藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-02-25 一番心地いい関係、twitterとfacebook。

[]呟きの共感。 呟きの共感。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 呟きの共感。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント


ずい分以前に書いたエントリーに対しても、未だにコメントをもらうことがあるのだが、幸せセンサーの変化という題で書いた記事には反響が多かった。

そういえば。
今のところ、今年で一番嬉しかったことは、通販で買ったマグカップが全くのイメージ通りで超お気に入りの一品となったことである。(まだひと月だけど)
で、昨年の一番はというと、長年の懸案だった「キッチンの水切りカゴ」をついに通販でオーダーし、急ぎ組み立てたところ、ギリギリのmm単位でビッタリ収まったこと。(嬉)
あと三ミリでも計測が狂っていれば大後悔の粗大ごみを生み出すところであった。
あれは我ながら冷や汗ものだった。(おかげでそれ以降の皿洗いライフは実に快適である)
今年はさらにマキタのコードレス掃除機が対抗馬になりそうな気配。
こんなんで大丈夫か、俺。


お気に入りのカップが見つかったとか、キッチン周りがどうの、とかなり所帯じみた自分の日常のことを呟いたような力の抜けた話なのだが…
ブログtwitterの違いとか、またこれらとSNSとの比較とかがよく話題になる。
この記事へのコメントは「私の一番のお気に入りはマルコリーニのチョコです」とか「ペダラーの靴と出会って価値観が変わりました」とか「高級ブランドのジーンズを思い切って買って、オシャレ観が変わりました」とか、実に人それぞれ独特の価値観を持ち、それにこだわっているのだと気付かされる。

真っ向から共有したくはないもの

そうした、人それぞれの好みとか、習慣のようなものの話は尽きないが、問題は"そうした話"を共有したいかどうか、である。

その人の好きなものや生活信条などを、一方的に聴かされるのはむしろ苦痛のような気がする。
かといって、どんなことにこだわっているのか、ということは聴いてみたい。

そんな心理状態がtwitterのように、短く「Zooネイルアートなう」とか「田中家の信州そばなう」という、さりげないリード文で呟かれ、興味のあるものには一部反応してみたり、また大部分は読み流して互いに干渉しない、という「読み捨てのここちよさのようなもの」が受けているのではないだろうか。

よく自分は(特に若いころの友人から)「お前のブログは面倒くさいなぁ」と言われるのだけれど、友人たちは読んでくれているのだが、あまり「特に藤野の主張など毎度毎度聴く気もないのに」と思っているようである。
我われが日常望んでいるのは、あまり「角付き合わせる話題」での応酬ではなく、他愛のない日常会話なのかもしれない。
負担にならない呟きを互いにし合うことによって、でも「ユルいつながり」を繋いでいる、というのがネット上での一番ストレスのない関係ということだろうか。
同じ文脈の濃淡で、SNSも同様のことが見て取れる。

いずれにしても結果的には「"そこ"から深まってゆく何か」が本当は一番楽しいところだと思うのだが、どうだろうか。

ラブビーチラブビーチ 2012/02/25 11:36 ラブ・ビーチでは初心者の為に確実に異性と知りあえる攻略法をお答えしています。

ワロタワロタ 2012/02/25 16:48 キッチン水切りカゴww

おそらくおそらく 2012/02/25 18:09 角付き合わせは、、角突き合わせの間違いではないだろうか。

2010-09-25 客観効果。

[]文字にすること。 文字にすること。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 文字にすること。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



「要介護」の状態にある人の「今してみたいこと」をそのままにせず「文字にして書いてみる」ということで自立性が顕著になるという。
介護は「している側」の窮地が最近はとかく問題になるのだけれど、介護側の問題はともかく。
「文字にして見てみて初めて気づくこと」というプロセスに非常に引かれた。


ブログにも似たようなことを思うのだ。
日常生活とか、不満とか、思い付きとかストレスとか。
そんなことを「内に溜める」のではなく、ともかく「テキスト」にして、書いてみること。


それも、ブログなどは「外部アクセス自由」であるから、まあかなり開かれたメディアである。

まず、思考の断片を文字化すること。
その文字を公開してみることで、(実際に他人がどれほど見ているかどうかにはあまり関係なく)客観視すること。


自分の思いを手帳やワープロに書きとめる「文字効果」はこれまでずっと感じていたことだが、それをさらに客観するところにまで持ってゆく効果が面白い。
なので「今日はこんなことがありました」というような事実の記録よりは「今の自分の興味はこれだ」とか「こういうことがやりたい」とか「我こう考える」という主張的、感情的なものをぜひ書いておいた方が、後から振り返るのには効果的である。


要介護、とか認知症の相手ではなくとも「自分のこと」が一番見えるようになるためにも「第三媒体に思いを記す」ということの効果は大きいのではないか。
ブログは人のためならず、なのであった。(拝)

なるほどなるほど 2010/09/25 14:49 思考の断片を綴る、というのは面白い考え方ですね。ブログを使って思考の整理をするのですね。ブログ考というタイトルにも感心しました。(笑)

仕事人仕事人 2010/09/25 17:40 やるべきことを列挙して書き出すのは行動学の基本でもあります。何でも基本に忠実にすべしですね。私も長期目標などを書いてみたいと思いました。そんなきっかけになるのもブログ効果ですよね。

2010-01-14 ブログ批評とか。

[]アナタのブログ、長過ぎませんか。 アナタのブログ、長過ぎませんか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク アナタのブログ、長過ぎませんか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



「貴ブログ、時折拝見しております。あくまで読者観点からコメントさせていただきますが、少しエントリーが長いのでは、と思いました。一つ一つの文章に無駄があるようにも感じませんが、全体的に論点が二つ以上ある場合などにそう感じるような気がしました。余計なことかもしれませんが、愛読者の意見として、投稿しました・・・」

。。。


。。。。。


長い。
そういえば、「お前のアレ、結構アツ苦しいよなー」という意見は友人からはよくもらう。(焦)
自分は何か心得違いをしているのかもしれぬ。


大体、そもそも。
自分の言いたいこととか、自分の軌跡、みたいなものをつれづれに残していればよい、というのが、当初の動機だった。
それがだんだんと「若者に告ぐ」みたいな内容になってきて、自分の言いたいことと「言っておかねば」みたいな妙な先輩感が出始めていたのかもしれない。


説教臭いブログなんかはご免である、と思う。
知らぬうちに「上から目線」で独り放談していたのだろうか。


今年のブログは短く。
謙虚に行きたいと思います。

はあ。

KazuhaKazuha 2010/01/15 00:52 ブログって、一般的に読みにくいって思ったことあります。

紙媒体で誰かの日記を読む場合、最初から頁を繰るのですけれど、ブログの場合、本当に最初のエントリの日から読み始めていない途中の頁から読み始めることになる。

たとば検索やリンクなんてことは紙媒体じゃできないわけでブログゆえの面白さもありますが、だれも読まないだろうなあと思って自分がブログをつける気にならない理由でもあります。<ブログは最新版から入るので読みにくい。ブログの宿命かな?
長さは気になったことはないです。

2009-12-13 過去十年の耳目。

[][]ここ十年の視点。 ここ十年の視点。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ここ十年の視点。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



ちょっとクイズ。




Q.過去10年で最も読まれたニュースは何だろう?(ちょっと考えてみて)



















A.「中国の台頭」


だそうである。



そして。
せっかくだから、そのまま「残りの9大ニュース」は何だろう、と少し考える。
何せここ10年である。




十年前は「1999年(平成11年)」か。





「9.11」
「イラク戦争」
「EU統合」
「村上ファンド」←そりゃ日本
「オバマ氏ノーベル賞」←そりゃ先週のはなし
「ウッズの醜聞」←そりゃ昨日のはなし
「石川遼くんの賞金王」←だからぁ。





意外なほど思いつかない自分であった。
自分自身で言うと。





ここ十年での最大の変化は、仕事の仲間の顔ぶれが激変したこと。
ほんの十年前に、彼らと出会い、試行錯誤しながらも、ついに「未来に向かって」チームを結成できることになったこと。
こんな状態は人生45年の中でも初めてのことだった。


というようなことは、今後回顧録、に書く可能性があるが、まあそれはともかく。
この十年の大ニュース、というと自民党体制の終焉、くらいしか思いつかないのであった。


そこで正解を見てみると、そこはロイター。
カトリーナとか、スマトラ沖地震とか。
天変地異と、なにより「プレジデント・オバマ」の誕生などがランクインしている、ということだった。


今年の自分。


ここ十年の自分。


ここ二十年の自分。


ここ三十年の自分。


ここ四十年の自分。←ここまで。



そんな視点も「ブログ」がなければ、わざわざ書くこともない。
あ、「自分の十年」では「四十路の音楽再入門」があったことを思い出す。


土曜日の忘年会後。
そんな「過去を振り返る朝」を迎えた。


ブログの効用、はやっぱりこんな「時間の感覚」を意識させてくれるダイアリー効果、も重要なようである。



[ロサンゼルス 7日 ロイター] 調査会社グローバル・ランゲージ・モニターによると、過去10年間で最も多く読まれたニュース記事は、経済大国としての中国の台頭に関するものであることが分かった。

 同社では、約5万の活字や電子メディアに加え、インターネットやブログなどを対象に、引用や使用された回数の多いニュース記事を調査した。

 その結果、中国の台頭に関するニュース記事は、2001年9月11日の米同時多発攻撃や、今年6月の米歌手マイケル・ジャクソンさん急死に関するニュース記事をも上回る登場回数だったという。

 グローバル・ランゲージ・モニターがまとめたランキング(上位15位)は以下の通り。

1.中国の台頭

2.イラク戦争

3.米同時多発攻撃

4.テロとの戦い

5.マイケル・ジャクソンの死

6.オバマ米大統領の就任

7.2008─09年の世界的景気後退

8.ハリケーン・カトリーナ

9.アフガニスタンでの戦争

10.経済崩壊/金融危機

11.北京五輪

12.スマトラ沖大地震の津波

13.タリバンとの戦い

14.ヨハネ・パウロ2世の死去

15.ウサマ・ビンラディン容疑者つかまらず

サンタやサンタや 2009/12/13 19:27 面白い。ニュースのニュースですね。やっぱり戦争の関係がおおいですね。印象も強いですが。

sansamsansam 2009/12/14 00:13 立って自分の十大ニュース、とか言われても困りますねー。ニュースの無いのがニュースではないですか。あー誰か私を救って!

