アーレントの帝国主義論から現代日本を見る

 博論執筆のためにハンナ・アーレントの『全体主義の起原』第二部の帝国主義論を読み返しているのだが、アーレント帝国主義論は現在の日本の政治状況を分析するための示唆に満ちていると思う。

 アーレント帝国主義全体主義の前段階と位置づけ、それを「膨張のための膨張運動」「人種思想」「無人支配としての官僚制」などによって特徴づけた。膨張のための膨張運動→新自由主義、人種思想→レイシズム無人支配としての官僚制→「法の支配」を軽視する政治、などの特徴とぴたりと合致する。

 日本の現状を、1930年代のドイツや日本の全体主義との類似で語る言説はよく見かけるようになったが、柄谷行人はむしろ日本の現状を120年前の帝国主義の時代との類似において分析するべきだと提唱している。現在の世界は再び帝国主義期に突入しつつあり、それは全体主義の前段階を意味するのだというのである。

「膨張のための膨張は無限のプロセスであり、その渦中に入った者は自分のままであり続けることは決して許されない。この潮流に一旦身を任せた者は、このプロセスの法則に服従し、その運動を持続させるための名もなき軍勢の一員となり、自分自身を単なる歯車と見なし、その機能に徹することこそダイナミックな流れの方向の体現であり、人間の果たしうる最高の業績であると考えることしかできない。こうなったとき人は自分が『過ちを侵すことはありえず』自分のすることはすべて正しいと実際に妄想するようになる。」(アーレント全体主義の起原』第二部)


 これに加えてアーレントが提唱する「種族的(フェルキッシュ)ナショナリズム」の概念も興味深い。アーレントは「西欧型ナショナリズム」と中東欧の「種族的ナショナリズム」を区別する。西欧型ナショナリズムが特定の土地(領土)に根ざした歴史的・文化的統一に基づく国民的同質性を強調するのに対し、中東欧諸国ではそのような安定的な土地への根づき、歴史的・文化的統一、国民的同質性などの要素を欠いていたために、結果として「種」や「血」や「魂」といった抽象的な観念に依存した種族的ナショナリズムを発展させざるをえなかったというのである。

 このように「種」や「血」や「魂」といった抽象的な観念に依拠し、「人種」によって自民族(自国民)の優秀さを主張する「種族的ナショナリズム」は、近年日本のうちで急速に成長しつつあるレイシズムヘイトスピーチなどの現象と符合するものではないか。同時に安定的に定められた「法の支配」ではなく、その都度ごとに発せられる「政令の支配」にもとづく「無人支配」としての帝国主義的官僚制や、海外に利殖を求める資本家と国家権力が結託して実現される「膨張のための膨張」運動など、ここで指摘される多くの要素が現代日本の状況に当てはまるのだ。

「…ここでは権力はすべての政治的行為の原動力として、自分自身をたえず餌として喰らいながらも決して止むことなく回り続けるモーターとして理解されており、それは、資本の無限の蓄積をもたらすという不可思議なモーターと正確に対応するものだからである」(アーレント全体主義の起原』第二部)

 だとすればわれわれは、現代日本が新たな帝国主義的段階にあり、さらにはそれが全体主義的段階へ向かいつつあるという危機感をもって、われわれの社会を注視しておく必要があるのではないだろうか。過去の歴史を学ぶ意義はおそらくそういうところに存するはずである。


全体主義の起原 2 ――帝国主義

全体主義の起原 2 ――帝国主義

ネット社会は過去志向型カルチャーを生み出す。

 最近は少しずつ吉田拓郎やら中島みゆきやらユーミンやら、昔の歌謡曲をよく聴くようになってきた。洋楽にしてもビートルズとかビーチボーイズとかカーペンターズとか古いのばっかり聴いてますね。今のJ-POPや洋楽が楽しくなくても、過去のアーカイブに簡単にアクセスできる時代なのがありがたい。

 逆にこれで過去のアーカイブに簡単にアクセスできない状況だったら退屈すぎて死んでたかもしれません。あるいはもっとニッチな最新バンドを頑張って追いかけてたりしたのかな。単に自分が30過ぎておっさん化してるだけかもしれないし、よくわかりませんが。

 映画とかにしても、近所のレンタルビデオ屋に行けばいつでも過去の名作を200円とか300円で借りて見られる環境って素晴らしくないですか。極端に言えばもう新作映画とか全然入ってこなくても過去のアーカイブを順番にチェックしていくだけでも十分残りの人生潰せそう。

