Hatena::ブログ(Diary)

William Yamin Institute

2013-12-06

『ブラック企業』を個人的に整理してみた

 

ブラック企業』と一括りに言うけれど…

 毎年恒例の流行語大賞に今年はなんと『ブラック企業』がノミネートされたようだ。惜しくも大賞は逃したようだが。

 ブラック企業という言葉がここまでの知名度を獲得したことは、日本の労働環境改善に向けた取り組みを進展させる上で大きな一歩だと私は素直に喜んでいる。(もちろん本当はこんな言葉、問題と共に存在しないのが一番好ましいのだが…)

 しかし前回の記事でも触れたように、これまでの巷のブラック企業論は問題を共有する上では一定の役割を果たしているが、いざ解決策を模索するとなると途端に議論が混乱してしまういくつかの要因があると私は考えている。前回の記事を補足する意味合いも兼ねて、今回は、現状『ブラック企業』として一括りにされて批判の対象になっている様々な事例をその原因によって2種類に区分する、という提案をしたいと思う。こうするとかなり議論が分かりやすくなるのではないか。

 それは(1)企業側(経営者・管理職、時には労働者自身が)が法律を守らないことによってもたらされる違法性のある過酷労働環境と、(2)法律は順守しているが、そもそも法律で規定されている水準自体が甘い(労働者にとって厳しい)ので結果として過酷労働環境になってしまっている違法性を問うのは難しいケース、の2種類である。

 具体例として賃金の問題を挙げてみる。「給料が安過ぎる!」という訴えがあったとしよう。サービス残業残業代の不払いがあることによって法律上や契約上本来支払われるべき額よりも低い賃金しか受け取っていないのであれば(1)のケースだが、最低賃金以上で残業代もきちんと支払われているが、例えばそれが家族を養える水準ではない、といった法律とは別の観点からそれを「安過ぎる」というのであれば、そのケースは(2)に該当する。

 法律とは別の観点から…」という言葉を使ったが、注意が必要なのがここに個人の価値観等を差し挟む余地があるということだ。具体的にどういった条件を過酷労働環境と捉えるかは人それぞれだし、その各々の基準が法律上問題があるかないかという基準と一致するとは限らない。そしてこれは完全に私の主観的な基準で大変恐縮なのだが敢えて言わせてもらうと、前回の記事で細かい数字を挙げて紹介したように、日本では法律に違反しないかたちでも結構過酷な働かせ方が出来てしまうものなのである。

 個人的にはこういった区別がきちんとなされず様々な事例が『ブラック企業』という呼び名で一括りになって批判に晒されているのが現状のブラック企業に関する議論の最大の問題点だと思っている。



区別することの意義

 ではそもそも何故こういった区別が必要になるのだろうか?それは(1)(2)それぞれのケースで、批判すべき対象と解決する為のアプローチがまるで異なるからである。

 まず(1)のケースだが、ここで経営者が批判されるのは仕方がないだろう。法律を侵しているのだから。対策としても監督体制の強化や罰則の強化など、いかに経営者法律を守らせるかという方向性になるのが自然である。

 問題なのは(2)のケース。現状これも経営者が悪いといった話になりがちだが、果たしてそう言えるのか?もし経営者が悪いとすれば、では対策はどうするのか?監督強化に罰則強化?法律を侵しているわけでもないのに?このように冷静に考えると無理のある点が多々あるのだが、それは恐らくブラック企業に関する議論がまだ成熟しておらず感情的でそういった細かい点まで考えが及んでいない場合が多いからだろう。

 ある労働条件について法律上問題はないが過酷労働環境なので改善の必要がある」と考えるのであれば、批判するべきなのはそういった環境を合法として認めている法律自体ではないのかと私は考える。法律自体に問題があると捉えることが出来れば、対策として必要なのは闇雲に経営者を批判することではなく、法律自体を望ましい基準に変更することだと分かるはずだ。

 そう考えると、過酷労働環境を上記の2種類に分類する上で、本来『ブラック企業』と呼ぶべきなのは前者のケースであって、後者についてはむしろ規制する法律自体に問題がある事例として『ブラック労働法とでも呼ぶのが妥当かもしれない。

 実際に私自身労働法を勉強する中で、自分の中での過酷労働環境の基準と、法律上の線引きがずれていることが多々ある。とりわけ労働時間規制に関して。そういった部分については改めて法律上の基準線を引き直す為のアプローチをしていかなくてはいけないといつも考えさせられる。経営者批判にはしるのは非常に短絡的だと思う。



