世界交差同定(Transworld identify)の問題について(※)

 特定の「A」についての言明はより基本的な個体についての言明で還元可能な場合があるから、そのような場合はより基本的な個体にとっての諸可能世界を通じて、同一性の基準を求めることはできる。
 しかし、そうする必要はないし、「究極的」「基本的」な個体が存在すると仮定しない限り、どのような記述も特別扱いされるべきではない。「A」について問う時、それほどの厳密さは要求されない。かつ、どんな基本的個体が特定の「A」を作り上げているかについての必要十分条件がありうる、ということは仮定されていない。また、この概念は個体の別の個体を基にした同一性の基準を扱っているが、性質による同一性の基準を扱っているわけではない。各々の反事実的状況を質的に記述することが求められるならば、性質と対照される対象への指示が全て消え去ってしまっているので、問題のAがこのA、すなわち「A」であるかは全く未決定となる。
 もし反事実的状況を「A」におきたであろう状況として記述するならば、純粋に質的な記述に還元可能であると仮定しなければ、性質の下に横たわり何の性質も持たない基体が仮定されることになる。
 もし性質が抽象的対象であるならば、諸性質の束は更に抽象度の高い対象であるから、具体的な個体ではない。
 対象は諸性質の束の背後にあるのでも、束そのものなのでもない。
 別の可能世界における「A」を同定する方法については分からないが、Aを手にしてそれを指差すことができる時、定義によって「A」について語ることができる。現実世界のある対象にとって本質的な性質が別の可能世界でその対象を同定するのに使われるわけではないし、現実世界で同定するために使われる性質である必要もない。
 よって、世界交差同定の考えは対象の構成部分を通してその対象の同一性を考える場合に何らかの意味を持つが、性質から考察する場合には的が外れている。
 世界交差同定は与えられた対象に最も重要な点で似ている諸可能世界の対象に与えられると述べてられてきたが、対象に関する問いをその対象の諸部分に関する問いで置き換えることができたとしても、そうする必要はなく、実際には我々は現実世界の同定できるものを指し、それについて起こり得る事態について考慮している。
※貫世界同定のことか。

意味の理論と指示の理論

 記述理論に関する見解は名前の意味の理論とも名前の指示の理論とも取れる。長さを操作的概念と考えない時、メートル原器と1メートルとの関係性についてはどう考えれば良いか。メートル原器である棒Sは長さの基準であるから長さを持たせることはできないとしても、決めたられた時刻tにおける棒Sの長さを1メートルとする時、「棒Sは時刻tにおいて1メートルの長さである」という言明は必然的真理か。アプリオリに知られることは全て必然的だと考える場合、「定義によって、棒Sは時刻tにおいて1mの長さであると定義された故に、そのことは必然的真理である」と言えるか。そう結論する理由は何もない。この場合この定義は1mの意義を与えるのではなく、1mの指示を固定するために用いられている。その理由として、「熱が時刻tに棒Sに加えられたとしたら、tにおいて棒Sは1mの長さではなかったであろう」と言い得る。
 その理由は「1m」と「時刻tにおける棒Sの長さ」という句の間にある直感的な違いに起因する。前者はどの可能世界でも同じ長さを意味し、後者は現実世界のみにおいてその長さが1mになる。定義は前者の語と後者の語が同義だ、と定めたのではなく、「1m」とは実際に時刻tにおける棒Sの長さの固定指示詞である、と約定することによって、指示を決定したことを示している。
 ここにおいて、指示の固定者にとっては「時刻tにおける棒Sの長さは1mである」という言明の認識論的地位はアプリオリなものとなり、形而上学的にはこの言明は偶然的なものとなる。指示を固定する定義と同義語を固定する定義はこのようにして区別できる。
 同様に、名前の指示対象が記述あるいは記述群で与えられているとして、両者が同じ意味であるならば、それは固定指示詞ではなく、記述あるいは記述群を指示を固定するためだけに使うならば、これは固定指示詞ということができる。
 意味の理論を使えば、「A」が性質Bを持つ固有名、を意味し、性質Bを持つ固有名が存在しなかったならば、「A」は存在しなかったことになり、「性質Bを持つ固有名が存在しない」は「Aは存在しない」の分析ですらあるだろう。指示の理論に従えば、「A」は現実に性質Bを持つ固有名の固定指示詞であり、「Aが存在する」は「一定の記述に関する存在条件と唯一性条件が満たされている」こととは違ったことを意味する。この場合、単称存在言明及び二つの名前の間の同一性言明には何か別の分析が必要になる。
 フレーゲは指示詞の「意義(sense)」をその意味(meaning)でありまた指示の決定の仕方でもあると取っているが、クリプキのやり方によれば、これは上記のように注意深く二つに区別されるべきものとなる。

第一講義の要点

 記述理論においては名前は縮約されたまたは偽装された記述だとされたが、完全に同義なものばかりなのではなく、指示を固定するにとどまり、それ故記述に多少変更を施してもなお同一固有名と捉えうるものが存在することを指摘している。有力な記述群概念理論に関してはそのうちどの記述が対象にとって必然的か選択する際に恣意性を免れ得ないことを指摘している。