藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-06-15 巨艦の船長。

[]技術革新の中で。 技術革新の中で。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 技術革新の中で。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

自分たち一般市民の日常でさえ「技術革新」の波を受けて揺れている。
これが「技術メーカー」にしてみれば、まさに荒波に揉まれているような感覚ではないだろうか。
AI半導体ビッグデータ
産業界は振り回されている。

ちょっとした「テクノロジー祭り」みたいな雰囲気さえするこの頃だが、さて「自分の船の行き先」については悩ましい。

自分のような中小企業でさえ悩ましく、これが数兆円のビジネスをする企業の「舵取り」ならどれほどの苦労があるだろうか。
巨体だけに、急に向きも変えられない。
方向がずれているだけで、巨額の損失を生んでしまう。
小型のボートでは通用した身軽さは封じられているわけだ。

自分は大企業経営者になったことはないが、おそらくは「経営者の経営センス」以上に「舵取りのセンス」が必要なのではないかと思う。

技術の発展も全方位的だし、またその技術を使ったサービスは無限に広がる可能性がありそうだ。

これからは「巨艦」を「いかに細やかに操縦できるか」ということが、マネジメントの中心になるのではないだろうか。

大きな船を、自在に操る。
新しい経営技術ではないだろうか。


AI開発、サムスン急発進 脱メモリー依存急ぐ

 韓国サムスン電子人工知能(AI)の研究開発を一気に本格化する。推進役となる幹部ポストと海外3カ国の開発拠点を新設し、2020年までに技術者1千人体制とする。AI向けに情報を高速処理する半導体や、新薬の開発につなげ、半導体メモリーに続く新たな経営の柱を育てる。事実上のトップ、李在鎔(イ・ジェヨン)副会長が主導し、出遅れが指摘されるAIで巻き返しを狙う。

 サムスン関係者によると、AIなどの新分野や新事業の推進役となる最高イノベーション責任者(CIO)職が5月に設けられ、米国人のデービット・ウン氏が就いた。ウン氏は米グーグルでAIなど先端技術を担当し、約6年前にサムスンに入社スタートアップとの連携や投資を手がけてきた。

 CIOの役割についてサムスン幹部は「AIや第4次産業革命などをテーマに将来の新事業育成にあたる」と説明する。CIOの新設は対外的には公表していない。

 同社は5月下旬に、英国カナダロシアにAI研究センターを相次いで開設。本国の韓国と米国を合わせた5カ国で研究開発を進める体制に改めた。英国はデータ解析、カナダは音声認識、ロシアは物理学との連携といった具合に各国の強みを研究にいかす。足元の技術者数は明かしていないが、2年後に韓国で600人、海外で計400人の人員を計画する。

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 併せてAI研究の世界的権威とされる米プリンストン大学のセバスチャン・スン教授と、米ペンシルベニア大学ダニエル・リー教授を招いた。両教授はこれまでのポストを離れ、サムスンに所属するという。

 AIを巡っては、トヨタ自動車が3月に自動運転技術を開発する会社の設立を発表しており、人員は1千人規模とする方針。米国の開発拠点トップには著名研究者を招いた。サムスンはAI技術者が数千人規模とみられる米IT(情報技術)大手に及ばないが、AIに積極的な世界大手メーカー並みの体制を整える。

 同社は日本企業の人材を厚待遇で取り込み、液晶パネルや半導体の技術力とシェアを急速に高めた。17年12月期の連結営業利益は53兆ウォン(約5兆3千億円)。資金力を生かし、優秀な人材を囲い込む光景がAIでも再現される可能性がある。

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 サムスンはAIの研究開発を進めることで、AIの基幹技術である深層学習など向けに、データの処理速度を3〜4倍に高める「AI半導体」を開発する。画像などのビッグデータを高速処理できるAI半導体は、高速通信規格「5G」の実用化やそれに伴う技術革新の中核を担うとされる。

 17年に米インテルから半導体首位の座を奪ったサムスンは、DRAMなどのメモリーが半導体部門の主力。最近はメモリーとは別に半導体の受託生産にも力を入れる。近年は米アップルをはじめ自社製品やサービスに最適な半導体を独自に設計する企業が増加。サムスンはAIをテコにこうした企業からの受託生産事業を拡大し、同事業で世界首位の台湾積体電路製造(TSMC)を追う。

 自動運転関連の自動車部品やバイオ医薬の創薬でもAIの活用を探る。サムスンは新たな収益の柱に自動車部品とバイオを掲げているが、足元では成長鈍化懸念が強まっており、AIによりテコ入れをめざす。

 サムスンは足元の連結営業利益に占める半導体部門の比率が7割を超え、このうち9割がメモリーとされる。稼ぎ頭のDRAMについては、中国政府独占禁止法違反の疑いで同社などを調査しており、関係者によると「5月31日に立ち入り調査を受けた」という。

 DRAM市況の先行きにも不透明感が漂い、メモリーに依存する経営からの脱却は時間との戦いに突入しつつある。

ソウル山田健一

2018-06-10 金融から進む寡占。

[]集約する便利。 集約する便利。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 集約する便利。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

中国アリババ傘下の金融会社がいよいよアジアを席巻するのではないか、という記事。
日本でも2000年以降、金融ビッグバンなどと言って「国際化」「ボーダレス化」がずっと言われてきたけれど、そういうのが本当に進むのはこれからなのではないだろうか。
これまでは「大企業」とか「銀行」とか「国」のレベルで進んできたけれど、自分たち一般人にはせいぜい「外貨預金とか外国株を買う」くらいの実感しかなかったけれど、今度はスマホを起点にして「何もかも、根こそぎ」という感じがする。
ユーザーの末端までリーチが届くというのは恐ろしいものだ。

便利に勝るサービスはない。

支払いも、クレジットも、投資も、メールも、お誘いも、お願いも、すべてが「ワンストップ」になる流れだと思う。
楽しいこともワンストップ、になったら少しつまらないと思うのは自分だけだろうか。


中国アントが1.5兆円の調達完了、企業価値はウーバーを突破

6/8(金) 17:30配信

中国のアリババ傘下の「アントフィナンシャル(以下、アント)」が総額140億ドル(約1.5兆円)にのぼる巨額の資金調達を完了させた。

今回の出資にはシンガポール政府系投資会社「GIC」や「テマセク」、マレーシア政府系ファンド「カザナ・ナショナル」、カナダ年金基金投資委員会「CPPIB」らが参加した。また、プライベートエクイティの「Warburg Pincus」「Silver Lake Partners」「General Atlantic」らも出資した。

アントは今回の資金調達における同社の評価額を明かしていないが、関係筋がフォーブスに語ったところによると、直近の評価額は1500億ドル(16兆3000億円)にのぼるという。これは、未上場企業としてはウーバー以上の企業価値であり、アントは世界で最も企業価値の高い非公開企業ということになる。

アントは2016年に実施した前回のラウンドで45億ドルを調達し、評価額は600億ドル(約6.5兆円)だった。

今回の調達資金でグローバル展開を加速させ、途上国向けの投資も行なうとアントは述べている。「アリペイ(支付宝)」のほか、世界最大のオンライン投資信託「Yu’e Bao(余额宝)」を運営する同社の、究極のゴールは世界中の消費者に金融サービスを提供することだ。

アントはバングラデシュの送金サービス「bKash」やパキスタンの「Telenor Microfinance Bank」など、アジアの金融会社への出資も進めている。香港ではビリオネアの李嘉誠(Li Ka-shing)が率いる長江和記実業(CKハチソン・ホールディングス)との合弁事業を通じ、アリペイの普及を図っている。

アントのチェアマンでCEOのEric Jingは「中国をはじめ世界中のパートナーとともに、オープンなエコシステムを築いていきたい」と声明で述べた。

中国の銀行にも歩み寄る姿勢

アントは先進テクノロジーの、プロバイダー的ポジションの確立に向けての動きも進めており、将来的にはこの部門の売上が本業に迫る可能性もある。同社はAIを用いた生体認証の仕組みを、中国の複数の銀行向けに導入する契約を結んでいる。そのなかには、中国光大銀行(China Everbright Bank)や上海浦東発展銀行(Shanghai Pudong Development Bank)などが含まれる。

アントの直近の銀行との取り組みは、同社に対して近年高まった、政府からの監視の目を和らげる効果もありそうだ。中国政府はアントが政府系銀行のビジネスを奪い、消費者の債務を膨張させるリスクに神経を尖らせてきた。

上海のコンサルティング企業「Kapronasia」創業者のZennon Kapronは「最近のアントは銀行と対決するのではなく、協業する意欲を見せている。これは政府から見ると歓迎すべきことだ」と述べた。

2018-06-07 革命の条件。(4)

[]出口が見えていますか? 出口が見えていますか? - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 出口が見えていますか? - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

パナソニック、伝説のシリアルイノベーター大嶋さんの記事より。

 その際重要になってくるのが出口戦略です。
入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。
偶然生まれるから、タイミングというものはない。

でも、出口はタイミングが大事です。
早くても遅くてもダメ。
これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

さらには「時の運」だ。
2000年以降、「早すぎて没になったアイデア」は数知れない。
少し前はかのアマゾンでさえ「時期でない」と言われていたんですから。

せっかく結実したアイデアと商品を「いつリリースするのか」は別の頭で考えねばならない。
商品を生んだら「すぐに市場に問うてみたい」というのは、こちらのエゴなのだ。
ではどうしましょうか。


石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

そうか。
自分は大嶋さんほどではもちろんないが、過去にいくつも「失敗例」は持っている。
20個くらいはあるだろうか。

新しい事業やサービスをリリースするときって、成功させたい一心で「失敗パターン」をよく研究しないことが多い。
ネガティヴな意見も「そんなもん」と耳を傾けなかったり。

熱く熱くセールスするのとは別に。
「いけるパターンか、無理なパターンか」ということを分析しながら進む「見立て」というのも、確かにシリアルイノベーターならではのスキルだと思う。
これから先、少しでもそんな目に近づきたいものである。


パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論

5/20(日) 11:00配信

ビジネスにおいてイノベーターというと、スタートアップをイメージしがちだが、この世界には、大企業に所属しながら幾度もイノベーションを起こす「希少種」が存在する。そうしたシリアル・イノベーターの研究を行っている石川善樹(予防医学博士)が現在注目しているのが、大嶋光昭だという。彼はいったい、何者なのだろうか?  いまの時代に求められる「新しい教養」を探る、石川善樹の人気インタビューシリーズ第6回。

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■登録特許数1300件!

 石川:本日は、「世界の大嶋さん」をご紹介できて大変光栄です。

大嶋:いえいえ、よろしくお願いします。

石川:読者のために、まずは大嶋さんのご経歴をざっとおさらいしたいと思います。まず、大嶋さんが出願した登録特許の数は1300件!  その特許ライセンス収入だけで、これまでパナソニックに380億円をもたらしています。さらに、大嶋さんの研究が元となったプロダクトによる営業利益は3000億円!  仮に営業利益が5%だとして計算すると、6兆円を売り上げたことに相当します。

 では実際、大嶋さんは何を発明されたのかというと……代表的なのが「振動ジャイロ」で、この技術からビデオカメラやデジカメの「手ぶれ補正」技術が生まれています。これだけでも世の中に大きな恩恵をもたらしたと言えますが、さらにさらに、海外大手半導体メーカー製CPUに採用されている「省電力CPU」、日米欧の地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」、コピー・ワンスやダビング10といった“光ディスクへのコピー”を実現させた「光ディスク規格(BCA CPRM)」、同じく光ディスクソフトの「ゲーム用光ディスク技術」、3D放送に不可欠な「3D符号化技術」、そして最近では「光ID技術(リンクレイ)」といった技術を発明していらっしゃいます。

 つまり大嶋さんは、世界初や世界一の発明を次々に生み出す、シリアル・イノベーターと言うことができるでしょう。実際、シリアル・イノベーターの研究をしているイリノイ大学ブルース・ボジャック教授たちがまとめた『シリアル・イノベーター 非シリコンバレー型イノベーションの流儀』(プレジデント社)という書籍のなかでも、大嶋さんは紹介されています。

石川:クリエイティビティやイノベーションの研究は、1960年代にJ.ギルフォードというアメリカ心理学者が始めて以来、半世紀近くに及ぶ知見がたまっているわけですが、今日までに、2つのことが明らかになっています。

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5/20(日) 11:00配信

 その前に大前提として、イノベーションやノーベル賞を取るような発見は「運である場合が多い」という事実をお伝えしておきましょう(笑)。たまたま巡り会っちゃった、というケースが意外と多いんですよ。

とはいえ、ディスラプティブ(=破壊的)なことをする人というのは「どうもこういう人なんじゃないか」という特徴が2つあって、そのひとつが「少人数のチームでやる」ということなんです。多くても3人。それくらいのチームの方が、革命的なことをしやすいと言われています。

 そしてもうひとつが、「どこから考え始めるのか」ということなんです。ほとんどの人は、「新しくて人気があるアイデア」に飛びつきます。いまだとブロックチェーンとかAIとか。そうした新しくて人気がある分野から考え始める人は、「ものごとを成長させる」ときにはいいのですが、「ディスラプティブ」なことはしない、というわけです。耳の痛い人もいるのではないでしょうか?

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

 そんなイノベーターのなかでも、何度も何度も繰り返し成功させる人、つまりはシリアル・イノベーターと呼ばれる人たちが持つ独自の方法というのは、まだまだ未開拓なんです。

僕はここ1年ほど、そうしたシリアルにすごいことをやる人、連続的に何かをする人にはどういう特徴があるのかを研究していて、そのなかで最初に出会ったひとりが大嶋さんなんです。本当にすごい人なのですが、その評価は海外の方が高く、日本では思いのほか知られていないという印象です。なので、この機会を通じて少しでも多くの読者に大嶋さんのことを知っていただきたいと思っています。

 前振りはこのくらいにして、ここからは僕も、大嶋ワールドにどっぷりと浸かりたいと思います。大嶋さん、準備はよろしいでしょうか?

■異端者の集団「無線研究所」

大嶋:ご紹介ありがとうございます。海外の方が評価が高いというのは、石川さんの仰る通りだと思います。というのも、日本はイノベーターに対する評価が低いですからね。ほとんど注目されません。実際にモノを作った人とか、モノを販売している人が評価される社会なんです。

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5/20(日) 11:00配信

 それは企業内でも一緒で、イノベーターはリスペクトされません。つまり、居づらいんです。だから出ていってしまう。それでも、私達の時代は出て行くことはなかった。会社を辞めたら終わりですからね。しかし今は海外にも行けるし、どんどん出て行きますよね。

実際、イノベーターというのは異端者なんです。アメリカでは、異端者でも居心地は悪くありませんし、逆にまわりの人が助けてくれたりもします。しかし日本は同質社会ですから異端者を排除しますよね。でも、幸いなことに私は、無線研究所(無線研)という組織に救われました。

 無線研というのは、松下電器産業(現パナソニック)に存在した、部品・材料・電子機器全般を担当する研究所です。この無線研究所は、松下幸之助が「イノベーションを生むための仕掛け」として考案したという仮説を、私は立てています。1953年、幸之助はアメリカのベル研究所へ視察に行き、その後、中央研究所(中研)を設立しました。中研と同じ規模の無線研ができたのは、その9年後の1962年です。何故、同じ規模の研究所を2つ作ったのか、不思議に思われるかもしれません。

 中研は、一般的に必要と考えられるテーマをすべてやっているという意味では、いわば研究の「デパート」で、優等生型の人材が配属されていました。これに対して、無線研は「専門店」で、優等生型でないちょっと変わった連中の集まりでした。私自身は1974年に松下電器産業へ入社して早々、研究者としてこの無線研に配属されました。

研究分野は中研と一緒でしたが、ミッションはハッキリしていて、「中研でやっていないことをやる、つまり、他社でやっていないことをやる」でした。「こちらは専門店なので、デパートで売るものを売っちゃいかん」というわけです。なので先輩たちからは、「世界初か世界一の研究をやれ!」と、よく怒られました。無線研では何も指示を出さなくても、所員が自発的にイノベーションを起こそうとしていたんです。

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 無線研ができたのは1962年ですが、このとき幸之助は67歳で、まだバリバリでした。あの方は「何もしなくても自動的にできる」というやり方を基本にしていました。事業部制にしてもそうです。本人は体が弱かったこともあり、何ごともオートマティックにできるような巧妙な仕掛けを随所に作りました。その観点から言えば、研究所に関しても、自動的に、自律的にうまく行くような仕掛けを考えたはずです。「無線研は、幸之助が作ったイノベーションのための仕掛けである」と私がにらんでいるのは、それが根拠となっています。

 あのころ、松下電器産業は「マネシタ電気」と揶揄されていましたが、実際は世界初のことをたくさんやっていたのです。当時の無線研には20人のイノベーターがいて、世界最高のスピーカーやレコードプレイヤー、世界初の画像圧縮技術などのイノベーションを次々と生み出していきました。現在の当社事業の多くが無線研のイノベーターが起こしたイノベーションを端緒としていることは、社内でもあまり知られていませんでしたが……。

■無線研には「丁稚奉公」があった!?

大嶋:ほかにも、無線研には変わったところがありました。何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

さらには営業の最前線にも出るので、お客さんの声を聞くことができる。実によくできたシステムだと思いました。これらを含めて、無線研は「あまりにもよくできている」ので、これは幸之助が絡んでいるに違いないと、後になって気づいたわけです。

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 そんな無線研から、私は一度追い出されました。実験が遅かったこともあって、研究管理部門へ異動させられたのです。研究所の予算管理やプロジェクト管理をする、いわば事務職です。研究職の道が閉ざされたとわかり、もう、奈落の底に落ちたような心境に陥りました。しかしそこで腐らず、這い上がるためにはどうしたらいいかを必死に考えたんです。

たまたま隣りに図書室があったこともあり、5時に仕事を終えてから、毎日そこで勉強しようと決めました。目標として、新しい技術分野を月に1つ習得し、必ずその分野の新しい発明をして、特許を月に1件出願する、というアホなことをやりました。それを3年くらい続けました。

 本を読むだけではなく、読んでアイデアを引き出し、それをその技術分野のトップの人にぶつけました。当時の松下電器産業には1万7千人の技術者がいたので、そのなかでもトップの人のところへ夜8時くらいに行って、「すみません、この技術、私はこう変えたらよくなると思うのですが」って、相手が帰ろうとしているところに聞きに行くわけです。時には11時くらいまで(笑)。

ただ教えてもらうわけではなく、アイデアを提案するのです。あちらとしてもアイデアを持って来ているから、「ここはこうした方がいい」って教えてくれるわけです。それを毎月毎月続けました。かなり大変でしたが、当時の特許出願の記録を見ると、年に17件ほど特許を出していました。それがあったから、ほかの分野、たとえばジェットエンジン原子力発電の発明でもできるようになりました。

 そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。

■発明したのは「2番目の出口」

石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。

大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。

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 石川:それでどうされたんですか?

大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。

石川:なんと(笑)。

大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。

旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。

 石川:1秒で!

大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。

石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?

 大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。

石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

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 その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

 石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?

大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。

石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?

 大嶋:失敗例ももちろんありますよ。

大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。

「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。

■「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った

石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか?  若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか?  あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。

大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。

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 石川:あはは(笑)。

大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。

あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?

石川:どうぞどうぞ(笑)。

 大嶋:みんながアナログTV放送の研究をしているとき、1989年くらいから、私はデジタルTV放送の研究をしていたんです。その後、デジタル放送の規格を巡って世界中の技術者が競い合いましたが、結果として私が勝ちました。勝ち負けの基準は何かというと、地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」に認定された件数になります。日米欧とも、私の規格特許が最も多く採用されているんです。特許のシェアは30%を超えました。

 当時、デジタルTV放送はアメリカが先導していました。MIT電気工学の教授をしていた、ウィリアム・シュライバーという人物がその流れを牽引していて、彼は米国議会で「デジタルTVをやるべし」と証言したことから、アナログHD放送からデジタルHD放送に流れが変わりました。彼と私は同じ方式の特許を出したのですが、私の方が出願日が早かったんです。数年後、シュライバーの研究室から「最近は何を研究されてますか?」という探りの手紙が届きました(笑)。

 ちなみにもう一人、1999年から2001年までベル研究所の所長を務めていた、コンピューターエンジニアのアラン・ネトラヴァリにも、4G携帯やWiFiなどで使われている通信速度可変型デジタル通信方式の基本特許で勝ちました。彼は、ノーベル賞級の研究をおこなっている人物です。

■「見立ての力」も、非常に重要

石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

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 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

 石川:大嶋さんは、そもそもものごとを見る時に、「それが世界初かどうか」という視点で考えているわけですものね。そのコンセプトで40年活動をしてきたわけですから、もう、溜まっている知見が圧倒的なのだと思います。

大嶋:「世界初、世界一」以外はやりません。無線研で感染した「イノベーター菌」が、私の中では消えることなくずっと生きているわけですから。

松下幸之助は、無線研というハコを作って500人くらいの研究者を集め、少し尖った無垢な新入社員をそこに放り込み、どんどんイノベーター菌に感染させていきました。立ち上げ当初、無線研には大学の助教クラスや、通産省(当時)の研究所からイノベーターたちが集められおり、そのマインドやノウハウを、私たちのような後輩の研究者は伝承することができました。しかし失われた20年の影響で、現在その伝承は分断されてしまっています。私のこれからの使命のひとつは、その状況を打破し、若い世代のイノベーターを育成していくことだと考えています。

 当社は今年100周年を迎えますが、現在の社長である津賀一宏は、創業以来、初めての研究所出身者です。しかも無線研究所出身ですので、イノベーターに理解がある経営者です。これを好機としてイノベーションの風土が生まれ、若きイノベーターも育ち、よりイノベーティブな企業として、次の100年に向けて大きく飛躍することを期待しています。

大嶋と石川の対談は、六本木ヒルズにある森ビルの会議室で行われた。石川が声をかけた研究者、スタートアップ、ベンチャーキャピタリストといったメンバーが、対談の様子を生で体験することとなった。

 (TEXT BY TOMONARI COTANI、PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI)

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「HILLS LIFE DAILY」編集部

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2018-06-06 革命の条件。(3)

[]事業を育てるフェーズについて考える。 事業を育てるフェーズについて考える。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 事業を育てるフェーズについて考える。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

パナソニック、伝説のシリアルイノベーター大嶋さんの記事より。

でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。
石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

「ゼロから1」「1から10」「10から一万」。
事業をそんな風に考えたことはなかった。
さすがシリアルである。
ゼロから1にした、というので満足してしまうケースは山ほどある。
また「10から一万」を考えていないことも、とっても多かった。

さらに、思考の延長はつづく。
今度は「時間」の話だ。
(つづく)

パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論
ビジネスにおいてイノベーターというと、スタートアップをイメージしがちだが、この世界には、大企業に所属しながら幾度もイノベーションを起こす「希少種」が存在する。そうしたシリアル・イノベーターの研究を行っている石川善樹(予防医学博士)が現在注目しているのが、大嶋光昭だという。彼はいったい、何者なのだろうか?  いまの時代に求められる「新しい教養」を探る、石川善樹の人気インタビューシリーズ第6回。

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■登録特許数1300件!

 石川:本日は、「世界の大嶋さん」をご紹介できて大変光栄です。

大嶋:いえいえ、よろしくお願いします。

石川:読者のために、まずは大嶋さんのご経歴をざっとおさらいしたいと思います。まず、大嶋さんが出願した登録特許の数は1300件!  その特許ライセンス収入だけで、これまでパナソニックに380億円をもたらしています。さらに、大嶋さんの研究が元となったプロダクトによる営業利益は3000億円!  仮に営業利益が5%だとして計算すると、6兆円を売り上げたことに相当します。

 では実際、大嶋さんは何を発明されたのかというと……代表的なのが「振動ジャイロ」で、この技術からビデオカメラやデジカメの「手ぶれ補正」技術が生まれています。これだけでも世の中に大きな恩恵をもたらしたと言えますが、さらにさらに、海外大手半導体メーカー製CPUに採用されている「省電力CPU」、日米欧の地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」、コピー・ワンスやダビング10といった“光ディスクへのコピー”を実現させた「光ディスク規格(BCA CPRM)」、同じく光ディスクソフトの「ゲーム用光ディスク技術」、3D放送に不可欠な「3D符号化技術」、そして最近では「光ID技術(リンクレイ)」といった技術を発明していらっしゃいます。

 つまり大嶋さんは、世界初や世界一の発明を次々に生み出す、シリアル・イノベーターと言うことができるでしょう。実際、シリアル・イノベーターの研究をしているイリノイ大学ブルース・ボジャック教授たちがまとめた『シリアル・イノベーター 非シリコンバレー型イノベーションの流儀』(プレジデント社)という書籍のなかでも、大嶋さんは紹介されています。

石川:クリエイティビティやイノベーションの研究は、1960年代にJ.ギルフォードというアメリカ心理学者が始めて以来、半世紀近くに及ぶ知見がたまっているわけですが、今日までに、2つのことが明らかになっています。

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5/20(日) 11:00配信

 その前に大前提として、イノベーションやノーベル賞を取るような発見は「運である場合が多い」という事実をお伝えしておきましょう(笑)。たまたま巡り会っちゃった、というケースが意外と多いんですよ。

とはいえ、ディスラプティブ(=破壊的)なことをする人というのは「どうもこういう人なんじゃないか」という特徴が2つあって、そのひとつが「少人数のチームでやる」ということなんです。多くても3人。それくらいのチームの方が、革命的なことをしやすいと言われています。

 そしてもうひとつが、「どこから考え始めるのか」ということなんです。ほとんどの人は、「新しくて人気があるアイデア」に飛びつきます。いまだとブロックチェーンとかAIとか。そうした新しくて人気がある分野から考え始める人は、「ものごとを成長させる」ときにはいいのですが、「ディスラプティブ」なことはしない、というわけです。耳の痛い人もいるのではないでしょうか?

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

 そんなイノベーターのなかでも、何度も何度も繰り返し成功させる人、つまりはシリアル・イノベーターと呼ばれる人たちが持つ独自の方法というのは、まだまだ未開拓なんです。

僕はここ1年ほど、そうしたシリアルにすごいことをやる人、連続的に何かをする人にはどういう特徴があるのかを研究していて、そのなかで最初に出会ったひとりが大嶋さんなんです。本当にすごい人なのですが、その評価は海外の方が高く、日本では思いのほか知られていないという印象です。なので、この機会を通じて少しでも多くの読者に大嶋さんのことを知っていただきたいと思っています。

 前振りはこのくらいにして、ここからは僕も、大嶋ワールドにどっぷりと浸かりたいと思います。大嶋さん、準備はよろしいでしょうか?

■異端者の集団「無線研究所」

大嶋:ご紹介ありがとうございます。海外の方が評価が高いというのは、石川さんの仰る通りだと思います。というのも、日本はイノベーターに対する評価が低いですからね。ほとんど注目されません。実際にモノを作った人とか、モノを販売している人が評価される社会なんです。

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 それは企業内でも一緒で、イノベーターはリスペクトされません。つまり、居づらいんです。だから出ていってしまう。それでも、私達の時代は出て行くことはなかった。会社を辞めたら終わりですからね。しかし今は海外にも行けるし、どんどん出て行きますよね。

実際、イノベーターというのは異端者なんです。アメリカでは、異端者でも居心地は悪くありませんし、逆にまわりの人が助けてくれたりもします。しかし日本は同質社会ですから異端者を排除しますよね。でも、幸いなことに私は、無線研究所(無線研)という組織に救われました。

 無線研というのは、松下電器産業(現パナソニック)に存在した、部品・材料・電子機器全般を担当する研究所です。この無線研究所は、松下幸之助が「イノベーションを生むための仕掛け」として考案したという仮説を、私は立てています。1953年、幸之助はアメリカのベル研究所へ視察に行き、その後、中央研究所(中研)を設立しました。中研と同じ規模の無線研ができたのは、その9年後の1962年です。何故、同じ規模の研究所を2つ作ったのか、不思議に思われるかもしれません。

 中研は、一般的に必要と考えられるテーマをすべてやっているという意味では、いわば研究の「デパート」で、優等生型の人材が配属されていました。これに対して、無線研は「専門店」で、優等生型でないちょっと変わった連中の集まりでした。私自身は1974年に松下電器産業へ入社して早々、研究者としてこの無線研に配属されました。

研究分野は中研と一緒でしたが、ミッションはハッキリしていて、「中研でやっていないことをやる、つまり、他社でやっていないことをやる」でした。「こちらは専門店なので、デパートで売るものを売っちゃいかん」というわけです。なので先輩たちからは、「世界初か世界一の研究をやれ!」と、よく怒られました。無線研では何も指示を出さなくても、所員が自発的にイノベーションを起こそうとしていたんです。

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5/20(日) 11:00配信

 無線研ができたのは1962年ですが、このとき幸之助は67歳で、まだバリバリでした。あの方は「何もしなくても自動的にできる」というやり方を基本にしていました。事業部制にしてもそうです。本人は体が弱かったこともあり、何ごともオートマティックにできるような巧妙な仕掛けを随所に作りました。その観点から言えば、研究所に関しても、自動的に、自律的にうまく行くような仕掛けを考えたはずです。「無線研は、幸之助が作ったイノベーションのための仕掛けである」と私がにらんでいるのは、それが根拠となっています。

 あのころ、松下電器産業は「マネシタ電気」と揶揄されていましたが、実際は世界初のことをたくさんやっていたのです。当時の無線研には20人のイノベーターがいて、世界最高のスピーカーやレコードプレイヤー、世界初の画像圧縮技術などのイノベーションを次々と生み出していきました。現在の当社事業の多くが無線研のイノベーターが起こしたイノベーションを端緒としていることは、社内でもあまり知られていませんでしたが……。

■無線研には「丁稚奉公」があった!?

大嶋:ほかにも、無線研には変わったところがありました。何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

さらには営業の最前線にも出るので、お客さんの声を聞くことができる。実によくできたシステムだと思いました。これらを含めて、無線研は「あまりにもよくできている」ので、これは幸之助が絡んでいるに違いないと、後になって気づいたわけです。

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5/20(日) 11:00配信

 そんな無線研から、私は一度追い出されました。実験が遅かったこともあって、研究管理部門へ異動させられたのです。研究所の予算管理やプロジェクト管理をする、いわば事務職です。研究職の道が閉ざされたとわかり、もう、奈落の底に落ちたような心境に陥りました。しかしそこで腐らず、這い上がるためにはどうしたらいいかを必死に考えたんです。

たまたま隣りに図書室があったこともあり、5時に仕事を終えてから、毎日そこで勉強しようと決めました。目標として、新しい技術分野を月に1つ習得し、必ずその分野の新しい発明をして、特許を月に1件出願する、というアホなことをやりました。それを3年くらい続けました。

 本を読むだけではなく、読んでアイデアを引き出し、それをその技術分野のトップの人にぶつけました。当時の松下電器産業には1万7千人の技術者がいたので、そのなかでもトップの人のところへ夜8時くらいに行って、「すみません、この技術、私はこう変えたらよくなると思うのですが」って、相手が帰ろうとしているところに聞きに行くわけです。時には11時くらいまで(笑)。

ただ教えてもらうわけではなく、アイデアを提案するのです。あちらとしてもアイデアを持って来ているから、「ここはこうした方がいい」って教えてくれるわけです。それを毎月毎月続けました。かなり大変でしたが、当時の特許出願の記録を見ると、年に17件ほど特許を出していました。それがあったから、ほかの分野、たとえばジェットエンジン原子力発電の発明でもできるようになりました。

 そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。

■発明したのは「2番目の出口」

石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。

大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。

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 石川:それでどうされたんですか?

大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。

石川:なんと(笑)。

大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。

旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。

 石川:1秒で!

大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。

石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?

 大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。

石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

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 その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

 石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?

大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。

石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?

 大嶋:失敗例ももちろんありますよ。

大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。

「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。

■「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った

石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか?  若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか?  あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。

大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。

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 石川:あはは(笑)。

大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。

あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?

石川:どうぞどうぞ(笑)。

 大嶋:みんながアナログTV放送の研究をしているとき、1989年くらいから、私はデジタルTV放送の研究をしていたんです。その後、デジタル放送の規格を巡って世界中の技術者が競い合いましたが、結果として私が勝ちました。勝ち負けの基準は何かというと、地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」に認定された件数になります。日米欧とも、私の規格特許が最も多く採用されているんです。特許のシェアは30%を超えました。

 当時、デジタルTV放送はアメリカが先導していました。MIT電気工学の教授をしていた、ウィリアム・シュライバーという人物がその流れを牽引していて、彼は米国議会で「デジタルTVをやるべし」と証言したことから、アナログHD放送からデジタルHD放送に流れが変わりました。彼と私は同じ方式の特許を出したのですが、私の方が出願日が早かったんです。数年後、シュライバーの研究室から「最近は何を研究されてますか?」という探りの手紙が届きました(笑)。

 ちなみにもう一人、1999年から2001年までベル研究所の所長を務めていた、コンピューターエンジニアのアラン・ネトラヴァリにも、4G携帯やWiFiなどで使われている通信速度可変型デジタル通信方式の基本特許で勝ちました。彼は、ノーベル賞級の研究をおこなっている人物です。

■「見立ての力」も、非常に重要

石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

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 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

 石川:大嶋さんは、そもそもものごとを見る時に、「それが世界初かどうか」という視点で考えているわけですものね。そのコンセプトで40年活動をしてきたわけですから、もう、溜まっている知見が圧倒的なのだと思います。

大嶋:「世界初、世界一」以外はやりません。無線研で感染した「イノベーター菌」が、私の中では消えることなくずっと生きているわけですから。

松下幸之助は、無線研というハコを作って500人くらいの研究者を集め、少し尖った無垢な新入社員をそこに放り込み、どんどんイノベーター菌に感染させていきました。立ち上げ当初、無線研には大学の助教クラスや、通産省(当時)の研究所からイノベーターたちが集められおり、そのマインドやノウハウを、私たちのような後輩の研究者は伝承することができました。しかし失われた20年の影響で、現在その伝承は分断されてしまっています。私のこれからの使命のひとつは、その状況を打破し、若い世代のイノベーターを育成していくことだと考えています。

 当社は今年100周年を迎えますが、現在の社長である津賀一宏は、創業以来、初めての研究所出身者です。しかも無線研究所出身ですので、イノベーターに理解がある経営者です。これを好機としてイノベーションの風土が生まれ、若きイノベーターも育ち、よりイノベーティブな企業として、次の100年に向けて大きく飛躍することを期待しています。

大嶋と石川の対談は、六本木ヒルズにある森ビルの会議室で行われた。石川が声をかけた研究者、スタートアップ、ベンチャーキャピタリストといったメンバーが、対談の様子を生で体験することとなった。

 (TEXT BY TOMONARI COTANI、PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI)

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「HILLS LIFE DAILY」編集部

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2018-06-05 革命の条件。(2)

[]丁稚奉公からCEOまで。 丁稚奉公からCEOまで。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 丁稚奉公からCEOまで。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

松下翁が、「そういうこと」を全てあらかじめご存知で作ったのが"無線研"という革命組織だったら、もう天才的と言うしかないけれど。
「研究と販売」という両極端の業務を一人で経験する試み、というのは今の企業にとっても十分過ぎるほど大事なことだ。

何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

いやー、いいですねー。
「丁稚奉公」自分の最も好きな言葉の一つですが、これがないとあらゆる議論が空回りする、と思っています。
「現場を知らない」というのは今の行政と同じでいつまで経っても、「問題の根本が解決しない」ということの原因に違いない。

「たたき上げ」という言葉の凄みは「細部を知りながら、どこまで全体に迫れるか」という挑戦にあるのだと思う。

丁稚奉公。
雑巾掛け。
忘れずにいたいワードだ。
(つづく)

パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター

ビジネスにおいてイノベーターというと、スタートアップをイメージしがちだが、この世界には、大企業に所属しながら幾度もイノベーションを起こす「希少種」が存在する。そうしたシリアル・イノベーターの研究を行っている石川善樹(予防医学博士)が現在注目しているのが、大嶋光昭だという。彼はいったい、何者なのだろうか?  いまの時代に求められる「新しい教養」を探る、石川善樹の人気インタビューシリーズ第6回。

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■登録特許数1300件!

