拍手の返信と近況など

先ずは拍手返信です。
◆よしの×ブレードさんから来ました。ケータイ革命面白かったです。最近はあまり更新はなさって無いようですが、ゆっくり読ませて頂きたいのでサイトは存続して頂けると有り難いです。
◇拍手コメントありがとうございます!ケータイ革命は随分前に書いたのですが、今でも思い入れのある作品です。なのでとても嬉しいです!マリみての更新は…今後あまり無いとは思うのですが、サイトはずっと残していきますのでご安心くださいまし。

最近はラブライブ!の二次創作を主に行ってます。投稿先はpixvとなっております。興味がおありの方は以下のアドレスからどうぞ!
http://pixiv.me/worksluna

ラブライブ二期の感想文 第8話〜最終話

<八話:私の望み>
物憂げな希と、「わかってるから」という風の絵里。、これは……という七話での引きからの八話。
冒頭、ラブライブ本予選前の参加スクールアイドル達による挨拶会で、優勝宣言する穂乃果。おいおいおいと驚く一同だが、希は少し違うことを考えている。ついにここまで来たと。一期から満を持しての希回である。
OPをはさみ、アイドル研究部部室。大それた優勝宣言を皆にとがめられる穂乃果であるが、アライズのセンター綺羅ツバサが、「この本予選はトップレベルの争いになる」と言っていたことを聞き、何だか嬉しそうな穂乃果。認められてるんだ、と。重ね重ね、はっきりとは描かれないが、穂乃果がツバサを大いに意識してることが伺える。
このほのツバのライン、恐らく誰も二期開始前には予想しなかった関係。これ、もう少しがっつりと描いても良かった気がするんだけどな……。それを踏まえて『みんなの夢』に繋げることも出来そう。でも、ほのツバに比重が寄りすぎても上手くない。悩ましい所。

さて、ラブライブ本予選を間近に控え、新曲を作るのか、それともこれまでの曲でクオリティを更に高めるのかの話し合い。ここで希が、ラブソングはどうやろか、と提案する。なにゆえラブソングなのか? 先取りになるけど、はっきり明確な理由や答えは無い、と思う。希の心境を表すもの、表したいものがラブソングだったんじゃないかと。現段階ではこれまで無かったから、というそれらしい方向で皆の気持ちは整い、じゃあ何でこれまで無かったのかと海未に白羽の屋が向く流れは、わかっていても笑ってしまう。作詞者の恋愛経験談義は避けて通れない道でもある。結局、経験がないと判明し一同安堵する。
しかしラブソング、作るとしてどうすればいいのか。そこでアイドル研究部面々が始めたのは、バレンタインごっこ。チョコを意中の人に渡す、という体で演技?など行う。希は相変わらずビデオカメラで撮影。緊張感が増すし、後で個人的に楽しめるし、という希。いずれも嘘ではないけど後者はイメージと内実は少し違う。ちなみにこの辺り、もぎゅっとLOVEで接近中のMVの雰囲気と似通わせている。これはこれで楽しめるし、「え、もぎゅっとなの?」と思わせるミスリードでもある。もっぎゅはもっぎゅで悪くはないのだけど、期待される曲はもっぎゅではない。
結局方向性の模索は捗らず、皆で帰路へつく。やはり既存の曲を更に詰めたほうがと帰りすがら固まりかける。しかし絵里が、やはり新曲を作るという方でやってみないかと提案。もう少し考えて、日を改めて集まって考えようという絵里であるが、真姫は違和感に気付く。作曲者だからだろうか?新曲用意するうえで真姫が一番負担が重くなる。これもはっきりとした理由は無いように思う。絵里の態度に違和感を直感的に覚えたのかなんなのか。一期で加入前の絵里に食って掛かったこととか、加入後の合宿で絵里と希に世話を焼かれたこととか、絵里希となにかと絡みのある真姫。なにか、そのへん含めて思うところがあるのかも知れない。いつか仕返し(世話を焼き返してやる)と思っていたのか。
皆と別れ、絵里と希の二人きり。あくまでラブソングを作ろうとする絵里。そんなに無理しなくとも、という態度の言い出しっぺの希であるが、絵里はあくまで希の意見を尊重する。絵里が希を優先させること。それにはもう理由は必要ないし、それでもきちんと理由は用意されている。明らかになるのはもう少し後のこと。

日を改めて穂乃果の家の居間。皆で集まりラブソングのために恋愛映画など鑑賞する。ここ、メンバーの集中度が恋愛への興味度を表わしているように見える。興味しんしんのことり、絵里。そして花陽はテレビにかじりついている。にこ、真姫、希はごくごく一般的に、普通に観賞してる。そして穂乃果と凛は完全に興味を失い寝るという。ここで一番拒否反応、というか恥ずかしがっているのは海未。作詞担当がこの有り様だから、あの曲はけして恋愛の曲というわけではないんですよ、と言われている気がするのはただの深読みとなる。
結局、曲作りのヒントも思うように得られない。ここで真姫と海未が、やはり新曲は難しい。完成度が下がるだけだと新曲に反対する。絵里はまだ新曲にこだわるが、希が、新曲にこだわる必要はないねんとやんわりと場をなだめる。言い出したのは希だが、無理を通そうとはしない。むしろ絵里が傍目に不自然だ。
どうしても気持ちがおさまらなかったか、帰る絵里と希を真姫は追う。結局、三人で一人暮らしをする希の部屋へ。そこで、九人でみんなで曲を作りたい。曲でなくとも、何かを生み出したい。それが夢だったと絵里が真姫に教える。そのために、ラブソングはどうやろかと提案した。
それから、希の過去から今、そして本心の部分の話へ。取りも零さず一期の裏側の話そのものとなる。三話で、アライズを評して希は穂乃果の対になる存在と言われていたが、それがよくわかる部分。何故あれほどまでに一期で希は仲間を引き合わせるために立ちまわったのか。そして二期で何故しなかったのかが分かる。一期で九人が揃った時点で、すでに希の願いは叶ったから。すると絵里が、一度自分たちを見つめなおしてみようといった時、希がひどく気にしていた理由も分かる。あの時、自暴自棄になった穂乃果はメンバーたちとそれぞれに会い話し再生への道を歩んだのだけど、希とだけはあのとき絡んでない。再び九人を集めようと立ち回ってない。九人揃ったのに空中分解してしまった。とすると希にはもう、きっとその時点ではどうすることも出来なかったから。
結果として穂乃果は皆に助けられた。希の力添えでなく、みんなに全員に。それは二期でも今度は常に相互補助を果たしていく。希の助力なしで、誰かが誰かを助けていく。一話で皆が穂乃果を勇気づける。二話の合宿で誰かが誰かを助ける。三話でアライズの新曲を前に萎縮した皆を穂乃果が鼓舞する。四話でにこを希と絵里が。五話で凛を花陽と真姫が。六、七はどうしてもややあやふやではあるが、自分たちの力で自分たちの窮地を脱している。
繰り返しとなるが、一期で皆をぐいぐいと穂乃果が引っぱり、裏方で希が立ちまわる。かような明確な役割分担は二期で消失する。ある意味で穂乃果も希も、等身大のμ'sの一員として皆と平等の扱いとなる。
合宿しようよと言い出したのが二期では穂乃果でなく絵里。海未が穂乃果みたいな無茶を言ったりすることもある。一期を踏まえての二期の変化。それにより穂乃果は主人公という座から降りているようにも見える。つまり皆が主人公だ。μ'sは誰かのワンマンではない。皆が皆、同じなんだと。それこそが希の本当の願いであり、『九人のμ's』の最上の形だろう。
真姫と絵里がみなを呼び、希の部屋で一同に会すメンバーたち。一期でμ'sのために希が立ちまわってきたことは、視聴者だけが知っていること。希のおかげでμ'sが生まれたこと。それを仲間たちも知ることになる。
これは、視聴者にとって非常に嬉しいことであり、μ'sのメンバー達にとっても大事なこと。偶然集まった九人ではない。けれど、必然とは必ずしも言えない。希のおかげであるが、誰か一人欠けても成り立たない。じゃあ私たちは何なのだろう。どうして集まったのだろう。何故、今があるのだろう。偶然と必然の中間、それはまるで奇跡みたいだと。
じゃあ、クリスマスプレゼントとして、μ'sからμ'sを作ってくれた女神さまへと。新曲をやっぱり作ろうとなる。みなでキーフレーズを出し合って。μ'sから希へというのは、μ'sからμ'sへという意味でもある。廃校阻止のために生まれたのがμ's(穂乃果の目指したこと)なら、μ'sのためにμ'sが生まれ、そして有るのも(希の目指したこと)、またμ's。
みなで集まり、わいわいとやってるうち、外には雪がぱらつきはじめる。外へと出て行く九人。雪のぱらつく夜空を見上げ、それぞれに想いを言葉に乗せる。最後の希の、好きという言葉を含め、全てはあの曲につながっていき、八話は幕を閉じる。

ラブライブ!の二期に求められるもの。
熱心なファンのコモンセンスに則るならば、凛回、希回、そしてあの曲、スノハレをどのように絡めるのか、という三点は恐らく欠かせない。
けれど、これは個人的な主観になるけれど、凛回と希回は欲しかったけど、スノハレは上手く絡められないならばいっそ無くていいと思っていた。だってあのスノハレが、ただ何となく生まれた曲だったり、ただ誰か(アライズなど)に勝つためだけの曲だったり、どうでもいいようなエピソードを経て生まれるくらいならば、いっそ無い方がいい。現実でのライブを通して既にここまで育っているスノハレを落とすようなエピソードであれば、無い方がいい。
けれど、希回を経て、μ'sがμ'sという存在をかけがえがないものだと淡く自覚し(それも外部に向けてではなく希を主軸として)、そのために生まれたのがスノハレだと描かれた。
個人的にとても嬉しかったし、安心もした。μ'sのμ'sに対する想い(≒絆と言ってもいい)が最大瞬間風速を迎えたことであの曲が生まれたのだ。誰かのワンマンではない。九人が等しく輝くμ'sから生まれたかけがえのない一粒の光。それがスノハレだと。
また、これまで自分たちのことを曲に載せて歌ってきたのがμ'sなのに、スノハレは明らかに恋愛の曲である。なにゆえそのような歌詞の世界観となったのか。それは希がラブソングと言い出したからであり、その気持をみなが組んだからであり、μ'sがμ'sを想って作った曲だからこそ、ああいった恋愛の世界観となった。そのように理由づけてくれたことには制作スタッフに頭がさがる。どこまでもどこまでもファンの心理というものに誠実に作ってくれているのだと。またそれにきちんと物語を噛みあわせていること。それを非常に感じ取れた八話だった。そして、「ファン」という要素が更に重要な意味を持つこと、そしてそれが二期の肝心なところであることは、もう少し後になって判明する。


<九話:心のメロディ>
穂乃果の母と妹の雪穂が家の前の雪掘りしてるシーンから九話は始まる。地域的に珍しいまとまった降雪に見舞われているようだ。一方穂乃果はというと、部屋で二度寝を決め込もうとしていた。穂乃果らしい様相であるが、外から雪穂に起こされる。起こされた穂乃果は窓際へ。ふと窓から空を見上げ、こんなことってあるんだな、と呟く。今回のために用意した新曲とかぶったからだろう。
ライブ当日、穂乃果の起床。良くないイメージの晴れない二つの要素であるが、心配無用とばかりに穂乃果は元気そう。そんな風に幕開けたラブライブ最終予選当日の朝。

いつものように穂乃果を迎えに来る海未とことり。真姫を迎えに行く花陽と凛。そしてにこを迎えに行く希と絵里。いずれも、それぞれの家庭でのちょっとしたエピソードを含め、いかにも最終決戦前という雰囲気だが、ここで注目したいのは三年生組。絵里と希は言わずもがな。そしてにこと希も、(恐らく)気の置けない友達という感じであったこれまで。(ただし希を含めにこ側はいつも二人をやや邪険に扱う。過去の上手く行かなかったアイドル研を知られてるからか?)
実は三年生三人での仲の良さというのは、これまであまり描かれてない。けど、決してないわけじゃない。二年組は昔から変わらぬ仲の良さという繋がり、一年組は新しい繋がり、とすると三年組は『過去』というのが繋がりのキーとなる。絵里もにこも彼女達なりに過去は受け入れ、皆とは上手くやっている。しかし年長という体裁もあるからか、彼女たちは三人であんまり馴れ合わない。仲の良い三人組になってた可能性もあるかもね、くらいに思ってるかもしれないが。今更、というのも大いにあるかも知れない。

ここで一つ考えられること。希はμ'sのために最大限立ちまわったけど、例えば生徒会のためには何もしてない。絵里と委員たちで全く意思疎通取れてなかったからそれは明白。希がちょいと動けば簡単に解消できたはずである。同様に希はこれまで、にこと絵里を引きあわせたりもしなかった。一年達を知り二年生たちを知り、そしてにこと絵里へも働きかけつつ、μ's結成へと働きかけた。『やりたいこと』を頭から排除し、『やるべきこと』にばかり身を砕く絵里。そして『やりたいこと』を実現出来ず一人きりのにこ。その両者を希はきっと一年生の頃からずっと見ていた。けれど希は、あくまで絵里の傍らに居続けただけだ。にこは世話を焼かれるのを拒んだか、それとも別な理由か。三年生たちの『過去』。絵里とにこ、そして希。それぞれの過去は描かれたが、彼女らの『共通の過去』は作中では殆ど描かれない。
にこを迎えに行こうと言い出したのは希であるらしい。それは恐らく、ごくありふれた人間らしい気持ち。希の心残りというべきか、九人揃ったた後だからそうしたいと思ったというべきか。ウチら三年も、もうちょい仲良くてもええやん? 希のそんな素直な気持ちだろうか。望んだものの上に、更にちょっとだけ欲目が出たとでも言うべきか。何気ないありふれた気持ちであり、そんなシーンだ。
けれど以降、三年生たちは少し仲良くなる。物凄く遠回りして遅くなった。やりたいことを始めるのも遅くなった。そこに悔恨はいっぱいあるのだろうけど、それを露わにしないのも、また三年生、先輩なのかなと思う。後輩たちにみっともない姿は見せられないから。慣れ合う姿も見せたくはない。けれどちょっとくらいはいい。いいやん、みたいな。

さてこの九話。特に作画に気合の入っている回というのも相まり、この序盤、しっとりとして落ち着いた描写が素晴らしく映えている。冬、雪、最終決戦前。本戦ではないのだが、アライズがいるのなら事実上最終戦となる。実によく雰囲気が出ている。個人的に特に好ましいシーンだった。
そうして、学校へ。どうやらこの日、運悪く新入生説明会とラブライブ本予選がバッティングしてしまったらしい。穂乃果海未ことりは、立場上その会に同席しなければならない。理事長は本予選の方に行ってもいいというが、しかし穂乃果は説明会に出るという。この前向きな選択が、のちのち裏目に出る。
一足先にライブ会場へ向かう一年生と三年生。会場へつくと、そのセットの凄さに驚愕する一同。ここで絵里が驚きのあまり穂乃果に電話する。忙しさの渦中の穂乃果は煩わしそうに出る。それは最もな話。絵里の電話にあまり意味がない。何だか妙なシーンという印象以上ではない。現場にいない人間に現場のことを伝えたくなる気持ちはわからなくもないけど。もしくは自分たちの用意した曲に合致するセットだったからか。それは分からない。
運悪く朝からの雪は強さを増し、説明会が一時間遅れとなる。焦る穂乃果たち。玄関外に出ると、何とヒデコフミコミカの神モブ三人が雪ほりをしていた。豪雪地帯新潟の県民である私の目から見ても、服装から腰の入り方からセオリーに則ったいい仕事ぶりだった。流石の神モブである。新入生とその父兄たちの足場確保。つまり円滑な会の進行に一役買っている。ああ裏方たち、相変わらずいい仕事するなと誰もが思うが、これはまだ序の口にすぎない。こんなものは神にとって当然の所業となる。
やがて説明会が始まる。ようこそ音ノ木坂へ。私が生徒会長の高坂穂乃果です!と説明会で元気よく挨拶をする穂乃果。穂乃果の「やりたい」から始まったラブライブ。そうして生まれたμ's。廃校阻止という目的。そして廃校を阻止したことにより変わったこと。失敗したことにより少し変化した穂乃果の成長。ここがそれら全ての頂点であり、一期を受けての二期、という象徴の場面でもある。
μ'sの活動により注目度が増し、音ノ木坂は廃校を免れた。それはある意味で穂乃果の思い付き、やりたいという気持ちから始まったこと。母親が出身であることや、音ノ木が好きだということ。それら全部ひっくるめての「やりたい」となる。やりたいだけの気持ちではないし、やるべき理由だけでもない。そしてアライズを見たことで始まったのが、廃校阻止という活動≒一期だった。
結果廃校は免れ、音ノ木坂は存続することとなる。存続した!よかった!一期ではそれだけで充分で、更にそこから穂乃果暴走というまさかの展開から、本当にμ'sがひとつになる、という落とし所だった。つまり廃校阻止は穂乃果たちの目的ではあったけど、一期という物語の目的ではなかった。廃校阻止した!その事実は変わらず残り続けるのだが、一期の段階ではあくまで『作中展開による設定』だったわけだ。そして、それだけで良かった。
けれど二期はいわゆる廃校阻止後の物語ステージとなる。当たり前だけど廃校阻止して何も変わらない(その辺のことを作品内で書かない)のであっては意味がない。廃校を阻止した、という事実がただの設定にしかならない。前半部でも書いたが、廃校阻止のためスクールアイドル活動を進めていった穂乃果たち。結果として廃校は免れる。