ダンダリンを通して思ったこと

 この法律上の基準とそれ以外の基準のギャップという問題に関しては、もうひとつ別の視点から捉えてみると面白いのではないかと思う。最近毎週水曜の夜は労働基準監督官の仕事を描いたドラマ『ダンダリン』を楽しんでいるが、このドラマでは監督官に乗り込まれて法律違反を指摘された経営者「不況なんだから仕方ない!」「労働法を守っていたら会社が潰れてしまう!」「労働者は権利ばかり主張しやがって!」などと逆ギレするのが定番のようになっている(気がする)。

 こういった主張に関しては、これまでの持論を裏返しにして、不況だからといった法律とはまた別の観点から法律上守るべきとされている労働条件が妥当ではない(経営者にとって厳しすぎる)と言うのであれば、経営者は自分達が理想とする基準に法律を変える為の努力をすべき、と言うことも出来るのではないか。それこそ労働基準法廃止デモでもやればいい(笑)

 それを労働者は権利ばかり主張しやがって!」などとただ文句を言うのは、結局のところ、法律上は問題がない企業を主観的な基準を持ち出してブラック企業レッテルを貼ってやたらと経営者批判を展開する論理と本質的には何ら変わらないのではないかと思わずにはいられない。

 ちなみにダンダリンではそういった経営者の主張に対して、監督官が「経営が上手くいかない(法律が守れない)のは経営者のあなたが無能だからじゃないんですか?その責任を労働者に押し付けるのはやめて下さい!」といった反論をするのがこれまた定番のようになっているが。



 と色々と書いてきたが、何故ブラック企業論が経営者批判にはしりがちなのかという点に関しては、また別の分析を加える必要があるように感じる。それはまた別の機会に挑戦してみたい。

2013-06-29

ブラック企業論の問題点

 最近地元紙の紙面でも時折ブラック企業という言葉を見かけるようになった。先日自民党がブラック企業対策案を打ち出したこともあり、ブラック企業への関心は日に日に高まっていると感じている。

 しかし、ブラック企業に関する様々な議論や主張を見聞きしていると、どうやらブラック企業という言葉の定義は人によってかなり幅があり、その多くが主観的かつ抽象的であるような印象を受ける。そしてそうであるが故に議論が混乱し、どうにかしないといけないとは思っていても具体的な対策を打ち出せないでいるようにも思える。今回はそんな「ブラック企業の定義」をどうするかという問題に対して自分の考えを示し、また今後のブラック企業論のあるべき姿について自分なりの意見を述べてみたい。
注・現在勉強中の身の為、労働法に関する理解が十分でない点があるかもしれません。認識が誤っている点があれば指摘して頂けると大変有り難いです。


<主観に基づいたブラック企業の定義>

 先日ある民主党国会議員タウンミーティングに参加したのだが、質疑応答の際に会場から「年功序列終身雇用を廃止する企業がけしからん」という趣旨の発言があった。発言者は40代と思われる男性だ。この男性は発言にあたってブラック企業という用語は用いなかったが、様々な労働問題に触れた上で最近の日本企業(の経営者?)を「万死に値する」と強い言葉で批判していた。この男性の意見を参考にすると、ブラック企業の主観的な定義としては「年功序列終身雇用の人事制度ではない企業はブラック企業だ」という主張も成り立ってしまう。

 ちなみに私は企業内福祉を前提としない社会を志向しているので、企業は年功序列終身雇用制をとる必要はないと思っているし(それでも問題ない社会にするべき、という考え)、もっと言うとその弊害を考えるとこれらを止めてしまう方が良いのではないかと思うことさえある。これが私の主観である。もちろんブラック企業の定義として年功序列終身雇用を用いるのにも反対だ。このように、主観的な基準を用いれば、私とタウンミーティングで発言した男性との間でブラック企業の定義について同意するのは困難であると言わざるを得ない。

 また、先日地元新聞でブラック企業の特集記事が載っていたのだが、その記事ではブラック企業の例として、<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という事例が挙げられていた。私がこの記事を読んだ時に抱いた率直な感想は、「これは違法とは言えないのではないか?」だった。

 残業代は毎月固定の金額を支払うことが認められている。月毎に異なる残業時間をその都度計算して正確な残業代を支払う手間を考慮した制度だ。実施するにあたってはいくら分が残業代なのかを明確にするといった規定はあるが、残業代を含んだ固定の給料を毎月支払うことは可能ということだ。そして残業代を計算する上でも土台となる賃金水準に関しては、最低賃金以上であれば法律上は問題ない。