 石川:本日は、「世界の大嶋さん」をご紹介できて大変光栄です。

大嶋:いえいえ、よろしくお願いします。

石川:読者のために、まずは大嶋さんのご経歴をざっとおさらいしたいと思います。まず、大嶋さんが出願した登録特許の数は1300件!  その特許ライセンス収入だけで、これまでパナソニックに380億円をもたらしています。さらに、大嶋さんの研究が元となったプロダクトによる営業利益は3000億円!  仮に営業利益が5%だとして計算すると、6兆円を売り上げたことに相当します。

 では実際、大嶋さんは何を発明されたのかというと……代表的なのが「振動ジャイロ」で、この技術からビデオカメラやデジカメの「手ぶれ補正」技術が生まれています。これだけでも世の中に大きな恩恵をもたらしたと言えますが、さらにさらに、海外大手半導体メーカー製CPUに採用されている「省電力CPU」、日米欧の地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」、コピー・ワンスやダビング10といった“光ディスクへのコピー”を実現させた「光ディスク規格(BCA CPRM)」、同じく光ディスクソフトの「ゲーム用光ディスク技術」、3D放送に不可欠な「3D符号化技術」、そして最近では「光ID技術(リンクレイ)」といった技術を発明していらっしゃいます。

 つまり大嶋さんは、世界初や世界一の発明を次々に生み出す、シリアル・イノベーターと言うことができるでしょう。実際、シリアル・イノベーターの研究をしているイリノイ大学ブルース・ボジャック教授たちがまとめた『シリアル・イノベーター 非シリコンバレー型イノベーションの流儀』(プレジデント社)という書籍のなかでも、大嶋さんは紹介されています。

石川:クリエイティビティやイノベーションの研究は、1960年代にJ.ギルフォードというアメリカ心理学者が始めて以来、半世紀近くに及ぶ知見がたまっているわけですが、今日までに、2つのことが明らかになっています。

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5/20(日) 11:00配信

 その前に大前提として、イノベーションやノーベル賞を取るような発見は「運である場合が多い」という事実をお伝えしておきましょう(笑)。たまたま巡り会っちゃった、というケースが意外と多いんですよ。

とはいえ、ディスラプティブ(=破壊的)なことをする人というのは「どうもこういう人なんじゃないか」という特徴が2つあって、そのひとつが「少人数のチームでやる」ということなんです。多くても3人。それくらいのチームの方が、革命的なことをしやすいと言われています。

 そしてもうひとつが、「どこから考え始めるのか」ということなんです。ほとんどの人は、「新しくて人気があるアイデア」に飛びつきます。いまだとブロックチェーンとかAIとか。そうした新しくて人気がある分野から考え始める人は、「ものごとを成長させる」ときにはいいのですが、「ディスラプティブ」なことはしない、というわけです。耳の痛い人もいるのではないでしょうか?

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

 そんなイノベーターのなかでも、何度も何度も繰り返し成功させる人、つまりはシリアル・イノベーターと呼ばれる人たちが持つ独自の方法というのは、まだまだ未開拓なんです。

僕はここ1年ほど、そうしたシリアルにすごいことをやる人、連続的に何かをする人にはどういう特徴があるのかを研究していて、そのなかで最初に出会ったひとりが大嶋さんなんです。本当にすごい人なのですが、その評価は海外の方が高く、日本では思いのほか知られていないという印象です。なので、この機会を通じて少しでも多くの読者に大嶋さんのことを知っていただきたいと思っています。

 前振りはこのくらいにして、ここからは僕も、大嶋ワールドにどっぷりと浸かりたいと思います。大嶋さん、準備はよろしいでしょうか?

■異端者の集団「無線研究所」

大嶋:ご紹介ありがとうございます。海外の方が評価が高いというのは、石川さんの仰る通りだと思います。というのも、日本はイノベーターに対する評価が低いですからね。ほとんど注目されません。実際にモノを作った人とか、モノを販売している人が評価される社会なんです。

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5/20(日) 11:00配信

 それは企業内でも一緒で、イノベーターはリスペクトされません。つまり、居づらいんです。だから出ていってしまう。それでも、私達の時代は出て行くことはなかった。会社を辞めたら終わりですからね。しかし今は海外にも行けるし、どんどん出て行きますよね。

実際、イノベーターというのは異端者なんです。アメリカでは、異端者でも居心地は悪くありませんし、逆にまわりの人が助けてくれたりもします。しかし日本は同質社会ですから異端者を排除しますよね。でも、幸いなことに私は、無線研究所(無線研)という組織に救われました。

 無線研というのは、松下電器産業(現パナソニック)に存在した、部品・材料・電子機器全般を担当する研究所です。この無線研究所は、松下幸之助が「イノベーションを生むための仕掛け」として考案したという仮説を、私は立てています。1953年、幸之助はアメリカのベル研究所へ視察に行き、その後、中央研究所(中研)を設立しました。中研と同じ規模の無線研ができたのは、その9年後の1962年です。何故、同じ規模の研究所を2つ作ったのか、不思議に思われるかもしれません。

 中研は、一般的に必要と考えられるテーマをすべてやっているという意味では、いわば研究の「デパート」で、優等生型の人材が配属されていました。これに対して、無線研は「専門店」で、優等生型でないちょっと変わった連中の集まりでした。私自身は1974年に松下電器産業へ入社して早々、研究者としてこの無線研に配属されました。

研究分野は中研と一緒でしたが、ミッションはハッキリしていて、「中研でやっていないことをやる、つまり、他社でやっていないことをやる」でした。「こちらは専門店なので、デパートで売るものを売っちゃいかん」というわけです。なので先輩たちからは、「世界初か世界一の研究をやれ!」と、よく怒られました。無線研では何も指示を出さなくても、所員が自発的にイノベーションを起こそうとしていたんです。

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 無線研ができたのは1962年ですが、このとき幸之助は67歳で、まだバリバリでした。あの方は「何もしなくても自動的にできる」というやり方を基本にしていました。事業部制にしてもそうです。本人は体が弱かったこともあり、何ごともオートマティックにできるような巧妙な仕掛けを随所に作りました。その観点から言えば、研究所に関しても、自動的に、自律的にうまく行くような仕掛けを考えたはずです。「無線研は、幸之助が作ったイノベーションのための仕掛けである」と私がにらんでいるのは、それが根拠となっています。

 あのころ、松下電器産業は「マネシタ電気」と揶揄されていましたが、実際は世界初のことをたくさんやっていたのです。当時の無線研には20人のイノベーターがいて、世界最高のスピーカーやレコードプレイヤー、世界初の画像圧縮技術などのイノベーションを次々と生み出していきました。現在の当社事業の多くが無線研のイノベーターが起こしたイノベーションを端緒としていることは、社内でもあまり知られていませんでしたが……。

■無線研には「丁稚奉公」があった!?

大嶋:ほかにも、無線研には変わったところがありました。何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

さらには営業の最前線にも出るので、お客さんの声を聞くことができる。実によくできたシステムだと思いました。これらを含めて、無線研は「あまりにもよくできている」ので、これは幸之助が絡んでいるに違いないと、後になって気づいたわけです。

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 そんな無線研から、私は一度追い出されました。実験が遅かったこともあって、研究管理部門へ異動させられたのです。研究所の予算管理やプロジェクト管理をする、いわば事務職です。研究職の道が閉ざされたとわかり、もう、奈落の底に落ちたような心境に陥りました。しかしそこで腐らず、這い上がるためにはどうしたらいいかを必死に考えたんです。

たまたま隣りに図書室があったこともあり、5時に仕事を終えてから、毎日そこで勉強しようと決めました。目標として、新しい技術分野を月に1つ習得し、必ずその分野の新しい発明をして、特許を月に1件出願する、というアホなことをやりました。それを3年くらい続けました。

 本を読むだけではなく、読んでアイデアを引き出し、それをその技術分野のトップの人にぶつけました。当時の松下電器産業には1万7千人の技術者がいたので、そのなかでもトップの人のところへ夜8時くらいに行って、「すみません、この技術、私はこう変えたらよくなると思うのですが」って、相手が帰ろうとしているところに聞きに行くわけです。時には11時くらいまで(笑)。

ただ教えてもらうわけではなく、アイデアを提案するのです。あちらとしてもアイデアを持って来ているから、「ここはこうした方がいい」って教えてくれるわけです。それを毎月毎月続けました。かなり大変でしたが、当時の特許出願の記録を見ると、年に17件ほど特許を出していました。それがあったから、ほかの分野、たとえばジェットエンジン原子力発電の発明でもできるようになりました。

 そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。

■発明したのは「2番目の出口」

石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。

大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。

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5/20(日) 11:00配信

 石川:それでどうされたんですか?

大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。

石川:なんと(笑)。

大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。

旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。

 石川:1秒で!

大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。

石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?

 大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。

石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

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5/20(日) 11:00配信

 その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

 石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?

大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。

石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?

 大嶋:失敗例ももちろんありますよ。

大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。

「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。

■「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った

石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか?  若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか?  あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。

大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。

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5/20(日) 11:00配信

 石川:あはは(笑)。

大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。

あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?

石川:どうぞどうぞ(笑)。

 大嶋:みんながアナログTV放送の研究をしているとき、1989年くらいから、私はデジタルTV放送の研究をしていたんです。その後、デジタル放送の規格を巡って世界中の技術者が競い合いましたが、結果として私が勝ちました。勝ち負けの基準は何かというと、地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」に認定された件数になります。日米欧とも、私の規格特許が最も多く採用されているんです。特許のシェアは30%を超えました。

 当時、デジタルTV放送はアメリカが先導していました。MIT電気工学の教授をしていた、ウィリアム・シュライバーという人物がその流れを牽引していて、彼は米国議会で「デジタルTVをやるべし」と証言したことから、アナログHD放送からデジタルHD放送に流れが変わりました。彼と私は同じ方式の特許を出したのですが、私の方が出願日が早かったんです。数年後、シュライバーの研究室から「最近は何を研究されてますか?」という探りの手紙が届きました(笑)。

 ちなみにもう一人、1999年から2001年までベル研究所の所長を務めていた、コンピューターエンジニアのアラン・ネトラヴァリにも、4G携帯やWiFiなどで使われている通信速度可変型デジタル通信方式の基本特許で勝ちました。彼は、ノーベル賞級の研究をおこなっている人物です。

■「見立ての力」も、非常に重要

石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

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5/20(日) 11:00配信

 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

 石川:大嶋さんは、そもそもものごとを見る時に、「それが世界初かどうか」という視点で考えているわけですものね。そのコンセプトで40年活動をしてきたわけですから、もう、溜まっている知見が圧倒的なのだと思います。

大嶋:「世界初、世界一」以外はやりません。無線研で感染した「イノベーター菌」が、私の中では消えることなくずっと生きているわけですから。

松下幸之助は、無線研というハコを作って500人くらいの研究者を集め、少し尖った無垢な新入社員をそこに放り込み、どんどんイノベーター菌に感染させていきました。立ち上げ当初、無線研には大学の助教クラスや、通産省(当時)の研究所からイノベーターたちが集められおり、そのマインドやノウハウを、私たちのような後輩の研究者は伝承することができました。しかし失われた20年の影響で、現在その伝承は分断されてしまっています。私のこれからの使命のひとつは、その状況を打破し、若い世代のイノベーターを育成していくことだと考えています。

 当社は今年100周年を迎えますが、現在の社長である津賀一宏は、創業以来、初めての研究所出身者です。しかも無線研究所出身ですので、イノベーターに理解がある経営者です。これを好機としてイノベーションの風土が生まれ、若きイノベーターも育ち、よりイノベーティブな企業として、次の100年に向けて大きく飛躍することを期待しています。

大嶋と石川の対談は、六本木ヒルズにある森ビルの会議室で行われた。石川が声をかけた研究者、スタートアップ、ベンチャーキャピタリストといったメンバーが、対談の様子を生で体験することとなった。

 (TEXT BY TOMONARI COTANI、PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI)

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「HILLS LIFE DAILY」編集部

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2018-06-04 革命の条件。(1)

[]"流行りの思考"にならないこと。 "流行りの思考"にならないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク "流行りの思考"にならないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

パナソニックで伝説のシリアルイノベーター(こうなるともう「革命家」だ)の大嶋光昭氏のインタビュー記事より。
(是非ご一読を。下に引用しています。)
のっけから正反対の衝撃。

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。
クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

イノベーターというのは、現代用語のようではあるけども、実は昔から存在する「徹底した逆張りイズム」の人なのだろう。
今の「スマホありき」の時代にどれほど逆張りを考えることができるかどうか、ということかもしれない。

まず、「流行りに乗らずに思考できるか」という実に厳しい命題があるという。

この辺りから、まず自分の日常の思考方法を見直してみる必要がありそうだ。
ブロックチェーンだ、AIだと新しい技術のニュースにばかり目が移ろうが「それら」が本質ではないかもしれない、という視点を合わせて持てるかどうかだろう。
(つづく)

パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論

ビジネスにおいてイノベーターというと、スタートアップをイメージしがちだが、この世界には、大企業に所属しながら幾度もイノベーションを起こす「希少種」が存在する。そうしたシリアル・イノベーターの研究を行っている石川善樹(予防医学博士)が現在注目しているのが、大嶋光昭だという。彼はいったい、何者なのだろうか?  いまの時代に求められる「新しい教養」を探る、石川善樹の人気インタビューシリーズ第6回。

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■登録特許数1300件!

 石川:本日は、「世界の大嶋さん」をご紹介できて大変光栄です。

大嶋:いえいえ、よろしくお願いします。

石川:読者のために、まずは大嶋さんのご経歴をざっとおさらいしたいと思います。まず、大嶋さんが出願した登録特許の数は1300件!  その特許ライセンス収入だけで、これまでパナソニックに380億円をもたらしています。さらに、大嶋さんの研究が元となったプロダクトによる営業利益は3000億円!  仮に営業利益が5%だとして計算すると、6兆円を売り上げたことに相当します。

 では実際、大嶋さんは何を発明されたのかというと……代表的なのが「振動ジャイロ」で、この技術からビデオカメラやデジカメの「手ぶれ補正」技術が生まれています。これだけでも世の中に大きな恩恵をもたらしたと言えますが、さらにさらに、海外大手半導体メーカー製CPUに採用されている「省電力CPU」、日米欧の地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」、コピー・ワンスやダビング10といった“光ディスクへのコピー”を実現させた「光ディスク規格(BCA CPRM)」、同じく光ディスクソフトの「ゲーム用光ディスク技術」、3D放送に不可欠な「3D符号化技術」、そして最近では「光ID技術(リンクレイ)」といった技術を発明していらっしゃいます。

 つまり大嶋さんは、世界初や世界一の発明を次々に生み出す、シリアル・イノベーターと言うことができるでしょう。実際、シリアル・イノベーターの研究をしているイリノイ大学ブルース・ボジャック教授たちがまとめた『シリアル・イノベーター 非シリコンバレー型イノベーションの流儀』(プレジデント社)という書籍のなかでも、大嶋さんは紹介されています。

石川:クリエイティビティやイノベーションの研究は、1960年代にJ.ギルフォードというアメリカ心理学者が始めて以来、半世紀近くに及ぶ知見がたまっているわけですが、今日までに、2つのことが明らかになっています。

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 その前に大前提として、イノベーションやノーベル賞を取るような発見は「運である場合が多い」という事実をお伝えしておきましょう(笑)。たまたま巡り会っちゃった、というケースが意外と多いんですよ。

とはいえ、ディスラプティブ(=破壊的)なことをする人というのは「どうもこういう人なんじゃないか」という特徴が2つあって、そのひとつが「少人数のチームでやる」ということなんです。多くても3人。それくらいのチームの方が、革命的なことをしやすいと言われています。

 そしてもうひとつが、「どこから考え始めるのか」ということなんです。ほとんどの人は、「新しくて人気があるアイデア」に飛びつきます。いまだとブロックチェーンとかAIとか。そうした新しくて人気がある分野から考え始める人は、「ものごとを成長させる」ときにはいいのですが、「ディスラプティブ」なことはしない、というわけです。耳の痛い人もいるのではないでしょうか?

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

 そんなイノベーターのなかでも、何度も何度も繰り返し成功させる人、つまりはシリアル・イノベーターと呼ばれる人たちが持つ独自の方法というのは、まだまだ未開拓なんです。

僕はここ1年ほど、そうしたシリアルにすごいことをやる人、連続的に何かをする人にはどういう特徴があるのかを研究していて、そのなかで最初に出会ったひとりが大嶋さんなんです。本当にすごい人なのですが、その評価は海外の方が高く、日本では思いのほか知られていないという印象です。なので、この機会を通じて少しでも多くの読者に大嶋さんのことを知っていただきたいと思っています。

 前振りはこのくらいにして、ここからは僕も、大嶋ワールドにどっぷりと浸かりたいと思います。大嶋さん、準備はよろしいでしょうか?

■異端者の集団「無線研究所」

大嶋:ご紹介ありがとうございます。海外の方が評価が高いというのは、石川さんの仰る通りだと思います。というのも、日本はイノベーターに対する評価が低いですからね。ほとんど注目されません。実際にモノを作った人とか、モノを販売している人が評価される社会なんです。

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 それは企業内でも一緒で、イノベーターはリスペクトされません。つまり、居づらいんです。だから出ていってしまう。それでも、私達の時代は出て行くことはなかった。会社を辞めたら終わりですからね。しかし今は海外にも行けるし、どんどん出て行きますよね。

実際、イノベーターというのは異端者なんです。アメリカでは、異端者でも居心地は悪くありませんし、逆にまわりの人が助けてくれたりもします。しかし日本は同質社会ですから異端者を排除しますよね。でも、幸いなことに私は、無線研究所(無線研)という組織に救われました。

 無線研というのは、松下電器産業(現パナソニック)に存在した、部品・材料・電子機器全般を担当する研究所です。この無線研究所は、松下幸之助が「イノベーションを生むための仕掛け」として考案したという仮説を、私は立てています。1953年、幸之助はアメリカのベル研究所へ視察に行き、その後、中央研究所(中研)を設立しました。中研と同じ規模の無線研ができたのは、その9年後の1962年です。何故、同じ規模の研究所を2つ作ったのか、不思議に思われるかもしれません。

 中研は、一般的に必要と考えられるテーマをすべてやっているという意味では、いわば研究の「デパート」で、優等生型の人材が配属されていました。これに対して、無線研は「専門店」で、優等生型でないちょっと変わった連中の集まりでした。私自身は1974年に松下電器産業へ入社して早々、研究者としてこの無線研に配属されました。

研究分野は中研と一緒でしたが、ミッションはハッキリしていて、「中研でやっていないことをやる、つまり、他社でやっていないことをやる」でした。「こちらは専門店なので、デパートで売るものを売っちゃいかん」というわけです。なので先輩たちからは、「世界初か世界一の研究をやれ!」と、よく怒られました。無線研では何も指示を出さなくても、所員が自発的にイノベーションを起こそうとしていたんです。

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 無線研ができたのは1962年ですが、このとき幸之助は67歳で、まだバリバリでした。あの方は「何もしなくても自動的にできる」というやり方を基本にしていました。事業部制にしてもそうです。本人は体が弱かったこともあり、何ごともオートマティックにできるような巧妙な仕掛けを随所に作りました。その観点から言えば、研究所に関しても、自動的に、自律的にうまく行くような仕掛けを考えたはずです。「無線研は、幸之助が作ったイノベーションのための仕掛けである」と私がにらんでいるのは、それが根拠となっています。

 あのころ、松下電器産業は「マネシタ電気」と揶揄されていましたが、実際は世界初のことをたくさんやっていたのです。当時の無線研には20人のイノベーターがいて、世界最高のスピーカーやレコードプレイヤー、世界初の画像圧縮技術などのイノベーションを次々と生み出していきました。現在の当社事業の多くが無線研のイノベーターが起こしたイノベーションを端緒としていることは、社内でもあまり知られていませんでしたが……。

■無線研には「丁稚奉公」があった!?

大嶋:ほかにも、無線研には変わったところがありました。何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

さらには営業の最前線にも出るので、お客さんの声を聞くことができる。実によくできたシステムだと思いました。これらを含めて、無線研は「あまりにもよくできている」ので、これは幸之助が絡んでいるに違いないと、後になって気づいたわけです。

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 そんな無線研から、私は一度追い出されました。実験が遅かったこともあって、研究管理部門へ異動させられたのです。研究所の予算管理やプロジェクト管理をする、いわば事務職です。研究職の道が閉ざされたとわかり、もう、奈落の底に落ちたような心境に陥りました。しかしそこで腐らず、這い上がるためにはどうしたらいいかを必死に考えたんです。

たまたま隣りに図書室があったこともあり、5時に仕事を終えてから、毎日そこで勉強しようと決めました。目標として、新しい技術分野を月に1つ習得し、必ずその分野の新しい発明をして、特許を月に1件出願する、というアホなことをやりました。それを3年くらい続けました。

 本を読むだけではなく、読んでアイデアを引き出し、それをその技術分野のトップの人にぶつけました。当時の松下電器産業には1万7千人の技術者がいたので、そのなかでもトップの人のところへ夜8時くらいに行って、「すみません、この技術、私はこう変えたらよくなると思うのですが」って、相手が帰ろうとしているところに聞きに行くわけです。時には11時くらいまで(笑)。

ただ教えてもらうわけではなく、アイデアを提案するのです。あちらとしてもアイデアを持って来ているから、「ここはこうした方がいい」って教えてくれるわけです。それを毎月毎月続けました。かなり大変でしたが、当時の特許出願の記録を見ると、年に17件ほど特許を出していました。それがあったから、ほかの分野、たとえばジェットエンジン原子力発電の発明でもできるようになりました。

 そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。

■発明したのは「2番目の出口」

石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホやカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。

大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。

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5/20(日) 11:00配信

 石川:それでどうされたんですか?

大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。

石川:なんと(笑)。

大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。

旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。

 石川:1秒で!

大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。

石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?

 大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。

石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

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5/20(日) 11:00配信

 その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

 石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?

大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。

石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?

 大嶋:失敗例ももちろんありますよ。

大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。

「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。

■「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った

石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか?  若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか?  あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。

大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。

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5/20(日) 11:00配信

 石川:あはは(笑)。

大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。

あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?

石川:どうぞどうぞ(笑)。

 大嶋:みんながアナログTV放送の研究をしているとき、1989年くらいから、私はデジタルTV放送の研究をしていたんです。その後、デジタル放送の規格を巡って世界中の技術者が競い合いましたが、結果として私が勝ちました。勝ち負けの基準は何かというと、地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」に認定された件数になります。日米欧とも、私の規格特許が最も多く採用されているんです。特許のシェアは30%を超えました。

 当時、デジタルTV放送はアメリカが先導していました。MIT電気工学の教授をしていた、ウィリアム・シュライバーという人物がその流れを牽引していて、彼は米国議会で「デジタルTVをやるべし」と証言したことから、アナログHD放送からデジタルHD放送に流れが変わりました。彼と私は同じ方式の特許を出したのですが、私の方が出願日が早かったんです。数年後、シュライバーの研究室から「最近は何を研究されてますか?」という探りの手紙が届きました(笑)。

 ちなみにもう一人、1999年から2001年までベル研究所の所長を務めていた、コンピューターエンジニアのアラン・ネトラヴァリにも、4G携帯やWiFiなどで使われている通信速度可変型デジタル通信方式の基本特許で勝ちました。彼は、ノーベル賞級の研究をおこなっている人物です。

■「見立ての力」も、非常に重要

石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

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5/20(日) 11:00配信

 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

 石川:大嶋さんは、そもそもものごとを見る時に、「それが世界初かどうか」という視点で考えているわけですものね。そのコンセプトで40年活動をしてきたわけですから、もう、溜まっている知見が圧倒的なのだと思います。

大嶋:「世界初、世界一」以外はやりません。無線研で感染した「イノベーター菌」が、私の中では消えることなくずっと生きているわけですから。

松下幸之助は、無線研というハコを作って500人くらいの研究者を集め、少し尖った無垢な新入社員をそこに放り込み、どんどんイノベーター菌に感染させていきました。立ち上げ当初、無線研には大学の助教クラスや、通産省(当時)の研究所からイノベーターたちが集められおり、そのマインドやノウハウを、私たちのような後輩の研究者は伝承することができました。しかし失われた20年の影響で、現在その伝承は分断されてしまっています。私のこれからの使命のひとつは、その状況を打破し、若い世代のイノベーターを育成していくことだと考えています。

 当社は今年100周年を迎えますが、現在の社長である津賀一宏は、創業以来、初めての研究所出身者です。しかも無線研究所出身ですので、イノベーターに理解がある経営者です。これを好機としてイノベーションの風土が生まれ、若きイノベーターも育ち、よりイノベーティブな企業として、次の100年に向けて大きく飛躍することを期待しています。

大嶋と石川の対談は、六本木ヒルズにある森ビルの会議室で行われた。石川が声をかけた研究者、スタートアップ、ベンチャーキャピタリストといったメンバーが、対談の様子を生で体験することとなった。

 (TEXT BY TOMONARI COTANI、PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI)

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「HILLS LIFE DAILY」編集部

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[]"流行りの思考"にならないこと。 "流行りの思考"にならないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク "流行りの思考"にならないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

パナソニックで伝説のシリアル・イノベーター(こうなるともう「革命家」だ)の大嶋光昭氏のインタビュー記事より。
(是非ご一読を。下に引用しています。)
のっけから正反対の衝撃。

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。
クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

イノベーターというのは、現代用語のようではあるけども、実は昔から存在する「徹底した逆張りイズム」の人なのだろう。
今の「スマホありき」の時代にどれほど逆張りを考えることができるかどうか、ということかもしれない。

まず、「流行りに乗らずに思考できるか」という実に厳しい命題があるという。

この辺りから、まず自分の日常の思考方法を見直してみる必要がありそうだ。
ブロックチェーンだ、AIだと新しい技術のニュースにばかり目が移ろうが「それら」が本質ではないかもしれない、という視点を合わせて持てるかどうかだろう。
(つづく)

パナ伝説のエンジニアが語るイノベーター論

ビジネスにおいてイノベーターというと、スタートアップをイメージしがちだが、この世界には、大企業に所属しながら幾度もイノベーションを起こす「希少種」が存在する。そうしたシリアル・イノベーターの研究を行っている石川善樹(予防医学博士)が現在注目しているのが、大嶋光昭だという。彼はいったい、何者なのだろうか?  いまの時代に求められる「新しい教養」を探る、石川善樹の人気インタビューシリーズ第6回。

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■登録特許数1300件!

 石川:本日は、「世界の大嶋さん」をご紹介できて大変光栄です。

大嶋:いえいえ、よろしくお願いします。

石川:読者のために、まずは大嶋さんのご経歴をざっとおさらいしたいと思います。まず、大嶋さんが出願した登録特許の数は1300件!  その特許ライセンス収入だけで、これまでパナソニックに380億円をもたらしています。さらに、大嶋さんの研究が元となったプロダクトによる営業利益は3000億円!  仮に営業利益が5%だとして計算すると、6兆円を売り上げたことに相当します。

 では実際、大嶋さんは何を発明されたのかというと……代表的なのが「振動ジャイロ」で、この技術からビデオカメラやデジカメの「手ぶれ補正」技術が生まれています。これだけでも世の中に大きな恩恵をもたらしたと言えますが、さらにさらに、海外大手半導体メーカー製CPUに採用されている「省電力CPU」、日米欧の地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」、コピー・ワンスやダビング10といった“光ディスクへのコピー”を実現させた「光ディスク規格(BCA CPRM)」、同じく光ディスクソフトの「ゲーム用光ディスク技術」、3D放送に不可欠な「3D符号化技術」、そして最近では「光ID技術(リンクレイ)」といった技術を発明していらっしゃいます。

 つまり大嶋さんは、世界初や世界一の発明を次々に生み出す、シリアル・イノベーターと言うことができるでしょう。実際、シリアル・イノベーターの研究をしているイリノイ大学のブルース・ボジャック教授たちがまとめた『シリアル・イノベーター 非シリコンバレー型イノベーションの流儀』(プレジデント社)という書籍のなかでも、大嶋さんは紹介されています。

石川:クリエイティビティやイノベーションの研究は、1960年代にJ.ギルフォードというアメリカの心理学者が始めて以来、半世紀近くに及ぶ知見がたまっているわけですが、今日までに、2つのことが明らかになっています。

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 その前に大前提として、イノベーションやノーベル賞を取るような発見は「運である場合が多い」という事実をお伝えしておきましょう(笑)。たまたま巡り会っちゃった、というケースが意外と多いんですよ。

とはいえ、ディスラプティブ(=破壊的)なことをする人というのは「どうもこういう人なんじゃないか」という特徴が2つあって、そのひとつが「少人数のチームでやる」ということなんです。多くても3人。それくらいのチームの方が、革命的なことをしやすいと言われています。

 そしてもうひとつが、「どこから考え始めるのか」ということなんです。ほとんどの人は、「新しくて人気があるアイデア」に飛びつきます。いまだとブロックチェーンとかAIとか。そうした新しくて人気がある分野から考え始める人は、「ものごとを成長させる」ときにはいいのですが、「ディスラプティブ」なことはしない、というわけです。耳の痛い人もいるのではないでしょうか?

石川:では、ディスラプティブな人はどこから考え始めるかというと、「いまは人気がない古いアイデア」から考える傾向があるんです。クリエイティビティやイノベーションの研究において、現時点ではそれが結論とされています。

 そんなイノベーターのなかでも、何度も何度も繰り返し成功させる人、つまりはシリアル・イノベーターと呼ばれる人たちが持つ独自の方法というのは、まだまだ未開拓なんです。

僕はここ1年ほど、そうしたシリアルにすごいことをやる人、連続的に何かをする人にはどういう特徴があるのかを研究していて、そのなかで最初に出会ったひとりが大嶋さんなんです。本当にすごい人なのですが、その評価は海外の方が高く、日本では思いのほか知られていないという印象です。なので、この機会を通じて少しでも多くの読者に大嶋さんのことを知っていただきたいと思っています。

 前振りはこのくらいにして、ここからは僕も、大嶋ワールドにどっぷりと浸かりたいと思います。大嶋さん、準備はよろしいでしょうか?

■異端者の集団「無線研究所」

大嶋:ご紹介ありがとうございます。海外の方が評価が高いというのは、石川さんの仰る通りだと思います。というのも、日本はイノベーターに対する評価が低いですからね。ほとんど注目されません。実際にモノを作った人とか、モノを販売している人が評価される社会なんです。

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 それは企業内でも一緒で、イノベーターはリスペクトされません。つまり、居づらいんです。だから出ていってしまう。それでも、私達の時代は出て行くことはなかった。会社を辞めたら終わりですからね。しかし今は海外にも行けるし、どんどん出て行きますよね。

実際、イノベーターというのは異端者なんです。アメリカでは、異端者でも居心地は悪くありませんし、逆にまわりの人が助けてくれたりもします。しかし日本は同質社会ですから異端者を排除しますよね。でも、幸いなことに私は、無線研究所(無線研)という組織に救われました。

 無線研というのは、松下電器産業(現パナソニック)に存在した、部品・材料・電子機器全般を担当する研究所です。この無線研究所は、松下幸之助が「イノベーションを生むための仕掛け」として考案したという仮説を、私は立てています。1953年、幸之助はアメリカのベル研究所へ視察に行き、その後、中央研究所(中研)を設立しました。中研と同じ規模の無線研ができたのは、その9年後の1962年です。何故、同じ規模の研究所を2つ作ったのか、不思議に思われるかもしれません。

 中研は、一般的に必要と考えられるテーマをすべてやっているという意味では、いわば研究の「デパート」で、優等生型の人材が配属されていました。これに対して、無線研は「専門店」で、優等生型でないちょっと変わった連中の集まりでした。私自身は1974年に松下電器産業へ入社して早々、研究者としてこの無線研に配属されました。

研究分野は中研と一緒でしたが、ミッションはハッキリしていて、「中研でやっていないことをやる、つまり、他社でやっていないことをやる」でした。「こちらは専門店なので、デパートで売るものを売っちゃいかん」というわけです。なので先輩たちからは、「世界初か世界一の研究をやれ!」と、よく怒られました。無線研では何も指示を出さなくても、所員が自発的にイノベーションを起こそうとしていたんです。

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 無線研ができたのは1962年ですが、このとき幸之助は67歳で、まだバリバリでした。あの方は「何もしなくても自動的にできる」というやり方を基本にしていました。事業部制にしてもそうです。本人は体が弱かったこともあり、何ごともオートマティックにできるような巧妙な仕掛けを随所に作りました。その観点から言えば、研究所に関しても、自動的に、自律的にうまく行くような仕掛けを考えたはずです。「無線研は、幸之助が作ったイノベーションのための仕掛けである」と私がにらんでいるのは、それが根拠となっています。

 あのころ、松下電器産業は「マネシタ電気」と揶揄されていましたが、実際は世界初のことをたくさんやっていたのです。当時の無線研には20人のイノベーターがいて、世界最高のスピーカーやレコードプレイヤー、世界初の画像圧縮技術などのイノベーションを次々と生み出していきました。現在の当社事業の多くが無線研のイノベーターが起こしたイノベーションを端緒としていることは、社内でもあまり知られていませんでしたが……。

■無線研には「丁稚奉公」があった!?