そして廃校を阻止して変わったこと。μ'sのリーダーというのもあり、絵里の推薦もあり生徒会長になった穂乃果。一期での失敗があり、やりたいことだけ追い求める子ではなくなった穂乃果。合宿の時はまだ気持ちの置きどころに困っていたか、寝てばかりだった穂乃果。(寝てばかりという演出はどうかとは思うが……)
常に仲間を気にかけるようになったのは五話から。三話でのクラスメイト達の応援や、ツバサとの接触。四話でのにこと妹たちのことも、影響を与えただろうか。七話での生徒会での失敗も、雨降って地固まると言うべきか。そんな穂乃果だから、生徒会長という「やるべきこと」にも、責任を持てるようになった。廃校阻止し、来年度にも生徒が入ってくる。それは自分の「やりたいこと」から始まったこと。その、やりたいことをただのやりっぱなしではなく、生徒会長として受け入れ、迎え入れ、そして見届ける。堅実な成長を、実に堅実に描いたなと感心した。
実際、説明会では挨拶くらいしか仕事はなかったのかも知れないけど、新しく入ってくる生徒のために、生徒会長という立場を全うしようとし、そして成し遂げた。一期で起きた出来事がここに集約したことになる。音ノ木坂の変化と穂乃果の変化。そのいずれも。そして恐らく、この出来事と、更にその後の出来事を経て、仲間のやりたいことのために二期で走り始めた穂乃果の「やりたいこと」は、更に変化進化していく。

話を本編に戻す。そもそも時間がないのに説明会が押して、予選開始まで猶予がない。ここでアンラッキーに見舞われる。おりからの大雪で交通機関が麻痺して会場までの足がなくなってしまうのだ。徒歩でいけない距離ではないらしく、走っていこうと決意するも、外は大雪。一寸先も見えない猛吹雪。それでも諦めちゃダメだと八甲田山ばりに雪中進行を決行する穂乃果とことり、そして海未であるが、生徒玄関から敷地出口までの間っていうのも後押しして、なにをどうふったたいても絵面的に間抜けであり、演出過多すぎる。取ってつけた大雪とかないわー、と言う声は色んなところでよく見たが、冬なら大雪、特にああいう瞬間的集中的な猛吹雪はありえないことじゃない。しかも、ただ唐突に降りだしたわけではなく、穂乃果たちの前向きな選択の結果、猛吹雪というアンラッキーに見舞われてしまったわけだから。ラブライブ得意の合わせ技であるし、肝心なのはこの後となる。繰り返すが、演出過剰ではあるとは思うし、海未の決意表明などこんなコメディかシリアスか判断に窮するシーンでやることではない。
更にこのシーンに関して、「現実に合わせたな」という捻くれた意見を散見する。4thライブ時の首都圏を襲った記録的な大雪という出来事をフィードバックしたのだろうと。目的はいわゆる熱心なラブライブファンにおもねるため。そんな意見をいくつも見た。
これに関しては、ラジオ等で声優さん直々に否定している。内容への視聴者の解釈を否定するのは滅多にないことだろう。あの段階では既に九話は固まっていて後から大雪シーンを現実に合わせて追加したわけでは決してないのだと。あくまでも偶然であると。実際、大勢で制作に携わるのだからポンと変えられるものじゃない。声優さんがわざわざ言うくらいだから、というのも大きい。
けれど、真偽の程は別として、かなり以前から予定されている4thライブが冬に開催されるからこそ、アニメ本編でも事実上最終決戦となるラブライブ本予選を冬という時期に選定したであろうとは容易に推察できる。現実と作品内とを一体としてプロジェクトを進めるのがラブライブ。ひとえにファンの感情移入度を増すためであり、そうしてラブライブというコンテンツは成長してきた。いわゆる、これまでから何らブレない演出の一つである。現実とのリンク。常に作り手が意識するその点において、こうした『現実との一致』という奇跡の出来事が起こるのは全く自然なのではなかろうか。

そして、学校の敷地外に出たところで吹雪が少しやむ。周囲を見ると道は雪がどけられている。音ノ木坂の生徒たちが総出で雪のけをしてくれていた。穂乃果たちの道を作るために。音頭をとっているのは勿論ヒデコフミコミカの三人。穂乃果たちのためにブーツまで用意して。生徒全員で手伝ってくれているとのこと。二期でこれまであまり仕事をする機会のなかった神モブ三人。ライブ場所が学校外であることが多くなかなかチャンスに恵まれなかったが、説明会前の雪かきで、あー仕事してんなーと思わせておいてこれである。上手に視聴者の予想をいい意味で裏切ってきてくれるのがラブライブだ。
がんばれーという生徒たちの応援の声を背に走る穂乃果たち。これも、一期で廃校を阻止したからゆえの生徒たちからの恩返しとなる。やりたいことをやり通した。その一期を受けての二期。今度は生徒たちが力を貸してくれる。廃校阻止したこと。音ノ木坂のために頑張ったこと。みんな、それを分かっててくれている。そして今応援してくれている。
応援の声を受け、綺麗に雪がのけられた道を行く穂乃果たち。非現実的と云うのは短絡的すぎ。歩いてか走ってか行ける範囲内の場所の雪を、音ノ木坂生徒恐らく約210人が雪のけをする。一年1クラス、二年2クラス、三年3クラスだから、ひとクラス30人としても210人となる。これは凄い数だ。
またここで、明確に穂乃果たちは、応援してくれている人たち、という存在をはっきりと自覚する。自分たちだけじゃない。みんながいる。みんなが応援してくれる。恐らく穂乃果にとっての『みんなの夢』というのは、これ以前まではあくまで身近な仲間たちに留まっていただろうが、ここで明確に見えた『みんな』という存在である。これが九話以降、ラストスパートへ向けての重要な伏線となる。

けれど、素晴らしいシーンではあるのだけど、生徒全員、と言い切るには少し足りない。果たしてかつてのアイドル研究部メンバーは参加しただろうか? それだけでなく、そもそも全員ってのは相当なことになる。そこまでμ'sは浸透し、そして支持を受けているかと突き詰めると、全員と言い切るのは流石に大げさかもしれない。生徒の八割くらいは手を貸してくれるだろうけど、全員と言うには少々無理がある。吹雪の演出過多と合わせ、特にこの九話、冒頭から素晴らしい出来ではあるが、ゆえに少々惜しい部分もある。
そうして会場へ辿り着く穂乃果たち三人。現地にはメンバーたちが待機し今か今かと待つ。駆けて来た穂乃果は、思わず絵里に抱き着く。怖かった、間に合わないかと思ったと。ここ、自分にはわざわざ絵里に抱きついた理由がはっきりとはとらえられない。たまさか一番近かったせいかも知れないけど、もともと絵里から引き継いだ生徒会長の座。やるべきことをしっかりやらなきゃ。けどラブライブ予選もすぐに迫っている。やりたいこと、やるべきこと。色んな事をきっと同時に考えていたはずで、ああ見えて重圧も相当だったのかも知れない。その緊張が途切れて抱きついたのかも。絵里が単純に一番お姉さんっぽいってのも、あるかもね。
そして間を置かずしてライブへ。ステージに立つμ's。それぞれに大好きなもの。想いを傾け寄せるべきもの。一人ずつそれを心で言葉にしていく。そうして最後の穂乃果の「μ'sが、大好きだったから」と。そうして始まる、印象的なピアノのイントロ。スノーハレーション。

八話から通してだけど、スノハレまでの繋ぎはこれ以上なかったと思う。あくまでもμ'sのμ'sのための曲。その想いがピーク値を超え、それこそ光のハレーションのように輝いた結果生まれたのがスノハレ。曲のイメージに違わない道のりだったと思う。ユメノトビラに続くμ's勝負曲の系譜。『みんな』の力添え、雪をのけ道を作ってくれたこと。だからここまで来られたこと。クラスメイト達。メンバーの家族たち。いずれも一期から通して、そして二期で更に明確に広がった『みんな』という存在。彼ら彼女らが応援してくれている。


そしてステージの上では、はじまりの『みんな』が歌う。穂乃果が二期第一話、つまり最初に意識した『みんな』、仲間たちだ。直前の第八話で最高のレベルにまで高まった『みんなの絆』。それを体現する曲、スノハレを歌う。みんなの絆の力で勝つ。
いわゆるフィクションにおいて時折見かける『絆の力』。それをご都合主義と嘲る人は世の中にはいるだろうが、ラブライブは一期からずっとそれを書いてきた。悩んでいる仲間を助けるのは別の仲間。またその仲間を救うのは、以前に手助けした人であったり、他の仲間であったりする。いわゆる『キャラ回』というのをラブライブ!は重ねてきているわけだが、よくあるキャラ回と少し違う。あくまでもμ'sメンバーの問題や悩みは、μ'sメンバーが解決する。それがラブライブ!。他所の第三者だったり脇役だったりしない。辞めると言い出した穂乃果を神モブたちが励ましたくらいで、μ's外の人間が一切絡まない。ある意味で自家中毒になりそうなくらいにμ'sのことはμ'sで、というのを繰り返してきたのだが、絆の力、というのを間違いなく正真正銘に表すひとつの手段であると思うし、象徴としてのスノハレがある。それにより勝負に臨む。
ラブライブは誰かを打倒する話ではない。あくまでも自分たちの内側の話となる。誰かを倒すためのスクールアイドル活動ではない。それが一期。二期でもそれは変わらないのだが、『自分たち』という仲間も、『みんな』の一部なんだと穂乃果が自覚するところが二期の始まりとなる。穂乃果にとっての『みんな』とは、まだこの段階では仲間たちだけだ。それ故の「μ'sが大好きだったから」という想いである。その象徴としてのスノハレ。
また、仲間たちという『みんな』だけでなく、応援してくれる生徒たちという『みんな』が明確に現れたのもこの九話となる。それを明確に穂乃果が意識するのは、あとほんの少し先となる。

そして、スノーハレーションという曲。穂乃果ソロでセットがオレンジ一色になるのも、勿論、ひとつの曲の演出として素晴らしいのはあるし、熱心なファンにとって、何よりも嬉しい演出だったと思う。またこの回はエンディング曲がない。ED曲がダメなわけではないが、スノハレの後にかかるのは間が抜けている。そのへんの感覚もお見事。そうして九話は幕を閉じる。九人のμ'sという『みんな』をここでやり切った瞬間でもあり、そして、自分たちよりも外側にいる『みんな』という存在をキーとして、ラブライブという物語は誰も見たことのない場所へと向かっていく。

ただ、不満が全くないわけではない。
・吹雪中の穂乃果たちが演出過多すぎてギャグにしか見えない
・生徒全員が雪のけしてくれているという話だが、さすがに全員というのは、これまでの一話から九話までから踏まえても無理がある。ほぼ全員、には行くだろうが。それは、旧アイドル研メンバーや、一年生の放送委員の子をうまく活かすことで表せたかもしれないことだけに惜しい。
・遅れた穂乃果たちが会場に到着してからライブまでノータイム過ぎる。同時に、アライズの新曲をやってくれても良かった。

でも、それでもこの九話がダメとか言うのはバチが当たる。これまでの二期、そして一期。アニメ外の展開のこと。そして、これからのこと。そしてそもそものこの九話のこと。不満点を補って余りある素晴らしい出来だったと思う。


<十話:μ's>
九人のμ'sとして走り続けてきた事にひとつの区切りでをつけた九話。ここからラストに向け、また新たな方向へと舵を切り直す。というより、もともと想定されたものへと正面から向かい始める。
晦日の夜、海未とことりが穂乃果の家へ。初詣に行く約束をしていたらしい。お馴染み神田明神へと赴く三人。メンバー達も約束していたらしく、続々と集まってくる。そこで、偶然にアライズの三人と出会う。あけましておめでとうございます、と挨拶する穂乃果。海未たちも続く。やっぱり穂乃果はアライズに、恐らくツバサを特別視している。好意、友好、尊敬、ライバル心、スクールアイドルの先輩。色々なものがあるのだろう。
のんきでマイペースで、でも度胸あって根性もある。そんな穂乃果の誰かにおもねるような、照れるような、緊張したような態度はアライズの前でのみ表される。特にツバサ。やがて、緊張感あるぴりりとした雰囲気に。視線が交錯する穂乃果とツバサ。ここは息を呑む場面。やがてツバサの、優勝しなさいよ、という声で結果を知る。勝つだろうとは踏んでいたけれど、やっぱり勝ってくれた、というのは素直に嬉しいことだし、大きな達成感がある。

とはいえ、勝った瞬間を描いているわけではない。後日談判明式で説明しているだけ。穂乃果達にとってはアライズと話せたことで、勝ったぞ、と再確認出来たに留まるわけであり、勝った瞬間の熱量というのはない。故に、どこか落ち着いている。勝ったのに。決して勝ち負けを競うことがラブライブの本筋ではないが、彼女達が勝ち、皆で抱き合って泣きながら喜ぶシーンだって見たかったじゃないか。四組の演技が終わり、結果発表を待つメンバー達
その後、希の手伝いとして絵里とにこが巫女服で登場する。そこから多少コミカルなシーンも描かれるが、どこか明るくなりきらない。それは夜というのもあるし、本予選(事実上の最終決戦)の後という熱が覚めた後で、そもそもメンバー達も息が抜けている時期だからというのもある。
けれど一番は、卒業。三年生の卒業がもう間近に迫っている。メンバーも、視聴者もどこか終わりを予感して、盛り上がりきれないのはある。時間が進んで欲しくないという気持ち。意図は理解できるが、ラブライブ本戦出場を決めたわけだから、もう少し盛り上げても良かったのではないかと思う。
ラブライブ二期は一期とは異なり、完全一話完結型だ。継続型と完結型、どちらもメリットがあり、そしてデメリットもある。一期ではそれを上手に使い分けていたし、そもそも仲間たちが徐々に揃い、μ'sが大きくなっていく過程こそが『つながり感』を表わしている。そう、例えば一期四話と五話は完結型でそれぞれの物語は繋がっていないのだが、完結型である一話での起承転結と、継続型の繋がりという両方のメリットを発揮している。
対して二期。こちらも例えは四話と五話を用いる。他もそうだし、その二つも一話完結型だ。しかし、既にメンバーは揃っている。やっていることにそれほど大きな差はないのだが、『つながり感』が失われている。その分、ラブライブを目指していくという大目的は常に明示されてはいるのだが、それは目指しているだけだ。絵里がどうしてあんなにも頑ななのか。希があれこれと継続して世話を焼いてくる。凛と花陽とは、少しずつ初対面から知人へとなっていく。真姫は曲を作ってくれ、その後少し後に加入する。にこは最初から何か抱え込んでそう。それらを少しずつ話数を重ねるごとに掘り進めていったことによる『つながり感』はとても大きい。絵里回や終盤の穂乃果暴走のくだりは複数回で丁寧に、継続回としてやってくれたのも大きい。それでも1〜5話はきちんと質の高い一話完結型であるし、6話7話は個人的に好みではないが、コミカルなμ'sが見れる。8、9はラブライブ一期に似た継続回である。

