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Diary For Paranoid @ hatena

2017-08-13

映画『東京喰種 トーキョーグール』後半戦 カネキの半喰種化は精神的両性具有化


 ネタバレしています。映画を未見の方はご注意ください。

 ※原作未読です。以下は、映画と映画のパンフレットを元にした「感想」です。原作既読の方には、映画と原作の(当然起こりうる)差異による解釈の違いを寛容な目で楽しんでいただけましたら幸いです。




 映画『東京喰種』は、永近英良(ヒデ:小笠原海)を巡る、喰種・西尾錦(ニシキ:白石隼也)とのバトルで倒れた金木研(カネキ:窪田正孝)が「人肉」を与えられて目覚めるところで、前半部と後半部に分けられると思います。

 今回は後半部の感想をつらつらと書いてみます。



 「君は人間と喰種、ふたつの世界に居場所を持てる、ただひとりの存在なんだよ」


 映画『東京喰種』で、私が解釈に迷っているのがこのセリフです。

 ヒデを傷つけ、食べようとするニシキをかろうじて退けたものの、飢えが祟って親友であるヒデに食欲を募らせるカネキ。現場に駆けつけたトーカと四方のおかげで悲劇は回避されましたが、カネキは芳村店長(村井國夫)にヒデと接触しないよう忠告されます。

 両親がいないカネキがただひとり交流をもっているのが、小学生時代からの親友・ヒデ。ニシキに彼を殺されそうになったことが、カネキに喰種としての武器・赫子を出現させ、戦闘能力に目覚めさせたほど、ヒデはカネキにとって大切な存在です。そのヒデに「会いに行くな」と忠告するのは、つまりカネキは「人間としての居場所」を失ったということではないのか。芳村店長ほど喰種と人間を見てきたであろう人が、喰種であるかぎりヒデの側へ、引いては人間の世界へ戻れないと悟って絶望するカネキに、気休めにこのセリフを告げるとは思えず、真意を計りかねています。


 人間として20年近く生きてきて、食べ物に困ることなく、「人間を害してはいけない」という倫理観を極自然に身に着けているカネキ。それが突然、喰種の臓器を移植されて半喰種となり、人間の食べ物を受け付けない身体になったのに、人間の倫理を振りかざして「人間の肉は食べたくない」と拒み続ける。こんなカネキは、トーカ(清水富美加)がケーキを投げつけて味を問うた態度が示すように、むしろ「人間でもなく喰種でもない、ただひとりの存在」と言われるのが普通ではないかと思うのですね。


 狩られる人間の気持ちと狩る喰種の気持ちがわかるということかとも考えましたが、それってむしろ辛いよね、厳しいよね、どちらにも居場所があるなんて思えないよね、ということで、私には映画に描かれた範囲内では解釈できかねるセリフなのです。


 このセリフが成立するのは、芳村店長が「喰種と人間が共存できる世界」を目指しており、カネキにその交渉者となることを期待している場合だけでしょう。しかし、「喰種と人間が共存できる世界」って、喰種が人間から人肉を安定供給されるシステムを作る以外になく、芳村店長がそんな甘いことを夢見るとも思えません。


 では、赫子と傷ついてもすぐ再生する肉体という喰種の能力をすでに手に入れたカネキが、人間世界に居場所を確保できる方法とは? たとえば、「大食い」リゼのように生きるためだけでなく、快楽で人間を殺し、人間の憎悪を増幅させ、喰種の存在を危うくさせる「逸脱者」を倒すことしかないのでは、と考えます。


 さらに、喰種の生き方を教わるために「あんていく」で働きだしたカネキは、笛口親子の悲劇を通して、喰種を駆逐するCCG(喰種対策局)という存在を知ります。

 自殺者の肉で飢えをしのいでいた、人間の親子と変わりなく情愛に満ちた母娘。その母親を無惨に殺したCCGへの復讐に殺意をむき出しにするトーカもまた、彼女を心配する友人が作った料理を後の苦しみを覚悟で美味しそうに食べる、やさしい少女でした。

 いつしかカネキの心の中で少なくとも「あんていく」に集う喰種は守るべき存在になっており、CCGの亜門鋼太朗(鈴木伸之)の喰種狩りを阻止するため、その前に立ちはだかります。


 カネキ君、なんだか巧妙に「あんていく」の喰種を守るよう誘導されてないかと感じてしまうのは穿ちすぎでしょうか。



 映画のパンフレットによると、カネキのような後天的にも、あるいは人間と喰種の交配によっても、半喰種になる確率は非常に低く、「もし誕生した場合には、純血の喰種を上回る高い能力を持つといわれている」そうです。

 カネキがその臓器を移植されたリゼは「大食い」の異名を持ち、命を維持するためだけでなく、快楽を求めて人間を狩る喰種。飢えに苦しんでも、人間を襲えないどころか、人肉すら口にできないカネキとは、幸か不幸かまるっきり正反対です。