大嶋:ほかにも、無線研には変わったところがありました。何か新しい技術を開発した場合、普通の研究所であれば、「引継書を作って工場にわたしてオシマイ」じゃないですか。しかし無線研では、少なくとも最初の1回か2回は、工場へ行き、設計して、製造して、品質管理して、販売して……と、最後までやらされるんです。大体2年くらいかかりっきりになり、それでまた帰ってくる。この一連のプロセスを、私は「丁稚奉公」と呼んでいました。

 これを一度やると、自分でやったことの「出口」がわかるんです。品質がどうとか、コスト意識とか。たとえば部品代が50円だから原価50円でできると思っていたところ、実際に事業目論見書を作ってみると、はんだ付けの工賃などさまざまなコストがかかるわけで、結局750円になることを知るんです。そうすると、どこを削ったらいいかがわかってくる。こうした丁稚奉公で、事業、つまりは出口がわかる研究者が育つのです。

さらには営業の最前線にも出るので、お客さんの声を聞くことができる。実によくできたシステムだと思いました。これらを含めて、無線研は「あまりにもよくできている」ので、これは幸之助が絡んでいるに違いないと、後になって気づいたわけです。

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 そんな無線研から、私は一度追い出されました。実験が遅かったこともあって、研究管理部門へ異動させられたのです。研究所の予算管理やプロジェクト管理をする、いわば事務職です。研究職の道が閉ざされたとわかり、もう、奈落の底に落ちたような心境に陥りました。しかしそこで腐らず、這い上がるためにはどうしたらいいかを必死に考えたんです。

たまたま隣りに図書室があったこともあり、5時に仕事を終えてから、毎日そこで勉強しようと決めました。目標として、新しい技術分野を月に1つ習得し、必ずその分野の新しい発明をして、特許を月に1件出願する、というアホなことをやりました。それを3年くらい続けました。

 本を読むだけではなく、読んでアイデアを引き出し、それをその技術分野のトップの人にぶつけました。当時の松下電器産業には1万7千人の技術者がいたので、そのなかでもトップの人のところへ夜8時くらいに行って、「すみません、この技術、私はこう変えたらよくなると思うのですが」って、相手が帰ろうとしているところに聞きに行くわけです。時には11時くらいまで(笑)。

ただ教えてもらうわけではなく、アイデアを提案するのです。あちらとしてもアイデアを持って来ているから、「ここはこうした方がいい」って教えてくれるわけです。それを毎月毎月続けました。かなり大変でしたが、当時の特許出願の記録を見ると、年に17件ほど特許を出していました。それがあったから、ほかの分野、たとえばジェットエンジンや原子力発電の発明でもできるようになりました。

 そうして身につけた知識のうちのひとつが、「振動ジャイロ」だったんです。

■発明したのは「2番目の出口」

石川:ジャイロセンサーといえば、いまやスマホやカーナビには必ず入っているデバイスですが、それを開発したのが、なんと大嶋さんというわけですね。

大嶋:はい。振動ジャイロの原型は1950年にアメリカで開発されていますが、安定性が悪かった。そこで私は、1980年に改良発明をしたんです。この時は、カーナビ用のセンサーとして振動ジャイロ技術を生かせると考えました。ただ、思ったほどうまくは行かなかったんです。なぜなら、15年後の1995年にGPSが民生用に開放されるまで、カーナビ自体の市場がなかったからです。つまり、出口がなかったのです。

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 石川:それでどうされたんですか?

大嶋:傷心旅行に行きました(笑)。

石川:なんと(笑)。

大嶋:友人と3人でハワイへ行ったんです。レンタカーを借りて5日間ドライブをしました。その旅に、当時はまだ珍しかった大きなビデオカメラを会社から借りて、友人が撮影をしました。友人は、ドライブ中にも撮影をしているのですが、「手ぶれする」ってうるさいんです。

旅も終わりに近づいたころ、あることに気がつきました。彼は腰を軸にして回転していたんです。手ぶれって一見、上下運動に思えるし、私もそう思っていたのですが、一度回転だとわかると「ジャイロが使える!」とひらめきました。ジャイロは、空間における回転を検知するセンサーですからね。「自分が一度失敗した技術が使える」とひらめき、ひらめいたら1秒で答えが出ました。

 石川:1秒で!

大嶋:はい。1秒で手ぶれ問題を解決する原理を思いつきました。それが、いま実用化されている「手ぶれ補正」技術です。前の仕事がリンクして、発明が生まれたわけです。そういう意味では観察力の勝利でした。手ぶれ補正ではいろいろな賞をもらいましたが、結局私は何を発明したのかというと、「2番目の出口」を発明したのだといえます。

石川:なるほどぉ。では、振動ジャイロと手ぶれ補正がつながり、それが事業化するまではどういう流れだったのでしょうか?

 大嶋:その後、事業化するまでには6年かかりました。企業というのは通常、3年くらいしかプロジェクトをやらせてくれないものです。でも実際に事業化するには、3年を1クールとするならば、3クール必要です。

石川:どういうことでしょうか?

大嶋:最初の1クールでは「ゼロからイチ」を生み出し、次は「イチから10」をやり、3クール目で「10を1000や1万」にする、つまりは事業化するという流れです。そうやって9年単位でものごとを考え、9年先を見据えていくことがイノベーションにつながります。

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 その際重要になってくるのが出口戦略です。入口のイノベーションは、時期はいつでもいいんです。偶然生まれるから、タイミングというものはない。でも、出口はタイミングが大事です。早くても遅くてもダメ。これからイノベーションを起こそうという人は、入口と出口の見極めを心がけた方がいいと思います。

もちろん、入口の素性がいいことが大事です。入口の素性が悪い場合は、出口も大きくなりません。今やっている「光ID(リンクレイ)」は、私としては技術の素性はいいと思っています。現状では年間数億円の売上げですが、もし、いい出口が見つかれば、年間数百億円の事業に大化けする可能性を秘めていると思います。

 石川:手ぶれ補正のほかに、入口には失敗したけれど、出口戦略で成功したという事例はありますか?

大嶋:たとえばゲーム関連でしょうか。具体的には「ゲーム用光ディスク技術」の発明です。当初はアーケードゲーム用に事業化したのですが、年商数億円でした。しかし、数年後に家庭用ゲーム機に出口を変えたことで、結局、関連事業も含めると、累計で1千億円を超える営業利益をもたらしました。

石川:逆に、入口の素性はよかったけれど、出口に失敗した例もあるのでしょうか?

 大嶋:失敗例ももちろんありますよ。

大嶋:たとえば1985年に私のチームで発明した「CD-R」です。当時はオーディオ向けの用途を想定していたのですが、早すぎました。その後CD-Rはデータ記録用のニーズが発生し、他社が成功しています。このテーマは、出口のタイミングを3年遅らせれば成功したかもしれません。

「省電力CPU」にしても、社内での事業化には失敗し、米国の大手半導体メーカーに採用されました。まあこちらは、特許ライセンス料で数十億円ほど稼ぎましたが。

■「ソーシャライズしてはダメだ」とアラン・ケイは言った

石川:それにしても、いろいろな技術領域で既成概念をディスラプトするような発明を行える秘訣は、どこにあるのでしょうか?  若いころから「世界初か世界一じゃなければダメだ!」と教え込まれたからでしょうか?  あと、「左遷」時代に図書室で勉強したことも大きいのかもしれませんが。

大嶋:1988年に(パーソナルコンピューターの父とも言われる)アラン・ケイと会う機会があったのですが、そのとき彼は、「ソーシャライズしたらダメだ」と語っていました。「会社に入ってどんどん教育されていくのだけれど、それによって視野が狭くなってしまう」と。以来、上司の言うことを聞かなくなりました(笑)。

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 石川:あはは(笑)。

大嶋:あと、時代に恵まれていたということもあります。TV放送のデジタル化は1995年くらいでしたし、今も、自動車のAI化やEV化が急速に進んでいるじゃないですか。そうした100年に一度と言ってもいい転換期にたまたま居合わせていること自体、ついているといえばついている。私としては、そこに飛び込んで挑戦しているにすぎません。

あっ、ここでひとつ自慢をしてもいいですか(笑)?

石川:どうぞどうぞ(笑)。

 大嶋:みんながアナログTV放送の研究をしているとき、1989年くらいから、私はデジタルTV放送の研究をしていたんです。その後、デジタル放送の規格を巡って世界中の技術者が競い合いましたが、結果として私が勝ちました。勝ち負けの基準は何かというと、地上波デジタルTV放送の基幹部を担う「規格必須特許」に認定された件数になります。日米欧とも、私の規格特許が最も多く採用されているんです。特許のシェアは30%を超えました。

 当時、デジタルTV放送はアメリカが先導していました。MITで電気工学の教授をしていた、ウィリアム・シュライバーという人物がその流れを牽引していて、彼は米国議会で「デジタルTVをやるべし」と証言したことから、アナログHD放送からデジタルHD放送に流れが変わりました。彼と私は同じ方式の特許を出したのですが、私の方が出願日が早かったんです。数年後、シュライバーの研究室から「最近は何を研究されてますか?」という探りの手紙が届きました(笑)。

 ちなみにもう一人、1999年から2001年までベル研究所の所長を務めていた、コンピューターエンジニアのアラン・ネトラヴァリにも、4G携帯やWiFiなどで使われている通信速度可変型デジタル通信方式の基本特許で勝ちました。彼は、ノーベル賞級の研究をおこなっている人物です。

■「見立ての力」も、非常に重要

石川:人より早く研究テーマを見つける「見立ての力」も、非常に重要であるというお話ですね。そうした見立ての力を、ご自身ではどう分析していますか?

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 大嶋:私の場合の目利きは、パターン認識です。いろいろな成功パターンも失敗パターンもアタマに入っていますから。成功事例は10ですが、それに加えて30程度の失敗事例があるから、40ほどの事例のパターンがアタマに入っているわけです。この40事例のなかのそれぞれに、「あそこでこうしたら成功した/失敗した」というパターンが10件あるので、合わせると400くらいのパターンがアタマに入っているのです。

なのでパッと見て、「これはあのパターンだな」ってすぐに判断できます。要はリンク力です。「これはあの時と一緒だから危ない」とか、パッとわかるので目利きができる。

 石川:大嶋さんは、そもそもものごとを見る時に、「それが世界初かどうか」という視点で考えているわけですものね。そのコンセプトで40年活動をしてきたわけですから、もう、溜まっている知見が圧倒的なのだと思います。

大嶋:「世界初、世界一」以外はやりません。無線研で感染した「イノベーター菌」が、私の中では消えることなくずっと生きているわけですから。

松下幸之助は、無線研というハコを作って500人くらいの研究者を集め、少し尖った無垢な新入社員をそこに放り込み、どんどんイノベーター菌に感染させていきました。立ち上げ当初、無線研には大学の助教クラスや、通産省(当時)の研究所からイノベーターたちが集められおり、そのマインドやノウハウを、私たちのような後輩の研究者は伝承することができました。しかし失われた20年の影響で、現在その伝承は分断されてしまっています。私のこれからの使命のひとつは、その状況を打破し、若い世代のイノベーターを育成していくことだと考えています。

 当社は今年100周年を迎えますが、現在の社長である津賀一宏は、創業以来、初めての研究所出身者です。しかも無線研究所出身ですので、イノベーターに理解がある経営者です。これを好機としてイノベーションの風土が生まれ、若きイノベーターも育ち、よりイノベーティブな企業として、次の100年に向けて大きく飛躍することを期待しています。

大嶋と石川の対談は、六本木ヒルズにある森ビルの会議室で行われた。石川が声をかけた研究者、スタートアップ、ベンチャーキャピタリストといったメンバーが、対談の様子を生で体験することとなった。

 (TEXT BY TOMONARI COTANI、PHOTO BY KOUTAROU WASHIZAKI)

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「HILLS LIFE DAILY」編集部

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2018-06-02 まじめに幽体離脱。

[]もっとウェブ進化。 もっとウェブ進化。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク もっとウェブ進化。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

インターネットが普及しだして(20年前)、どんどん「あらゆる時間差」がなくなり、もうそれもかなり極まったかな、と思っていた。
というかここ20年、ずっと「もう今が最新の進化ではないか」と思っていたが、常に予想は覆された。

VRが出てきて「いよいよここまでか」とまたも思ったわけですが、まったく違う視座もあった。
自分のアバターが現地で実際に動き。
その触感が自分に返ってくるという。

確かに幽体離脱という気がする。
災害現場でも活躍するだろうが、本当に「人の体験」に制約がなくなる可能性がありそうだ。

世界旅行でも、いや宇宙旅行だって遠隔で可能になり。
そうしたら、街中や観光地や山や海や極地は「アバターとして動くロボットだらけ」になるのだろうか。

人は究極には移動しなくなるのかもしれない。
いや、部屋の中では(体を動かして)移動行為はしているから、もう「どちらが移動なのか」を問う意味もなくなりそうだ。

人には辛い単純作業を肩代わりしたり、
世界中から「労働」に参加したり、
瞬間に移動して「その場へ旅」したり。

技術の底はまだ見えない。


移動をなくす、「幽体離脱」のテクノロジー

5月29日、テレイグジスタンス(Telexistence Inc.)とKDDIによる「遠隔操作ロボット量産型プロトタイプMODEL H」の記者発表でのことだ。

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「このなかで小笠原諸島に行ったことがある人、いますか?」

軽く200人をこえる記者会見場で、テレイグジスタンスの共同創業者CEO、富岡仁がステージ上から質問すると、手を挙げたのはわずか3人。

ステージ上で富岡が続けて、こう話す。

「2011年、小笠原諸島は世界自然遺産に認定され、観光資源に恵まれています。しかし、アクセス手段は客船だけで、毎日出航しているわけではありません。所要時間は片道24時間かかります。100kmという距離が小笠原諸島での体験を難しくさせているのです」

富岡が提案したのがTELEXISTENCE TRAVEL。「MODEL H」はKDDIグループの伝送技術を活用。ロボットを自分の「分身」として、遠いところで活動させることを可能にした。つまり、距離や空間を超えて、分身のロボットを通じて、視覚・聴覚・触覚などの「体験」を自分に伝えることができるのだ。2018年夏、このロボットを使って小笠原諸島の体験ツアーを始めるという。

「距離を超えた体験」とは何か?

「MODEL H」の開発段階から密着したForbes JAPANによる特別レポートを紹介しよう。

実は、海外でもテレイグジスタンスに早くから注目し、驚きの声をあげた人たちがいた。話は2年前の2016年8月3日に遡る。

この日、Xプライズ財団のビジョネアーズ・プライズ・デザインというチームがお台場にある日本科学未来館を訪ねた。非公開の研究棟にある一室で、彼らはヘッドマウントディスプレイを装着。手袋をつけて体を動かした瞬間、驚きの声を上げた。「まさに、これだ!」

手を自分の目の高さまで上げる。しかし、目の前に見えるのは自分の手ではない。研究室に置かれた「テレサV(ファイブ)」の手だ。テレサVは「MODEL H」の一代前のロボットである。

ヘッドマウントディスプレイをつけた者が動くと、ロボットも同じ動きをする。ヘッドマウントディスプレイで見る光景は、テレサVの目から見える景色だ。テレサVが「私」を見れば、私の目には「私」が見える。そう、私の身体がもう一つ、ロボットとして存在する。つまり、「私の分身」なのだ。

「動き」「視界」だけではない。ロボットが手で感じる「触覚」が、同時に自分の手に伝わってくる。
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新たな産業を創出する

亀を触る感覚や温度が、遠隔で人間にも伝わる

「これが探し求めていたアバターだ!」。感嘆の声を上げるビジョネアーズは、代わる代わるテレサVを自分の分身にしては喜んだ。遠隔地と同じ場所にいるような感覚にさせる「テレプレゼンス」という概念とは違い、触覚や体験を分身と共有する。

言うなれば、幽体離脱し、ロボットを自分の身体とする人間の究極の存在拡張。この概念を、舘翮(たちすすむ)東京大学名誉教授は1980年に発表。それは「テレイグジスタンス」と名付けられた。以来、36年。日本のロボット工学とVR(バーチャルリアリティ)を引っ張ってきた舘教授が開発したのがテレサVだった。

それから約2カ月後、Xプライズ財団はサミットを開いた。財団の目的は、「人類のブレークスルー」だ。これまで有人弾道宇宙飛行コンテストや、海水からの原油回収など、大規模なプロジェクトを開催している。

リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行が、人間の移動や観光という新たな領域を爆発的に広げたように、世界規模の賞金レースによって新たな産業を創出する企画だ。

約300人のメンターと呼ばれる投資家、学者、実業家、慈善事業家、芸術家、技術者が集まり、次期賞金レースの候補である9つのテーマを2日間にわたって審査した。このとき実演されたのが、舘教授が開発したテレサVである。

そして舘の研究は、ついに世界的レースの次期テーマになると決定した。これが、つい2年ほど前の出来事だった──。

96社を訪ね歩く

富岡仁が上海の裏通りにある安宿に辿り着いたのは2018年1月である。「相当やばいですよ」と苦笑する彼の宿泊先は、一泊3000円。視察先は、中国で増え始めた無人店舗だ。

「中国に行く前に、日本で96社を7カ月かけて回り、テレイグジスタンスの概念を説明して歩きました。96社のうち、現在1割の企業と話を進めています。スタートアップとしては、かなりの打率と思いません?」

屈託なく富岡が笑う。96社と中国視察。彼らが取り組むのは、私たちの「働き方」のブレークスルーである。彼らの会社設立の経緯はこうだ。

2016年のXプライズ財団の決定により、舘のもとには世界からビジネス化の依頼が殺到していた。世界初を実現させた研究を誰かが量産・普及化させなければならず、事業化は喫緊の課題だった。たまたま舘の研究室に出入りしていたのが、元三菱商事の富岡である。1979年生まれで、テレイグジスタンスの概念を舘が生んだときはまだ1歳だった。

富岡が振り返る。

「僕はもともと甲子園球場の高校野球をVRで生配信できたら面白いなと、VRの事業化を模索していました。VRの話で先生方とお付き合いをしていたら、会社を一緒にできないかと相談されたのです」

17年1月、舘を会長に据えて、テレイグジスタンス社は設立された。ベンチャーキャピタル「グローバル・ブレイン」はKDDIとともに出資を即決。世界中のロボットベンチャーを見てきた同社の青木英剛は、その理由をこう話す。

「理想のロボットは、ドラえもんです。しかし、現在の自動ロボットはまだ赤ちゃん以下のことしかできません。一方、テレイグジスタンスは人間が間に入ることで、人間と同じように完璧に動きます。汎用技術なのであらゆる産業で応用できます」

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エリートを捨てた若者たち

もともと舘の概念は、83年に始まった国家プロジェクト「極限作業ロボット」の中核をなす。ロボットは構造化された既知の環境でしか作業ができず、原子力、海洋、石油コンビナートなどでの作業は、人間の判断が必要な局面が多い。そのため、遠隔から知能ロボットを分身のように動かすことを目指したのだ。

エリートを捨てた若者たち

もう一つ、青木が「日本には珍しい勝ちパターン」と言うのは、「経営」である。

「大学発ベンチャーは技術は素晴らしくても、経営人材を会社設立後に入れる例が多く、技術陣と噛み合わずに空回りしてしまう。しかし、テレイグジスタンスは設立時に駒が揃っていて、事業戦略がしっかりしています」

日本人、スリランカ人、チェコ人など多国籍チームでスタートした同社は、「スーパーエリートチーム」として語られているが、むしろ突き動かされるようにエリートを捨てた若者たちと見た方がいい。

日本人の父と台湾人の母の間に生まれた富岡は、生後まもなく父親を病気で亡くしている。「え、それ、書くんですか」と、富岡がたじろいだのは彼の高校中退後にまつわる話だ。高校1年の1学期で「つまらなくて」と、退学届を出した後、16歳の職場としては大胆だが、五反田のキャバクラで皿洗いをしていたという。

「朝帰りの生活を1年ほど続けていると、ある日、母親からカナダにいる親族の結婚式に行こうと言われました。到着した翌日、母は私のパスポートを持って帰国してしまい、『卒業するまで帰ってくるな』と、高校の手続きまでしていたんです」

外はマイナス40度。言葉は通じない。定期的に母親から送られてくる段ボール箱の中身はすべて書籍で、孫正義、本田宗一郎、稲盛和夫ら起業家の本だった。

「暇だから読むんですが、孫さんの本を読むと、俺、何やってんだという気持ちになるわけです」と、彼は苦笑する。母親の計算通りか、その後、アメリカの大学を卒業し、スタンフォード大学経営大学院修士を取得。三菱商事では大きなプロジェクトを動かしてきたが、そうした安泰のコースも「孫正義さん的に言えば、幻想(笑)」と、会社を飛び出したのである。

もう一人、富岡と96社を手分けして回った同社COOの彦坂雄一郎は、世界で戦いたいという思いからプロのサッカー選手を目指していたが、大学4年時に父親が経営していた小さな運送会社が倒産。家庭の事情により、サッカー選手を諦めて、東大大学院、そしてゴールドマン・サックス証券に入社した。が、新人研修が終わった直後に今度はリーマンショックに襲われた。周囲はリストラされたため、嵐のような日常を切り盛りしていく。

「お前は1年で金融業界の20年分を見たと言われましたが、9年続けたとき、テクノロジーの世界で革命が起きているのに、理工学部出身の僕が技術の世界から遠のいている。舘先生の研究を世に出して勝負したいと思ったんです」

彼らはテレイグジスタンスを「輸送革命」と捉えた。「移動をなくして、どこでも働ける」からだ。例えば、南米から日本に出稼ぎに来なくても、工場にテレイグジスタンスを置いておけば、日本が夜の間、昼間の南米から遠隔でロボットに作業させることができる。

普及させるには二つの課題があった。まず、ニーズはどこにあるか。そして、ヒューマノイド型ロボットはコストが高く、商業的に成功させた企業はない。この歴史的事実をどう克服するか、だ。

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ロボットを使った技術の伝承

「御社のビジネスエリアではこういうことができます」と、各産業の大手から訪ね歩いてみると意外だった。彦坂が言う。

「正直、クレイジーな話なので理解されないのは仕方がないと思っていました。しかし、自分たちの仕事を変えたいと熱く語る方々は大企業にもいたのです」

災害救助や建設業など危険作業の代替は容易に想像がつくが、例えば、アパレルは華やかな店頭での仕事よりも、梱包を解いたり検品をしたりする倉庫作業の時間が圧倒的に長い。人手不足の悩みは業界ごとに背景が違うことを知った。

ある日、彦坂はKDDIの紹介で、石川県七尾市のエフラボという「日本最大の椅子再生工場」に飛んだ。全国のホテル、結婚式場、劇場、病院、あるいはハワイのホテルからも椅子修理の注文が来る。

「遠方から能登半島への仕事が来るということは、それだけこの職業に就く人が少ないことがわかりました」と彦坂は言う。椅子は滅菌をした後、布地を剥がして分解し、歪みを直し、新たな布地の裁断、縫製、加工と細やかな作業が求められる。エフラボの松井正尚社長が言う。

「もともとこの地域はアパレルの縫製工場が多く集まっていたのですが、生産拠点が中国に移ったことで激減しました。80社ほどあった建具業も6社まで減っています。職人が集まりにくく、50代以上が中心です。若い人の技術習得には時間がかかります。そこでロボットと人間の仕事をうまく使い分けられないかと思ったのです」

テレイグジスタンスは最終的に「ハイブリッドモーションプランニング」というものを目指している。ベテラン技術者の動きをロボットが機械学習で習得していく。そして若い未習熟者の作業をロボットが補正する。つまり、ロボットを使った技術の伝承だ。また、一人の技術者の動きを10台の機械で動かせば、作業量は10倍になる。ロボットの完全自動化はまだ先の課題だが、彼らに見えてきたテレイグジスタンスの核心は、「都市の人口集中の緩和」である。

昨年8月、大分県庁東京事務所の武藤祐治はテレイグジスタンス社を訪れた。「概念を知らなかったので、衝撃でした」と武藤は言うが、彼は富岡と彦坂に面会を重ねるうちに、可能性を広げていく。

最初に武藤が思いついたのは、地方在住の者なら容易に予想できる課題だった。

「大分県は果樹栽培が多く、ブドウ棚はずっと上を見ながら摘む作業があります。ハウスみかんなどビニール栽培は、夏になると、過酷になります。高齢化する生産者の負担軽減になると思いました」

東京にいながらテレイグジスタンスを活用した観光体験もできる。「温度が伝わるのなら、温泉に入れましょう」という提案には、彦坂が「水は勘弁してください」と苦笑したが、東京でビラを配ったり、動画を見せたりするよりも、大分を遠隔体験する方が誘客につながるだろう。

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都市の人口集中の緩和

しかし、武藤は時間が経つにつれて、別のことを考え始めた。それは「地方は人口減少で人手不足」という課題への疑問だ。県庁で情報インフラを担当していたころ、彼は夕方に退庁すると、障害者施設や引きこもりの家庭を訪ね歩いた。

「情報インフラと言う前に、もっとやることがあるような気がしました。引きこもりの子がいる家庭は予想以上に多く、高齢の親は子どもの将来を心配しています。外出できないのは対人コミュニケーションが原因です。環境を用意することが重要ではないかと思うようになりました」

発達障害や身体障害がある人たちにも話を聞くと、社会参加を望んでいる。しかし、施設の仕事は割り箸の袋詰めのような作業に限定されており、平均月収は2万円ほど。自立にはほど遠い。

「労働力って健常者だけではないと思いました」と武藤は言う。働きたくても仕事に行けない事情がある。大分県内だけでもこうした「潜在的労働力」は放置されたままだ。一体、日本でどれだけの人が置き去りにされているのか。公民館などで作業環境をつくり、大都会の仕事を遠隔でできないものか。つまり、都市と地方から「距離」の障害をなくすことで、「働く」という概念を一気に変えられる。

武藤の話を聞き、富岡と彦坂はこう答えた。「それは、テレイグジスタンスの目指すところです」。

可能性を広げる無人店舗

富岡たちが考えたのは二本立て戦略だった。一つは宇宙事業といった時間あたりのコストが極端に高い、「高負荷・高単価」の仕事である。もう一つが小売りだ。産業の中でもっとも従事者が多く、有効求人倍率も2.6倍(2017年)。しかし、店舗がある地域の人しか働けないため、人手不足が起きている。富岡が言う。

「中国で急速な勢いで無人店舗が増えています。ただ、無人化しているのは決済の部分だけです。入荷、検品、陳列、接客のうち、自動化・遠隔化できるものはもっとあると気づいたのです」

富岡は三菱商事時代、シリコンバレーでファンドを組んでいた習性から、小売りのアイデアを数字にしてモデリングしてみた。「僕の中では大ホームランの発想でした」と言う富岡に、採算は? と問うと、彼はこう答えた。「ありでした」。

小売、旅行、危険作業から社会参加をしたくてもできない人たちの就労や都市の集中緩和まで。「距離」という考えがなくなると、人間の生活はどう変わるのか。この夏、「MODEL H」がまずは「観光」から可能性を切り開いていく。

富岡 仁◎テレイグジスタンス共同創業者兼CEO。スタンフォード大学経営大学院修士。2004年に三菱商事入社。16年にジョン・ルース元駐日大使や米ベンチャーキャピタル「アンドリーセン・ホロウィッツ」のパートナーだったアシュビン・バチレディらとグロースキャピタルファンド「Geodesic Capital」を組成、運用。

舘 翮◎1946年生まれ。東京大学名誉教授、工学博士。バーチャルリアリティを学問領域として確立し、日本バーチャルリアリティ学会初代会長を務めた。ロボティクスと計測制御の国際化に貢献し、国内外の賞を数多く受賞している。

2018-05-27 起業家に空き家。

[]変化の中。 変化の中。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 変化の中。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

東京都が「社会的起業家」に空き家を仲介するという。
都心のオフィス賃料はまだまだ熱している一方、空き家もどんどん増えている。
こうした"シェアリング"が進めば、数年後には驚くような効率化ができているだろう。

大企業以外は、都心のオフィスビルから撤退しているのではないだろうか。
今の「一流オフィス幻想」がいよいよ変わってくるのではないだろうか。

さらに「働き方」も全然違ったものになりそうだ。

社会的起業家に空き家を仲介 都、今年度にモデル2事業 調整者を選定/貸主の税軽減
2018年5月18日

東京都は社会的課題を事業として解決する社会的起業家に空き家を仲介する事業を始める。2018年度中にモデルとなる2事業を決める。物件情報の提供や所有者との調整をするコーディネーターを選ぶほか、空き家の貸主の税を軽減する。立地に合った事業プランを練ってもらうことで、起業家育成や空き家の活用とともに地域の問題を解決する仕組みにする。

コーディネーターは専用窓口を開設して空き家情報の提供を始め、無料で起業家の相談に応じる。空き家の所有者と起業家の賃貸借契約に向けた調整も担う。

起業家に仲介する空き家は一軒家に限定する。紹介した物件で賃貸借契約に至った場合はコーディネーターに5万円、所有者と調整したがまとまらなかったケースでも2万5千円を支給する。都の担当者は「起業意欲を駆り立てるような好物件を紹介してもらいたい」としている。

都はコーディネーターとなる不動産業者を募集し、5社程度を決める予定だ。

6〜9月には起業家の事業プランを募集する。例えば、児童養護施設を退所した18〜19歳の若者の自立を支援するシェアハウスへの転用プランなどを想定している。11月には審査会を開き、モデルとなる2事業を決める見込みだ。採択された場合、上限300万円の都の創業助成制度を利用できる。

事業プランに空き家を提供した所有者には固定資産税や都市計画税を最大3年間減免する。

国の調査によると、13年に都内の空き家は約82万件にのぼった。「どういう物件であれば活用しやすいかなどのノウハウを積み上げたい」(産業労働局)。再生可能な物件は限定的だが、19年度は規模を拡大して、社会的課題と空き家問題の両方の視点から事業を進める見通しだ。

本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。

2018-05-26 複眼。

[]自分の舵取り。 自分の舵取り。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 自分の舵取り。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

現在、様々なメディアで活躍されている堀潤さんの記事。
メディアの一員(それもNHK)という立場ながら、「自らの将来をどう考えるか」ということを実践されているところが、若い人には聞いて欲しいところだ。

キャリアから見ても、高レベルで過去の成功パターンに近いほど「外」を見る目は乏しい。
大企業や高級官僚が「よそ」に目が向かないのは、それだけ自分たちの世界が強固だからだ。
「閉じた世界」で定年(やその後のポストまで)を迎えるつもりの人はそれでいいが、
昨今は「そういうのはつまらない」と素直に声をあげる人も多い。

日本企業は、その強みでもあるけれど「転職前提」では働いていないから、自ら勤める大企業を出てしまうと戸惑うことも多い。
日本的雇用は、将来的には再び見直される、と自分は思うけれど、ともかく「会社が一番には考えてくれない、自分のキャリア」については常々考えておいたほうがいいと思う。

いざ、「転職の時」にはその転機を逃さないような準備は日頃から必要ではないだろうか。


「辞める1年前にNPOを立ち上げていたから今がある」元NHKアナウンサー堀潤氏の退局秘話

5/23(水) 10:01配信

堀潤氏

 働き方改革の文脈の中、副業解禁の流れが出てきている一方、若者の中には“お金離れ“や、仕事に対してやりがいを見失っているのではないか、という見方もある。NHKという組織を飛び出し、フリーランスとして活躍する堀潤氏は、昨今の議論をどう見ているのか。

■上司に首根っこ掴まれて…NHK退局に至るまで

 堀:ウェブサービス「ココナラ」代表の南章行さんが立ち上げたNPOの名前でもある「二枚目の名刺」という考え方がヒントになると思います。

組織にいて一番もどかしいのは、「これがやりたい、絶対やったら良い」と思っても、自分に裁量が無いために実現できなかったという、充実感や裁量権の悩みがあるのではないでしょうか。そういうところから、そもそも自分はなぜ働いているのか疑問を持ってしまう。そこで、スピード感を持って自己実現できる場を一つ持っておくと良いのではないかと思います。もちろん副業ができる会社だったら副業としてやるのもいいし、そうでなくてもSNSで繋がった誰かとプロジェクトを立ち上げるのもいい。本業の他に、自分らしさが表現できることが大切だと思います。

もちろん、サラリーマンかフリーランスか、という対立軸もありますが、あっちでも稼いで、こっちでも稼いで、というだけでは単なるダブルワーク、トリプルワークですよね。僕自身も、NHKを急に辞めたように思われているんですが、実はその1年前にNPOを立ち上げてるんです。

ーーそんなことができるんですか?

できた(笑)。ダメかなと思ったんですけど、「ニュースサイトを作りたい、その受け皿になるNPOを作って運営したい」と上司に相談しました。副業規定で収入を得るのは禁止されているけれど、個人の範囲内での表現活動は制限されるものではないので。

ただ、その前段階として“Twitter騒動“があったんです(笑)。その話もしましょう。

もともとNHKの内規で、個人でTwitterをやってはいけなかったんです。でも2010年、これからは双方向の時代だよなあと思って、名前も肩書も晒し、「@nhk_HORIJUN」として勝手に始めてしまいました。でも、フォロワーが5000人超えた頃に見つかって、直属の上司に首根っこ掴まれて「来い!」って(笑)。そこで「これからはNHKも皆さんとやりとりする必要があるんではないですか」と言ったら、デジタル部門のトップの方が「そういう狙いなら認めましょう」と、特例で認めくれたんです。

翌年には東日本大震災、福島第一原発があって、秋口くらいに「やっぱりやめてくれ」と。「闘いましょうよ」と言いましたが、当時の上司の説明では、政治家からクレームがあったそうです。それでもニュースセンターの先輩たちが「それはおかしい」と動いてくれました。NHKの顧問弁護士にかけあった結果、「表現の自由は内規に勝ります。憲法で保障されているからです」と。ただ、「@nhk_HORIJUN」は一旦クローズして、直ちに個人アカウントを立ち上げようという話になりました。

ーー代わりに「所属団体と関係ない」みたいな断り書きを入れるとか?

堀:業務時間内にはつぶやかないというルールです(笑)。だから「休憩取りまーす!」って言ってから投稿してました(笑)。だから“意外にできた“というより“勝ち取ってきた“という感じなんですね。その後、局内にネット報道部が立ち上がりましたし、当時、相棒として一緒に番組をやっていた飯田圭織デスク(現:ロサンゼルス支局長)もブログを始めたり。

そういう一連の流れから、局内にも“堀はそういうやつだ“という雰囲気が広がっていたので、NPOの活動が始めやすかったのかもしれません。あとは局と覚書を交わして、NPOの登記も提出して。だから『週刊文春』に「副業してるんじゃないのか?」ってつつかれましたけど、違いますよって!(笑)。

そういう“乗り換え時間“があったのは良かったと思います。足場を1年掛けて準備して、そこから少しずつ積み上げていけばいいなと思っていたので。

だからこの春に入局した、お笑いタレントのたかまつななさんが業務外でどういう活動をしていくのかも楽しみです。社長さんがご病気になられたので、NHKを辞めるかどうかの選択を迫られ、サポートしてくれる仲間を集めています。NHKにも暖かく支えてほしいですし、そういう経験は取材者としても貴重なものになると思います。両立には心も体も時間も必要ですし、強靭さも求められる中、アクションし続けていて偉いなと思います。たくましいですよ。

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堀潤氏

■副業や「二枚目の名刺」で身につけたスキルが付加価値になってくる

ーーアメリカではリーマンショック以降、それまで投資銀行に行っていたような人たちの間でも社会貢献への関心が高まり、NGOが人気の就職先になってきているという話もあります。しかも、ちゃんとお給料ももらえるようになってきている。

人材サービスのパーソルと、僕のNPOが加盟している新公益連盟では、NPOやNGOに関心のある人を対象にした就職説明会を開いています。実は毎回、予想を上回る申込みがあって満席になっているそうで。やっぱり日本でもそういう業界への関心が高まっていると感じます。

受け入れる側も、いわゆる“NPO村“というか、“そんなに給料も高くないですけど…“みたいな意識を変えていこう、信用・信頼を高めていこうという雰囲気になってきています。そうした業界内改革の一つの取り組みとして、「コレクティブインパクト」というのがあります。これはNPOと行政と民間企業による枠組みで、社会問題を解決し、しかも持続可能なビジネスを作ろうというものです。

代表的なプロジェクトに「子ども宅食」があります。これはNPOと文京区と物流・飲食の企業が連携しました。しかも、ふるさと納税のクラウドファンデイングを通して、目標額の400%くらいを集めることにも成功しました。渋谷区でも、NPOと渋谷区と学習塾などの企業が連携し、経済的に厳しい子どもたちが塾に通えるクーポンを渡すプロジェクトをスタートさせています。

今まで、なんとなく「最前線で孤軍奮闘している社会起業家たち」というイメージもあり、「そこで働くのはしんどそうだな」と思われていたかもしれませんが。持続可能なビジネスとして、ソーシャルセクターが成熟しつつあります。これから副業が解禁されていく流れの中で、自分が持っているノウハウをあの団体で活かせれば、やりがいになるなと思える、そういう繋がりが生まれつつあるのが希望だと思います。

だからメディアの中で働いている人が「この素材はお蔵入りになるんだ」と思った時に、外で活かせる環境も整っていくと良いですよね。当時それができてたら、僕は辞めてたなかったかも知れない(笑)。

ーー今、そのノウハウを持って戻ってこいと言われたら?

