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2018-07-30

『ヒモメン』第1話は「この手で来たか!」のオンパレード


働き方改革」ってなんだ!? 「働き改革」とは、端的に言えば、ひとりが残業して担ってきた仕事を複数でシェアし、残業ゼロで家庭で過ごす時間を増やすことで、生産力を維持し、出生率を上げようってことでしょう。番組のキャッチの「働かないという、働き方改革。」ってなんなんだ!? というのが、第一印象(「そこから!?」って、自分で自分にツッコミましたよ、ええ)。

私が原作に感じた“毒”は、翔ちゃんが「自分さえよければいい」という真意を隠しもせず、口だけでゆり子を言いくるめようとするところ。あと、ゆり子が「こんなにダメだけど、翔ちゃんが好き」で許すことで、「女性は、愛さえあれば、なにをしても許してくれる」なんて、勘違いしがちな“男性にやさしい”マンガだなと思ったのですよね。

さらに、「皮肉な目で見た、男性と女性の役割逆転劇」とまで言ったらきな臭くなるので、これ以上はツッコミませんけど。


そんなわけで、「たぶん不快になる」と海抜ゼロどころか日本海溝くらいの期待値で観たからか、意外に「悪くない」と感じました。

ちびまる子ちゃん』や『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』のような、ナレーターのツッコミ待ちのコメディ。ナレーションにキートン山田を起用するところが確信的で、「なるほど、その手があったか!」と手を打ちました。

原作は一話一話が短く、ゆり子が翔ちゃんを更生させようと繰り出すあの手この手を、彼がことごとく撃墜するというコメディ。ドラマ化で一番気になったのが、あの短い話を一話40分にどうふくらませるのか、ということです。

それは、ゆり子が髪を乾かして、気持ちよく眠りにつき、そして「何も解決してない!」と(心の中で)叫んで飛び起きる=オチという形で複数のコメディ・シチュエーションをつなげることで解決。これまた「その手があったか!」な方法で、よく考えられていると思いました。

よくある恋愛コメディに見せながら、毒あり、ツッコミナレあり、4コマ的オチありで、『僕たちがやりました』に続いて、またしても実験的作品に窪田正孝抜擢かあ、と。まあ、テレビ朝日の「土曜ナイトドラマ」は『ココだけの話』とか『オトナ高校』とか『おっさんずラブ』とか、かなりとんがった作品枠という印象があるのですけれども。


さて、窪田さんの翔ちゃんですが、Tシャツに短パン、トレーナー姿でポン太ぬいぐるみを枕にゴロゴロしているのがデフォだからか、ご本人もリラックスして演じられている様子。気が抜けた役だからか、肩の力がいい感じに抜けていて、こちらも気楽に観られました。

ゴロゴロしているわりには、突発的に動くときの跳び方とか走り方とかがキレッキレで、翔ちゃんに“やればできる子”的な魅力を加えているのが大変よろしい。原作の翔ちゃんは今ひとつ、ゆり子がコイツのどこに惚れたのかわからないのですが、窪田翔ちゃんなら、ダメ男と見抜けず惚れちゃうのも、「ステキな彼氏」と自慢しちゃうのも、結婚を夢見る気持ちもわかります。

勝地涼の「こんなかわいい顔で甘えられたら、飼っちゃいたいなと思いますよね」は決してお世辞ではなかった!(笑)

ちなみに碑文谷翔は外面だけは良くて、「IT企業の社長」などと名乗ったりするのですが、第2話予告の窪田翔ちゃん、楽々クリア!(わかってたけど)

3週間前(実家を追い出されて、ゆり子の家に転がり込んでくる前)の翔ちゃんがこんなにパリッとしていたなら、その過去を知るからこそ、ゆり子が彼を許してしまうんだ、期待してしまうんだとわかります。わりと、ここ、重要。


役柄とは別の意味でも、窪田さんの翔ちゃん役には期待があります。少々偉そうな物言いになり恐縮ですが、窪田さんには「力の抜けた演技」を会得してほしいと密かに願っていたので、『ヒモメン』は「出会うべくして出会った」作品と感じています。

役にのめり込む彼の演技は、架空のはずのキャラクターがリアルに生きているがごとくの話し方、立ち居振る舞いに魅力があるのですが、時に肩に力が入りすぎて、人間としてはありでも、視聴者や観客に見せる作品の中に存在するキャラクターとしては、観るのが「しんどい」と感じるときがたまにあります。個人的なところを言えば、『僕たちがやりました』の最終話が「しんどい」。