 これらを踏まえて考えたところ、この記事からはこの事例の地域が分からなかったので最低賃金いくらが適用されるのかも特定は出来ないが、例えば労働基準法が定める週40時間の基準労働時間に加えて、厚生労働省が定める過労死ラインである月残業時間の80時間働いた場合(1か月を40時間×4週と仮定、深夜労働および法定休日の労働はないものとする)、地域別最低賃金が最も高い東京の時給850円で計算しても給与は月22万5000円ほどである。ここから税金保険料を差し引くと手取りはおおよそ20万円程度になるのではないか。

 私の住んでいる高知県最低賃金が652円である。1の位を切り捨てて650円で計算させてもらうと、週40時間+過労死ライン80時間(その他条件は同上)では17万円ほどになる。残業時間が月110時間あたりになってようやく20万を越えてくる。手取りが20万を越えるとなると月130時間ぐらいは残業が必要になるだろうか。ワタミ過労死事件が月141時間の時間外労働だったそうなので、それに迫る数値である。

 もちろんこれはその記事から推測出来ること、可能性の話であって、実際どうなのかは分からない。ただ少なくともその記事では<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という事例をブラック企業の一例として持ち出したのであって、違法であるとは書かれていなかったように記憶している。(大変申し訳ないことにソースを紛失してしまいました。)


政府ブラック企業対策の視点は>

 要するに何が言いたいかと言うと、世間一般でブラック企業として扱われている企業・労働環境の中には、実は全く違法ではないものも含まれている可能性が高いということだ。私が気になっているのは、違法行為を行っている企業はともかく、きちんと法律に基づいて労務管理を行っている企業までブラック企業という括りで捉えても良いのだろうかという点だ。一国民レベルでの議論ならともかく、国がブラック企業対策として社名公表などを行うという話になった時に、ブラック企業かどうかの基準として合法・違法以外の基準を用いても問題はないのか。

 最初に引用した記事でも『具体的な線引き基準の設定は困難との指摘もあり』とあるが、私も政策ということになるとブラック企業かどうかの線引きとして違法かどうか以外の基準を用いるのは難しいのではないかと思う。政府がまずやるべきことは違法行為を行っている企業の公表・摘発であり、それ以上の判断には踏み込まない。その替わり、離職率をはじめとする様々なデータの公表を義務付けて、それ以上の判断に関しては国民ひとりひとりに委ねるという体制はどうだろうか。

 個人的には36協定の内容を公開させるべきではないかと思っている。というかこれは使用者が労働基準監督署に提出するものなので政府も情報を持っているはず。わざわざ企業に公表を命じなくても政府が公表すれば良いだけの話に思えるのだが、何か問題があるのだろうか。よく分からない。とりあえず自分自身が求職活動をしていて、ハローワーク求人票にはもちろん労働条件として労働時間時間外労働に関する表記はあるのだが、そんな事実かどうかも分からない情報よりも、いったいその会社は合法的にどこまで労働者を働かせることが出来るのか、つまり36協定はどんな内容になっているのかが気になって仕方がない。


<理想を創造しようとすること>

 話を元に戻すと、政府がそういった役割を担った上で私達がすべきなのは、各々バラバラの基準でブラック企業を定義し、ただ該当する企業を非難することではなく、どういう労働環境が望ましいのかを議論し、現行の労働法をその理想に沿った法律に書き換えていく努力をすることではないかと思う。例えば上記の<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という労働環境。いくら感情的には過酷労働環境であり若者を使い捨てにしていると感じられたとしても、ブラック企業としての取り締まりの基準が現行の労働法に照らし合わせて違法かどうかであれば取り締まれない可能性が残る。

 しかし、もし例えば法律最低賃金を時給1000円に引き上げられたとしたら。この企業は法律で定められた賃金を支払っていないことになる。あるいはもし労働時間規制として36協定の特別条項をなくし、現在1か月の延長労働時間の一応の限度と定められている45時間を何があっても越えてはならない限度にすることが出来たら。この会社の時間外労働にも1か月45時間というたががはめられる。その労働環境が現在は「違法ではない」からといってそこで議論をやめる必要はないのだ。
 