僕は戻らないけど(笑)。でも、そういう意味で、最初にお話した「二枚目の名刺」という考え方はとても効力のある話だと思います。「プロボノ」といって、自分の持っている知識やスキルを活かして社会貢献するという動きも増えていますから、副業禁止の会社であっても、なんとなくプロジェクトに関わってみると良いのではないでしょうか。

そこでは人脈が生まれます。業界が違えば仕事のノウハウも、稼ぎ方も違うので、そこで見聞きしたことがいつか自分の本業に返ってきます。これからはどの業界でも、様々なサービスや製品を組み合わせていかなければならない時代になっていると思います。そうなると、副業や「二枚目の名刺」で身につけたスキルが付加価値になってくると思いますよ。

■プロフィール
1977年生まれ。ジャーナリスト・キャスター。NPO法人「8bitNews」代表。立教大学卒業後の2001年、アナウンサーとしてNHK入局。岡山放送局、東京アナウンス室を経て2013 年4月、フリーに。現在、AbemaTV『AbemaPrime』(水曜日)などにレギュラー出演中。

2018-05-23 産業のバランス。

[]潮目が変わる。 潮目が変わる。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 潮目が変わる。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

日本の国難
世界的にはお金はだぶついているらしい、どうも。
けれども多くの国は赤字だという。
仮想通貨はすでに1000種類以上あるそうだが、実物貨幣を嫌って「退避現象」だという人も多い。

少し冷静に考えれば「金とか米とかの現物に基づいていない」お金の価値が不安定なのは自明ことだと思う。
日本だって中国だって「いろんな理屈」を唱えて国債を発行したり、資金の規制をしたりする。
世界が(通貨としてだけでも)一つの国にならないと、「為替の最適化問題」というのは永遠に続くのに違いない。

先進国ではどこも農業や製造業からの離脱が進み、7割はサービス業になっているという。
この辺りに歪みの原因があるのではないだろうか。

足元では、既に「ホワイトカラーの崩壊」が始まっている、という声もよく聞く。

政治も行政も実業も、「リアルな世界」なしに机上で理屈をこねている時期はいよいよ終わりそうだ。

いよいよ政治に頼るのではなく、「自分の意思で自分の場所を探す」時代になったと思う。
面白い時代の分かれ目ではないだろうか。

アベノミクスで日本の8割が貧しくなる理由

4/27(金) 6:00配信

 早いもので、2020年の東京オリンピックまで、あと2年余りとなりました。私も1人の国民として、ぜひともオリンピックは成功させてほしい、と思っています。

【図】ガソリン価格等が乱高下する米国バブルはいつ破裂してもおかしくない

しかし、2020年の世界経済は、2008年秋のリーマンショックほどとは言わないまでも、世界的な借金バブルの反動によって、世界同時不況を迎えているのではないかと予測しています。とりわけ日本経済は、米国と中国の好景気に多大な恩恵を受けているので、その悪影響が最も及ぶ国の1つで、経済成長率が主要先進国の中でいちばん落ち込むことが考えられるのです。

 実際に、リーマンショック翌年の2009年の成長率はマイナス6.0%にまで落ち込み、主要先進国の中で、日本は突出して下落率が大きかったわけです。

大企業と国民の間にある大きな乖離

近年、大企業経営者が集まる催しに参加するたびに思うのは、大企業の景況感と国民の生活実感の間には大きな乖離がある、ということです。多くの経営者が口をそろえて、「とても景気がいい」「史上空前の好景気だ」という見解を述べているのですが、2018年の初頭にはそういった見解がことのほか強調されていたように思われます。

 確かに、大企業の世界では多くの企業が収益を拡大することができているので、彼らだけを見ていると、または、彼らだけの世界で生きていると、おそらく私も「日本は好景気だ」と錯覚してしまうかもしれません。

ところが、私はふだんから、経済を分析するうえで経済成長率や企業収益はその一面にすぎず、本当の意味での好況・不況の判断は国民生活の実感で決めるほうが適当である、と考えています。そういった意味では、国民のおよそ8割が「景気回復を実感していない」という事実は、国が判断する景況感に重い課題を突き付けているように思われます。

 産経新聞のような政権寄りのメディアであっても、日本経済新聞のような政治に中立的なメディアであっても、朝日新聞や毎日新聞のような政権批判が十八番のメディアであっても、世論調査においてはおおむね、景気回復を「実感している」と答えた人々が2割、「実感していない」と答えた人々が8割、という結果が出ているのです。

私は2013年にアベノミクスが始まった当初から、「アベノミクスの恩恵を受けられるのは、全体の約2割の人々にすぎないだろう」とざっくりとした感覚で訴えてきましたが、その後のメディアの世論調査でも、おおむねそれに近い結果が出ていたということは興味深い事実です。私がなぜ約2割の人々だといったのかというと、富裕層と大企業に勤める人々の割合が大まかにいって2割くらいになるからです。

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4/27(金) 6:00配信

 アベノミクスが円安によって株価や企業収益を高めるかたわらで、輸入品の価格上昇によって人々の実質賃金を押し下げるという弊害をもたらすことは、最初からわかりきっていたのです。要するに、普通に暮らす残りの8割の人々は、未だにアベノミクスの蚊帳の外に置かれてしまっているというわけです。

私は地方へ仕事にいくたび、その地方の景況感をいろいろな立場の方々にうかがっているのですが、2014年〜2017年にかけておしなべて共通していたのは、大企業に勤める人々が「景気はよくなっている」と実感していたのに対して、その他の多くの人々は「景気なんてよくなっていない」とあきらめてしまっていた、ということです。

■「景気がいい地域」なんて本当にあるのか

さらに私は、最寄り駅から講演会場などまでタクシーに乗車する機会があったときには、運転手さんに「景気はどうですか?」と必ず聞くことにしていますが、その間、誰ひとりとして、「景気がいい」と答えた人はいなかったのです。東京であろうが、大阪であろうが、名古屋であろうが、返ってくる答えは、一様に芳しくないものばかりでした。中国や九州などでは不況としか思えないような答えが返ってくる有り様です。正直なところ、これが日本経済の掛け値なしの実態なのです。

 そのような好ましくない状況の中で、オリンピック前後に不況が到来したら、どうなってしまうのでしょうか。確実に言えるのは、富裕層と呼ばれる人々よりも普通に暮らす人々のほうが、生活水準が著しく悪化するのが避けられない、ということです。

これは2008年の世界金融危機後の米国や欧州で顕著に見られた現象ですが、そういった現象から未だに脱却できていないからこそ、米国ではドナルド・トランプ大統領が誕生したのであり、欧州ではポピュリズムが台頭して各国の政治が不安定になっているのです。米国は経済成長という視点で見れば間違いなく優等生になりますが、株主や企業の利益ばかりが優先されてきた結果、国民生活は置き去りにされてきてしまったわけです。

 私は経済成長率の数字そのものより、その成長率の中身のほうがはるかに大事なのではないかと考えています。そして、経済指標の中でいちばん重きを置くべき指標は、決して経済成長率の数字そのものではなく、国民の生活水準を大きく左右する、実質的な所得ではないかとも考えています。

拙書『日本の国難』においては、今後5年のスパンで考えた世界経済や日本経済の方向性だけでなく、10年後〜20年後までを見据えた、日本の経済、雇用、企業、賃金がどのようになるのかについて説明しています。ぜひご覧いただければ幸甚です。

中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト

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2018-05-22 日本的雇用の終焉。

[]自由に働く時代。 自由に働く時代。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 自由に働く時代。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

日本の社会人の象徴だった初任給が揺さぶられている。
かくいう自分も、就職の時に「なんでこうもすべての会社の初任給は20万円に揃えられているのか」と不思議に思ったものだ。
年功序列はともかく、「終身雇用」の色は未だに濃く、一時期は「日本的経営」のお手本のようにも取り上げられていた。
しかし時代は遷ろう。

自分は雇用契約は、お金次第で絶対に流動化したほうがいいと思うが、いよいよ今年あたりから「日本的雇用」は変わり始めているのだと思う。

同質性を最優先した初任給や昇級のシステム、失業保険や退職金。
全社員を対象にした就業規則や割増し賃金制度とか。

スタートアップの俺についてきてくれるのなら月に50万出す!」とか。
大企業でも「当プロジェクトは出来高制、ストックオプションを出します!」とか。

そう思えばこれまでの雇用慣行というのは、凄まじく「右向け右」だった。
気持ち悪いくらい。

あまりに狩猟的に報酬が上下するのも殺伐とするけれど、仕事の内容とか、パフォーマンスとか、ゴールとか、そんなものに個別に呼応していく時代がついに来たようだ。

みんなが喜んで自発的に参加してくれるような仕事はやりやすくなるのに違いない。


中国発「初任給40万円ショック」 賃金革命 (ルポ迫真)

 4月1日に社会人になった吉田真也(24)は大学でコンピューターサイエンスを学んだ。就職活動中、何社かから声がかかり、選んだのがいま東京・新宿の本社に毎日通うLINE。「自分の技術を適切に評価してもらえている」というのが入社する決め手になった。

 そう感じたのは就活中の2016年12月だ。18年春入社が内定した吉田は会議室で採用担当者と向き合った。「これが吉田さんの初任給です」。福利厚生など労働条件を一通り説明した担当者はおもむろにホワイトボードに数字を書いた。

 同社のエンジニアの初任給は最低で年間501万6千円。選考過程の成績に応じて高くなる。吉田は通常の正社員だが成果に応じて毎年の給与が決まる年俸制。成績優秀者の初任給が100万円以上高い「スペシャリスト選考」枠に選ばれた。

 経済産業省の16年の調査によると日本のIT(情報技術)人材の20代の平均給与は年間413万円。米国の1023万円に比べると少ないが、世界規模での人材争奪を意識する日本企業も徐々に引き上げている。

 初任給を見直す動きも目を引く。売り手市場という理由だけではない。能力や意欲があり結果を出す人材に厚く配分する仕組みが初任給にまで行き着いた。LINEの人事担当執行役員、落合紀貴(43)は「個々人が納得する年俸を提示しなければならない」と言う。

 3月上旬、フリマアプリのメルカリ(東京・港)にエンジニアとして1カ月後に入社予定の毛利竹宏(23)にメールが届いた。差し出したのはメルカリ人事部。入社は半ば決まっているのに、「メルカリの一員となっていただきたく、以下の条件で採用オファーをさせていただきます」と恭しい文面だった。年俸は1年前に決まっていた額よりも高かった。

 一部の内定者の年俸に入社前のインターンシップなどの成果を反映し数十万円から数百万円を上乗せする制度が適用された。毛利は米子会社で新機能を開発した実績が評価された。「メルカリで本気で世界を目指したくなった」。毛利は言う。

 日本企業の人事担当の間で昨夏から「ファーウェイ・ショック」がささやかれる。中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)の日本法人が理工系専攻者を対象に、いくつかの職種で大卒予定者40万1千円、修士修了で43万円を提示していた。

 「欧米企業にやっと肩を並べたレベルで、珍しくはない」というのが華為技術日本法人の公式回答。だが、業界ごとの横並びが多かった日本企業に、初任給から能力にみあった待遇を用意しなければ優秀な人材を獲得できなくなるとの危機感が急速に高まった。

 「入社後は給料が上がるけど初任給が低いのは不満だった」。サイバーエージェント社長の藤田晋(44)は17年11月、社内の食事会で若手のエンジニアの声を耳にした。すぐに制度変更を指示し、今春入社の約50人のエンジニア職を対象に一律の初任給制度を廃止した。専門技術を持つ人材に年720万円以上を支払う取り組みも始めた。

 技術のディスラプション(創造的破壊)が人材獲得競争に拍車をかける。あらゆるモノがネットにつながる「IoT」や人工知能(AI)は企業の盛衰を直接左右する基幹技術となった。大和総研主任研究員の溝端幹雄(45)は「日本企業は潜在能力を重視して新卒を採用してきたが技術革新のスピードが増し即戦力が重視されている。実力主義の給与体系が広がる可能性がある」と話す。

 初任給だけではない。ファーウェイは時に年収3千万円ともいわれる条件で日本の電機大手から社員を引き抜いている。待遇を上げなければ、人材を採ることも流出を防ぐこともできなくなる。

 「今、引き上げないと競争力が確保できない」

 「ベース給まで上げる必要があるのか」

 今春、ベース給で15年ぶりの引き上げを決めたソニー。一時金を含めた年収ベースで5%増となる。議論を始めた17年末から意見が二分した。

 ベース給引き上げは長期間にわたり業績への影響が大きいが、ソニーというブランドで採用を有利に進めた過去と今とは異なる。人事企画部統括部長の宇野木志郎(45)は「電機業界全体が埋没するという危機感があった」と振り返る。年功序列や業界横並びの賃金制度はもはや通用しない。

 (敬称略)

 大手製造業の主導で賃金相場が決まるモデルは崩れた。生産性や国際競争力を高めるには賃金をどうすればよいのか。

2018-05-09 職業教育。(1)

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この歳になって、先輩方にはもう引退する人もちらほら。

今さらに日本の若者に必要な教育は「職業教育」だと思う。
強くつよく。

あまりにも「その仕事のこと」を知らずに行き当たりばったりだと思う。
自分も含めて。

親が働く姿を間近に見て、"喜怒哀楽"も肌で知って「よし俺も」と思えるパターンはまだ救われる。
(けれど「よその世界」も沢山あるけど)

最近就職の相談を受けると「その道の人に『本音で嫌なことってなんですか?』を聞いてごらん」とアドバイスしている。

高級官僚、政治家、検事、弁護士、裁判官、医師。
研究者、公務員、科学者、教育者。
日本を代表する大企業。製造、ゼネコン、商社、金融、流通(不動産も旅行も)、小売(飲食も)、メディア、IT。
上場している知らない企業群。(立派な会社がいっぱいあって驚く)
一番多い中小零細、個人事業主、フリーランス。
芸術家、音楽家。
主婦、主夫。
引きこもり。

自分んはタクシーの運転手さんと会話が弾んだら、必ず「どうですか、このお仕事は」と聞いてみる。
「出稼ぎ」「脱サラで」「運転が好き」「気楽」「いろんなお客と話せる」「やり方次第で結構儲かる」「定年がない」
実にいろんな答えが返ってきて勉強になる。 (しかも彼らはずっとラジオを聴いているので情報通だ)
それはともかく。
(つづく)

2018-05-04 産業のバランス。

[]潮目が変わる。 潮目が変わる。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 潮目が変わる。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

世界的にはお金はだぶついているらしい、どうも。
けれども多くの国は赤字だという。
仮想通貨はすでに1000種類以上あるそうだが、実物貨幣を嫌って「退避現象」だという人も多い。

少し冷静に考えれば「金とか米とかの現物に基づいていない」お金の価値が不安定なのは自明ことだと思う。
日本だって中国だって「いろんな理屈」を唱えて国債を発行したり、資金の規制をしたりする。
世界が(通貨としてだけでも)一つの国にならないと、「為替の最適化問題」というのは永遠に続くのに違いない。

先進国ではどこも農業や製造業からの離脱が進み、7割はサービス業になっているという。
この辺りに歪みの原因があるのではないだろうか。

足元では、既に「ホワイトカラーの崩壊」が始まっている、という声もよく聞く。

政治も行政も実業も、「リアルな世界」なしに机上で理屈をこねている時期はいよいよ終わりそうだ。

いよいよ政治に頼るのではなく、「自分の意思で自分の場所を探す」時代になったと思う。
面白い時代の分かれ目ではないだろうか。

アベノミクスで日本の8割が貧しくなる理由
 早いもので、2020年の東京オリンピックまで、あと2年余りとなりました。私も1人の国民として、ぜひともオリンピックは成功させてほしい、と思っています。
【図】ガソリン価格等が乱高下する米国バブルはいつ破裂してもおかしくない
しかし、2020年の世界経済は、2008年秋のリーマンショックほどとは言わないまでも、世界的な借金バブルの反動によって、世界同時不況を迎えているのではないかと予測しています。とりわけ日本経済は、米国と中国の好景気に多大な恩恵を受けているので、その悪影響が最も及ぶ国の1つで、経済成長率が主要先進国の中でいちばん落ち込むことが考えられるのです。

 実際に、リーマンショック翌年の2009年の成長率はマイナス6.0%にまで落ち込み、主要先進国の中で、日本は突出して下落率が大きかったわけです。

大企業と国民の間にある大きな乖離

近年、大企業経営者が集まる催しに参加するたびに思うのは、大企業の景況感と国民の生活実感の間には大きな乖離がある、ということです。多くの経営者が口をそろえて、「とても景気がいい」「史上空前の好景気だ」という見解を述べているのですが、2018年の初頭にはそういった見解がことのほか強調されていたように思われます。

 確かに、大企業の世界では多くの企業が収益を拡大することができているので、彼らだけを見ていると、または、彼らだけの世界で生きていると、おそらく私も「日本は好景気だ」と錯覚してしまうかもしれません。

ところが、私はふだんから、経済を分析するうえで経済成長率や企業収益はその一面にすぎず、本当の意味での好況・不況の判断は国民生活の実感で決めるほうが適当である、と考えています。そういった意味では、国民のおよそ8割が「景気回復を実感していない」という事実は、国が判断する景況感に重い課題を突き付けているように思われます。

 産経新聞のような政権寄りのメディアであっても、日本経済新聞のような政治に中立的なメディアであっても、朝日新聞や毎日新聞のような政権批判が十八番のメディアであっても、世論調査においてはおおむね、景気回復を「実感している」と答えた人々が2割、「実感していない」と答えた人々が8割、という結果が出ているのです。

私は2013年にアベノミクスが始まった当初から、「アベノミクスの恩恵を受けられるのは、全体の約2割の人々にすぎないだろう」とざっくりとした感覚で訴えてきましたが、その後のメディアの世論調査でも、おおむねそれに近い結果が出ていたということは興味深い事実です。私がなぜ約2割の人々だといったのかというと、富裕層と大企業に勤める人々の割合が大まかにいって2割くらいになるからです。

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4/27(金) 6:00配信

 アベノミクスが円安によって株価や企業収益を高めるかたわらで、輸入品の価格上昇によって人々の実質賃金を押し下げるという弊害をもたらすことは、最初からわかりきっていたのです。要するに、普通に暮らす残りの8割の人々は、未だにアベノミクスの蚊帳の外に置かれてしまっているというわけです。

私は地方へ仕事にいくたび、その地方の景況感をいろいろな立場の方々にうかがっているのですが、2014年〜2017年にかけておしなべて共通していたのは、大企業に勤める人々が「景気はよくなっている」と実感していたのに対して、その他の多くの人々は「景気なんてよくなっていない」とあきらめてしまっていた、ということです。

■「景気がいい地域」なんて本当にあるのか

さらに私は、最寄り駅から講演会場などまでタクシーに乗車する機会があったときには、運転手さんに「景気はどうですか?」と必ず聞くことにしていますが、その間、誰ひとりとして、「景気がいい」と答えた人はいなかったのです。東京であろうが、大阪であろうが、名古屋であろうが、返ってくる答えは、一様に芳しくないものばかりでした。中国や九州などでは不況としか思えないような答えが返ってくる有り様です。正直なところ、これが日本経済の掛け値なしの実態なのです。

 そのような好ましくない状況の中で、オリンピック前後に不況が到来したら、どうなってしまうのでしょうか。確実に言えるのは、富裕層と呼ばれる人々よりも普通に暮らす人々のほうが、生活水準が著しく悪化するのが避けられない、ということです。

これは2008年の世界金融危機後の米国や欧州で顕著に見られた現象ですが、そういった現象から未だに脱却できていないからこそ、米国ではドナルド・トランプ大統領が誕生したのであり、欧州ではポピュリズムが台頭して各国の政治が不安定になっているのです。米国は経済成長という視点で見れば間違いなく優等生になりますが、株主や企業の利益ばかりが優先されてきた結果、国民生活は置き去りにされてきてしまったわけです。

 私は経済成長率の数字そのものより、その成長率の中身のほうがはるかに大事なのではないかと考えています。そして、経済指標の中でいちばん重きを置くべき指標は、決して経済成長率の数字そのものではなく、国民の生活水準を大きく左右する、実質的な所得ではないかとも考えています。

拙書『日本の国難』においては、今後5年のスパンで考えた世界経済や日本経済の方向性だけでなく、10年後〜20年後までを見据えた、日本の経済、雇用、企業、賃金がどのようになるのかについて説明しています。ぜひご覧いただければ幸甚です。

中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト

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2018-04-17 テクノロジーがもたらす革命。

[]衰退ではなく。 衰退ではなく。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 衰退ではなく。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

まことしやかにフィンテック、と言われているが、その本命は「銀行の淘汰」にあるとすれば、かなりドラスティックな話である。
ここ100年でいわゆる「マンモス」が解体されてきた例はたくさんあるが、今回は「最大の業界の淘汰」になるのかもしれない。

無理もない。
通信」とか「データ処理」とか「トランザクション」の処理が本命だった時代が「銀行の時代」だった。

そのどれもが「一対一」でできるようになれば、固定費の大きい「取引所」は必要なくなる。

「お金の流通」という近代の最大の役割を担ってきた銀行が、その役割を終えようとしているように見える。

これからは、融資とか、投資とか、出資とか、社債とか、そして国債とか地域債とか、そんなものが「取引所なし」にやり取りされるのだろう。
面白い時代だが、だから自分はどこで生きていくのか?を考える思案どころでもある。

自分が今二十代だったら、とワクワクするけれど、実は五十代でも同じことだ。
「既存の枠組みに乗った世界」に身を置くのか。
それとも「未知の海に出て行くのか」はよく考えたほうがいい。

断然「未知の航海」が面白いと思う。
今が一番楽しい時代ではないだろうか。

現場報告 銀行員がどんどん辞めている
4/16(月) 7:00配信
「約100人の同期のうち、すでに50人ほどが銀行を去りました」
こう語るのは有力地銀で入行8年目のA氏30歳。有名国立大を出て支店での個人・法人営業も経験、企画セクションで社長直轄の戦略立案を担ったこともある。

金融商品のノルマに嫌気がさした人も多かったのですが、結局、安定していると思っていた銀行の将来が見えないことに不安を感じた人が退職したのだと思います。それが証拠に転職先は地元の県庁や市役所など公務員が圧倒的に多いです。もはや銀行は安全志向の人のための職場ではなくなりました」

かつて就職市場で銀行の人気は抜群に高かった。その背景には、給与の高さに加え、その「安定性」があった。つまり高給で「潰れない会社」だと思われてきたのだ。

しかし、それもすっかり過去の話だ。銀行は、今、大転換期を迎えている。

銀行は「安定性」を演出

 預金者から資金を集め、企業に融資する銀行融資は、「お金を借りる人(企業)」と「お金を貸す人(預金者)」の間に第三者(銀行)が存在するという意味で「間接金融」と呼ばれ、高度成長期にはうまく機能し、銀行と企業は「長期に安定的な関係」を築いた。だが、一見「安定的」に見える間接金融も、実は、決してリスクの低いビジネスとは言えない。自己資金の何倍ものお金を企業に貸し出す以上、企業からの返済が滞れば、とたんに屋台骨が揺らぐからだ。貸出債権の価値も、企業の返済余力に左右されるので外側からは見えにくい。だからこそ銀行は、「安定性がある」「信用がある」と顧客や市場や世間に思いこませる必要がある。

事実、メガバンクは、巨額の貸し出し資産、数万の行員を擁し、大手町や丸の内の一等地に巨大な本部ビルを構える。多くの銀行員は高学歴で、スーツを生真面目に着込む。これらはいわば銀行の「安定性」と「信頼性」を演出する舞台装置だ。

しかし、だからと言って銀行の経営が実際に安定しているとは限らない。最近でも日本のバブル崩壊後の不良債権問題や米リーマンショックなどで金融は危機にさらされた。

ただ、こうした金融危機に際しても、多くの銀行は、「経済を安定化させる」という大義名分の下に投入される公的資金によって救済された。「だから、銀行が潰れることはあるまい。最後は政府が公的資金で救ってくれる」――おそらくこんな見方も「銀行は潰れない」という神話の根拠になっているのだろう。だが、今後も通用するとは限らない。

次ページは:来店する人の数は、ここ10年で2割〜3割減

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来店する人の数は、ここ10年で2割〜3割減

 しかし、そのことよりも銀行にとってより重大な問題がある。それは、これまでの銀行のあり方が、そもそもビジネスとして限界を迎えているのかもしれないということだ。

試しに駅前の銀行の支店をのぞいてみれば気づくだろう。そこに、かつてのにぎわいはない。あるメガバンクの幹部はこう嘆く。

「ネットやスマホの利便性が高まり店舗に来店する人の数は、ここ10年で2割〜3割は減りました」

銀行を取り巻くビジネス環境の激変に危機感を抱くメガバンクは、人員削減計画を相次いで発表している。

たとえばみずほフィナンシャルグループ(FG)は、2017年11月、組織構造を大幅に見直す計画を発表した。7.9万人の行員のうち1.9万人を2026年度末までに削減、約500店ある店舗も24年度末までに約100店舗減らすという。三菱UFJフィナンシャル・グループと三井住友フィナンシャルグループも、これに追随し、3メガバンク合計で、3.2万人超の人員が削減されることになった。

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貸出先がない膨大な銀行預金

「このままでは銀行はスマートフォンのアプリの一つになりますよ」

こう指摘するのは、三菱UFJフィナンシャル・グループの元副社長で、コンサルティング会社PwCインターナショナルのシニア・グローバル・アドバイザーである田中正明氏だ。

「巨額の資金が、ほとんどリターンもないまま銀行に眠っています。預金を集めて融資するデット・チェーン(負債の連鎖)を断ち切り、預金を投資商品にシフトさせ、企業に株式などの形でリスクマネーを供給するインベストメント・チェーン(投資の連鎖)の仕組みに切り替えないと日本の金融に未来はありません。資本市場の厚みがないことが日本の成長を鈍化させています。メガバンクや地銀といった従来型の単純商業銀行モデルは、もはや陳腐化してしまいました」

日銀の金融システムレポートによると、2012年12月から2017年8月の約5年で、銀行に持ち込まれた預金や譲渡性預金(NCD)は131兆円も増え、日銀当座預金を中心とする現金・預け金は191兆円も積み上がった。つまり預金はこれだけ膨大に積み上がっているのに、銀行はこうした資金をほとんど有効活用できていないのだ。

個人は、余剰資金をほとんど金利が付かない銀行に預金している。融資先を見つけられない銀行は、集まり過ぎた預金に手を焼き、だぶついた資金を銀行同士でやり取りするためだけの日銀の口座で眠らせている。

銀行としては、元本保証で集めた資金はリスクにはさらすことはできないから、有望なビジネスでも、担保を持たないベンチャーには簡単には融資できない。こうした銀行のあり方は、企業が思い切った資金調達で果敢な経営に挑まず、低収益の経営に胡坐をかいていることや個人がリスクの高い資産運用に躊躇していることと裏腹な関係にある。

つまり、預金という元本保証の仕組みでお金を集め、企業に貸し出す間接金融の仕組みがもはや機能していないのだ。田中氏の言う「デット・チェーン」が資金の流れを滞らせ、日本経済を停滞へと導いている。

実際に企業向け融資は、稼ぐ力を失いつつある。みずほFGの2017年第3四半期の国内大企業向けの貸出スプレッド(利ザヤ)は、わずか0.49%。1億円を融資しても、49万円しか稼げていない。他のメガバンクでもほぼ同水準だ。

「収益も資産も健全な大企業だと、利ザヤが0.07%〜0.08%というケースもあります。とても商売になりません」(メガバンク幹部)

増えすぎた預金によって銀行間の貸し出し競争が激化し、金利の値下げ圧力が強まっているのだ。メガバンクの幹部は、苦しい現状を明かす。

「情報や戦略など付加価値が提供できなければ、法人のお客様との取引は続きません。わずかな利ザヤですが、それすらコンサルタント料の対価だと考えています」

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デフレ要因の一つは、デッド・チェーンの存在

 しばしば「日銀のマイナス金利政策が銀行の利ザヤを圧迫している」と指摘される。しかし、それは表面的な説明で、原因と結果を取り違えているのではないか。むしろ根本の問題は、デット・チェーンのくびきがイノベーションの生成や生産性の向上を妨げていることだ。日本を物価が持続的に下落するデフレに陥らせた要因の一つは、デット・チェーンの存在だ。マイナス金利は、根強いデフレへの処方箋として日銀が採用に追い込まれた金融政策であって、デット・チェーンこそがマイナス金利を生み出した魔物なのである。このなかでとくに銀行が、デット・チェーンの温存に大きく寄与している。優秀な人材をフル稼働させて、すでに時代にそぐわない間接金融の仕組みを温存させているからだ。

経営共創基盤代表取締役マネージングディレクターで金融庁参与の村岡隆史氏は言う。

「銀行は、人員、資産(店舗・システム)、預金という三つの過剰の膿出しが、まだ終わっていません。負の遺産を一掃すると同時に、稼ぐ力を付けなければいけません。ただこれは、従来型のビジネスモデルの効率化だけでは不十分です。銀行業を中抜きする産業や資金の流れは加速します。従来の銀行業の枠組みを超えて、顧客との新たな共創事業モデルを創らないといけません。そのためには組織のあり方、人材育成方法も抜本的に見直すことが問われています。安易な低金利競争をしている時間的猶予はありません」

かつては信頼感で結ばれた銀行と企業の関係も、今日ではすっかり冷え込んでいる。前述した地銀のA氏は言う。

「法人の取引先に、うちの銀行を『他のお客様に紹介したいですか』とアンケートで質問をしたところ否定が約半分、やや否定的も加えると8割を超えました。銀行は、お客様に信頼されていないんです。社長もショックを受けていました。バブル崩壊後の不良債権処理の過程で、貸しはがし、貸し渋りをしたことで『いざという時に頼りにならない』と企業に思われているんです」

銀行と個人との関係も歪み始めている。当面の収益目標達成のため、投資信託などの厳しい販売ノルマを現場に課している銀行が多い。メガバンクの若手行員B氏は言う。

「銀行の営業マンから金融商品を購入するのは『銀行なら安心だろう』と考えている高齢者が多い。そのため値が下がって損失が出るとトラブルになるケースも稀ではありません。ノルマもきついですが、銀行の信用を悪用しているかのような罪悪感も現場を苦しめています」

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投資家が企業に効率的な経営を求めていく必要がある

 銀行と企業や個人との信頼関係は崩れ、どちらにも利益を生み出していない。銀行を中心としたデット・チェーンが日本経済の負のサイクルを加速させている。

では、どうすれば、この負のサイクルを断ち切れるのか。そのためには、日本の経済構造全体を間接金融中心から直接金融中心に移行させるしかないだろう。

まず機関投資家が、株主総会での議決権行使などを通じて、企業に効率的な経営を求めていく必要がある。投資家からの監視と圧力で企業の稼ぐ力が高まれば、株価の持続的な上昇が期待できる。株式市場の魅力が高まれば、資金は預金から株式市場に流れ出す。そして株式で調達された資金が、起業への挑戦、企業がイノベーションを現実化するための潤滑油の役割を担う。

こうなれば、デット・チェーンは緩み、新たにインベストメント・チェーンが生まれ、日本経済は活力を取り戻すことができるだろう。

 では、こうした流れの中で銀行はどんな役割を担えばよいのか。

田中氏は、既存の投資信託だけでなく、銀行が取り扱いやすく、個人顧客のニーズにも合った新たな金融商品の普及を提言する。

「三菱UFJの副社長時代に『市場性商品総合口座』の導入を検討しました。国債や格付けの高い社債、投資信託など、安全性が比較的高い金融商品を組み込むとともに、それらを担保にした随時の借り入れを可能にすることにより、流動性も提供する、という商品です。担保掛け目は7〜8割のイメージでしょうか。1000万円の商品なら700〜800万円までは通常の預金のように引き出せる。お客様にとっては、預金よりは高いリターンが期待できるとともに、流動性があるので金融商品の長期保有にも資すると考えました。預金からシフトする分については、銀行が預金保険料や資本規制から解放されます。こうした商品があれば預金を投資商品に移せると考えました。しかし担当のリテール部門から『システム投資が莫大になります』などと反対されて頓挫しました。国民の資産形成のため、こうした商品が必要だという考えは今も変わりません。例えば、政府がかつてのマル優のような優遇税制を作って、こうした口座を普及させ、インベストメント・チェーンへの転換を後押ししてはどうかと考えています」

こうした提言は、今後の銀行改革の方向の一つを示すものだろう。だが、銀行が抱えている難題は間接金融の限界だけではないのだ。

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銀行業務を代替する技術革新

 銀行を襲うもう一つの脅威は、技術革新の波だ。

銀行は、貸し手と借り手を仲介する「金融仲介機能」、手元の資金の何倍もの融資を実行する「信用創造機能」、口座振替、送金を担う「決済機能」という三つの機能を果たしてきたが、これらの機能は、いずれも「豊富な情報力を使って貸出先の信用を見極められる」という銀行自体の「信用」によって支えられてきた。しかしフィンテックは、従来の銀行が果たしてきたこうした機能を一挙に代替してしまう可能性があるのだ。

フィンテックの進展によって、個人や法人の信用力を測る方法はすでに多様化している。例えば中国では、個人の信用力を点数で評価する「芝麻信用」が広がっている。

芝麻信用は、中国で利用者が5億人を超える電子マネーアリペイを運営するアリババ系列の信用調査会社だ。クレジットカードの支払い遅延の有無、買い物や金融商品の購入履歴、資産、学歴、職歴、交友関係まで幅広い観点から個人の信用力が点検される。デジタルな取引で蓄積されたビッグデータが活用され、個人の信用力は、350〜950点のスコアで点数化されるという。スコアが高いと、借り入れ金利が優遇されるだけでなく、ホテルで宿泊する際のデポジットが不要になるなど、さまざまな優遇措置を享受できる。さらに海外渡航のためのビザの発給手続きが迅速化されるなど国からもメリットが与えられる。