もうちょっと「どう見せるか」より「どう見られるか」も考えて、力の抜き方を体得してほしいなと思っていたところで、“抜き”が必要な翔ちゃん役はジャストでした。『ヒモメン』を経てまたぐっと役の幅が広がるのではと、早くも確信しています。


ゆり子を演じる川口春奈はかわいいし、演技のテンポもいいし、キレたときのギャップもまたいい! 私には「金田一少年の事件簿」シリーズの七瀬美雪役の印象が強くて、天然っぽく見せつつ、いざとなったら男性に喝を入れる女性役はぴったりと感じます。ヒモ飼い先輩でもある田辺先輩(佐藤仁美)が、今後、どのようなアドバイスをくれるのかも楽しみです。

尾島看護師長(YOU)の見事すぎる手のひら返しに、ステキ狂言回しっぷりがこれからも期待の池目先生(勝地涼)など、病院サイドの人間関係が面白い。原作でダメンズ好き(ダメウーマンも好き)な後輩がドラマの浜野(岡田結実)なら、ますますカオスになりそうです。


気になるのが、このドラマの落としどころ。翔ちゃんが働いちゃったら、ありきたり。相変わらず翔ちゃんはヒモのまま変わらぬ日々が続くと締めるにしても、ドラマとしてどこかにカタルシスは必要でしょう。どのようなシチュエーションをクライマックスに置いて、どう着地させるのか。それがわかるまで(つまり最終回まで)、追いかけるつもりです。


http://www.tv-asahi.co.jp/himomen/

2018-03-24

『アンナチュラル』についてのツイートまとめ その2


 自分用の整理に『アンナチュラル』についてつぶやいたツイートをまとめてみました、第2弾。第6話〜第10話分です。「後半は下手なことを書かないようにしよう」と決意していたにも関わらず、書きまくってました(特にリプライツイートに……)。やっぱり安定の深読み(過ぎ)斜め読み(過ぎ)誤読っぷりが笑えます(苦笑)。

 気づいた誤字・脱字を修正。本筋に関係のない内容のものはまとめていません。

 最終回を迎えた今では意味のないツイートですが、ご興味のある方は、「続きを読む」からどうぞ。相当長いです。

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2018-03-23

『アンナチュラル』についてのツイートまとめ その1


 自分用の整理に『アンナチュラル』についてつぶやいたツイートをまとめてみました。第1話〜第5話分です。意外にたくさん書いていてびっくりです。そして、最終回を迎えた今では、毎度安定の深読み(過ぎ)斜め読み(過ぎ)誤読っぷりが我ながら面白すぎます(苦笑)。

 気づいた誤字・脱字を修正。本筋に関係のない内容のものはまとめていません。

 最終回を迎えた今では意味のないツイートですが、ご興味のある方は、「続きを読む」からどうぞ。長いです。

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2018-03-06

『アンナチュラル』が特殊な理由を考えてみた


 TVドラマ『アンナチュラル』の魅力は数々ありますが、私が注目しているひとつは、連続殺人を起こさずに事件を解決している点です。

 ひとつめの事件では糸口がつかめず、ふたつめ、あるいはみっつめの事件の類似を探ることで解決に導くのは、サスペンスドラマの常套手段。それにより事件の難解さ、犯人の狡猾さや非情さを際立たせることで、視聴者をハラハラドキドキさせ、対峙する探偵役を不可能に挑戦する頭脳明晰なヒーローとして印象づけます。


 逆を言えば、事件解決のために死体が作られているかに見えるサスペンスドラマが多いなかで、『アンナチュラル』は“ひとりの遺体”の死の原因を突き止めることに終始しているのが特殊。死因特定のためのさまざまな分析作業……第1話の毒物判定や血液などの体液検査、組織培養など、「結果が出るまでの時間」を探偵が証拠を見つけていく過程に置き換えて、ただひとりの遺体、ただひとつの事件を解いていく。

 これは、本格派や社会派が誕生する以前、シャーロック・ホームズ作品等の古典派の物語の進め方。そう思えば、ミコトたちUDIメンバーは、ホームズが科学の知識や人間観察法を駆使し、虫眼鏡で事件現場をくまなく見るがごとく、遺体から手がかりを得ようと観察し、分析し、記録しています。

