井伏鱒二の随筆に「おんなごころ」という短編がある。太宰の評伝には、暗いものも多かったけれど、それは清涼剤のように爽やかで、清しい随筆だった。高校生の頃に読んだ私は、「あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでしょうよ」と語った女性の言葉が、胸に強く残った。太宰も静かな気持を寄せていたという、その素敵な女性は、美知子さん、太田静子さん、山崎富栄さん、田辺あつみさん、小山初代さん、いずれの女性とも異なる、魅力ある女性に感じられた。高校生の私は、もしも自分が太宰と会えたとして、太宰が生きる方向へ向かえるような、そんな人間になれたらと夢想し、誰にも言わず、ずっと心に秘め、大切に抱えていた。
その随筆には、その女性の名前がはっきり書かれていたのに、それが、自分の子供の頃からの愛読書の訳者であった「いしいももこ」という平仮名の名前と、結びつかなかった。現在よりも日陰者の作家であった当時の太宰のこと、熱く話せるような相手は、斜陽館で会った、数人の知り合いだけだった。それでも何か気恥ずかしいような気持ちで、自分が大切にしてきたその静かな随筆のことは、ずっと胸にしたまま、彼らに対しても黙っていた。
随分と後になって、ある熱烈な太宰ファンに、ずっと胸に大切にしてきたこの随筆のことを打ち明けると、彼女はすぐに理解して、私が昔、愛読していた「いしいももこ」という訳者と、その随筆の登場人物である石井桃子さんとを結び付けてくれた。私は、ひとえに感慨深かった。ひとことで言い表すことのできない、感慨深い思いがあった。その感慨というものは、おそらくその熱烈な太宰ファンにも伝えられない、伝わらないものだ、という気持ちも同時にあった。そして今もここに、ずっと大事にしてきた、かつての自分の想いも、今の想いも、書ききれないものだ、というふうにも感じている。ひとの熱い想いというものは、いつでも、孤独で、空回りで、大切な、書くにも語るにも及ばない、そんなものなのかもしれない。