『大奥』よしなが ふみ

冒頭で少年が奇病に見舞われて、そこから色々とその病気を巡って話がつながるのかと思ったら、たんに男が稀少な存在となったという設定のための話であった。
それもなんか奇妙な話である。戦争でもないのに、生物学的な理由で一方の性の絶対数が少なくなってしまうというのは、もうそれは人間が人間でない状況となるのではないか。生物の種のなかには恒常的にどちらかの絶対数が少ないものや、両性生殖などがあると思うが、それはその生物の種のあり方の根本を規定する条件となっているのではないか、と思う。
だから、このマンガのようにどちらかの絶対数が少なくなってしまうのであれば、もっと人間的ではない世界が出来しているべきではないのか、と思う。
人間的ではない、というのは、その感情や倫理において我々が容易に感情移入できないような異質さを登場人物が持っているとか、そういうことでないとおかしいんじゃないか、という事だ。


将軍が女性である世の中を描くのであれば、そういう生物的な理由ではなく、もっと上位の構造を規定するようなフィクションをもってきた方が良かったのではないか。女性を優位に考える呪術的な宗教なりの支配があったとか。
また、主人公が何人もの女性と、生殖のためだけにセックスすることを後ろめたく書いたりするのも少しおかしい。
我々からみると、淫靡に感じるような行動であっても、まったくそうではないように描かなければ、フィクションとしてのリアリティが薄れるのではないか。
そのへんの中途半端さも含めて、なんかせっかく男女逆転、大奥がすべて男性、という世界を描いているのに、その事じたいによる面白さが出ていない。


つい真面目な話をしてしまったが、1巻の途中で読むのを止めてしまったのである、じつは。
それほどつまらない訳ではなかったのだが、どうも疲れてしまってあまり読めない。普通の活字だらけの小説では感じたことの無い疲れというか。
きっとマンガの文体みたいなものから、少し遠ざかり過ぎて、マンガに対する「慣れ」が薄れているんじゃないか、と推測する。
慣れ−活字慣れとかそういう意味での−というのは大きい。
私がこの間読んだ、民主と愛国のような本も、社会評論的な文章に慣れていない人はすごく疲れるんじゃないだろうか?
あの本は実際、それほど難しいことが書いているわけではないから、慣れさえあれば、皆私より早く読み、よく分かるんじゃないか、と思う。