 第7話に登場したホームズシリーズの1作「ソア橋」は実に暗示的でした。


 私が好きなドラマのひとつ、『科捜研の女』では、沢口靖子演じる榊マリコがヒントを思いつくと、メンバーが一昼夜ほどの実験分析で彼女が望む結果を出しているように見えます。

 実際は何日もかかる鑑定もあり、モノによって鑑定結果が出るまでの時間が違うことを、逆手に取って物語の節目に置いたのが『アンナチュラル』だと思うのです。


 BBCの『シャーロック』がホームズを自称「高機能ソシオパス」として21世紀のロンドンに生まれ変わらせたものなら、『アンナチュラル』は医学・薬学・犯罪医学の最先端が集まるUDIラボにおいて、「死因のわからない死などあってはならない」と理想を掲げ、知識と観察力で真っ向から不自然死に挑む、誠実で実直で不器用な“ホームズ”たちを描いたものではないか。

 ミステリータッチのサスペンスドラマを制作するにあたって、第二、第三の事件を起こさなくても(物語のために死体を作らなくても)、ひとつ、またひとつと発見があり、謎が解かれていく展開はできるのだと、ひとつの見本を見せられているような気がします。


 さて、第1話からの通奏低音である「赤い金魚」。中堂の恋人が巻き込まれているからこそ、ただの「連続殺人事件」ではなく、中堂の「永遠に答えのない問い」が決着するのか、の大きな命題を含んでいます。これ、単なる連続殺人事件ではなく、メインキャラクターの過去を絡ませたところに、物語の展開のためだけ(探偵をヒーローにするためだけ)に死体を作らないという意志を感じるのですが、考えすぎでしょうか。

 ともあれ、「事件を解決する」のではなく、「この人はなぜ死んだのか」を探ることにこだわってきた、この作品。「赤い金魚」の謎の果てに何が待ってるのか、刮目して待機しています。


 『アンナチュラル』公式サイト http://www.tbs.co.jp/unnatural2018/


2017-12-09

『HiGH&LOW THE MOVIE 3/FINAL MISSION』スモーキーという幻想 後編


 HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』のネタばれありです。未見の方はご注意ください。



 TVドラマから劇場版までを通して、『HiGH & LOW』シリーズの表の主人公は山王連合会の総長・コブラ、裏の主人公は元ムゲンの総長・琥珀。それは異論のないところでしょう。


 コブラは『THE MOVIE 2』まで「負けなし」でした。

 ヤマトとチハルのために鬼邪高校の番長・村山とタイマンで張り合って勝利。山王連合会をつくるきっかけであった幼なじみのノボルを、敵対する立場から再び仲間として迎えることに成功。龍也の死で復讐の鬼となり、その手段としてSWORDを襲撃した琥珀を、ヤマトと九十九と共に熱い拳の応酬で救済。「SWORD協定」を断り、宿敵・DOUBTとプリズンギャングにWhite Rascals単独で立ち向かったROCKYを、間一髪のところで救援。

 「男同士は拳で語り合って理解し合う」「ケンカは相手と同様、自身も痛みを負ってこそ、本当の勝利と言える」「プライドを曲げて助けを乞うような真似をしなくても、察して助けてくれる、男の友情」という、『HiGH & LOW』の“美学”を体現してきたのがコブラでした。

 「俺たちは絶対に仲間を見捨てねえ」を有言実行して、どんどん大きくなる敵にも怯まず体当たりでぶつかり、一度は敵対した相手さえもことごとく救ってきたコブラは、常に「間に合って」きたのです。


 コブラの山王連合会の総長としてのあり方は、ムゲン初期の琥珀に似ていたと思います。「二人で走る時間が無限に続けばいい」と琥珀と龍也が作ったレーシングチームがムゲン。「ノボルが戻ってくる場所」としてコブラヤマトが作った山王連合会。どちらも「頭はいない。誰もが平等」で、前者はバイク好きが、後者は山王街出身で山王街を愛する者たちが、同じ“好き”の思いを共有し、談笑し、自由に意見を言い合い、仲間や街にトラブルが起これば、一丸となって戦うという集団でした。

 しかし龍也の脱退をきっかけに、ムゲンがなくなることを恐れた琥珀によって集団は変質していきます。コブラもまた、SWORD地区全体を破壊しようとする九龍グループへの敵対心に捕らわれ、九龍グループを恐れる者、九龍グループが政府を焚きつけて推し進めようとする再開発に街の活性を期待して賛成する者の声に耳を傾ける余裕を失い、分裂を招きます。

