藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

終わりと同時に道のりも

*[7つの習慣]最初から苦労を予測する力。

私的成功のための、第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」(Begin with the End in Mind)。

この年になっても、いやなってこそだが実に重要な項目だと思う。

もう7つの習慣を知ってから軽く30年以上が経つが、その一つ一つは注意していないと忘れてしまうこともしょっちゅうである。

だから習慣にしなければならない、というのがそもそもの話なのだが。

それはともかく。

 

終わりを思い描くこと、究極には自分の人生の最期を思い描く、ということだがそれもともかく。

 

仕事でも趣味でも、何か新しいことを始めるときに「ゴール」をイメージすることって案外に難しい。

「このビジネスは始めたが最後にはIPOするだろう」とかいうことは考えにくいものだ。

だってまだ「何もない」わけですから。

まあそれくらい「始める」っていうのは大変なことなので、いざ始めてから「どこへ行くんだっけ?」というようなことにはならないように注意しよう、ということだ。

 

そして。

終わりがあるからこそ、「そこへ至るプロセスがある」ということでもある。

何かを始めるときには気持ちは前向きで、だからこそ苦労のことをあまり覚悟していないものだ。

 

「終わりをイメージすること」を忘れずに、そして終わりに至るまでの「途中の苦労をイメージすること」ができれば、かなりマイペースで事を運ぶことができると思う。

 

次からは必ず、必ずそうしようと思っている。

ようやく想像力

*[ウェブ進化論]私の時間の過ごし方。

先日、自分と同年代の60歳前後の仲間の飲み会でのこと。

話題がもう、年金と老後の話一辺倒になっているのには驚いた。

(それ以上の70代前後の先輩たちは「病気と数値と薬の話」に花が咲く)

 

そんな中でも60代は、もう定年を迎えてしまうのか…という寂寥感を誰もがリアルに感じているようだ。

メンタルと体のバランスが取れていなくて「まだまだ現役」と思っていたのが、定年が直近に迫ってきて改めて戸惑っているのがよく分かる。

 

そしてそんな感覚はこれからますます強くなっていくのだろうと思う。

60歳でこんなに「社会人の卒業」を感じるのなら、70歳が迫るとどんな心境になるのだろうか。

60歳の自分から見ても、ひと回り上の72歳の先輩たちのことを思うと、なかなかチャーミングな気分になってしまう。(ちょっと可愛い)

 

リタイヤ世代の気持ちの若さと、世間の「社会人の中心年齢」はどんどん乖離が大きくなっているのだろう。

なのでこれからは、自分が中年(40代)になったあたりから「30-40年後のこと」を想像しておいた方がいいだろう。

会社の「定年制度に従って終わり」という時代ではなくなっている。

 

リカレント教育云々、というよりも「60代以後の過ごし方」についてはいろんなシミュレーションをしておくのがこれからの常識になるのではないだろうか。

 

それはそれで楽しいことを考えたいものです。

 

理由が消える世界

*[ウェブ進化論]オフィスの再定義。

IT企業はリモート率が高いといわれているけれど、まだまだ「原則出社です」という会社は多い。

そして、そういった会社の転職人気は急降下していることに気づかない会社も多いようだ。

働く側の「選択の時代」は確実に始まっていると思う。

 

働き方改革と言われ、そしてコロナ禍があり、けれど世間の常識は「オフィスをなくす」というところまでには変化していない。

でそれを後押しするのはAIなのではないだろうかと思う。

 

ネットワークが5G、6Gへと進化し、さらに「人間のしていたいろんな作業部分」をAIが補助してくれるようになれば、環境は相当変化するだろう。

オフィスに出勤して"フェイスtoフェイス"を重視する企業は、その中身として「表情」とか「雑談」とか「オフィスの景色」を重視しているという。

それは今は分からないではない。

けれど制約条件は解除の対象、という名言もある。

 

そうした「表情描写とか雑談とかオフィスの遠景」が、ITの進歩で解決してしまえば、オフィスの存在理由は完全になくなるだろう。

それは時間の問題なのではないか思う。

すべては技術革新のもたらす変革だ。

 

自分たち働く立場の人間は、そうした「リアルと遜色ない職場」で一体何をしたいのか、ということを考えておく必要があるのではないだろうか。

 