 人文書もとりあえず古典に手軽にアクセスしやすくなってる環境がありがたいなと思うことが多い。読みやすい新訳と綺麗な装丁と手頃な価格で古典・名著に触れやすくなってるよね。貴重な古本もネットで手に入りやすくなったし。新刊の人文書で面白いものが少ないというのはまぁその通りだと思うけども。

 というわけでネット社会では新しいものの創造へ向かうよりも、むしろ過去の名作アーカイブを検索&チェックする方に流れがちだよなぁというのが最近の印象。なぜならそちらのほうが安価で手頃に良質な作品に触れられる可能性が高いから。

あと前から思ってるんだけど、YouTubeって未来を向くのではなくて、むしろ過去を振り返るのに適したメディアですよね。YouTubeでアーティストの新譜を聞く機会よりも、過去のアーティストの曲を聞く機会のほうが圧倒的に多い。

 なのでYoutubeに浸っているとどんどん過去志向になっていって、あんまり未来に志向(思考)が向かわない。いやーもうすでに十分、一生楽しめるだけのアーカイブあるじゃん、みたいな感じで。新しいものを欲する欲望が薄くなるんだよね。過去のCDとか本を買いたくなるときはあるけど。そして古いCDや本はたいていAmazonの中古で安く買える、という素晴らしきネットデフレ社会。

 そんな風にして文化って後ろ向き(懐古的)になって衰退していくんですかねー。いやどうなんだろう。インターネットが普及することで、ここからドンドン新しい価値や文化が生まれてくるよ!という言説って10年くらい前まではよく見かけたけど、いやあんまりそんな風になってないんですけど…、むしろどんどん懐古主義的・過去志向型のカルチャーのほうに関心が移ってる気がするんですけど…、というのが個人的な印象。

というわけで最近よくYouTubeで聴いている曲を。

コンピューター将棋、ついに男性プロ棋士に勝つ!

もう2ヶ月近く前のニュースですが、コンピューター将棋がついに男性プロ棋士を負かす、という歴史的事件がありました。

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◆米長永世棋聖、無念…将棋ソフトに敗れる

日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖(68)が14日、東京・千駄ケ谷将棋会館でコンピューター将棋ソフト「ボンクラーズ」と対局する「第1回将棋電王戦」が行われ、後手の米長永世棋聖が113手で敗れた。引退して8年、タイトル獲得通算19期の歴代5位を誇る永世棋聖だが、終局直後は右手をほほに当て、唇をかみしめるしかなかった。

ボンクラーズ」は会社員、伊藤英紀さん(49)が開発し、昨年の「第21回世界コンピュータ将棋選手権」で優勝した最強ソフト。18年に同じ大会で優勝した「ボナンザ」を複数台並列に接続する「クラスター」からとって名付けられた。

 持ち時間は各3時間。米長永世棋聖は序盤、優位に進めたが、積極的に動き始めると、「ボンクラーズ」は待っていたかのように反撃を開始。形勢は徐々に逆転し、最後は大差がつき、午後5時14分、永世棋聖は無念の投了となった。

 将棋ソフトはここ数年、棋力向上が顕著といわれ、プロ棋士が公の場で対局することは禁止された。だが、19年3月には新たな棋戦のスタートを記念して渡辺明竜王が「ボナンザ」と対局、一昨年10月には清水市代女流六段が「あから2010」と対戦、渡辺竜王は勝ち、清水女流六段は負けた。

 終局後の記者会見で米長永世棋聖は「序盤は完璧に指したが、途中で見落としがあり攻め込まれた。私が弱いからだ。次回は棋士5人がソフト5台と同時に対戦する」と話した。勝った「ボンクラーズ」の伊藤さんは「これまで一歩一歩開発に進んできた結果です」と謙虚に話した。(産経新聞

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コンピューターに敗北したのは米長邦雄永世棋聖(将棋連盟会長)。昨年、初めて女流プロ棋士清水市代女流六段)がコンピューター「あから」に負けましたが、その仇討ちに乗り出した米長会長もあえなくコンピューターに敗れてしまった、という格好。

◆コンピューター将棋が女流王将に勝利 6時間を超える激闘、86手でコンピューターが制す


僕が一番熱心に将棋をやっていた中学〜高校時代はもう十年以上前ですが(月日が経つのは早いなぁ)、その頃のコンピューター将棋はアマチュア三段にも勝てないような状況で、プロ棋士の人たちも「自分が生きている間はプロがコンピューターに負けることはないだろう」と言っていたのを覚えています。それからわずか十数年でコンピューターは現役女流トッププロと元名人の男性棋士を負かすまでに成長したのですね!コンピューター精度の年々の成長を考えれば、まぁそんなものかという気もしますが、小学生の頃から将棋を嗜んできた人間としては、やはり驚きを禁じえません。