けれど、10話と11話。いずれも重要な回だ。先取りとなってしまうが、10話はテーマに関わる根幹であるし、11話はμ'sの進退という大事な回だ。それらの回を一話完結型でやるのは流石に無理があったんじゃないかと思う。大きな結論が終盤でいずれも出るのに、それを一話完結で盛り上げるのは、そもそも無理がありすぎる。6、7でも感じたが、10、11も一期の絵里回のように継続回にしてくれたなら……。6、7は継続回として前半迷走しつつも楽しく、後半で失敗を全力で取り返す。そして10、11はその大いなる決断のために、ツバサや亜里沙、雪歩を前半中盤で絡めつつ、終盤へと走って行って、大いなる決断に辿り着いて欲しかった。というのが、私の些か我が侭過ぎる希望であった。10、11はそれぞれ完結型としても、それほど悪くはないし、方向性は全く間違っていないのだが──惜しい。率直にそう思った。

話を本筋に戻す。三年生たちのところへ亜里沙が現れる。来年は音ノ木坂に合格してμ'sに入れますようにとお願いしたと、楽しげに語る亜里沙。しかし絵里はなんとも言えない顔。この辺りについては近く明かされる。けれど視聴者はある程度察しがついてしまう。それは視聴者の気持ちもμ'sの気持ちも一致する部分であり、余計に寂しさが募ってしまう。
冬休み。けれどラブライブ本戦を控え、練習をするμ's。ここで入念な柔軟体操の入念な描写が、本戦のルールなどについて話し合い、説明しながらのシーンとなるが、ちょっと間が抜けていて可笑しい。入念にも程があると。柔軟にしろ描写にしろ。
そして、キャッチフレーズを決めようと言う話になるが、これといったものは浮かばない。穂乃果とことり、そして海未が学校の外に出ると、そこには綺羅ツバサが。穂乃果に会いに来たのだという。三話でもそうだったし、この10話でもそう。ツバサはいつだって海未とことりの間から穂乃果をさらっていく。
さて。穂乃果とツバサの二人は、湖のある公園の湖畔で二人きり。ベンチに座り穏やかに話す。が、ツバサの内心はそこまで穏やかではないだろう。対する穂乃果は憧れの存在と二人きりで恐縮しきり。試合で勝ったとしても穂乃果の中での最初の火はアライズに灯されたのだから。また穂乃果にとってはやはり、勝ち負けがどうしても大事ではないことが分かる。
ツバサは、どうして自分たちが負けたのか、アライズとμ'sの違いは何なのか。μ'sを突き動かす原動力とは何なのか。それを知りたいという。けれど穂乃果にもこれといって思いつかないらしい。
勝ったのはμ'sという『みんな』の絆であり、応援してくれる『みんな』の夢である。それを表現したスノハレであるが、穂乃果としては自分の気持ちに正直で精一杯だっただけであり、理由ははっきりわからない。ただ、アライズがいてくれたお陰でここまで頑張ってこれたのだと、穂乃果は率直に素直に伝える。それは、ごくごく真っ当に納得できる正直で素直な回答だ。こうして穂乃果がテレテレでツバサに相対していること。九話でぶつかったこと。三話でアライズ側からコンタクトを受けたこと。一期十三話でアライズがμ'sのライブを見ていたこと。それは全て、一期第一話で穂乃果がアライズのPVを見て、スクールアイドルを始めたからなのだから。

穂乃果がツバサに対してはやはり、明らかに緊張の度合いが違たり、少しよそ行きな感じがするのはリスペクトか、それを超えた何かがあるのか。やっぱりここでも分からないのだが、穂乃果とツバサ。恐らくセンター同士で、実物の方がずっと素敵ねと言わしめるほどには、穂乃果を気にかけているツバサ。この二人の繋がりが必要だった理由。
それは恐らく、こうして穂乃果に問いかけることに他ならなかったのではないかと思う。どうして負けたのか。μ'sの原動力とは何なのかと。これまでの穂乃果にとって、あくまで仲間たちのみであった『みんな』が、応援してくれる生徒たち様々な人を含めた『みんな』へと広がるための一石を投じること。この問いかけ、μ's内でやるには間が抜けてしまうし、神モブたちが絡むにはμ'sに直結しすぎている。雪穂や亜里沙は脇役であるし、また別の役割がある。すると、ツバサしかいない。μ'sに負けた立場、負けるべき立場だったツバサだからこそ。他の誰かには出来ない(できにくい、くらいか)の問いかけとなる。そのために三話から準備された穂乃果ツバサのラインとなる。と、私は考える。
三話はまさしく颯爽と現れた綺羅ツバサであるが、ここ10話では恐ろしいほど地味な役回りのみを引き受けている。つまり役割を果たすのみに終始しているし、どこまで行っても「話しているだけ」である。
アライズはよくあるライバルキャラではない。かといって切磋琢磨して高め合う関係とも少し違う。そしてラブライブは誰かを打倒する話ではない。するとアライズの本当の役割とは何だったのか。穂乃果に問いかけるという用意された役割は果たせたものの、『みんなの夢』というテーマに沿わせただけだ。
ここで少し、考え方の切り口を変えてみる。一期にあって二期にないもの。(逆に二期にあって一期にないものもあるが)その一つに、『大きな障壁、大きな困難』というものがある。一期においてそれは、ことりの留学、穂乃果の自暴自棄からのμ's空中分解の危機だった。やりたいことをやる。そのためのμ'sが形成される物語。それを力強く描いた一期にとって、μ's空中分解とは真っ向からテーマ性に相対する困難である。二期においても、ラブライブ出場、優勝を目指していくという『みんなの夢を叶える』というテーマがあり、それに対する困難として、合宿でのスランプや生徒会の失敗等、小さい困難はあるものの、頂上が見えないほど大きく高い壁ではない。
そして、仮に一期のような高い障壁を用意するならば、『みんなの夢を叶えるための障壁』を用意するべきだった。アライズは確かにラブライブ出場を目指すための障壁であるが、それはただの障壁にしかならない。穂乃果とツバサのライン。スクールアイドルの王者。そして『敗者』でもあるアライズ、そして綺羅ツバサ。この幾つかのパーツを使い、二期のテーマに沿った一期のように高い障壁は作れたのではないかと思う。いや、作って欲しかった。ただのライバルではない。穂乃果にとってはアライズですらも『みんな』であり、けれど生徒たちやにこの妹たちのように素直に応援してくれるとは限らない。何故なら敗者であるのだから。自分たちの敗北を受け入れられないとしたら、応援は出来ない。『みんなの夢』であるμ'sのラブライブ優勝も、ツバサにとっては夢となるはずがない。
作中でツバサは敗北を素直に受け入れ、この後はμ'sを応援していくスタンスを取る。けれどここは、敵が味方となる瞬間となる。元々の敵ですら『みんな』の一人となること。バトルモノであるなら、より大きな敵の出現によりライバル同士が手を組むのは王道であるが、ラブライブにおいてアライズすら凌駕する邪悪なスクールアイドルなど現れるはずもない。ならばその大事なポイントでラブライブらしく困難を乗り越えるドラマを見たかった。アライズという大きな存在を活かすことで。そうであったならと思ってやまない。

話を本筋に戻す。本予選当日、手伝ってくれた音ノ木坂の生徒たちを穂むらに招き、お餅を振る舞うアイドル研究部。お正月であるし、穂乃果たちらしいお礼の仕方ともいえる。たくさん集まった「みんな」を見、そしてツバサに問いかけられたこと。徐々に穂乃果の中で線を結び始める。
そしてその後、神田明神での練習中に、μ'sを応援するたくさんの絵馬を見つける穂乃果たち。これは明らかに「作品の外」、つまり現実を意識した演出でありまた、作中で絵馬がかけられてもこの段階のμ'sならば全くおかしいことはない。一期からずっとひたむきに活動を続け、活動の場所をどんどん新しい場所へと移していき、そしてアライズに勝ったのだから。二期冒頭で全くそんな風ではなかったのに、この10話ではそうであってもおかしくないと納得できる。
何故勝てたのか。恐らく穂乃果にははっきりとは自覚できていないしこうだと断言できない。けれど、自分たちが活動を続けられたこと、勝ったことも含め、ここまで来れたこと。それは間違いなく、自分たち以外の『みんな』に支えられてきたからなのだと実感する。雪穂、亜里沙、神モブ、雪かきしてくれた音ノ木坂の生徒たち、にこの妹たち、親たち。そして「みんな」というのは画面のこちら側の視聴者たちも含まれる。絵馬を吊るし、熱心にμ'sを応援している自分たち。
そうして、キャッチフレーズが完成する。みんなで叶える物語、と。二期のキャッチフレーズでもあり、二期以降ずっと掲げられていたこと。それをキャッチフレーズと穂乃果たちは決め、10話は幕を下ろす。

二期において非常に重要なパートであり、ターニングポイントとなる話である。一期でのことり留学の失敗。そして再生。二期で生徒会長となり、自分のやりたいことだけでなく、仲間のことを見れるようになり、そして外向きになった穂乃果の視線が、更にμ'sの外側の「みんな」へと向けられ、穂乃果の「やりたいこと」である「みんな」と共に進んでいくこと、叶えること(現時点ではラブライブ本戦優勝)に、μ'sの外にいる人々も含まれることとなる。
主人公の最終ステージへ向けた意識変化の回であるが、どうにもややぬるい作画レベルも含めて、全体的に地味で熱量の不足気味なエピソードとなってしまっている。キャッチフレーズが明らかになる場面はそうであるが、見所というのにも欠ける。というより見所がない。
九人のμ'sのある意味で頂点を描いた直後であり、「みんな」という周りに目が向く回でもあったわけだから。九話まででは徹底して九人を描いてくれたわけで。方向性は理解できるが、もうちょい……もっともっと頑張って欲しかったと思える10話だった。エンドシーンに向け、新たな方向へ加速していく。ある意味で九話と同じくらい大事な場所であったのだから。むしろ二期のどの部分よりも大事だったんじゃないかとすら思う。二期四話部分で同じ事を書いたが、テーマに則った内容ではあるが、穂乃果の意識が外に向く瞬間。この辺りのエピソード、もっと詰めて欲しかった。



<11話:私たちが決めたこと>
亜里沙と雪穂の音ノ木坂合格発表からはじまる。10話での態度からの通り、亜里沙はμ'sに入れるとはしゃいでいるが雪穂はどこか浮かない顔。μ'sって来年はどうするんだろうと。それはメンバー達は意識してたこと(でもしないようにしてた。卒業という言葉禁止としていたくらい)。本人たちはそれこそ卒業式までずっと意識しないようにしたかも知れない。でも、そうもいってられなくなる。それは本人たちでなく、次の世代が入ってくることで、いやがおうにも意識せざるを得ないこととなる。
亜里沙たちの合格について話すメンバー達。二年一年組は、彼女達がμ'sに入ってくるかも知れないと肯定的な気持ちをあらわにするが、その前に考えなきゃいけない事がある。三年生たちは当然、去りゆくものとなってしまうわけだから、一概に喜ぶわけにはいかない。にこは、私たちが卒業してもμ'sをやりなさいと叱咤する。それは非常ににこらしい意見。現実のアイドルがそうであるし、メンバーが代替わりするから、それが嫌だからやめる、というのは甘えになる。これまで避けてきた事柄であるから、メンバー達もそれぞれにそれぞれの意見や気持ちがある。
最後の絵里の一言。私たち(三年生)には決められない、ということ。μ'sのことはμ'sに残る人たちで決めて欲しい、と。それは確かに意見としてもっともな内容のものだ。μ'sは部活動でもあるから、卒業する自分たちが在籍し続ける、という選択肢はない。また得意の一般論かと見えなくもないが、一般論でありながら同時に絵里の気持ちが篭っているからこそ、メンバー達の心には届くし、視聴者にも同様に。もちろん止めてほしくはない。にこのように、続けねばならないという義務、使命感、責任感ではない。止めて欲しくない、という率直な気持ち。けれど自分たちのいないμ'sにμ'sを続けろというのもまた酷な話となる。それも気持ちの問題となる。率直な気持ちをそのまま込めたものが、私たちには決められない、という言葉となる。だから仲間たちに届く。

穂乃果が帰宅すると、亜里沙が来訪していた。遊びに来ている亜里沙がμ'sの物真似をする。かなり練習しているらしい。それを見て穂乃果は戸惑う。絵里もそうだし、穂乃果もそう。ことりや、花陽たちはそこまでではないが、絵里や二期の穂乃果はμ'sというものを多少俯瞰して見ている部分もある。果たして自分たちではない人間が入り、それがμ'sなのか?という葛藤だろうか。俯瞰した意見であり、九人のμ's、というものに対する並々ならぬ想いでも同時にある。
結局、雪穂が亜里沙に言い聞かせる形で、亜里沙はμ'sを諦めることとなる。同時に穂乃果も、μ'sというのは九人でμ'sだからと断ろうとしていたはず。苦しい選択とはなったはずだろうけど。亜里沙が好きなμ'sって一体何なの?という雪穂の問い。それは、取りも零さず九人のμ'sだから。自分の加入したμ'sではないはずだから。最も根源的なところ。自分たちも、何が好きでラブライブ!を見てきたのか?それは九人のμ'sが好きだから見てきた。亜里沙が入ったら?雪穂が入ったら?考えたことがないわけではないけど、それはただの空想であり二次創作。メンバーの変わったμ'sを見たいか?と言われれば、あるなら見るかもだけど、何が好きだったのか?という問いには、亜里沙と雪穂のいるμ'sとは答えられない。視聴者の素直な気持ちとも一致する(けど目を背けてきた、考えないようにしてきた、というのも一致となる)そういうシーンとなる。
が、どうして雪穂がそういうことを亜里沙に言えたのか?というのが疑問と言えなくもない。10話で雪穂はμ'sが危なっかしいというようなことを穂乃果と話していた。それはμ'sを見る目というより、まるで穂乃果を見る目である。だからこそだろうか。亜里沙ほどμ'sに入れ込むことはなく、勿論好きで応援はしているだろうが、「入りたい。μ'sになりたい」とは思わなかった故だろうか。そもそも距離があった。だからそういう客観的な意見を亜里沙に伝えられた、のではないか。
亜里沙に伝え教えるのは雪穂しかないだろうし。何が好きなのかと問うのもよくねられた、視聴者のことも組んだ言葉となる。(10話もそうだし、以降視聴者側とのリンクが特に見え始める)そして亜里沙がそれを言われたならば、おそらくは誰よりも身に沁みるのではないかと思う。九人のμ'sを好きであればあるほど、その理解と自覚は深くなるだろう。亜里沙がここで、まるで自分に言い聞かせるように自分のμ'sへの想いを語るのは、まさに視聴者の気持ちそのもの。
けれど、材料は揃っているものの、10話のツバサと同程度には亜里沙の物分かりが良すぎるという嫌いがある。同時に雪穂も物分かりが良すぎると言うべきか。女達に描写を多く割くわけにはいかないのだろうが、それでももう少し、ドラマが見たかったなと思う。夜に雪穂に問われ、翌日には受け入れている(十全にでは明らかにない無理しているのは伝わるが)のは、ノータイム過ぎる。出来事を並べただけである。10話でも、このシーンに繋がるセリフは亜里沙、雪穂はちゃんと話していた。一話完結型のデメリットがここ、10、11で顕著となってしまっている。前の回で話していたな、という理解に留まってしまうのだ。重ね重ねとなるが、パーツは揃っていたし方向性も合っている。故に惜しいと言わざるをえない。

とはいえ、この11話で本当に重要なのは後半シーンとなる。10話で重要なのは穂乃果の意識変化となる。描くべきこと、伝えるべきことと起伏あるドラマとして両立させることは難しい。どちらかというとテーマ性も重きをおいている二期における、一話完結型の作劇は、その話の中でそれぞれ起伏を作らなきゃならない。加えてテーマ性とすり合わせながらとなる。難しい部分となるが、もう少し頑張って欲しかったなと思う。重ね重ね恐縮ではあるが。
亜里沙の件に一段落がつき、そして穂乃果の中でもひとつの答えが得られ、そして後半へ。みなで遊びに行こうとなる。九人で遊びに行くことは無かったらしい。そういう印象は無かったが、合宿も確かに活動の一環となる。ボーリングやゲームセンターで楽しく思い思いに遊ぶ一同。純粋に楽しみ、楽しんでいる。けれど、それが無理に楽しもうとしてるようにも見えてしまい、辛い部分でもある。勿論、楽しい部分でもあるけど。
そして最後、夕暮れの海へ。穂乃果の行きたい所。真姫から、覚悟はできてる?と言われる穂乃果。ああ、二年一年は、言う準備をしてきてるんだ。恐らく決定的なことを。