 

疑いなし

*[ウェブ進化論]習慣を作る。

子供のころから歯医者に行くのが嫌いで、「虫歯が出来ては我慢し、悪くなって痛い治療をして、さらに歯医者嫌いになる」というまあ悪循環を繰り返していた。

そして40代半ばで、友人から「痛くない名医の歯医者さんがいる」と聞いて、ふと何十年ぶりに行く気になり、それからは年に三回の検診に通うことにしている。

 

すでに自分の歯は何本かは虫歯治療をしていて、そこからの再発の危険はあるらしいけれど、担当の先生からは「今のままでも80歳くらいまでは自分の歯で食事ができるでしょう」と言われている。

 

そこでハタと気づいたのだが、二、三十代のうちにそういう「歯の健康サイクル」を作ることを知っていれば、恐らく「死ぬまですべて自分の歯でいる」ということも可能だったろう。

 

つまりは、今の若い人はぜひ「定期的な歯科医院通い」と「毎食後の歯磨きと歯間ブラシ」を実行するだけで"口腔関連の悩みから生涯解放される"というのだから、やらない手はないだろう。

 

いろんな健康のための習慣というのは、7つの習慣同様「長期に渡って実行しレビューすること」が難しいものだが、こと口腔関連については疑いがないと思う。

 

これほど分かりやすい健康習慣はあまりない。

同様な健康のサイクルについても考えてみたいと思っています。

*[ウェブ進化論]一瞬で諦めない。

46億年前。(地球の誕生)

2億5000万年前。(恐竜の誕生)

6500万年前。(恐竜の絶滅)

700万年前。(猿人の誕生)

240万年前。(原人の誕生)

60万年前。(旧人"ネアンデルタール人"の誕生)

20万年前。(新人の誕生)←今の私たち

1万年前。(地球温暖化で農耕の始まり)

6000年前。(最古のメソポタミア文明の始まり)

そして6000年の間の歴史を見ていると、いかに「富と権力を求めての歴史か」と嘆息する。

宗教とか飢餓とかいろいろと理由はあるのだけれど、人間争いすぎ。

 

時の為政者たちにこの本を読ませれば一体どんな反応をするのだろう。

そして今の為政者は、そんなことを知っているに違いないのに争いを続けている。

自分たちは少しは賢くなっているのだろうか、と思うが先の大戦からまだ90年も経っていないのだ。

 

けれど「億」の単位から見てみれば「6000年」なんて一万分の一にも満たない期間でしかない。

つまり地球の歴史の中で「極々最近の一瞬だけ」今の人類が誕生して、武器を作って暴れているのだとも思える。

 

「争いは永遠になくならない」と諦めてしまうのはまだちょっと早いような気がする。

勝たぬ戦略

*[ウェブ進化論]戦わずして。

自分たちは「戦略」という言葉を聞くとついつい「相手と戦って勝つこと」だと考えてしまうが、現代では「むしろ戦いを避け、ある目的のために最適な資源を配分することけ」なのだという。

元々の戦でもそういう意味で使われていたらしい。

むしろ戦わない、というのはこれからの時代になじむフレーズではないだろうか。

 

よく欧米の人と議論していると、いわゆるディベートのように相手と反対の立場に立って「なんとしても打ち負かす」という人がいたりするが、何が目的かを考えずにただ相手に向かって喧嘩腰になっていては、まとまるものもまとまらない。

 

相手や目的に対してハナから「好き嫌いとか反対だとか」いうことを決めているような人も結構目にするが、それは自分も周囲も実に疲れるし、何より損なことだということに気がついていないのだと思う。

 

金持ち喧嘩せず、とはよく言ったものだが、ビジネスや人間関係でも「いかに丸く収めるか」ということは結果的には効率的なことも多いのだ、と思いたいものだ。

 

そんな収まりのためには、敢えて自分から折れたり歩み寄ったりすることを自然と覚えたいものである。

 

悩みの射程(3)

*[ウェブ進化論]2、3年のこと先から。

地球や、まして宇宙の今後の話は面白くて壮大だけれど「自分の悩む対象」ではない。

だって先の話過ぎるもの。

そして60、70歳の大人になっても「20年、30年先」というのはあまり想像できないものなのだ、という話の続き。

 

