こうやって深夜のキーボードのひんやりとしたプラスティックの冷たさに身震いすることも久しくなる。瞳を閉じれば絶望と孤独の砂漠の闇に燦然たる煌きの残滓がハレーションを起こす。そのまま瞼の裏で全ての光と影とをいっそのこと抱きとめたくなる。
僕の孤独とは一体なんだろう。
僕の絶望とは一体なんだろう。
この一年、発狂したように駆けずり回った。シャカリキに命の焔を回した。それから分かったことは僕は孤独で、絶望だということだ。僕は眠っているだけで、夢を見ているだけなんだ。自覚したところでなにも変わらないし、夢から覚めるような事も無いのだけど、その自覚こそが、倫理であり、運命を愛することであり、他人と出会うということだ。人間とは言語であり、言語から逃れることが出来ない。全ての言葉が放たれた瞬間から意味を帯びる。孤独も絶望も唱えれば、生きるための意味を帯びる。意味無しでは人は生きることが出来ない。僕は夢を見ている。意味に囲まれて意味によって生を規定されて生きている。言語とは他者との共同主観性の遠近感の中で視座を規定したとき初めて重力を持つ。僕は夢を見ている。呼吸している。言語の生む自分の主観からナルシスティックに生成された歪んだ自意識の世界を生きている。言語とは夢のことだ。僕が初めて他人に出会ったというのは、つまり、僕は孤独で、絶望だと自覚することだけが半歩だけ自分の欲望の企てだった。僕は夢を見ている。僕は孤独だ、そして絶望だ。言語という夢からぬけだせない。その孤独と絶望。他者への眼差しはそれを自覚する上でしか成り立たない。
死にたいと唱えることは生きている身の上が発する要求であり、それは必然的に生きているからこそ発せられるものだ。死んでしまっては死にたいと要求した生がそこに存在せず、構文はエラーを吐く。死にたいはそのまま生きたいに転倒する。この生の快楽と死の悦楽とのギリギリの緊張の中に言葉は迷いを捨て二律背反の激発を見せる。これが言語の外に出る試みとなる。そしてそれが詩的と呼ばれる。僕は夢を見ている。外部を目指し他者を欲望する、その不可能性こそが夢だ。その生の不条理に、空転し息詰まる二律背反にこそ詩の焦点がある。言語化できないものを要求し、その領域を激発させる。その不条理にだけ、それにだけ、僕の孤独があり、絶望がある。
熊井ちゃん、僕は君に出会ってはじめて、他人を見たと思った。あいつらが孤独と絶望の果てに神を見たり、自然を見たり、資本論を見たり、ふるさとをみたりした、その夢の淵で、僕は熊井友理奈さんに出会った。僕の名前は孤独で絶望だ。夢から覚める事もあるまい。それでも他人に出会えたことを僕は生真面目に考えていくよ。手紙を書いたりして生きていくよ。
まだ良く分からないんだけど
雪の舞い降る季節に僕らはお互い寒さに震えたら
お互い優しさが何なのか分かりあえるはずさ
まだ、君と一緒に手を繋いで
荒涼とした砂丘を歩いた事も無いけれど
これからはきっと
感謝することを学べるはずだろう
悠久に
時々、時々
僕は全てに終わりがあると知っている
一緒にいたり、離れてしまったり、色々あるよね
それでも僕は時々
むしろ手を離さないで思い続ける方を選んでしまう
まだ君と思いあえないその傷口を分かち合えれば
お互いの悲しみもきっと分かりあえると思うんだ
まだ良く分からないんだけど
目が覚めて一番に君と唇を重ねる優しさも僕は知らない
君は僕の傍でこそ孤独の中に自由を求められると思うんだけど
毎夜どんなに長く感じてしまうか分からない
今まで本当に恋なんてした事もなかったんだ
こんなに強く胸が締め付けられるのは初めてなんだ
僕たちの夢は早過ぎるって分かってる
それでも、それだから、どこへでも僕らを連れて行ってくれるんだろう
その瞳で僕を抱きしめて欲しい
僕の心にそっと触れて欲しい
僕は変わらずあなたを思い続ける