ここから先は、語るべきことはあまり多くない。亜里沙ではないけど、μ's、ひいてはラブライブ!への熱量が大きければ大きいほど、大きなシーンとなる。きっぱりとはっきりと、μ'sはおしまいにします!と断言するのは、穂乃果たちらしいしラブライブ!らしい。意志を持って始め、そして意思を持って終わりとする。潔い決断であり、同じ場所にとどまらず前に進み続けるラブライブ!、そしてμ'sらしい決断である。一期の合宿で並んで海を見ていたけれど、そしてまた海で終わる。一期合宿の後に穂乃果暴走のエピソードとなるが、ならば海から九人のμ'sが始まり、海にて終わることとなる。
これまでのことが、終わってしまう。終わりたくはないけど終わらせなきゃいけない。語ることは無限にあって、逆に何も語れない。最初からずっと、頭の天辺からつま先までラブライブ!はμ'sのことをずっと描き続けてきたわけだから。余計なものは無いし余計な人もいない。たった一年足らずの時間だったにも関わらず、なのに、様々な事があった。なのに、たった一年だったんだ、と。九人からとなるともっと短くなる。希が、μ'sという名前をつけたこと。どんな気持ちで名前をつけたのか。それはスノハレの歌詞の一節にも当てはまるし、何だろうな。二期で希のそんざいが凄く大きくなって、亜里沙の気持ちも視聴者と一致するところではあるんだけど、希がいたから、というのが凄く尊い。九人が集まったこと。偶然と必然。それぞれの悩みを乗り越えたこと。協力しあって歩んできたこと。希の気持ちというのがあるから、それらそれぞれがひとつの線になる。そんな尊いものが終わってしまう。それはメンバー達にとっても、視聴者たちにとっても等しい。これまでに起きたことは、全てがμ'sだったのだから。

たくさん泣いて、一生分くらい泣いて、そして場面は部室へ。ホワイトボードに海辺の駅で取った写真をくっつけ、ラブライブ優勝と書く。悲しいし辛いけど、もうその悲しいことに対して泣き尽くした。あとはみんなで走っていこう、終わりに向かって。これ以上ないくらい爽やかな青春だと思う。こんな青春過ごしたかった。視聴者の人には過ごした人もいるのだろうけど、そう思わせたら勝ちだと思う。Aパートに不満がないこともないが、大事なシーンを大事に描いてくれた。それだけで充分過ぎる11話だった。


<12話:ラストライブ>
ラブライブ本戦の発表順くじ引きから始まる。穂乃果の薦めでにこがくじ引きをする。その結果が最後というのは、相変わらず運がいいのか悪いのかというところではある。
そうして、本番前日の練習を終え帰宅、となるはずだがみな、最後の練習であることから別れがたい。結局、学校宿泊を決行する。ここでことりが、理事長の娘というコネを活かし、宿泊許可を取り付ける。これまで親子らしいやりとりのない冷たい印象を受ける母娘であったが、きちんと母娘していて、最後の最後できちんと安心させてくれる。
夜の学校、寝間着で屋上へ。そして夜の街並みの照明を見、穂乃果が、それも「みんな」の光なんだと意識する。
この十二話、実は書くことがあまり多くないw けど見ている時間というのは確か異様に早く感じた。もう全部やりきった。もう悔いはない。そんな気持ちを端々に感じる。
そしてライブ当日。親たちや友達、仲間、後輩、そしてアライズもμ'sを応援している。そこで披露された新曲。衣装は、どこかはじまりの衣装、スタダ三人版をモチーフにしたような、正統的だけど、ちょっと古い感じ、古風な感じ。そんな衣装。そしてみんなで叶える物語、というフレーズが込められた曲。歌を終えてもまだやまない歓声。穂乃果がかつての講堂ライブのことを思い出す。いつかここを満員にしてみせます!と決意したこと。今、それが叶っている。何も無いところから初めてここまで来たこと。泣きそうな穂乃果と、そして徐々にアンコールへと歓声が変わっていく。
そうして、あの衣装に着替え、再びステージに出て行くμ's。始まる曲は、一期OP曲、僕らは今の中で。ラブライブという場所に到達したμ's。みんなで叶える物語、というのを達成したのだ。それが、それだけが存分に描かれた十二話だった。



<十三話:叶え!みんなの夢─>
そして、最終回。ラストエピソードとなる。卒業式当日。送辞ができたできたと朝っぱらからテンションの高い穂乃果。OP曲は無し。ススメトゥモロウをワンフレーズはさみ、一期一話を思わせる、私、高坂穂乃果!という元気いっぱいの語りから最終話はスタートする。これよこれ、この前のめり気味の威勢いいテンションがラブライブだ! と思わせる最終回の出足である。
学校へ行くと、何と矢澤家の人々勢揃いで、まさかの矢澤母まで登場する。にこの意外にマザコンな姿でほのぼのとさせつつ、一同は部室へ。見せたいものがあるとのこと。それはラブライブの優勝旗。そう、優勝したのである。このシーン、冒頭からテンションが高くラブライブらしいパワーを見せつけてくれる十三話にふさわしく、非常にコミカルで明るく、楽しくシーンを描いている。最終予選でアライズに勝ったのだから、事実上ラブライブ本戦でも優勝したようなもの。最終決戦へ向けて、六話七話という失速はあったものの、『みんなの夢』を基軸に物語を積み重ねた。九人のμ'sの最高の到達点であるスノハレも描いた。そうして得た本戦出場という切符であり、アライズを負かした。故にラブライブ本戦で優勝することにも疑問は無い。『μ'sが勝つ』という道のりは、既に最終予選で書かれている。同じ事を二度書く必要は全く無い。並み居るスクールアイドルを倒していく話ではないのだから、勝負事を描くのは一度だけでいい。
ただ、10話でも書いたことであるが、『勝った瞬間』のμ'sは描いて欲しかったなと思う。本予選後でもいい。ラブライブ優勝の後でもいい。これ、いずれの場合も結果が後から描かれる方式である。先程同じことを二度書く必要は無いと言ったが、この場合にも当てはまる。どちらかが結果が後から判明する方式ならば、片方は結果が判明した瞬間を描いて欲しかった。

そうしてもうひとつ。これはもはや構造的な欠陥だったのかも知れないが、アライズに勝利したことにより、ラブライブ本戦が消化試合になってしまったことだ。あくまで個人的な気持ちであるが、本戦を勝ち進んでいくμ'sを見たいか?と言われればノーだ。九話、10話で散々書いたが、アライズに勝つこと。それは、『勝利』というただそれだけの意味があったわけではない。八話でのμ'sの絆。九話での『みんな』の力添え。10話で穂乃果がツバサに問われてより広い『みんな』に気付く。あの勝利にはとてつもなく大きな意味があった。それ以前にも、それ以降にも。しかし、結果としてラブライブ本戦は消化試合になってしまった。あちらを立てればこちらが立たずだが、いちラブライブファンである私に言わせてもらえば、気持ちとして全く正しい場所に収めてくれる展開だと思う。つまり『正しかった』と判断する。二期において『みんなで叶える夢』は、ラブライブ優勝であると定義されている。が、個人的な気持ちとしては、正直負けたっていいのだ。ラブライブに出場出来なくとも、アライズに勝てなくとも。穂乃果たちが穂乃果らしくμ'sとして進んでいってくれるのならば、それだけでいい。ラブライブの醍醐味は、誰かを打倒することじゃないのだから。
勝って喜んでくれるならそれはそれでこのうえない。けれど、負けて悔しがってくれるのも、それはそれで構わないのだ。彼女たちが彼女たちでありさえすれば、勝敗に関係なく応援をする。音ノ木坂の生徒たちだって、にこの妹たちだって、そして絵馬を吊るした人々だって、きっとそうだ。
勝ち負けではない。だから、勝ち負けを競うラブライブ本戦を描いて欲しいとは望んでいない。それが率直な気持ちとなる。故に構造的な欠陥を抱えているにせよ、視聴者の気持ちに添っているのならばそれはひとつの最適解なのではないか、と、思う。

穂乃果は最後の準備のため生徒会室へ。部室で油を売っていたためどうやら遅れたらしい。先んじて来訪していた海未に詰め寄られる。まあまあとなだめることり。一期でのことり留学を経て、三人は三様に少しずつ変わった。穂乃果は勿論のこと、海未は恥ずかしがり屋は据え置きだが、少し穂乃果らしくなった。(時折頭のネジが飛んじゃうというかつての設定に戻ったとも言えるのだが……)。そしてことりは芯が強くなったように見える。けれど、それを踏まえても三人が三角であることは変わらない。各辺の長さもだいたい同じくらいだ。
穂乃果の変化は二期のテーマに直結するものであるから十二分に描かれていたが、実はことりと海未は二期であまり掘り下げられていない。小さな変化はそれぞれに見て取れるものの、それは少し残念なことである。一年生達。そして三年生たちも、ぎりぎりで人間関係が少し成長した。ならば二年生も関係性に成長の兆しが見えて欲しかったというのが正直な気持ちだ。

さて、穂乃果は自信作らしい送辞の内容を海未とことりに見せると、二人は穂乃果らしいと笑う。体育館では、ヒデコフミコミカの三人や、他にも大勢の生徒たちが卒業式の準備をしている。神モブたちは、なかなか照明が上手くいかないと試行錯誤している。照明に定評のある神モブの三人らしくて、きっと誰もがにやりとする。完全にこれまで裏方に徹してくれた彼女達の、妙に人間らしいワンシーンである。ちなみに送辞の件と照明の件。これはちょっとした伏線となる。
探し人がいたのか穂乃果が中庭へ出ると、髪型を変えた希がいる。絵里を穂乃果は探していたらしい。ただそれだけのシーンなのだが、ここで穂乃果が足踏みを止めないことなど、実に穂乃果らしい。ラブライブ優勝という『みんなの夢』を叶え、一期冒頭の穂乃果に戻っているのかも知れない。けれど得た経験、出会った人、成し遂げたことは無くならない。たった一年間の間に起きた山ほどの出来事。一期一話と似ている。けれど全く違う穂乃果なのだというのが、この一期らしい穂乃果を見ると逆に実感してしまう。
再び穂乃果は生徒会室へ。あっちへ行ったりこっちへ戻ったり。それもまた、一期の穂乃果らしくあるが、中身は少し違うのだろう。生徒会室で絵里と会う。新旧生徒会長の、ある意味で『最後の引き継ぎ』だ。最初の引き継ぎは描かれていないけどね……。きっと、海未やことりにきちんと説明していたことだろう。
穂乃果が絵里から受け継いだもの。そして絵里が穂乃果から教わったもの。それって何だろう。廃校を阻止できなかった生徒会長である絵里は、「あの頃からみんなに助けられてばっかりだった」と言う。絵里を助けたのは穂乃果だ。感謝もあるし、出会いからのことを思い返せばきっと負い目もあるだろう。初めは穂乃果たちを否定していたのだから。穂乃果はけれど、「絵里ちゃんの想いのつまったこの場所だから頑張れた」と答える。絵里から引き継いだ立場だったから。推薦してもらえたから。前任がつまり、絵里だったから頑張れた。そういう意味だろう。
これは推察となる。しかもはっきりした論拠はない確信に足らない推察だ。けれど、前任生徒会長と現役の生徒会長。この二人の間に他人の目には映らない、入り込み難い、おかしがたい関係性があったっていい。彼女たちにしか分からないこと。ただ絵里と穂乃果のシーンと捉えてもいいし、推察(邪推レベルであるがw)するなら幾つもピースは揃っている。絵里と希、凛と花陽のような。ちょっと特別な関係。そんなものを感じ取れた。絵里と希のその後の会話。「もう立派な生徒会長やね」と。それはみんながもう、充分に知っている。

そうして、卒業式。理事長の挨拶から幕を開ける。ここ、理事長にのみスポットライトがあたっているが、そんな演出は普通卒業式でしないw けれどラブライブならそれでもいい。ひとつひとつの演出がより映える。ちょっとやり過ぎぐらいに演出を過大にするのがラブライブ。九話の雪中行軍はやり過ぎだが、それぐらいに思い切ってやってもらった方が見ていて楽しいし、伝わってくる。
次に、生徒会長穂乃果の送辞となる。穂乃果の就任挨拶から始まり、九話の生徒説明会での挨拶。そして三度、穂乃果の最後の挨拶となる。一度目は勢いに任せ発進し、そして失敗した。二度目は恐らく、挨拶をちゃんと出来た。(全て描かれてはいないが、失敗したとも言っていない。つまりきちんと出来たのだろう)そして三度目となるこの送辞。
比較的落ち着いた滑り出しから、あれ?穂乃果らしくないぞと思わせつつ、「実は私、こういう挨拶が苦手だったんだなって気付いたんです」と素直過ぎる告白。ここで絵里とにこが、本気で困った顔をしていたのが個人的に可笑しかった。けど、穂乃果はその先もきちんと用意していた。スクールアイドルを通して歌うことが大好きだと気付いたと。だから、卒業する先輩がたを送るために歌います、と。
実は穂乃果が歌うことが大好きだと言うに足る根拠は作中で描かれてない。ずっとアイドル活動していたのだから、という自然な納得はできる。声優さんの気持ちに合わせたと言えなくもない。でも、それでもいい。ここまで前へ前へとスクールアイドルとして進んできたことそのものが、この場面の説得力となる。
卒業式の私物化だとか、式典ではなくこれでは生徒会主催の卒業生を送る会だとか、突っ込みどころは山のようにあるだろう。けれどこれだって「ここまで来た」からこそ見る人を納得させられるのだと思う。
穂乃果が歌い出したのは、μ'sがまだ始まる前の曲。愛してるばんざーい!だ。海未とことりに知らせていたこと。恐らく他のμ'sメンバーにも。そしてきっと、ライブでも演っていたのだろう。穂乃果からステージ上でピアノを奏でる真姫。そしてことりと海未から、花陽と凛へ。やがて生徒全員での合唱となり、卒業式の盛り上がりは最高潮を迎える──が、そういうのはそもそも卒業式じゃない。もっと式典的で厳かなものであるが、「卒業を祝い、送り出したい」という気持ちをこうして体現できるのは素晴らしいことではないか。ただの卒業証書授与式じゃない。卒業生たちも涙と共に皆と歌い、Aパートは幕を閉じる。

場面切り替わりBパート。部室となる。このすっぱりとした切り替えもラブライブの特徴でありいい所。特に最終回、明るく元気よく、卒業式ではしんみりと、ラブライブらしい緩急が冴えている。
さて部室では、にこが私物である数々のアイドルグッズを整理していた。その量に驚いている一年生たち。途端寂しくなってしまう部室の棚であるが、次の部長が資料として私物を持ってくればいいと言う。そう、花陽、あなたがねと。
次のシーンでは、何故か黒板に派手な文字や装飾が描かれており、その前にはこれまた何故か王冠とマントを羽織った花陽が、しっかりそれらを着込みつつも無理無理無理ーと嘆いている。手には伝説のアイドル伝説。前部長からの引き継ぎの品だろうか。穂乃果と絵里との引き継ぎに比べ、こちらはぐっとコミカルな雰囲気で実に彼女達らしい。花陽にとっても視聴者にとっても唐突がいいところであるが、けれど「確かに花陽しかいねーな」と頷けてしまう。アイドル研究部なのだから、アイドルが大好きでなくてはそもそも務まらない。突き詰めればそうでなくともいいのかも知れないが、二年生だと生徒会との兼務となる。ならば一年生。だとすると花陽となる。凛がリーダーで真姫が副部長という「収まりの良さ」も一役を買う。一年生たちの場合、三人が三様にバランスが良いというべきか、誰かが特別に存在感が抜きん出ているわけではない。みんな同じぐらい。二期五話を経て、凛も充分にリーダー役をこなせるようにもなった。実にいい正三角形的バランスだ。真姫も真姫で「べ、べつにいいけど!」ともはや素直なんだか捻くれてるんだか可笑しな態度。
やがて九人が揃い、中庭でのコミカルなやり取りをはさみ、芝生の上に扇型に寝転ぶメンバー達。スクフェス初期のタイトル画面や一期OP?ED?でもお目見えする。昔から見る絵だ。きちんとこういうものを作中に組み込んできてくれる。それに意味は無いのだが、無いと寂しいし、折角なら入れてくれよとなる。そのへん心得たプロの仕事だ。