いい大人が自分の十年以上先を想像しにくいのなら、若い人ならそんな傾向は「もっと当たり前」なはずである。

何しろ選択肢が限りなく沢山あるのだから。

選択肢の少ない老人ですら悩んでいるのだ。

人生は誰もが初体験である。

 

なので若者はあまり「先行きのこと」とか「成れの果てのこと」を気にせずに、むしろ「自分の気が向くこと」というものを大事にしていくことが大事だと思う。

世間の大人が言う「正しい選択」とか「真っ当な過ごし方」にこだわる必要はないだろう。

 

自分たちの世代はどちらかと言うと、そうした"常識"を優先してきて「果たしてあれでよかったのかなぁ」と思っている世代なので、ぜひ参考にして欲しいと思う。

そして60歳前後にして、圧倒的に輝いているのは「自分のやりたいことを選択してきた人たち」なのだということも書いておこう。

 

何しろそういう人たちには"後悔"がないのだ。

そして、流されてきた人たちの顔には後悔がにじんでいることもある。

 

まずは「ここ二、三年のこと」を最優先に考えてはどうだろうか。

 

悩みの射程(2)

*[ウェブ進化論]悩みの輪を考える。

宇宙は138億年前のビッグバンに始まり、そして自分たちのいる太陽系では太陽の寿命はあと54億年ほどだという。

太陽は最後には膨張して今の地球もろとも燃え尽きるらしい。

 

そしてそんな中、たった700万年前に誕生したという、猿人から原人、旧人、新人と変化してきた自分たちは、20万年前に今の形になり、そして今に至るという。

 

一体、自分たちは宇宙や太陽系のことを心配すればいいのか、それともここ百年くらいのことを考えればいいのだろうか。

 

多分「太陽系の今後を考える学問」も必要だし、「これからのエネルギー問題を考えること」も必要なのだろう。

そして、自分たち一人一人でいうならば「今を生きる」とか「ここ数年、数十年を生きる」ということが一番関心のある対象なのだと思う。

 

「遠くを見ながら、足元も疎かにしない」というのは簡単たが、自分たちはとかく「足下主義」である。

もっというと「目の前のこと」にしか関心がないということも多い。

 

例えば自分の歳(60歳)で往生際を考える、というのですらかなりし難い。

たった二、三十年後のことでも想像し辛いのだ。

だから今から「死に際について」と思っても何も浮かばない。

はっきり言って「そんな先のことに悩めない」のだ。

 

自分が現実的に悩み、考えて選択し、そしていろいろと対策できるのは5-10年くらい先がせいぜいなのではないだろうか。

そして、それについてはぜひ真剣に考えたいと思う。

(つづく)

 

悩みの射程(1)

*[ウェブ進化論]信心の効用。

先日、「現代と戦時中の若者の時間をリアルタイムに繋ぐ」という設定の芝居を見たのだが、圧倒的に安全で便利で長寿の現代の人たちの方が、これまた「圧倒的に不安が強い」という対比が圧巻だった。

 

つまり自分たちは「悲惨な出来事があれば、それに感情を奪われて余計なことは考えられない」のに、「余裕の時間」があれば「あることないことを想像し、また他人と自分を比較したりして悲嘆にくれる」という厄介な生き物なのだ、ということを今一度客観的に理解しておいた方が良さそうだ。

 

自分の現状に満足せずの「さらなる成長を志向しての不安」ではなく、「何か他人と比べての不満」というのは解消されることはないだろう、ということは想像に難くない。

 

つまり多くの「現代人のメンタリティ」ではずっとこれからも、何某かの不安からは解放されない、ということをまず認識した方がいいだろう。

そして菩提寺の住職よろしく、あるいは聖職者の説くように「本当にありたい自分のこと」を考えなければ、永遠に餓鬼のような精神状態になってしまうと思う。

 

宗教というのはいろいろあるが、そうした精神の安寧にはうまくすると有用だと思う。

仏教の講話を聞いていると、実に安らかで安寧な気分になるものだ。

あえてそうした時間を作る、というのも現代には有効なことではないだろうか。

(つづく)