これだけは信じて欲しい
僕は変わらずあなたを思い続ける
どんなに愛しているか知ってるはず
それでも僕は変わらずあなたを思い続ける
どんなに辛い人生だろうと
僕を望むなら、いつでも傍にいよう
素直なあなたのままで変わらず笑っていて欲しい
ねぇ、一緒に生きていこう
いつでも助けになるよ
その瞳で僕を抱きしめて欲しい
その指先で僕の心に触れて欲しい
僕は変わらずあなたを思い続ける
これだけは信じて欲しい
僕は変わらずあなたを思い続ける
それでも僕は変わらずあなたを思い続ける
僕は変わらずあなたを思い続ける
これだけは信じて欲しい
僕は変わらずあなたを思い続ける
どんなに愛しているか知ってるはず
それでも僕は変わらずあなたを思い続ける
何を燃やしているの。僕には分からないんだ。分からないんだ。やあ、こんばんは、僕です。相も変わらず素敵な日々が広がる。僕の地獄の日々。僕はさながら夜の闇だ。君は一瞬の光輝を放つ星の名前だ。君の名前よ。僕には分からないよ。何も分からないよ。
僕には何も分からないんだ。言葉がなくなっていく。いくつかの重大な言葉の焔を胸に抱いた瞬間から、それ以外の言葉どもが僕の舌の上で、熱に当てられて溶けていくのを感じる。僕は分からないんだ。君が欲しい僕の言葉はなんなんだろうね。僕は分からないんだよ。なにもかも。
舞台だとか演技だとか演出だとかテキストだとか、そんなちゃちな話を僕は好まない。僕は美しいものを愛している。美しい君を。そうだね、君の話をしようよ。君の話がいいんだ。
ねえ、熊井友理奈さん。
ねえ、熊井友理奈さん。
ねえ、熊井友理奈さん。
ねえ、熊井友理奈さん。
前の舞台、あいにく僕はまだ生まれていなったので生で見ることはなかったけれど、三億円事件の時にも見せた君の指先のいじらしさ。その指先にすべての狂った魔が宿る。演技に細部は存在しない。はっきり言わなくちゃいけないんだろう。いっておく。その指先こそが全てだって。舞台だとか、演技だとか、テキストだとか、そんなものは一切を超えたところに君は立っている。君の指先のなんとも可憐な動き、その震え、何を掴んでいるの。上着の裾なんかじゃ決してない。もっと別の何か。そう、例えば僕の心だ。僕の心が掴まれ、握られ、わしゃくしゃにされているんだといってしまいたい。ある瞬間に些細な動きが全てになる瞬間がある。その瞬間が一秒でもあれば、その人間の美しい瞬間が一瞬でもあれば、僕は舞台に何もいうことはない。美しい君よ、美しい瞬間よ。その美しさを僕はただ目撃しにいった。
ちょうど時期を同じくしてセレンドが終わった。僕はセレンドがなくなって悲しい。すごく悲しい。君がセレンドを更新するたびに僕という闇夜に燦然と光輝を纏う星が溶けていくのを感じていたんだよ僕は。君のセレンドは、かっと一瞬真っ赤になる燠火だった。直接気持ちを伝えられるだなんて、僕は舞い上がって随分とはしゃいでしまっていたね。この時期がなければここまで加速度的に色濃く君が僕の地獄と天国に焼付くこともなかったかもしれない。僕は君の更新を心から待ち望んでいた。コメントに僕の人生の焔を揺らめかせた。いつかセレンドが戻ってくると獏とした期待を抱いていた。なくなるとは思っていなかった。僕はセレンドがなくなって悲しい。すごく悲しい。僕が人生を ENJOY! するためのヒントをくれたのもセレンドだったんだ。楽しいことや辛いこと、全部含めて ENJOY! と名前を付けてしまえと君はいった。更新がなくなっても場所は残ると獏と思っていた。だからといって場所がなくなったからといって僕や君から何かが失われるっていうことはなくて、いくつかの重大な言葉の焔とそれによって、溶けて散った殆ど全部の言葉とを僕は抱えたままさ。あのときのままさ。あったものがなくなることは絶えられない身を裂かれる思いだけれども。