2009-10-25 ヴィオニッチの書棚。

[]”読みやすくて、知識が蓄えられる科学に関する書籍を厳選して紹介” ”読みやすくて、知識が蓄えられる科学に関する書籍を厳選して紹介” - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ”読みやすくて、知識が蓄えられる科学に関する書籍を厳選して紹介” - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論



なるほど。
インターネットラジオ、もその支持度が改めて見直されている。が。
こういう推薦書の音声サマリー番組もなかなかに興味深い。
「樽町野久栄乃(たるまちの くえの)」さんという、人のナレーションが重要な番組で、島岡要(かなめ、じゃない「もとむ」ですよ。くえのさん。)

ハーバード大学医学部留学・独立日記 第二部 三重大学医学部編 ... ヴォイニッチの書棚


科学書をサマリーとして紹介する、ということだが、今回で52冊。
ネットの表現の幅は広い。

いろんな「メディア」があるものだな、と改めて感心する。

 本当のプロフェッショナルな研究者とは終身雇用とは縁のない世界に身を置き、研究費を自ら枷がなければ次の年の食が保証されず、自らのキャリア戦略を自ら立案して研究に取り組む科学者のことです。


との紹介だが、自分には何度聞いても「そんな境遇」にある「ビジネスマン」とか芸術界の「求道者」において、要求される「戦略の提言書」という風に聞こえてくる。

異質、ということ。



それにしても。
羊土社から出版された本著は「研究者」にどれだけ受けたのかは分からないが、「ビジネスマンへの影響」と言う意味でボーダレス、な存在になっている。
現に自分が惹かれたのも、「研究者の仕事術」という「異質な分野での戦略」に対する魅力からである。

それが、実は「研究者」とか「ビジネスマン」とか、あるいは「学生さん」とか「農林水産業に従事する人」にとっても共通することになっている。


離島で魚を獲る、漁師さんにとっても「強みを生かす」とか「その分野で一番になる」ということは重要な付加価値なのである。
学生さんにとっても、「そう言うメジャー」というのが当てはまる。
おばちゃん同士の世界でも、「生産性を上げる」ということは関心を集め、また実践される存在でもある。


「研究者という世界」での「サヴァイパルの要諦」は、その他の世界でいくらでも応用のきく原理原則、を提示したようだ。
筆者の紹介するポッドキャストを聞いて、あらためてそんなことを思った次第。


いい素材は、スルメのよう。
あと後になっても、実に味わい深いものだ、と思う。

2009-08-17 ウェブのれんとマイグルメ

[]グルメ情報 グルメ情報 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク グルメ情報 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



そんなにグルマン(大食)ではないが、炭水化物を避けているとどうしても量に走る。
それはともかく。


特定の街とか、食べものの種類(イタリアンとか和食とか)とか。
そんなグルメ特集、なんかで食べ物屋さんの情報を仕入れる。



で、いつか行こう、などと思っているうちに忘れたり。
そんな特集ののった雑誌を取り置きしておいて、付箋紙など張ったりしているがどうも検索性が悪いし。
また「これは」と思って携帯電話に電話番号だけを登録しておいたり。


しばらくして、店名だけを見ても何のことだか分らない。
「クラウディア」とか「マルゴー」とかさっぱり。
少しテキスト文で六本木のイタリアン、遅め営業、とか入れてみるがこれもあまりよくない。
検索性もよくないし、店の雰囲気もわからないし、場所も一覧できないし。


で、なんとかブログに記録できないものか、という話。

店別エントリー



まず、あ、覗いてみようかな、という店は[いつかは行く店]のカテゴリーに入れる。
今は店のhpにリンクしたり、時間がなければ、そのページを写メで撮って、そのままupする。


まず手持ちの雑誌について、一通りその作業を済ませてしまう。
それからの日々の運用。
「お」と思った店は同カテゴリに。


明日は何を食べようか、と思ったらここを検索すればよい。
で、その次。


[また行きたい店]というのを作る。
このカテゴリに入る店は案外少ない。
で食べログのように、「感想」を入れたりする必要はない。(特に公開しないからね)


で、その中から「常連になりたい店」というのがようやく抽出されてくる。
ところが、この店はわざわざブログにカテゴリを作る必要はない。


これこそ、携帯電話に電話番号のみ、登録しておけばいいお店。
要するに「いちばん身近」な携帯の本体に直接登録する、というのは相当に頻度、重要度の高いデータなのだ、と気づく。
もっと携帯の表示面積が広がり、記憶容量も増えれば「もっと何でも携帯に」という風潮も強まるのだろうけれど。


それでも自分の行きつけの店、というのは50も100にも増えるものではない。
本当にいい店を見つけそこに「足繁く通う」、というが一番の幸せなのだと思う。

週に一回は行きたいお店を4-5店。
大体そんなものなのだ。

2009-07-03 心の箱庭。

[]自分の心が求めていたもの。 自分の心が求めていたもの。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 自分の心が求めていたもの。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



最近、河合隼雄さんの本をいくつか読む機会があった。

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)




特に村上春樹との対話で(なぜ互いが「対話」しようと思ったのか、互いがどれほど互いに必要な人物同士だったのか、は自分などには知る由もないが、それにしても村上春樹という天才にして、河合氏に会う必要があった、というのはとても深遠な何かがあっのだろうと推察する。河合さんの著書はどれも平易で分かりよく、優しい文体が特徴だが)お互いの興味の焦点が一致し、どんどんと核心へと話が進んでゆく様子は、非凡な二人のこれまでの足跡を物語るようでとても興味深い。


それはともかく。

村上さんとの対談集の中で、日米の「心の病」を持った人に対する治療法として「箱庭療法」というものが紹介されている。

これは欧米から日本に伝わり、それが日本でより深められた貴重なメソッドのようであるが、ピンときた。


日本人は「箱庭療法」がとても上手だという。
欧米のように「それぞれの主体」に対して「これはこういう意味」「これは誰誰」という「意味付け」をしないというのである。


日本人は箱庭を、自分の心の赴くままにに、感性でデザインするらしい。
それは「詫び寂び」とか「もののあはれれ」とか言っている日本人のイメージそのものに近いのではないか。


、と直感的に思った。

つまり日本人にとって「箱庭」は自分の心の中の心象風景そのもの。

そこに「理屈」を添えることは必要ないのだ。

理屈が要らない、その「奥ゆかしさ」は日本人の特性に直結しているのではないか。


そしてそんな「箱庭」を造る行為こそ、今の現代人が失った「最も心落ち着く」所作なのではないか。
精神療法としての箱庭、を聞くにつけ、そんな思いを禁じ得ない。


いろんな箱庭。



そんな「箱庭療法」だが、考えてみれば、我われ個人の箱庭、ってないだろうか。
自分に一番ピンときたのは何を隠そうブログである。

誰のために書くのか、いやいや、決して人のためではないゾ、と思ってきたブログは「自分のための精神の『箱庭そのもの』ではないか」。
そして、同じ文脈で「料理」というのも、我われ人間の箱庭ではないか、と感じている。



何か、自分の思いや、日常を「形」にして、確かめたりしたい。
自らの「目に見える」状態にして、「自らの脳で認識し」、ある種の「実感を得たい」というごく自然な欲求の表出した形ではないか。

そして、現代はそれほど「自分のしていること」が「ソフト化」してしまい、だから「リアルに見えるような実体」を求めているのだ、と思えてならない。



お百姓がコメを採っている時代にはあり得なかった「虚無感」を今の文明ははらんでいるのだ、ということはこんなことからも見て取れる。
ブログしかり。


我われは「自分の箱庭」を求めているのではないか。

neoneo 2009/07/03 09:49 河合さんの本、大好きです。優しい感じがしますので。(^-^)v

拍手拍手 2009/07/03 15:27 心の箱庭っていい表現ですね。何だか自分もブログ始めたくなりました。ブログを書いてる人って何か羨ましい感じがします。自分の庭って表現が楽しそう。(o^_^o)

顔文字顔文字 2009/07/03 15:30 村上さんの対談集、面白そうですね。1Q84も読んだことだし。

2009-06-08 若い人のための人生の言葉。

[][]「巨大迷路」の中で、自分が残したかったもの。 「巨大迷路」の中で、自分が残したかったもの。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 「巨大迷路」の中で、自分が残したかったもの。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



ここ四、五年、ずーっと。
「自分探しの旅」というほど洒落てはいないが、それでもずっと探していた。
心のなかで渇望していた、というのが正確なところだろうか。


そういえばブログなどを書き始めたのもそれが原因かもしれぬ。
自分が、遺したかったもの。


それはすなわち今の自分の決算。というか
「自分自身」のことなのだ。。


晴れぬ疑問



自分が生きてきて、都度、何かヘンだぞ、と思ったこと。
何かおかしい、とずーっと感じていた。


そんなものかな、とつい最近まで思っていたが、心の奥底で沸々とわき上がっていた思いの泡。
そんなものに気がついた。どうも、

聞いてないぞ。

という場面が多すぎる。と自分は生きてきた場面で思ってきた。


なんか、

「透明な巨大迷路」のアトラクションに入り込み、見えない壁にガツンガツンと当たりながら、全身コブと痣だらけで日々生きているような感じする。



この巨大迷路には、
入学とか卒業とか、
友人とか恋人とかライバルとか、
病気とか出産とか、
家族とか夫婦とか親戚とか、
結婚とか離婚とか死別とか、
仕事とか享楽とか趣味とか、
子育てとか介護とか、
競争とか協調とか、
お金とか借金とか、
炊事選択とか、お片づけとか、


とにかくありとあらゆるイベントが隠れている。
落とし穴あり、出戻りあり、突然の終了あり。
もちろん急に櫓(やぐら)の上に立って、周囲が一望できるような時もある。

そして、どれ一つとっても「まったく同じものはないこと」も最大の特徴である。
というか、だからガイドブックがないのだ。


人生の楽しみ方、か。



ガイドブックや解答集を作って丸暗記しても、本当の力は養われない。
だが巨大迷路を何十年もかけて進んでゆくときには、基本的な「装備」とか、進んでゆく「姿勢」とか、困難に陥ったときのリカバリの「基礎訓練」とか、そんな事前準備があっていい、というか必要だと思う。

長い人生、楽しみ方を知らねば実にもったいない過ごし方をすることも多い。


『若い人のための人生の言葉』
あるいは『人生の楽しみ方』とか。

自分が何かを残そう、と思った動機はこれまで「いろんなこと」に出会って、行き当たりばったりで「あまりに驚いた自分」がいたからだ。


「まさか自分の後輩とか関係者」にはそんな「行き当たりばったり」は不本意である。お節介でも、

自分の出くわしたイベントくらいにはそこで得た経験とか、感想とか、注意点とかくらいは残さねば心残りでしょうがない。


というのがまったくの動機だ、ということが今判明した。(驚)