外洋は波高く

*[ウェブ進化論]迫る水深。

仕事柄、転職の市場が時代とともに、そしてその時代の景気とともに伸縮するのを肌で感じる。

AIとまで言わずともデジタル化の進歩で「かなりジワジワきていた」感じの波が、ここにきてかなり激しくなってきているのだと思う。

そしてこれまでとの違いは「いよいよ大企業もその波に飲み込まれている」ということである。

 

そして確実に言えることは「"転職限界年齢"がどんどん下がってきている」ということだ。

よほどの目立つスキルがない限り、もはや40代では転職先がない時代になっている。

プログラマーや建築現場などの「現場仕事」をするのならまだマシだが、それとて10年も保たない。

職業訓練学校に行ったくらいでは全く相手にもされていないのが現状だ

 

先日、倉庫業からの転職を考えているという22歳の若者が「事務職にでも就こうかな」と言うので「これからは他人が容易にできないこととか、必ず人から求められる仕事を選んだ方がいい」と全力で説得した。

 

今はもう「三十代で何をしているか」が分水嶺になっていると思う。

さらに40代後半の、超大手企業に勤めていた人が「最近大した仕事がないので転職したい」という相談も増えてきている。

企業の内部にいると、世間の波の激しさに気づかない、ということを彼たちは知らないのだ。

まずは「今の波の様子」をリアルに知ることから初めてはどうかと思う。

 

もちろん自分の歳(アラ還)になると雇ってくれるところなど皆無である。

発想の死角

*[ウェブ進化論]アイデアは疑え。

今までの経験上、大体世の中が「その話題一色」になっていたら、すでにその話題はもう頂点を超えて終わり始めていると思った方が良さそうだ。

AIしかり、高齢化や少子化問題しかり。

 

で何がいいたいのかというと、特に「新しいことを始めようとする時」には、そうした流行に触発されることが多いから注意すべし、ということである。

「これからはスマホの時代」と少人数の人がささやき始めたころ、まだ本気で参入している人は少なく、みな様子見だった。

それが本当に「あらゆるサービスはスマホ経由が必須だ」ということが常識になり、そこから戦国時代が始まって今に至っていることは記憶に新しい。

 

なので「これはいい」とか「このアイデアはいける」と思ったらその時点で"なんでお前はそんなことを思いついたのか?"ということを改めて自問したいと思う。

往々にして思いついたことに興奮して「おいおい、それはお前以外に多くの人が考えているよ」ということを見過ごしてしまうものだ。

 

そしてさらに、仮にそれが新しくてナイスな思いつきだったとしても「時代に会うかどうか」というシビアな問題がある。

周囲を見渡してみても、インターネットの普及が不十分だったために芽が出なかったサービスやデバイスなど、死屍累々である。

 

自分が亡骸にならないように注意せねばならない。

 

 

 

職に学ぶ(1)

*[ウェブ進化論]役者に学ぶ。

ここ数年、芝居を観にいく機会が多く、また舞台関係者の人と会う機会も増えた。

考えてみれば「俳優という職業の人」というのは、次々に仕事として「自分の体を使って違う人物や役柄を演じ」周囲のシチュエーションまで織り込んで観客に評価をもらう、というそう意味ではかなり過酷な職業であると思う。

 

擬似的にとは言え、しかし「普通の人の何倍も濃い劇的な物語」を何年にもわたって演じていく、ということである。

つまり「普通の人の人生を何十回分もの体験を踏む」ような職業なのではないだろうか。

 

ある時は戦争の特攻兵に、ある時はギリシア悲劇の召使に、またある時は現代の人間関係に苦悩するごく普通のサラリーマンにもなる。

警察官や検事の時もあれば、極悪党のボスの子供のこともあるだろう。

あらゆる世界を、時空を超えて体験できるという意味では稀有な職業のようだ。

 

そういえば、役者をしている人は総じてメンタルが強く、経済的に恵まれなくても明るい人が多い気がするのは、そうした「物語の経験値」の影響なのではないだろうか。

 

これからの時代は、役者ならぬ「自己表現」がどんな人にも好まれていく傾向にあると思う。

いよいよ脱・横並びが本格的に始まっているようだ。

 

