテンツの無限性。


パチンコ業界の友人に聞いたのだが、パチンコのユーザーというのはさして新しい機能が施されていなくても、デザインとか見た目が新しければどんどん新しい台に流れていくものだという。
だから定期的に新台の開発というのは欠かせないらしい。

その本望はギャンブルだとはいえ、やはり見た目は新しい方がいいのだろうか。
「新しい台がよく儲かる台か」とは全く関係ないだろうし。

新しい台で遊びたいのか、儲けたいのかどっちなのだろうか。
両方か。

それはともかく。

似たようなことは「創作の世界」ではどうだろうか。

動画サイトやストリーミングには恐ろしい量のコンテンツが常に流入し、もう「過去のコンテンツ」で見られないものって珍しい。
それでも新しいコンテンツの、製作は止むことがなく、むしろ創作者が増えて全体量も増えているようだ。

コンテンツの将来ってどうなるのだろう。

もう軽く自分の一生かけても見られないものがあるのに、またまだ自分たちは「もっと新しいもの」を求め続けるのだろうか。

クラシック楽曲の世界では新作がなく、しかし過去の作品が演奏され続けるのは「創作できることはやり尽くしたから」と言われる。
けれど、音楽以外の創作物でもそういうことは起こるのだろうか。

何か次々と新しい映画や小説やビジネス書や音楽や絵画、に自分たちは振り回されているような気もする。
新しい刺激も悪くないけれど、過去の名作をゆっくりと味わいたいなぁと思ったりするのでした。