wildcatsの日記

赤羽在住でIT関係の会社の社長やってます。

自分の人生をまとめる。

自分の人生をまとめるという事をこれまで行った事が無く、産まれてから今まで何があったかをまとめよう。

出生

自分は奈良県で産まれました。両親は共に18歳で結婚していて、自分が長男です。
弟が3人いる家族構成です。(年子なのでそれぞれ2歳差の弟が二人ともう一人は13歳差)
父親は土建屋やカメラマンや調理師など職を転々としていてとても貧乏な家で育ちました。母親は専業主婦でした。

幼稚園まで

まず自分の記憶があるのが3歳くらいの頃に父親からボコボコに体罰をされていた記憶が最初です。
両親が年齢的に幼い事もあってか、とにかく体罰をするのが普通でした。ご飯を食べている時に正座を崩すと箸で頭を殴られるなどです。
またこの頃に三輪車で走行中に溝に顔から突っ込んで前歯を全部折る怪我をしたのを覚えてます。
あとこの頃に父親方の祖父が自殺(原因不明)して、遺産が父親に入って京都にマイホームを購入していました。
普通の子は私立の幼稚園で2年間通うのが普通だと思うのですが、自分の家は基本的にお金が無くて公立の幼稚園に1年間だけ通いました。

中学生まで

小学校に入学したのですが、なぜか父親はマイホームを手放す選択をしたたため、転校で大阪へ引っ越しました。
最初は大阪の高槻という土地の借家に住んでいたのですが、大阪の豊中という場所の団地へ引っ越しました。小学校は合計3回転校しています。
小学生の頃はサッカー部に所属していて、頑張ってました。この頃は僕が異常に背が低く、いつもクラスの整列で一番前に並んでいた記憶が有ります。
この頃も家庭での体罰は日常茶飯事として行われていました。母親の言う事を聞かないと父親に言いつけられて父親から殴られてました。
とても貧乏な家だったのですが、友達の家でパソコンを触る機会があってプログラミングの勉強を始めたのが小学校4年生くらいの頃でした。
お小遣いを貯めて、ファミコンも買ったのですが、ゲームばかりしていて、母親に壊されました。

地獄の中学生活

小学生の頃に父親がマイホームを手放したのは調理師として自分の店を開くためでした。母親と私たち(弟2人)は小学校卒業の春休みの期間を超えたあたりまで何故かフランスへ20日間ほど旅行へ行きました。
中学にはフランスへ行っていた関係で遅れて入学したのですが、当時学校は非常に荒れていて、その頃から同級生からのいじめが始まりました。
自分は中1の頃に130cmほどしか身長が無く、学校では当時流行っていたプロレス漫画の技の実験台にされていました。
その頃に弟の4男が産まれます。
サッカー部に入ってサッカーはやってたのですが、1年なのでマラソンと球拾いばかりでした。
父親は大阪の難波と言う所で自分の料理店を営業し始めていました。学校が休みになると自分たちも店を手伝いに大阪の難波で生活をしていました。
問題はここからなのですが、中学1年生の冬に親戚の家で料理を食べていたら突然の腹痛が始まりました。とりあえず料理はもう食べれないと断ったのですが、腹痛は全く収まらず、父親の店の近くにある病院へ連れていかれた所「盲腸の疑いがある」と言う診断でした。
ただ難波から豊中までタクシーで帰ったのですが、その車中で僕があまりお腹を痛がっていなかったため、母親は豊中へついても僕を病院へ連れて行きませんでした。
そこから腹痛を抱えながら学校へ通っていた(体育などは全部休み)のですが、2週間ほどたって余りの激痛で保健室へ行って早退して、母親へその話を言ったところ近所の病院へ行くように伝えられて、その病院でも「盲腸の疑い」があると診断されて、近くの総合病院へ連れていかれて即入院となりました。
どうも慢性盲腸を我慢し続けていたため、盲腸が破裂してしまって盲腸内にある膿などが腸内を汚染しているという事だったようです。
手術は23時間くらいかかって、そこからずっとICU生活でした。手術は結局3回程行って、何とか命はとりとめました。
3か月近く入院をしていて入院代とかで費用が100万円以上かかったらしいのですが、民間の保険などに全く入ってなかった模様で両親が全額を支払ったようです。
退院してみて自分のお年玉とかを預けていた銀行口座の残高を確認したら、全額引き出されてました。両親に尋ねたところ、自分の医療費にあてたとの回答が有りました。
そもそも最初の段階で「盲腸の疑いがある」と診断された段階で病院へ行って手術をしていれば、こんなに費用がかかる事もなく、普通に一週間ほどで退院できたはずですが、母親の誤った判断によって病院へ連れて行かなかった事がそもそも問題の発端なので、私は憤りました。
退院後に一年間は体育の授業は受ける事が出来ず、サッカー部は辞めてしまいました。
父親は自分の店を経営する事に失敗し店は閉店してしまって、また雇われ調理師として働くようになりました。
退院後の中学2年の頃から同級生たちとグレ始めました。具体的に言うとお店に行って万引きなどを行ったりしました。中学2年生の頃に1度警察にも捕まって、家庭裁判所送りになって、保護観察処分になったため、内申点は最低ランクでした。またこの頃家出しようと弟たちと話をして繁華街で補導された事もあります。
この頃になると自分も体格が大きくなって、母親や父親の体罰のこれまでの逆襲では無いですが、殴り返すようにもなりました。
自分はこの家の子供じゃなく他所の家の子供であってほしいとずっとトイレに引きこもって考えるようにもなりました。
高校進学時の進路についてですが、そもそも家庭が貧乏だったせいもあり、私立を全く受験せずに公立単願という形で偏差値も相当落とした高校に行くことになりました。