“「ブラック企業を何とかして」という悲鳴に耳を塞いでいいのか”
“ブラック企業の定義はやっぱり「違法行為をする会社」で決まりだ”
 その点で私が個人的にこれらの記事について主張内容には概ね賛成でありながらも物足りなさを感じるのは、筆者であるブラック企業アナリストの新田龍氏が現行の労働法を前提にした議論に終始し、「本来はどのような労働環境が望ましいか」や「将来的にはどのような労働法体系にしていくか」といった視点でブラック企業問題を語ってはいないからだ。

 ここまで主観的なブラック企業の定義を掲げることについてやや否定的な文章を書いてきたが、ブラック企業の定義が現行の労働法に照らし合わせて違法かどうかといった基準から乖離してしまいがちなのには様々な理由が考えられる。私はその中でも、この問題が多くの労働者にとってとても身近な問題であるにもかかわらず、関心がある人達の割合から考えると実際に労働法の知識をそれなりに持ちあわせていて何が違法で何が違法でないかをきちんと理解している人が少な過ぎるという実態があるのではないかと睨んでいる。

 実際に私の知人でも、36協定の存在を知らず週40時間以上の労働は全て違法だと思っていた人がいる。学生などではなく、少なくとも10年以上は働いてきた経験豊富な女性である。さすがにそれは極端な例だとしても、やはり問題の当事者とはいえ、一般の労働者労働法の知識を獲得してあるべき社会を論じるというのには限界があるだろう。

 問題なのはむしろ十分な知識がある人が、知識がある故なのかもしれないが、現行法に照らし合わせた議論ばかりを行い、現行法の枠を取っ払い理想の社会を創造するという行為に携わらないことの方なのかもしれない。ブラック企業アナリストを名乗る新田氏は一般の労働者ではなかなか獲得出来ないような労働法の知識も豊富に持ち合せていることが容易に想像出来るので、その知識をふんだんに使って是非理想の社会を語って欲しいと思う人物のひとりだ。

<おわりに>

 最後になるが、ブラック企業問題とは異なるが、新卒一括採用の問題について正に私がこれまで必要性を訴えてきたようなアプローチを行おうとしているブログ記事を紹介したいと思う。私も時々コメントを投稿させてもらっている「就活生に甘える社会人」というブログ「茂木健一郎さんの「新卒一括採用」に対する見解を理解し損ねる飯田泰之さん」という記事だ。該当部分を引用させてもらう。

『現行の法律上は新卒一括採用が違法だとは思えないが、それでも「現在は合法でも、今日の人権規則に照らせば今後違法にしていくべきではないか?」という議論は十分成り立つ』

 つまりはブラック企業論にもそういった視点が必要なのではないかということを私は言いたいのである。現状の法律に基づいた線引きを踏まえつつも、今度どういった「線引き」に変えていくべきかを提案する。それが出来るように現在猛勉強中である。

2012-04-28

ust放送『William Yamin Presents 労働政策を語る夜』 第三回放送のおしらせ

こんにちは。yaminさんと共同でUst放送『労働政策を語る夜』を運営している奥村と申します。

yaminさんから巧妙に下駄を預けられたため、『労働政策を語る夜』第三回放送の告知文を書くハメになりました。他人のブログで記事を書くってのは、気持ち悪いですね(笑)

では、さっそく。

ust放送『William Yamin Presents 労働政策を語る夜』第三回放送

URL
http://www.ustream.tv/channel/laborpolicynights

・日時

4月28日(Sat.)21:00〜23:00

・出演者

<ウィリアム・ヤミン(やまもとさん)>
高知県高知市出身在住。元吹奏楽部部長でチューバ担当、ギターの弾き語りなども行うが、あくまで楽器を演奏することが好きなようで芸術については素人。最近ジャズなんかを聞き始め、これから色々勉強するところ。

<奥村>
関東に来た途端、持ち前の関西弁が話せなくなった社会人一年生。MTVが恋人。中学高校と吹奏楽部クラリネットを担当。ギターとピアノが多少弾ける。絵画印象派なら多少わかるが、本人の絵心は「画伯」レベル。

大仏
新橋ヒラリーマン。IT企業勤務。「労働政策を語る夜」の良心にして、素晴らしい癒し役。「労働政策を語る夜」の放送技術全般・とぅぎゃりを担当。サブカルに精通している。

<もげら(ゲスト)>

2年次までは地方美大、3年時編入にて都内某美大に編入。契約社員をしつつ作品を作っている作家志望。

セリーヌ(ゲスト)>
3月に4年制音楽大学声楽科を卒業し、現在求職中。在学中に教職課程や講師の就活を少しだけするが、ピンと来ず違う道を考える。現在は音楽活動の傍ら派遣社員の仕事を探している。