ということは、自分が後世に「何か」を語るとしたら、そういうことだ。
そういうことだけなのだろう。


ということで、これからは「そんなこと」をコツコツと続けていこうか、と思う。
散文、という言葉しか思い浮かばなかったブログだが、どうやらその中でも本当に「とりとめないこと」と、明確に「これだけは言っておく」ということに分かれるのだろう。



逆に取り留めないこと、はなるべく省力化していければと思う。


何か少しスッキリした。

ストップ高ストップ高 2009/06/08 09:13 いいお話に出会いました。年長者の優しさがじんわり伝わってきます。こんなブログもあるのですね。頑張って続けてください。

angelangel 2009/06/08 15:19 「透明な巨大迷路に迷い込み、見えない壁にガツンガツンと」という表現にとても納得します。人生とはそういったものなのだ、というメッセージがもっともっと若者には必要なのだという筆者のメッセージにも熱いものを感じました。またブログという表現方法を通じて自分に対峙するという態度にも驚きました。今までブログという存在に対して、明快な存在の意味、みたいなものを聞いたことはありませんでしたが、今日のエントリーを拝見して、何か視界が開けたような感じです。もっと自分も努力しないとな、と元気になりました。また立ち寄らせていただきます。m(_ _)m

ふしぎふしぎ 2009/06/08 15:28 「行き当たりばったりに驚いた自分」は確かにいる。それをブログへと転写したのは貴兄の慧眼かと思います。
そんなものが詰まったブログはちょっとした宝物ですね。過去の分も読ませていただきます。

aiai 2009/06/08 20:22 選択→洗濯。(^o^)
人生の楽しみ方を教えてくれる人っていません。なるほどです。

2009-05-26 効果不効果。

[]朝日記の威力。 朝日記の威力。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 朝日記の威力。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



朝日記の奇跡、なる本がある。


昨年、地方出張の帰りにたまたま手持ち無沙汰で、キオスクで買ってみた。

「朝」日記の奇跡

「朝」日記の奇跡



あまりにも安直なテーマのような気がして「何言ってんの」というどちらかというとネガティブな感覚がこの本を手にとらせたと思う。
まったく「フン」という感じだったが。


340円。
パラパラと車中でナナメ読み。
やはりフーーンだった。


でしばらく、半年以上放置。
でも、どこかで気になっていたから捨てずにいた。


何か。


自分のこと。

自分が日記(ブログ)を書いていて、何も「変わっていない」という倦怠感の裏返しの感情が、そこにあった。


著者は「朝日記」をつけて、人生が変わったらしいが、自分にはそんなことはなかった。
何かを書き溜めているようでいて、何もないようでもある。
ブログは自分の言いたいこと、「分身」のようでいて、何も実体はないとも言える。
ホンネの自分は、ブログにアップできるような奇麗な部分ばかりでは到底ないからである。


ここに自分の「けれん(はったり)」が潜んでいる。


それはともかく。

朝日記の実際



当著にはいくつか、要点事項が書かれてある。
・日記は本音が話せるよう「匿名状態」あるいはプライベートなローカルファイルに書くこと。
・エクセルなどでテーマをいくつか設定すること。
・必ず朝書くこと。
・数文字でもいい、必ず毎日書くこと。


などなどである。
これもかなり横目で「ふーーーん。それで?」と思っていた。
で、長くそのままにしてきたのだが。


最近、日記とは関係なく「朝」の活用というのが自分の課題になり始めた。
四十を超えた、ここ数年に実感していることである。


そして、朝にブログを書くことが多くなる。
だが話題はそんなに本音トークでもない。
毎日何人かの人が閲覧してるので、まあそんなもんである。


そういえば、はてなの日記にはいくつも同時にブログが開設できて、もう一つ自分も持っていたことを思い出した。
「どうせ朝に書くなら、チョイとプライベート版にもメモしておくか」と言う気持ちでここ一ヶ月。

何かが違う。


一週間ほどして何かに気づいた。
「朝日記」は本当に効果があるのかもしれぬ。


(つづく)

neoneo 2009/05/26 09:13 おはよーございます!最近ブログ始めました。遊びにきてください。

たいへんたいへん 2009/05/26 16:34 豚インフル、大丈夫すかね?

2009-01-07 ブログの効率。

[]ブログは役に立っていますか。 ブログは役に立っていますか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログは役に立っていますか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



長い間、よく続きますね、という声とともに。

ずい分とたくさんの記事がありますが、何かあなたの役にたっていますか?


という厳しいコメント。(汗)

レビューと反省と。



そういえば、と調べてみれば、これまでにブログの更新は800日あまり。
単純に1エントリー30分かけたとしたら、400時間か。


1日8時間勤務の会社で50日分。
ざっと二月半と。


いい大人が二か月もかけて、これだけのものを書いて、本望か、といわれるとつらい。


たとえば、自分が独立した経緯とか、自分の「仕事」というものについての話は「仕事感」などのエントリでほぼ書ききった(それ以降はさほどないが、順次追加している)、という意味では「何らかの整理」にはなっているのだろうが、どうも心もとない。


まあそもそも「日記」的なものをweb上で書いているわけで、それが「役に立っているか」と聞かれても、即座のメリットは感じにくいなぁ、と。


それなら止めてしまおうか、とも思う。
この年になってくると、何に時間を費やすか、いや特に「習慣的な時間」の使い方には結構気をつかう。


たとえばピアノの練習をする、というのは習慣的だが、本当にそんなことに自分などが時間を使うべきかどうか、というのは難しい問題だ。
もっと他に「やった方が有益」なことがある可能性も高い。


ただ日々の「積み上げ」が楽しいから、音楽が趣味です、といってニコニコしてもいられない。


そんな中でのブログ、なのである。

ネットの端っこで



それにしても。
高校生や大学生や、若い人たちから、ブログでもなければ知り合わぬ若者ともずい分交流ができた。
(ただあまり深い付き合いにはならないのは、自分のせいか、ネットというメディアのせいか。ちょっと研究課題である)


厳しい意見をもらうこともあるし、励ましのコメントもある。
何より、自分の意見を書き留め、「あるまとまった」エントリーに仕上げることは何か自分の思考のトレーニングになっているのかも知れぬ、と最近思う。

それは主に「自分を他人視する」とか俯瞰する、とかそんなトレーニングに思えて仕方ない。


ひょっとしてブログの最大の効用は『活字となり、ネット上に誰でもが見られる状態に上がる』という「客観効果」ではないか。


そのためだけに、でもそんな効果は意味のあるものかも知れぬ。
それほど「自分の客観視」は難しいし、第一そんな「機会」が著しく少ないのだ。


そんなことにもここ数年で気づいた次第。
もうしばらくその効果のほどを確かめてみるか。


たった一つのコメントにずい分触発されるのは、まだまだ「客観」でない証拠でもあるような。(汗)


それにしても、妙な媒体だ。

neoneo 2009/01/07 14:27 いやー!やめないでぇ!(*_*)

2008-11-17 書きにくいことこそ

[]恥部のこととか 恥部のこととか - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 恥部のこととか - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



もともと自社の社員とか、子供たちとか、自分より若い人全般に、とか思って始めたブログだけれど。
そのうち「他人様よりは自分探しだワイ」とばかりにどんどん内向きになって今日に至るのだけれど。


で、人生あるがまま、とか何をも求めず、とか、どんどん「沢庵化」してゆくような気がするこの頃。


できるだけ「素」で書いてるつもりなのだが、何しろ精神的若造である。
書きにくいことは、書きにくく。


たとえば異性のこと、性のこと。
こんなテーマを語るのは、団鬼六でもない限りムリ、と思いつつコメントやメールには「そっち」の相談も結構多い。


特に人生における結婚観、とか浮気について、とか異性の友情について、とか、何だか分けの分からないものばかり。

先月には「sexと芸術は関係あるのでしょうか?」というスバらしい難題が降りかかった。



まったく語れず。
(ただちょっと「sexと食事」はちょっと似た関係にあるのじゃないな?)などと思ったのだが、それ以上にはまったく思考が発展せず、回答は見送らせていただく)


その都度当たり障りなく返事したり、黙りしたりしているものの、どうにも「話題を避ける」のも不自然と。

「ブログなど、その当人が思う100分の1ほどにも誰も気にしていない」という、「ブログ自意識過剰の法則」に従い、折に触れそんなことも書き留めておこうと思う。



あああ。
日記プライベートモードにしようかしらん・・・・・・

MM 2008/11/17 13:15 ハズいこともぜひせひ書いて。そういうのが楽しいんじゃん。がーんばれ。

サタンサタン 2008/11/17 14:14 楽しみにしてまっせ!社長と性。(^(エ)^)

2008-10-21 生活習慣。

[]どこまで現実を変えるか。 どこまで現実を変えるか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク どこまで現実を変えるか。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



ここ一年で変わった生活習慣、と言えば。
朝の過ごし方、だろうか。


まだ100%ではないが早めに起きて、何がしかをするようになり。
朝六時前に起床し、ブログなど書くようになった。


今年中の目標は標準時を「四時」にすることだ。
そうしたらもう少し別のライフスタイルが見えてくるかもしれない、などと思う。


やりたいことは幾らもあるし、飲みたい酒もいくらもある。

人生はそんな「いろんなこと」の優先順位づけ、なのかもしれぬ。



現実を過ごすのが嫌で、辛いことばかりを数えるよりも(それも人生の苦味だが)
やりたいことを「詰め込む」視点でやっていければ、とも思う。



事なかれ主義、ではなく。
自分はこんなに不幸なのだ、と嘆くもアリなら、
自分はこれほど恵まれている、と感謝するのも同様だ。


自分にある「絶対時間」の残りをどのような心理状態で過ごすのか。

それは人間に与えられた自由な「選択」の中にある。


「それ」を感じ、自ら楽しく過ごしたいものだ。
自分たちは、思いのほか「自由」に、いかようとも生きている。


そんな時間感、を最近感じていたりする。

読者読者 2008/10/21 09:15 ブログの効果、てすごいですねえ。何か習い事のような。

why-newtonwhy-newton 2008/10/21 09:16 あは。習い事に似ているかもしれませんね。

2008-09-09 夜にビジネスは考えないこと。

[]着想と現実 着想と現実 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 着想と現実 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