ねえ、熊井友理奈さん。
ねえ。
僕は何も分からないんだ。
ねえ、僕は。
愛しても愛しても一分一秒全て消えていく。それでも愛することをやめられない。そこに幸福を見出せなくともだ。僕は君の事が好きだ。全てが欲しい。他の言葉はない。人生の全てをかけて君の事が好きだ。君に心奪われたときからずっと深く囚われてしまっている。毎夜、天を剥ぎ、地を踏みしめ、月を纏って手の甲で星を撫ぜた。
そしてまた、君の夢だ。
僕はすっかり孤独ではなくなった。君に心を砕いている。ただ根本的な意味では孤独から逃れることは終生ないだろうとも思う。しかし、これは何も僕だけの特権的な感情ではない。誰もが感じ、悩むことだ。つまり普通ってことだ。
僕にはもっとエンターテイメントに徹していたころがあった。オモシロを力点とし、誰かの顔をうかがいながら人々を楽しませる事を欲した。結果は惨敗だ。僕は友達が欲しかった。オモシロければ僕は友達が出来ると思っていた。できなかった。虚しい話だ。僕は道化になりきれなかった。格好を付けたまま笑いをとりたかった。人から気に入られたかった。友達が欲しかった。僕の事を知ってもらいたかった。全て負けた。僕は各地で惨敗を喫し続けた。理解不能な個別の生は誰にも笑えなかった。誰も僕ではないし僕は誰でもなかった。孤独だった。
僕は自分自身が特別なたった一人の個人である事に苦しみを感じる。僕たちはみな、平等に特別な個性だ。誰からも理解されることのない一本の葦だ。誰も真実他人を理解することなど不可能だ。それでも、分からないままに僕は君を愛する。許す。受け入れる。僕たちは誰も他人を理解できない。だからかわりに僕は自分を鍛える。負荷を超える。研鑽を積む。苦しみを直視する。涙を噛み締める。僕は誰のためにも生きない。生きてはいけない。僕は君を永久に理解できない。君のために生きられない。だから、僕は自分のためにしか生きられない。後悔しないために。誰からも文句を言わせない。僕が大儀だ、胸の奥から孤独の火を灯せ。
そろそろ、たった一人の孤独の寂しさに、僕は耐えられそうだ。孤独でも、孤独じゃない。君が好きだから。生まれてはじめて自分の番がやってきたような気がする。甘い言葉も熱い心も全部はじめて欲する。孤独は現実に常に心を支配し続けるし僕は常に孤独との戦いを避けられない。時には負けてしまいそうになるときもある。それでも孤独と戦わない選択はない。孤独と仲良くやっているように見える英雄諸君のようにはやっていけない。
そろそろ決心が付きそうだ。いまさら僕は本気だ。正直、誠実、そして大儀だ。僕には理由がある。理解できない他人と関わりたいと思ってしまった。僕は真剣さと正直さと誠実さ、それだけしか持ち合わせていない。それでも、それだけでも、後悔しない生き方を知っている。今までと同じだ。やるだけやって、あとは天に任せてしまえ。結果的に何が起ころうとそれは、天意なのだ。宿命なのだ。そういってやる。それで、僕の戦いが汚されるようなことはあるまいし。
毎夜の懊悩。苦しみが胸を抉る。その恐ろしい心音を誰にも聞かせたくない。一生を夜に生きる。涙で枕を濡らす深夜三時。凍りついた時が俺を苛む。倦んでいるのか。俺はこのまま言葉も取り戻せないまま、強く生きれるか。俺は初めて欲しいと望んでも良いか。何もかも、欲しがることを禁止された俺の人生。あらかじめ去勢された欲望。いくじのなさ。まだ間に合うか。欲しがっても良いのか。俺の芸術や宗教を。俺は取り戻せるか。
