はてな、アメリカへ

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/14/news031.html
ITmedia News
 
 読んだ後で、近藤さんに「仕送り」したいなと思わせる名エントリー。
 
関連リンク:「逃げる」という覚悟
http://blog-tech.rikunabi-next.yahoo.co.jp/blog/hirabayashi/116
平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女/Tech総研


 その違和感が消えたのは、
しばらくしてスポーツ解説のテレビを眺めてた時でした。
自転車競技では、先頭を走り空気抵抗を一手に引き受ける
"逃げ"はとても苦しく、アタックとも呼ばれる」
というような解説者の説明を聞き、
自転車競技を愛するはてな近藤社長の言葉がようやく理解できたのです。
つまり、「逃げる」という言葉は、私が思ったような消極的な言葉ではなく、
「苦しくても、力一杯アタックし続ける」
という覚悟の言葉だったんだなぁ、と思い至ったのです。
 

「人のセックスを笑うな」という山崎ナオコーラさんの小説があったけど、

 なんとなく、"他者"の快楽に対する独特の嫌悪文化というか、複雑な感情が、
日本のマスメディア、特にTVのワイドショーにはあるような気がするけど、
その原因ってなんなんだろうなぁ…と、今朝のワイドショーでの、
北朝鮮産の"偽マイルドセブン"に関する報道を聴いていて思いました。
 
 私は、タバコを吸わない人だから、
その辺りのツボというか、勘どころが
わからないのかもしれないんだけど…。
 

東京でサウンドデモが行われるらしい、それもよりによってアキバでだとかw。


メーデーメーデーメーデー! 4.30弾圧を許すな
8.5 プレカリアート@アキバ
〜やられたままで黙ってはいないサウンドデモ→集会〜
http://sounddemo.nobody.jp/
 
集合:8月5日 14:30
場所:総評会館千代田区神田駿河台3-2-11)
http://www.sohyokaikan.or.jp/access/index.html
 
交通:
【地下鉄】
千代田線・新御茶ノ水駅
丸ノ内線淡路町駅
都営新宿線小川町駅
いずれもB3出口(徒歩0分)
【JR】御茶ノ水駅 聖橋口(徒歩5分)
 
サウンドデモ:16:00‐18:00(予定)
集会:総評会館18:00‐21:00(予定)
 
不安定さを強いる社会を転換させよう。
生きることがこれほどにも大変なのは、言われるほど自分のせいではない。
おかしいのは仕事も住居も、からだもこころも、
日々の暮らしのすべてを不安定さに晒すこの社会だ。
 
なるほど目の前には「自由」が吊り下げられている。
際限のない生き残り競争の果てに、互いの生を貶め合う「自由」だけが与えられている。
しかし見るからにそれは自由ではない。偽物はいらない。
 
プレカリアート(不安定さを強いられた人々)が自らのものとした声は、
人がつながりあう場へと街路を取り戻すサウンドデモとして表現された。
これを封じ込めようとして、警察は恫喝と盾と不当逮捕を持ち出した。
だが、すでに発せられた声をかき消すことなどできない。
誰もやられたままで黙ってなどいないからだ。
 
私たち自らが望むものをはっきりさせようと思う。
それはただここに出会い、話し、驚かされ、喜び、生きることである。
欲しいのは、考え、動き、表現することの中に、互いの生を交錯させる自由である。
これらを奪うことを許さない。
そのために力を尽くそう。
 
2006年7月
 
実行委一同
 
※「8.5サウンドデモ→集会」に賛同する団体・個人、
そして何よりもこの取組みを成功させるために動いてくれる仲間を募集しています。
ぜひ連絡を!
 
※連絡先
mayday06q(at)yahoo.co.jp(メーデー救援会)/
paff(at)sanpal.co.jp(フリーター全般労働組合)/
war_resisters(at)yahoo.co.jp(戦争抵抗者の会)/
070-5587-3802(抵抗電話)
 
 秋葉原サウンドデモの場所として選ぶってことは
面白いとは思うんだけど、効果としてはどうなんだろう?
あまりに政治との関わりは未知数な場所*1だけに、興味津々。
 

*1:けど、又吉イエスの街頭演説もアキバであったな。

パーティー空間と、ダンスフロア内での「領域」感覚の一時喪失について。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060718/p1
想像力はベッドルームと路上から:
僕らは多分、「正当性」よりも「身体と領域の自由」が欲しいんだ。〜サウンド・デモの政治性〜(長いよ)


そして、テクノやハウスで重要なのがもう一点。それは「領域の確保」だ。
自由に踊る為には、それなりの空間を確保しなければならない。
もちろん他者との関係もあるので、クラブやレイヴにおいては
個々が自らの「領域」を規定し、その範疇の中で踊ることが求められる
(時々、これがわからない馬鹿が場を壊すけれど)。
これは、ロックの楽しみ方と比べると分かりやすい。
BECKはかつて、
モッシュは「連帯」を、「サークル(モッシュしながらグルグル廻る行為)」は規則を表す』
と言っていた。
クラブでは基本的に身体同士は触れ合わないようにする。
逆にロックのライブに行って、モッシュしているところで
「領域の確保」なんて言ったら殴られるのがオチだろう。
で、いくつもパーティーに行っていると分かるんだけど、
本当にいいパーティーでは、例えばディスコカルチャーに見られるような
分かりやすい一体感が無いことが多い。
皆好き勝手に踊っていて、反応するポイントも歓声もバラバラなのに、
何故か奇妙な一体感がある。
その感覚はロックのライブでは決して得ることが出来ないものだと思う。
 クラブでの個々の空間の取り方の、かな〜りいい感じの解説になってると思う。
ただ、ちょっと気になるところもあるので、追記しておこうかなと思った。
 