夜ではなく朝方にブログとか下書きなどを作成するようになってしばらく経つ。
で端的に言って、何だか面白くない、と思う。
内容に夢がないというか。


最近「そういうこと」に割く時間もなくなっているのだが、それにしても。
そういうことでもないような。


ふむ。
「歴史は夜作られる」とは昔の映画のタイトルだが、あれかと。


ふくらむ妄想



例えば特許のアイデアを考えたりして、数人で議論していると、「特にそれが夜」の場合、必ず突拍子もない話に展開してしまう。

「この技術でセキュリティ通信の規格は統一できるぞ」とか
「もはやグローバル・スタンダード疑いなし!」とか言っている。


で、一夜明けて、いろいろと冷静に考えてみるとすでにあるアイデアの寄せ集めだったり、論理的に矛盾があって実現不能だったり、そもそも必要がなかったり(意外に多い)。


特許の要諦は新規性、進歩性、有用性、だが技術とかありき、で考えるとそれを「実務で使うため」の視点が先走りして、必要ないかも?という視点が考慮されなかったりする。

余談だが、携帯電話の「押しつけ的性格」が嫌で、「緊急です」とか「おヒマなら」とか事前にうながしメッセージを流すサービス、などはもう思いついた当初はキャリアが競ってライセンスしにくるゾ!!と一人ゴチていた。


が、すでに有料でサービス化されていたことが判明。有料ゆえにまったく普及していないようだが、特許的にはドッチラケてしまった。



ブログなどでも夜中に、特に酔っぱらって書くと筆がスベることが多い。
明くる朝にハッとして見返したら大赤面モノを書き直したり。


それほど多くの人が見ているわけでもないのに、自分のメディァと思うとそんな滑稽なことをしていたりする。


夜には「明るい夢」を想い、
昼には「きびしー現実」を冷静に見るのがいいのだろうか。


夜の闇に向かっては、我われは何か「カン」を狂わすようである。

neoneo 2008/09/09 21:29 夜の発想ってちょっとエッチぽいような、やっぱり妄想気味でしょうか。

2008-08-02 考えごとの生まれる時

[]出産は夜に 出産は夜に - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 出産は夜に - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



何か気になることが頭に浮かぶ。
以前はそのままにしていたのが、最近はブログに記録する、という条件反射があるので、必ず何かに書き留めたりする。


そんなことを続けていてその「考えごと」をするタイミングに気がついた。

生活シーンで言うと、もう圧倒的に「フロの中」か「乗り物での移動中」なのだ。


考えるタネ、は9割がたそこで生まれる。

そして、そんな「タネ」がムクムクと芽を出して生育するのが、必ず夜だ。



歴史は夜作られる、などと言うが、いいことも悪いことも含めて夜の闇、というのは想像を膨らませるようだ。
夜に書いたラブレターが翌朝見てみると正視できないほど恥ずかしいのは、多くの人の経験するところで、まあそんなこととも似ているのかも知れぬ。


従って、夜の間に妄想をムクムクと膨らませた後は、また気の向いた日の朝にあちこちに跳ねまわった文章たちを整形し、恥ずかしくないくらいにして、普通にエントリーとなるようだ。


ニュースなどを見て、その日のうちに何かを感じて書き留めたい、という思いでスルスルっと何か書いて、埋まってしまう日も三割くらいある。


そんな日は「考えるタネ」は順番待ちみたいなもので、検討されずにまた翌日以降に在庫されてしまう。


在庫はあまり増えない方がよいのだが、中には寝かせておくことで、いい具合に醗酵しかかっているようなのもあって、またこの在庫整理も面白い作業でもある。


昔作っていたスクラップ帳、あれみたいなものなのだろう。

2008-07-14 最長老ブロガー、逝く。

[]年長者とブログ 年長者とブログ - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 年長者とブログ - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



オーストラリアの108才の女性が身罷(まか)ったという。
二つの戦争を経験し、ブログを昨年開設。


1900年代初期の文化などを紹介して世界中に読者がいたという。
(残念ながら、少しつながりにくいようだ)
allaboutolive.com.au - Crazy Domains



これがブログの最も大きな長所の一つ、だと思う。
二つの戦争を経験し、三人の子供を育て、108才まで生きる。


そんな市井人の価値観や人生観が面白くないはずがない。
時代を超えた「感覚のやり取り」そのものがとても興味深いだろう。


『Olive happens to be the oldest blogger in the world. 』
高齢であればある程、その人がインターネットを得た時の価値は高い。

「ネットを『より高齢者』が使うほど、その付加価値は増大する」


『ネットの相対的な付加価値は、その年齢に比例する。』


比例どころではないかもしれぬ。
それほど今の「団塊の世代以上」の持つ「知」や「経験」は深い。


自分も最近父親(75才」にようやくネット環境が準備できた。
早くもネットの「リンク機能と情報量の多さ」に驚いているが、反面その情報の「深さ」にすでに疑問も持っているようだ。
先が楽しみでもある。

高齢者にこそ、一日も早く参画してもらいたい。



最高齢ブロガに、合掌。



<記事全文>

「最高齢ブロガー」が死去 豪の108歳女性
2008.7.14 22:23
 オーストラリアのメディアが14日伝えたところによると、「世界最高齢のブロガー」として知られた同国の女性、オリーブ・ライリーさん(108)が12日、同国ニューサウスウェールズ州の療養所で死去した。


 調理人などをしながら3人の子どもを育て、2つの世界大戦を経験した。友人の勧めで昨年2月にブログを開設し、70回以上掲載。1900年代初期の洗濯の仕方を紹介し、現代と比べるなど、鮮明な記憶を基につづった文章が人気を呼び、米国やロシアなど世界中に読者がいた。


 最近になって体調を崩し、最後となった6月26日付のブログには「疲れた。せきが止まらない」などと記していた。(共同)

2008-06-11 名は体をあらはす。

[]ネーミングの影響。 ネーミングの影響。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ネーミングの影響。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント


秀雄。
聡。
隆。
靖。
進。
健一。


命名された時は生まれたてだから、自分で自分の名づけをすることはない。
(後から名前を変えるなら別だが)


そして、「付与された名前」に割と引き摺られるようだ。
みな、自分の名前に対して何がしかの感想や、また(聞いてみた)多くの人は「気に入る点や思い込み」を持っている。
そう考えると、名前というのは因果な存在だ、とも思う。


第三者が聞くと、結構驚くことも多い。

「一馬」…先頭を走る駿馬のように
「陽子」…陽だまりのように暖かな
「裕史」…裕福で、名を残すように
「多恵子」…幸多いように
「美子」…美しくあるように。



本人は、その名前と一生付き合うので影響を受けるのは当たり前か。
だからこそ、人に名づけるときにはあれこれと意味を取ったり、画数の演技を担いだりするのだろう。


「名前」の機能について


自分は人の名前には「字の意味・字の姿・発音の語感」という軸があると思っている。
特に近ごろは英語で発音してみたり、などということもあるだろう。


これは自分が子供に命名する時に気付いたこと。


それまでの自分では考えもせず。
どんな子になって欲しいか、と考えるとそれが表出して「言霊」になり、具体的な名前となるのだ。


さらに関係ないが自分の名前は「しげる」であるが外人には(特に英語圏の人)とても発音しにくいらしく、「シゲロ」「シギロ」「セゲロ」「シジェル」「サゲロ」とどんどん原型がなくなっていく。(嘆)


である友人から、そういうのは「アレクサンダー→アレックス」とか
「エドワード→エド」とかに略せばいいよ、と友人からアドバイスを受け
「しげる→シゲ」に。


でもこれは結局
「セゲ!」とか「シュゲ」になっただけで相手はあまり呼びやすそうではなかった。


そして「シー」と呼ぶ人もいた。
「C」と呼ばれてるようで、余り嬉しくはなかったが、相手は発音しやすかったらしく、喜んでいた。(嘆々)


いい加減には決められない



このサイトは今は「藤野の散文」。
なぜそんな名前なのですか?という質問をよくいただく。(困)


それは、名が体を表しているのだろう、やっぱり。
ブログなどを始めてこのかた、やはり書いている内容に一貫性はなく。
定まらない。


そう言えば思い出した。
三年ほど前、ブログサイトを作るにあたり、そのネーミングには割と悩んだ。
そもそもは梅田望夫さんの「ウェブ進化論」に強い刺激を受け、それが契機だったのだ。

何かこれからの自分を、特にweb上での自分の何かを象徴しそうな気がしたのだ。


これからの自分の志向や、価値観や、興味を表すような、そんなことをプログにも期待していた。


そこで、気づく。

自分は長期にわたって「自分の何か」を「どこか(例えばwebとか)」に書きとめる、ということを未だやったことがない。


だから、文章に書き留めてみて、やり始めてみてこそ、「その先」が見えるのだろう、と。


なら、そんなに確定的な名前など、付けられるはずがない。
せいぜい「散文」だろう、と。

名前は時として、その存在や「志」そのものを表すこともある。
いわゆる「看板」として担ぐのだ、という意味合いもある。



・My Life Between Silicon Valley and Japan
・内田樹の研究室
・Life is beatiful
・茂木健一郎 クオリア日記
・finalventの日記
・元検弁護士のつぶやき
・たけくまメモ


みんな、みんなwebの中で何かの「屋号」を上げて何かを公開している。

ブログはまだこの十年のものだし、これからどれだけ形を変えて広がるか、まだ分からない。


web上でのみなさんの「命名」にも注目していきたいと思う。

@rare@rare 2008/06/12 01:25 あ、られの名前はどーなるの!!!

why-newtonwhy-newton 2008/06/13 05:13 @rareさんこんにちは。なにか、何かあるような気がします。あ、られ。

2008-05-25 今がその時かもしれないこと

[]自分の潮目 自分の潮目 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 自分の潮目 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



これまでの人生でどの点をとってみても、「十年先」が見通しよくついたことなどなく。


0才では覚えてないし。
10才の時に想像した二十歳は意味不明。
20才の時には三十才など想像だにせず。
30才でも同様に。

いま四十才までの諸君。つまり人生「登り坂」のときには人間「先」のことなどあまりリアルにイメージしないようですな。


多分、30年前からブログを書いていたとしても、あまり「先の見通し」などに向けた話題はないのだろう。
54才になって自分は何をしているか、というのは「終わり」を実感として意識する者の心理状態なのだ。