一同は屋上へ。もうあとは学校を去るだけ。名残を惜しむように、学校を巡っていき、最後に辿り着いた場所。一番慣れ親しんだ場所だ。屋上といえばμ's。穂乃果は水に濡らしたモップで『μ's』という文字を書く。二期EDでお馴染みだ。直ぐ消えちゃうねと淋しげな声に、それでいいんだよ、それでと穂乃果は答える。そして文字に向けて深々と礼をする一同。青春、スポ根。そんな言葉をやはり彷彿とさせる。
一人また一人と思いの丈を尽くしたように屋上から出て行く。最後に残る穂乃果も屋上を出ようとするがその時、かつての思い出。屋上でのメンバー達との練習の光景が穂乃果の中に浮かぶ。まるでつい昨日のように思い出せること。それらを夢中で駆け抜けてきたこと。
『みんなで叶える夢』という二期のキーワードは、二期のテーマでありそのまま二期の穂乃果の目的、目標となる。一話の神田明神で皆に励まされ、そして皆の夢を知る。そのために『みんなの夢を叶える』という新たな『やりたいこと』を胸に再起した穂乃果。二話ではまだ寝てばかりいたが、三話でアライズとの接触により再び、完全に火がつく。四話でメンバーの家族の夢を、そして五話でメンバー個人の夢にも触れ、『みんな』という仲間を正しく受け止められた。八話で本当に自分はμ'sという『みんな』が大好きだと自覚し、九話で明確に自分たちメンバー以外の『みんな』に助けられ、自分たちだけじゃない。みんながいる。そんな気持ちと共にステージに大好きなμ'sを最大限にぶつける。10話でツバサに問われ、そして自分たちの夢は、もっと大勢の『みんな』の夢であることを知り、ラブライブ出場、そして優勝が、『みんなで叶える物語』として穂乃果の中で正確に一致する。あとはもう、突っ走るだけ。三年生の卒業でμ'sを終わらすと決意し、あとはラブライブに向けラストラン。
そうして光のように駆け抜けた今。ラブライブで優勝し、もう思い残すことは何も無い。目指した夢も叶えることが出来た。もう他には何も要らない。全部やり切った。「やり遂げたよ、最後まで」と穂乃果。
そうして劇伴曲、Oh,Love&Peaceが流れる。卒業をモチーフにした曲であり、ススメトゥモロウは特別として、既存のμ'sの曲が劇伴として使われるのは初めてだ。割とよくある手法ではあるのだが、ミュージカル風や脚本に沿ったライブ等、ラブライブの得意技が多くあったこともあり、この劇伴という古典的な手法が逆にとてもよく映える。誰も予想しなかっただろう。けれど流れてしまえばすんなりと受け入れられる。すでに皆が大好きな曲なのだから。

メンバー達は学校を出、音ノ木坂の敷地と外を隔てる入口へと辿り着く。後はもう、学校を出るだけ。二期で特にこの場面のシーンは多く描かれた。けれど今日も明日も続いていく場面ではない。もう今日で最後の帰路へつく場面となる。ああ、終わっちゃうんだ。でも、μ'sは全てをやり遂げた。そうして終わらすことを彼女達自身が決断した。ならばそれを後は最後まで見届ける。『見届け遂げるだけ』そんな苦しいけど前向きな気持ちで視聴者も、そして私も食い入るように眺めていた。
その時、携帯電話の着信を知らせる間の抜けた音が響く。おや?と誰もが思う。そしてそれが花陽の携帯が出処というのは程なく判明する。視聴者は恐らく「おいおいおいおいおいおいちょっと待てーーーー!」とおよそあらゆる全てのμ'sへの、そしてラブライブへの切ない想いが吹き飛んだことだとろう。
「ここはお前のケータイが鳴っていい場面じゃねぇぇぇぇぇぇ!!花陽!お前のケータイが鳴ったら、終わんねーじゃねーかよぉぉぉぉーーーっ!!!(歓喜)」と。
花陽の携帯が鳴る時。それはスクールアイドル業界にかつてないビッグニュースが舞い降りた時であり、何を捨て置いてもその真偽をチェックしなければならない時なのだから。一期でもそうだったし、二期で特にそう。花陽のキャラクターが、μ'sに彼女が慣れたお陰か(所為か)で、非常に明るくなった。普段押しが弱いのは変わらずだが、特殊な事情(アイドル関係)でのみ誰よりも押しが強くなる。その時間が格段に増えた。それって全て今この時のためだったんじゃないかなと。花陽が大変と言ったらとにかく大変なんだ。卒業式も終わったし、気持ちにケリもつけた。でも寂しくないはずがない。心残りなんて、どれだけなくしても無くならない。自分たちの青春を捧げたスクールアイドル活動。そこで起きた一大事なら、何を置いても今度はそこに向けて突っ走っていかなきゃ!と。

勿論それは『次の展開』という劇場版に向けての制作側の都合が多分に含むシーンである。そして、まだ終わって欲しくないという視聴者の素直な気持ちでもある。けれど、曲りなりに脚本に絡めてくれているし、この十三話。最終回なのにとにかく楽しかった。それだけではなく、卒業式できっちりとラブライブらしい卒業式で感動させてくれた。それぞれの引き継ぎで感じ入らせてくれ、お馴染み神モブも彼女達らしい仕事をしてくれた。ススメトゥモロウで始まり、そしてまだまだパレードの途中、むしろパレードの本番はこれからだと言わんばかりの最後の新曲、happy maker!は、そんな「とにかく楽しい」という気持ちを後押ししてくれる最高に幸せなハッピーな曲だ。信号が常に青で桜が満開な世界。一期一話のススメトゥモロウが披露されたミュージカルワールド。デコレーションされた学校を練り歩いていき、生徒たちに手を振りながら、これまでのライブ場所を場面を次々に切り替えていく。そうして最後、再び音ノ木坂学院の敷地前(横断歩道がある現実のではない。満開の桜がずっと続き、信号もずっと青の一直線の道)で穂乃果が、「叶え、みんなの夢!」と画面のこちらに向け叫び、十三話は、そして最終回は。そして一期からの二期である一連のラブライブはひとまず幕を下ろす。
突っ込みどころが無いでもない。最後は楽屋落ちと言えなくもないオチで、それはないだろうと言う人もいるかも知れないが、この十三話、とにかく楽しかった。アニメの最終回にありがちな視聴後の寂しさは微塵もない。むしろ気持ちを高ぶらせてくれる。そして、劇場版へとはっきりとつなげてくれる。ラブライブ!のプロである制作スタッフが、本当にラブライブを愛しているファンのため、そしてファンの気持ちを考えて用意してくれた「ラブライブらしい」最終回だったと思う。賛否両論あるのは百も承知であるが私は敢えて「素晴らしかった。これ以上はない」と太鼓判を押したいと思う。


<おわりに 〜総評と今後への期待〜>
二期について書くべきこと、書きたいことはこれまでに書き尽くした。今更ここで書くべきことは既に残っていない。だからこそ最後に、最も大事で最もシンプルなことを書こうと思う。ラブライブの二期は、はっきりと言えば全ての部分が面白かったとは言えないし、全てが必要なシーンであったともどうしても思えない。一期を受けてのテーマ性や、それに沿う形での主人公の成長。一期では描けなかったキャラクターの掘り下げ等、微に入り細を穿つ部分をきちんと描いてくれたのは嬉しかったことだし、期待に答えられた場所だと思う。
しかし、『みんなで叶える物語』というテーマ性を完全に消化できたかと言うと、恐らく7、8割にせいぜい留まるのではないかと思う。『みんな』というのは視聴者も含む『みんな』なのであるが、その夢がラブライブ優勝であると特に何事もなく定義されている。途中の感想でも書いたが、ようはμ'sがμ'sらしくありさえすれば視聴者は応援をするのだ。仮にラブライブを目指さなくとも。より前を、より上を、困難を乗り越えていくμ'sでありさえすれば、それだけで応援をできる。具体例としてラブライブ出場、優勝を挙げるのは確かに間違ってはいないが、完全に視聴者に沿う回答ではないと思う。それは恐らく、作中でラブライブ本戦が消化試合として描かれたことでも制作側は分かっていたことではないかと思うのだが……。
一期では、仲間を集めていくことが廃校阻止の活動そのものであったし、仲間が揃っていく過程で丁寧に描き、そして少しずつ揃って行ったメンバーが最後に大きなトラブルを超え一丸となることに、視聴者の共感が得られたのだと思う。主人公たちの目的と視聴者の気持ちの一致である。
これが二期でやや乖離してしまっている。むしろ一期よりもさらなる一致を果たさねばならないのに、一期よりやや乖離しているのだ。
それは、μ'sへ対する個々人の思い入れだけではない。『みんなで叶える物語』に対する乗り越えるべき障壁が明確に存在しなかったことが大きいと思う。勿論正しいテーマであるし、一期を踏まえた二期としての正しい展開ではあったと思う。けれど、ただ用意されただけの目的をそのまま目指されても困る。それに対する困難を乗り越えてこそ、視聴者の本当の共感が得られるのではないかと。ラブライブというコンテンツをこれまで応援してきたことが、イコールみんなで叶える物語に繋がるのは正しいが、「繋がってるからつながってる」とそのまま表されても、視聴者はその物語に本気で取り組めないのである。乗り越えるべき困難、打倒すべき障壁を越えようと努力する様を応援することで、結果的にキャラクター達の目的に共感することができるし、いわゆる『スポ根』が大きな魅力であるラブライブの特徴にそれは合致するのだ。それが無かった故、テーマという核心に迫る10話11話でのパワーダウンに繋がってしまっている。テーマに沿った展開であるが、そこに一期で用意されていたμ's空中分解のような困難が存在しないのだ。それを乗り越えて、そこからラブライブ優勝を目指していく。そうであって欲しかったし、そうあるべきだと思う。一期ほどぎゅうぎゅう詰めの話ではなかったはずだから、幾らでも出来たはずなのだ。それが最も惜しい部分であり、最大の弱点だったのではないかと思う。また、全てではなく部分部分であるが、個々の小さな障壁である前半中盤のエピソードにも詰めの甘さは所々に散見する。なまじ一期が素晴らしかった故、厳しい目で見てしまうのは否めない。ただそれは、とてもとても残念だったところだ。

文句からはいったが、一期より素晴らしく、二期にしかないものも多く有る。最も大きなのは穂乃果の成長の軌跡を堅実に描いたこと。八話の希回から、μ'sという存在が、一期で一枚岩となり二期での様々なエピソードにより絆が深まった。それだけに留めず、「メンバーにとって真に大事なもの」であると能動的に描いてくれたことだ。また、一期ではぽんと出てきただけだった「ぼららら」であるが、二期で登場したスノハレは、スノハレでなければならない必然性をきちんと描いてくれた。つまりスノハレに物語性を与えてくれたのだ。ビビ、リリホワ、そしてプランタンというユニット系の片鱗を描いてくれたこともファンにとっては嬉しい誤算だろう。恐らく最も一期で不遇の扱いであった凛の、その救済というエピソードを、一期のどのエピソードにも勝るほど丁寧に、面白く描いてくれたこともある。
ただ、それらはあくまで部分部分。二期の大きな根幹部が弱かったことのフォローにまでは至らない。
点数で表すのも不毛であるという自覚はあるが、10点満点でつけるならば一期は10点を自信を持ってつけられるが、二期は6点から7点の間を出るか出ないか、だと率直に思う。
もちろんリアルタイムで視聴していっているさなか、大変に楽しませてもらった。こうして長々とテーマ性というものを考慮しつつ再考している間にも新しい発見が次々に見つかり、リアルタイムでの視聴時の考え方から大きく変化した部分も幾つもある。よりテーマ性という部分に深く大きいもの(一期のものもシンプルでわかりやすいのだが)を投じてくれたことは、作品性を深めることに繋がっている。それは一度見ただけでは伝わらないが、二度三度と見、そして理解を深めることでさらなる発見、新しい解釈を見つけることへの足掛かりともなる。
パワーのある一期。そして深さのある二期。どちらが面白いかと言えばやはり一期だ。けれど一期を受けての二期であるし、二期があるからこそ一期がより輝く。共に合わせて楽しむものだ。一期と同じものはやらない。更に前へ、更に高く、そして更に深くラブライブを掘り下げた結果、至らない部分も見受けられたが、それは『今後』で取り返してくれればいい。


そして最後に、今後──劇場版への期待を書き綴り、この長々とした感想を終わりたいと思う。
一期、二期を通してハッキリとは描かれなかったもの。それは海未のやりたいことであり、それに伴うドラマである。一期でμ'sの屋台骨をささえ、二期ではその厳しさを据え置きながらコメディ役も演じてくれた重要なキャラクターのことがまだ描かれていない。穂乃果やことりとの人間関係とその成長を含め、劇場版に最も望むことだ。
そしてもうひとつ。おそらくはまだ発展途上である『みんなで叶える物語』である。予定調和のようにして二期ではひとまずの決着を付けられたことだが、ラブライブ優勝を果たしたμ'sを中心とした『みんなの夢』とは一体どのようなものなのか。(自分に問えば回答は得られるのであるが)それを描き切って欲しい。
やり残したことは、恐らくそれほど無い。ラブライブという物語のフィナーレに向けてラストスパート。私を含め、熱心なファンはきっと全力で応援をする。だから穂乃果にも。μ'sにも。そしてラブライブという物語自身にも全力で駆け抜けてもらいたいと切に願うことを、終わりの言葉に替えさせて頂きたいと思う。

ラブライブ二期の感想文 第1話〜第7話

<まえがき>
正真正銘、アニメをリアルタイムで追い掛けたのはラブライブ!二期が初めてだった。それだけ一期が面白かったし、「けど二期はどうするんだろう。何を書くんだろう」という期待と不安が入り交じる気持ちも同時にあった。
理由。それはラブライブ!が誰かを打倒する話ではないから。
ラブライブ!』というタイトルではあるけど、これはラブライブという大会を是が非でも何が何でも目指す話ではない。色々な事情を抱えた女の子たちが、それぞれ抱えた問題を、仲間たちの力添えで乗り越える話だったから。(一期の段階では)
一期では、恐らく誰も予想しなかった主人公の穂乃果暴走というのを最終盤のエピソードとして持ってきたくらいにそれが徹底していた。自分のやりたいことに正直でまっすぐで。皆をぐいぐい引っ張った穂乃果の、穂乃果自身が気付いていなかった闇に目を向けてまで、個々人の問題を皆で乗り越える話だった。
結果、問題を仲間たちの協力により乗り越え、μ'sというチームが結束し、完成する。
このラブライブという作品において、どこまで行っても、『個々人の内側の問題とその解決(悩み、迷い、トラウマの払拭)』>『外側の敵の打倒、外側の目的を目指す(ライバル打倒や大会を目指す)』という重要度における差がある。
そして、内側の問題の解決が、ラブライブ!最大の醍醐味でもあった。
それがラブライブの一期だったのだけど、ところが一期で描くべきことは既に完了している。数名スポットライトがあまり当たらなかった子はいたから、その子たちのことを書くんだろうとは予想できる。しかしそれだけでは二期と銘打ってまでやるほどではない。OVAで充分だ。
何ゆえに二期なのか。どんな方向性を目指すのか。一期を踏襲するのか。それとも全く新しい路線へと舵を切り直すのか。メンバーに変化はあるのか? 代替わりは? そもそもどのポイントからスタートを切る? 今度こそラブライブ出場か? しかしライブで優劣ってどうやってつけるんだ? 
山ほどの抱えるほどの疑問を持ちながら、二期の視聴を始め、そして完遂した。
この感想を書いてる時点で、おおよそ最終回から一ヶ月。その一ヶ月、様々なことを可能な限り多方面から考えた。その上で、ラブライブ!二期とは何か? という結論まで自分なりに辿りつけたので、記録として残す。
そんなつもりは毛頭なかったが、感想のみを記すに止めようとしていたはずが、何故か事細かにあらすじまで書いていた。何故ならシーンを書けなければ感想が書けない。そして、シーンのみ書いたところで前後の脈絡が掴めない。結果冒頭から結末まで全て書くことになった。
故に分量は膨大であるし、既に二期視聴を終えているライバー諸兄諸姉にとっては、恐らくその目と心に焼き付けたはずの素敵な物語を、稚拙な文章で再構成したものを晒すことになるのだが、ご容赦願いたい。



