昔の好みの本

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)


パソコンの調子が非常に悪いので,久しぶりに本など読んでみる.
昔の好みの本.
高校の頃にネット掲示板の哲学版見るのにはまってて,そのころポストモダンとか現代思想とか,そういう類のものにはまっていた.
大学入学当初なんかは,これ系の本をわからないくせに読んでいたりした.
大学病といえばそうなのかもしれないけど,まぁ好きだったりしたわけです.


今でも,そういうのが好きっていうのはあまり変わってなかったりするのかなぁ.
でもPCでゲームして時間をつぶすってのが,研究室なんかはいると多くなった.
さほど文献など読んでないけど,家に帰っても頭使ったりするのは嫌だから.
必然的に本を読む機会なんてのも,もともと少なかったうえに,さらに少なくなった.
でも,面白いな,と思って最後まで読んでいた,昔よりは本当に本を読まなくなった.


で,この本読んでいる.
ラカンって昔から入門の新書なんか読んでいても何を書いているのか,さっぱり分からなかった.
でも,この本は,著者の語り口が非常に軽妙で,いい感じに思考のドライブがなされている.
この本は二年前に買って,手も付けていなかったのだけど,ふと本棚から面白そうだな,と選ぶとまぁ面白い.
そういや,最近,本を買う,ということもなくなっている.
本屋なんて滅多にいかないなぁ.


ラカンは,どうも理論屋らしい.精神分析にも,理論屋と実験屋がいるらしい.
ちなみに,実験屋は向こうの世界では,臨床家という.
面白いのは,精神分析でも理論というのは,あくまで理論.
精神病理についてまず,典型的な精神病というのを考える.
あくまで,典型的な精神病で,理論家にとって論理を紡ぐ際に好都合で,実際にそれに典型的に当てはまる人間なんていないかもしれない,理想的な精神病.
著者の言葉を借りれば,「ラカンにとって理想的に狂ってしまった人」.
なんでも理論はそうだけど,例えば電気素子を羅列した回路図なんかも,すべては理想素子を想定して作られているわけだけど,実際にそんなものはなくて,理想から幾ばくか離れて,時には絶望的に離れた現実の具体的なもので構成するのだけど,そうはいっても世の中の躯体的なものを,いくらかデフォルメした理想的な何かを使って,思考の補助線を引く,というのは非常に大切なことなわけです.
あっちの人の精神を分析するような理論にも,こういう考え方が使われてるってとても面白いと思ったり.


それで,いまは前半読んでいて,よく出てくる言葉「欲望は他者の欲望である」について徐々に説明して言っている.
このあたりは,どうも赤ん坊が生まれて,言葉を獲得する際の「ダイナミクス」を描くとこの言葉の意味が明らかになるらしい.
動的な仮定を描くには,理系では偏微分方程式を持ち出しますけど,精神分析でこれらをやるには言葉しかありません.
いくつか,方程式を羅列して,これらの微分方程式の連立を解くことで,このMIMOのシステムの動作を描くことができますよ,なんてやりますところを,精神分析は言葉でやるしかない.
いくつかの言葉で構成された命題の連立を,言葉で解く,ということになりますので,その過程なんてのははっきりいって常人には理解できない,複雑な現象を,分かる人にはもしかしてわかるかもしれない,程度のことなのかしら.
まぁわかりにくいのは,偏微分方程式の連立でさえ,解くのにコンピュータによる演算が欠かせないのにもかかわらず,数式も図もなしに,言葉のみによる解の導出となっちゃうわけで,何回になってしまうわけです.
人間なんてのは,MIMOどころか,非常に複雑なシステムですので,無理といえば無理で,はっきり言って絶望的ではある.


で,「他者の欲望」の話は,赤ん坊が言葉を身に付けるときに,言葉ってのが実は他者性を持ったもので,父親と同時期に表れちゃう,初めての他者らしい.
それまで母親とは原始のスープでごちゃごちゃ状態で,あいつは他者ではない.
この言葉ってのがやっかいで,他者のくせに音しかもってないっていう虚しさがあるらしく,人間社会で生きていくにはこの虚しさを内包した言葉を,自分の中心,つまりパソコンでいえばオペレーティングシステムとしてインストールしなければならない.
言葉を大方インストールしちゃった頃には,その中心に,言葉による虚しさというのが存在して,その虚しさを埋めるために,欲望というのが駆動されれるってな具合です.
赤ん坊を空っぽのコンピュータ,オペレーティングシステムとして他者性を持った言葉がインストールされちゃうと,いろいろ問題が起こっちゃうのかしら.


読んでて簡単だし,面白いのでじわじわ読んでいこう.


最近は,いろいろ忙しいけど,本を読むことだって大切だよねぇ.人間的な生活をすべきですよ.
いつの間にか,サラリーマンみたいな学生生活を送っていて,こういうことしなくなった.
来月は,査読もないどうでもいい国際学会に行かされるから,その資料造ったり,あとは研究も進めなくてはいけなかったり,それに加えて,企業からの英語の課題なんかもあって,もうひどいものだけど,でもこういう人間的な時間を大切にしたい.