老成、とはよく言ったもので、そんな状態になったらなったで、きちんと人生に向き合う、とか改めてまじめに考えたりするようだ。


流れが変わるとき



これまでの自分の人生になにか「節目」があったとしたらどうだろう。


進学とか、就職、などがそうか。
交際する友人や異性の変わったときもそうだろう。
結婚、とか家族が増えたり、減ったり、なども。


で、こういう大きな「節目」は見た目にも分かりやすく、また生活環境も顕著に変化するので意識しやすい。
ただ「物理的な環境そのもの」が変わるので「日常生活の変化」にばかり気がいって、むしろ精神的な自分の変化を意識しにくいように思う。


何となく、大事なのはその「精神的な(価値観の)変化」なのだ。


一人暮らしで何かが変わる、のではなくその「決意」が何かを示していないか。


そこでブログなど。


例えば、やはりその時の「自分の最新の考え」とか「価値観」とかを正直に書きとめておく。


そこで、よそにもっともっと高邁なことを話題にしていたり、抹香臭いな、などとおもって妙にスカした風なことを書くのではなく。

そんなものを「ありのまま」に残しておいて、後に定点観測してみれば「潮の変わり目」などを観測できるのではないか。



自分にとって、
・家族とか


・勉強とか
・学歴とか、


・富とか
・仕事とか


・友人とか
・異性とか


・将来とか
・老後とか
・人生とか


そんなものへの価値観はどんなだったか。

そこに何かの予測や反省を書くのではなく。


そこには今の自分の定点を記す。



いつか、あとからその定点を振り返ってみるのが正直なきがするのだ。


どうも、ただただ「今思うこと」を書く自分と
「過去や未来のこと」を書く自分には差があるな、ただ今の自分を書く方がずっと書きやすいな、と思った次第。



やはり自分の分析は自分には難しい。

ちゅう太ちゅう太 2008/05/26 00:14 自分の定点観測。ブログってそんな効用もあるのですね。ブログ道、みたいな気がします。最近始めたんですが。

neoneo 2008/05/26 16:45 季節感のエントリー、気に入ってます。自分も皇居あたりにいるような。(笑)

why-newtonwhy-newton 2008/06/04 06:26 ちゅう太さんどうも。そんな利用の仕方もあるのかな、と。試行錯誤中ですが。

why-newtonwhy-newton 2008/06/04 06:27 neoさんどうも。皇居近くですか?季節など感じ始めたのも最近のことですが。(苦笑)

2008-03-12 エントリ日和。

[]不思議なこと 不思議なこと - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 不思議なこと - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

何か疑問に思う「タネ」が一番多く出てくる場所。
一位 フロ場→メモに
二位 寝床→メモに
三位 歩いている最中→携帯のメモに


特にフロ場は八割を占める。


くちゃくちゃに書き留めたメモは、大体翌日や休日の朝一にまとめられる習わしなのだが。


なんだか、PCの前に座っていてもノらない日がある。
深酒のあくる日とか。


ところが、妙にタイトルが浮かぶ日もある。


先週末はそんな日だった。


「物事はひっくり返る」
「お金」
「貯金」
ストレスについて」
「言い訳の相手」
「ストレッチと老化」
「不老不死」
「ソフトウェア・コントロール」
「心の平衡」
「人生のソフトウェア」
 ・
 ・
 ・
 ・
いくらも湧いてくる。


逆にノらない日は、筆のすべりが悪い。(キーボードやけど)
そんな日はあまりムリせず、ほかの下書きをみて、「タネの成長」に目を向けてみたり。


それにも飽きたら、youtubeでよさそうな音楽散策などしてみたり。


何がタネを生むのか

その日はたまたまそんな気分だったのだが、それもたまたま不思議に思った。


特に昨日何か本を読んだとか、「入力の情報」に差はない。
頭の中で気になっていたことがある「閾値」に達したからボコボコと色んなことが思い浮かぶのか。


ふぅーむ。

どうも違うようだ。



気分。
気分や体調のいい日にはエントリが進む。(何だか酒みたいだが)
ということを発見した。

気分がいいと、思考をうながす脳内物質が何か分泌されるのだろうか。



その物質がどんどん出たら、いやどんどん出るように訓練したらどうなるのだろう。
どんどんどんどん。



ん。
そりゃ単なる妄想か。

neoneo 2008/03/12 22:48 調子の良い週末っていい気持ちですよね!ブログ、朝書いてらっしゃるのですね。だから明るいのでしょうか?またパワーエントリー、お願いしまっす。(^^)/~~~

ちゅう太ちゅう太 2008/03/12 23:24 連日失礼します。そんな風にバシバシ湧いてくるものなのですね。達人ですね。(笑)

らくさんらくさん 2008/03/13 15:04 すごいですね、毎日更新ですか!もう習慣にされてるんですね。見習わなくっちゃ。

2008-02-19 ブログの紡ぎ方。

[]ブログとその先 ブログとその先 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログとその先 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

お気に入りアルファブロガーの中島さんが本を出した。
まだ発売前だけど。

おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)

おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由 (アスキー新書)




で、執筆の際の様子がエントリーになっている。


ちなみに、この本を作る段階で編集の方と色々と相談したのは、「どうやってブログや月刊asciiのコラムよりも付加価値の高いものにするか」。


せっかく「書物」という形で出版するのだから、単にブログのエントリーを並べたり、月刊asciiのコラムを転載しただけでは、もったいない。



確かに。
特に章立てとか全体のバランス、などは「一つのテーマ」を取り上げるときは推敲などずい分大変だろうと思う。


何冊か読んだが、「ブログを並べた本」が意外なほど淡白なのも気になるところ。


で中島氏は言う。

ブログだと、断片的な情報をその場その場に応じて発信しているだけなのでなかなか「流れ」のようなものは作り出しにくいし、読み取りにくい。


それに対して、こんな形にすれば、バラバラの音符が合わさって一つの曲を作りだすかの様に、私からのメッセージがもっと明確に伝わるのではないか、と期待してのことだ。



と。

音符と曲



そこで今回試みたのは、一つのテーマを選び(本書の場合は「なぜ私がアップルこそがソニーの最大のライバルだと結論付けたか」)、そのテーマに関連するエントリーを選び出した上で、それに解説を加えて間を埋めることにより、それを通して読者が一つの「時代の流れ」のようなものが読み取れる様にする、というもの。



「テーマ」に関係するものを抽出して、紡ぐ。
一つひとつのエントリは「音符」。

そこから曲を作る。



一つひとつの音符がよく考えられ、美しいものなら、いい曲になるのだろう。


またその「曲」をいかに演奏するのだろうか。
演奏するのは読者である自分たちなのだろうか。


一つひとつのエントリが、何か交響曲の「主題」*1のような気がしてきた。


いつの日か自分にもそんな輪郭が見えるだろうか。

*1:古典派、ロマン派に多く楽曲を通じて繰り返し表現される数小説からなる旋律

neoneo 2008/02/19 22:29 あ、また面白そうなブログ、ありがとうございます。ホントに一杯読まれてますね!

篤姫篤姫 2008/02/19 23:09 かわいーですよね!why-newton様までハマっておられたとは!o(^o^)o親近感。

案山子案山子 2008/02/20 10:28 ブログってそんな風に使えるんですね。とても新しいことに出会った気分です。また来ます。

tgvtgv 2008/02/20 13:29 ひな祭り

KazubaKazuba 2008/02/20 22:14 ご存じかもしれないですけど、ブログを書籍化した本で私が一番好きなのは、
『ベッカー教授とポズナー判事のブログで学ぶ経済学』です。
http://d.hatena.ne.jp/asin/4492313672

元ブログは、http://www.becker-posner-blog.com/ です。
英語の勉強にもなるし、二人対談形式というのもおもしろいしと思って時々見るんですが、つい長い英文を読むのが面倒で、日本語でブログ本が出ると買っちゃいましたね(^^;

why-newtonwhy-newton 2008/02/20 22:22 neoさんどうも。いえいえ、rssリーダが優秀なだけです。(笑)

why-newtonwhy-newton 2008/02/20 22:23 篤姫どの!絶対見るものか、と思いながら隣の部屋で音声だけ聞いていたり。苦労します。(苦笑)

why-newtonwhy-newton 2008/02/20 22:24 案山子さんこんにちは。いろいろ、あります。(笑)

why-newtonwhy-newton 2008/02/20 22:24 tgvさん、書きかけかな?

why-newtonwhy-newton 2008/02/20 22:25 Kazubaさん。おお。また一つ購読フィードが増えそうだ。たどってみます。どうもです。

2008-01-02 ブログについて

[]効果 効果 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 効果 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント


昨年一年を振り返り、最も印象深いのは「スピード感」。


ジャネの法則、ではないが特にここ数年、時間の「経ちかた」が悪いふうに「上すべり」しているな、と感じていた。



忙しく日々を過ごしているうちに、まったく一年の総括などすることなしに翌年を迎え、そのまま春になり、秋が来て年末になる。


翌年以降の展望、とかこれまでへの反省、とか一切なしにただただ、目の前に起きる現象にひたすら組み合っている感じでいつ立ち止まれるのだろう、と思っていた。


このまま五十になり、そのまま老人になるのか、そんな予感すらしていたのだが。

悪循環を止めるもの



一昨年からそれこそ「何かの光」を感じて始めたブログ


機能的には「公開されてる日記」以外の何ものでもないのだがその「悪循環」を止めたのはブログだった。



おそらくは日々の何らかの「積み上げ」を自身に見せるのだろう、毎日感じたことなどエントリする うちに自分よりもリアリティのある「自分」を感じるようになってきた。


特に自分のこれまでの仕事についての考え方、などをupしていると、何となく「もう一人の自分」がいるような安心感すら覚えるようになってきた。


たとえ自分がいなくなろうとも、「自分の意見はここに記されてるじゃないか」、ということなのだろう。

自分のこころのためにも

昨年を振り返り、「走り続ける悪夢」から逃れた感、が強く何となく安心して今年に向かう自分がいる。


出来事だけで言えば、昨年はそれはそれで色々あって、四十代半ばにさしかかるここ数年の自分は、「ちょっとヘンになりそうなくらい」悩む局面もあったのだが、何とか正気を保って折り返せた感じを自覚できているのは、ブログ効果と言うしかない。


自分自身の「心の平衡を保つ」。


ブログは自分にとってはそんな存在でもある。


一年後の心境はどんなだろうと、楽しみにしたい。

neoneo 2008/01/02 23:17 ブログで自分と向き合う、てなかなか迫力ありますね。チャレンジングでなかなかカッコよいです!(^-^)

tgvtgv 2008/01/03 10:56 おめでとうございます。新年から、濃いめのエントリ有難うございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

正月正月 2008/01/03 11:55 新年に乾杯!