<第一話:もう一度ラブライブ!
まさかの穂乃果生徒会長への就任から幕を開ける二期。一期で音ノ木坂学院の廃校を阻止したμ'sの発起人でありリーダーであった穂乃果。持ち前のリーダーシップを前任の絵里から買われ、彼女の推薦を受け、生徒会長となった。
講堂での就任の挨拶の後、ラブライブ得意のミュージカルパート。曲は何と、お馴染み前回のラブライブ!でん!という曲のボーカルバージョンだ。ラブライブは出し惜しみしない。最初から全力。それがいい所。
え、これ夢オチじゃね?と思わせ夢ではない。結果的に夢ではないのは一期一話と同じだが、ラブライブ!のお約束である。それはまあ、兎も角として。
廃校阻止のためという大目的はあったのだけど、一期ではそれが特別に重要な意味があったわけではない。仲間を集め、ひたむきに活動した結果、学校への注目度が上がり結果的に廃校を阻止した。作中で達成された重要な『設定』となる。
けれどそこは一期の醍醐味、見所というわけではない。廃校阻止のために仲間を集め、アイドル活動を進めていく。そこに面白みがあったし、それが物語だった。しかしこの二期。一期で達成した廃校阻止を受け穂乃果が生徒会長に就任したことが、後々大きな意味を持つ。。
一期で「やりたいことをやる!」という気持ちを誰よりも強く持ちμ'sを導いた穂乃果であるが、それにより終盤で大きな失敗を侵す。自分のやりたいことばかり見てしまい、周りを見る目を失っていた事が原因だ。親友を傷つけ、結果μ'sを解散寸前にまで追い込んだ。

そんな穂乃果は、二期一話からこれまでと少し違う趣を見せ始める。
第二回ラブライブが開催されると聞き勢いづく仲間たち。ところが穂乃果は参加しなくてもいいんじゃないか、皆で楽しく、協力しあって活動していければ、それだけでいいんじゃないかと話す。仲間たちは大いに驚く。全く穂乃果らしくない!と。
いつどんな時も話が早いのがラブライブのいい所。仲間たちは穂乃果を鏡の前に連れて行き、あなたの本心はどう言ってますか?と問いかける。余計な説得など不要と言わんばかりに。しかし穂乃果は相変わらず。
ここでにこが穂乃果をたきつけるため、練習場所の神田明神男坂ダッシュの勝負を挑む。細かいことはいい。私が勝ったら私の言うことを聞けと。アイドルが好きなにこは、大好きなアイドルのため(やりたいこと)のために一直線の子。穂乃果は、やりたいこと(目的は廃校阻止のため)のためにやりたいことを一直線にやる子。性質が真逆。今の穂乃果にとってラブライブ出場は、どうしてもやりたいことではない。何故なら穂乃果には失敗の負い目がある。もう失敗したくないと思うのは自然なことで、保守的になるのも無理はない。
フライングして先を走るにこの背を見るに、穂乃果はゆうべ妹の雪穂に言われたことを思い出す。第二回ラブライブがあるのは来年の冬明けた頃。つまりもう三年生たちは卒業の直前なのだ。そう。もう残された時間はあまり無いのだ。

結果としてにこの転倒により勝負はうやむやに。あいにく雨も降り出し、一行は神田明神の門のところで雨宿り。ここで皆で話し、やはり穂乃果が乗り気でないのはかつて──時間軸的にはほんのついこの間のことだろうが、失敗のことが響いている。それを皆は汲みとる。
だから仲間たちは力強く穂乃果に伝える。もうみんなの気持ちはひとつだと。ラブライブを目指していく。残された時間、精一杯に駆け抜けようと。それが私たちの『夢』であると。
皆のラブライブ出場への思いを聞き、『皆のやりたいこと』を汲みとる。ここで、一期で穂乃果が(と海未とことりが)歌っていたススメ→トゥモロウを仲間たちが歌うのが象徴的。自分のやりたいことだけではなく、皆のやりたいことのため、穂乃果が再び立ち上がり、一話は幕を閉じる。
仲間たちのやりたいこと=ラブライブ出場という『夢』を汲み取ったこと。ごくごく自然でラブライブらしい流れではあったのだが、これもまた後々大きな意味を持つこととなる。
これまでのラブライブ。仲間たちの紹介。穂乃果の迷いと、仲間たちの力添えによる解決。これまでのラブライブをぎゅっと詰め込んだような第一話。理想的なスタートだった。

けれど気になったのは、「やりたいことをやる!」というのが最大の持ち味で魅力でもあった穂乃果が、周囲のことを気にし始めたこと。自分だけじゃない、仲間もいる。それは勿論正しいヒューマニズムなわけだけど、ある意味で大いなる矛盾を孕んだ存在になったとも言える。やりたいことをやるのに周りを気にする。それではしかし、やりたいことを追い求められないではないか、と。
廃校阻止。穂乃果の生徒会長就任。仲間たちの夢、やりたいこと。第二回ラブライブ。そしてそして高坂穂乃果という人間に訪れた変化。重ね重ね恐縮であるが、これらは後々に影響を与えていき、まさかの形で結実することになる。


<二話:優勝を目指して>
第二回ラブライブ予備予選に向け、新曲を作るため合宿を敢行するアイドル研究部。合宿先は勿論、真姫の家の別荘となる。以前は海だったため今度は山へ。皆で電車で向かうこととなるが、穂乃果だけ眠りこけて乗り過ごすというアクシデント。誰か気付けって話ではあるが、穂乃果はこの二話で特に存在感がない。合宿先でも主に寝てるだけ。子供の遠足前日現象でねれなかったのかも知れないが、恐らくそれだけではない。
皆のやりたいことのため再び奮起した穂乃果であるが、この時はまだ火が着いてない。あくまでも皆で楽しく協力してμ'sをやりつつ、第二回ラブライブを目指していく。そんな風に見える。のんびり呑気に寝てるのはその表れ、と思われる。
だからか相対的にこの二話では、穂乃果以外のメンバー達の活躍が特に目立つ。
衣装係のことり。作詞担当の海未。そして作曲担当の真姫。いずれも、「ラブライブ出場のため」というこれまでない目的に慣れておらず、揃ってスランプに陥ってしまう。
ここで彼女達は、ことり海未真姫を別々とした三人ずつ三つのグループに別れ、それぞれに活動を開始する。printemps、BiBi、そしてlily whiteのユニットそのままのメンバー配置となる。
蛇足であるが、衣装と作詞と作曲が上手にばらけたものだなと思う。このユニットメンバーが決まったのはアニメ化よりずっと前でありかつ、構成パターンは数通りから決まっていたものの、読者投票で決定したことなのだから。偶然上手にハマったのか?
さて。ことり穂乃果花陽(プランタン)グループ。穂乃果は相変わらず寝てばかり。花陽はどこからか花を摘んでくる。白い花。どこにでも咲いてそうな花だ。それをヒントにことりは、衣装デザインの方向を漠然と掴んだようだ。
海未希凛(リリホワ)の三人は、何故か山登りに励む。完全に体育会系山ガールになってる海未と、もう過酷な山登りが嫌で嫌でしょうがない凛が対称的で面白いコメディシーン。「山頂アタックです!」と目を輝かせて鼓舞する海未は、二期で特にこういった役回りが多い。結局、希のやんわりとした一言で、海未は山頂を諦め引き返す。ここで海未が何を得たのかはっきりは分からないけど、無理せず自然に、出来るところまででいい、そんな風に海未は考えたかも知れない。歌詞作りに大事なのは、自然体。素直な気持ちで書けば、自然とその人とその人の周囲の歌詞になる。それは取りも零さずμ'sの曲(高校時代の)の世界観だ。
そして夜。ビビの三人。にこが真姫に言う。常にみんなのためにと。ラブライブのためとかじゃなくて、自分も含めたみんなのため。ラブライブだけでなく、卒業してしまう三年生たちへ、という気持ちもあった真姫であるが、ようやく無理のない正しい道に戻る。絵里が夜の帳を怖がってテントに引っ込んでしまったのは、ちと見せ場がなく可哀想ではあった。でも、この合宿を提案したのは絵里であるし、バランスとして正しいのかも知れない。
場面はプランタンの温泉シーンへと移る。ここで穂乃果は、ずっと寝てた割に、そうだよ誰かが悩めば誰かが助ける!と唐突に天啓を得たように叫ぶ。寝てばかりの穂乃果には知るよしもないはずであるが、何となく察したのだろうか。
それぞれにそれぞれの創作へのヒントを得、ことり海未真姫の三人は、夜通しでそれぞれの仕事に取り掛かり、完成させる。そして東京へ帰還。ラブライブ予備予選へ向け急ピッチで練習を進めていくシーンを描き、二話を終える。
この二話、一期でぐいぐいと皆を引っ張った穂乃果の存在が盛大にオミットされている。代わりに、仲間たちのそれぞれが悩んでいる仲間を励ましたりヒントを図らずも与えたりしている。実はここではまだ気付かなかったのだけど、一期であれほどまでに、悩み一歩を踏み出せないでいる誰かが、「踏み出せるように」と影に影に立ちまわった希が、ここで海未をやんわり諭す、というのみに留めている。
ぐいぐい引っ張る穂乃果。見えないところで立ち回る希。それが一期だったのだけど、二期はそうではない。全員が全員で誰かをどこかで助けている。それこそ穂乃果が温泉で叫んだように。つまりこの二話は、一期を経て一つになったμ's。皆平等に相互補助できるようになった。そういうエピソードでもある。一期終盤で落ち込んだ穂乃果を皆が救済した、というマイナス方向の悩みの解消ではなく、プラスへの方向(ラブライブに向けての曲作り)の前向きな一歩として。衣装と歌詞、そして曲を揃える。それは一期の一話、二話でも取り組んだこと。あの時と似ているが少し違う。それはまさしく、困っている時は助けてくれる仲間がいる、ということである。



<三話:ユメノトビラ
近代的なオフィスビルのような建物内から三話はスタートする。何やらお洒落な飲み物を傍らにノートパソコンの画面を見、不敵に「はじまる」と笑むのは、スクールアイドルの絶対王者、A-RISEのセンター綺羅ツバサ。明らかにμ'sと対称的なのは、その風格。
一期ではあくまで、絶対王者というのがいるよ?という程度で、いわゆる『設定』以上の存在ではなかった。アライズのMVを穂乃果が見かけたことが、そもそものラブライブの始まりではあったが『設定』の域を出なかったアライズ。果たしてどのように絡んでくるのか、と嫌がおうにも期待せずにいられない瞬間となる。
そしてAパート。いつものように屋上での練習に励むμ's一同。ここで主にラブライブの大会の運営、勝負の付け方などが説明される。歌と踊りの優劣をつけるのは難しい。故にこういうやり方で優劣を決める、と作品内で明示するのは、作品内でのリアリティとして大事。一期と違ってどうしても勝ち負けが絡むための説明となる。
ところでここで問題点が浮上する。さてどこのステージで演ろうかな、ということである。まだまだμ'sは駆け出し、という程ではないが、順調に駆け始めたばかりである。場所で悩むというよりそもそも場所が無い。
ここで穂乃果は、自分たちらしくやればそれでいい。それが大事。だから学校、講堂でいいんじゃないかと提案し、ことりも賛成する。しかし仲間たちが、それじゃマズイ。これまで立ったことのないステージで、かつ目を引かなくてはと提案し、場所を探すことになる。やはりこの段でもまだ、穂乃果には火が着いていないのである。
既に重ね重ねとなるが穂乃果は、『やりたいことをやる』というラブライブを体現するキャラクターであり象徴であり、そして主人公である。そのため『勝ちたい』という方向には行かない子。つまり『無色のパワー』が穂乃果の持ち味。まだ、はっきりとは『やりたいこと』が見えてない状態故に止むを得ない。
ところでこのAパート序盤で、真姫たち一年生組のクラスメイトであるらしい、放送委員会の子がちょっとだけ出てくる。地味目な眼鏡の子だ。ここで生徒たちに応援をよろしくと放送を流すのだが、紆余曲折ありコメディ全開となってしまう。ちなみに笑うだけのシーンかというと、そうでもない。この後のちょっとした伏線となる。そしてこの第三話においてはまだ、あくまで『ちょっとした』伏線である。
μ'sメンバーは皆で場所探しをするが、なかなかいい場所が見つからず、また思いつかない。結局、秋葉原UTX学院の前に辿り着く。あの巨大スクリーンにはアライズの映像が流れている。そう、同地区ゆえラブライブ本戦の前にアライズと戦わねばならない。にこと花陽はアイドルオタクゆえにアライズは雲の上。他メンバーはそもそもアイドル大好きというわけではないから、そこまで猛烈に意識はしていない。超強敵、くらいの現実的な認識に留まる。
けど穂乃果だけは別。スクリーンでアライズを見たことが全ての始まりだったことは、彼女が一番良く分かっている。穂乃果も別にアイドル大好きっ子ではないのだが、アライズだけは特別。スクリーンを見る眼差しも、仲間たちとはどこか違う。そんな折──。

どこからか歌が流れてくる。熱心なラブライブ楽曲マニアでなければあまり縁のない、Private warsのサビ前のフレーズが響いてくる。誰かの足音と共に。それはスクリーンから流れる曲。そして誰しも印象的に覚えているハズのサビに入ると同時に、穂乃果の前に現れる人影。それはアライズのセンター、綺羅ツバサだった。「こんにちは、高坂さん」と何故か屈託なく笑いながら。
両隣にいることりと海未は気付かない。彼女達はそこまでアライズに思い入れはない。けれど穂乃果は別。アライズは彼女にとってとっておきの特別だ。特に同じセンター、恐らくリーダーでもある綺羅ツバサの存在は、きっと特に。
驚き、顔を赤くしうろたえる穂乃果。ツバサは慌てふためく穂乃果の手を取り駆ける。ひとさらいのように。しかもことりと海未の間から正面きって、というのに多分熱心なラブライバーは息の止まる思いだろうし、自分もそうだった。穂乃果の相手役といえば海未かことりか、他いろいろな可能性はあれど、幼馴染の三人組というのもある。いわゆる鉄板。そこからまさかの綺羅ツバサが穂乃果をかすめ取っていくというのは、いろいろな意味で衝撃的な展開。穂乃果にとっても視聴者にとっても。いわゆるカプ的な解釈と反応になるのだが、せめてこれくらいご容赦願いたい。ここ以外ではこーいう解釈しないんで、どうか……。

人混みの喧騒を縫うように穂乃果を連れいずこかへ走るツバサ。花陽がそれを目撃し驚き後を追う。にこも気付いたようで一緒に。まさかの衝撃的な展開でAパートは幕を閉じるが、一期ラストのライブを、ネットの配信らしきものでアライズは見ていた。かなり真剣に見入っている表情というのは見て取れた。あ、きっとこれはあちらからコンタクトを取ってきてライバル宣言的なアレだなという予想がつく。と、いうのはけれど、穂乃果が連れ去られてから視聴者は気付く。コンタクトを取ってくると予想させない。けど起きてしまえば脈絡があると気付く。しかし気付いた時にはもう遅い。一期三話でのがらんどうの講堂ライブ。あれは直前になると、あ、これはやばいと気づき、それ以前には分からないように描いている。
気付いた時にはもう遅い。これは一期三話と同じ手法。心の準備を視聴者にさせない。でも、直後に考えれば脈絡に気付く。一期講堂ライブでお客さんいなかったのは、知名度が全く無いという一般的な理由だけでなく、部活勧誘を同時にやってたからそっちにお客さん流れちゃったんだと気付けるように。特にこの、三話というのはラブライブ!にとって大事な場所。「何か仕掛けてくるんじゃないか」と一期を熱心に見たファンなら必ずあれこれ推察する。それら全てを恐らく躱すような驚きを用意してくれたのは流石の一言である。
そしてBパート。UTXの風景初お目見え。素晴らしい設備で、またグーグル本社みたいな遊び心もある校内風景。これは人気校になるのも納得。
なんだかんだで、学生食堂脇の談話室らしき場所にアライズ三人と、μ's九人。フルメンバーが集まり、やや緊張感のある親睦会が開かれる。アライズはかなりμ'sを研究していたらしく、メンバーそれぞれの名前と長所を述べていく。スクールアイドルの王者に死角はない。例え格下だろうと研究分析、そして自分たちにフィードバックしていくのだろう。故に王者と呼ばれる強さを常にまとう。か、どうかは分からないのだけど、なにゆえ王者なのか。人気一番だからと練習を怠ったり、研究を疎かにしたりすれば瞬く間に転落するだろう、という推察となる。しかしそれは作中で描かれないこと。『王者』の実力とはいかなるものなのか。本当に王者と呼ばれるに足りるのだろうか、と。それはこの三話、もうすぐにまざまざと見せつけられる。これ以上ないくらいにハッキリと。
ちなみに、最後のにこの所で可笑しな落ちがついたのはご愛嬌。にこは熱心なアイドルファンでアライズもずっと昔から追い掛けていた。ツバサもそれは気付いていたらしい。いつもありがとう、、嬉しいよと笑いかけるツバサ。スクールアイドルのライバルであるけど、ファンへの愛嬌も忘れないアライズ。まさに死角なし。
ごく個人的な意見となるが、アライズがいわゆる足元の見えてないお高く止まった嫌なやつらだったら嫌だな。それは勘弁して欲しいと二期開始以前から考えていた。というか、祈っていた。足元の見えてない奴の足元さらって勝つことほど詰まらないものは無いからね。