次のコンピューターvsプロ棋士の勝負としては「5人のプロ棋士と5つの将棋対局ソフトによる団体戦を2013年中に開催予定」なんだとか。おそらく若手〜中堅くらいの現役棋士を集めてくるのでしょうか。1年たつとコンピューターはまた強くなっているでしょうから、はたして何人の棋士がコンピューターに勝てるのか、興味が高まるところです。なんとか人間全敗だけは避けてほしいものですが(笑)

しかしこの調子でいくと、羽生・佐藤・渡辺といった男性トッププロ棋士をコンピューター将棋が引きずりだす日も遠くはなさそうです。遅くとも10年以内、早ければ今から5年以内には、「羽生善治vsコンピューター将棋チャンピオン」の対決というゴールデンカードが開催されることになるのではないでしょうか。これもなんとか一度は羽生さんに意地を見せてほしいものだなーと今から勝手に想像したりしています(笑)


余談ですが、僕は個人的にこの米長邦雄という人間が嫌いです。この元名人には天皇へのごますり問題やら名人戦移籍問題やら女流プロ棋士独立問題やら女性問題やらといろいろ伝説があるのですが(興味ある方は検索してみてください)、どれもこれも人間として最低だな、と思う行為ばかりです。「泥沼流」やら「さわやか流」と呼ばれる気風も個人的には好きになれない。

しかし、こと商売人としての才覚には非常に優れていると認めざるをえません。数年前から始まった、プロ棋士vsコンピューターの演出に関しては、これ以上ないというくらいの采配で将棋ファンを楽しませてくれています。いきなりコンピューターと現役男性プロ棋士を戦わせるのではなく、まず女流プロを生贄に差し出して(このあたりもよく考えると下劣な性格が表れている気もしますが)、次に元名人で現会長の自分が仇討ちに乗り出す。よく出来た筋書きです。弱い棋士から小出しにしていく、といっても無名の若手棋士のような小粒を出すようなケチなマネはせず、出すときは女流棋士トップ、元名人という大物を出すことで勝負に華を添える。対戦を発表してからしばらく期間をあけて、どちらが勝つかの予想を盛り上がらせる。このあたりの演出はプロデューサーとしては非常に上手い。

しかも、男性プロ棋士で敗れる対象として、自分の首を指し出したこともやはりアッパレと言わねばならないのでしょう。元名人がコンピューターに敗れたとなれば、その後コンピューターと対戦する若手棋士も言い訳がたちやすくなるでしょうから。「元名人、現会長が負けたんだから、ペーペーの自分が負けるのも仕方がない」と。さらにいえば、米長会長自身は現役プロを退いてもう数年がたつので、「全盛期の頃の勢いは今の自分にはないが…」という自分への言い訳もしっかり立ちます。(とはいえ、さすがにコンピューターに負けるのはかなり悔しいし、屈辱的な出来事でしょうが。だからこそその判断は偉いといえる)

人間的な憎たらしさと商売人としての巧みさ、かつその道での実力と実績も兼ね備えている、という意味では、芸能界を追放中の島田紳助に通ずるところがあるかもしれません。将棋界でも内心、米長邦雄人間性を嫌いな人・信用していない人がほとんどでしょうが、ここ数年の将棋界の発展が彼の采配に支えられているという実績は多くの人が認めざるをえないところでしょう。こういう人物は、やはりある種の人間くさい魅力はありますね。悔しいですが。

まぁそれはともかくとして、一体あと何年で羽生善治がコンピューター将棋に敗れるのか、将棋ファンにとっては非常に関心のあるところです。将棋界に羽生善治に代わる新しいスターがなかなか生まれずマンネリ感が漂うなか、「人間vsコンピューター」という新しい見世物がファンを魅了しています。将棋界にとっては、間違いなく大きな転換点に差し掛かろうとしているところなので、これからもいち将棋ファンとしてその動向を追いかけていきたいなと思っています。


◆参考記事
・いかに戦ったのか――「米長邦雄永世棋聖 vs. ボンクラーズ プロ棋士対コンピューター 将棋電王戦」を振り返る

・米長永世棋聖を下した将棋ソフト「ボンクラーズ」の計算力−−壮絶な読み合い、わずかなミスを突き猛攻

・将棋電王戦 米長邦雄永世棋聖 vs ボンクラーズ 渡辺竜王のコメント要約(togetter)