 九龍グループと対抗するためにSWORDの各チームと協力関係を結ぼうとした「SWORD協定」は鬼邪高校の村山以外の賛同を得られず。日々寂れていく山王商店街は九龍グループに蹂躙され、「九龍に逆らうな」と自分たちを諌めてきたダンたちが襲撃され、山王連合会との決別を宣言する。追い詰められたコブラは、ひとりで龍也の敵(かたき)を討とうと暗躍した琥珀のように、チームを離れてひとりで克也会の会長を闇討ちするという暴挙に出ます。


 執拗で苛烈な拷問のなかでコブラが黒崎の勧誘になびかなかったのは、彼の敵対心と義侠心に鎧われた精神力が黒崎が惜しむほど強かったことに尽きるでしょう。が、もうひとつ、「家村会がスモーキーの命を狙っている」という情報を伝えなければならないという責任感もあったと思います。

 琥珀と九十九に助けられるや、すぐにスモーキーの危機をふたりに告げ、それが雨宮兄弟に伝わり、コブラはどこか安心していたと思います。RUDE BOYSがいて、雨宮兄弟がいて、琥珀と九十九がいて、自分を含むSWORDの頭たちも駆けつける。だから、今回も「間に合う」だろう、と。

 だから、“その場”に到着したとき、コブラの受けた衝撃は並々ならぬものだったと想像します。今まで「間に合ってきた」ことこそが奇跡(ファンタジー)であり、どんなに望んでも「間に合わない(救えない)」現実はあるのだと目の当たりにして……。

 「ああ、もう拳だけじゃ解決できねえ……」

 スモーキーの死は、コブラが体現してきた『HiGH & LOW』の「本気で救う気になれば、誰でも救える」というファンタジーを破壊しました。


 それは、九龍グループに、女を守るための砦だったクラブ「HEAVEN」を買収され、部下もろとも壊滅させられたROCKYにも、仲間たちを半殺しにされ、鬼邪高校の看板(校旗)を燃やされた村山にも、常に祭のような狂騒を醸していた賭場と手下たちを破壊され、「達磨不立」と揶揄された日向にも、さらなる打撃を与えました。

 山王商店街、クラブ「HEAVEN」、鬼邪高校、廃寺という、普通の人たちが普通の暮らしを営んでいる地域に拠点を構える4人にとって、名前と共に普通の生活を捨てた人々が集まる無名街は不明の地であり、治外法権という性質も合わさって「入っちゃならねえ」場所でした。そこに踏み込めば、いつの間にか狩られる。RUDE BOYSの「無慈悲なる街の亡霊」という異名は、何人いるのか、それぞれどんなケンカが得意なのか、正体がわからない恐怖を含んでいます。

 無名街という魔境の亡霊。自分たちとは一線を画した異質な強者と認識していたチームのリーダーが、九龍グループに殺された。それは、5人の頭とチームが拮抗していたG-SWORDの終焉を意味しました。

 スモーキーの命が失われたであろうときに、SWORD地区の街の灯が消えていったのは、実に象徴的だったと思います。


 しかし、同時に、RUDE BOYSのメンバーが誰ひとり損なわれず(頭たちはエリのことは知らない)、スモーキーだけが横たわっている事実に、彼らは何があったのかも察知したはずです。爆破され、破壊され、住人たちが追い立てられ、RUDE BOYSの掃討が行われた絶望的な状況にあって、スモーキーは膝を屈することなく、九龍グループと対峙して“家族”を守り抜いたのだ、と。

 自分たちの本拠地と仲間や部下をほぼ潰滅させられ、九龍グループの「大人のケンカ」を見せつけられて、「立ち上がるにも限度がある」と絶望していた4人の頭たち。しかし、その巨大な敵にひとりで立ち向かって、守るべきものを守り抜いた“仲間”がいる。自分はまだ生きているのに、一度は“守る”と決めたものを放り出していいのか。惨めに震えていていいのか。でも「もう拳だけじゃ解決できねえ……」。


 そこで出てくるのが、裏の主人公・琥珀。『THE MOVIE 3』は世代交代もひとつのテーマのようですが、この局面で“大人”に導かれることが、成長には必要ということでしょうか。

 琥珀が提案したのは、カジノ建設計画の裏にある、政府が九龍グループの力を借りて隠蔽しようとした、有害物資による環境汚染事件の暴露。それには3つの証拠がいる。薬品の臨床実験の結果を記した書類、事実を知る元研究員、有害物質に汚染された被害者。その3つすべてが無名街にある!