名無し名無し 2008/01/03 12:34 なかなかの達人。ブログの行方、ですか。

t#4/t#4/ 2008/01/03 13:51 年を取ると、季節感なし。です。確かに!うーむ。

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:27 neoさんどうも。まあそんな存在なんですねぇ。

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:28 tgvさんどうも。濃いめ、恐縮です。

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:28 正月さん、乾杯!

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:28 名無しさんどうも。私見ですが。

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:29 t#4/さんどうも。なにか「計り」が要りますね。

2008-01-01 新年にあたり

[]この一年で この一年で - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク この一年で - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



年末にかけて感想をまとめた「ウェブ時代をゆく」もずい分いろいろな点で参考になったが、その中から「止めることを決めること」。
限られた一日の中で、次々やりたいことを足してゆくばかりだから何事も実現せぬのだ、と


著者の梅田さんも書中でそう述べているが、「本」というもので自分の人生が変わる、というほどの体験はそうそうない。


ブログでもそれは同じことで、「決定的」な何か、というのはそうそう起こるものではない。


ちょうどそんなことを考え出していた時、「自分にアポを入れるという」というコメントをもらってハッとする。それから一日いちにち、「翌日」の過ごしようをイメージしながらスケジュールするようにつとめている。



習慣を変えること

習慣、というくらいだからもう相当「身体に染み付いて」しまっているわけで、「何を変えねばならないか」ということすら、なかなか気がつかない。

ハッと「明日のアポイント」を考えたとき、特に休日の予定に計画性のないことが分かった。



と同時に今自分にとっての最大の敵が「酒」であることもありありとわかった。


あらかじめ明日の予定を組むのであれば、そんな馬鹿げた時間の使い方をするわけがない、と思うような生活の連続だった、と気付いてからは早かった。


酒も好きだが、「だらだら」飲んでいた、とは不覚。
「明日」のためには節制する。
なんたって二時間余計に飲むだけ、の行為が「休日丸一日」を吹っ飛ばすくらいの意味を持つのだ。

「今」のためだけじゃなく、明日も「やりたいことがあるから」と思えば当たり前、よくもそんなことに気づかなかったものだが、まあ仕方なく。


それで平日でも朝に二時間、夜に一時間、休日にはなんと六時間以上もの時間を見つけたのが、昨年の秋深いころ。


まだまだ梅田さんや小澤征爾の習慣にはかなわないけれど「そんな時間たち」とどう過ごしていくかは今年の一番の楽しみなのである。

neoneo 2008/01/02 01:29 あけましておめでとうございます!!昨年は、初めてブログでお目にかかり、またその後大変いろいろご指導いただきました。何だかどんどんのめり込みそうですが、よろしくお願いします。m(_ _)m

why-newtonwhy-newton 2008/01/08 21:27 neoさんどうも。自分でも何度も同じこと書いてるようなところありますが、よろしくお付き合いのほどを。拝

2007-11-11 ブログ、next。

[]究極の俯瞰ツールか 究極の俯瞰ツールか - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 究極の俯瞰ツールか - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



プロ弁護士の仕事術(矢部正秋著)を読み込んで、いろいろと感銘を受けた、が
一つだけ「自分の実体験」としては共感できなかった部分。

『俯瞰して見る』こと。
これは、弁護士である著者が五十歳を過ぎてようやく到達した「奥義」のようなもので、
何度読んでも「ふぅむ。なるほど。そういうものか」というのが正直な感想だった。
(何度もしつこいが、著者の苦節の経験を、数百円の本で知ることができる。これがタイムマシンでなくて何だろうか。)



自分のキャリアからすると、まあ無理もない。


「プロ弁・・・」読んで以来、折に触れて「俯瞰するということ」が頭をもたげてきたが、最近ちょっと気づいたことが。


友人との会話



先日、昔ながらの友人にこのブログのことを尋ねられた。


「何か人に伝えたいことがある(から書く)のか?」。


これに対し、
・思考の補助ツールになる、とか
・口幅ったいが、なにか後世に遺したく、とか
・未知なる出会いもある、とか
・メモにもなるし、とか
・仕事で名刺がわりにもなるし、とか
・自分が死んでも残るし、とか


まあ、いろいろ説明してた。


ウェブ進化論、でも「ブログは恐ろしい勢いで自分を成長させる」
と書かれていたが、この表現も同じく「なぜだろう?」と感じていた。



本当にブログは書く人を成長などさせるのだろうか?確かか?、と。


最近、何となく感じてきた。


こんな使い方



先の「プロ弁護士の思考術」。


著者の究極の境地である「俯瞰思考」。

もしブログに「自分の思想や思考、をエントリし続け」、


仕事や、
家族や、
友人や、
政治や、
文化や、
宗教や、
外国や、
自然や、
人生など、


自分が「生きる中」での思いを日々(リアルタイムに)綴っていけば、
ブログはかなり「自分自身の思考」をあらわす存在になる。



そして、それをある時、なにかのタイミングで振り返ってみる。


そこにはまさに「プロ弁・・・」の指摘する「自分をも含めた俯瞰」の景色があるのではないか。


ブログ、という媒体に自分の「映し身(移し身か?)」を作り、自分も「第三者」として捉える。


「プロ弁・・・」の著者がいう最も難しいとされる「自分をも含めた俯瞰の目」。
ある意味、究極の問題解決法、とも思われる技術を身につけるのに、ブログはうってつけのツール
なのではないか、

と思った次第。


移し身、を作るのも、なかなか大変なことではあるが。


自分なりの「ウェブ時代をゆく」についてはまだまだこれからのテーマのようだ。



tunktunk 2007/11/12 17:08 俯瞰ツール。why-newtonさんの独自説!(^0^)ですね。高級なブログの使用法、といった感じでしょうか。勉強しなきゃ。

neoneo 2007/11/12 21:05 うっわー!えらいつながりかた、するもんですね!!なかなかのヒットでわ。自己の客体化・・・うーむすごい。

ちゅう太ちゅう太 2007/11/12 21:56 さすが。ブログ考、一端の結論ではないですか。お見事!

sixtysixty 2007/11/12 22:23 ブログ論、随分たくさんお書きですね。辿って読ませていただきます。なかなか面白いメディアなのですね。こんなに色々あるとは思いませんでした。

ポルシェポルシェ 2007/11/12 23:37 何だかちょっと置いて行かれ感です。今からでも遅くないでしょうか。(T_T)

why-newtonwhy-newton 2007/11/16 20:47 tunkさんこんにちは。独自説、というよりフュージョン、でしょうか。どちらも先輩の言葉ですので。
自分は「こういうことかな」と気づいてばかりです。(苦笑)

why-newtonwhy-newton 2007/11/16 20:48 neoさんどうも。俯瞰思考、は、著者の奥義ともいえます。味のある、深い考え方だと、いまさらながら。

why-newtonwhy-newton 2007/11/16 20:48 ちゅう太さんどうも。一端?の結論ではあります。確かに。さらにその先を目指します。

why-newtonwhy-newton 2007/11/16 20:49 sixtyさん、こんにちは。自分の中をぐるぐる回っている感じですが、まあ色んな見方が考えられます。(笑)

why-newtonwhy-newton 2007/11/16 20:50 ポルシェさん、こんにちは。今からでも、何歳からでも遅くない、と思います。人と比べることもありませんし。一歩の踏み出し、かと。

2007-11-08 もう一つのブログ効果。

[]ブログの副作用 ブログの副作用 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログの副作用 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

(副作用、とは「本来の狙い以外の効果」とのことであまりいい意味には使われないようだが)



以前、年を取れば取るほど「時間の経過」が早く感じる、という「ジャネの法則」について書いたことがある。
(http://d.hatena.ne.jp/why-newton/20061230)

ジャネの法則(Paul Janet・仏):時間の「心理的な長さ」は、年齢の逆数に比例する。


確かにそうなのだが、一つだけ変わったこと。


ブログを書いていると、それほど感じなくなるのだ。
もちろん、「一年が経つのは早いなぁ」とは感じるが、以前のように


「もう一年も終わりか(あるいはもう誕生日か)この一年は何をしてたのだろう」


というような「虚脱感」はない。


「日記(をつけるという)効果」かとも思ったが「ただ(紙の)日記をつけてるだけ」の感覚とも少し違う。


恐らく、「自分の記録(日記的なもの)が、webの『ある一ヶ所』に溜まり続けている」からではないだろうか。


「ずーっと、一ヶ所(web)に『何か』を投げ込み続けていて、ふと振り返るとずーっと一直線につながっている」



そんな感じがする。


デジタルならでは、「いつでも検索できるさ」という安心感も強い。


ブログの、本当の効用



『俯瞰の眼』。
以前、「プロ弁護士の思考術」にあった「自分の存在も含めて客観的に事態を把握する着眼の方法。」


ちょっとそれに近いか。


あるいは「自分自身」。
お、と思って検索したら、同じようなことを書いている。
(http://d.hatena.ne.jp/why-newton/20061231)


ちょっと力が入って、恥ずかしいような文体だが

<自分を映す鏡>


思うに、ブログは自分自身の?映し身?のようなものだ。


そんな存在ができたので、生活までも変化した。(後略)


なんて書いている。


その後には「ブログ健康法」なんてお題でこんなことも。

ただ、意外なこと。


精神的な「安定」。


「自分のオツムがごちゃっとして整理できていなかったから」か、あるいは、

「人に聞かれるたびに、「同じこと」をいちいち口で応えていたフラストレーションから」か、

特に40代になって形容しにくい心境になっていた。


鬱、と言うでもなく、不安、でもなく一種の「人生の後半に差し掛かった」という寂寥感なのかもしれぬ。

(早い更年期かなぁ《愁嘆》)


それが、ここ数ヶ月でスゥーッと消えつつある。



デジタル日記は、確かに「過去観、未来感」を変える力を持っているのではないか。


しかも、明るく変える(これぞオプティミズム)作用があるように思えてならない。


ここ2-3ヶ月、特に強く感じる。


またもやブログにブログのこと、だがもう少し追求してみる価値を感じている。



マニアックだろうか。

neoneo 2007/11/08 21:38 今日は更新はやいですね。ブログの考察、いつも楽しみにしてます。最近自分でも始めたんですが、もう少し自信ができたら見てくださいね!