「J・エドガー」感想

観てきました。初のイーストウッド監督×ディカプリオ作品、しかもFBI初代長官の半生を描いた史実もの、ということでかなり期待して観に行ったのですが、正直期待はずれでした。悪い映画じゃないんだけど、さすがに地味すぎる(笑)淡々とストーリーが流れていって、あまりに盛り上がりに欠けるという印象でした。1930〜60年代のアメリカを再現した映像の雰囲気や、ディカプリオの演技はいいんですけどねぇ。もうちょっとストーリーに起伏を作れなかったものか。まぁこの辺りは個人的な好みかもしれません。(渋くていい映画、と言われればそうなのかも)

「優秀な国家公務員であったエドガーが、権力者としてのし上がる中で次第に腐敗していく様を描く」というのがこの映画の趣旨だと思うんですが、個人的には「こいつ若い時から一貫して危ない思想を抱いた権力志向の人間やんけ」と思えてしまって、あまりこの人物の成長あるいは腐敗の過程みたいなものに感情移入できませんでした。マザコンや同性愛ゆえの歪んだ内面葛藤、という描写にもあまり心動かされなかったなぁ…。
優秀な部下との禁断の同性愛、がちょっとした可笑しみのポイントなのかもしれませんが、特殊メイクをした爺さんどうしのボーイズラブ(?)を見せられてもちょっとなぁ…ということで、正直僕は引いてしまいました。若い時のふたりだと、まだちょっとはニヤニヤできるところがあったんですけどね。特殊メイクのディカプリオも、うーん、個人的にはあんまり見ていて気持ちいいものではなかったな…。ディカプリオの演技自体は素晴らしいんですがね。

個人的な好みをいうと、もっとこのエドガーという人物の内面的な闇を追い込んで、グロテスクに見せて欲しかったです。昨年の『ブラック・スワン』みたいな。あの映画だと、はじめは生真面目で優等生だったバレリーナーが、栄誉を得るとともに次第に狂っていく様が非常にドギツく描かれていて、とても感動&興奮したのですが。
今回のエドガーの描き方だと、若い野心家の頃から年老いて過去を振り返っている時点まで、エドガーという人物の優秀さや歪さにほとんど変化がない。「国家の安全を守るため」という名目のもとに、自分はとんでもないことをしてきたのではないか?という葛藤もない。一貫して自分の言動に自信を持ち続けている(母親の前では葛藤を抱えているんだけど追い込み不足)。ゆえに、全体のストーリーに起伏がなくて、感情が盛り上がるポイントがない…。と感じてしまいました。

唯一、ラスト近くでちょっとしたネタばらし的な展開があって、おぉっ、これまでの淡々とした描写はこのドンデン返しのための長いフリだったのか!?と思って期待したのも束の間、結局エドガーは特に反省の様子も苦悩の様子も見せるでなく、あっさりと友人の前から去ってしまい、そして湿っぽいラストへ向かっていく、となって「なーんや」とガッカリしてしまいました。

FBI設立の経緯や、当時の反共産主義の雰囲気、科学的捜査導入の過程などは、それぞれよく分かって面白かったといえば面白かったんですけどね。911以後のアメリカはすでにここで予見されていたのか、みたいな。あと、若いエドガーとガンディが図書館でデートして、エドガーが「何分で本を探せるか時間を計ってて!」っていうシーンは結構好きでした。本好きなのでああいうデートは萌えるなぁ。グレン・グールドのピアノがBGMなのも良かったです。
というわけで、アメリカ歴史好きで渋い映画が好みの人ならもっと楽しめるのかもしれません。心理的追い込み系映画好きな僕にとっては、ちょっと不満の残る一本でした。

「平均」の意味、大学生の24%が理解せず、の意味を理解しない大人たち

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■「平均」の意味、大学生の24%が理解せず(読売新聞)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/scholastic_ability/

 ゆとり教育の影響のほか、少子化による大学全入時代の到来で入試の難易度が下がったことなどが、理由として指摘されている。

 調査は昨年4月から7月にかけ、国公立大、私立大計48大学で実施。主に入学直後の学生5934人が協力した。調査では小中学校で学ぶ内容を中心に、論理的な文章の読解や記述力、基本的な作図力を問う5問が出題された。

 その結果、全問正答した学生は、わずか1・2%だった。「偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるか」を論理的に説明させる中3レベルの問題の正答率は19%。小6で学ぶ「平均」についても、求め方は分かるが、「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち、中堅私大では半数が誤答だった。