「中国ではプロポーズする際に、相手の両親にスコアを見せるケースも多いそうです。国家ともデータ共有しているので万引き、信号無視でもスコアが下がると言われています」(メガバンク幹部)

ミスが許されない減点主義の企業文化

 こうしたフィンテックの波及力は、社会を根こそぎ変化させつつある。ビッグデータやAI人工知能)を活用した資産運用への助言、株式のトレード戦術の改善、虹彩や指紋などの生体認証を活用したスマホでの決済、送金……。シリコンバレーの最先端の技術が、金融の世界に押し寄せている。

こうしたイノベーションの創出と活用には、素早い意思決定と失敗を恐れないチャレンジ精神が必要だ。しかし間接金融の担い手であった「安定第一」の日本の銀行には、年功序列とミスが許されない減点主義の企業文化が根付いている。メガバンクの幹部の一人は言う。

「メガバンクは、成功したフィンテック企業を買収する方向に舵を切りました。ただ、フィンテックは、多くの人が使って社会のプラットフォーム(基盤)となることで一気に利益が上がるので、有力なフィンテック企業は一つの企業に囲い込まれることを嫌います。銀行はフィンテックが生み出す利益をうまく吸収できないのではと懸念しています」

しかし、メガバンクも指をくわえて傍観しているわけではない。

みずほFGは、昨年6月、ベンチャー投資ファンドの「ウィル(WiL)グループ」と共同でフィンテックを担う「ブルー・ラボ(Blue Lab)」を設立した。出資比率は、ウィルグループが過半数で、傘下のみずほ銀行の出資は14.9%に抑えた。その一方、代表取締役社長の山田大介氏はみずほ銀行の常務執行役員で、取締役の阿部展久氏もみずほFGのデジタルイノベーション部・部長であり、ブルー・ラボは、「みずほのデジタル部隊」でもある。阿部氏は言う。

「みずほ銀の出資比率を抑え、通常の銀行の意思決定の枠外で動けるように工夫されています。いわば『出島』です。みずほのデジタルイノベーション部のメンバーは、ブルー・ラボを兼務していますが、約半分は中途採用されたテクノロジー、ビジネス開発などの専門家です。出資企業等、外部から多くのスペシャリストを受け入れており、トップも、みずほでフィンテックを専門に担当する常務です。社長のOKが出れば、みずほでの採用如何に拘らず、素早く意思決定できる仕組みです」

みずほは、旧第一勧業銀行、旧富士銀行、旧日本興業銀行の3行が経営統合して設立されたグループだ。旧行同士の対立が続き、たすき掛け人事の慣行からも、なかなか脱しきれず、そのことによる意思決定の遅れが他のメガバンクに利益面で引き離される要因になったとの指摘も多い。それだけに、従来の銀行の意思決定の慣行を打ち破りデジタル時代に対応できる組織づくりを目指したのだろう。

またみずほは、ソフトバンクと提携して、「Jスコア」を設立し、中国の芝麻信用とよく似たサービスを開始した。顧客が自ら年収や勤続年数等を入力し、みずほやソフトバンクとの取引情報を提供することも可能で、千点満点のスコアが示される仕組みだが、「個人情報に敏感な日本で広がるか」という疑問をよそに利用者は順調に増加している。

次ページは:ブロックチェーンの衝撃

2018-03-27 自分を勘違いしないために大事なこと。

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人事コンサルタントの平康慶浩さんのコラム。

仕事が「できそうな人」たちがたまにいます。
話の筋道も何やら難しそうで、語尾はいつも断定口調。
自信に満ち溢れた話し方ですが、少し上から目線なのが気になります。

そうそう。
そして。

そして、よく話を聞いてみると、極端なそもそも論だったり、些末なことばかりだったりして、何を言いたいのかがよくわかりません。

いますいますこういう人たち。

それは、失敗したときに「自責」を感じられるかどうかで決まるのです。

「自責と他責」の感情。
著者は「どちらもが強すぎると良くない」という。
他責の感情が強い勘違い君はもちろん。
自責の感情が強すぎても、かえって「自らの成長を阻害する」という。

そう考えると、きちんとした自己評価というのは案外難しい。
自己否定しすぎず、他人のせいにもし過ぎず。

つまり自分自身を俯瞰すること。
「鳥の目を持つ」ということらしい。

いろんな話は結局こういう部分に落ち着いていくようだ。
"心"を持つ「人」の宿命、という感じがします。
冷静に、冷静に。

勘違いした「できそうな人」は、なぜ生まれるのか 20代から考える出世戦略(9)
2017/6/6
 仕事が「できそうな人」たちがたまにいます。話の筋道も何やら難しそうで、語尾はいつも断定口調。自信に満ち溢れた話し方ですが、少し上から目線なのが気になります。そして、よく話を聞いてみると、極端なそもそも論だったり、些末なことばかりだったりして、何を言いたいのかがよくわかりません。できると思っていたけれど、実は仕事ができない人たちなのでしょうか。その人ができる人なのか、できない人なのかは、実際により深く接してみないとわかりません。でも、そういう良くわからない状態の人にならないためにも、経験の積み方について理解しておきましょう。

■始まりはちょっとした成功から

 できる人もできそうな人も、自分に自信をもって話している、という行動面は共通しています。しかし話の内容がよくわからなかったり、仕事をしてもらったときのスピードとか品質とかがそれほどでもなかったりして、あれ?と思うことがあります。そして、できそうな人をできる人だと勘違いして付き合っていると、やがてとんでもない騒動に巻き込まれることもあります。また、騒動が起きなくても、結局たいして得ることがなくて時間の無駄だったということにもなりかねません。

 実は、できる人とできそうな人を分けるポイントは一点だけです。その一点が違うために、できる人はどんどん成長するし、できそうな人はそこで足踏みしてしまうのです。

 できる人もできそうな人も、最初のきっかけはちょっとした成功からスタートします。たとえば新規取引がうまくできたとか、良い企画書を作れたとか、何らかの成功体験によって、自分は仕事ができるという感情を得ます。優越感といってもよいでしょう。この優越感によって人は自信を持った行動がとれるようになっていきます。できる人もできそうな人も、この時点では大きく異なってはいません。

■自信を持ったあとの心理が違いを生む

 自信をもって行動することは、あらゆる局面で良い結果を生みやすくします。より多くの人と接することができるようになりますし、良い意味での期待もかけられるようになります。人はそうして、良い期待をかけられたときに成果を出しやすくなるという性質も持っているので、繰り返し成功しやすくなります。逆に自信がない人の場合、自分自身をすべて否定してしまう負のスパイラルに陥ってしまうこともあります。

 優越感によって生まれる自信。
実はこの感情は、心理学的には「錯覚」だと言われています。優越感とは、実際に優れているから得られる感情ではなく、優越していると錯覚することで得られる感情なのです。そのきっかけが成功であり、上司からの褒め言葉であり、お客様からの喜びの声だったりするわけです。

 そうして得られた「錯覚した優越感」とどのように付き合うかが、その後本当にできる人になるか、できそうな人で終わるかを分けるポイントです。

 それは、失敗したときに「自責」を感じられるかどうかで決まるのです。

■自責とは自分を変えようというきっかけ

 常に成功し続けられる人は稀です。ほとんどの人は、成功と失敗を繰り返すことになるのですが、成功した時は誰でも優越感を感じます。そして優越感を持っている状況で失敗すると、そのことについて2種類の感情が生まれます。

 第一の感情は、「たまたま失敗した」「〇〇の状況が悪かったから失敗した」などのように、失敗の責任は他にあるという他責の感情です。他責の感情によって、優越感は維持されようとします。

 一方、「自分のこの行動がまずかった」「この時に判断が失敗の原因となった」というように自分に責任があるという感情も生まれます。これが第二の、自責の感情です。自責の感情は、優越感を否定し、元の自己評価に戻します。

 誰しもが、他責と自責の両方の感情を持っています。そして他責が強すぎる場合と、自責が強すぎる場合、いずれの場合でも人は間違った成長をしてしまいます。

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 他責が強すぎる場合には、優越感が維持され続けます。本当にすべてが環境のせいであれば、優越感が維持され続けることで次のチャンスを得やすくなります。しかし、本当に自分の責任で失敗した場合であっても、問題点が改善されません。これが繰り返されていくと、冒頭にあげたような、勘違いした「できそうな人」がうまれてくるのです。

■自責だけだと自分の良い点まで否定してしまう

 一方、自責が強すぎることも問題です。すべてが自分の責任であると考えてしまうと、環境や他人の責任である場合にも自分の問題を探してしまうため、変えてはいけない自分の良い点まで変えてしまおうとすることになるからです。

 20代のような若いうちに、自分が経験する成功と失敗、それぞれにどのように接するかで、その後の成長が決まってきます。

 自責だけでももちろんダメなのですが、極端に他責にならないように気を付けることが、できる人に成長してゆくきっかけとなるでしょう。

平康慶浩
 セレクションアンドバリエーション代表取締役、人事コンサルタント。1969年大阪生まれ。早稲田大学大学院ファイナンス研究科MBA取得。アクセンチュア、日本総合研究所をへて、2012年から現職。大企業から中小企業まで130社以上の人事評価制度改革に携わる。大阪市特別参与(人事)。

2018-03-23 真横で見た狂気。(2)

[]捨て身の原理。 捨て身の原理。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 捨て身の原理。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

皆が「狂気でしかない」と引いていた企業が、その狂気を貫いた結果市場を制覇する、という図式は昔からあった。
その度にその経営者は賞賛されたり、疑問視されたりしてきたと思う。
それはともかく。

つくづく「再び一文無しになるかもしれない」と思いながらのチャレンジは必要だ。
せっかく手にした今のポジションは居心地がいいけれど。
もう一度「雑巾掛け」からやったるで、という覚悟があればいい。
多分、次も成功するだろうと思う。

つまり

成功するかしないのか、というのはそういう、いわば「捨て身の原理」のようなものなのではないだろうか。

この"捨て身の気持ち"は実に簡単だ。
今お金や人脈がなくてもいい。
必要なのは「自分の気持ち」だけである。

ひょっとしてamazonが躍進しているのも「そんなマインドセット」ではないだろうか。
一度ジェフ・ベゾスに聞いてみたいものだ。
「あなたは捨て身で経営しているのではないですか?」と。

「Amazonされる」など造語が誕生するほど恐れられるAmazonの悪夢のような底なしの欲望
by Canonicalized
Amazon倉庫の過酷な労働環境が明らかになったり、Amazon本社で飛び降り自殺が起きたりと、Amazonの職場環境についてはこれまで何度も批判と称賛が飛び交ってきました。そんなAmazonについて、ジェフ・ベゾスCEOは「『Amazonのやり方が正しい』とは言わない、しかし20年で根付いた文化だ」とコメントしているのですが、新たにBloombergが「どうやってAmazonはアメリカ企業にとっての悪夢となったか」というコラムを投稿しています。

How Amazon Became Corporate America’s Nightmare
https://www.bloomberg.com/graphics/2018-amazon-industry-displacement/

Amazonは世界で最も驚異的で、不合理に拡大を続ける恐るべき企業です。今では石けんを販売しながらテレビ番組などの制作を行い、政府にはコンピューティングパワーを売りつけ、クリスマスイブでもユーザーの求めるものを戸口まで配達してくれます。

2018年には地球上で最も価値のある企業とランク付けされたAmazonですが、年間利益はサウスウエスト航空よりも少なく、世界で426番目に多いという程度。ただし、Amazonのジェフ・ベゾスCEOは世界で最も裕福な人です。Amazonはインターネット上で誕生したECサイトですが、今では自前の倉庫や食料品店を持っており、エンパイア・ステート・ビル換算で90棟分の不動産を所有しています。

Amazonはその影響力を年々増しています。ベゾスCEOはAmazonがあらゆる業界で確固たる地位を確立することを望んでいるかのようであり、総合格闘技UFCのPPVを販売したりリアル販売店舗をオープンしたりと、事業の拡大はとどまるところを知りません。また、ベゾスCEOは「Amazonで築いた富を宇宙旅行事業実現のために使う」と発言しており、宇宙旅行事業にも関心を寄せていることが明らかになっています。

急速に成長してきたAmazonですが、それがなぜ他の企業にとっての悪夢となっている状況について、Bloombergは「アメリカの大企業の幹部たちは、2017年に投資家との電話の中で何千回もAmazonについて言及しており、その回数は『トランプ大統領』や『税金』よりも多い」と、Amazonの影響力の大きさを表現しています。検索エンジンのGoogleが「検索する」という動詞として使われるようになったように、「Amazon」という単語は「他の企業に損害を与える」ことを示す動詞として使われるようになり始めているそうです。実際、一部では「be Amazoned(アマゾられる)」という用語が「あなたのビジネスは他企業の参入によりダメになるかもしれない」という意味で使われているとのこと。

以下のグラフは「be Amazoned」がいかに他の企業にとって脅威であるかを示すもの。2018年1月30日にAmazonはJPモルガンやバークシャー・ハサウェイと協力してヘルスケア市場へ参入することを発表したのですが、その前後でのヘルスケア関連銘柄の値動きを示したグラフ。1月29日の終値を100としており、100以上になっていれば「1月29日の終値よりも高い」、100以下なら「1月29日の終値よりも低い」ということになります。1月30日の発表後、ヘルスケア関連銘柄は全て100以下に落ちています。

以下のグラフは、各業界における「Amazon関連のニュースが出た日の株価の下落率」を示したもの。縦軸が下落率で、横軸は日付を表しています。丸は企業の株価を表しており、丸の色が企業の属する業界を示しています。なお、青が食品業界、赤がヘルスケア業界、黄色が小売業界、ミント色が配送業界、紫色が自動車業界、グレーがテクノロジー業界、緑が不動産業界です。

そんなAmazonでも2014年には行うあらゆることが間違いであるかのような大きな失敗を犯しました。2014年、Amazonは独自開発のスマートフォン「Fire Phone」を発売します。大きな期待を持って登場した端末で、発売当初は性能の高さを印象づけるレポートが続々登場しましたが、結局は「失敗作」の烙印を押されついには販売打ち切りとなります。Fire Phoneの販売不調によりAmazonは大赤字を計上。2014年のホリデーシーズンの収入の伸びは、2001年以降で2番目に悪いというもので、これもFire Phoneのせいにされる始末でした。

そんなFire PhoneはGIGAZINEでもレビュー済み。一体どんな端末だったのかは以下の記事でチェックできます。

本当にAmazonスマホ「Fire Phone」は失敗作なのか1週間ほど試してみて分かったこと - GIGAZINE

2014年の失態によりAmazonは株価を20%も下げますが、1年後には市場価値を5倍にまで膨れあがらせます。2015年はアマゾンウェブサービス(AWS)躍進の年でもありました。2006年のAWSのサービス開始以降、Amazonはクラウドコンピューティングサービスにおいて常に市場をリードしており、AWSは誕生したばかりの若い企業やスタートアップだけでなく、Netflixなどの大企業からも利用される存在へと進化を遂げます。そんなAWSの2015年における営業利益は、Amazon全体の営業利益の3分の2を占めていたそうです。なお、AmazonがAWSに支えられる構図は記事作成時点の2018年になっても続いています。

Amazonのクラウドサービス「AWS」が絶好調で株価が急上昇 - GIGAZINE

2015年はAmazonが有料会員向けに行う大セール「プライムデー」を初めて開催した年でもあります。2017年のプライムデーにおいて、Amazonは2000億円以上の売上を記録しており、Bloombergは「Amazonはより多くのものを顧客に買わせる方法を見つけた」と記しています。

2014年12月には購入した商品が1時間で届くサービス「Prime Now」をスタート。約1年後の2015年11月には日本でもPrime Nowのサービスがスタートし、2016年に入ってからはサービスエリアが東京以外の大阪・兵庫・横浜まで拡充されています。

他にも、2015年に所持していた109の流通倉庫は2018年までに150にまで増加。さらに、音声認識AI搭載のスマートスピーカー「Amazon Echo」をリリースし、同分野においてAppleやGoogleを先行しています。また、2017年には高級スーパーマーケットのWhole Foodsを1兆5000億円で買収しています。

AmazonがWhole Foodsを買収した狙いは、以下の記事を読めばよくわかります。

Amazonの1兆円超えのWhole Foods買収に見るAmazon帝国構築に向けた取り組みとは? - GIGAZINE

多くの企業にとって恐ろしいのは、Amazonが小売事業においても成長の余地を持っているという点です。アメリカでは小売事業における売上の90%以上が物理店舗上で発生しています。オンラインショッピングの割合は増加していますが、Amazonは買収したWhole Foodsの実店舗を持っており、他にもAmazon GoやAmazon booksなどの実店舗も有しています。

AmazonがWhole Foodsを買収する動きを察知することが難しかったように、Amazonが次にどの業界に進出するのかを予測することは非常に困難です。2018年2月27日にはスマートホーム家電の「Ring」を買収したばかりですが、2018年3月12日には「小規模事業者向けクレジットカードを計画」とも報じられており、これによりAmerican Expressの株価は約1.4%下落しました。

そんなAmazonも無敵というわけではありません。北米では電子商取引における利益率はわずか2.7%で、多くの人々が想像するほど大きな利益を生み出せているわけではありません。しかし、今のところAmazonやベゾスCEOの狙いを封じ込められるような力を持つ存在は一握りであることは明らかです。

2018-03-22 真横で見た狂気。(1)

[]成功者の傍で。 成功者の傍で。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 成功者の傍で。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

amazonがまだサービス当初で。

なんだか本屋だか雑貨屋なのかよく分からない時期。
世界最大の倉庫を作る、とか
何年も大赤字である、とか
実はクラウド提供企業らしい、とか。

まったく同じ世代で、真横で同社の様子を見ていても分からなかった。
GoogleとかAppleとかとはまた違う迫力がいよいよ表出している。

amazonがアメリカで、そして数年後に日本で巨大な自動倉庫を作っていた頃。
まだ自分たちは「ネットのポータルをどう取るか」とか「ECの決済を握れば主役になれる」とか。
SNSとか、色んなコンテンツを提供するプラットフォームはどうだろう、
などと考えていた。

EC市場で顧客を獲得し、そのまま物流網を構築し。
本でも映像でも家電でも、なんでも乗っかる「webと物流」を支配ようとしていたのはamazonだった。

多分、普通のweb業界や物販業界の人とは「見ている景色」が違ったのだろう。
一時は狂気の試みと思われたamazonがトップランナーになっている。

さて、自分たちは「じゃあこれからは…」という視点で何を見るのだろうか。
今後もamazon一強が続くのか。
でなければ、ポストamazonは何なのか。

まだ今なら考えることはできる。
(つづく)

「Amazonされる」など造語が誕生するほど恐れられるAmazonの悪夢のような底なしの欲望
by Canonicalized
Amazon倉庫の過酷な労働環境が明らかになったり、Amazon本社で飛び降り自殺が起きたりと、Amazonの職場環境についてはこれまで何度も批判と称賛が飛び交ってきました。そんなAmazonについて、ジェフ・ベゾスCEOは「『Amazonのやり方が正しい』とは言わない、しかし20年で根付いた文化だ」とコメントしているのですが、新たにBloombergが「どうやってAmazonはアメリカ企業にとっての悪夢となったか」というコラムを投稿しています。

How Amazon Became Corporate America’s Nightmare
https://www.bloomberg.com/graphics/2018-amazon-industry-displacement/

Amazonは世界で最も驚異的で、不合理に拡大を続ける恐るべき企業です。今では石けんを販売しながらテレビ番組などの制作を行い、政府にはコンピューティングパワーを売りつけ、クリスマスイブでもユーザーの求めるものを戸口まで配達してくれます。

2018年には地球上で最も価値のある企業とランク付けされたAmazonですが、年間利益はサウスウエスト航空よりも少なく、世界で426番目に多いという程度。ただし、Amazonのジェフ・ベゾスCEOは世界で最も裕福な人です。Amazonはインターネット上で誕生したECサイトですが、今では自前の倉庫や食料品店を持っており、エンパイア・ステート・ビル換算で90棟分の不動産を所有しています。

Amazonはその影響力を年々増しています。ベゾスCEOはAmazonがあらゆる業界で確固たる地位を確立することを望んでいるかのようであり、総合格闘技UFCのPPVを販売したりリアル販売店舗をオープンしたりと、事業の拡大はとどまるところを知りません。また、ベゾスCEOは「Amazonで築いた富を宇宙旅行事業実現のために使う」と発言しており、宇宙旅行事業にも関心を寄せていることが明らかになっています。

急速に成長してきたAmazonですが、それがなぜ他の企業にとっての悪夢となっている状況について、Bloombergは「アメリカの大企業の幹部たちは、2017年に投資家との電話の中で何千回もAmazonについて言及しており、その回数は『トランプ大統領』や『税金』よりも多い」と、Amazonの影響力の大きさを表現しています。検索エンジンのGoogleが「検索する」という動詞として使われるようになったように、「Amazon」という単語は「他の企業に損害を与える」ことを示す動詞として使われるようになり始めているそうです。実際、一部では「be Amazoned(アマゾられる)」という用語が「あなたのビジネスは他企業の参入によりダメになるかもしれない」という意味で使われているとのこと。

以下のグラフは「be Amazoned」がいかに他の企業にとって脅威であるかを示すもの。2018年1月30日にAmazonはJPモルガンやバークシャー・ハサウェイと協力してヘルスケア市場へ参入することを発表したのですが、その前後でのヘルスケア関連銘柄の値動きを示したグラフ。1月29日の終値を100としており、100以上になっていれば「1月29日の終値よりも高い」、100以下なら「1月29日の終値よりも低い」ということになります。1月30日の発表後、ヘルスケア関連銘柄は全て100以下に落ちています。

以下のグラフは、各業界における「Amazon関連のニュースが出た日の株価の下落率」を示したもの。縦軸が下落率で、横軸は日付を表しています。丸は企業の株価を表しており、丸の色が企業の属する業界を示しています。なお、青が食品業界、赤がヘルスケア業界、黄色が小売業界、ミント色が配送業界、紫色が自動車業界、グレーがテクノロジー業界、緑が不動産業界です。

そんなAmazonでも2014年には行うあらゆることが間違いであるかのような大きな失敗を犯しました。2014年、Amazonは独自開発のスマートフォン「Fire Phone」を発売します。大きな期待を持って登場した端末で、発売当初は性能の高さを印象づけるレポートが続々登場しましたが、結局は「失敗作」の烙印を押されついには販売打ち切りとなります。Fire Phoneの販売不調によりAmazonは大赤字を計上。2014年のホリデーシーズンの収入の伸びは、2001年以降で2番目に悪いというもので、これもFire Phoneのせいにされる始末でした。

そんなFire PhoneはGIGAZINEでもレビュー済み。一体どんな端末だったのかは以下の記事でチェックできます。

本当にAmazonスマホ「Fire Phone」は失敗作なのか1週間ほど試してみて分かったこと - GIGAZINE

2014年の失態によりAmazonは株価を20%も下げますが、1年後には市場価値を5倍にまで膨れあがらせます。2015年はアマゾンウェブサービス(AWS)躍進の年でもありました。2006年のAWSのサービス開始以降、Amazonはクラウドコンピューティングサービスにおいて常に市場をリードしており、AWSは誕生したばかりの若い企業やスタートアップだけでなく、Netflixなどの大企業からも利用される存在へと進化を遂げます。そんなAWSの2015年における営業利益は、Amazon全体の営業利益の3分の2を占めていたそうです。なお、AmazonがAWSに支えられる構図は記事作成時点の2018年になっても続いています。

Amazonのクラウドサービス「AWS」が絶好調で株価が急上昇 - GIGAZINE

2015年はAmazonが有料会員向けに行う大セール「プライムデー」を初めて開催した年でもあります。2017年のプライムデーにおいて、Amazonは2000億円以上の売上を記録しており、Bloombergは「Amazonはより多くのものを顧客に買わせる方法を見つけた」と記しています。

2014年12月には購入した商品が1時間で届くサービス「Prime Now」をスタート。約1年後の2015年11月には日本でもPrime Nowのサービスがスタートし、2016年に入ってからはサービスエリアが東京以外の大阪・兵庫・横浜まで拡充されています。

他にも、2015年に所持していた109の流通倉庫は2018年までに150にまで増加。さらに、音声認識AI搭載のスマートスピーカー「Amazon Echo」をリリースし、同分野においてAppleやGoogleを先行しています。また、2017年には高級スーパーマーケットのWhole Foodsを1兆5000億円で買収しています。

AmazonがWhole Foodsを買収した狙いは、以下の記事を読めばよくわかります。

Amazonの1兆円超えのWhole Foods買収に見るAmazon帝国構築に向けた取り組みとは? - GIGAZINE

多くの企業にとって恐ろしいのは、Amazonが小売事業においても成長の余地を持っているという点です。アメリカでは小売事業における売上の90%以上が物理店舗上で発生しています。オンラインショッピングの割合は増加していますが、Amazonは買収したWhole Foodsの実店舗を持っており、他にもAmazon GoやAmazon booksなどの実店舗も有しています。

AmazonがWhole Foodsを買収する動きを察知することが難しかったように、Amazonが次にどの業界に進出するのかを予測することは非常に困難です。2018年2月27日にはスマートホーム家電の「Ring」を買収したばかりですが、2018年3月12日には「小規模事業者向けクレジットカードを計画」とも報じられており、これによりAmerican Expressの株価は約1.4%下落しました。

そんなAmazonも無敵というわけではありません。北米では電子商取引における利益率はわずか2.7%で、多くの人々が想像するほど大きな利益を生み出せているわけではありません。しかし、今のところAmazonやベゾスCEOの狙いを封じ込められるような力を持つ存在は一握りであることは明らかです。

2018-03-13 民泊の文化を作ろう。

[]行政任せにしないこと。 行政任せにしないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 行政任せにしないこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

なんでも新しいことが始まる時には喧々諤々、はつきもの。
"新しい派"と"古い派"が真っ向から対立する。
自分は「新しい派」に賛成するが、それも一通りではないだろう。
民泊が年180日以下ならok、などという規制で縛ってうまくいくものではないと思う。

ホストが常時いる、ホームステイのような民泊の制限はなし、とか。

世界中でホームステイやシェアハウスなどが浸透しているのは、それだけのノウハウの蓄積があるからだ。
日本は家屋が狭いし、外人のホームステイなんてほとんどないから、そうしたルール作りに少々混乱しているのだと思う。

医療とか介護とか、どんな業界でも最近、特に思うのだけれど"行政"が規制で全てコントロールしよう、というのは発想が古いし無理がある。
医療や介護、観光や移民といったことに「必要な規制」と「ソフト(規範)作り」を両輪で進めないと、いつまでも"規制規制規制"で埒があかないだろう。

「日本のMINPAKU」はこういうやり方らしいぞ。
観光もグルメも買い物もゴミ捨ても、みんな文化を作ってしまえばいい。
それをやるのは民間の自分たちだろうと思う。
行政任せではせっかくの民泊も死に体になってしまうことを危惧している。


「もう貸すのやめます」 迫真 民泊解禁前夜(1)

 ネット上で「ノリ」のハンドルネームを名乗り民泊を営んでいた女性が5日、訪日客向けの部屋の貸し出しを諦めた。3年前から借りている東京都中野区のワンルームマンションでフーッと息を吐く。「こんなルールでは民泊を続けられない」

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訪日客の民泊利用は増加している(東京都新宿区)

 普段は都内の会社に勤務する50歳。訪日客にマンガやアニメのサブカルチャーの聖地として人気の中野駅前に目を付け、約20平方メートルの家賃10万円ほどの物件を借りた。1泊3千〜6千円という低料金が人気を集め、稼働率は8割超。繁忙期の売り上げは月20万円以上で、光熱費や清掃費を差し引いても4万〜5万円の利益が残った。

 だが、ワンルームマンションは行政の認可を得ていない「ヤミ物件」。2017年6月に住宅宿泊事業法(民泊法)が成立し状況は一変した。施行日の今年6月15日以降は自治体に届け出れば合法的に営めるが、無許可営業は取り締まりが厳しくなる。民泊法には年間180日の営業日数の上限があり、女性は「売り上げが半減しても賃料のコストは変わらず赤字だ」と申請をやめた。

 営業を希望する物件の所有者は今週15日から自治体への登録手続きが可能になる。シェア経済の代表といわれる民泊の解禁にもかかわらず、観光庁内には「東京で半数以上の物件が消える」との衝撃的な見立てがある。

 三井住友トラスト基礎研究所の調べでは、東京の民泊は約2万軒と宿泊施設全体の1割を占める。だが厚生労働省によるとその8割以上はヤミ民泊だ。営業を諦める背景には2つの要因がある。

 第1に厳しい自治体のルール。「苦情やトラブル防止のためルールの条例化をめざす」。昨年10月、新宿区役所の民泊問題検討会で区長の吉住健一(45)が言った。東京でも訪日客に有数の人気エリアで、中国系のヤミ民泊がはびこるためだ。

 「住居専用地域」では営業を金曜日から日曜日に限定。営業日数の上限は156日になり、国の180日より厳しい内容になる。民泊法は生活環境の悪化を防ぐため、自治体に独自の条例を事前に設けることを認めている。東京23区では8割以上の自治体が独自のルールを検討中で、こうした「上乗せ条例」が民泊オーナーの事業意欲の減退につながっている。

 不動産業を営む東京・渋谷の神田美雪(46)は3月、新宿などで営んでいた6カ所の物件をすべて月決め賃貸マンションに切り替える。「訪日客に曜日で宿泊を縛るのはナンセンス。長期滞在を希望する外国人に貸したい」。営業日数の規制を前に、民泊の多くは新法の適用外である普通の賃貸や月決め賃貸マンションに姿を変えつつある。

 もう一つが、ヤミ民泊の騒音やゴミに悩まされてきた住民の反対だ。横浜市のマンションでは3月、管理組合の総会で民泊禁止の方針を打ちだす。自宅の空き部屋を民泊として貸してきた住民の女性(42)は残念がる。

 今まで120組泊めたが、近隣住民とのトラブルは皆無。訪日客との交流も楽しんできたのに管理組合は「問題が起きないとは言い切れない」と全面禁止を決めた。新宿でも住民からの苦情は年間200件を超えた。マンション管理業協会(東京・港)によると民泊禁止の分譲マンション管理組合は8割超に上り、物件の淘汰が加速する。

 観光庁長官の田村明比古(62)は6日、国会の場で「健全な民泊の普及を図る」と宣言した。では誰が新しい担い手になるのか。ポイントは新ルールに合致した物件をどれだけ増やせるかだ。

 「楽天ブランドで質の高さを伝えられる」。楽天の民泊子会社の楽天ライフルステイ(東京・千代田)は仲介だけでなく、民泊の運営代行にも参入する。社長の太田宗克(43)が繰り返すのはブランドイメージを武器にした集客力だ。

 「運営の全てを請け負えば、オーナーにとって民泊事業がやりやすくなる」。参入をためらってきたほかの大企業も解禁で合法物件が増えるのは好機ととらえる。

 全日本空輸は民泊仲介最大手の米エアビーアンドビーと提携し、住友林業も中古マンションや古民家を改装して民泊市場に参入する。観光庁幹部が話す。「課題は市場を席巻した灰色のヤミ民泊をなくし、民間企業の新しいビジネスモデルで健全な市場を築けるかだ」(敬称略)

 いよいよ15日に始まる民泊物件の登録。揺れ動く市場の実相に迫る。

プラムプラム 2018/03/12 23:59 プロフの写真変わりましたね。
ソムリエみたい。^ - ^

2018-03-08 AIのいう通り。

[]すぐに使えるAIすぐに使えるAI。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク すぐに使えるAI。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

ビジネスの現場の生産性改善の方法にベンチマークというのがある。
30年くらい前に出てきて、今でも営業とかホワイトカラーの生産性向上の基本だ。

内容はいたってシンプルで「できる人の型」を見つけ、それに近づくようにシステムを使って管理していく。

こういう仕事はとてもAI向きだと思う。
ものすごい数の学習をしなくても「できる人間」の型はだいたい決まっている。

なので自分はこの「ホワイトカラー向けのAI」を無数に走らせるのがいいのではないかと思っている。

大企業行政は「マイナス」を恐れて仕事をするから、どんどん「しょうもないルール」でガチガチになってゆく。
そして一旦できた規制は、おいそれとは無くならない。
ありとあらゆる作業工程が「全部二重チェック」になったり、りん議のハンコの数は増える一方になる。

リスクを取って「何かあると困る」のなら"AI先生"に間に入って貰えばいい。
お役所の仕事を見ていると、もう「ルールのための業務」と「リスク回避」でしかない、とよく思う。

「リスク回避の意識」が「生産性向上」よりも勝っているからこういうことになる。

減点主義の官僚制度では、ぜひ"AIさんの判断だからね"という方便で、新しいやり方にチャレンジしてもらいたい。


AIで最高の医療を 東大卒で救急医に、そして起業

2018/2/25

ドクターヘリに乗って、沖山医師は治療に当たっていた=沖山氏提供



 ドクターヘリの医師から起業家に。東京大学医学部を卒業し、救命救急の医師となった沖山翔氏(32)は2017年11月、AI(人工知能)などのデジタル技術を活用して医療業務を支援するアイリス(東京・千代田)を起業した。エリート医師の道に固執せず、離島でドクターヘリに乗り、ベンチャー企業に入社し、船医となるなど異色のキャリアを積み重ねる。東大卒の救急医が起業したわけは。

■都会の救急医、沖縄の離島へ

 「この病気の専門家だったら、救えたんじゃないか」。救急医の沖山氏は、何度もこう自問自答する場面に出くわしてきた。医学部を出て日本赤十字社医療センター(東京・渋谷)で研修医に。当初は内科医になろうと考えていたが、「何にでも対応できる医師になりたい」と医師3年目に救急科に転向した。東大卒の医師でハードな救急医を志望するのは少数派だった。

 その1年後、「都会と違う医療に触れたい」と医師不足に悩む離島に向かった。沖縄県の石垣島にある県立病院に2人しかいない救急医として勤務。その沖合の波照間島にも1人で診療に歩いた。ドクターヘリに乗り、島々を飛び回った。台湾からのクルーズ船で急患が出たときも、ヘリで対応した。

 さらに1年後に日赤医療センターに戻り、救急医のチームリーダーとなった。常に重症患者を受け持った。即断即決、救急医に欠かせないのは体力と瞬発力。当直は月のうち13〜14日に及び、36時間連続勤務も当たり前。中高時代はバスケット部で鍛えていて、体力には自信があった。疲労困憊(こんぱい)しながらも、やりがいを感じ、心地のいい緊張感には包まれていた。しかし、疑問が頭をもたげる。