高校生活

高校に入学してまず最初に考えたのが、家庭が荒れているため、自分でバイトして生計を立てようと考えました。
学校の授業は最低限落第しない範囲にして、それ以外の時間をバイトへ費やしました。
母親は父親の事業の失敗によりパートに出ていたのですが、そのパート先の上司と不倫関係になってしまって、家にも帰ってこなくなりました。
自分が高校1年生の秋に父親と母親は離婚しました。正確に書くと母親がパート先の上司と再婚するためです。
これまで家庭内で弟たちと結託して母親に反抗して殴り返したりしてきましたが、中学時代に書いたように母親に対して恨みがあったので、自分としてはせいせいしたのですが、母親は父親のキャッシュカードなどを使って、新しく住む再婚相手との新居の家具などを勝手に買い始めました。
父親から「(金が無いので)腹をくくれ」と言われたことが有ります。冷蔵庫内には何も食べる物は無く、自分はバイト先のまかない飯で何とかなるのですが、中学生だった弟たちを助ける事は出来ませんでした。父親と母親が離婚する原因の一因は自分や弟たちの家庭内暴力の面もあったのですが、「腹をくくれ」と言うのはある意味、「死ぬ」ことも考えておけと言う意味だったと感じています。どう動くべきか考えていた際に偶然、大阪の家に父親方の祖母が自宅に来て、現状を把握してくれたようで、最低限の生活に必要なお金や料理などを手助けしてくれました。
ちなみに高校時代に先輩から無理やり吸わされたタバコが習慣化してしまい、バイト先のイタリアンレストランのホールでワインが飲めないとおススメできないと言われていたため、酒も飲むようになってました。学校でタバコを吸っていて先生に見つかって停学になった事も有ります。
高校時代の友達は男友達ばかりでしたが、うちの家庭環境などをよく分かってくれる友達が多くて、みんなタバコとかを一緒に隠れて吸ったり友達の家へ泊りに行って麻雀したりをしてましたが、仲はとても良かったです。
弟たちは中卒で高校すら行かず働き始めましたが、自分は高校で学年で下から3番目の成績(ほとんど出席していないせい)で就職も出来ず、大学も受けれない状況となり簿記の専門学校へ行くことにしました。学費は父親側の祖母が出してくれました。

専門学校

この専門学校は大変厳しくて20日休むと退学になるという決まりがあったため、高校時代とは違って真面目に通ってました。
簿記の専門学校だったのですが、3か月で日商簿記の2級を取る事が出来ました。そこから1級を目指して試験を何度も受けましたが、3度落ちてしまい、税理士受験の夢は挫折しました。
専門学校に入ると高時給のパチンコ店でバイトをするようになりました。店自体は大変暇だったのですが、時給は良かったのでそのバイトを続けていました。
友達はパチンコ好きだった奴らが多かった気がします。女友達は居ませんでした。(遊びに誘われたことはあったけど、行かなかったです)
就職活動についてですが、税理士の夢は無くなったので、プログラミング技術を活かせるIT業に進むことにしました。学校の紹介する求人票では無くて、雑誌を買ってきて、受けれそうな所を選んで受けていました。そのうちの一社が採用してくれて、寮完備との事だったので、東京へ来ることを約束に内定をもらいました。