<趣旨>
芸術業界への就職を目指すべく芸術大学へ進もうとしている者に、卒業後の進路がどうなっているのかを知ってもらう。

リーマンショックに伴う景気後退により、ここ数年の日系企業は新規学卒者採用を大幅に削減している。同時に大学生全体の学力低下や大学教育の形骸化も論じられるようになり、学生の一部には、新卒就職に見切りをつけ様々な進路に進む者が増えている。その進路の一環として、デザイン系その他芸術を選考する専門学校・大学への再入学が増えているが、果たして専門的な技能を身につけても就職は保障されるのだろうか。また、仮に学卒後すぐに就職が決まらなかった学生は、どのようにして生計を立てていくのだろうか。


形式的には、ゲストの方の体験談に適宜、奥村が質問をポンポン投げていく感じになります。といっても、あまり良い質問ができる自信はないので、コメント欄の書き込みなども援用する予定です。そして何より、初回放送時から常に心がけている「ゆっくり、はっきり、わかりやすく話す」ことも忘れないようにしたいですね。

ust対談「芸術と社会」

http://www.ustream.tv/recorded/22112455

本放送のおよそ一月前に、上記のメンバーにもう一人交えて、「芸術と社会」について、フリートークをしたことがありました。もともとオフレコの予定だったのですが、出演者の皆さんからupの許可が降りましたので、ここに載せたいと思います。

マニアックなアーティストの名前が出てきたり、yaminさんが終始沈黙していたりと、いつもの放送とはちょっと趣が違うと思いますので、「いつもは堅すぎてしんどいよ!」って人も、ラクにお聞き頂けると思います。

それでは。

奥村でした:)

2012-04-11

日本における裁量労働制の運用に見る経営者のエゴ

裁量労働制度とは
"使用者(企業)が業務の進め方や時間配分を指示せず、本人の自己裁量自己責任によって仕事の進め方や勤務時間の計画を立てられ、主体的に仕事を行う制度のこと。つまり、労働時間の長短とは関係なく一定の労働とみなす。(中略)
裁量労働制度の特徴としては、労働時間という概念がないため時間外労働残業代)などの手当は支給されない。また、出勤・退社の時間は自由に設定できるが、一定の成果を出すために裁量労働適用する以前よりも長時間働かざるを得ない状況になる場合もある。"
(ジョブゲッター.com)





 労働時間が成果と比例する仕事ばかりではないので労働時間に対して賃金を支払うのは必ずしも合理的でない、という考え方には賛成する。けれどもこの理論は現状経営者の都合の良いように利用されている印象が否めない。

 
 確かに同じ仕事でもテキパキこなし時間内に終わらせた人よりも、ダラダラやって残業した人の方が賃金が高くなるのはおかしい。だから労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払うという考えのもと残業代を払わないという労務管理には一定の合理性があるように思う。しかし「労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払う」としている以上、仕事が時間内に終わった場合に定時まで会社にいることを強制出来る理由はないはずだ。にもかかわらず「労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払う」という考えの下残業代が支払われないという企業は時々聞くが、その代わり仕事が終われば定時を待たずに帰宅出来るという話をまるで聞かないのはどういうことなのだろうか。


 「給料を貰っている以上定時まではいなきゃいけない」と考える労働者もいるようだ。しかし残業代が支払われないケースでは、経営者労働時間に対して給料を支払うのではないと宣言しているわけだ。給料の対価はあくまで仕事であって、定時などあってないようなもの。労働時間に対して給料を支払うのではないとされている企業において、他にも自分の仕事が早く終わっても帰宅出来ない事情として、定時まで掃除等何かしら別の仕事をやらされるということもよく耳にする話だ。企業は仕事に対して給料を支払うのだと言っているのだから、この場合であれば自分の仕事以外に引き受けた仕事分給料が上乗せして支払われないといけないはずだが、やはりそんな事例は聞いたことがない。これも明らかなダブルスタンダード


 また自分の仕事(とされている仕事)が終わっても、別の仕事を任されることがあるというのは個人の職務の範囲が曖昧ということになる。給料が労働時間に対して支払われている場合は、たとえその別の仕事を終わらせる為に残業することになってもその分給料を手にすることが出来る。けれども仕事に対して給料を支払う企業であれば、その建前の下そもそも残業代というシステムが存在しなかったりするわけなので、労働者にとってはその別の仕事分は単純に働き損である。