 「もし、ここにすご腕のドクターがいれば、この患者さんは助かったかもしれない。患者さんももっと正確な知識を持っていれば、適切な科の医師に迅速に診てもらえたのでは。医師のスキルの差、患者の知識や情報の差、これらの『格差』を是正できないのか」。沖山氏が思い悩んでいるとき、医学部の1年先輩で脳外科医だった豊田剛一郎氏から声がかかった。医療ベンチャーのメドレーの経営に携わっていた。

 「ITを活用して医療を変えようよ」。豊田氏は脳外科医として中核病院に勤務。その頃は当直に明け暮れていた。医師不足が深刻化するなか、最前線の医師はいずれも多忙を極めている。だが、あらゆる患者に、最適な医療サービスが提供できてはいない。それで豊田氏はメドレーの経営に参加した。

■医療ベンチャーへ 週末ドクターも

東京都内の病院では超多忙な日々を過ごした=沖山氏提供



 デジタル技術を使って医療現場を効率化したいという思いに、沖山氏も共感した。メドレーは医師を集めて、オンライン医療事典「MEDLEY」という医療メディアを立ち上げた。1400以上の病気情報のほか、約3万点の医薬品や約16万件の医療機関情報を集約。約500人の医師とのネットワークを構築し、医療情報を日々更新する事業をスタートさせた。

 沖山氏は、「ネット上には医療関連の情報があふれかえっている。しかし、すべてが正確なデータとは限らない。患者側は正しい情報を迅速に収集できれば、間違った診療科を受診して、結局たらい回しされたり、病気だと勘違いして、不必要な不安に駆られたりすることも少なくなる」という。

 メドレーに入社したが、すぐに白衣を脱いだわけではない。会社の業務はネットワーク上でも可能だ。大型船に乗り、数カ月間を船医として太平洋上で過ごした。「実は、今もフリーランスの医師をやっています。先日の週末も救急医として勤務しました。僻地の医師不足は明らかで、北海道から沖縄まで、呼ばれた先で短期の救急医をやっています」という。いわゆる「週末ドクター」。救急医のため、地方の病院や診療所からは引っ張りだこだ。

■AIで最高のドクターの技を再現

 都会で救急医をやると息つく暇もない。しかし、離島など地方に行くと、ふと考える時間が生まれる。「もっと広く、深く、最高の医療をすべての患者に等しく提供するにはどうしたらいいんだ」。沖山氏は海や山を見ながら自問した。

 「やはりデジタルだなと。たとえばAIを使えば、匠の技を持つ最高のドクターの五感を、その医師がいない場所でも、検査や診断支援に活用できる。古き良きドクターの中には患者さんの顔色から異変を見逃さない人や、声色の変化から診断名まで判断がつけられる人もいます。この熟練医師の目や耳をAIで再現すれば、診断の精度が上がる。そんなシステムを一つずつ開発したらいいんじゃないかと」。確かに心臓の名医のなかには、聴診器で音を聞くだけで、心臓の状態が手に取るように分かる人もいる。しかし、名医になるには多くの患者を診る必要があり、長い臨床の時間がかかる。外科医は手術の症例数で腕を上げる。

 天皇陛下の執刀医として知られる天野篤・順天堂大学医学部付属順天堂医院長は、「心臓外科医として7500ぐらいの数の症例を担当してきましたが、この世界でやっていけるという手ごたえを感じたのは3000症例を超えたぐらいから。自分が他の外科医より優れているんじゃないかと思ったのは、5000症例あたりからだったと思います。胸を開いて、心臓を見て手をかざすと、うんいけるかなと。それが分かるようになる」と話す。

アイリスを起業した救急医の沖山翔氏



 AIを活用すれば、名医のスキル、ノウハウを他のドクターと共有し、診断・治療支援に生かせる。例えば、内視鏡で腸内の異形の部位を映す。熟練した専門医は、色合いや形などで、良性のポリープだとか、正確な診断を下せるかもしれないが、医師の中には誤診したり、見誤るケースがあるかもしれない。しかし、AIを活用すれば、内視鏡などの画像を瞬時に解析してその場で医師に伝え、診断を支援できる。

 「より良い医療現場を実現するには、病院の中と外、両面からのアプローチが必要」と沖山氏。17年11月にアイリスを起業。医師2人と学生の計3人で事業をスタートし、医療機器メーカーからも注目を集めている。名医の技術がAIで再現できれば、すべての患者に広く、深く最高の医療サービスを提供する可能性が高まる。

■デジタル+日野原先生の笑顔

 ただ、沖山氏は「もちろんデジタルですべての問題を解決できるわけではない。やはり最後は医師の人間力です」と語る。医学生の時に聖路加国際病院(東京・中央)を訪ねた。17年に105歳で亡くなった日野原重明氏が名誉院長を務め、がんの痛みなどを和らげる緩和ケアでは日本トップクラスの病院として知られた。

 沖山氏には忘れられない光景がある。終末期の寝たきりの患者の表情は暗い。病棟では「痛い、痛い」と沈痛な声が漏れていたが、日野原氏が回診で来ると、患者の顔は一瞬にして変わった。日野原先生はニヤッと笑いながら、「大丈夫だよ」と患者たちに握手して回った。ある患者は「先生に会いたかった。週に1度の回診が生きがい」と破顔。からだを起こし、顔を上げて喜んだ。「えっ、あの患者さん、自分で起き上がれるのか」。沖山氏は日野原先生の笑顔の威力に驚いた。デジタル技術だけで医療サービスが向上するわけではない。

 東大医学部は日本の「白い巨塔」の頂点に君臨する。医学生は1学年で100人前後。大学病院の医局とつながり、エリート医師として歩む人が少なくないが、「臨床医になるのは約50%、研究医になるのが約45%、後の5%は僕らみたいなちょっと違う生き方をするというイメージですか。でも、医療に役立ちたいという思いはみんな一緒ですね」と沖山氏。起業家と救急医の二足のわらじをはきながら、デジタル技術を活用した医療の格差是正に挑んでいる。

(代慶達也)


2018-02-18 物流の覇者。

[]巨大化のわけ。 巨大化のわけ。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 巨大化のわけ。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

今更ですが、AGFA(Apple, Google, Facebook, AmazonあとAlibabaもあるらしい)の中で最後まで生き残るのはやっぱりamazonでしょうか。

これまで、海外での販売は企業にとって大きな負担とリスクが伴った。
外国で倉庫を契約し、物流業者を動かし、決済や顧客サービスも整備しなければならない。
ところが、アマゾンを使えば、瞬く間に「海外進出」が可能になる。

amazonがネット通販の巨人と思っていたらびっくり。
プラットフォーマという言葉でも足りない。
聞けば融資までしてくれるという。
「総合販売商社」になっているらしい。
クラウド・システムも提供し、リアルな物流網も持つ。

さらには音声技術でユーザーとのインターフェイスも取れるかもしれないという。
ベゾスという創業者が最初からどの程度の「広さ」でビジネスを考えていたのか分からないが、顧客の「ラスト1インチを取りに行った」勝利か、などと思う。

自分とは比べるべくもないが、会社というのは信条とか情熱とか、そんなものがつくづく大事で。
流されることなく自分の思う道をただひたすら…

うまくいくかどうか、ということを先に考えるのは「邪(よこしま)」なことなのに違いない。

全てをのみ込む小宇宙
「魅惑のエコシステム(生態系)」の全貌

アマゾンは進軍した先々で、あらゆる人と企業を取り込み巨大化していく。その豊穣な生態系は、一度入ると抜けられないブラックホールなのか。

ぼん家具の立石幸士社長は、アマゾンで成長して新オフィスを立ち上げた

 前年同月比16倍の増収──。

 ネット家具販売のぼん家具(和歌山県海南市)は1年前、アマゾンでそんな月間販売を記録した。その後も3〜5割の成長が続き、その波に乗って8月、和歌山駅近くに新オフィスを構えた。

 入り口には取引先から贈られた大きな胡蝶蘭がずらりと並ぶが、その中に1つだけミニチュアのような小さな胡蝶蘭があった。

 「これはアマゾンさんから頂いたものです」。ぼん家具の立石幸士社長は笑いながら鉢を指さして、「アマゾンの体質を物語っている」と付け加えた。無駄なコストをかけず、究極の効率化を推し進めるカルチャーである。

 2年前、アマゾンのマーケットプレイスに出店してから、停滞していた業績が一気に成長軌道に乗った。アマゾンが求める高レベルの物流品質を実現するために、生産から物流まで事業を見直し、磨き上げてきたからだ。

 「プライムのマークが付くかどうかで売れ行きががらりと変わる」。立石社長はそう効果を話す。プライム会員向けの商品に指定されるには、アマゾンの物流サービス「フルフィルメント by Amazon(FBA)」を使う必要がある。だが、家具は倉庫の面積を食うため、多くの品を置いてもらうことはできない。

 そこに朗報が入る。昨年、マーケットプレイスの外部業者に対して、アマゾンと同水準の物流のスピードと品質を実現すれば、プライムマークを付けることが発表された。

 ぼん家具はアマゾン担当者や運送業者、家具メーカーと打ち合わせを重ねる。その結果、荷物の3辺を160cm以内にすると運送スピードが格段に速くなることが分かった。それを海外メーカーと交渉、部品や設計を変更してスピード配送を実現していった。

 そして昨年7月、ぼん家具は日本初のマーケットプレイスでのプライム認定を獲得した。現在、プライム対象商品は全1600アイテムの3割程度。「この比率を高めることが、販売を伸ばすポイントになる。アマゾンの基準に合わせるだけで、企業が強くなる」

人気商品にカネを貸し込む

 アマゾンはマーケットプレイスに参加する事業者に、様々な「成長装置」を用意する。その筆頭が強力な物流網だ。

 先に述べたFBAはアマゾンが商品の保管や出荷、決済、顧客対応などeコマースに関わる業務を代行するサービスだ。商品によって8〜15%の手数料を支払うが、「フルフィルメントセンター」と呼ばれる配送センターに納品するだけで済む。eコマースの関連コストが変動費になるメリットは大きい。

 「このサービスを使えば、最高の商品を作ることだけを考えればいい」。高さが調整できる立ち机を製造販売するStand Steadyの創業者、デイ・マーティン会長はアマゾン効果をそう話す。

 配送センターは、世界で150カ所以上に点在する。アマゾンの生態系に参加すれば、物流網は海外まで伸びる。

 これまで、海外での販売は企業にとって大きな負担とリスクが伴った。外国で倉庫を契約し、物流業者を動かし、決済や顧客サービスも整備しなければならない。ところが、アマゾンを使えば、瞬く間に「海外進出」が可能になる。

米国市場をアマゾンで攻め、販売を急増させた長谷川工業の長谷川義高副社長

 はしご脚立メーカーの長谷川工業(大阪市)は、2009年に発売したデザイン脚立「ルカーノ」で国内外のデザイン賞を獲得した。その勢いで海外販売を開始したが、なかなか数字が伸びない。そこで昨年、アマゾンに米国進出のサポートを依頼した。

 「商品の見せ方から物流、カード決済まで全てを支援してくれた」(長谷川義高副社長)。効果はすぐに表れた。ルカーノの海外の販売数量が、ここにきて日本と同水準まで上昇してきたのだ。

 「欧州も、アマゾンでの販売を検討している」(長谷川副社長)

 アマゾンは「成長装置」として、金融機能も用意している。

設立直後の融資で、王国権ベステックグループ社長はベストセラーを連発

 14年、車載用充電器などを販売するベステックグループ(横浜市)を設立したばかりの王国権社長は、資金繰りに悩んでいた。出身国である中国のメーカーから仕入れた製品をアマゾンで販売していたが、飛ぶように売れたため在庫を増やしたい。だが、創業間もないうえに、外国人経営者ということもあって銀行は融資を渋った。

 そんな時、苦境を見透かしたようにアマゾンから融資のオファーが届いた。

 ネットに必要事項を入力して送信すると、わずか2営業日後に数百万円が振り込まれた。その後もアマゾンの資金を使って急成長し、今年になって家電製品の取り扱いを始めると、冷蔵庫は3カ月で売り切れた。今では数千万円をアマゾンから借り入れている。

 「アマゾンが売り上げと在庫の推移を見て貸した短期ローンなら、返済はほぼ確実だと思う」(王社長)

 銀行が企業のリアルタイムの数字を捉えることは難しく、どうしても後手に回ってしまう。そうした金融の盲点を突き、しかもマーケットプレイスの機会ロスを解消している。

 最近はスタートアップの育成に力を入れる。国内外の革新的な新興企業にマーケティングや配送などを支援する「Amazon Launchpad」だ。特設ページには1万5000の新興企業の商品が掲載されている。このプログラムを利用している企業は全世界で2100社を超える。

米アンキのタペイナー社長はAmazon Launchpadでメジャーに

 AI人工知能)を搭載したレーシングカーキットや小型AIロボを開発する米アンキもその中の一社。ハンス・タペイナー社長は、「商品の概要だけでなく、どういう考え方で商品が生まれたのか、作り手の思いを伝えられる」とプログラムの長所を説明する。

 新商品アイデアを消費者に熱く語りかけたい──。そんな起業家の熱意を、アマゾンは消費者に伝えてビジネスを後押ししている。

 生態系に加わる起業家が新たな市場を開拓する。それがサイトの魅力を高め、アマゾンの売り上げを伸ばしていく。その結果は数字にも表れている。

1998年の入社以来、商品カテゴリーの強化や欧州事業の拡大に尽力してきたブルーサード氏。「驚くべきことに、20年前のアマゾンと今のアマゾンを見ても、そのカルチャーがほとんど変わっていない」と語る(写真=Hayley Young)

 16年にマーケットプレイスで20億アイテムが販売されたが、17年は上期でその数字をクリアしてしまった。その生態系を支えているのは、世界で200万を超える中小業者だ。「売り手の成功は我々の成功」。インターナショナル・セラー・サービスのバイスプレジデント、エリック・ブルーサード氏は語る。

軒先を貸して、繁盛店を作る

 「弾み車(flywheel)」。ベゾス氏は急成長の仕組みを、その言葉に込める。重い弾み車を回すには大きな労力がかかる。だが、押し続けていくうちに少しずつ勢いが増し、そのうち自転のように回り続けていく。経済に置き換えれば、好循環を生み出す仕組みさえ動き出せばビジネスは拡大して止まらなくなるという理論だ。

 振り返れば、マーケットプレイスはこの循環を生み出す舞台装置だった。

全ての打ち手は成長につながる
●ベゾス氏の弾み車

 参加業者を引き込めば品ぞろえが増し、サイトに来た人の満足度は向上する。そうして顧客が増えれば出品者がさらに集まる。その利益を値下げに使えばさらに加速力が上がっていく(上図を参照)。00年代前半の苦境の中、競合他社に軒先(サイト)を開放したことで、この弾み車が回り始めた。

 「外部の売り手をアマゾンに引き入れる決断がなければ、地球最大の品ぞろえというビジョンは実現できなかった。アマゾンの強さは、リテール事業とマーケットプレイスの両方を持っていることにある」(ブルーサード氏)

 その決断は、社内に衝撃を与えた。アマゾンのリテール部門にしてみれば、突然、ライバルが自社サイトで販売を始めることになる。高い販売目標があるのに、客を奪われかねない。

 だが、ベゾス氏は「顧客の利益」を軸に判断する。外部の出品者の方が安ければ、それは消費者にとって望ましいことだ。競争によって自社の競争力も磨かれると考える。

 その背景には過去の失敗がある。ネットオークションで成功したイーベイを追撃するため、1999年にアマゾンもオークション事業を始めた。ところが、大苦戦を強いられる。アマゾンがeコマースとオークションを全く別のサービスとして運営したことが原因だった。そこでサイトの統合を決断する。

 「アマゾンと外部業者の商品を同じように買えるようにすることが狙いだった」。『The Amazon Way』の著者で、マーケットプレイスの改革を主導したジョン・ロスマン氏はそう振り返る。

 その後も、弾み車を加速させるために、様々な仕掛けを打ち続けた。回転を始めた弾み車にさらなる推進力を与えたのはアマゾンプライムだ。

 eコマースの最大のネックは「eコマースは送料分が高くつく」という顧客心理。そこに、「プライム会員は送料無料」とうたったため、逆に大量購入を生み出した。できるだけアマゾンで買おうとする消費者が増えたことで、商品検索のシェアも増加、eコマースは破竹の勢いで伸びた。そのプライム会員に様々な特典を追加して、盤石の「eコマース消費群」へと育て上げていった。

「配当ゼロ宣言」を貫く

 もっとも、次々と打たれてきた生態系の強化・育成策は、ベゾス氏とアマゾンが最初からロードマップを描いて進めたことではなかった。プライムやその後の施策は、一つひとつが単体で利益を出すとみて導入したわけではない。

 プライムの年会費やFBAの物流手数料といった配送関連の収入と、実際にかかった配送コストを比較すると、2016年は70億ドル以上の赤字とみられる。だが、プライム会員によってeコマースの売上高やシェアが押し上げられているので、配送の収支だけを切り出して議論しても意味はない。

 それは、生態系が全ての生物による支え合いによって成立していることと同じ構図だ。

 プライム会員向けの無料配送を始めた05年当時、単独で採算が取れるとは誰も考えていなかった。ただ、無料配送は顧客にメリットが大きく、購入が増えることは間違いない。最後は、ベゾス氏の鶴の一声で始まった。

 その判断軸は創業期からブレていない。毎年、株主総会に際してベゾス氏がしたためる「株主への手紙」。そこには、上場初年度の1997年の年次報告書に掲載された「Day One」の哲学を記した文章が添えられている。

 「市場のポジションを得るため、顧客と売り上げの伸びにフォーカスします。そのため、配当は一切払いません」

 今でこそ、米配車サービス大手ウーバーテクノロジーズのように、赤字覚悟で顧客と売り上げを取りに行く戦略はウェブ関連サービスではよく見られるようになった。それを20年も前から続けているのは、ベゾス氏の哲学と長期的視点のなせる業だろう。

 この20年でアマゾンは他に類を見ない複雑な生態系を作り上げた。オープンで誰もが暮らしやすい世界だからこそ、あらゆる起業家が「成長の土台」として活用している。生物が地球を必要とするように、マーケットプレイスは不可欠な大地となりつつある。

 アマゾンが構築したもう一つの巨大なエコシステム(生態系)はアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)だ。

将来もクラウド市場は拡大していく
●クラウド市場の推移予測(グローバル)

注:ウィキボン調査のパブリッククラウド市場規模

 クラウドコンピューティング業界は2016年に市場規模が約800億ドルに達した。27年には5250億ドルに成長すると予測される(ハイテク調査グループ、ウィキボン調査)。その成長市場でAWSは他の追随を許さない。

 AWSの登場前、企業はサーバーを購入して自前のシステムを構築する必要があった。だが、アマゾンは社内で使っていたシステムの機能を他社に「間貸し」するサービスを始める。これを使えば、企業はサーバーやデータセンターを持つ必要がなくなる。電気やガスのように従量課金制なので「ハードは買ったが容量が余っている」という無駄もない。

 「システム費用を設備投資でなく、変動コストとして処理できるのは大きい」。AWSとの協業に関わった米レッドハットのビジネス開発担当バイスプレジデント、マイケル・フェリス氏はそう効果を話す。今ではAWSはストレージやサーバー処理、AIなど90の主要な機能サービスを提供している。

仕事が勝手に舞い込む

エフエム和歌山の山口誠二氏はニュースの音声読み上げシステムをAWSで構築

 社員7人のエフエム和歌山は、AWSの音声読み上げ機能「Polly」を使って、ニュースを流している。新聞社のニュース原稿をテキストデータとして蓄積し、放送時間に米オレゴン州のAWSのデータセンターに送信すると、1〜2秒後に日本語の音声ニュースが流れる。

 「深夜帯などはアナウンサーを用意できない。予算が少ない民間放送局には強力な武器になる」

 そう話す企画・編成の山口誠二氏が音声読み上げを検討したのは3年前のこと。だが、システム会社はシステム構築費で70万円、月々のテキスト読み上げに2万〜3万円を提示した。小さな地方局には負担が重すぎるため、この時は断念せざるを得なかった。

 ところが、AWSは初期費用がかからず、10万文字で400円という破格の値段だった。1日6回ニュースを読み上げても、年間1000円もかからない。「今後は音楽番組のDJにも使う方針だ」

ネット写真サービスで顔認識機能を組み込む千株式会社の千葉伸明社長

 ネット写真サービスを手掛ける千株式会社もAWSにとりつかれた一社だ。幼稚園や小学校の運動会といったイベントの写真を撮影・販売する同社は、今年になってAWSの画像認識サービス「Amazon Rekognition」の採用を決めた。イベントによっては写真が1万枚を超えるため、自分の子供の写真を探すのは時間と労力がかかる。だが、アマゾンのサービスを使えば、1〜2秒で目当ての写真が探し出せる。

 「10年前から探していた機能。国内外の会社に頼んだが、1000万円を超えるコストを提示されたこともある」と千葉伸明社長は打ち明ける。だが、AWSは従量課金で、1イベントを検索できるようにするためにかかる平均コストは200円程度で済む。

 利用率は2〜3割だが、今後はサイトに来た顧客に、過去の購入履歴から家族の写真を先回りして表示するサービスを検討している。アマゾンの広告表示に使われている機能の応用だ。

 AWSはコスト低減だけでなく、事業のイノベーションを支える。機能や規模が自在に増減できるため、新規事業など、機敏にビジネスを展開するケースに向いている。AWSがなければ、Airbnbやネットフリックスはビジネスを一気に拡大できなかっただろう。

 「周りのスタートアップの企業はほぼAWSを使っている。使わずに立ち上げた会社を探す方が難しいくらいだ」。サンフランシスコのソフトウエアエンジニア、ジミー・スー氏はそう話す。

 AWSの登場で、システム業界は激変してしまった。

AWSのプレミアパートナー、クラスメソッドの横田聡社長(写真=的野 弘路)

 「うちからは売り込みはしない。それでも、あらゆる業界から仕事が舞い込む」。日本に7社しかいないAWSのプレミアコンサルティングパートナーとして、AWS機能を使ったシステム設計を手掛けるクラスメソッドの横田聡社長はそう打ち明ける。

 当初は企業向けにシステムを開発していたが、自社システムのためにAWSを触り始めて、パーツ(機能部品)を組み上げて瞬時にシステムを構築できるAWSの威力を知った。その後、資生堂やソフトバンク、凸版印刷など大企業のシステム構築を担うことで急成長、今年中にその数は1000社を超える。

 こうしたAWS生態系に、大手IT企業ものみ込まれている。

 大手ITのNECも、AWSのプレミアパートナーに認定されている。NECは自社でもクラウド事業を展開しているが、年内にAWSの認定技術者を現在の2倍の500人体制にするという。

 「NECなど歴史のある大企業にとってAWSは脅威。でもサーバーや自社サービスにこだわればDisrupt(破壊)される。どうAWSと協力していくかを考えないとならない」(NECの榎本亮CMO)。大手IT会社も取り込み、AWS生態系は勢力図を拡大している。

「ジョブズになる必要はない」

 ネット書店だったアマゾンから、なぜ革新的なクラウド事業が生まれたのか。元をたどると、自社のシステム部門が成長のボトルネックになっていた事実に突き当たる。

 00年代初頭、ベゾス氏は社内に、ある「お触れ」を出した。システムやサービスを機能や構成要素ごとに分解して、社内外の人間が手軽に利用できるようにしろ、という指示だ。これが実現すれば、必要な機能を集めて新しいサービスを素早く作ることができる。

 ベゾス氏が出したこの指令は、今で言うAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の概念を含んでいた。APIという言葉さえ浸透していない時期に、社内のシステムやサービスを部品にしてやり取りするよう求めたのだ。

 アマゾンの元エンジニアで、その後グーグルに移ったスティーブ・イエギ氏のブログには、02年ごろのベゾス氏の指令が詳しく書かれている。

 「全てのチームがサービスインターフェースを通してデータや機能を公開すること」「全てのインターフェースは例外なく外部から見えるように設計すること」。ベゾス氏はそう命じて、従わない者は例外なく解雇すると宣告したという。

 「ベゾスが命令を出すのはいつものことで、社員はそのたびにハンマーを振り上げられたありんこのように慌てふためく。だが、02年ごろに出された命令はいつもと違っていた。その命令は目玉が飛び出るくらい大きく、それまでの命令がちっぽけに見えたほどだった」。イエギ氏はそうつづっている。

 APIとは、見方を変えれば様々な機能をセルフサービスの形で提供するということだ。また、APIを使えばデータやソフトウエア、部門間の統合も容易になる。ある機能が欲しければ自分で取りに行く。サービスを作った方は機能や使い方をAPIの形で公開する。そうすれば、ボトルネックは解消するとベゾス氏は考えたわけだ。

 構成要素をバラバラに分解して取りに行く──。この発想こそ、アマゾンをクラウド企業の先駆者に転換させた本質であり、売上高1359億ドルの巨大企業になった今もスピード感を失わずに成長している理由だ。

 ストレージや演算処理などの機能がパーツに分かれていれば、欲しいシステムを瞬時に組み上げられる。進出国でレコメンデーション(おすすめ)機能を追加したければ、過去に作られたAPIを活用すればいい。音声読み上げや画像認識も開発チームがすぐにAPIにしたから、早期に公開できたに違いない。システム開発は格段に速くなった。

 それにしても、ベゾス氏はなぜ、あのお触れを出したのか。思考の奥底はのぞけないが、状況証拠としては、ITバブル崩壊後のカオスの中で、組織の効率化とビジネスの収益化を必死になって考え続けた結果だと思われる。

 「全ての人に合う製品を作るためには、ジョブズになる必要はないということにベゾスは気づいた」。イエギ氏はブログでそうも語っている。それは、グーグルに向けた批判でもあった。

 万人が満足する製品やサービスを作ることは不可能である。だが、誰もが自由に参加できる「場」を作れば、それぞれの開発者が顧客に合うものを勝手に作る。やるべきことはメニューを増やすことと、誰でも利用できるようにすること。だが、プロダクト主導のグーグルはそれが理解できない。そうイエギ氏は嘆いたのだ。

 ベゾス氏はそこに誰よりも早く気づいたからこそ、強大なプラットフォーマーへと変貌を遂げた。

 AWS以外の環境でサービスが使えるようになるなど、進化を続けている。高いシェアを獲得しても囲い込まず、逆にオープンにすることで、AWSの生態系を繁栄させようとしている。

 そのアマゾンで、さらに人々を巻き込む新しい生態系が出現している。「アレクサ」だ。

(写真=David Becker/Getty Images)
声だけで、あらゆるモノを動かす
●アレクサの仕組み

アレクサは話し手の音声をテキストに変換する技術と、テキストの意味を読み取り、端末に伝える技術の集合体(写真=T3 Magazine/Getty Images)

 アレクサとは、アマゾンが開発したAIによる音声認識エンジンで、話し手の声を聞き取り、テキストに変換する技術(自然音声認識)と、テキストの意味を読み取り、アプリケーションに伝える技術(自然言語処理)から構成される。アマゾンが発売している「エコー」は、アレクサを搭載したスピーカーだ。

 2014年にエコーを発売して以来、アレクサはスマートフォンに代わる次世代インフラと目されるようになった。

 スマホの登場以前、コンピューターを動かすにはキーボードとマウスが必須だった。だが、iPhoneが誕生すると、タップとスワイプが人と機械をつなぐインターフェースとして台頭した。

 「次の革命は間違いなくボイス(音声)インターフェース。そのことを最初に認識して先頭を走るのがアマゾンだ」。米ガートナーのアナリスト、ワーナー・ゴーツ氏はそう指摘する。

 エコーの普及で、音声アシスタントを巡る競争は激しさを増している。

 8月23日、グーグルとウォルマートは音声によるネット通販事業で提携すると発表した。グーグルのネット宅配サービスにウォルマートが商品を提供、グーグルの音声AIを搭載した「グーグルホーム」に話しかければ、声での注文が可能になる。

 すると翌週、音声アシスタント市場で競合しているアマゾンとマイクロソフトが提携を発表した。アレクサとマイクロソフトの「コルタナ」を連携させるという戦略だ。

 コルタナはすでにウィンドウズ10に組み込まれ、スケジュール管理やメールの読み上げに対応しているが、パソコンでの利用にとどまっている。一方、アレクサはエコーを通じて米国の家庭に浸透しているが、ビジネス用途は弱い。「両者の顧客満足度を高めるための提携だ」(アレクサ関連事業部門担当のバイスプレジデント、トニ・リード氏)

アレクサ関連事業部門を担当するバイスプレジデントのトニ・リード氏。家には10以上のエコーがあるという(写真=Hayley Young)

企業の中心に食い込む装置

 AIによる音声アシスタントの嚆矢はアップルのシリだったが、ジョブズ亡き後、開発ペースが減速した。技術的にはグーグルが上回っているという声もある。それでもアレクサの利用が拡大しているのはエコーの発売が早かったことに加えて、外部の開発者が自由にアレクサを組み込んでサービスを構築できる環境を整えているからだ。

 エコーの発表当初、アレクサを使ったサービスは13にすぎなかったが、今では2万に急増した。1月の米家電ショー(CES)では、アレクサ搭載商品が700以上も展示されて話題をさらった。

 技術を開放して外部の開発者を取り込む。そのフィードバックによって質を磨き上げ、生態系を繁栄させていく。それは、ベゾス氏がeコマースやクラウドでとった手法そのものだ。

 「大半の技術がなく、一から作る必要があった」。そうリード氏は振り返る。最初の一歩はノイズのある部屋の中で、「アレクサ」と呼びかけた時に、言葉を認識して起動することだった。それが、いつしか技術を売りにする企業を追い抜いてしまった。

 そんな無謀とも思える挑戦に乗り出したのは、ベゾス氏の思想である、顧客満足につながるなら困難があっても腰を据えて突き進むカルチャーに他ならない。「アマゾンは失敗を許容する文化がある。挑戦することを恐れる必要がない」(デジタルビデオのティム・レスリー氏)。これはマネジメント層に浸透している。そして、外部に門戸を開いて切磋琢磨していく。

 音声を媒介としたアレクサという生態系は、消費者とビジネスを結びつけ、さらなる地平を切り開いている。

 37ページで見たように、アレクサは音楽ストリーミングの世界を激変させ、音楽消費の新しい世界を生み出してしまった。いずれはマーケティングと広告の世界をも揺さぶるだろう。

 さらに、ビジネスの内部にまで食い込もうとしている。

 アマゾンは社内コミュニケーションやビデオ会議などのツールとして、エコーを企業内に送り込む腹積もりだ。スクリーン搭載の「エコー・ショー」はその布石だろう。日々の業務が音声で進められる世界は早晩訪れる。その時、オフィスの中心にエコーがあれば、販売や購買といった企業取引を、根こそぎ囲い込むことになる。

 それは、アマゾンの複数の生態系が絡み合いながら、さらに強固で抜け難い集合体になっていくことを意味する。もはや、アマゾンなしにビジネスも生活も送れない。そんな世界が到来する。

2018-02-17 エイジレスと勝ちパターン。

[]普遍的なこと。 普遍的なこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 普遍的なこと。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

日経より、五十代になって変わらずキャリア進化をしている女性の記事。

(また単にお客様のことだけではなく)、プロダクト、競合、業界の構造など、自分の仕事に関わることは、どんなことでも、全体像と細部をできる限り把握するように努めてきました

これは大事だ。
「全体像と細部」というのがキモだと思う。
全体像という意味では、たいてい関わってくる「隣接の」行政とか法律とか政治とかマスコミとかも重要だ。

しかもマクロで総論ばかり研究しても、実務の助けにはならない。
「神は細部に宿る」から、現場の実務のことを知らずには新しいアイデアは出てこない。

世の中に成功のためのコツを記した著作は数多いが、
1. 自分の「勝ちパターン」を身につける
2. 直感や「心の声」を大事にする
3. 新しい世界に足を踏み入れ、体験し、学び続ける
こんなとところに集約されているのではないだろうか。

大事なのは、自分がどこに進んでいるのか?
を考える余裕(というか技術)なのだと思う。

50代で起業、シンガポール女性に学ぶ「エイジレスに生きる3つのヒント」
1/20(土) 11:00配信
「アラサー」や「アラフォー」という言葉のなかに、皮肉や自嘲のようなニュアンスを感じることはありませんか。いまだに女性に対して、20代が市場価値としては最高といった見方も少なくありません。

日本の社会で生きるうえで「世間からどう見られるか」は、いまでも日々の生活や人生の選択において大きな価値基準。とりわけ、「年齢相応か」という観点はその際たるものといっても過言ではありません。そうした旧弊な価値観が、無意識のうちに私たちの中に「年齢によるハードル」をつくり出し、本来ある可能性を蝕んでいるということに、日本の外で生活を始めて、初めて気づかされました。

海外でも「年齢相応か」という基準がないわけではありません。でも、私がいま暮らしているシンガポールでは、日本よりもそうした価値観に縛られず、充実した人生を生きている人たちをたくさん目撃することができるように思います。

クリスティーナ・テオさんもそんな「エイジレス」な生き方をする女性のひとり。シンガポール生まれの彼女は、現在54歳。起業する女性を支援するコミュニティ「Startup Asia Women」の創業者兼代表として、一度に数100名以上を動員するスタートアップのイベントを何度も開催し、成功させています。

いまやこの国のスタートアップ業界では、その名前を知らない人はいないコミュニティのひとつです。去年の11月からは新たに会社も立ち上げ、自ら社長としてスタートアップ企業を経営するという新しいチャレンジもはじめています。

実は、そんな彼女が、シンガポールに戻ってきたのは2016年のこと。社会人になってからのほとんどを、台湾、フランス、イタリア、香港、ニューヨークといった国外で過ごした彼女は、当初母国に戻る気はありませんでした。46歳で結婚し、その後拠点にしていた香港から帰ろうと思ったきっかけは、80歳を越える高齢になった実母の存在でした。万が一の時に備えて母と暮らそうと、夫を香港において、独りシンガポールへ戻ってきたのです。

今でこそ確固としたステイタスを持ち活躍していますが、帰国当時はまさにゼロからのスタート。自分ではなく、家族の都合での引っ越し。また海外での生活が長かったこともあり、シンガポールでの交友関係やビジネス・コネクションはなきに等しい状態でした。

でも、せっかく帰ってきたからには、シンガポールでも何か意味のあることをしたい。このような思いでクリスティーナさんを突き動かしたのは、豊富な海外生活の体験で得た「エイジレスな生き方」でした。

クリスティーナさんの人生から学ぶ「エイジレスに生きる3つのヒント」をご紹介しましょう。

1. 自分の「勝ちパターン」を身につける

クリスティーナさんは23歳で海外での仕事をするチャンスをつかみます。キャリアのスタートは台湾のコンピューター関連機器メーカーAcer。以来IBM、Yahoo、O2、CSL Hong KongなどITや情報通信関連業界の大手企業を中心にキャリアを積んできました。

彼女がこの業界に入ったのはちょうど1980年代後半、パーソナルコンピュータ(PC)が普及し始めた頃。それに合わせてインターネットが生まれ、爆発的に広がり、それがスマートフォンの誕生に繋がっていく、まさにその流れとともに歩んできました。