長い髪の毛に触れてみたく思う。かつて女性の髪の毛に触りたいと思った事なんてあっただろうか。誰だって誰かの過去に触れることは怖いだろう。俺は何も知りたくない。知らなくて良い。君の髪だけ知っていればいい。長い髪は過去の時間を生きた証左だ。俺は君の過去を知らない。知りたくもない。ただ、君の長い髪に触れてみたい。君の過去に触れてみたい。知らなくても良いから、その髪に触れてみたい。その俺の知らない時間の堆積に触ってみたいのだ。こんなにも恥ずかしい位に誰かの事を思った事なんてなかった。君を知る前は絶望に出会っていた。知る前、そんな意味のない言葉はもうやめにしようか。初めて出会ったとき、俺はいささかの躊躇もなく、君を認めた。俺が君を認めた。俺が君を認めたんだ。揺れる視線。なのにまっすぐな瞳。君の後姿に見る、過去の堆積、その髪の見せる美しいドレープ、襞に宿る君の人生。俺はそれだけでいいよ。
心震える瞬間。
二秒で良い。俺には二秒で良い。それだけあれば、好きになれるだろう。君が俺を、好きになるのに二秒で十分だろう。それ以上は必要ないよ。二秒に全てをかけようよ。それ以上の時間は無駄でしかない。あの絶望的な極限状況である握手会の葬列に身を捻じ込んで、心を捻じ曲げて、永遠にも似たあの距離で、二秒で、俺は君に俺の人生で得られた全ての感情を言葉にする。瞳にする。どれ位何が伝わるだろう。伝わらないのだろう。それでも俺は全身全霊これ以上ない俺を一瞬にも似た永遠の二秒を。
生きるってことは滅茶苦茶理不尽な選択を常に強要され続け、決断を迫られ続けることだ。その激動の流れの中では、常に選び取った選択肢を行動する事を求められる。何も選ばないでボーっと突っ立っていることだって行動だ。言い訳無用の責任が重く肩にのしかかる。生きることは全ての行動に責任をとることだ。俺は責任が取れるのか。俺は今まで生きてきて、何一つ零したことはない。なぜなら自分で責任のとれる安全な範囲でしか生きてこなかったからだ。孤独だった。どの輪にも入れなかった。自分だけで生きてきたから、他者と深く関わる気がなかったから、全ての間違いを俺個人で引き受けてきたから。どこからだってなんだって取り戻せると信じていた。失敗したと感じた事がなかった。後悔した事がなかった。全て真剣に選択し、行動してきたのだから、何が結果として起きても、それがとても良くない事であっても、俺はそれを自分に起きた最前の出来事だと、頭を抱えて神を呪いながらも、そう思えた。俺はまったく正しい薄らとんかちだった。
俺の欲望はどこにある。
俺は何が欲しくて何を欲望し何を求めているのか。熊井ちゃん。俺は熊井ちゃんの何を求めているのか。俺は以前と同じように、何も求めていない、そう言う事も出来よう。結果を見さえしないで黙々と生きていたあのときのように、ただ熊井ちゃんがずっと素敵で居てくれるから、俺はその限りにおいてずっと好きだと言い続けたい。その行動だけ、確信を持って決断し続けていくことに俺の人生があると。
しかし、その反面、全てが怖くなってきているのも事実だ。俺は熊井ちゃんが怖い。熊井ちゃんを好きになってから、俺は自分の人生の決断や行動が、もしかしたら取り返しがつかない瞬間、後悔をする瞬間を呼び込むことがあるのかもしれないと恐れるようになった。
俺は熊井ちゃんの言葉や感情が欲しい。様々な、微細な言葉や感情が欲しい。大げさなやつだって確かに欲しい。でも愛情や尊敬よりももっと小さくてポッケにしまえるサイズの何気ない言葉や感情も熊井ちゃんから欲しい。全部欲しい。俺は言葉と感情を人間の全ての中で最も価値あるものだと思っている。つまり俺は熊井ちゃん、君が全部欲しい。君に欲望しているんだ。
俺は言葉と感情が人間の力だとも思っている。暴力や金、権力っていう奴も力ではあるだろう。けれど金で買えるもので本当に欲しいものなんてあったか。暴力で欲しい物は手に入るのか。ましてや権力で?
言葉で手に入るものは本物だ。言葉は力になる。感情はその礎となる。俺は言葉で、熊井ちゃんにできること全部したい。俺の生きてきた全てが問われる。言葉と感情。俺はどこまで力がある?
