何か月ぶりにここに来るだろう1

さてさて,あけましておめでとうございます.


前の記事を書いたのが,昨年の5月ですか.
あの頃が遠い昔に思えるほど,生活は一変したので,このタイミングで記事を書いておくのも良いだろうと思い,
今日は記事を書くという次第である.
もちろん,とんこつラーメンさんからのコメントがなければ書かなかっただろう.


とりあえずは,少しばかり過去を私も思い出さなければならない.
そうしなければ,話がどうもつながらないのである.
今から10ヵ月も前は,まだ大学院にいた.
あの頃の記事はないが,私の研究は何か序盤中盤については,指導教官にも良いといわれていたが,
最後の落としどころでは収集が付かないことに気付いた.
どうも,相手にしているのが,私の頭脳レベルと研究の残り時間では,手に負えないレベルだと気づいたのですね.
(気づいてはいたのだが,研究報告もあるし,とにかく発表していかなければならなかったので,気付かないふりをしていたのが正しい)


1月ころはそれで精神をかなり病んでいた.
もうね,修論を出すときには,体重が7kg程度減っていた.
太り気味の私がそこまでなるとは,あのころどれだけ追い詰められていたのだろうか.
不甲斐ないと思いつつ,とにかく体裁だけは整えて卒業した.
卒業する際にも,いろいろあったんだけどねぇ.
中島みゆきの「ファイト!」という曲を真夜中に何度も聞きながら,心療内科でもらった興奮剤のようなもので神経をぶったたきながら,
さらに煙草を吸って無理やり頭の回転を挙げて,論文の体裁を整えたのを覚えている.
あれは今思えば地獄でしたね.たぶん,昨年であれ以上の地獄はなかった.
昔から完璧主義者みたいなところがあり,能力的に完璧主義ではいられない現実を突きつけられながらも,
そうなれないストレスみたいなのがあって,完璧でないものは出したくないという強情と,
生まれ持った怠惰な性格も相まって,もはや最後の論文だせないで,内定もオジャン!というのが見える直前であった.


そのころ,何を思って頑張ったかといえば,家族だったかもしれないねぇ.
あれだけ,家族というものが嫌いな私が,かすかに頑張って生きていかなければならない理由を探すために行き着いたのが,家族なんですね.
不思議であるいは,屈辱的かもしれないですけどねぇ.
あとは,大学院で曲がりなりにもいろいろやった後に,就活もなんとかクリアして,留年プ〜太郎もようやく人並みになるか,
という段階で,また奈落の底に落ちるかと思うとねぇ,もう嫌で嫌で仕方なくてねぇ.
そんな混沌のなかで,精神的にはもがいてもがいて,もがきまくっていたように思う.


そんな混乱の中でようやく大学院が終わり,最後のプ〜太郎でいられる3月を迎えたわけである.
3月はそうねぇ,本当にふわふわしていた.生ぬるいあの時期の風と相まって,もう本当に溶けていた.
久しぶりに奈落の底に落ちそうになった精神を,なんとか「就職」に備えて,立て直そうとしていたと思う.
あの頃の私は,たぶんほかの人から見ると相当奇妙だったと思う.いまでも十分奇妙であると思うけど.
あの頃は目に見えて,狂人だったのではないかなぁ.想像だけどねぇ.