時代の最先端を行く業界だったこともあり、任される仕事はこれまでやったことのない仕事ばかり。30代前半でYahoo! Singapore初のゼネラルマネージャに就任し、シンガポール拠点立ち上げをすることになったときには、インターネット業界、いわゆるドットコム企業での経験はゼロ。また40歳で世界初のウィンドウズ版スマホの発売をリードしたときにも、関連する経験はゼロ。

そんななかで彼女が見出した未経験の仕事を成功に導くための秘訣は、「どんな仕事も常に当事者意識を持って取り組むこと」ということでした。

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若くして見つけた自身の「勝ちパターン」

「20〜30代の頃に仕事で意識していたのは、自分が目の前にいるお客様にとっての唯一の窓口となり、お客様の状況をすべて把握できるようにすること。また単にお客様のことだけではなく、プロダクト、競合、業界の構造など、自分の仕事に関わることは、どんなことでも、全体像と細部をできる限り把握するように努めてきました」

「そうすることで、自分自身仕事がしやすくなることはもちろんのこと、一緒に仕事をする関係者や同僚や上司も自分に信頼を置いてくれるようになります」と振り返るクリスティーナさん。

「臆することなく未知の分野に足を踏み込んで、自分の役割を見出していく」という現在まで通じる彼女の「勝ちパターン」は、仕事に夢中になって過ごした当時の体験が土台になっているようです。

2. 直感や「心の声」を大事にする

20代や30代の女性といえば、キャリアでの成功はもちろんのこと、恋愛や結婚といったプライベートでの幸せも気になる年頃。でも仕事に夢中だったクリスティーナさんにとって、正直なところプライベートの幸せは二の次でした。

「幼い頃から夢見ていた海外での生活が叶って、本当にエキサイティングな生活を送っていました。恋愛ももちろんしていました。でも、どのぐらいそこにいるのかわからないなかで、深く関係を築くということは難しい状況でした。素敵な人に出会っても、友達のままでいることを選んだこともたくさんありました」

「正直なところ、自分のやりたいことに夢中になっているときに、誰かと人生をシェアするということを進めるのは難しいと思います。当時の私は『いまはキャリアが一番大事』だとわかっていたので、仕事を優先することに納得していました」

そんなキャリア一筋で過ごした彼女に、40代早々で大きな転機が訪れました。世界初のウィンドウズ版スマホを発売するという大きな仕事に関わり、その仕事が一段落していた41歳のとき、当時の上司から何げなくかけられたひと言で目が覚めたと言います。

「クリスティーナ、次は、このスマホを発売するからよろしく!」と言われた彼女はハッと気づきます。確かに目の前の仕事は面白い。でもこのままビジネスの世界にいたら、次から次へと出てくる新たな仕事に関わり続けて行くことになる。そして、次のような「心の声」を聞いたのです。

「いまの自分が求めているのは、さらなるキャリアでの成功を積み上げていくことではない」

この直感的かつ強い気持ちに突き動かされ、あと数か月会社に残れば手に入った大金のボーナスも受け取らず、突如会社を退職。「夫探し(!)」にニューヨークに行くことを決めます。なぜニューヨークだったのか。それは当時人気を得ていたアメリカのテレビドラマ「Sex and the City」の影響でした。

行ったところで結婚相手なんて見つかるはずないと周りの友人からは散々バカにされながらも、クリスティーナさんはニューヨークに長期滞在するために大学院へ進学。それでもあくまで本当の目的は、「そこで旦那さんを見つけること」だったのでした。

ニューヨークでは自身のこれまでのキャリアのことなどは一切明かすことなく、まるで新しい人生を生き始めたかのように生活。そして約4年を経て、当初の目的であった「人生の伴侶」を見つけ、46歳で結婚しました。

仕事をやりたいと思う時期は思いっきり仕事をする。でもプライベートの幸せが欲しいと思ったら、それも素直に行動に移して追求する。クリスティーナさんのような直感や自分の心の声を大事にする姿勢は、「エイジレスな生き方」の大きなポイントのように思います。

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躊躇せず新しい世界に足を踏み入れる

3. 新しい世界に足を踏み入れ、体験し、学び続ける

実母の近くにいたいという思いから、長年の海外での生活に終止符を打ち、母国シンガポールに戻ってきたクリスティーナさんでしたが、そこでそのまま静かな生活に終わらないのが彼女の真骨頂です。

せっかく帰ってきたからには何か世の中に意味のあることをしたい。そんなことをぐるぐると考える日々のなかで頭に残ったのが「スタートアップ」という言葉。まさにシンガポールではゼロからのスタートだった彼女にふさわしい言葉、それが新たな人生の幕を開くキーワードともなりました。

「スタートアップと聞いて、なんとなく面白そうだなと思いながらも、それがなんなのかはまったく知りませんでした。そんなとき、世界最大級のスタートアップの祭典といわれる「Slush Asia」に参加しました。そしたらビックリ。国内外の多くの起業家や投資家の講演があり、彼らが現在取り組んでいるビジネスやそこから見えるこれからの世界のことを聞くことができたのです」

クリスティーナさんが「Slush Asia」で見聞きしたものは、すべてが素晴らしくてエキサイティングだった。ほんとうに新しい世界に足を踏み入れたという感覚を得た彼女は、そこからスタートアップについてリサーチを始め、さまざまな起業家から話を聞きます。そのなかで大きな気づきを見出すのです。

「私自身はこれまで起業の経験はありませんでしたが、所属してきた大企業では、新規事業の立ち上げや自分しかいないひとり部署への配属を何度も経験していました。それらの経験を生かして、現在スタートアップ経営者たちの力になれることがたくさんあるということに気がついたのです。まさに、自分自身が探していた『世の中に意味のあること』を見つけた瞬間でした」

立ち上げから1年足らずにもかかわらず、クリスティーナさんの「Startup Asia Women」はシンガポールのスタートアップ業界で広くその名を知られるコミュニティに発展。今では新たに自身の経営する会社も立ち上げています。

「自分で新たに起業したのは、私自身も一経営者としてスタートアップ経営の経験を積んでみたいと思ったことが第一です。またその経験を通じて、コミュニティもより有益なものにできると考えているからです。この歳になっても、世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあって、学ぶことがたくさんある、最近あらためてそう感じています」

いつでも躊躇せずに新しい世界に足を踏み入れること。そしてその世界を自分の五感を使って体験すること。そしてそこから学び続けること。クリスティーナさんの軌跡を辿っていると、これが「エイジレスに生きる」ための大きな秘訣であると気付かされます。

テクノロジーの発展により、環境や経歴、年齢などの条件に縛られずに、より自由にクリエイティブに生きていくことができる状況が整ってきました。また個人の幸せのあり方も多様化し、自分らしい生き方を選べる時代を迎えつつあります。巷では「人生100年時代」という言葉をよく耳にするようになり、ようやく日本でも、政府主導で「人生100年時代を見据えた経済・社会システムを実現」していこうというイニシアチブもとられています。

そんなときにこそ、クリスティーナさんがその人生で会得してきた「エイジレスに生きるヒント」は役に立つかもしれません。

2018-02-11 恐竜の滅び。

[]小さいからできること。 小さいからできること。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 小さいからできること。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

銀行が危ないというのは最近頻繁に見かける報道だが、どうも一桁くらい「危機意識」はずれているのではないだろうか。
記事では「通帳前提を見直す」という話だが、そんな場合ではないだろう。

銀行の経営者などは優秀な人が多いから、「そんなことは分かっている」ということだと思うが、現実の業務を見ればそんな話しか出てこないのだろうと思う。
通帳はおろか、ATMも支店も、さらには現金も不要になるだろう、と言われる中でこれからの金融機関は厳しい変身を迫られるに違いない。

ここ数年のネットの浸透ぶりを見ると、「これまで一番堅かった業態」の企業が「最も苦しい存在」になっている。

これまでは試合にすらならなかった大企業が解体される時期、自分たち零細企業にはチャンスが出てくる時期だと思う。
小さいこと、が有利な時代がやってくる。

大手銀「通帳前提」サービス見直し 維持管理費の削減で検討 預金者反発も
1/19(金) 7:15配信
紙の通帳のないインターネット口座の普及が進む中、大手銀行が紙の通帳を前提にした口座や現金自動預払機(ATM)など旧来型サービスの見直しを検討している。日銀のマイナス金利政策の影響などで収益環境が悪化し、税負担など維持管理費の削減を図りたい思惑がある。ただ、他行に先駆ければ通帳に慣れた預金者の反発で顧客離れを招く恐れがあり、導入時期を慎重に見極めている。

「手数料の形は理屈としてはあり得る。お客さまにとっての価値を十分考えた上で今後も検討する」

全国銀行協会の平野信行会長(三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)は18日、東京都内で開いた記者会見でこう述べ、預金者の理解を前提に「口座維持手数料」などさまざまな検討を各行が進めている現状を説明した。

銀行は紙の通帳を使う口座を維持するため、1口座当たり年間200円の印紙税を国に支払う必要がある。国税庁によると銀行業界全体で2015年度に負担した税額は約726億円に上る。

このため、三菱東京UFJ、三井住友、みずほの3メガバンクでは紙の通帳の発行を有料化したり、毎年の維持手数料を取ったりとの案が浮上している。

また通帳読み取りに加え、小銭を入金できるなど高度な技術が用いられた日本のATMは、限られた紙幣しか使えない海外のものに比べ高額だ。国内行のATM手数料が高い一因との見方もあり、簡素化が今後の課題になる。

紙の通帳は「(出入金記録を)墨で書き、印鑑を押していたころの遺物。海外では使われていない」(大手行首脳)とも指摘され、各行は税額負担を抑制するため預金者をネット口座に誘導したい考えだ。

ただ日本の預金者は、銀行口座は無料との認識が強い。低金利下で利ざやが稼げず経営環境が悪化したとはいえ、大手行の多くは業績好調で、東芝の債務超過解消が確定したことで今期は回収不能に備えた貸し倒れ引当金の戻り益も見込める。このため業界では「どうやって(預金者の)理解を得るのか難しい」(全国地方銀行協会の佐久間英利会長)と困難視する声もある。

2018-02-07 目線次第。

[]志は結果を残す。 志は結果を残す。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 志は結果を残す。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

ウーバー、エアビー。
次はWeWork。なるほどこんなオフィスなら楽しそうだ。
事業カテゴリーは「オフィス仲介」という。
世に仲介業者はあまた存在する中で、

「文化が僕たちの財産」。
CEOのアダム・ニューマン氏。

facebookやtwitterにも驚かされたけれど、ライドシェア、民泊、の次は「シェアオフィス」。

世界52都市に163カ所を展開(15年末の3倍)。
2900人超の従業員が15万人の会員のために約100万平方メートルのスペースを管理しており(後略)

要するにオフィス仲介業というカテゴリーだが、

投資家は──とりわけ孫は──WeWorkが世界中ほぼすべての働く人のオフィス体験を変えることに懸けている。
ただの賃貸オフィス仲介業者と「オフィス体験を提供する会社」というコンセプトの差が、2兆円余の差をつけた。

こういう話を聞くと、"目線の置き所"がダサいだけで、実は自分たちの周囲にはそうした「大化けの種」がいくらでも残されているような気になってくる。

「文化が財産」「世界中のワーカーのオフィス体験を変える」。
そこまでの目線の高さが、ひいては全く別の業界ナンバーワンを作り出すようだ。
ついつい数歩先にばかり行きがちな目線を、ぐっと上げてみる必要があると思っている。

孫正義、WeWorkへの即決40億ドル出資の舞台裏
2/2(金) 8:00配信
「頭がいい奴とクレイジーな奴。戦いに勝つのはどちらだと思う?」

ソフトバンクの孫正義は、WeWork経営者の2人にこう投げかけた。古い枠組みを壊し、新たな経済圏を作るのは、いつも異端児たちのクレイジーなストーリーだ。

ウーバー、エアビーアンドビーに次ぐ企業価値200億ドルをつけた「WeWork」。新しいオフィスの概念はもはや大企業をのみ込み、世界の働き方を変えようとしている。

孫正義が会いにくる。

その日、WeWorkのCEOアダム・ニューマンは、落ち着きなくニューヨークの本社オフィスを歩き回っていた。

ソフトバンクのトップで、日本で最も裕福な資産家であり、世界で最もパワフルな投資家のひとりである孫正義が、WeWorkにやってくる。孫は2時間を費やし、社内を見学したいのだという。ところがすでに1時間半、到着は遅れていた。

「マサは到着するなり腕時計に目をやり、『悪いが、12分しか時間がない』と言ったんだ」と、ニューマンは振り返る。その言葉通り、社内ツアーはきっかり12分間で終わりを告げた。しかし、孫はニューマンに自分の車に同乗するチャンスを与えた。ニューマンはプレゼン資料をつかんで車に乗り込み、ふたりは、後に200億ドルの価値を生むドライブに出かけたのである。

孫が惚れ込んだ 実行力

孫はニューマンにプレゼン資料をしまうように言うと、iPadを取り出し、投資のアウトラインをスケッチし始めた。

「あの規模の会社にしては評価額が高過ぎると思いました。しかも、簡単に模倣されかねない事業だとも」と、孫は振り返る。

「けれど実際、誰も真似できなかった。言うのは簡単、しかし形にするのは難しいアイデアだったんです。WeWorkは、彼ら自身が有言実行であることを証明していた」。車が目的地に着くころ、孫はiPadのスケッチの下に自身の名をサインし、その隣に線を引いてニューマンにペンを渡した。「いまでも思い出すと鳥肌が立ちます」。そう、38歳の元イスラエル海軍士官、ニューマンは言う。

iPadの契約書は、弁護士の手を経て2部構成の取引となった。ソフトバンクは、30億ドルをWeWorkに直接出資。うち13億ドルは既存の従業員株の公開買い付け、17億ドルは新規株式の形をとる。

それとは別に14億ドルを出資し、これはWeWorkがアジアに進出するための3つの新たな事業体に振り分ける。「WeWork Japan」「WeWork Pacific」、そして「WeWork China」だ。ニューマンのチームがオフィススペースの建築と運営を担い、ソフトバンクが現地のさまざまな関係者に対応する。

こうしてWeWorkの企業価値は200億ドルに跳ね上がった。不動産、ホスピタリティテクノロジー業界をまたぐ同社の評価額は、ホテル経営のヒルトン・ワールドワイドとほぼ同等。商業不動産大手のボストン・プロパティーズや、ソーシャルメディア界の寵児であるスナップをもしのぐ。

いま現在、米国スタートアップで200億ドル以上の評価額がついているのは、ウーバーとエアビーアンドビーだけだ(政府機関向けビッグデータ分析のパランティアには、WeWorkと同等の評価額がついている)。

WeWorkはオフィス会社だが、所有する不動産はゼロ。ウーバーやエアビーアンドビーと同様、WeWorkも本質的には仲介業者だ。不動産オーナーから卸値でスペースを借り、そこに柔軟な賃貸契約、洗練されたデザイン、インターネットや受付、郵便物の受け取り、清掃といったサービス(無料のコーヒーとビールもある)を付加することで、面積当たりの賃料単価を上げている。

通常、法人の不動産契約は複数年のコミットメントが必要だが、WeWorkなら月単位で契約ができる。会員企業は不動産に対する圧倒的なフレキシビリティを得られるのだ。

2010年にニューヨーク市内の1カ所からスタートし、現在、世界52都市に163カ所を展開(15年末の3倍)。2900人超の従業員が15万人の会員のために約100万平方メートルのスペースを管理しており、料金プランはフリーアドレスで月額220ドルから。大人数用のカスタマイズプランも充実しており、50人規模であれば月額2万2000ドルから。複数フロアを用いた数百人単位の入居も増加している。17年度の収益予測は13億ドル(営業利益率は約30%)で、株価売上高倍率(PSR)は、従来の成長企業を上回る。

    • {200億ドルの評価額は高過ぎなのか?}--

とはいえ、200億ドルの評価額は高過ぎはしないか。たとえばこれを現在の会員数で割ると13万3333ドル。しかし会員ひとりがもたらす年間収益は平均8000ドルだ(しかも会員は月単位で退会可能)。また、面積当たりでいえば1坪7万1160ドルになるが、テックハブであるテキサス州オースティンの一等地ですら、1坪は1万1564ドルである。

「投資家は、200億ドルの価値があるコワーキング会社に投資しているわけではありません。そんな会社は存在しませんから」とニューマンは言う。「WeWorkの現在の企業価値と規模は、収益よりも、企業としてのエネルギーと精神によるものが大きいと考えています」。

確かに、孫が現れる前から、ベンチマークやフィデリティ、ゴールドマン・サックス、JPモルガンなどが同社に15億ドルを出資してきた。彼らは、従来の指標では、WeWorkの革新的な事業モデルの価値が反映されないと考えている。

WeWorkを「ひとつの生き方」と呼ぶJPモルガンのジェイミー・ダイモンCEOは言う。「WeWorkはホスピタリティとテクノロジーのハイブリッド企業を構築した。不動産業界にあるほかのどんな企業とも、まったく違う」。

とはいえ、スタートアップにサービスを提供しているだけでは、成長には限りがある。投資家は──とりわけ孫は──WeWorkが世界中ほぼすべての働く人のオフィス体験を変えることに懸けている。

同社はこの数年で、ゼネラル・モーターズ、ゼネラル・エレクトリック、サムスン、セールスフォース、マッキンゼー、バンク・オブ・アメリカ、バカルディといった大企業と契約。数百人単位の入居には複数のフロアを個別カスタマイズで占有させ、また、年始にはグリニッジ・ビレッジにあるビル1棟を丸ごとIBMのオフィスに充てている。現在、大企業が月間売り上げの30%を生む。

「WeWorkは弊社にとって、いまや不動産ソリューションの基本です」と、マイクロソフトでオフィス365のマーケティングを取り仕切るマット・ドノバンは語る。ドノバンはこれまで、300人以上の従業員をWeWorkのオフィスに入居させてきた。「さまざまなロケーションで利用できるし、弊社の製品を使っているWeWork会員の洞察を聞くこともできる」。

成長中の企業にとっては、手間とコストを抑えながら、新しい市場に打って出る拠点にもなる。「完全にワンストップですべてが揃う」と、スライブ・キャピタルの創業者、ジョシュア・クシュナーは言う。

クシュナーは保険のスタートアップ「オスカー・ヘルス」の共同創業者でもあり、同社はWeWorkのオフィスからロサンゼルス市場に進出した。「WeWorkは面倒をすべて取り除いてくれる。だから僕らは経営に集中できる」。

データドリブンな建設テックが生む 稼働率99%のコワーキング

「WeWorkは、大家と交渉し、契約し、建設資材やガラス板を買い、デスクを制作し、配管や空調、Wi-Fiを問題なく機能させなければならないんです」と、ベンチマークのダンレビーは言う。「手の汚れる、実行力の問われるビジネスです」。

孫が評価したWeWorkの実行力はどのように構築されているのだろうか。たとえば17年9月中に新設したのは10拠点。14年までなら1年かけて開設していた数だ。これに寄与したのは資本力だけではない。

面積当たりの収益性を高めるという意味でいえば、WeWorkは航空会社に似ている。デスクを1台追加すれば、10年で8万ドルの売り上げになる。ただし乗客がエコノミークラスでも居心地よく過ごせるよう、十分なアメニティと特典が必要だ。

しかし、WeWorkのオフィスの基礎となる不動産は、ボーイング777とは違い、必ずしも同じ形をしていない。とくに彼らは古い物件を好む。これまで元税関庁舎、蒸留所、倉庫、そして上海ではかつてのアヘン工場をオフィスに変えてきた。

建設フローの効率化のためにWeWorkが駆使するのが「BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)」と呼ばれる技術だ。現場となるビルの内部をスキャンし、3Dモデル上で各フロアの設計ができる。目新しい技術ではないが、多くのプレイヤーが協業し硬直的だった建設業界は、建設テックのフロンティアだったともいえる。この技術は15年に買収した建築事務所「Case」が得意としていたものだ。

    • {メタデータでフロアレイアウトを最適化}--

そして、フロアレイアウトの最適化を叶えるのが、既存のWeWorkオフィスから得られる膨大なメタデータ。ヒートマッピング技術を用いて追跡された人の動きと利用状況はWeWorkデータセンターに蓄積され、それらを基に共有エリア、デスク、会議室の面積や配置の最適なバランスが見出され、かつ更新されていく。

倍増するWeWorkの事業規模は価格優位性ももたらした。10年以来、ニューマンたちは4500トンの資材を組み、100万平方メートルのガラス壁をつり下げ、80万平方メートルのオーク床材を敷き、1万2000の電話会議ボックスを組み立ててきた。さらにガラス壁を固定する何千個ものビスほか、多くの資材を自前製造に切り替えた。今後は家具や照明なども内製化したいという。

「いわゆる大家さんは場所をお金に変えるだけだが、僕たちは違う。WeWorkはいわば、iPhoneをつくっているんです」と、最高成長責任者でWeWork専属マッド・サイエンティスト、デイブ・ファノは例える。

テクノロジーによる徹底した効率化とバルク買い、内製化により、会員企業が新しいデスクを1台追加導入するための料金は、この1年だけで45%も下がっている。

コミュニティの力が育んだ ふたりの創業者

WeWorkの名物に、巨大な規模の「サマーキャンプ」がある。17年は15カ国から2000人の従業員をイングランドの田園に飛行機で呼び寄せ、3日間にわたり、ダンスやアクティビティを楽しませ、会社のプレゼンを見せ、たっぷり酒をふるまった(3000人のWeWork会員も途中から参加した)。1200以上のキャンプ用テントやトレーラーハウスが草原に出現。フードトラックやビールトラック、数十のバーが設置され、参加者のTシャツの背中には、「We」のロゴマークが躍る。

これを「過熱気味のスタートアップによる壮大な金の無駄遣い」だと片付けるのは簡単だ。しかし、ニューマンは「このイベントこそが、WeWorkの本質」だと言う。

「文化が僕たちの財産。サマーキャンプは一緒に働く仲間は計り知れないほど大切だと彼らに伝えるひとつの方法なんです。そして、周りにはWeWorkのミッションを信じるチームがいるのだ、と」

デザインホテル経営のモーガンズ・ホテルの元CEOで、現在WeWorkの副会長を務めるマイケル・グロスは言う。「アダムとミゲルはふたりとも、コミュニティの力を誰より知っている。彼らはそれに助けられることで、生き抜いてきたからだ」。

ニューマンとマッケルビーは世界の端と端で育ったが、ふたりの子ども時代で共通しているのは、定住と縁がなく、コミューン色が強かったことだ。ニューマンはイスラエルで医師の両親のもとに生まれたが、両親は幼いころに離婚。ニューマンは人生の最初の22年間を13の地で暮らした。一時期は母親が医師をしていたキブツ(イスラエル特有の共同体)で過ごした。

重度の失読症だったニューマンは、小学3年生になるまで読み書きができなかったが、イスラエル海軍のエリート士官プログラムに入ることができた。軍務に服した後は、当時プロのモデルだった妹のアディ・ニューマンと暮らすため、ニューヨークに移り住んだ。

マッケルビーは、オレゴン州ユージーンにあった、お金より信念を重んじる活動家シングルマザーの共同体で育てられた。家がよく変わり、連邦政府の財政援助によって用意された食糧の箱が玄関の前に届く子ども時代だった。マッケルビーは年に一度、チェーンレストランのビュッフェを食べるのが楽しみでしかたがなかったと言う。

「争って自分の分を確保する必要がなく、好きなだけ食べられるのは、特別なことだったから」。身長約2mで運動神経抜群だったマッケルビーは、オレゴン大学で大学の花形スポーツとハードな建築学の専攻を両立させた。

ニューマンとマッケルビーは、ニューヨークで共通の友人を通じて出会い、育ちや競争心の強い性格をきっかけに意気投合。ニューマンは当時、ベビー服の会社「エッグ・ベビー」(ヒット商品はひざパッドを縫い込んだベビーパンツ「クローラーズ」)を立ち上げており、そのオフィスの家賃をまかなうため、一部を又貸ししていた。

建築家としてアメリカン・アパレルなどの顧客の店舗をせっせと設計していたマッケルビーに、ニューマンは、安い物件を賃貸し、スペースを分割してオフィスとして高く貸し出すというアイデアを聞かせた。

話は早かった。ニューマンは自社オフィスのオーナーを説得し、ブルックリンにある彼の物件の1フロアを借り、マッケルビーとふたりで地球に優しいがコンセプトのコワーキングスペース「グリーン・デスク」を始める。

これがヒットした。ニューマンとマッケルビーはすぐさまマンハッタンに進出しようとしたが、ブルックリンのビルの空き部屋を埋めることを優先しようとするオーナーと折り合わず、最終的には自分たちの持ち株を300万ドルでオーナーに売却。その売却益を、キブツとシングルマザーの共同体からの学びを生かした、マンハッタンのコワーキングスペース事業に投入した。不動産と文化の融合だ。

7年後の現在、ふたりの持ち株は合わせて43億ドル相当になっている。そして、史上最大の働く人々のコミュニティ──WeWorkが生まれようとしている。

    • {「WeOS」が世界の働き方を革命する}--

孫が最終的に40億ドルの出資を決めた「12分の社内見学」のなかで、ニューマンが唯一披露できたのはWeWorkの「ラボ」だった。彼らは世界各地のWeWorkオフィスを、「働く」にまつわる膨大なメタデータを吸い上げるデバイスにしようとしている。利用者ごとにカスタマイズされたワークスペースから得られる情報は、常にWeWorkの管制塔に送られ続け、凄まじい量のデータが蓄積されていく。

現在WeWorkの取締役でもあるソフトバンクのロン・フィッシャー副会長曰く、「この技術的な飛躍こそが、投資に至った最大の理由」だったという。数百のスペース、数百万の会員に汎用させることができるからだ。「膨大な数の財務モデリングを行いました。どのように成長できるか、どんな利益を見込めるか、どれくらいキャッシュフローを生み出せるか、と」。

ニューマンは、テクノロジーによる最適化そのものが「WeOS」のような製品になると考えている。そうなれば、コワーキングに関心のない企業にとっても、WeWorkはなくてはならない存在となる。

「WeOS」をリースし、WeWorkのマネジャーを派遣してコミュニティを育み、オフィススペースのスムーズな運営を提供する。企業側にとっては、地味なオフィスにWeWorkの革新的な風を注入できる。WeWork側にとってもこのプロダクトは、所有資産の少ない同社の事業モデルを、さらに一歩身軽なものにしてくれる。

You Are Not Crazy Enough

17年3月、WeWorkとソフトバンクの契約締結が東京で行われた。その場で、ニューマンとマッケルビーに、孫はこう問いかけたという。「頭のいい奴とクレイジーな奴。闘いに勝つのはどちらだと思う?」。クレイジーな奴だ、と答えたニューマンに孫は言った。

「その通り。でも、君とミゲルは、Not Crazy Enoughだ」「WeWorkは大規模な営業チームをもたず、多額のマーケティング費用もかけることなく有機的に成長してきた。しかし、それを誇りに思うべきではない。そうアダムに言いました」と、孫は言う。

「当初の計画の10倍規模の会社に成長させるように、と。そう考えれば、あの評価額は安いですね」。いったいどの程度安いのだろうか。

「数千億ドルになってもおかしくありません」

アダム・ニューマン◎WeWork共同創業者兼CEO。イスラエル出身で、イスラエル海軍士官を経て01年にニューヨークに移り、10年にマッケルビーとともにWeWorkを創業

ミゲル・マッケルビー◎WeWork共同創業者、チーフ・クリエイティブ・オフィサー。オレゴン大で建築を専攻。日本に渡り、英会話スタートアップを立ち上げて売却、NYへ。

2018-02-05 支配者のいない世界。

[]まだまだ進む中抜き。 まだまだ進む中抜き。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク まだまだ進む中抜き。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

Netflixが9000億円かけて200ヶ国にドラマを配信している、とか
airbnbが191ヶ国で累計ユーザーが2億人を突破したとか、
米国企業のスピードと破壊力を見ているとポカーンとしてしまうけれど。

それでもまだ破壊と創造は終わっていないらしい。
これからが一番すごいのかもしれませんよ、これは。

ブロックチェーンが仮想通貨だけではなくて、いよいよ、それもなんと動画配信に使われそうだという。

これで何が起こるのか?
電通王国とか、テレビ局が根こそぎなくなるかもしれないという話だ。

ブロックチェーン技術はこの半ば独占状態を打ち砕いて娯楽産業を根本から変革し、中央集権型の門番をP2P型のネットワークに置き換える力がある。

こちはもちろん娯楽産業だけの話ではないことは自分にもわかる。

"支配的なサーバー"のない世界。
これが本当のクラウドだろうか。

本当の進化はこれから始まる。

ネットフリックス脅かすか ブロックチェーン動画配信 Venturebeat
 世界中のコンピューター同士がつながって機能するピア・ツー・ピア(P2P)のブロックチェーン(分散型台帳)技術が台頭している。このため、ブロックチェーン上に構築された分散型の娯楽アプリケーションが、米ネットフリックスや米アマゾン・ドット・コムなどの動画配信サービスに取って代わり、ケーブルテレビ(CATV)に終わりを告げるとみてよいのだろうか。

■動画配信は大企業が独占

 動画制作会社はすでに様々な変革に見舞われている。米ユーチューブや米Twitch(ツイッチ)などのウェブサイトはユーザーが制作したコンテンツ向けの市場をつくり出し、CATV会社や動画制作会社から大衆向け動画コンテンツの唯一の制作者としての地位を奪った。こうしたメガサイトの台頭にもかかわらず、筋書きのある良質な娯楽コンテンツの大半は今なお中央集権型モデルから生まれている。

 制作会社やネットワーク(今ではネットフリックスやアマゾンなどのコンテンツ配信会社も含まれる)はコンテンツの開発資金を拠出し、こうしたコンテンツは制作会社からエンドユーザーに至るまで、CATV、放送、モバイル端末、サイトのいずれか一つのチャンネルで整然と配信されている。

 ブロックチェーンはこうした娯楽産業の構造を破壊する力がある。全く新しい分散型のコンテンツ配信モデルを実現できるからだ。ブロックチェーンでは、世界中のコンピューターがP2Pネットワークで一斉にタスクに取り組み、中核的なサーバーや機関は存在しない。

 現時点では、ネットフリックスもCATVもまだ「中央集権的な」アグリゲーター(コンテンツを集めて配信する会社)や配信手法に頼っている。コンテンツ制作者は数段階の「門番」をくぐり抜けて各局とビジネス契約を締結しなければ、コンテンツをサーバーに置いてもらい、電波やケーブル、さらに最近では米アカマイ・テクノロジーズやアマゾン・クラウドフロントなどのコンテンツ配信ネットワーク(CDN)を直接使って配信してもらえない。どのコンテンツをいつ、いくらで、どんなルートで配信するのかに関する判断は、依然として独占的かつ階層的だ。

 これに対し、分散化された世界では、配信するコンテンツの内容や発展途上国の最貧層が暮らす地域「ラストマイル」への配信方法について発言権を持つサイトや機関はなく、特定のコンテンツをブロックできるサイトもない。ライブ配信でもオンデマンド動画でも、世界中に点在する「スーパーノード」と呼ばれる数千台のコンピューターが、娯楽向けの分散型アプリケーション(Dapp)を使って網の目のように入り組んだ非階層型ネットワークで放送局として機能する。このスーパーノードが地理的に近いコンピューターに信号を送ることで、ラストマイルの問題は解決する。これはCDNがあまり普及していない国で特に有効だ。

 分散型の動画配信インフラとして既存のブロックチェーンか、全く新たなブロックチェーンを使ったプロジェクトは次々に登場している。仮想通貨イーサリアムのブロックチェーン上に構築された「Livepeer(ライブピア)」や「Viuly(ビューリー)」などは、コンテンツを簡単に取り込んだり圧縮したりできる。同じくイーサリアムをベースにした「Stream Token(ストリームトークン)」や「YouNow/PROPS(ユーナウ/プロップス)」などは、配信会社やインフルエンサー(ソーシャルメディアで発信力を持つユーザー)向けのアプリケーションレベルでのトークン生成プログラムだ。「Spectiv(スペクティブ)」は広告モデルに特化し、特に仮想現実(VR)コンテンツなどでコンテンツ制作者に収益の大半が配分されるようにしている。さらに、「LBRY(ライブラリー)」や筆者の会社である「Theta Labs(シータラボ)」は、娯楽やeスポーツなどを手掛ける外部事業者のDappに対応した新たなブロックチェーン/プロトコルの開発に取り組んでいる。

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 こうしたブロックチェーンのプロジェクトでは中央集権的なアーキテクチャーはもはや不要なため、配信業界だけでなく世界中のネットフリックス型配信サービスも破壊し、CATVという概念を完全に時代遅れにしてしまう可能性がある。明確な配信ネットワークに対して、コンテンツの収集や整理機能を持たないチャンネルとは一体どんなものなのか。

■広告主がコンテンツ制作者に直接支払い

 以下は完全分散型のブロックチェーンを活用した動画配信サービスが娯楽産業に及ぼす影響の一例だ。

・コンテンツ制作者にメリットが及ぶ:コンテンツ制作者は制作した番組をすぐに分散型プラットフォームで提供できるようになる。制作会社への売り込みや、ネットフリックスのシステムに採用してもらう取り組みは不要になり、コンテンツを承認する管理者も存在しなくなるからだ。

・新たなチャンネル:完全分散型の仕組みに基づく新たな「チャンネル」が登場するだろう。想定されるのはeスポーツやライブイベント、ファンタジー、SF、ニュースなどだ。こうしたチャンネルは誰でも設定可能で、様々なコンテンツ制作者がこれに参加する。

・広告と無料コンテンツ:こうしたネットワークで料金を支払う代わりに、デジタル権利証のトークンを使うことで、無料コンテンツが従来のテレビ広告モデル(ユーチューブなどのサイトもこのモデルを踏襲している)までも変えてしまうかもしれない。ブロックチェーンを使った新たな動画プロジェクトでは通常、広告を掲載した広告主にコインやトークンが提供される。広告主はコインの大部分を仲介者ではなく、コンテンツ制作者の懐に直接入るように指定できる。これにより、仲介者が最大の取り分を得る現行の慣習から脱却できる。

・有料コンテンツ:有料の娯楽や契約モデルでは、視聴者は分散型コンテンツネットワークが発行した新たなトークンを使い、個々のチャンネルに加入したり、個々のコンテンツ制作者に視聴料を支払ったりできるようになる。こうした有料コンテンツはCATVのオンデマンドに代わり、視聴者に無限の「オンデマンド」の選択肢を提供する。最近では米HBOなどの有料テレビ各局が独自のアプリをリリースし、CATVに加入しなくてもこうしたチャンネルを視聴できるようになった。次のHBOはCATVとは無関係の完全分散型ネットワークになるかもしれない。

 結論:今後の動向を注視すべきだ。

 テクノロジーの進化はこれまでも娯楽産業にインパクトを及ぼしてきた。インターネットにより新たなコンテンツの消費手段が生まれたが、質の高い番組の制作や配信は依然として少数のプレーヤーや制作会社、テレビ局、CATV会社、ネットフリックスなどが握ってきた。このため、インターネットの普及で有望視されたコンテンツの民主化は実現しなかった。