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なんかこの記事が話題になって、「これだからゆとりは…www」的な反応になってるけど、みんなちゃんとニュース記事読んでるのかなぁ。
<「偶数と奇数を足すとなぜ奇数になるか」を論理的に説明させる中3レベルの問題の正答率は19%だった>ってあるけど、この問いに「論理的に」答えられる大人って実際4〜5人に1人くらいのもんじゃないの?みなさん、ぱっとこの答えわかりました?正直この記事読んでゆとり世代を馬鹿にしている年配層が「論理的」な人間だとはとても思えない。
(2n+2m+1=2(n+m)+1…的に説明すればいいんですよね?)


あと「平均の意味を誤解」についてはこんな問題ですね。

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■大学生の4人に1人、「平均」の意味誤解 数学力調査(朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0224/TKY201202240450.html

大学生の4人に1人が、「平均」の意味を正しく理解していない――。そんな結果が、数学教員らでつくる社団法人日本数学会(理事長・宮岡洋一東大教授)が初めて実施したテストで分かった。

 国公私立の48大学に依頼し、1年生を中心とした5934人にテストを解いてもらった。

 「100人の平均身長が163.5センチ」の場合、(1)163.5センチより高い人と低い人はそれぞれ50人ずついる(2)全員の身長を足すと1万6350センチになる(3)10センチごとに区分けすると160センチ以上170センチ未満の人が最も多い――のそれぞれが正しいかどうかを聞いた。正解は(1)は×、(2)は○、(3)は×だが、全問正答率は76%にとどまった。

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この記事のポイントは「全問正解率」が76%ってことですね。3問のうち1問でも○×を間違えると「平均の意味を理解していない馬鹿なゆとり」グループに入れられてしまう。しかし、実際この問題を大人一般に解かせたら、(2)とか(3)で間違える人って4人に1人くらいの割合では出てきますよ、きっと。

そのことに触れずに、<「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち…>とまるで(1)の意味すら分かっていない大学生がたくさんいるかのような印象操作を行っている。いやいや、(1)は正解して(2)か(3)で間違えた学生のほうがきっと多いはずやから!
ゆとり世代よりこの記事を書いた読売・朝日新聞記者のほうがよっぽど頭悪いぞ(あるいはそのことを分かっていて、意図的にこういう操作記事を書く「賢い」人間なのか)。

つまりはこの記事は、ゆとり世代をバカにすることで相対的に「自分たちの世代のほうが頭が良い」と思い込み、優越感にひたるための年寄り用オナニー記事であって、そういうことを見抜けない大人のメディアリテラシーの低さのほうがよっぽど深刻な社会問題だと思ったりするわけですが。



追記:もし本当に、今の大学生が過去の大学生よりも頭が悪くなっていることを証明したいのであれば、同じ難易度のテストを過去の大学生にも課して、その結果と今回の結果を比較する必要がありますよね。なぜそういった比較実験を行わずに、今回の試験結果から「ゆとり教育の弊害」を云々しているのか意味が分からない。今回の調査を行った日本数学会(理事長・宮岡洋一東大教授)も理論的思考ができているんだろうか…と疑いたくなります。

なぜ平松大阪前市長は大阪府の財政悪化を責めなかったのか?

◆大阪市長選:平松邦夫前市長に光あれ!〜前市長の残した実績を最大限の賛辞を持って称えたい

そうそう、平松さんはこういう業績をもっとアピールすればよかったのに。勿体ないなぁ。
ちゃんと放置自転車の削減以上の実績を残してるのにね。
参考:◆市政改革の実績


もう端的にプレゼン下手というしかないよね。橋下批判にばかり意識を向けすぎなんだよな。もちろん、その実績は大阪市だけのものではなく大阪府による部分もあるのだろうけど、そこはうまい理屈を用意しておいてくださいよ。それくらいできるでしょ、さすがに。
逆に、橋下府政下での府債はむしろ増加していますよ、と。
参考:◆借金総額の推移


橋下府政はわずか1年間で財政黒字化したことが大々的に報じられたので、あたかも橋下府政では財政が健全化したかのようなイメージを持たれているけど、実際には負債残高じたいは順調に増加し、初の6兆円を突破している。
◆togetter連続黒字なのに、何故借金が増え続けるのか?大阪府財政のカラクリを考える