さて、ここらへんで察することが出来るのだけど、アライズはラブライブに向けて最大の壁であるが、はっきり明確な敵というわけではないらしい。敵ならば敵としてドラマを作らないとだし、けれど作品内では、穂乃果のアライズへの秘めたる思いしかないし、それははっきりとは描かれない。きっと相当なリスペクトはあるだろうと予想させるのみ。そしてラブライブという作品は外の敵を打倒する話じゃない。ならばアライズの存在はどう作用するのか?それは、まだこの段階では分からない。
談話室での会話の終わりに、UTXの屋上ステージで演ってみないかとアライズ側からμ'sに打診がある。ライブ・ステージを探していたμ'sにとっては、敵陣只中ではあるけど願ったりかなったり。特に、いつもの場所で自分たちらしくと考えていた穂乃果にとってはいろいろ思うところがあるはず。なんといっても憧れの人と肩を並べるのだから。
アライズ側がもちろんμ'sの事情をそこまで知るはずはないから、恐らく王者の余裕、見所のある奴らだと理解していても、まだ自分たちが負けるとは思ってない。それゆえの遊び心。同じ場所、同じ条件で勝負してやろうという手心となる、と思う。でも、流石にこの噛み合い方は都合が良すぎるきらいはある。いい場所を紹介して欲しい、くらいμ's側から打診させても良かったかな?
紆余曲折ありステージを見つけられたμ's。そこから時間は一気に予備予選当日に飛ぶ。
当日。やや気負い気味のμ's。けど、割と悪くないテンションを維持しているように見える。見慣れた白を基調としたものではなく、黒ベースの衣装に着替えたアライズと多少のやりとりを交わしても、まだ「自分たちもきっちりやるべきことをやった。だから大丈夫」だと。
しかし、それは先行して曲を披露したアライズのパフォーマンスに打ち砕かれる。王者とは何か。頂点とは。何ゆえアライズが王者なのか説明は作中で無いのは一期から変わらずだけど、このアライズの新曲を見ると、それだけで全てが分かる。一度聞いたら二度と忘れられない曲調に、キレのいいダンス。と日本語で説明するとそうなるのだけど、正に圧倒的なパフォーマンス。作画のレベルとしても恐ろしい領域に到達している、というのは作品外の話だが、それほどに『凄い!』という言葉しか出てこない。正に圧巻。
これに比べると申し訳ないが、μ'sのダンスは手足を動かしているだけとすら言える。王者たるアライズ、王者の強さを表現する方法って、多分いろいろある。練習を欠かさない、良いものを貪欲に取り込む。可愛らしさ、人間の強さ。そういうシーンを描く。そんなアライズのトリコになるファンを描く。そういうやり方もあるけど、それはむしろ逃げだ。というか、音楽やダンスの優劣は非常に表現が難しいからもういっそ逃げてもいいんだけど、最も大事なのはステージの上。歌と踊り。アイドルにとっての最大重要事項。それに逃げずに、ある意味愚直とまでに取り組んだサンライズに敬意を表したいし、そうして出来上がったアライズの新曲は素晴らしかったし、凄かった。そう、凄い、と思わず唸らされる完成度だった。
このアライズのパフォーマンスを見て、μ'sは一気に萎縮する。やっぱり敵わないと。けれど、穂乃果が皆を叱咤して鼓舞する。私たちだって負けてないと。それは穂乃果らしいリーダーシップであるし、はっきりと描かれてないことであるけど、憧れのアライズに認めてもらえたから、という自信も後押ししてるのかも知れない。ツバサとのコンタクトで、穂乃果の何かにようやく火がついたのかも知れない。
今後の話になっちゃうけど、一期の、ことり留学辺りのエピソードがもし無かったら、目指せアライズで穂乃果は突っ走っちゃったのかも知れない。周りを顧みずに。それが行き過ぎて失敗したかも知れない。けれど四話以降、そうはならない。それは穂乃果の成長の一歩、二話で寝てばかりだったのは変化の現れのひとつだけど、その変化が成長に昇華を始める一歩となった、と思う。ぐいぐい引っ張る穂乃果らしさはナリを潜めたけど、じゃあ他に代わるものは何かがあるのか? それはおいおい、少しずつ描かれていく。
話を戻して、今度はμ'sの番となる。穂乃果の鼓舞により持ち直したμ's。円陣を組んで気合を入れ直す。その時、ヒデコフミコミカの通称神モブ三人が、クラスメイト達を連れて応援に駆け付けて。UTXでのライブだから彼女達には手伝いが出来ない。代わりに出来る事は?と考えた結果の行動だろう。それもμ'sを後押しする。これも先の話になるけど、二期とそして恐らくその先のキーワードとなる『みんな』というのが初めてお目見えしたシーンでもある。はっきりと明言は無いが、三話前半での放送によりみんなも駆け付けてくれた、というのは恐らくあるだろう。
いや、正確には二度目の『みんな』となるだろうか。一度目、最初の『みんな』は、既に一話でその姿を表わしている。穂乃果にとって最も近い『みんな』だ。

そしてμ'sの新曲、ユメノトビラ。再確認のように。そして新たなるμ'sの一歩として示された、仲間たちのやりたいこと。『みんなの夢』。叶えるための第一歩。それがユメノトビラ。流れるような美しいメロディとシリアスな雰囲気が特徴的な曲。衣装も含め、どこかアライズに比べると素人っぽさが表されている。これまでの衣装に比べても素朴で素直なデザイン。曲調も、美しい良曲ではあるけど、アライズの新曲に比べインパクトで大幅に劣る。けれどそれは恐らく、狙った表現だと思われる。μ'sとアライズのレベルの差を、ステージの上で表してしまったのである。これには脱帽した。見せられてしまえばそれは最も正しい手法であるが、誰もそんなことはやらない。けれどラブライブはやってのけてしまう。誰も見たことがないもの。それを見せてくれる。それは正真正銘ラブライブの魅力となる。
ここで補足的に。ユメノトビラはキャッチーであるけど、聴きこむと徐々に良さが染みてくる系で、これはこれで『ただのカマセ曲』でも何でもない素晴らしい良曲である。そして重要なのは、一期でぼらららを演ったことにより登場が期待されている『あの曲』にどこか繋がりそうな曲調でもある。スタダ、これサム、ワンダーゾーン。そしてノーブラ。いずれもいい曲であるが、シリアスで美しい系の曲はスタダのみ。しかしスタダからいきなり『あの曲』にぽんと飛ぶのは、μ'sの曲の進化の系譜として違和感がある。だからここで『あの曲』へと中継するような曲を用意するのは恐らく必要なことだった。
ユメノトビラを演るμ'sを真剣な眼差しで見つめるのはツバサ。隣のあんじゅが、あれ?って思うくらいツバサは集中している。μ'sが曲を歌い終え、ちょっと放心気味のツバサであるが、やがて不敵に笑う。へえ、こいつらやっぱり本当に凄いじゃん!っていう風に。
ユメノトビラを演り切り、達成感と満足感に息を切らしながらも誇らしげなμ's。そして印象的だった三話は幕を下ろす。
ようやく火が付き、先ずは本来のらしさを取り戻す穂乃果。そして、あくまで設定上存在だったアライズのツバサと穂乃果に出来たライン。一期を踏まえた上でのこの二期の流れは、もうしばらく先に影響を及ぼしていく。


<四話:宇宙No.1アイドル>
冒頭、お馴染みアイドル研究部の部室に漂うのは何やらシリアスで緊張した空気。けれどどこか間が抜けているような、ラブライブではお馴染みの空気感。原因はネットにて発表されたラブライブ予選結果だった。アイドル研究部メンバーは花陽を筆頭に画面に釘付け待ったなし。上位四組が本予選出場可能とのこと。
一位は貫禄のアライズ。二位は何だったかな…忘れた。三位はミッドナイトキャッツ。部室内のポスターでお馴染みの二人組だ。そして四位は、ミューーーーーー、とたっぷり溜めてのタントガールズ。仮面の怪しい二人組だった。ショックを受ける一同。そして視聴者。マジかよこの後どうすんだよという所で、それは実は穂乃果の夢だったと判明。夢かよ!
一話で夢オチを匂わせたのだからもうないだろうと思わせてからの、完全に意識の外からの夢オチ。引っ掛からない人はいないだろう。いつだってラブライブは視聴者の予想を覆してくる。しかも心の隙間を縫って確実に。それはまあ、兎も角として。
現実世界に置いての結果。μ's四位でギリギリ予備予選通過。ほっと一安心である。さあ頑張ろう!というところであるが、何故かにこは練習を休む。妹の面倒を見なければという話らしいが、不審に思った仲間たちは帰宅するにこの後を追う。いかにも気付いてくださいと言わんばかりに八人でぞろぞろと。
勿論みんなでわいわいやる尾行は往々にして看破されのが常。案の定にこにバレ、巻かれてしまう。どうしよう、と途方に暮れていたところに、何やらにこによく似た小さな女の子が通りがかる。その子は穂乃果たちを知っているらしい。何とその子がにこの妹だった。にこちゃんの妹ちゃん!可愛い!と賑わう穂乃果たちだが、その子は何と穂乃果たちをμ'sのバックダンサーだと思っていた。どうもにこが妹たちに都合のいいことを吹き込んでいたらしい。自分が主役で、穂乃果たちはバックダンサーだと。怒り心頭斬り捨て御免なのは主に絵里と真姫と海未。偶然にもソルゲ組。あくまでμ's内では比較的、という程度だが気性の荒い三人である。
皆でその妹、矢澤こころの案内で矢澤家に押し掛ける。にこは皆に遅れて到着する。また逃げようとするが逃げられず、平身低頭で謝るにこ。
ここでちょっと苦言めいたものを一つ挙げたい。オフィシャルサイド(アナザー?)ストーリーノベル、スクールアイドルダイアリーで人気を博した矢澤妹が登場するのは予想できたことだけど、正直、偶然通りがかってμ'sと会う、というのは都合が良すぎるきらいがある。この時点でバックダンサーと判明しなくてはならない故の措置であろうが、新キャラと偶然。この二つと重ねてほしくはなかった。一期四話で花陽が真姫の家からの帰宅時に偶然穂むらに寄るのも大概なのだけど、花陽も穂乃果もその時点で既に登場しているキャラクターであるし、アイドル活動に興味しんしんの様子。だからその偶然も自然と捉えることは出来るのだが、矢澤こころはそうではない。その存在は視聴者に認知されていても、三話冒頭で綺羅ツバサが姿を見せたような順序は、出来れば踏んで欲しかった。
正直、SIDのままの方が出来が良いんじゃないかというのが正直なところなんだけど、にこが率直に自分の非を認めて謝ったのは見上げたもの。SIDのにこは全く違う別人格で、無茶しても謝ったり反省したりしない。中身も外見も可愛いぶりっ子で、それが全て。悪いわけでは決して無いのだが…。
さりとて、アニメのにこはそうじゃない。可愛いだけのSIDと、その可愛いさの裏に理性があり情があり、そして重い過去も背負うのがアニメの矢澤にこ。彼女に限らずキャラクターの多面性による深さがラブライブの魅力でもある。パーツ単位では実にキャラクターらしいのだが、そのパーツの対角線上に裏パーツとも言えるものを配置している。故にその中間に人間らしさが浮かび上がるのだ。にこの表とウラはその最たるものとなる。
結局、バックダンサーというのは苦し紛れについた嘘だった。かつてのアイドル研究部のメンバーたちが去っていったこと。それを妹たちには伝えられなかったゆえの嘘だった。もともと、自分以外はバックダンサーだと。
けど、自分は仲間たちの一部であり、仲間たちも自分の一部。そしてそれはμ'sである。今のにこは、もうそれを知っている。正直、いつでもにこは、自分の嘘を嘘と認め、妹達に伝えてもいい気持ちだった。それが果たされたのがこの四話だった。
一期六話のセンターは誰だのアンサー回とも言える二期四話であり、そして一期五話で希が語ったにこの過去についてとその払拭の回でもある。しかしこの嘘についての真相、この二期四話では『希の推察』という体で皆に周知されることとなる。一期の希の話しぶりは、自身で見たか或いは聞いたかして得た事実という風だった。しかし二期四話では違う。どこまで行っても推察であり、いつどのタイミングで何故嘘をついたのか分からない。一応、最も無難で妥当であろう解釈を以下に記載する。

1.一年生の頃にアイドル研究部を立ち上げる。この時妹たちには恐らく「自分たちはスーパーアイドルなんだ」と伝えていた。仲間を集めたくらいなのだから、スーパーアイドルユニットを目指したのだろう。
2.しかし他の部員が退部する。理由は一期の希が話した通り。ここでにこは、やむにやまれず妹たちに「彼女たちはバックダンサーで元々スーパーアイドルなのは自分一人」と嘘をつく。
3.同時ににこは、仲間なんて要らない。自分は自分一人でスーパーアイドルを目指すと自分自身にも嘘をつく。
4.三年生となり穂乃果たちと出会う。μ'sと合流し、にこの悲願は事実上達成される。しかし妹たちへの嘘と矛盾する。
5.結局、それについて妹たちに真実を告げられずに今に至る。μ'sメンバーは『次のバックダンサー』であると妹たちに嘘を嘘と上塗りして。そして、もう嘘はつかなくてもいいのだと自覚し『一人きりのスーパーアイドル矢澤にこ』を卒業する。

以上となるのだが、この場合少し趣が変わるのが一期六話『センターは誰だ!?』の回となる。ここでにこは影に日向に自分がリーダー、自分がセンターであると主張する。結局メンバー達には冗談以上のものとは受け止められなかったようであるし、そもそもメンバー達はリーダーやセンターについてあまり頓着していない。穂乃果がリーダーのように見えるが本当は誰なのか?という流れとなり、リーダーをちゃんと決めようと言い出したのはにこだ。この時自分も視聴者もメンバー達も、『矢澤にこの見栄っぱりな部分』の発露だと思ったはずだ。
けれど実はそうではない。妹たちに嘘を吐き通すための体裁を整えるための苦肉の策だったのではないか? 単なる深読みか、それとも隠されたにこの本心か。『μ'sがバックダンサー』という嘘をどのタイミングで妹たちに伝えたのか定かではない故、どこまで行っても真実は分からない。

だが、いずれにせよにこが嘘をついたのは『妹たちのため』だったはずだ。妹たちがいなければ、彼女は嘘をつく必要は無かったはずなのだから。結局、にこの本心や嘘をつくに至った決定的な理由は明かされない。弟である虎太郎が遊んでいたμ'sメンバーを模した土竜叩きゲーム。その穴の真ん中にいたにこのオブジェを、彼女は端に寄せる。それが一体何を意味するのかもはっきりとは分からないままだ。幾らでも推察は出来るのだけど……。
にこが嘘をついていた。これは二期四話で明かされた新しい事実。一見するとシンプルな出来事なのだが、細々と突き詰めていくと事実に辿り着くのは困難だ。何をどうしようとやや無理のある推察を重ねることになる。
また、別ににこは嘘をつく必要すらそもそも無かったのだ。正直に妹たちに話せばいい。でもそう出来ない何かがあった。妹たちの姉への全幅の信頼というのだけでそれは足りるのだが、『嘘をついた瞬間』、にこと妹たちの関係がどうだったのかが描かれない限り、『そもそもの事の起こり』を推察で埋めなければならない羽目となる。これは非常に物語として座りが悪い。また『矢澤にこのついた嘘』に対する感情移入の度合いも大きく目減りする。一人きりのスーパーアイドルを目指す、という悲壮な決意(嘘)についても、その瞬間が描かれない。
ここまで読んで頂けた方には伝わるだろうが、私は推察大好き人間だ。AとBというエピソードを繋ぐ物語を自分なりに紡ぐのが三度の飯より大好きだ。だから二次創作が好きで好きでしょうがない。けれどそれは、AとBが明確に描かれているからこそ成立させられる。ここにきて推察を否定するのはそういった個人的な理由もあるからだ。

