クウェートとは
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クウェート
クウェート (الكويت)、正式名称クウェート国 (دولة الكويت)は、立憲君主制中東西アジア。首都はクウェート1990年イラクに一時併合された(湾岸危機)。
目次
1 国名
2 歴史
2.1 年表
3 政治
4 地方行政区分
5 地勢
6 経済
7 国民
8 文化
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
目次△
国名
正式名称はアラビア語で、دولة الكويت(Dawlat al-Kuwayt ダウラ・アル=クワイト)。
公式の英語表記は、State of Kuwait。通称、Kuwait
日本語の表記は、クウェート国。通称、クウェートクウェイトとも表記される。
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歴史
16世紀頃より現クウェート領域はオスマン帝国の支配下にあり、統治拠点はバスラにあった。18世紀に入ると、当地にサバーハ家(Al-Sabah)が勃興し、1756年その首長が、名目上はオスマン領であるものの、この地域の統治を開始した。このサバーハ家は、サウジアラビアのサウード家やバーレーンのハリーファ家を輩出したアナイザ族の一派でアラビア半島中部より移動してきたと考えられている。この頃のクウェートは漁業真珠の採集、交易が主な産業であった。
19世紀に入ると、オスマン帝国は支配を強化するために、この地に軍事介入を繰り返した。その結果1871年、オスマン帝国宗主権を認める形でバスラ州の一部となったが、1899年ザバーハ家は中東進出を行っていたイギリスを頼ってイギリスの保護国下に入りつつ、独自にこの地域を支配した。1913年にはオスマンとイギリス間で協定が結ばれ、1914年にはイギリスの自治保護領となった。第一次世界大戦においてはオスマンは敗北し、この地域は完全にイギリスの影響下におかれるようになった。1930 年代初頭、天然真珠の交易が最大の産業で主要な外貨収入源であったクウェートは、深刻な経済危機下にあった。それは当時、日本御木本幸吉が真珠の人工養殖技術開発に成功、これによって日本製養殖真珠が世界の宝石市場に徐々に浸透し、クウェート、バーレーン沖合で採取される天然真珠の需要を駆逐したことがその主たる理由である。それまでにイラク王国、バーレーンにおいて石油が発見されていたのでクウェートの首長、サバーハ・アッ=サバーハとクウェート政府は、新しい収入源を探すため石油利権をアメリカメロン財閥が保有するガルフ石油とイギリスのアングロ・ペルシャ石油の設立した50/50 合弁会社『クウェート石油』に付与した。クウェート石油は1938年2月23日に、現在のブルガン油田となる巨大油田を掘り当てた。世界第二位の油田であるブルガン油田1946年より生産を開始しており、これ以降は石油産業が主要な産業となっている。イギリスからの独立は1961年のことである。湾岸協力会議加盟国中では唯一議会を保持していたが1986年の勅令で解散した。
以上のような経緯から、2代目イラク国王ガージー1世の頃から、クウェートに対するイラクの主権を主張する動きが断続的に起こり、1980年代以降には、イラクのサッダーム・フセイン大統領が、クウェートはイラクの領土であり、イギリスによって不当に分離され、現在はアメリカ合衆国がそれを引き継いでいる、という旨の発言を繰り返した。さらに石油価格政策の問題もあって、1990年にイラクによって不法に軍事占領された。国際社会は国連で非難決議を出し、この占領状態は1991年湾岸戦争により終結した。この後、西側各国により民主化の要請が行われ、女性参政権などが考慮されることとなった。
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