俺は君が欲しい。君の言葉と感情が欲しい。君からそれだけ貰えるほどに、俺には力があるのか。俺の人間は、言葉は、感情は、君から何か貰えるだけ意味を持てるのか。
俺は言葉と感情で、言葉と感情を欲している。君の全てを欲している。
俺は君が欲しい。
俺の欲望の全部。
熊井ちゃんは僕となにも関係のない女の子だ。本当にこれっぽちも関係ない。熊井ちゃん。君は僕を知らない。僕も君を知らない。きっと、ずっと、このままお互い名前も知らないままなんだろうね。それでも僕は君を発見するだろう。眩いライティングに彩られた祝祭的な空間で、もっと控えめな舞台の上で、握手会の騒乱の最中で、テレビの画面の中で、色々な君を、色々な瞳を、色々な指先を、様々な太腿を、僕は見つけてしまうだろう。僕は様々に君を見つけるたびに今よりももっと君を好きなる。そして今よりももっと多くの愛の言葉を見つけてしまうだろう。素敵な女の子だから、熊井ちゃん、君は僕に見つけさせる、歌、ダンス、身体、際限なく。
僕は自分と関係を持たない女の子を発見し続ける。好きになり続ける。毎夜毎夜の重過ぎる心音の鼓動は、ただ、僕を恐怖させる。これは暗い刑罰なのだ。自分に関係ない女の子を好きになってしまった罰なんだ。苦しいよ、切ないよ、胸が破裂しそうだよ。
君はこのまま僕を知ることなく、どんどん前に進んでいくんだろう。僕は君に眼差しを送ることしか出来ないだろう。君の前では言葉はいつだって宙ぶらりんのまま霧散していく。何も残らない。ゆえに僕は清廉でいられる。
人間関係を築けない人たちが少なからずいる。人間関係の緊張と緩和の襞に生まれる感情の機微を頭では理解できていても、本当の意味で心から自分の感情として悲しんだり、喜んだり出来ない人たちがごまんといる。他人に対しては軽度の、感情と言うにはひどくちっぽっけな、不快の情を持つのみ。彼らにとっては、どんな言葉も感情も他人に自分の演出する鍵括弧に幾重にも閉じられた《私》を宣伝するためだけの知識に過ぎない。そういう人間は無数に、確かにいる。たとえば僕だ。
哀れだな。僕は道化に生まれた。役者だった。哀しみも怒りも全ては僕を演出するためにある宣伝だった。僕は僕以外の他人全てに恋することもなければ、心から怒ることもなかった。他人は観客だった。愛したのは自分だけだった。自己顕示欲のお化けだった。
僕が唯一感情を刺激されるのは物語の中だけだった。小説を読めばその一瞬、描かれる事件に胸を躍らせ、言葉に感動し、涙を流した。映画を見れば、その一瞬スクリーンに映し出される女に恋をした、凶弾に倒れる友を思った。全部その一瞬だけの本当だった。幻想の中だけの一時の理解者になれた。誰とも何も共有できない僕は物語が好きだった。物語だけが僕に何かしらの瞬間を与えてくれた気がした。物語に没頭しているときはその仮初の瞬間だけでも僕は自己顕示欲から開放された。
僕は物語から大きくはなれたところで生活し、精神の病、道化を濃くした。常に凪いだ精神状態。空っぽの言葉と借り物の感情で死にながらえた。世間を恨みつつも世間に迎合した。一歩も踏み出せず、卑屈さと自己顕示欲の合いの子に押しつぶされそうになった。誰も憎まず、責めず、呪わずに生きることはひどく困難に思われた。誰にも仲間に入れてもらえなかった。
熊井ちゃんに出会ってからというもの、僕は君の前じゃ、上手く演じられない。僕は丸裸だ。本当に胸が苦しいってこう言う気持ちのことをいうんだ。知らなかった。好きっていうのはこういう気持ちをいうんだ。知らなかった。嘘だ僕は知ってた。知識として。でも感じるのは初めてだった。幻想の中だけで生きてた僕は、熊井ちゃんに出会ってから、初めて自分の人生を生きられるかもしれない、そう思えた。幸福など一つもないのに君に惹かれる。こんなに苦しいのに、切ないのに、痛いのに、それでも君のことを思わざるを得ない。僕は道化から抜け出せるだろうか。僕はもっと自分の人生ってやつを踏み出せるだろうか。一歩が怖い。苦しみを享楽とする日々。負債が嵩む。胸を張って生きられそうか。苦しみに耐えられそうか。僕は今、熊井ちゃん、君が好きです。