少しづつでも"好きなこと"を生活に取り入れていくことを考えたい。

 

 

私の魔改造(2)

*[ウェブ進化論]ごっそり止める。

日本は戦後に積み重ねた「膨大な管理システム」を捨てられずに制度疲弊に喘いでいる。

システムを刷新できない理由はただ一つ「その運用で食べている人たち」がいるからだ。

制度がなくなれば350万人いるという公務員の大半は(AIでなくとも)コンピュータに置き換わってしまうに違いない。

 

けれど「失われた平成の30年」などと言いつつ、未だに事態は劇的には変わっていない。

若者(50代以下)が蜂起するしか道はないと思う。

 

介護職員が2040年に69万人足りないという。

どうするか。

例えば介護職員の給料を1.5倍に増額する。

厚労省は関わらずに直接施設に割増分を給付するといいだろう。

余分な審査とか計画とかはなしでいい。

 

そしてその次は「巨大なレガシー」の介護保険制度をなくす。(できるか?)

そして老人の年金は倍位に増やす。

どうせ要介護度に応じて、今でも毎月一人当たり何十万円も保険で補填している。

そのための「システムの運用費用」がバカ高いのだ。

 

要介護認定も3だ、4だと言わずに撤廃すればいい。

老人の「不自由度」を細かく認定しても意味がない。

その代わりに「すべての生活を国が保証する」と宣言すればいい。

 

そういう政策を「若い政治家が唱えて世に問う」ということをしないから、無党派・無投票の人たちが動こうとしないのだ。

 

若者の中からそんな政治を志す人が出てきてもらいたいと思う。

私の魔改造(1)

*[ウェブ進化論]巨大権力をまずは消失。

鈴木貴博さんの記事は更新されるたびに必ず購読しているが、氏の言う「魔改造」という問題解決の提言を自分も少し考えてみたい。

例えば、介護業界の人手不足がどうしても改善されず、恒常的に人の数が足りない問題にはどう対処すればいいのか。

 

人を集めるためには、収入を上げる必要があるから、大胆に実現する方法を考えたい。

今のように保険で国が一律にコントロールするのではなく、何をするにもダイレクトにやりたい。

つまり厚労省をなくす。

このクレイジーな組織を見れば、細かい是非はなく「ゼロにする前提」でやらねばどうにもならない、ということが分かるだろう。

悪の見本という他ない。

 

そんなことができるわけがない、という常識人の声が聞こえる。

確かに。

そうするには、今無党派と言われる多くの若者が決断するしかない。

一刻も早くそういう時期が来て欲しいと思うが、もうそれほど遠い出来事ではないのではないだろうか。

 

医療保険も全く同様だが「自分たち有権者がそうした"権力の権化"を作ることを許してしまった結果だから、どこかでガラポンするしかないということ」若い人たちなら決断できると思っている。

 

こうした"コストの塊"を次々と潰していくのが2020年代の役割になるだろう。

(つづく)

*[ウェブ進化論]身内の触媒。

先日、家族が世話になっているご夫婦と初めて会う機会があった時のこと。

こちらは初めてゆえ、先方の仕事のことやら趣味だの日常の様子だのを聞いていると、「私も言いたいことがあるけど」とか「実は色々悩んでいる」とか「もっと趣味の時間が欲しい」とかプライベートの本音みたいなものがたくさん出てきて驚いた。

驚いたのはその中身のことではない。

自分たちは案外、親しい人とは本音で話さないということを知らされたのだ。

特に夫婦とかパートナーなど、一番濃い関係のはずの身内とそうなりやすい。

反対に友人とか、ちょっとした知り合いなどには案外気遣って本音でアドバイスしたりしているのに、である。

 

さらにこれも先日、友人の息子さんと初めて一緒に会う機会があり、これも色々と話していると「そろそろパートナーが欲しいと思っている」とポロっと発した一言に「本当か! お前!そんな気があったのか!!」と驚きながらも嬉しそうな様子だった。

親子も然りである。

 

こうした「第三者を介しての本音のやり取り」は触媒のようなもので、時々は意識してそういう機会を作るといいのでは、と感じた。

親しき中にも本音あり、ということだろう。