 役割を振られたRUDE BOYSとコブラたちに対して、日向は琥珀に「俺らはどうすりゃいい」と尋ねます。あの天上天下唯我独尊の日向が、うっかり作戦の邪魔をしてしまわないように気を遣ったのにびっくり。琥珀に「邪魔する奴は蹴散らせ!」と返されたら、九龍グループの足止め突破にアレを思いつくのがやっぱ頭脳派ですわ(後になって証拠持ち込みの段取りを政府や九龍グループに難癖つけられないよう、セレモニー会場至近での暴力沙汰を回避)。

 やることは決まった! コブラは未来の街のために。ROCKYは汚れた色に染まることなく女を守るために。村山は仲間や後輩たちの将来のために。日向は「最後の祭」のために。そして、RUDE BOYSは「家族の弔い」のために。

 奇しくも黒崎が口にした「再生には破壊がつきものってことか」が、九龍グループではなく、G-SWORDで実現されたのでした。



 ここで、ひとつの構図が見えてきます。

 SWORD地区にカジノを建設し、利権を独占しようと企む九龍グループ。そのために邪魔なG-SWORDの駆逐を命じたのは、総裁の九世龍心でした。彼は政治と癒着し、暴力で支配する、旧態な闇の力の象徴であり、その力はコブラをはじめG-SWORDの頭たちを無力感(あきらめ)に突き落とします。絶望が席巻するなかで、「(“家族”を)守る」ために最後まで文字どおり“立っていた”のがスモーキーでした。

 九世が黒崎に言った、「いつから俺たちは守るより奪うようになったのか」というセリフ。彼はおそらく戦後の混乱やバブル経済を知る世代。彼の始まりは、動乱する社会情勢のなかで家族を、女を、仲間を、街を、そして矜持を守ることだったのかもしれません。そして、守るべきものを失って、琥珀のように復讐のために闇の力に近づいたのか。あるいは、コブラのように守るべきものを守るために先に奪うことを決意し、それが常態化したのか。

 彼が変質させた「守ること」を、最後まで純粋に貫いたのがスモーキー。その姿に「街を」「女を」「仲間を」「矜持を」守りたいG-SWORDの頭たちは再起しましたし、振り返れば、九世もそうありたかった。九世の思いを受けた黒崎は、闇の力を求めることをせず、街を守り抜いたコブラに「負けた」と言うほかなかったのだと思います。

 「奪う」九龍グループの象徴が九世なら、「守る」G-SWORDの象徴はスモーキーで、そういう意味で対等かつ対照的な関係だったんだなあ、と。また、その死で、九世は息子・劉龍人、スモーキーはタケシという後継者を残したことも同じです。

 ちなみに、劉は自分が九龍グループにおいて台頭するために、DOUBTを利用してスモーキーに重傷を負わせ、また雨宮尊龍を殺した上園会会長をその不手際の制裁に瞬殺した人物。『HiGH & LOW』に今後があるとしたら、劉とタケシの邂逅が気になります。

 閑話休題。九世とスモーキーが象徴なら、実体は九龍グループが黒崎であり、G-SWORDがコブラであり、『THE MOVIE 3』の感情線においてはこのふたりが主人公でした。


 『HiGH & LOW』シリーズを通して、その成長が描かれてきたのはコブラですが、村山と日向も随分変わったなと思います。ふたりとも、G-SWORDの終焉を受け留め、ケンカ三昧の日々(祭)の終わりを予感しています。だから、村山はバイクに乗りたい(=ひとりになる)と思い、日向は加藤の「次の祭は?」の問いに答えませんでした。

 日向が「最後の祭」に打ち上げた真昼の花火。最後、空の一番高いところで緑の花火が花開き、その背後にオレンジの花火が広がったのは、スモーキーへの弔いと、刹那的に生きていた彼にケンカ(痛み)の先にあるものを教えたコブラへの餞(はなむけ)だったのかな、と。

 『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』、3年に渡るシリーズの終わりにふさわしい、余韻のある作品でした。



 以下は、わりと毒です。「なんでもバッチコーイ!」な方だけ、どうぞ。

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