報道と情報

投票開始まで時間がない。
諸君はもう誰を支持するか決めただろうか?
もし投票を人気で決めたのなら、今からでも見直すべきだ。
それは賢明な人間のすることではない。


悲しいことだが、多くの票は人気で投じられているようだ。
もし、どこかの実力派政党と全く同じ公約を掲げた、人気芸能人だけの政党ができたとしたら。
実績などは何の役にも立つまい。
実績とは、誰かの能力を測る上で、最も有効な情報であるにもかかわらず、だ。
転職をしたことがある人なら、優秀な企業ほど職歴を重視することが理解できるだろう。
実績とは、その人の能力の記録そのものなのだ。


実績は、多くのニュースの記録から判断していくことになる。
しかし昨日書いたように、ニュースは発信者の意図により簡単に曲げられてしまう。
今日は、公平な情報の見分け方を考えてみよう。
嘘を嘘と見抜けない人には、情報を扱うのは難しいのだ。


端的に言えば、十分な情報を持ち経験を積めば、情報を見分ける力がつく。
そこに至るまでが問題なのである。
それまでは、おおまかにだが、良い情報と悪い情報を見分ける二つの方法論が役に立つだろう。


まず第一に、賛成意見または反対意見しか語られていないような情報は、疑う必要がある。


歯のフッ素塗布を例に挙げてみよう。
フッ素塗布とは虫歯になりにくくするために、歯にフッ素薬剤を塗布するというものだ。
まずは、このサイトから見てもらう。
http://www.city.oyabe.toyama.jp/kenkou/guide/fusso.htm
これはフッ素塗布の説明である。
見ての通り、フッ素塗布の利点は明らかだ。
しかもフッ素薬剤は、虫歯予防に使う程度の量では害がないと書いてある。
ところが、具体的に根拠を挙げて安全性を証明しようとしている情報はほとんど見当たらない。
専門家が大丈夫といえば、「当然」大丈夫という論法だ。


往々にして、ほとんどの事柄には欠点、つまりリスクがある。
したがって、公平な情報であれば、リスクにも触れられていて然るべきだ。
http://www.ha-niigata.jp/info/child/kaitou_c.html
これが公平な情報の書き方である。


結果としてフッ素塗布の利点は、欠点を上回るようだから、フッ素塗布に否定的な結果にはならなかった。
しかし一方、歯の強い体質の人がいて、歯磨きをきちんとする習慣もあるのなら、無用なリスクを冒す必要はない。
前者のリスクはないという情報を鵜呑みにしてしまったとしたら、リスクを冒さないという判断はそもそも発生しないだろう。


このように、公平な情報があってはじめて、我々は判断を下すことができるのである。
たとえ結果が同じになったとしても、これには大きな違いがある。
ましてや、同じ結果になるとは限らないのであるからなおさらだ。


第二に、情報量に対して、無駄な解説の量が多すぎるものは鵜呑みにしてはいけない。
これはTVの報道などに多く見られる。


報道というものは、事実を広く知らしめるのがその役割である。
報道された内容が、どのような意味を持つかを判断するのは、視聴者の役割である。
報道を行う側は、情報の正確さのみに注力すればよいのだ。


情報に、コメンテーターなどという人をつけて、意見を語らせるものをワイドショーという。
コメンテーターというのは、視聴者を喜ばせるような意見を言うのが仕事である。
視聴者を喜ばせられないコメンテーターは、すぐに交代させられてしまう。
コメントは面白ければそれでよく、視聴者の感情を煽ることさえできれば何でもよい。


つまりコメンテーターの発言は、芸人のギャグと同質の物であり、情報ではない。
最近では報道番組でも、キャスターがコメンテーターの役割をして、ワイドショー化が進んでいる。
視聴者を喜ばせたり、賢くなった気分にさせたり、翌日の話題を提供したりする。
そうしておけば視聴率は上がり、金になる。
放送局が金を稼ぐための営利企業であり、視聴率が収益の基準である限り、これは避けられない。
残念なことに、日本の放送局でこの制約から逃れられるのは、収益が視聴率にしばられないNHKだけである。
いや、NHKひとつだけでもあるだけ日本はマシなのかもしれない。
受信料はきちんと払った方がいい。
「面白くないから払わない」などと言っていたら、貴重な情報源をひとつ潰してしまうことになる。


情報について考えるのは視聴者の役割と書いたが、これができない人が多いのも、ワイドショー化の一因である。
自分で判断できないから、「これはこういうことですよ」と言ってくれる番組を好むようになる。
もともと自分で判断していないから、変な事を言っていても鵜呑みにしてしまう。
そして、そんな何でも鵜呑みにする視聴者の意見など、どうとでも操作できるのである。


よって、このようなニュースを情報源とするときは、情報の部分とコメントの部分を明確に区別する必要がある。
コメントが多ければ多いほど情報量は少なくなるが、それは仕方ない。
ニュース番組は毎日同じ時間枠で放送するが、事件の量は毎日同じではないのだ。
コメントの多い日は、「今日は平和な日だったんだな」と思いつつ、報道芸人のギャグを聞き流しておけばいい。


繰り返すが、コメントは情報ではない。
それは単に、ひとつの参考意見に過ぎない。
たまには、使える意見を聞けることもあるだろう。
だからといって、思考をやめて従えばいいと言うものではないのだ。


おりしも選挙。明日は選挙をネタにしたワイドショーが見放題である。
選挙当日の報道番組は、いつもに輪をかけて愚劣なコメントの嵐となる。
放送時間が長い割に、情報といえば当選落選の別だけなのであるから当然そうなる。
毎度ながら、淡々と当落のみを伝える番組といえば、NHKがやるかやらないか。民放には皆無だ。
情報を見分ける練習も兼ねて、よく見てみることだ。


ひとつ予言しよう。
獲得議席数の割合を大きく超えて、コメントを大量に得る政党、コメントを大量に発信する政党があるはずだ。
要するに、その政党が、政治の衆愚化を求め、進めている政党なのである。


どの政党かって?
それは自分の目で確かめてみるといい。


今日は時間を大幅にオーバーしてしまった。
改善案については明日だ。
選挙が終われば公職選挙法に配慮する必要もない。
明日確実に行われるであろう愚劣な報道についても、問題点と改善案を遠慮なく書いて行きたいと思う。