 こうして「仕事に対して給料を支払う」と「労働時間に対して給料を支払う」という異なる考えが混在している状況は、このように結果として労働者賃金以上に働かせる”という経営者にとって一方的に都合の良い既決を産む恐れがある。これこそが僕がホワイトカラーエグゼンプションの意図には賛成しながらも、日本における導入には反対である理由だ。そして何年か前に一度実際に制度化が検討された際に残業代ゼロ法案」だとして多くの労働者が反発した理由でもあるだろう。労働者の反応は正しかったと言わざるを得ない。


 とはいえ労働者にはホワイトカラーエグゼンプションの導入に反対するだけでなく、今現実に存在している仕事に対して給料を払うと労働時間の概念を否定して残業代を支払わないくせに、定時までは帰れないという矛盾した職場と戦って欲しいというのが僕の率直な気持ちである。

2012-04-09

うどん屋の新人店員と既卒インターンシップ

   労働者に寛容であること

先日行き付けのうどん屋で食事をした時の話。なんだか見慣れない店員さんが。見ると胸には「研修中」と書かれた名札を付けている。接客は非常にぎこちなく、いかにも新人さんという感じ。

僕は悪意が明確であったり意図的な行為には厳しくても、基本的にミスには寛容で(少なくとも自分ではそう思ってる)、研修中の新人さんには特に寛容でありたいと思っている。

労働者にとっての利益と消費者にとっての利益はトレードオフになることがあり、目先の利益にとらわれると巡り巡って自らの首を絞めることになることは幅広く知られている。消費者としては嬉しい値下げは人件費削減圧力を生み出し労働者としては苦しい給料の引き下げに繋がる、といった具合に。しかし逆にこの構造下では消費者として何らかの不利益を受け入れることによって労働者の待遇を向上させたり雇用を増やすことも出来るのではないかと考えることも出来る。



   求人数を左右する要素は何か

太田聰一著「若年者就業の経済学」では、求人数を左右する要素の中の労働者一人あたりの期待利益に関連する項目としてヾ覿箸負担しなければならない賃金コスト∈陵僂靴労働者の訓練費用労働者離職率ず陵僂靴労働者の能力の不確実性雇用賃金調整の柔軟性、の5つが挙げられている。

消費者として新人や研修中の労働者のミスやぎこちない対応に寛容であることは(もちろん熟練労働者にも寛容であるべきなのは言うまでもない。新人や研修中の労働者にはより一層、という話。)この中の△魴攜困垢觚果があるのではないか。もし消費者が研修中の労働者の対応やミスに事あるごとにクレームをつけたら、企業としては研修や訓練が必要な労働者の採用を手控え、経験者ばかりを雇うことでクレームを受けるリスクを軽減し、社会的地位が低下することを回避しようとするだろう。雇用の拡大を目的とした労働政策を考える際にも、上記5項目の 銑い魴攜困掘↓イ魍搬腓垢襪箸いκ向性を意識することが大変重要であるように思う。



   新卒者支援プロジェクト」とは

僕が研修中の労働者に寛容でありたいと思う背景には、僕自信が経済産業省主催の新卒者支援プロジェクト」というインターンシップを利用して実習生として働いた(訓練した)経験(※追記参照)が大きく影響しているように感じる。このインターンシップは上記「労働者一人あたりの期待利益に関連する項目」に照らし合わせても大変理に適った制度設計がなされており、この機会に詳しく紹介したい。

インターンシップと聞くと学生が夏休みや春休みを利用して数日から1ヶ月ほどの期間で行うものという印象が強い方もいるだろうが、日本のような新卒一括採用慣行のない多くの先進国ではむしろ学校卒業後に正社員として就職する為に経験する研修期間のことをインターンシップと呼ぶことが一般的であるようだ。

外国での運用のされ方と同じように、学生を対象とした制度ではないにもかかわらずこのインターンシップが「新卒者支援プロジェクト」と新卒を冠しているのは、ここで言う新卒の定義が政府提言している「卒後3年以内は新卒扱い」に基づいている為である。その為対象者は最終学歴に関わらず「卒後3年以内」で、卒後3年以内であれば年齢やその間の職歴も問われない。実際に僕のインターンの同期に該当するメンバーは、年齢は19歳〜26歳、学歴は高卒から大学院修士課程卒までと幅広く、中には正社員としての勤務経験のある者もいた。紛らわしいが、事実上対象者はいわゆる「既卒者」だったことになる。