eveeve 2007/11/08 23:25 こんばんは。結構深い意味を感じています。今迄ブログをそんな風に見たことありませんでしたから。また聞かせてください。

futurefuture 2007/11/09 10:10 デジタル日記の効果。なかなか深いものですな。死後も残る、と言うのも感慨深いなと。

tinktunktinktunk 2007/11/09 10:44 はじめまして。ブログについてはいろんな意見がありますが、why-newtonさんの説には賛成します。私自身どんな位置付けにすればいいのかな、と常日頃思っていたので、少し目の前が明るくなったような気がしてます。またちょくちょく来させていただきますね。o(^-^)o

why-newtonwhy-newton 2007/11/09 22:23 neoさんどうも。ぜひご案内ください。

why-newtonwhy-newton 2007/11/09 22:24 eveさんどうも。いろいろそんな風に考えると、色んな風に見えてきます。なかなか不思議な物体です。(笑)

why-newtonwhy-newton 2007/11/09 22:24 futureさんこんにちは。ほんとうに。デジタルのくせに?感慨深いです。(笑)

why-newtonwhy-newton 2007/11/09 22:25 tinktunkさんこんにちは。またごぜひ意見など。

2007-09-12 首相、辞意表明

[][]安倍首相、辞意表明のニュース。 安倍首相、辞意表明のニュース。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 安倍首相、辞意表明のニュース。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

f:id:why-newton:20070912170439j:image:right

自分のところに友人からメールが届いたのが1時15分。


おや、と思いgoogleするがまだヒットなし。


googleの検索パワーをテストしようと、急遽ブログに上げてみた。
(ただ今13:40)



それにしても、妙なタイミングだ。



よほど、体調が悪いのではないか。


(時事通信hpより)


首相曰く、
テロ特措法は通したい。が、行き詰まり。


小沢代表との党首会談も断られた、との弁。


新たな総理の元で、テロとの戦いをすべきでは、と仰る。


「力強く政策を続けることは困難、と判断するに至った」
(テロとの戦いを継続するために辞める、と取れる)


まあ、こうなると批判の最前線にいた安倍総理。


この後の人は大変だ。


もう「安倍だのみ」の隠れ蓑はなくなるわけだし。


投げた、というよりは様子が変。




記者「国際公約を途中で投げ出していいのか?」
首相「公約を果たすのが難しいので辞める」


記者「今度の国連(18日)までに新総裁を選ぶのか」
首相「自分が口を出すことではない。できるだけ早く選んで欲しい」


記者「戦後レジームからの脱却が遅れるとは思わなかったか?」
首相「ぜひ、それについては進んで欲しい」


記者「代表質問前に辞めるというのは、逃げていると思われてもしかたないのでは?」
首相「自分には所信表明で述べたことを実行する責任があるが、実行できない見込みなので、なるべく早目に辞める決心をした。」


記者「政策実行の困難さは、参院選後から変わっていないと思うが、なぜ今なのか?」
首相「局面を変える(辞める)必要を感じたのは、党首会談を断られ、私がいることが障害になっていると思った」


記者「(政策実行が)困難な状況に至った原因は何だと思いますか?」
首相「多々あるが、安倍内閣として国民の信任を得ることができなかった。それは私の責任だ」


記者「党首会談を理由にあげたが、今後できる見込みはあったのでは?あるいは新総裁なら党首会談は実現するのか?」
首相「私が民意を得ていないから党首会談ができない、ので次の党首で実現して欲しい」


記者「党首討論ができなくても、テロ特措法は通せたのではないか?それが理由では説明が不十分では?」
首相「特措法は中断させるわけには行かないと思った。新法での対応では中断、ということになる。そうなるより、今(辞意の)判断をするほうが混乱を招かずよいと思った。」


首相ともなると、こんなものだろうか。



テロ特措法が継続できなそう、なので辞める、と。


新たな総理の元で目指して欲しい。とも。


いま辞任して、新総裁を選んで、それで特措法の継続ができるだろうか。


本当の理由は健康上の何か別のことではないか、と思う。


昨年9月26日から、まる一年。




<安倍政権の歩み sankei webより>



 平成18年9月20日 自民党総裁選で安倍晋三官房長官(当時)が当選

        26  安倍内閣発足

     10・9   北朝鮮が核実験

        22  衆院神奈川16区、大阪9区統一補選で自民が連勝

     11・1   政府主催タウンミーティング(TM)のやらせ質問問題発覚
        
     12・4   郵政造反組11議員が自民党復党

        8   道路特定財源見直しを閣議決定

        15  改正教育基本法が成立

        21  本間正明政府税制調査会長が官舎への不適切入居問題で辞任
        27  佐田玄一郎行政改革担当相が政治資金問題で辞任
 平成19・1・9   防衛省発足

        9−15欧州歴訪、東アジアサミット出席

        10  松岡利勝農相の事務所費問題が浮上

        24  教育再生会議が第1次報告

        25  第166通常国会召集

        27  柳沢伯夫厚生労働相が女性を「産む機械」と発言
      3・25  能登半島地震

        26  平成19年度予算成立

      4・6   日本版国家安全保障会議(NSC)創設関連法案を提出

        11  温家宝中国首相が来日、日中首脳会談

        22  参院福島、沖縄両選挙区統一補選で与野党が1勝1敗

        23  平成20年の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)開催を決定

        27  ワシントン近郊の大統領山荘キャンプデービッドでブッシュ大統領と会談。5月3日まで中東歴訪

      5・14  憲法改正のための国民投票法成立

        18  集団的自衛権行使の憲法解釈見直しを検討する有識者会議が初会合

        24  2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量半減の長期目標を発表

        28  松岡農相自殺

      6・1   教育再生会議が第2次報告

        6−8 主要国首脳会議(ドイツ、ハイリゲンダム・サミット)

        20  教育改革関連三法が成立

        22  国会会期12日間延長を議決

        30  年金時効撤廃特例法、社会保険庁改革関連法、改正国家公務員法が成立

      7・3   久間章生防衛相が原爆投下「しょうがない」発言で辞任
        5   国会閉幕。首相、公的年金記録不備問題の対応策発表

        7   赤城徳彦農相の事務所費問題が表面化
        16  新潟県中越沖地震

        29  第21回参院選。自民党は37議席と惨敗、与野党逆転。首相は続投表明

        30  米下院本会議が、日本政府に従軍慰安婦問題の公式謝罪を求める決議を可決

      8・1   赤城農相辞任

        19−25インドネシア、インド、マレーシア歴訪

        27  自民党役員人事、内閣改造

      9・3   補助金不正受給で遠藤武彦農相が辞任。坂本由紀子外務政務官も収支報告書の改ざんで辞任。

        5   鴨下一郎環境相の政治資金収支報告書に「誤記」判明。上川陽子担当相も記載漏れ発覚。

        10  衆参両院で所信表明演説

        12  首相が与党幹部に辞意を伝える




成人用オムツを使わねばならぬほど、体調も崩していたと聞く。


時期はともかく、退いてよかったのだと思う。

ごろ太ごろ太 2007/09/12 17:59 オムツとは!そんなで首相は無理ですよねぇ。何だかかわいそうです。

早耳早耳 2007/09/12 22:49 blog、アップ早かったですね!これで知りました。(^^)

fukofuko 2007/09/13 00:17 ふふ、秋ですね。ふじのさんの季節感、気に入ってます。ブログの標題も。

houdouhoudou 2007/09/13 00:22 皆なハイハイって感じですね。安倍さん辞めても麻生さんになっても、回りの冷たい感じ、何だか変わらなそう・・・

refugeerefugee 2007/09/13 00:33 大変ですね。介護難民も出ています。木を見て森をみず、ですか。深刻です!

packmanpackman 2007/09/13 01:09 次の政権でも何か変わるのでしょうか?根本の問題は放置されてるように思いますが!

007007 2007/09/13 01:40 色んな意味で短命内閣でしたね。政治については随分ご興味ありそうですね。

yayayaya 2007/09/13 10:22 もう次の人選に必死ですね。なんだか下らないな。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:00 ごろ太さん、こんにちは。辞めてしまうと、確かにお気の毒。もっと早い処置が必要だったのでしょう。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:02 早耳さん、こんにちは。今回は実験してみました。エントリしてから一時間くらいで検索エンジンにかかっていました。googleもパワーアップしているようですね。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:02 fukoさん、こんにちは。感じるままに、表現できれば、と思っています。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:04 houdouさん、こんにちは。これで根本が変わることはない、と多くの声です。変えるには…自分も模索中です。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:08 refugeeさん、こんにちは。美しい国、では結局各論が穴だらけでした。イメージ戦略から失敗していた気がします。「安全な国」とか「(空気が)きれいな国」の方がいいと思ってます。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:10 packmanさん、こんにちは。放置されてますね。今の体制では、そこに手をつける人は出てこないと思うので、何か別のアングルから切り口を見つけるのだ、と考えています。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:11 007さん、こんにちは。政治はむしろ興味うす、なのですが、最近ずいぶん気になってしまいます。年齢のせいだと思いますが。

why-newtonwhy-newton 2007/09/14 08:12 yayaさん、こんにちは。確かにくだらない。のでその視点に巻き込まれないように、と思ってます。こんな時こそ「俯瞰」していたいと。

2007-08-31 日記として。

[]スーパーダイアリ(永年日記) スーパーダイアリ(永年日記) - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク スーパーダイアリ(永年日記) - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



ちょうど一年前のブログ


「失敗の共有」なる奇妙なエントリをしている。
http://d.hatena.ne.jp/why-newton/20060829/p1


今思うに何が言いたいのかヘンな内容だが。(汗)


当時は何をエントリするか、かなり手探りで逡巡していたのを思い出す。


一年経つ、が。


さて来年の今ごろはどんなことを書いているのか、と思うとあまり進歩していなそうで、ちょっと幻滅感が。


一年前は書評といっても、内容の粗筋を書いていたりして、それも幾分肩に力が入っているようすに苦笑する。


デジタル日記の威力




その昔(まだあるだろうけど)10年日記、というのが流行ったが、ブログは「永年日記」だ。



「はてな」ある限り、残り続ける。
(ブログの運営会社がつぶれたらコンテンツはどうなるのだろう。多分規約に書いてあるかな)


何十年も、何百年もたまったら。
やはり「知の層」のようだな、などとあらため思うが。


ちょっとお遊びぽいが
「去年の自分」とか
「おととしの自分」とか「十年前の自分」そんなものが、簡単に対照できるような機能はどうだろう。



そのうち百年前の今日のジイさん。とか
百五十年前の「フルトヴェングラーの日記」とか。


そんなのがサクサク検索できるって夢のようではないか。



モーッアルトや坂本竜馬や聖徳太子のブログが見られたら、誰だってワクワクする。


そんな時代に少しづつ、近づいている。


ぜひ、「時系列表示機能」をデザインに取り込んでもらいたいものだ。

tacttact 2007/08/31 22:58 blog論、いつもすごいですね!これから有名人とかも、全部blog残していったらすごいですよね!私も何だかワクワクして来ました。(~o~)

why-newtonwhy-newton 2007/09/04 21:33 tactさん、こんにちは。そうです。「本当の変化はこれから始まる」です。(笑)