しかし、むしろ世間一般のイメージは逆で、平松元市長は財政を健全化できず、橋下元府知事は財政を健全化したというイメージを持たれているのだから、メディア戦略がいかに重要なのか、そして政治の実態というものはいかに一般大衆に理解されていないものなのか、ということがわかる。


むしろ橋下氏の実績は、「地震対策6割カット、教育・医療・住宅・高齢者や障害者福祉・文化などを大幅削減」したことであろう。

地震関連11事業を6割カット
▼密集住宅市外地整備補助金を大幅削減
▼教育関連費を大幅削減
▼文化関連費を大幅削減・廃止
▼福祉・医療関連費も大幅カット
▼全国に先駆けて国保「広域化」を画策
▼住宅施策を改悪
▼環境農林水産総合研究所・産業技術総合研究所独立行政法人
▼中央企業対策費を削減
▼農業費を削減 07年度191億円→10年度93億円(1/2)
水産業費を削減 07年度9億8千万円→10年度4億4千万円


まぁとはいえ、僕は別に平松さんが再選すればよかったとも思わないし、橋下氏が当選したのは当然のなりゆきだったと思ってるんですけどね。だってこれだけ有利な材料がありながら、あれだけ大差で負けてしまう人に魅力的な政治などできるわけないですもんね。

これからの4年間で、きっと橋下さんは大阪市社会保障・文化関連予算も削減しまくり、公務員もリストラしまくり、せっかく平松さんが減らした市債ぶんを食いつぶすくらいに財政悪化させてくれるんじゃないでしょうか。それが大阪市府民の選択なんだから、部外者がとくに何を言う権利も持ちませんとも。将来、政治学の教科書に「ポピュリズム衆愚政治」の例として上がる日を楽しみにしておりまする。

大阪市長選に思うこと

※この記事は市長選前にmixi日記で書いたものです。もう古くなってしまったネタですが、個人的記録のためにこちらにも転載しておきます。

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さすがに演説うまいというか、小泉純一郎の再来という感じ。
大して中身はないのに勢いと熱意で押し切られてしまう。

それに比べて平松市長の演説はあくまでお行儀がいいというか、言ってることは非常にまともなんだけど、とくに心惹かれるところはない。困ったものである。

橋下氏にもツッコまれてるけど、市長になった成果が放置自転車の減少ではさすがに弱すぎて支持する気になれない。それよりも、市の借金を大幅に減らして、財政を健全化させたことのほうを強調したほうが良いと思うんだけど。橋下氏のパフォーマンスに反して、府の借金はむしろ増えて財政悪化してるわけだから、そこをもっとツッコめばいいのに…。
http://togetter.com/li/106423

「橋下独裁反対」「大阪をバラバラにする橋下行政を許すな」だけでは弱すぎる…。
いかにもケンカし慣れていない学級院長の反論のようである。

あと内田樹もブログに書いてたけど、「大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格する」リストを作成し、「選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にする」というのがさすがにやりすぎというか、政治家の手法として決して褒められたものではない。
http://blog.tatsuru.com/2011/09/20_1001.php

さながら、「私に反対する者はすべて抵抗勢力」と絶叫した小泉純一郎を思い起こさせるが、そのような単純論法が国民的熱狂を引き起こすいっぽうで、小泉内閣が実質的にほとんど何も政治的功績を残さなかったことは周知のとおりである。


大阪都構想にしても、そもそも都(みやこ)を名乗れるのは天皇がおわします都市だけからネーミングがナンセンスだし、区長をそれぞれの区で選挙して決めたり、府と市の二重行政を解消したりするのは良いとしても、大阪府庁と大阪市役所をすべて廃棄して一から大阪都を作り上げるというアイデアはかなり非現実的である。

というように、橋下氏の主張にもいっぱいツッコミどころはあると思うのだけれど、そういうツッコミどころをうまく攻められていない平松市長は本当に「残念」な人である。まぁこのままだと世論どおりに橋下圧勝に終わるんですかねー。


ちなみに最近読んで面白かったのは中島岳志による「橋下徹の言論テクニックを解剖する」というwebエッセイ。
http://www.magazine9.jp/hacham/111111/
http://www.magazine9.jp/hacham/111109/

「ありえない比喩」で議論を「詭弁」に落とし込み、「飛躍」や「すり替え」を用いることで相手を錯乱させるというテクニック。橋下氏じしんが自分の著書で公開している技で、それをちゃんと自身のポピュリズム政治にも生かしてるんですねー。すごい。まさに有言実行。
こんど僕も大学院のゼミでの議論で使ってみようかと思った次第です。