藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

読者から
同じ記事よと
教えられ

それにしても、話題のニュースなんかを取り上げると一時的にアクセス数が爆発的に増えることがある。
一日に何万とか。
それが、静かに波が引くように、いつものアクセス数に戻ってゆく。
結局自分の記事の実力はこんなものなのだなあ、などと感じ入る。
アクセスがゼロになったら自分は書くことをやめるだろうか、止めないだろうか。



*p1*[次の世代に]本当のテーマ。
もう10年もブログを書いていて、よくもまあ毎日、断片を綴るやつだなあと思っている。
ただし断片は断片だ。
何かまとまった自分の表現になっているか、というと全然そんな風ではない。

ある作家が「ブログやネットには時間軸がない」と宣っておられたが、まさにそういう感じだ。

人生も後半に入ると振り返りも多くなるし、最期のことも考える。
大した足跡は残らないと思うが、「自分なりの総括」ってこれからのためにも必要だと思うのであった。

"私の考える○○"というテーマには実にいろんなものが入るだろう。
「私の人生で仕事とは」とか
「趣味とは」とか
「私の考える性とは」とか
「生とは」とか
「学問とは」とか
「差別とは」とか
「嫉妬とは」とか
「法律とは」とか
「酒とは」とか
「うまいものは」とか

そんな風に「自分の人生で考える思考マップ」は案外後進の人たちにも参考になったりするのじゃなかろうか。

終活とか言って「私のお葬式は」とか「延命治療は」というのもいいけれど、もっと残しておきたいソフトが自分たちにはあるような気がする。
このブログもそんなことに舵を切って行ければと思っている。