僕の今後の予定としては、何かしらの希望を与えたいと思っている。滅茶苦茶なことを言ってるよな。知ってる。僕は借りを返す。貰ってばかりじゃ一緒にいられないから。こんなのは熊井ちゃんにとってはありがた迷惑か。知ってる。でも、僕は僕の人生の幸福ってやつが大事なので自分の好きな方法で、相手の迷惑も考えず、都合などお構い無しの押し付けがましい感情をぶつけることになる。我慢できないんだ。熊井ちゃん。
毎夜をやり過ごす。一番重たい自分の核心は独りでなす。独りじゃなければならない。僕はそういうふうにできてるだけだ。
熊井ちゃん心配で心配でどうしようもないよ。俺は怖い物知らずで、どんなことがあっても、事実を受け止め、そこから何が自分に出来て、何が自分に出来ないかを判断し、そのとき俺が思いつくだけの最善を尽くしてきたつもりだった。傲慢な魂を持ち、誰から何をいわれても、他人の言葉で変わることなんてなくて、いつだって自分で決めたこと、自分で選択した答えだけで俺は変わってきた。もちろんまったく他人の意見を聞かず、まったく他者から何も学ばない生き方なんてあるはずはない。厳しい俺裁判に適った言葉だけを厳選して俺は聞いた。他人の言葉なんてものは全て基本的には却下か保留だ。俺は俺の言葉にだけ興味があった。俺が他人の言葉を採用するときも常にその言葉を自分の中に入れたとき、俺がどんな言葉を話せるか、それにしか興味がなかった。誰の言葉も真実には愛していなかったのかも知れない。自分の言葉と、自分の感情にだけ興味があったから、世界中で何が起ころうとも俺の心根は動かない。俺はそこから自分の感情が言葉がどう変わるかそれだけに興味があった。何も好きじゃなかった。誰も愛したことがなかった。俺は俺の人生の傲慢の神様だった。
大揺れに揺れる最中、俺は君のことしか考えられなかった。地上七階、マネキンは倒れ、展示された絵画は宙を舞う。シャンデリアは見たこともない振り子のようだ。当たり一面全員の動きが止まる。赤ん坊は泣き喚き、老女は立っていられず地に手をつく。「大丈夫ですか?」俺は近くにいた女性に腕を貸しながら、心の底から怖かった。初めて怖かった。死ぬかも知れないことが怖いんじゃない。熊井ちゃん、君が危険に晒されてないか、それが不安だった。熊井ちゃん、君になにもお返しできずに死ぬのが怖かった。熊井ちゃんともう会えないのかもしれない、その可能性が怖かった。地面が揺れていることも、死ぬことも、怖くはない。自分のことは何も怖くない。俺は俺の神様だから。何も恐れたことはなかった。こんなに深く熊井ちゃんを好きになるまではそうだった。今は違う。熊井ちゃん不安だよ、怖いよ。俺は絶対だった。俺の選択は絶対に俺が不安にならないように決定されまくる。何があっても反省もする必要もなければ後悔もない、絶対的な決定だ。今は違う。俺のことじゃない。俺が与り知らない君の安否が不安だ。どうしようもない俺じゃない人生を生きる他人の熊井ちゃんが不安だ、怖い、好きだ……
これから先、君に俺は何が出来るだろう。どんな言葉をあげられるだろう。君に俺は好きだと言いたい。何百回でもそう言いたい。いろんな言葉で好きだと言いたい。そのとき君が必要な言葉をかけてあげたい。好きだと言いたい。君のことをこんなにも好きだと言うやつの存在を知ってもらいたい。君の特技は俺に好きと言われることなんだと胸を張りたい。身長なんかたいして重要じゃないんだよ。君は俺が好きな女の子なんだよ。俺が好きになった女の子として胸を張って自信を持って生きて欲しいよ。だから、君に好きだと言いたい。いろんな言葉で、いろんな瞳で、君に好きだと言いたい。それが君の人生の助けになればいい。俺が好きな女の子。俺が好きだと言いたい女の子。初めてなんだ、熊井ちゃん。こんなに不安なのは、こんなに怖いのは。俺はあと何回君に好きだと言えるの。熊井ちゃん。ずっと好きだと言いたいよ。