 日本の小箱のテクノのパーティーだとあまり見ないんだけど、
中〜大箱や野外レイブでのハウスやトランスなどの大きめのパーティーでは
ある特定の時間帯(主に長時間セットの明け方〜パーティー終盤最後のピークターム)に、
種々のセッティング*1やDJやVJやライティングなどの影響で
"一時的"にフロアの大部分の人が、自らのキープしていた「領域」を一気に崩していくことがある。
もちろん、崩し方にもある程度の節度はあるけど、時々ものすごい状態になる。
 
 知らない人同士がいきなりサイコーとか言いながら抱き合っていたり、
いきなり10人近くが手を繋いで輪になって踊ってたり、
いきなり「イケメン上半身脱ぎ大会」が始まったり、
一瞬のアイコンタクトだけでいきなり集団ダンス(バトル)セッションが始まったり、
知らない相手から持ってる水を分け与えて貰ったり、逆に水をあげたり…
 それは、12時間〜24時間程度の長時間パーティでも
ほんの一瞬の間、大抵5分未満〜せいぜい長くて20分程度の間なんだけど、
この「領域」を崩していく瞬間ってのを何度か体験すると、
レイブミュージック、テクノやハウスやトランスの凄さとか
「領域を崩せる」ヤバさがわかるんじゃないかなぁ?
 
 これは、ディスコのような"仲間たちっぽい一体感"とは違うし、
ロックコンサートのような一体感ともまたまた全然違う、
どちらかというとテンポラリーっぽい、その場数分〜一夜限りの一体感だし、
日本語で言う「袖擦れ合うも他生の縁」という感覚に近いのかもしれないけど、
パーティーに毎週のように通って何度も「袖擦れ合う」ようになると
日常生活でもちょっとした「袖の擦り方」が色々と上手くなるってもんでw。
 

*1:具体的には異様に盛り上がった一部の客(含む私)の影響や、野外レイブでの朝焼けや皆既日食の瞬間などなど

「信頼」の力学

http://d.hatena.ne.jp/essa/20060718/p3
アンカテ(Uncategorizable Blog) - Rails的世界の「安心」と「信頼」の力学
 
 あたしゃプログラミングの世界はさっぱりわかんないけど、
読んでると、ひとつ上のエントリーと関係するかもしないかもしれない話。
たぶん、数年後に読み返してみたら、色々考えるだろうなぁ。
 


Rails的世界は、「知らない他人を信頼しないと地面が見えてこない世界」である。
オープンソースを使うならば、「信頼」は頭のレベルでよいのだが、
Railsを使うならば、「信頼」が身体にしみついてないとダメだ。
 
(中略)
  
「信頼」と何かと言われれば、
他人が書いたコードを使うことに頭を使うことや、
自分が普通にコードを書く場所が当然のように全開で公開されていることや、
自分だけしかできないという具体的な根拠があること以外は
全部他人がどこかで同じことをやってると信じることとかで、
それはあたり前のことだけど、
そう思うことに何の努力もいらないことが本当の「信頼」だと思う。
 
何の努力もなくそういう方向に考えることができることが、
紛れもなくひとつのスキルであって、
そのスキルが無いと、非常に大きなハンディキャップになる。
一日48時間情報を追いかけても追いつかず、自分でコードを書く暇がなくなる。
 
(これは至近距離で確認したけど)
このムーブメントの中心にいるDHHのお肌が
あんなにスベスベなのは何かがおかしい。
たとえ4時間くらいでも、DHHが睡眠を取ったら、
その間に、Railsムーブメントはとんでもない方向に進んでしまい、
彼が起きた時には、もう取り返しがつかない状態になってしまうはずだ。
あのスピードで進化しているのに
DHHのお肌とRailsリポジトリが共に健全なのは、
彼が何か特殊な技能をマスターしているからで、
それは、スキルとしての「信頼」だろう。
 
(チョイ略)
自分が作るアプリケーションより、Railsはずっと早く進化する。
プラットフォームが電車より先に進んでしまうのだ。
そういう不確実な世界で安定を求めたら一歩も前に進めない。
まだ見ぬ未来を基盤として、モノを作る必要がある。
まだ見ぬAPIを漠然とでも理解するには、
自分がオープンでいて、ムーブメントの空気を呼吸していないといけない。
呼吸する為には、「信頼」が必須条件である。
 
他人が恐いと呼吸ができなくて、
呼吸ができないとプラットフォームが進んでいる方向がわからなくて、
方向がわからないとプログラムが組めないのである
 
(中略)
ただ、Railsの場合は、これが参加資格となって
暗黙に強制されているような所があって、
野次馬が自動的にそこに巻き込まれていく点が、
これまでに無い所なのではないだろうか。
コアから見るより周辺から見た方が、この違いはわかりやすいかもしれない。
 
そして、LinuxWikipediaになったように、
Railsという現象の中にある本質的なものは、次のWebの重要な構成要素になる。
 
日本人が「信頼」が不得意だとは思わないが、
それが社会現象として顕在化した時には、
安心ベースの社会の中にある、潜在的なひとつの「デバイド」を炙り出すと思う。