   訓練生には日額7000円、受入先企業にも日額3500円

僕が経験したインターンシップは期間が最大6ヶ月で、インターン期間中は受入先企業からは給料は支払われず、替わりに国から「技能習得支援助成金」という名目で日額7000円が支給される仕組みだ。その間企業側にも「教育訓練費助成金」という名目で日額3500円が国から支払われる。

またこのインターンシップは期間終了後の正社員登用が約束されているわけではない正社員登用に至らなかった時は当然他の就職先を探すことになるわけだが、その際でも少なくとも数ヶ月間場合によってはOJTにも等しい訓練を実際に経験したことは有利に働くであろう、未経験者よりは優遇されるのではないかという意図が感じ取れる。ちなみにインターン期間終了を待たずして正社員雇用に切り換えることに関しては企業側と実習生の合意さえあれば特に制限はない。



   マッチングの精度を向上させる可能性が

ここでもう一度太田聰一氏が著書の中で示している「求人数を左右する要素の中の労働者一人あたりの期待利益に関連する項目」を振り返ってみよう。ヾ覿箸負担しなければならない賃金コスト∈陵僂靴労働者の訓練費用労働者離職率ず陵僂靴労働者の能力の不確実性雇用賃金調整の柔軟性、の5項目である。

まずこのインターンシップを利用することの企業側のメリットとして、「ず陵僂靴労働者の能力の不確実性」が大きく関わってくる。現在の日本における採用選考は、書類審査と面接による選考がほとんどで、実務を通して求職者の能力や適性を観察し採用の可否を判断するようなケースは極めて稀なのではないだろうか。書類審査と面接から読み取れることには限界があるはずだ。

それでも職務経歴が豊富ないわゆる「経験者」の場合であれば、これまでの経歴や実績からより多くの情報が得られるだろうが、日本の多くの企業が採用対象としている新卒者に関しては職務経歴がない人がほとんどである。近年新卒入社した正社員の高い離職率(上記5項目のにも該当する)が問題になっているが、その背景には新卒という未経験者を中心とした採用や、その新卒の能力や適性を実際に働かせてみることなく見抜こうとする採用方法の限界が一因として挙げられるのではないか。

このインターンシップでは採用側は6ヶ月間実際の作業を通してじっくり実習生の能力や適性を観察した上で正社員登用の可否を判断出来る。いざ正社員として働き始めてから「こんなはずじゃなかった…」という経験をする可能性は一般的な採用の方法よりもずっと低くなるのではないか。あるインターン同期が実習していた企業は「実際に働かせてみないと労働者の能力なんて評価出来ない」という社長の考えの下、インターンを経由した正社員採用しか行っていないそうだ。



   労働者の訓練コストを誰が負担するのか、新しいカタチ

またこれは求職者にとってもメリットが存在する。求人表から読み取れる企業情報も採用側にとっての履歴書と同じようにやはり限定的で、働いてみないと分からないことは多かれ少なかれ存在する。この6ヶ月のインターンシップ期間は企業もある意味品定めをされているのだ。企業側は正社員登用したくとも、求人表では読み取れなかった労働環境や待遇面での実態を目にすることによって、実習生側が継続して働くことを望まないケースも当然出てくる。正社員採用の前の段階でこうしたプロセスを踏むことは正社員採用後の「労働者離職率」を低く抑える効果も期待出来る。

そして企業側にとってこういったインターンシップを利用するメリットとしてこの制度が「∈陵僂靴労働者の訓練費用」を軽減するものである点も無視出来ないだろう。同じ未経験者であってもこうした実習期間を経て正社員になるのといきなり正社員になるのでは、採用段階での職能レベルには大きな差が生じる。企業にとっては新人を自費で一から教える手間が省けるというわけだ。国が労働者の訓練費用を肩代わりしていると考えることが出来る。

新人は戦力にならないと言われることがあるが、上記の日額7000円の「技能取得支援助成金」はそんな戦力にならない新人の給料を国が負担することによって訓練コスト(あるいは「ヾ覿箸負担しなければいけない賃金コスト」)を引き下げる効果が期待される。だが戦力にならない新人の給料を国が負担すれば企業にとっては新人の訓練コストが相殺されるかと言えば、それだけでは不十分である。新人の訓練に際しては先輩にあたる労働者が指導役として割り当てられるが、その労働者が指導を担当しなければ本来得られたはずの労働力生産性も訓練コストとして捉える必要があるからだ。国から受入先企業に支払われる日額3500円の「教育訓練費助成金」は、この指導役社員の生産性を補償する意味合いがあるのではないだろうか。