俺は、俺の芸術、俺の宗教、俺の真実を実現させるために生きていると言ってもいい。俺はかっこつけだから、全ての中で何が一番かっこがいい俺なのか、俺マニアの俺はいつだってそればっかり考えて生きてきた。芸術と宗教。俺はどちらかしかないと思っている。芸術は真実に向かう窮極的な手段だ。宗教は真実的なものに向かう手段だ。俺は芸術家になりたかった。宗教家になりたかった。本当はどちらもなりたくなかった。ただ、俺にとっての真実を常に傲慢に選択し続けたかった。熊井ちゃん、俺はかっこつけで、芸術と宗教で真実を選択し続けて、かっこよく死にたがったよ。熊井ちゃん、君を見たときから、君が歌を歌うから、君が ENJOY! と俺の命に別名を付けるから、俺はもう格好もつけられない。俺の芸術も、俺の宗教も、全部やり直しだ。熊井ちゃん、俺は望んではいけないもの全てを君に望んでしまった。そしてそうしてもいいんだと君は俺に思わせてしまった。人生ようやく始まったみたいなんだ。生後三ヶ月の赤子のソウルでいつも君に会いにいってしまうのはそういうことなんだ。
俺の愛、俺の心、俺の芸術、俺の宗教。全ての責任を俺は君にとって貰いたい。そういう気持ちで、人殺しの気持ちで、バスに乗り込んだはずなのに。死を覚悟してエイトショットに臨んだはずなのに。なのになぜ、俺は君にあんなにも優しく笑顔を向けてしまったのだろう。俺は君に会ってからというもの異常に優しくなってしまった。君にはもちろん、他の人に対しても。俺は初めて人を好きになって、そして初めて人に好きだと告げる。そのとき人殺しの俺はもういない。熊井ちゃん大好きっ子の俺だけが優しい笑みを携えている。俺は熊井ちゃんに人殺しの気持ちを持っていったのに、君に会ったら、君の優しさに君の瞳に、全てを許してしまった。俺は君の前では格好もつけられない。俺は君を優しくして、全部許して、君は俺に裸の俺を生きさせてくれる。
バスツアー二日間、これほど情けなくて、これほど幸福な二日間は今までの人生の中でなかった。
Berryz工房、七周年おめでとう。そして七年という月日をかけて俺に熊井ちゃんを会わせてくれて本当にありがとう。苦しいよ。好きより上の言葉を知らないから、熊井ちゃん、好きだとしかいえないんだ。好き過ぎるよ。
今日はついに、そう、待ちに待ったという決まり文句がこれほど似合うことはないんじゃないかと思う位には首を長くして待ちわびたアイドルマスター2が発売となり、そして明日は如月千早ちゃん、君の誕生日になる。その次の日には私は熊井ちゃんと会う。その次の日も熊井ちゃんと会う。バスツアーという謎の、不可思議な太古の約束だ。つまり伊豆デート。そういうこともできるだろうか。
私は過去を連れて行くことが出来ない人間の愛しかたで熊井ちゃんを好きになってしまったから、こんなことには一生ならないと思っていた気持ちで熊井ちゃんを好きになってしまったから、初めての経験で私も戸惑うこと、分からないことばかりだけれど、でも確かに言えるのは、もう熊井ちゃんの輝かしい光とともに生きていくしかなくなってしまったということだ。熊井ちゃんの声そのもののような歌声に思考を巡らせ、熊井ちゃんの指先の優美な動きに心を奪われ、熊井ちゃんの力強い瞳に刺し貫かれ全身を痙攣させる日々を過ごす。もうこれ以上はないという確信だけに強く囚われ、それが本当は違うとしても今はそう感じているのでそれで良い。昼はひぐらし、夜は夜もすがら熊井ちゃんに狂おしく嘆き明かすほどに夜、今夜も夜、夜を。いつしか眼前に広がる景色は茫漠とした背景であることを止めてしまい、事態は平明にして明快になる。私は今さらそれを悲しむこともできないで、すっかり眼を覚ましている。別れの時がきた。私には別れるべき人が確かにいる。そして、おそらく君にも。