2007-08-17 貯まる思い、の整理。

[]ブログの限界 ブログの限界 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログの限界 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



最近、コメントを多くもらうようになり、ふと。


エントリによっては、非常に含蓄の深いもがある。


「その先」を話してみたい気になるものだ。
実際何度かやり取りしたり。


がブログはこの点、弱い。


「話のタネ」を育てにくいのだ。


いただいたコメントから、自分の判断で別にエントリするのが精一杯だ。


聞くと「テーマ共有」する人はSNSなどでまた別のコミュニティ(グループ)を作るらしい。


なるほど、そういう機能はSNS的なものが適しているか。


しかし、SNSでは、検索エンジンには引っかからない。




それにしても、コメント欄でやり取りする人が、「ある線」より深い話になると、急にメールでの話し合いになるのは人間心理か。


共感、や反論は



最近のはてなダイアリーには「☆」マークなどでエントリを評価する仕組みがついたが、
「コメントするほどでもないが、感想を」という部分もあれば、と。


世論の反応が知りたく。


また反論も重要だ。
エントリに対し「なぜ○○なのだ」という問いかけに触発されることはとても多い。


連続モノのエントリは



思いついたタネをスピード重視でupし、また思い返して練り上げていくのもブログの妙味。


が、エントリ一つ一つには「背景や注釈などの補足部分」が結構な部分を占める。


各エントリの「エッセンス部分」だけをレビューするのには「カテゴリ」分類だけでは苦労する。



引用記号


などで強調したりするのだが、全然ヌルい。


一つのテーマを垂直に並べ、思考の展開をしたい時、編集機能が弱い。



このあたりは、

  • 徹底的な使いやすさ、「シンプル至上」の指向、と
  • 知識情報の編集ツールとしての「高機能化」とのせめぎ合いだ。


自分がエントリし始めてそろそろ一年ほど経つが、今年中には思考ツールとしての使い方を確立したいと思っている。

  • 思考のプロセスについて
  • 価値観などについて
  • 政治、教育
  • 定点観測もの



そんなそれぞれの分野に応じた、編集ツールがあればテーマの掘り下げはかなりスピードアップするに違いない。

marumaru 2007/08/17 20:32 久々、blogネタですね!確かにたまったエントリって勿体ないですよね。いい使い方、教えて下さいね。

tubetube 2007/08/17 23:08 今晩は。わたしもブログ始めたくなりました。どこかオススメありますか?はてなかな?

さちさち 2007/08/18 13:34 ブログ考、まとめて読みました。これから色んなものが残って行くのですね。新しい時代かも、と私も思いました。

why-newtonwhy-newton 2007/08/22 09:52 maruさん、こんにちは。もう少し突っ込んで研究してみます。

why-newtonwhy-newton 2007/08/22 09:54 tubeさん、こんにちは。まずどこでもいいから始めたらどうでしょうか。使い勝手はそれぞれで、はてなは便利ですが少々重いですね。あまりごちゃごちゃしていないので気に入っています。

why-newtonwhy-newton 2007/08/22 09:56 さちさん、こんにちは。蓄積、がブログの妙味でしょうか。いろんな人のブログが溜まる、新時代ですね。

2007-07-30 出会いのツールか

[]ブログの先 ブログの先 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログの先 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



ブログの読者が増えてくると、(特に特定の話題について)コメントとかメールをもらう。


メールやコメント、トラックバックなどは別途通知があるので、イソイソと返事を書いたりするのだが、どうも「その先」に届かない。


「パテンテス」という呼称で「社内のビジネスアイデア孵化」を指向した時も同様だが、ブログは「発信メディア」としては最高に手軽だが、「共有メディア」としては、ヌルいのだ。


先輩諸氏もそのようだが、ある程度のテーマが出てきて、輪郭がはっきりして来たら、グループウェアなりの別ツールを使うようになる。


サイボウズやらノーツやら、いろいろ検討し始めている。


で、「その先」をまとめていくのが、自分なのか、周りの人なのかでまた問題。


結局は「自分がリード」するテーマについて、いろいろ意見をいただきながら、ということになるのだろうか。


今だと、「著作権(コンテンツ)の流動化」とか「教育カリキュラムのターゲット」なんかが、割合反響のあるテーマだが、こんなのがグループワークの対象になっていくのかどうか。


初めてのの試みだが、少しづつでも形になればと思う。


糸川英夫理論でも



「あらゆる組織は二人から始まる」というのが糸川博士の「ペアシステム理論」だが、組織でも、研究でも、「発想者本人」と「異質なもう一人」がすべての起こりになる、というのが不変の法則か。


昔、金融系の大規模システムのプロジェクトリーダが「どんな大規模開発も成否はリーダとサブの二人で決まる」と語っていたのを思い出す。


ブログなどでネットを通じ、薄く、多くの人と接するのは、つまりは「同好の士」の大きな塊の中から「ペアとなる相手」を探す行為なのかもしれない。


そこでテーマごとに「主と従」も決まってくるのだろう。


そんなテーマがこの先一つでも、二つでも出来てきたら画期的。


まさにネットの恩恵と。


今のところ、そんな出会いを待って釣り糸を垂れている、というところなのだろう。

2007-06-30 俯瞰して見る。

[][][]らせんに堕ちるように らせんに堕ちるように - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク らせんに堕ちるように - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



産経ニュース

芸能人のことに明るくないし関心もない、が。


以前から芳しくない噂をまとった人たちだ。


小さなスキャンダルから、「だんだんと、でも確実に」身を持ち崩している感が強い。


大きなすり鉢を「らせんを描いて堕ちゆく」感じだ。


重力があるので、努力せず「上向き」になることはない。



最近、自分も含め「失敗」についてよく考える。


昨日の「ハインリヒの法則」よろしく、「予兆のない事故」はないのではないか。



我々は「日々の対処」にはそれほど疑念を抱かず、しかもそれらを「時系列に見通す」ことが特に苦手だ。


昔、NHKで連想ゲーム、という関連キーワードを与えられて、お題を当てる番組があったが、
頭の中でつぎつぎと単語に反応しても、なかなか正解にたどりつかないのが、

一連のキーワードを「紙に一列に書き並べ」ると、小学生でもラクラク答えていたことを思い出す。




俯瞰の目



芸能人でもないと、日常のさまざまな出来事を、いちいち他人の関心を惹くこともない。


また自分自身では、「そういった」時系列分析は苦手だ。


日記、とはそんな「目」を持つのに役立つのでは。


つまり、ブログか。


自分は小〜中学のころ悔しいことがあると、紙に「ちくしょう」とか書きなぐり、小っちゃく日付と理由を書く、ということをしていたことがある。


いつの間にか止めてしまったが、何度か見直したことがあり、「へーえ、この時はこんなことで怒ってたのか」とか「ありゃ悔しかったねぇ」とかレビューした記憶がある。


結構「他人の目」で見れるのだ。


また、殴り書きで激しい字体が、かえってマンガのような滑稽さを感じさせて可笑しかった。


ネット上のブログに自分の喜怒哀楽を「ままアップ」するのは抵抗がある、というかまだそこまでの器はない。


プライベートの物でもいい、「本音や感情そのまま」の記録を残すことを試してみることにしよう。


そんなことを思い浮かぶ、一片のニュースだった。


2007-06-15 昨日のこと。「明るいことと公平なこと」

[]ネットの向こう側から ネットの向こう側から - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ネットの向こう側から - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント



昨日のエントリには、ずい分多くの方から感想をもらった。


こんなのは初めてだ。
(なぜみんなコメントに書かないのだろう。実名の人が多いからか)


心に染み入った、とか共感したとか、結構勇気付けられるものが多かった。


自分の生きてく信条を、という気持ちで書いたのだが、そういう思いを強く持つと、ある程度「向こう側」から反応があるのが、何か新しい。

2007-05-30 ブログの射程距離(つづき)

[]ブログの機能、再考。 ブログの機能、再考。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク ブログの機能、再考。 - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

結局ブログの中身は、有望なタネを撒き、育ち、結実して一つの「作品」のようになっていくのか。


あるいは、共感する同志にサーチされ、「共同ワーク」のような形態に発展する人もいるな、と。



自分の場合は、まさに「脳内日記」か。



日々のメモリアルで「自分の分身みたいなもの」をまずネット上に置く。
(これを「一つのメディアを支配する」と表現する人もいる。大げさだが、確かにそう。)


そして「脳内自分史」へ。



最近は思い出すことをバックデイトで綴ってみたり、
去年以前のコンテンツを書いてみたり。
(先付けの予想をしてみたが、こりゃダメだった。「最新の日記」で露出してしまうのだ。(嘆))



思い出せることはずい分書いてきたが。


<ブログの今の役割>

一、究極の、思考ふ化ツール。
一、脳内自分史。




「定点観測」なんて意味あるだろうか。(惑)

2007-05-29 ブログの射程距離

[]当然にして 当然にして - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 を含むブックマーク 当然にして - 藤野の散文-小暑、逃げ水、不如帰。 のブックマークコメント

思考のタネを保存したり、育んだり、がブログの長所なわけだが
「手軽さ」とのトレードオフも切実と。


本当に一つのテーマを深堀りしたい時には弱い。


よくブログを集めた本があるが、全体を通して「そのために書き下ろした本」に比べ、浅い。


どうしてもエッセイ色が。
読み手にも一覧性を欠く。


一冊の新書の書き下ろし、しかも「良書」となるような本の執筆には、海に浮かぶ氷山のような「下支えする思考、推敲」が必要なのだろうと感じる。


出版というのは大変な作業だ。



したがって、ブログで目一杯「興味のネタの網」を広げておき、タイミングを見て「掘るテーマ」を絞ると。


で「作業場所」を今度は(ブログ上ではなく)、ローカルに(或いは本などアナログに)移して徹底的に掘る、ということか。


ずーっとブログだけに上げ続けるばかりだと、拡散するなぁ、などと。



考えてみれば当たり前でもある。



それにしても、ブログで社会批判、など絶対によそう、と思っていたのに何だかどんどんそんな風になる…