日本における裁量労働制の運用に見る経営者のエゴ

裁量労働制度とは
"使用者(企業)が業務の進め方や時間配分を指示せず、本人の自己裁量と自己責任によって仕事の進め方や勤務時間の計画を立てられ、主体的に仕事を行う制度のこと。つまり、労働時間の長短とは関係なく一定の労働とみなす。(中略)
裁量労働制度の特徴としては、労働時間という概念がないため時間外労働(残業代)などの手当は支給されない。また、出勤・退社の時間は自由に設定できるが、一定の成果を出すために裁量労働を適用する以前よりも長時間働かざるを得ない状況になる場合もある。"
(ジョブゲッター.com)





 労働時間が成果と比例する仕事ばかりではないので労働時間に対して賃金を支払うのは必ずしも合理的でない、という考え方には賛成する。けれどもこの理論は現状経営者の都合の良いように利用されている印象が否めない。

 
 確かに同じ仕事でもテキパキこなし時間内に終わらせた人よりも、ダラダラやって残業した人の方が賃金が高くなるのはおかしい。だから労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払うという考えのもと残業代を払わないという労務管理には一定の合理性があるように思う。しかし「労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払う」としている以上、仕事が時間内に終わった場合に定時まで会社にいることを強制出来る理由はないはずだ。にもかかわらず「労働時間に対して賃金を支払っているのではなく仕事に対して賃金を支払う」という考えの下残業代が支払われないという企業は時々聞くが、その代わり仕事が終われば定時を待たずに帰宅出来るという話をまるで聞かないのはどういうことなのだろうか。


 「給料を貰っている以上定時まではいなきゃいけない」と考える労働者もいるようだ。しかし残業代が支払われないケースでは、経営者が労働時間に対して給料を支払うのではないと宣言しているわけだ。給料の対価はあくまで仕事であって、定時などあってないようなもの。労働時間に対して給料を支払うのではないとされている企業において、他にも自分の仕事が早く終わっても帰宅出来ない事情として、定時まで掃除等何かしら別の仕事をやらされるということもよく耳にする話だ。企業は仕事に対して給料を支払うのだと言っているのだから、この場合であれば自分の仕事以外に引き受けた仕事分給料が上乗せして支払われないといけないはずだが、やはりそんな事例は聞いたことがない。これも明らかなダブルスタンダード


 また自分の仕事(とされている仕事)が終わっても、別の仕事を任されることがあるというのは個人の職務の範囲が曖昧ということになる。給料が労働時間に対して支払われている場合は、たとえその別の仕事を終わらせる為に残業することになってもその分給料を手にすることが出来る。けれども仕事に対して給料を支払う企業であれば、その建前の下そもそも残業代というシステムが存在しなかったりするわけなので、労働者にとってはその別の仕事分は単純に働き損である。


 こうして「仕事に対して給料を支払う」と「労働時間に対して給料を支払う」という異なる考えが混在している状況は、このように結果として労働者を”賃金以上に働かせる”という経営者にとって一方的に都合の良い既決を産む恐れがある。これこそが僕がホワイトカラーエグゼンプションの意図には賛成しながらも、日本における導入には反対である理由だ。そして何年か前に一度実際に制度化が検討された際に残業代ゼロ法案だとして多くの労働者が反発した理由でもあるだろう。労働者の反応は正しかったと言わざるを得ない。


 とはいえ労働者にはホワイトカラーエグゼンプションの導入に反対するだけでなく、今現実に存在している仕事に対して給料を払うと労働時間の概念を否定して残業代を支払わないくせに、定時までは帰れないという矛盾した職場と戦って欲しいというのが僕の率直な気持ちである。