どこから話せば良いのだろう。握力は色々なテーマを扱いながら一つの考え方を持って七年間も続けてきた。その考え方と、アイドルマスター、如月千早を好きになることの関係の結びは矛盾することなく自然なものとしてあった。そして、如月千早を通じてより深く、自己と対峙し、如月千早を通じてより深く、私のあり方を説明できたように思う。しかし、いつしか少しずつこの気持ちがバラバラになっていき、私は如月千早を好きになって、その表現に深く関わっていけばいくほど、如月千早との間に深い断絶を意識せずにはいられなくなってしまった。そのときは頑なに目を瞑り、と言うよりははなから開かない目をしていたのかもしれないけれど、兎に角いいようのない不安だけが彼女と私の間にあり、このまま生き続けていくことができない、とさえ思いつめ、追い込まれていってしまった。この乖離は少し冷静になったときに正体に気がつく。結局私は自分の一番信頼している物差しでアイドルマスターをバラバラにしてしまい、その総体的な表現の根幹に声優を見つけるしかなかったのだ。アイドルマスターをある種の極論で扱うと、アイドルマスターという道具は声優の表現をどれ位引き出す場所なのか、そこに焦点が結ばれる。私は如月千早のことが好きであっても、声優には興味がない。声優というものに一切関わる気持ちがわかない。この考え方が正しいとか、正しくないとかではなく、もうこういうふうにしか私は思えないのだ。一度考えてしまったことを考えずに、一度見てしまったものを見なかったことにしてやっていくことは私には困難極まりなく、もうこの時点からアイドルマスターに関われないと強く思いはじめた。もちろん本当はこんなに良く整理されたもののはずはないのだけど、もう何をかいても離れてしまった人の意見しか出せないのだ。
ぼんやりと感情が失われていくのをじっと待っているような地獄の日々を送りながら、たまたまイヤフォンで聞いていたBerryz工房に、熊井ちゃんに涙を流し、再びボンバー、カブトムシにも夢がある、熊井ちゃんがそう言うのならば、私はやっぱり ENJOY なんだと心の底から強く思うことができた。 ENJOY 。それはもう熊井ちゃんが好きっていうこと以外何ものでもない ENJOY だったから、熊井ちゃんが歌を歌い、踊りを踊り、私は命を夢見て、何度だって希望を抱けた。どうしてこんなに簡単なことなんだろう。この瞬間から、何も恐れずに、いや、全てを恐れながらも、信頼し、熊井ちゃんに深く関わっていきたいと思ってしまった。私は結局何が起きても、その時々で私にとっての最良の選択を決定してきたのだし、その点で私は私を信頼している。また何が起こるかもしれないけれど、何が起きても熊井ちゃんのことを好きになった私は絶対に後悔することはないだろう。不思議と何かを後悔したことが今まで一度だって私はないのだ。
今は、なんの疑いを知らず、熊井ちゃんに導かれて、とんでもなく正しいの真ん中にいると感じられる。勝手なことを私はいっているけど、そのことだってちゃんと理解してる。都合のいいように女の子に救済されてのうのうと生きながらえている、そんなふうに自虐的に自分をみることもある。それでも、今、少しの偽る気持ちを持ち合わせずに、溢れるありったけの言葉と感情で熊井ちゃんのことを好きだといえるのだから、それだけでもう私は私を肯定できる。セルフリスペクト、自尊心、傲慢な心、全部が全部なんて愛おしい、天国と地獄を毎昼毎夜繰り返し生きながら、このまま私はどこにいってもいいとさえ思う。
このサイトをアイドルマスターで知ってくれた人は本当に多いと思う。しかしアイドルマスターの握力はこれでおしまい。彼女たちに言及することはもはやないだろう。今まで御付き合いしてくれた方には本当に感謝の言葉を尽くしても尽くしきれない。あなた方のおかげで七年間という長い時間を更新することができた。ここから先をかいていくには、握力というサイトの一番最初の決まりを破らなければならず、それでは続けていく意味はない。それでもBerryz工房と奇しくも同じ七周年を迎えた握力。このまま、おしまいのまま続けていこうと思う。緞帳を下ろしたまま尚をも続く、熊井ちゃんと私の即興劇。カーテンコールから、またよかったらお付き合いいただけたらいいな、と思う。
熊井ちゃん、ともに生きて、ともに ENJOY しよう。君が私を震わせてくれるから、私は君を何度だって生きよう、何度だって ENJOY しよう。君が私を震わせてくれるなら、私は何度だって君に生きよう。熊井ちゃん、愛を込めて、いや愛以外全て込めて君に、ついやそう、私を、君に。