■本格普及は2020年

 ブロックチェーン技術はこの半ば独占状態を打ち砕いて娯楽産業を根本から変革し、中央集権型の門番をP2P型のネットワークに置き換える力がある。

 こうしたプロジェクトの多くは年内に稼働する予定だ。さらに2019年や20年には新たなプレーヤーの急成長を目にすることになるだろう。ネットフリックスが米ブロックバスターなどのレンタルビデオ店に代わりオンデマンドコンテンツの消費手段として定着するのに何年もかかったように、新たな分散型アプローチが主流になるには長い年月が必要かもしれない。娯楽産業でブロックチェーンが普及するのは20年代になるだろう。

By Rizwan Virk=eスポーツチャンネル「スリバー」の顧問、投資家、企業開発部門トップ。シータラボの創業メンバー。

(最新テクノロジーを扱う米国のオンラインメディア「ベンチャービート」から転載)

2018-01-28 国レベルのダイエット。

[]銀行員だけではない。 銀行員だけではない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 銀行員だけではない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

エスタブリッシュの代表である銀行員が揺れている。

茹でガエル、というのはよく知られた例示だし、自分自身の過去を見ても覚えがある。
だが、影響がより大きいのは「既存のエスタブリッシュメント」がそれに本当に晒された時だ。

過去も明治維新とか、太平洋戦争とかはあったが、それ以降の波は実に低かったと思う。

これからコンピューターとかAIとかがもたらす革新は「技術がもたらす革新」というよりは、「人が淘汰されること」である。
より「人間なら何をするか」という深いテーマが自分たちに投げかけられているわけだ。

これには自分たち、特に「ホワイトカラー」と言われる人たちは真剣に向き合わなければならないだろう。

少し小器用に意見の集約とか、数値表作りとか、社内統制とか、「いわゆる管理職」を生業にしてきた人たちが根こそぎいらなくなる。

ひょっとしたら企業のリソースの半分以上。
さらに行政のシステムの半分以上。
政治も。

そんな「ぜい肉落とし」がこれから始まる。

ちょっとワクワクする。
自分だって「ぜい肉サイド」かもしれない。
けれど、ぜい肉が落ちて、身軽になるのはいいことだ。

国を挙げてのダイエットがこれから始まると期待しよう。

銀行員「将来に希望が持てない!」若手が流出〈AERA〉
1/22(月) 16:00配信
銀行がかたくなに守ってきた日本型雇用が崩れ始めた。行員は、残るか、転職市場に打って出るかの選択を迫られている。

その男性が、勤めていたメガバンクに辞表を提出したのは、花形部署である「本店営業部」への異動目前だった。20代後半。周囲から「エリートコースに乗った」と言われていたが、決心したのは「将来に希望が持てなかったから」だという。

終身雇用・高給と引き換えにすべては会社の意のまま。上司、先輩には「絶対服従」。そんな銀行のカルチャーに、違和感を覚えていた。ドラマ「半沢直樹」のように上司に物申すなどありえない世界。

「週末のゴルフの誘いを断れば、翌週の支店長は異様に厳しくなる。支店長に気に入られないと出世できないので、飲み会で部下たちは、競い合うように店のスタッフから皿を奪い取り、上司に料理を取り分けていました」

仕事でもチャレンジすることより、失敗しないことが何より大事という究極の減点主義。一回でもバツがつけばおしまいだ。

「銀行の仕事では主体性は求められないんです。行内で評価される『優秀さ』は、外では通用しない」

出るならいまがチャンスと外資系企業に転職した。

昨年、メガバンクからベンチャーに転じた別の男性(30)は、年収が1千万円を超えると、それに執着して身動きができなくなるからと決断した。営業では大企業を担当し、昇格試験にも合格。キャリアは順調だったが、やはり将来が不安だった。銀行内の業務は非効率的な事務作業が多く、やるべきこと、やりたいことが進まない。意思決定のスピードも驚くほど遅い。こんなビジネスをやっていては、時代についていけないと感じた。

3、4年ごとに転勤を繰り返す人事システムにも納得がいかなかった。5年後、10年後、自分がどこで誰とどんな仕事をしているのか予想もつかない。

「僕は自分の意思でキャリアをデザインしたかった。転職で年収は下がりましたが、満足しています。嫌なことに耐えて高い給料をもらうより、給料が安くても自分でキャリアをつくっていけるほうが、納得感があるし、楽しいです」
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 いま、彼らのような優秀な若手人材が、銀行から転職マーケットに流出している。それは銀行が守ってきた日本型雇用システムが制度疲労を起こしている表れ──。そう指摘するのは、元「リクナビNEXT」編集長で、現在ミドル世代の転職を支援するルーセントドアーズ社長、黒田真行さんだ。

「銀行は終身雇用・年功序列という典型的な日本型雇用モデルをかたくなに守ってきた。山一証券や北海道拓殖銀行が破綻した1997年の金融危機から20年間を経ても、雇用維持のために非効率を放置し、構造転換を怠ってきた」

とみる。

超低金利による収益悪化、フィンテックの台頭による銀行業務の代替といった事態を受け、メガバンク3行は昨年、ようやく大規模なリストラ計画を発表した。不良債権処理で赤字決算を強いられた2000年代初頭以来のことだ。しかし、内部の行員たちに対しては「バブル世代の退職や新卒採用の抑制などの『自然減』の範囲内なので、安心して働いて」という説明がされている。これに対し、黒田さんは言う。

「それは、20年かけてたまってきたエネルギーがプレートの境界で反発寸前なのに、『とりあえず明日、地震は来ない』と言っているようなもの。転職マーケットは早晩、動きだします」

支店の統廃合を進めれば、支店長などのポストの減少は避けられない。銀行は50歳近くになったら子会社や取引先に出向・転籍することを慣行にしてきたが、黒田さんいわく、

「残念ながら、銀行出身の余剰人員をもろ手を挙げて歓迎してくれる会社は極めて少ない。銀行が守ってきたこの出向・転籍という人員循環システム自体、崩壊しつつあるのではないでしょうか」

(編集部・石臥薫子)

※AERA 2018年1月22日号より抜粋

2017-12-27 何にもないvs全ては揃っている。(1)

[]もう一度やったなら思考。 もう一度やったなら思考。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク もう一度やったなら思考。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

年末に、今年を振り返る。
今年は仕事の環境もかなり変わったり、(大企業は調子がいいらしいが)新しいことも幾つか始めたりした。
もう何回も「そんなこと」をしてきたはずだが、「改めてそうしてきた」と思ったのは今年が初めてだ。
いよいよ年を取ってきたということかもしれない。

つまりこれまでは「ただひたすら」に「今を乗り切るため」に色んなことをしてきた。(ということになる)

つまり計画的に、「このリソースを使って、次にはこういう展開をねらって…」とか
「まずはこのマーケットに焦点を当てて、次は周囲とのシナジーがねらえるから…」とか。
そんな風に経営できてきたことはなかったのだ。

言い訳に言わせて貰えば「次の市場」くらいをせめてもの目標にして走ってきた。
だってその先とか、その先の先、とかは時代の変化が早すぎて自分などには到底読みきれなかった、というのが正直なところだ。

独立してもう27年もそんなことをしていたことになる。

もう少しやれていたことはなかったか。
もう少し効率の良い方法はなかったか。

案外そうして反省した記憶がない。
ということに気づく。(汗)
(つづく)

2017-12-19 巨大化と合理化の果てに。

[]リーダーの役割について リーダーの役割について - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク リーダーの役割について - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

メガバンクが3万人を超える人員削減をするという。
半沢直樹シリーズよろしく、「最も時代の権力」であった銀行が合理化を打ち出している。
いよいよ都銀にもそんなことが起きだした、という本格的な警鐘でもある。(というより庶民感覚年しては「大企業」が本当に動き出したらもう遅い、と思うが)
で、それはともかく。
合理化の波、というかその他の世界ではすでに一つ過ぎたような改革が、金融とか大企業に訪れている。

これまでは「当たり前」とか「ルーティーン」として行われてきた仕事が、突如「ムダ」になる。
そのルーティーンの規則を作った人はもうとうにいない。
どんどんどんどん積み重なった規制の上に自分たちはいる、ということに気づく。

誰かが決めたルールを定型化し、それを通常業務に置き換える。

ということがどれほどのムダを生んだか。

モラルを育てず、ペーパーと規則で人とを縛ろうとした結果が「山積みのマニュアル」になっている。

「気持ち」とか「ビジョン」と言った曖昧なものを排除した結果だろう。
組織で「合理性」というキーワードで突き進んだ結果だと思っている。

そして。
この後に官公庁の「メガリストラ」が続くはずだが、こちらは民間ほどスムースに行くとは限らない。
「国家公務員」がどこまで理屈を理解できるのかどうかで、(破綻も含めて)結構混乱すると思う。

巨大な組織が、どうしても排除できない「組織運営の肥大化」について、いつか整理が来ると思っている。
人の関わる組織というのは、強大な力を持つけれど、その統治にはまた間接的なパワーが必要になる。

リーダーシップについても、まだ考察すべきところは多いのではないだろうか。


メガ銀大リストラ 改革後の勝者は

 マイナス金利政策による利ざや縮小やIT(情報技術)による効率化を背景に、メガバンクが経営統合以来のリストラに乗り出している。3行合わせて3万人分を越える業務量を削減する計画だ。削減幅の大きさは各行の強い危機感の表れ。改革後の勝者は誰か。

 「強い危機感を持って、事業改革に正面から取り組まないといけないことがより明確になった1年だった」。全国銀行協会が12月14日に開いた2017年最後の会長会見で、平野信行会長(三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)は今年をこう振り返った。

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■3万人分超削減

 みずほフィナンシャルグループ(8411)は1万9000人、三菱UFJ(8306)は9500人分、三井住友フィナンシャルグループ(8316)は4000人分──。3メガバンクは今年、相次ぎ人員や業務量の削減目標をまとめた。千人規模で新規学卒者を採用してきた巨大組織がスリム化に大きくカジを切る。

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みずほフィナンシャルグループの佐藤社長

 最も踏み込んだのがみずほFGだ。26年度までにパートを含めた従業員数の4分の1を減らす計画。ターゲットはバブル期の大量採用世代だ。みずほの総合職の人員構造は50歳前後が最も多い。希望退職は募らないとするものの「転出などによりスリム化・高コスト構造を是正」。11月20日に公表した会社説明会の資料にはっきり記した。国内拠点も24年度までに全体の2割にあたる100拠点を減らす。構造改革で1000億円台半ばの経費抑制を目指す。3メガの中でも高くなっているコスト構造を変え稼ぐ力の復活を目指す。

 三菱UFJも23年度までにデジタル化による業務量の削減で、営業純益ベースで2000億円の利益を生み出そうとしている。三井住友はグループでのインフラ共有化、業務改革などにより3年間で500億円、中期的に1000億円のコスト削減効果を見込んでいる。

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 銀行が大規模な人員削減に踏み切ったのは1990年代後半から2000年代前半の金融危機時。巨額赤字を計上した当時と比べれば、メガバンクの連結純利益は17年4〜9月期で合計1兆3000億円。自己資本も厚く、大規模な事業構造改革は一見、不要に見える。

■今は「静かな危機」

 「静かな危機」。ある銀行幹部は今の状況をこう表現する。日銀のマイナス金利政策で本業の貸し出しで得る収益は減少。少子高齢化に人口減少という構造問題を抱える。じりじりと収益が減るなか、大量に人員を抱えて全国に店舗網を張り巡らせる従来のビジネスモデルは限界が近い。

 日米欧で大手銀行の自己資本利益率(ROE)を比較すると、3メガバンクは平均7.2%。上昇はしているものの、リーマン危機後に徹底したリストラを進めた米国(8.6%)の後じんを拝する。債務危機に見舞われた欧州は3.3%と低いが、欧州大手銀は日本より大胆なリストラ策を相次ぎ打ち出し、組織のスリム化を急いでいる。「欧州銀はほとんどが経費削減に力を入れている」。みずほFGの佐藤康博社長も、11月の決算会見でこう発言、注目している。

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■欧州勢も大リストラ

 独最大手のドイツ銀行は15年10月、20年までに正社員と契約社員を合わせて1万5000人を削減すると発表した。その直後には英スタンダードチャータードも、18年までに全従業員の2割近い1万5000人を削ると表明した。

 欧州銀行連盟(EBF)によると、欧州連合(EU)加盟28カ国の銀行の従業員数は、16年末時点で約280万人。リーマン危機直後の08年末と比べて約46万人(14%)減った。支店の数もこの間に、約2割にあたる約4万8000店減少した。大手から中小まで、合理化が急ピッチで進んでいる。

 ここにきて目立つのが銀行業務のデジタル化を意識したリストラだ。英ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)は1日、グループ傘下の支店のうち4分の1にあたる259店を閉じる計画を発表した。併せて約700人の希望退職を募る。「500万人を超える顧客がモバイルアプリを使い、5人に1人はデジタルだけで取引している」(広報担当者)。収益性の高い有力店舗とデジタル分野に経営資源を振り向ける。英国金融庁で金融安定局長を務めたデロイトのデイビッド・ストラカン氏は「規制対応やリスク管理にもテクノロジーの活用が進み、そうした分野の人も削減される」とみる。

■IT活用で効率化

 3メガバンクもITを使った効率化を急ぐ。三井住友銀行は「RPA」(ロボティクス・プロセス・オートメーション)と呼ばれるソフトを使い、9月末までにマネーロンダリング(資金洗浄)対策など約200業務・40万時間分を削減。20年3月末までに300万時間分の業務量を減らす計画。三菱東京UFJ銀行も約20業務・2万時間分の業務量を削り、みずほ銀行は17年度内に100業務・30万時間分を減らす。

 みずほFGがソフトバンクグループ(9984)と人工知能(AI)を使った個人向け融資事業を始めるなど新たな収益源の獲得に向け種まきを進めるが、柱に育つとしてもまだ先だ。当面は構造改革の成否がメガバンクの浮沈を左右しそうだ。

  三菱UFJフィナンシャル・グループと三井住友フィナンシャルグループの株価が13日に年初来高値を更新するなど、先週は株高に乗り遅れていたメガ銀株の上昇が目立った。

 きっかけの一つが国際的に活動する大手銀行を対象とした新たな資本規制(バーゼル3)の最終合意だ。健全性を示す自己資本比率の算出で分母となる貸出資産のリスクを厳しく見積もる水準を巡り、日米欧の金融当局が対立。銀行経営の先行き不透明感が高まる一因となっていたが、7日決着した。

 三井住友FGは市場が注目する自社株買いについて、資本規制の動向が明確になってから決める方針をにじませていた。合意を受け、ゴールドマン・サックス証券の田中克典アナリストは11日付のリポートで「2019年3月期に500億円の自社株買いを実施する可能性が高い」と指摘。株価上昇に弾みを付けた。ある幹部は「早くも市場から催促されているようだ」と苦笑いする。

 13日には米連邦準備理事会(FRB)が米連邦公開市場委員会(FOMC)で6カ月ぶりの利上げを決定。市場では、今回の会合での利上げを確実視する声が多かっただけに、金利上昇による収益改善期待を織り込むかたちで、銀行株は騰勢を強めた。

 ただ今後の持続性について市場の意見は割れている。ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズの新原謙介チーフ・インベストメント・オフィサーは、メガバンクが大規模な人員削減策を発表するなど収益改善が期待できるとして「直近では出遅れていた金融株に注目している」と明かす。

 一方、マネックス証券の大槻奈那チーフ・アナリストは「本業の国内向け融資の成長ストーリーを描けないなか、他の業種を上回って上昇するとは考えにくい」と指摘。UBSウェルス・マネジメントの青木大樹・日本地域最高投資責任者(CIO)も「大幅な金利上昇と収益改善が見込めず、当面は金融株に積極的に手を出しにくい状況が続くだろう」と話す。銀行株はFOMC後の14日と15日の東京株式市場で利益確定売りに押されて続落した。

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 3メガ銀の株価を比較して、出遅れが際立つのが最も踏み込んだリストラ策を打ち出したみずほだ。

 18年4〜9月期連結決算を発表した11月13日、佐藤康博社長は「1万9000人の従業員を26年度までに実数として減らしていく」と明言。構造改革で高止まりするコスト体質にメスを入れる覚悟を示したが、市場の反応は鈍かった。「人員削減はバブル期に入社した行員が自然に減る効果が大きい」とし、踏み込み不足を指摘する声が根強いからだ。

 大手銀行5グループの18年3月期の業績予想で、本業のもうけを示す業務純益は前期比13%減る見通し。足元で長期貸出平均金利が下がるなど、「利ざやの縮小には歯止めがかかっていない」(大手金融グループの幹部)。借り換えに伴う貸出金利の低下が進めば、業務純益の低下は今後も続く可能性が高い。

 金利上昇と国内景気のさらなる拡大という両輪が回って本業の収益が回復しない限り、銀行株が持続的に上昇するのは難しいという声が市場には多い。

■りそな、メガ銀と一線

 構造改革で店舗の統廃合を進めるメガ銀と一線を画すのが、国内行最大の店舗網を持つ第4の銀行グループ、りそなホールディングス(HD、8308)だ。現在の店舗網を維持したうえで、顧客からの相談にこたえる「相談特化型」の小型店を増やしていく方針だ。メガ銀の逆張りで、独自の活路を探る。

 「足元では逆に店舗網は増える」。りそなHDの東和浩社長はこんな見通しを示す。現在、りそなHDの店舗数は足元で約570店。これを維持したうえで2017年度からの3カ年の中期経営計画で年金や住宅ローンなどの相談を受ける相談特化型の小型店を3年間で30店設ける方針を掲げた。既存店の切り替えもあり、単純に上乗せされるわけではないが東社長は「中長期的にも既存の店舗網は維持したい」と話す。

 「我々は海外がある銀行とは違う。国内でやるしかない」。背景にはこんな危機感があるが成算がないわけではない。「03年に公的資金の注入を受けてから、ずっと構造改革をしてきた」(東社長)。3メガ銀に先駆けて、店舗の営業時間の拡大や徹底した事務コストの削減を進めてきた自負がある。全国展開する3メガ銀と違い、人口減と過疎化の影響を受けにくい首都圏と関西圏に店舗が集まっているのも強みといえる。

 しかもただ店を増やすわけではない。中計では物件費や人件費の削減で110億円の利益を積み上げる方針も示した。来年2月のスマートフォン(スマホ)アプリの刷新や金融商品の申し込みなどのペーパーレス化を含め、顧客対応から店舗の事務作業まで一貫してデジタル化を徹底。支店の事務量を21年度までに16年度比半減させる。「コストを抑えながら顧客接点を増やす」(幹部)という二兎(にと)を追う難題に挑む。 一方、今のメガ銀は、窓口から裏方の事務まで人手による作業を基本としている。駅前の一等地に構える既存店舗は「赤字店が大半」(メガ銀幹部)。単に店を減らすだけでは“止血”は難しい。全ての店があらゆるサービスをそろえる画一的な店づくりを見直し始めた。

 みずほFGは、全国の支店を全てのサービスを提供する中核店舗と少人数でサービスを絞った軽量店に変えていく方針だ。

 人口減に加え、インターネットバンキングの普及などで支店に足を運ぶ顧客は減っている。ITの導入などで時代に合った店づくりをできるかが、国内事業の成否を分ける。

奥田宏二、渡辺淳、大島有美子、亀井勝司、篠崎健太=ロンドン、末藤加恵が担当した。

[日経ヴェリタス2017年12月17日付]

チャーシューチャーシュー 2017/12/19 12:02 銀行解体はこれから始まるマンモスたちの滅亡の序章に過ぎない。

2017-12-18 わかっちゃいるけど止められない。(2)

[]究極の茹でガエルたち。 究極の茹でガエルたち。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 究極の茹でガエルたち。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

あるシンクタンクの調査で、20代の59%が将来の生活に不安がある、と回答していた。
日本社会にまん延する、この不安感はなんだろう。

大人たちの誰もが保身して、結局は本筋の改善に手がつかない。
そのまま「船」は沈むしかない。
もちろん沈没し始めてからの立て直しは難しいだろう。

大企業の人と話していると、こうした「ことなかれ」の発言に接して驚くことが多い。
特に優秀な人ほど、色んなものが見えるのだろう。
端から「難しいと思っています」とか言う。

確かにそうなのだと思うが、改革とか改革なんておバカにしかできないのかよ、と言いたくなる。

端から「この船は沈むだろう」などと言って甲板の上で佇んでいるのはいかがなものか。
大人の一人として、「やり方次第で未来は明るい」という話くらいはしなけりゃいけないと思っています。

(十字路)ストックとフロー
2016/7/19付
 あるシンクタンクの調査で、20代の59%が将来の生活に不安がある、と回答していた。日本社会にまん延する、この不安感はなんだろう。
 日本は過去、毎年の経済成長というフローを積み重ね、インフラに代表される厚いストックを形成してきた。日本のインフラ充実度は世界トップクラスであり、日々の快適な生活を支えている。

 問題は社会保障、特に年金だ。所得再分配メカニズムを持つ年金はフローの話でもあるが、制度の確からしさは個人の将来の生活を左右する最重要ストックでもある。その信頼感が今大きく損なわれており、消費が伸びない理由もここにある。

 北欧諸国は税金が高いことで有名だが、いずれ返ってくるものだから、と国民に痛税感はない。彼らにとって、税金は貯蓄であり、将来に安心感をもたらすストックの積み上げだ。この安心感が健全な消費にもつながる。

 日本では、人生最大の買い物である住宅も、将来に安心感を与えるストックとは言いがたい。ローンを払い続ける一方、建物の価値は築15〜20年でほぼゼロとなる。だが、英国では築100年という物件も多く、リノベーションを繰り返し、ストックとして有効活用している。

 経済の発展段階によって、求めるものは変わる。チェコの経済学者であるトーマス・セドラチェク教授は「成長より安定」を唱えている。フロー重視からストック重視への転換である。

 成長を追い求め、成果を積み上げてきたつもりだったが、気づけば、頼れるものがごくわずかしか残っていない――。これほど不安な社会はない。成長というフローがストックとして積み上がり、将来に安心感を持てる社会をどう構築していくか。まず、税・社会保障の一体改革をはじめ、信頼できるシステムを早急に設計し直す必要がある。
(三菱商事調査部長 武居秀典)

2017-12-17 わかっちゃいるけど止められない。(1)

[]誰も名乗り出ない。 誰も名乗り出ない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク 誰も名乗り出ない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

十字路より。

あるシンクタンクの調査で、20代の59%が将来の生活に不安がある、と回答していた。
日本社会にまん延する、この不安感はなんだろう。

これだけ日々"不安報道"続けばそういう「刷り込み」も無理もない。
そして何より「その問題たち」が整理されずにいる感じがすることだ。
上向きの話、を何より聞かない。
政治家はみんな「自分の都合のいい部分」の話ばかりする。

みんな立場が違う。
政治家は選挙があり、
行政は予算執行とその説明、
報酬や手当てを貰う側は「自分がいかに大変か」とばかり主張する。

「骨太の」とか「身を切る」とかいうけれど、自分の立場を失ってまで無茶をする人はほとんどいない。

絶対に小さな政府、とか
公共事業の縮小、とかをしなきゃならないと思うけれど、「では私から」という人は皆無だ。

行政の人とか、超大企業の人と話していると似たような感覚に襲われることがある。

(つづく)

(十字路)ストックとフロー
2016/7/19付

 あるシンクタンクの調査で、20代の59%が将来の生活に不安がある、と回答していた。日本社会にまん延する、この不安感はなんだろう。

 日本は過去、毎年の経済成長というフローを積み重ね、インフラに代表される厚いストックを形成してきた。日本のインフラ充実度は世界トップクラスであり、日々の快適な生活を支えている。

 問題は社会保障、特に年金だ。所得再分配メカニズムを持つ年金はフローの話でもあるが、制度の確からしさは個人の将来の生活を左右する最重要ストックでもある。その信頼感が今大きく損なわれており、消費が伸びない理由もここにある。

 北欧諸国は税金が高いことで有名だが、いずれ返ってくるものだから、と国民に痛税感はない。彼らにとって、税金は貯蓄であり、将来に安心感をもたらすストックの積み上げだ。この安心感が健全な消費にもつながる。

 日本では、人生最大の買い物である住宅も、将来に安心感を与えるストックとは言いがたい。ローンを払い続ける一方、建物の価値は築15〜20年でほぼゼロとなる。だが、英国では築100年という物件も多く、リノベーションを繰り返し、ストックとして有効活用している。

 経済の発展段階によって、求めるものは変わる。チェコの経済学者であるトーマス・セドラチェク教授は「成長より安定」を唱えている。フロー重視からストック重視への転換である。

 成長を追い求め、成果を積み上げてきたつもりだったが、気づけば、頼れるものがごくわずかしか残っていない――。これほど不安な社会はない。成長というフローがストックとして積み上がり、将来に安心感を持てる社会をどう構築していくか。まず、税・社会保障の一体改革をはじめ、信頼できるシステムを早急に設計し直す必要がある。
(三菱商事調査部長 武居秀典)

2017-12-01 就職ってこと。(1)

[]シンプルな分類。 シンプルな分類。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク シンプルな分類。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

就職相談に来た学生さんへ。

就職先には二種類ある。
「潰れない会社(大企業)」と「潰れるかもしれない会社」だ。
年に一つや二つ、大企業も潰れる時代ではあるけれど、圧倒的に安定し、給与も高いのが大企業だ。
それが一つの揺るぎない事実ではある。
と。

そして「そうではない会社」があります。
あるいは「起業」も。
こちらサイドはそれこそ「大海を木の葉で泳ぐがごとく」心細い。
もちろん、しばしば沈む。

それでも、どちらを選ぶのか。
ということを選ぶのが就職なのだと。

大企業に入ってからでも独立する人はいるけれど、「それ」ができる人は少ないと思う。
大企業には大企業の「揺るぎない魅力」つまり「安定」があるのだ。
国家公務員よろしく「大体の道筋が見えてしまう」という既視感はあるにせよ、何しろ安定している。
これが性に合いそうな人はその方向でいいだろう。
(つづく)

2017-11-20 ゆでガエルの本気。

[]もう体面の時代ではない。 もう体面の時代ではない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー を含むブックマーク もう体面の時代ではない。 - 藤野の散文-菖蒲・蛍・ラベンダー のブックマークコメント

ダイヤモンド・オンラインより。
賢者は歴史に学び、
愚者は経験に学ぶという。

いい年をしたおっさんが懐古趣味的に、若い者にしたり顔で言うのではない。

というか記事にあるように「ありえない大企業の破綻」を懐かしんでいる「過去の特異なトピックス」ではない。
もう「既存の大企業が解体される時代」に入っているのだ。

そういう自分だってバブル終末の「大企業志向」の末裔である。

体制にいた自分だけれど。
緩やかにだが「時代の流れ」は潮目に来ているという確信がしている。

八割型のエリートたちが選択していた「既定路線」が安泰ではなくなった。
だから今の二十代は遠慮なく「固定観念の大企業」にとらわれずに自分のやりたいことを考えていいと思う。

というか。
そんなことを言うまでもなく。
今の二十代は「いたずらに流されて」就職はせず。
色々と考えているようだ。

おじさんたちは、そんな若者を「モラトリアム」というけれど、それは正しい振る舞いだろう。
もっともっと大人の本音とか、これからの時代とか、リアルな現実の様子を見て、納得して仕事は選べばいいだろう。

さて。
おっさんたちが若者に「何を語れるのか」ということをそろそろ総括しておかねばならない。
お説教だけで中身がなければ、楽しい会話にすら入れないと思うのだ。


たくぎん・山一の破綻から20年、金融界と個人の価値観はこうも変わった

11/15(水) 6:00配信

● 元山一マンが20年前を振り返る

11月は、1997年に、地元では「たくぎん」の名で親しまれた北海道拓殖銀行と(東京の金融界では「ほくたく」と呼ばれることが多かったが)、大手証券四社の一角だった山一證券が経営破綻した月だ。あれから20年になる。

筆者は北海道出身であるし、当時、親戚でたくぎんに勤めている者がいた。また、筆者自身は、山一證券に勤めていた。あの時から20年経ったかと思うと、個人的にも感慨深い。

北海道拓殖銀行の破綻は、同行をメインバンクとする地元企業に大きな影響を及ぼした。当時の金融慣行では、「メインバンクは融資先の経営に責任を持つ」との暗黙の了解があり、メインバンクの消滅は、他の銀行、あるいは社債権者にとって由々しき事態であり、資金を引き揚げられて窮地に陥った会社が少なくなかった。

たくぎんは、地元の第二地方銀行の北洋銀行に北海道内のビジネスを、中央信託銀行(当時)に道外のビジネスを譲渡した。預金及び預金者は完全に保護された。北洋銀行は、率直に言って、たくぎんよりもずいぶん格下の銀行だった。

 後のビジネス展開を考えると、道内二番手の銀行であった北海道銀行にビジネス全体を譲渡した方がよかったのではないかと思うが、両行は長年のライバル関係にあったし、独禁法的な観点からも難しかったのだろう。

山一證券は、顧客向けの利回り補填から生じた不良債権の「飛ばし」の存在によって自主廃業に追い込まれた。

山一の「飛ばし」は、破綻の数年前から金融業界で噂になっていたし、社内でも「ウチには、例の問題があるから」と、事あるごとに社員同士は公然と語っていた。しかし、その金額がいくらで、その結果どうなるのかを具体的に知る社員はほとんどいなかった。当時の社内の一般的な理解は、「この問題は、MOF(「モフ」当時の大蔵省)も知っているのだから、当社をつぶすことはできないだろう」という希望的で甘いものだった。

ただ、違法行為である「飛ばし」の存在によって、売却交渉の際に、デューディリジェンス(資産査定)を正直に行うことができないことは、会社の身売りで会社の存続を目指した経営陣にとって決定的な弱点だったろう。

それにしても、社内にいても、会社がつぶれるのか否か、またつぶれるとしてもそれがいつなのかは分からないものだ。不適切な会計処理などが問題になっている会社にお勤めの社員さんたちには、事態を甘く見ないようにということと、転職活動は早めに行うことをお勧めする。会社の破綻が決まると、山一の際にまさに起きたように、似たような条件の人材が一気に転職市場に吐き出されて競争することになるのからだ。

自己都合退職の場合の退職金の減額(卑怯で不適切な制度だ)などを気にして転職を躊躇するよりは、納得できる条件の働き口が見つかったら早めに転職を決める方が精神衛生にいいし、後のキャリア上の評価にもいいだろう。

● 銀行・証券ビジネスは大きく変貌

たくぎんは、主に北洋銀行として残った。山一は、自主廃業で翌1998年の3月に消えた。

たくぎんの道内ビジネスを吸収した北洋銀行は、2001年には地元の札幌銀行との経営統合を決めた。今や北洋銀行の預金量は8兆円を超えて、破綻前のたくぎんの預金額7.1兆円を上回る。また、北海道経済もアベノミクスの好影響を受けて、有効求人倍率がバブル期を上回る1.12倍(9月)となるなど、それなりに好調だ。

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 しかし、国際展開を持たずに、地元に密着したビジネスを行う北洋銀行のような銀行に、現在、有望なビジネスモデルがあるようには思えない。北海道に限らず、健全な法人の借り入れ需要は乏しいし、長期金利までゼロ近辺に固定する日銀の金融政策の影響もあって利ざやが小さい。もちろん、有価証券運用でも十分な利回りを妥当なリスク水準で得ることは不可能だ。

有望な企業を育てるのが銀行本来の役割だろう、という金融庁の言い分は正論だが、銀行にとっては、もともと分かっていながら「そんな力はわれわれにはないよ」と本音では答えざるを得ないのが現実だ。

アパートローンに関しては、首都圏でさえも賃貸需要の減少が見込まれ、北海道のような地方にあって貸家業が有望だとは思えず、不良債権化が心配な状況だ。また、個人向けのカードローンは「銀行が消費者金融会社の規制逃れを助長するフロントになっている」状況が問題になりつつあり、これ以上伸ばそうとすることは経営判断として非常識だろう。

毎月分配型を中心とする投資信託や貯蓄性の保険(現在は外貨建てが多い)の販売も、金融庁からの評判が悪い。実際、顧客は、銀行の窓口でこうした運用商品を買わない方がいいと筆者も思う。

北洋銀行もそうだが、ネット関連のビジネスに注力するスルガ銀行のような銀行を除いて、地方に根を張る銀行には有望なビジネスモデルがない。もちろん、皆がスルガ銀行をまねしても、うまくいかないことは明らかだ。

一方、仮に山一證券が存続していたとすると(おそらくは外資系金融機関の子会社としてだろうが)、ブローカー、引き受け、資産運用などの業務は、ブローカー業務が固定手数料時代のような調子ではもうからないが、現在それぞれに存在意義があるし、複数の業務をまとまった組織体で行うことによるメリットもあっただろう。

ただし、旧山一證券のような経営で、その後のネットバブルとその崩壊、ライブドアショック、サブプライム問題からリーマンショックで大きく顕在化した金融危機といった金融環境の荒波を乗り越えられたかどうかは、大いに疑問があると言っておくことが多分フェアだろう。

とはいえ、旧山一證券に関しては、つぶしてバラバラにしない方が「価値」はあったと思われ、あえてバラバラにしてしまった残念な感じが残る。

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● 働く個人の価値観も変えた

働く個人にとって、1997年時分のたくぎん、山一の破綻は強烈な印象を残す出来事だったし、実際、多くの人の“価値観”が変化した。「堅いビジネス」を営む「大企業」に就職しても、人生は安泰ではないのだということが存分に可視化されたからだ。

転職が一般的なことになったし、まだまだ不十分だと思うが、一人ひとりの働く人が、組織の中での自分の立ち位置だけでなく、自分の個人的な「人材価値」を意識して働き方全般を考えなければならなくなった。

筆者個人としては、転職に対する世間のイメージが変わったことが印象的だった。過去に何度も転職していた筆者は、1990年代前半くらいまでは、「これが最後の転職になるといいですね」などと言われて他人から同情されることが多かったが、1998年以降は「何度も転職できるということは、それだけ能力が評価されているということなのでしょう」と褒められるケースが増えた。

実際には、以前は自分でも「これで最後の転職にしたい」と思いながら転職していたし、その後、転職を褒められるようになっても、「成り行き上そうなっただけなのに」と心の中で思いつつ、恐縮するほかなかったのが現実だった。

先般、みずほ銀行が10年で1万9000人の人員削減と、店舗数も大幅に減らすことなどを発表した。他のメガバンクも、同様の計画を発表している。

銀行員にとっては、当面、「支店長ポストが随分減るなぁ」というあたりが大きな変化なのかもしれないが、銀行のビジネスモデル自体が現在すでに危うくなってきているし、将来、銀行は残っても銀行員の大半が不要になるかもしれない。

大きな海外業務を持たず、地域の人口縮小が予想される北洋銀行のような銀行にとっては、メガバンク以上にビジネスが難しくなるはずだ。

北洋銀行の行員の中には、まだ2割ほど元たくぎんマンがおられるらしい。彼らも含めて、北洋銀行マンの将来が幸せなものであることを祈りたいが、その幸せは銀行員としての幸せではないかもしれない。

(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元)