就職と挫折

就職と同時に研修となり3カ月間は教育を受けていました。ただその期間に寮内で酒を飲みすぎてしまって、腎臓に結石が出来ていたらしく、通勤の電車内で嘔吐してしまって救急車で病院へ担ぎ込まれました。研修も受けることが出来ず、会社側にも酒が原因だとバレてしまったため、評価も最低でした。東京で就職の希望は果たせず、栃木県に配属になりました。片道1.5時間かけて埼玉の寮から毎日通ってました。
その頃に病院のシステムを作っていて医療事務をやっていた元カノと出会いました。元カノはバツ2で4歳年上で子持ちの女性でした。
会社の寮は門限などがあったのでアパートを借りて、元カノとこっそり同棲生活を始めました。

父親と大喧嘩

元カノを連れて大阪に帰り父親とも会わせたのですが、父親がこの女は辞めとけと交際に反対したため、大喧嘩になってしまって、父親を殴り飛ばしてしまいました。それ以来父親には連絡先も教えず、元カノがアパートを借りて東京で暮らしていました。

独立

23歳の頃に就職した会社を辞めて、違った仕事がしたかったので、当時の友達の会社の契約社員になりました。
何故やめたのかと言うと、そもそも新しい技術がこれから社会を変えていくのを予想していて、昔からのシステム(当時の仕事)は不要になるからと言うのが理由です。
その判断は成功して、昔からのシステムは衰退して、新しい技術が社会に浸透していきました。

謎な電話

23歳の頃に連絡先を教えていなかった父親から突然謎な電話が有りました。「もう俺は死ぬかもしれない」というような内容でしたが、当時父親は43歳だったし、てっきり冗談かと思って全く相手にしなかったです。

挫折と共に父の死を知る。

25歳の頃に元カノとそりが合わず、大喧嘩をしてしまって、元カノのアパートに転がり込んでた自分は居場所が無くなりました。急遽大阪へ帰ろうと夜行バスに乗って、大阪の最寄りのバス停に降りて実家へ連絡したが、電話がつながらず、なにが原因なのかさっぱりわからないため、父親方の祖母へ連絡したところ「昨年に父親が亡くなった」ことを知りました。どうも糖尿病の合併症で静脈瘤が破裂して吐血して亡くなったとの事でした。急遽、父親方の祖母と会って、父のお墓(本家のお墓)にお参りをしました。
自分は長男だったけど、父親の葬儀に出る事も出来ず、本家(父親の兄)や弟たちも怒っているとの事で、自分は大阪に居場所が無いことを知りました。
元カノに頭を下げて、もう一度東京でやり直す判断をします。

元カノとの別れと結婚

元カノは酒乱癖があって、酒を飲むと暴れたり喧嘩を吹っ掛けたりなどと言う気性の女性でして、元カノの連れ子も一緒に3人で住んでたのですけど、子供に悪影響を及ぼすと判断して、元カノの親に子供を引き取ってもらいました。
また元カノは浪費癖が半端なくて、僕の稼いできたお金(月に70万円ほど)を家賃などに回すことが無く、全て酒でつぎ込んでしまって、僕名義で保証人も立てずにアパートを借りたりしたのですが、生活がそもそもできない状況となってしまいました。
その頃に元妻と職場で知り合って、元妻もバツイチだったのですが、一緒にお酒を飲みに行ってから付き合う事となったので、元カノとは別れる事にしました。アパートは引き払って、元妻と同棲生活を始めて、半年くらいで子供が出来たので、元妻の親へ挨拶しに行き結婚する事にしました。

子供誕生と謎な訴状

息子が産まれました。僕の名前と元妻の親の名前から一字を取って名付けました。生活は元カノの親が保証人になってもらって、僕が物件を借りて生活していました。仕事の方は安定的にこなせるようになってきていたので、所得税対策で会社を立ち上げようかと模索していました。
その頃、謎な訴状が自宅に届きました。送付元は「大阪地方裁判所」でした。そもそも関西圏の親族とは全く無関係な生活をしていましたので、どういう事か全く意味が分からず訴状を確認しました。そうしたら訴えられているのは全く面識の無い人で、訴状を読むと自分の母親が再婚した相手の連れ子だったようです。うちの母親は再婚後に相手の連れ子のマイホームの保証人になっていたが、母親自体は亡くなってしまっていて、その負債を相続した事になっていた模様です。そもそも母親は再婚後に別の家庭に入っているので、その後どうなったか知らなかったのですが、どうも僕が24歳の頃に胃がんで亡くなった模様でした。
慌てて法テラスへ駈け込んで、弁護士に相談したところ相続放棄をした方が良いとの回答を受けて、仕事場には訴えられてるとは言えないので、裁判日に急遽私用で休みを取って大阪へ帰りました。
大阪地方裁判所の被告人席へ座り、相続放棄をする旨を相手に伝えて、その一日で何とか母親の相続放棄まで終えて、支払い義務は無くなりました。
その頃、元妻の姉が胃がんで亡くなった事もあって、元妻の実家(母親)で同居する事になりました。

