「ウェブ進化論」を読んで泣きました

イスタブリッシュメントすなわちネットの「こちら側」と、「あちら側」に二股をかけている自分には、この本は痛すぎる。

梅田さんの「ウェブ進化論」を読んで泣きました、だなんて、泣いている暇あったら、とっとと自分の道を邁進せよ、とも思うのだが、これ、本当の話。梅田さんのエントリ「いま製作中の新聞広告で、ブログ書評から言葉を」に引用されていた江島さんの一言、

ネットはつまみ食いしてるだけという保守主義者は四の五の言わずとにかくこれだけは読め。たったの250ページだ。

に、複雑な共感を覚え、この泣けてくる感情を今日の独り言として、吐き出しておきたくなった。内容についての議論は、別エントリに書くとしよう。


この本の一番泣けた部分は、第三章「ロングテールWeb2.0」の「がっくりと肩を落としたコンピュータ業界の長老」の節だ。そのあまりに迅速な開発でGoogle自身や米国Yahoo Labを驚かせたという、はてなマップを、ある長老が目を輝かしながら、いくつかの鋭い質問をしたあと、がっくりと肩を落とした、というシーンである。

なぜ、こんなシーンに泣けたのだろう?

日本のコンピュータ産業を育ててきたこの長老が、惨めな敗北感を味わっている、その気分がかわいそうだ、と「同情」したのだろうか?

いや、単にそうではない。実は今、自分も「がっくりと肩を落とし」ている状態で、言い知れぬシンパシーを感じてしまったからだと思う。なぜ肩を落としているか? もちろん、この長老の功績ゆえの落胆とは、背景も内容も異なるが、今自分も挫折感を感じている。その挫折感とは、こんな感じである。

自分が多くの時間を割いている勤務先組織において、ネットのあちら側の大切さを訴えれば訴えるほど、身をもって示そうとすればするほど、周囲が白けていくような、「ああ、自分たちのビジネスとは関係ないことね、もっと自分たちのビジネスに関係ある部分で頑張ってもらわなくちゃ困るんだよねー。」と言われてしまう状況に自分が今いる。無論、周囲には、技術者でなくとも、ビジネスサイドの人間を含めて、理解者はいる。ただ、組織そのものには、ネットのあちら側で起きていることを謙虚にみつめるミームがない。組織内で勝ち目はあるのか、という自問に対し、無い、という答えが反射的に沸いてきてしまう。そういう挫折ムードである。自分の表現能力、説明能力、コミュニケーション側面での人格では、これ以上戦えないのかも知れない。そういう感じだ。この挫折ムードからすると、江島健太郎さんのエントリ、「梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を読んで」の、

この本は、このブログを読んでるようなあなたのためというよりも、あなたが自腹を切ってでも上司にプレゼントすれば、無言でその真剣さが伝わるような、そんなメッセージの込められた本だ。

というくだりを読んで、全くだ、と頷いたと同時に、もしかすると、渡す本には、辞表をはさんでおくのかもしれないな、とも感じた。ネットの「こちら側」組織に属しているというアイデンティティと、「あちら側」を本能で感じてしまった自分のアイデンティティの分裂状態にいる。江島さんをして(上記エントリのコメントへの江島さんのコメント)、

最近、愕然としたのは、何年も泥臭く「こちら側」のビジネスをやってきて、最近また「あちら側」どっぷりの生活に戻ってみて、移動することは可能だが両方に同時に住むことはできない、ということに気がついてしまったことです。これは時間配分の問題ではなくて、宗教の違いなのでしょう。

「こちら側」に住んでいた頃は「あちら側」が素人くさいガキの世界に見えたし、「あちら側」に住むようになると「こちら側」の人たちが本質の見えてないバカに見えてくるんですよね。知識でも経験でもなく、ましてや真実でもなく、宗教としか表現しようがない。移行期の数ヶ月ほどは矛盾した自己を抱えて精神的に破綻寸前でした。

と言わしめている状況に多少類似しているだろうか。江島さんの場合は、アイデンティティのTotalityを、

結局、「あちら側」を信じることが最も自分に対してウソをつかない選択だったようです。今だから言えることですけど。。。

という選択で維持した。

数ヶ月前の話、ある30歳ぐらいの日本人の方と初めて食事をしたとき、「楽しく仕事できていますか?」と、ほとんど初っ端に言われた。きっと表情に、この大きな矛盾から来る、煩悩が現れていたのだろう。その時は、うぐぅ、とうなってしまって、「はい」とも「いいえ」ともつかない返事をした。この時の自分の「うぐぅ」な気分は今も忘れられない。

自分は、どうするのか? 何をもって決断するか。

冒頭に、イスタブリッシュメントすなわちネットの「こちら側」と、「あちら側」に二股をかけている自分には、この本は痛すぎる、と書いた。無論、痛いゆえの力をも与えてくれたことを付記しておく。この本がこの自分にとってのアイデンティティの危機の内容を言語化してくれたことが、現在進行形の自分の人格が相対する世界をより微細に観ることを可能にしてくれた、という点である。

泣いてしまう感性と理性があるだけ自分の脳みそは腐っていない、だから自分を褒めてあげる、ということで、取り急ぎ今日の自己発展は、現在進行中。