藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

芸術と技術。


運慶展を見て鎌倉時代を夢想した。
できれば鎌倉時代のシチュエーションで見たかったと思う。
て、それは多分VRの技術などを使えば可能になるだろう。
(逆に、当時の人々は今のCGとかVRクラスの画像や立体を「生」で見ていたとも言える。運慶は最先端の技術者だったのだ。)

なんてことか。
最先端の技術は、一気に過去の歴史を疑似体験できるツールになるのに違いない。
鎌倉時代の仏像とか。
ロマン派時代のフランスの絵画とか。
宮廷音楽としてのバッハとか。
戦国時代の城とか村とか。

さらに現存するものは、3Dプリンターで簡単に複製ができる。
その「肉筆の質感」がどこまでかはさておいて、相当な精彩感で「今あるもの」は複製もできる。

最先端のテクノロジーが、今ひとつイメージしにくかった古代とか、中世とか、近世とかを生き生きと感じさせてくれるというのはとっても有難いことだ。

過去の時代はもうエビデンスが全くなくて復元できないものもあるだろうが、少なくともこれから以降の時代には「芸術とか記録」はずっとそのまま残っていくことになるだろう。

「過去のこと」が消耗せずに、ずっと残っていく時代がすでに始まっている。
今とは全く違う叡智が育つような気がする。