高齢者の財産は誰のものか。
てもちろん本人のものだけれど、それが分からなくなったらどうするか。
それにしても2025年に認知症の人の財産が100兆円になるとはちょっとした社会問題といえばそうだ。
これをファンドにまとめて運用し、「成年後見人がファンドに運用委託して、生活費を安全に管理する」というのは妙案だと思う。
認知症の発症者が増えるにつれ、浪費や使い込み、さらには相続に絡むトラブルは増える一方だ。
何より見ていて思うのは財産は「遺せば残したで案外トラブルになる」ことだ。
身近な相談で、仲の良かった実の兄弟や親戚が「たちまち骨肉の争い」になるのを目にしてきた。
富というのは罪なものだと思う。
日本人はどうも「死後のこと」を忌み嫌う性質が強いようでもある。
そりゃ「自分亡きあと」のことなど(自分はいないわけだし)煩わしいと思うのも無理はないが、それが親族の間で火種になるのは「遺す側」としても配慮せねばならないことだと思う。
"綺麗に使い切って、ご迷惑はかけません"というのも立派な最期だろう。
金融老年学のすすめ
日本では、高齢化が投資家の行動に与える影響についての研究があまり進んでいない。米国には金融老年学(ファイナンシャル・ジェロントロジー)という研究分野がある。高齢者の投資行動、高齢化と経済全般についての研究である。
特に認知症と投資の関係は重要だ。日本の認知症患者は約500万人と推定され、2025年に700万人になるとされる。計算上は数十兆円から100兆円規模の金融資産が認知症の高齢者の財産になる。これを1つのファンドにすれば、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に並ぶ巨大ファンドになる。
認知症の高齢者の財産管理については、家族や弁護士などが成年後見人に選任され、裁判所の管理のもと、彼らが個人で管理する場合が多い。現行制度では、成年後見人は株式などリスクのある金融資産に投資することは事実上、禁じられている。このため認知症患者の財産は、現預金のかたちで固定されたまま放置され、非効率な運用をされることになる。また、成年後見人による財産横領の犯罪も頻発している。
これらの問題を考えると、認知症高齢者の財産管理を、成年後見人の個人的な善意や管理能力だけに頼るのは荷が重すぎる。
昨年、慶応大にファイナンシャル・ジェロントロジー研究センターが開設され、記念シンポジウムが先月開催された。参加者からこんな提案があった。
GPIFのような公的ファンドを作り、成年後見人が認知症高齢者の金融資産の運用をそのファンドに委託するよう義務付ける。被後見人の生活費は、裁判所の許可を得て成年後見人がファンドから適切に引き出せばいい。
健常者の年金基金をGPIFが公的に運用することが認められている点と比較すると、認知機能が衰えた高齢者の財産を「第2のGPIF」のような公的ファンドで運用する社会的意義は高いはずである。
また、新しい公的ファンドが機関投資家として日本の企業統治を活性化できれば、資本市場の収益性が高まり、高齢者の資産のリターンが高まる。回り回って高齢者の福祉も改善する。
金融老年学の政策研究は福祉と経済政策の境界線にあるため、見落とされてきた。日本において重要な研究課題である。