 この作品で面白いなと思うのが、カネキに移植された臓器にリゼの意思が宿っていること。カネキが激情に駆られたり、生命の危険にさらされたりすると、精神がリゼに侵食され、快楽的殺人衝動に染まっていきます。これこそが、『東京喰種』の変身譚としての醍醐味。虫も殺せない童貞男子が、肉体は男性のまま、血に酔いしれる妖艶な女喰種に変貌する。ニシキが変身前のカネキに「女の喰種みたいな匂いがする」と言いましたが、カネキは移植手術によってリゼと融合し、精神性において両性具有(アンドロギュノス)になったのではないかと思うのです。


 リゼがカネキを捕らえて食べようとするとき、吐血して血まみれのカネキの顔を舐め回します。音を立てて唇が吸いつくさまは、食欲だけでなく快楽をも感じさせるものでした。

 そして、血まみれのヒデの顔を我を失ったカネキが舐め回すシーン。一心不乱に舌を動かすさまにカネキの顔を舐め回すリゼの姿がオーバーラップして、「ああ、リゼが憑依している」と戦慄したのですが、あれが台本にあったものではなく、カネキ役の窪田さんのアドリブだったとは! とすると、その後の亜門の顔を舐め回すシーンも……。


 理性を失ったカネキを侵食するものがリゼであることは、狂ったような高笑いや自分の口に血に塗れた指を入れてしゃぶるしぐさに加えて、あの獲物の顔の血を舐め回す陶酔感が決定打でした。

 当然、演出プランで決められていた演技と思いきや、「ヒデを食べようとする」というト書きから窪田さんが思いつかれたことだったんですね。

 この「リゼに侵食された状態」というのは、人間を傷つけたくない、食べたくないという現時点のカネキにとって、恐怖でもあり、救いでもあるはずなんです。相手に致命傷を負わせるだけの技量や覚悟がなければ、ニシキのような喰種や亜門のような対喰種の戦闘員とは渡り合えません。追いつめられたときに自分に代わって戦ってくれるリゼは、カネキにとって「あれは自分ではない」と逃げられる存在であるわけです。ただ同時に、上手く理性を取り戻して「僕を人殺しにしないで」と懇願しないと暴走し続ける、恐怖でもあるわけですね。


 カネキの真の成長とは、人間としての部分は自分、喰種としての忌まわしい部分はリゼと切り離して考えている「逃げ」を、どちらも自分であると認めることだと思うのです。

 まだその段階ではないカネキの「リゼに侵食されている感」は、「僕を人殺しにしないで」というセリフの必然性にも響いてくるもので、だからこそリゼらしさを踏襲した「流血した顔を舐めるしぐさ」は演出プランになければならないはずなんですよね。


 もしかしたらカネキとリゼの精神的融合感は原作マンガではそれほど描かれていないことなのでしょうか。

 それでも、映画として「僕を人殺しにしないで」というセリフで亜門との戦闘を締めるなら、窪田さんのアドリブは整合性を救う「グッジョブ!」。物語の裏側にあるキャラクターの「あり方」の流れを把握して、演出指示でもなければなかなか思いつかないし、思いついてもやりにくい、タガの外れた芝居をこなしてしまわれるところ、「天才」と言われるのもわかる気がします。



 映画の冒頭は、光の入っていない茫洋とした目をしていたカネキ。CCGの亜門を退け、ヒナミを守って「あんていく」に帰りつくことができた彼は、かつてヒデが座っていた席に視線を送り、それから芳村店長やトーカたち喰種を見つめます。その目にはしっかりした光が宿っていました。

 萩原健太郎監督は、本作のテーマについて「“見る”ということがどういうことなのかを描きたい」「“見る”ということは“知る”こと」と語っておられます。だから、目から始まり、目で終わったのだ、と。


 映画館で『東京喰種』を観た観客もまた、喰種という存在について、そしてカネキが人間から半喰種になった顛末について目撃しました。ここまではプロローグですよね。映画はきれいに完結していますが、カネキはじめ「あんていく」のメンバーにも、真戸を殺された亜門にも、「これから」の物語があるでしょう。それをぜひ観せていただきたく、第2、第3の続編を心待ちにしています。



 ということで、後半戦終了です。結構な長文になってしまいました。文字数が決まっている仕事の文章じゃないと、ついダラダラ書いてしまう、悪いクセ。ここまでお読みいただいた方にはお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

 しかし、まだ書ききれていないんですよね。どれだけ書くことがあるんだ、『東京喰種』! もし4回目とか観に行ったら、「ロスタイム」として補足するかもしれません。



<参考>

超特急小笠原海窪田正孝に顔をなめられて驚く」シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0093108

小笠原海超特急・カイ)、『東京喰種』で窪田正孝の想定外の演技に驚嘆」エンタメステーション

https://entertainmentstation.jp/news/100908

「『描きたかったのは“見る”ことがどういうことか』 映画「東京喰種 トーキョーグール」萩原健太郎監督に聞いた」ねとらぼ

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/28/news016.html



公式サイト:http://tokyoghoul.jp/


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