会社設立と離婚

仕事の方は順調で所得税が大きくなりすぎて、税金の支払いが厳しくなったため、僕が社長で会社を立ち上げました。本店は南青山にありますが、バーチャルオフィスなので、自宅とは全く異なる場所の住所を借りている状態となりました。
会社設立後に仕事を選ぶのに失敗して、片道3時間通勤の仕事を引き受けてしまいました。その仕事は何とか期限までに終わらせたけど、体を壊してしまって、会社は社会保険に入っていたので、傷病手当金を貰う事で休職する判断をしたのですが、同居していた元妻の母親から猛反対されて、家から追い出されました。
そこから一人暮らしを初めて傷病手当金をもらいつつ身体を治して、今は完全に社会復帰しています。元妻とは離婚をして、息子の親権は元妻が取りました。

書籍の送付について

とあることがきっかけで知り合った20代の人へ書籍を三冊をゆうパックで送ったのですが、レターパックライトだと厚さ3cm未満らしくて、レターパックプラスじゃないと無理みたいでした。

 

今回送った本は

ロジカルシンキング

・ロジカルライティング

トヨタ生産方式

の3冊です。

 

この辺が読めるなら

マイケル・ポーターの「競争戦略論」

ゴールドラット博士の「ザ・ゴール」

ゴールドラット博士の「クリティカルチェーン

辺りも勉強してもらおうかなあ。

 

Apple WalletかSuicaの不具合

無記名式のSuica3000円分をApple Walletに追加して利用したらiPhoneから消えていた。

 

まずはAppleサポートに連絡したらiOSが古いから起きてる可能性があるから、最新にして確認してって言われたので、iOSを最新版に上げて確認したところApple Walletから見えない状況だった。

そこでJRに連絡して事情を説明(ナビダイアルで40分)くらい話したけど、Suicaは端末に取り込まれた履歴はあるとの事でAppleサポートに聞いてくれって事でした。その回答が納得できなかったので、メアドを教えて詳細はJRから報告させる予定。

なので再度Appleサポートに連絡したら、そもそもMy SuicaSuicaカードが1枚しかないしモバイルSuicaアプリにSuicaが一枚しか見当たらないと言われたので原因不明。

Apple的な回答としてはApple Walletには交通系ICカードを複数枚いれるのはお勧めできないって事でしたので、一枚で運用するのが良いみたいですね。

 

とりあえずJRは3000円分のSuica再発行しろって思ってますけど、休日になんつー手間取れされるんだよ。JRめ。

白菜キムチはどこで買うと安いのか?

www.amazon.co.jp

 

こういう商品をAmazonで買ったんですよ。

これって60g*30袋で2838円なんですよね。60g*30袋って事は1.8kgなんですよ。100g辺り157円になりますね。

一方、我らがプロマート。白菜キムチが1kgで358円でした。100g辺り35.8円!

 

そう考えると白菜キムチはAmazonじゃなくてプロマートで買った方がかなりお得ですね。Amazonで食品を買うのは控えた方が良いのかもしれません。

 

激安本舗も白菜キムチの価格は調べてみますけど、激安本舗は品揃えがイマイチなんですよね...

新しいTwitterアカウントが出来たので

設定をしてIFTTTと紐づけたら即凍結を食らいました。恐らくIFTTTと紐づけちゃうとダメみたいですねー

完全にプロクシ経由でしかアクセスできないのかな?

いま異議申し立て中ですがどうなるでしょうか。

シャープの洗濯機が故障

不審な音を出しながら乾燥機が止まった。

一応、シャープのサイトを見て出張修理を申し込んだけど、見積もりはいくらくらいなんだろか?

あんまり修理費用が高いようなら洗濯機の買い替えも考えますかね…