   社会保障の側面から見た既卒インターンシップ

近年先進国社会政策(労働政策+社会保障)においてワークフェアという考え方が広まってきているそうだ。ワークフェアとはwork(働く)とwelfare(福祉)を組み合わせた造語である。失業対策にセーフティネットは不可欠だが、単に手厚いセーフティネットを整備するだけでは失業者の勤労意欲が削がれ、再就職が困難になり失業手当や生活保護をはじめとした社会保障に頼り続けなければいけなくなってしまう危険性がある。こうした状況は「貧困の罠」という言葉でも表現される。

その為、あくまで将来的な再就職を視野に入れた社会保障の整備という考え方に基づいた制度がワークフェアということだ。具体的には職業訓練への参加が失業手当の受給要件である、などがワークフェアの取り組みとされる。そして僕が参加した「新卒者支援プロジェクト」は経済産業省が主催するあくまで就職支援のようだが、考えようによっては社会保障的な側面も備えたワークフェア政策と言えるのではないだろうか。

日額7000円の「技能取得助成金」は、当然欠勤した日の分は受け取ることが出来ない。そして止むをえない理由での欠勤を除き(僕は忌引による欠勤がやむを得ない理由として認められた)月間16日以上出社しなければその月の分丸ごと支給されなくなってしまうという制度設計がなされていた。事実上訓練(実習)が受給要件になっている失業手当のようなワークフェア政策と変わりない。あくまで就職支援として扱われる既卒インターンシップだが、このように社会保障的側面からの評価も必要であるように感じる。



   「卒後3年以内」以外の求職者にも訓練機会の解放を

このインターンシップは「卒後3年以内」が応募の条件だったが、実際に利用してみて、決してこの仕組みの持つ性質が卒後3年以内の者や若年者にしか馴染まないといったようなことはないように感じる。OJTや就職支援が必要な求職者というのは何も若年者に限った話ではない。対象者が卒後3年以内の者限定である必要はなく、本質的には幅広い年代・属性の人の就職支援として転用可能な取組みだ。対象者が「卒後3年以内」限定というのも予算の都合、また新卒一括採用という日本で主流な採用慣行の延長線上で設計されているからというだけの話でしかないのではないだろうか。

もちろんこの仕組みを全世代の求職者の就職支援に応用する為には、職務上の序列と年齢がバラバラになることを嫌う日本企業にありがちな体質を改める必要がある。自分よりも遥かに年上の実習生を指導するといった状況に果たして耐え得るのか。

とはいえ経済が成熟した先進国において、高い経済成長率を達成する為に雇用流動性を高め衰退産業から成長産業にどんどん労働力を移動させていく必要があるのであれば、世代に関わらずこうした仕組みを利用して訓練機会を提供することは不可欠になってくるのではないかと思う。また少子高齢化が顕著な日本においては年齢が高くなっても可能な限り再訓練を施すことによって労働力として活用する必要性に迫られるのではないか。そういった意味でも可能性を検討するに値する制度だと思う。



   新卒一括採用+OJTに頼らない制度設計

このように、現在はまだ学生の長期休暇での就業体験といった認識しかないインターンシップだが、学卒者のキャリア形成の手段として幅広く認知され、独自に活用されるだけでも企業・求職者双方に様々な利益をもたらす可能性がある。またこれに国や地方自治体経済団体などが参画することによって社会保障的な側面が強い政策として運用したりとさらなる可能性も拓けてくるように感じる。

新卒一括採用+OJTというセットがこれまでの日本では上手く機能していたのかもしれないが、近年はグローバル化による競争の激化もあって、企業がこれまでのように新人の訓練コストを捻出出来ないということも指摘されている。今までのやり方に固執するのではなく、そろそろ新たな採用プロセス人材育成のシステムについて検討する時期にきているのではないか。




William Yamin


新卒者支援プロジェクト概要(中小企業庁)
http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/koyou/2012/download/120117NJAP_G.pdf

新卒者支援プロジェクト実習事例集(中小企業庁)
http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/koyou/2011/download/110218NJAP.pdf

書評:太田聰一著「若年者就業の経済学
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/04/pdf/074-087.pdf#shohyo_1


追記:2011年6月から「新卒者支援プロジェクト」を通してWilliam Yaminは製造業の企業にて実習生としてインターンシップに参加していました。インターン開始3ヵ月で海外派遣要員としての正社員登用が内定していましたが、健康上の理由から退職、インターンも中断せざるを得なかった経緯があります。