話を戻す。ラストシーンでは、スーパーアイドル矢澤にこが最後のライブをやる、という体で、希と絵里の計らいにより屋上ソロライブが実現する。このライブを最後にスーパーアイドル矢澤にこは、スーパーアイドルユニットμ'sの一員となると。これは妹たちの姉への信頼≒妹たちという『みんな』の夢を壊さず、そして夢を繋げていくという意味だ。三度目の『みんな』のお目見えとなる。重ね重ねで恐縮だが、これは二期において重要な要素となる。故に方向性としては大正解なのだが、矢澤にこの嘘、というこの四話における大事な要素も、大事に描いて欲しかった。それぞれのエピソードにおける詰めの甘さ、というのは二期においてところどころ散見する問題である。良くも悪くも、ラブライブ二期を象徴するかのような第四話であった。



<五話:新しいわたし>
時はそろそろ秋も深まりを見せ始める頃。二年生の穂乃果ことり海未は修学旅行で一路沖縄へ。天気は快晴。現地はまだ温かいようだ。眩しい水着姿で、眩しい海へと無邪気に飛び込んでいく。ざばーん! と盛大に水しぶきが上がり、そして場面は切り替わる。水しぶきが収まった先は、音ノ木坂学院のプールだった。ショートパンツにシャツという軽装の凛が、これ以上ないくらい楽しそうにプールに飛び込んでいた。凛は純粋に楽しそうにしているが、プールサイドの真姫と花陽は、穂乃果たちに張り合う必要ないんじゃない?と、もう秋だよ? とやや呆れつつたしなめる。けれど凛はどこ吹く風。楽しいからやるんだにゃと言わんばかりに。やおらプールから上がった凛は、何気ない動作で二人の後ろに回る。そして、「いーからみんなで泳ぐにゃ!」と二人をプール、突き落とす。勿論二人も練習着的な軽装であり、濡れてもそんなに大事じゃない。あはははーっ!と笑う凛。めいっぱい楽しもう。そんな純粋な気持ちの表れ。
いつなんどきどんな時も、話が早いのがラブライブのいいところ。あ、これ修学旅行の話だ!しかも修学旅行組じゃなくて居残り組がメインになるってあれでしょ!?というのがたった一分足らずで伝わり、しかもこの五話で最も大事なこと、肝となること。五話の回答もすでにここで明示されている。それは楽しそうな凛を見ていれば十二分に伝わってくる。OP前の冒頭劇としてこれ以上ない完璧な仕上がりである。余談であるが、凛推しの私は、既にこの時点でテンションマックスだったにゃー!
そしてAパート。穂乃果たちは修学旅行。そして絵里と希は別件で練習にあまり顔を出せない。残りメンバー四人だけでの練習が続き、凛は飽きたにゃーとつまらなそう。本当は飽きたなんて言っちゃダメなんだけど、純粋で率直な凛は、いつも素直。だからある意味でいつもどおり。
さて場面は切り替わり、一年生教室、かな? 凛がリーダー!?という悲痛な凛の叫びが教室中に轟く。先程の無邪気さとの緩急が面白い。穂乃果というリーダーが不在であるが、活動は継続している。しかももうじき開かれるイベントにμ'sの参加が決まっているらしい。きちんと予定たて活動していく必要はある。が、絵里と希は二年生たち(現生徒会)のフォローとして生徒会の仕事をやるため余りμ'sに関われない。結果、絵里と希とで事前に話していたらしいこと。凛に暫定リーダーをやってもらおう、という提案が行われた場面である。絵里と希の会話までははっきり描かれないが、活発ではあるがどこか脇役に回りがちな凛。彼女にも皆と平等にμ'sの主役となってもらおうという計らいだろう。全員がセンター、というμ'sの基本理念に乗って欲しかったし、乗せたかった故と思われる。
けど凛は、自分はそういう役割に向いていないと否定的。というか全力拒否の構えだった。けれどだからこそ、なのだろう。
ここでひとつ寄り道となるが、絢瀬絵里の決断というのは一期から通してそうだが、実はあまり上手くない。いわゆる一般論で皆にああしようこうしようと働きかけることが多く、今その状況に何が必要なのか、その人物に適しているのか、というのを実は考慮しない。一期でワンダーゾーンの歌詞をことりに任せたこと。(ことりにその適性はないが、秋葉原に詳しいからと)
そして一期終盤空中分解したμ'sへ、一度立ち止まって自分を見つめなおしましょうと働きかけたこと。(止まりそうな時に止めたら本当に止まっちゃうじゃないか)。これに関しては絵里も自覚はあったらしく、後に穂乃果の部屋でそれを悔いている。
更に二期二話での合宿の発案。(新曲作成のための合宿というのは確かに手法の一つであるが、あまりに唐突だから余計に真姫海未ことりの創作班は余計に調子が出ない)
概ね結果オーライで解決するのだが、一期の廃校阻止のための方策もあまり上手くない。あの段階では絵里は相当な視野狭窄に陥っていたから止むを得ないことではあるが……。
けれど、割合うまくいく決断もある。そして今回。この凛への働きかけが上手いか悪手かは、正直かなり微妙なところ。リーダー役やまとめ役は、出来ない子には出来ない。そして凛は明らかに出来ない子だ。これまであまり目立ってなかった子に今度は任せる、というのはまたしても一般論。だが全員センターという理念のμ'sには沿っている。これは推察だが、絵里一期で無理な柔軟を凛に強いていた。見方によっては苛めているとも捉えられなくもない(その分凛も、それより以前にミトメラレナイワァと影で絵里を茶化しているため、因果が応報してるだけとも言えるが……)
だから実は、絵里は凛を気にかけるところはあるかも知れない。三話でもユメノトビラ衣装の凛の胸元を、お姉さんが近所の子にそうするようにさりげなく直してやっていた。そして、この五話のこのシーンでも、絵里の働きかける雰囲気は、近所のお姉さんが近所の子に世話を焼くそれである。お姉さんがお姉さんらしく振る舞うことに上手いも下手もなく、ごくごく自然な行為。絵里の行動というのは、考えた上での決断は、実は考えてない一般論手法だから明後日を向くことが多い。けど、やりたいこと、自分の感情気持ちに素直になった時、とても自然にその行動は状況に馴染む。このシーンがどうかというと、だから判断に窮する。結果は聡明なライバー諸兄諸姉が既に目撃している通り。つまり結果オーライであるw
結局、花陽や真姫という同輩。そして今後の為にも一年生がやったほうがいいと言うにこや希のはたらきかけにより、凛はしぶしぶではあるが暫定リーダーを承諾する。
その後、にこ真姫花陽凛の四人での屋上での練習風景。暫定リーダーとして凛が練習を仕切ることとなるが、慣れない凛は緊張しっぱなしで調子が出ない。ちょっとした真姫とにこの意見違いなどあるが、リーダーとして上手く纏められない。
別段、μ'sは常に誰か一人がイニシアチブ握るわけではないし、穂乃果は普段みんなを纏めていない。絵里や海未が要所で意見調整役、まとめ役みたいな発言をし、ひとつの方向へと進んでいくのがμ'sだ。どちらかというと絵里と海未の不在がまとまりきれない一因となる。
そんな状態のμ'sであるから、凛でなくとも、花陽や真姫でもそれなりに苦労するとは思うのだが、特に凛は苦手意識がある。負けん気の強い真姫や、意外とここ一番で度胸の座る花陽ならば、程なく彼女たちらしくリーダー役を全う出来るのだろうけど。凛はいつもの調子が出せず、何だか妙にしおらしくなっちゃったりもする。ある意味で、とても女の子らしい。いわゆる『強い女性』の多いμ'sメンバーの中では、実は一際の異彩となる。
その日の練習を終え、帰路。リーダーという責務がしばらく続くことに物憂げな凛。みんなが認めてくれて任せてくれたんだからきっと出来る、花陽と真姫はそう励ますも、凛は予想外に頑なである。出来ない出来ないと否定し、しぶしぶ承諾したけどやっぱり出来なかった。頑なになるのも無理はないし、理由はそれだけじゃない。
小学校低学年のある時、ちょっとらしくないという自覚はありながら、スカートを履いて登校した凛。花陽は可愛い可愛いとベタ褒めなのだが(勿論実際に可愛い)、心ない男子生徒数名に、似合わねーとからかわれる。全く全然ダメではないのだが、一念発起してスカートを履いてみたのにダメだった。今の暫定リーダーの件と被る出来事だ。このへん、同じく活発な性格の穂乃果とは対称的だ。穂乃果は何かに取り組む時、ダメかも知れないなどとは考えない。それがあのパワーに繋がるのではあるが……。
恐らくその頃からずっと、凛は自信を喪失している。元来自分にはスカートがあまり似合わないという自覚はあったはずだが、一念発起した結果の否定となり、より大きく深い負の感情。つまり自信喪失へと繋がってしまった。元来の活発さや元気さは無くさなかったが、無意識に脇へ脇へと目立たない方へ行く。自分からこうだと発信したり出来なくなる。意外と土壇場で根性を発揮する花陽とは対称的に。そして、根源となる要因である『女の子らしさ』に対する負い目も、それまでも意識したのにより強く意識してしまう形でずっと。
活発、元気、何も考えてない、けれど引っ込み思案。そんな複雑な人格が形成されてしまったのが星空凛だ。何も考えていない、というのは、恐らく考え始めると常にネガティブな方向へと陥ってしまうから考えないようにしている。と思うのだが、それは根拠のない推察となるのでこれ以上は割愛する。

結局凛は、尚もはげまそうとする花陽と真姫に背を向け走り去る。けれど別に花陽たちが強く言い過ぎ、押しすぎというわけではない。自分はやっぱりだめなんだと視野狭窄に陥っている状態の凛だったから故である。
本来、『女の子らしさ』という部分で非難されたことと、リーダーがうまく出来ないことは別々の事柄だから、それぞれ分けて考えればいい。でも、そんなふうにパーテーションで区切るように思考を分別できたりは人間はしない。特に凛はそういう風に、そもそも考えることに慣れてないだろう。簡単に視野狭窄に陥ってしまう。まあ、絢瀬絵里なんかは、陥ってるのに陥ってないと理性で判断したりする子だし、大なり小なり彼女達は学生らしく誰もがそうだ。留学を言い出せないことり然り、μ'sを辞めると言い出した穂乃果然り、穂乃果たちの活動を認めなかったにこ然り。当然、絵里も。
ここで花陽は真姫に、凛がかつてスカートをからかわれたことを伝える。真姫にとっては、何で逃げ出すほどなの?と疑問だろう。けれど花陽はずっと凛を見てきたのだから凛のことを分かってあげられる。これは、親友の秘密を比較的最近親しくなった共通の友達にそっと教える、という場面でもある。基本、みだりに他人の秘密を教えたりしないし、してはいけない。けど花陽は、真姫と長く接し、教えてもいいと判断した。そして恐らく真姫は、そんな凛に同情をしつつも、ちょっと嬉しかったんじゃないかと思う。つまりは親友として認めてもらえた。それまで認められてなかったわけでは断じてないが、それを明確に表してもらえたのだから。素直になれない子の代名詞のような真姫であるが、この五話ではとにかくストレートで真っ直ぐで、素直に凛を応援する。こんなに素直な真姫は後にも先にも二期五話だけだ。(あとは一期三話、ことほのうみのスタダ披露のあとの拍手)くらい。
何気ないシーンだけど、すごく大事なシーン。二年三人や希と絵里は元々構築されている人間関係だ。けれど真姫と凛と花陽は、三人としてはμ's以前はなかったもの。人間関係の成長の一端が垣間見れるシーン。

ここで五話は後半へ。沖縄への修学旅行は大荒れの大荒れ天気で外出もままならない。穂乃果たちはやむなく部屋でトランプに興じているが、そこに悲報。悪天候のせいで東京への帰還が遅れるとのことだ。そうなると、参加予定イベントであったファッションショーに、穂乃果達は間に合わない。
さてこの修学旅行組、ことりと海未は旅行を楽しむのに余念がなくて、とにかく始終楽しそう。けれど穂乃果だけは所々違う様相を見せる。要所で絵里と連絡を取り合うなどし、居残り組側の調子を気にしたり、進捗の摺り合わせなどしていた穂乃果。絵里と連絡で、凛が暫定リーダーとして進めてるというのは知っていた穂乃果である。暫定リーダーを現行リーダーが気にするのは至って自然であり、けれど一期までの穂乃果には見られなかった方向性である。
そして場面は居残り組へ。「帰ってこれないー!?」と叫ぶ凛。早く暫定リーダーの肩の荷を降ろしたい故当然の反応。Aパートで「凛がリーダー!?」と叫んだ場面と同じパターンで、凛ちゃん受難の日々だなあと可笑しみを感じる。繰り返しはギャグ・コメディの基本。可哀想だけど面白いシーン。
時を同じくしてファッションショーイベントで着る衣装が届く。そう。ことり(衣装係)が居ないからファッションショー、つまり衣装を外部に用意してもらうのだ。また、服飾関係というのは理事長関係か?なんて推察も出来る。ラブライブはそのシーンそのシーンの妥当性、必然性をとにかく上げてくれる。結婚式をモチーフとした衣装であることも、コンセプト性のある衣装であると理解出来るし、『平凡な女の子がお姫様になれる』のが結婚式であり、ウェディングドレスだ。ちょいと先取りになるが『凛の夢』とも恐るべき一致を果たすのである。
どうやらファッションショーでライブも演る予定らしい。ここで問題になるのが、これまで穂乃果が担ってきたセンターという役目だ。そして、今回センターは暫定リーダーである凛にやってもらいたい。そういう話になる。けれどセンター役が着る衣装は、ウェディングドレスをモチーフとしたとびきり可愛い、女の子らしい衣装。女の子の願望を現したような夢の様な衣装となる。花陽はうっとりと目を細めるが、凛としてはたまったものではない。普段の可愛いアイドル衣装も、センターでなくて端っこ、しかもみんなと同じだから平気。でも今回は違う。センターだけがとびきり可愛い衣装で、しかも真ん中。凛としてはたまらない。
隙を突いて逃げ出そうとするも、何故か部室の鍵がかかっていて逃げられない。何とにこが施錠していたのだ。何かと凛に追い回されるにこの、まさかの反撃であった。結局逃げおおせるのだけど。その後、屋上にて腹を割った話が交わされる。
あくまで仲間たちはとして、凛にやってもらいたい。μ'sでは穂乃果がリーダーと決めているから、穂乃果がセンターをやる。けど居ない時は、誰に任せるかのかの論拠がなくなる。だから暫定リーダーの凛にやってもらうことになるのはごく真っ当だ。
けれど凛は強硬に拒否し、その後やがて、どうしても無理だからと、ある意味で懇願にも近い雰囲気で皆にそれを伝える。ここで凛は、髪だってこんなに短いしと理由らしい理由を述べるが、短い花嫁さんだっているんだから気にすることないと確か真姫が言う。これ、真姫が言うまでもなく、理由にもならない理由なのは誰の目にも明らか。それなのに凛がこんな理由を挙げるのは何なのか……。

実は一期の二話か三話。序盤の回で凛は全く同じことを言っているのだ。花陽がアイドルをやりたいことを凛は知っている。やってみるといいよと励ますが、凛ちゃんも一緒にしてくれる?と花陽は返す。その時、女の子らしくないし髪だってこんなに短いしと凛は答えるのだ。一期でのそれは、やや冗談めかしたような言い方の凛だったから、特に誰も気にしなかったし私もそう。(花陽がどこまで見抜いていたかは分からない)
けど、二期のこの場面のように、真面目に話しているところで持ち出してしまえば明らかに浮いてしまう。まるで冗談みたいな理由なのに、それでも真姫が「髪の短いお嫁さんだっているし」と誠実に答えるのは、真姫の最大限の思いやりである。凛の言い分を無碍にしない。
誰もそんなこと気にしない。凛だけ。だから気にしないでもいいと、誰もが思うところだ。
けれどこれはおそらく、凛が自分に立てている言い訳なんじゃないかなと思う。自分が女の子らしくないのは髪の毛が短いから。勿論短くしてるのは凛の意思なのだけど、その言い訳を立てるためにそうしているのではないかと。髪が長くなったら、女の子らしくなるしかない。けれどそうして尚、女の子らしくなれなかったら(≒またからかわれ、否定されたりしたら)、もはや言い訳はきかなくなる。本当に星空凛は女の子らしくないと証明されてしまう。髪が短いから女の子らしくない。それが凛の最後の生命線だった──と、推察出来る。全く同じ言い分を一期二期で繰り返し見せるのには、きっと意味があるのだ。
一期ではその言葉は自然に冗談めかしていたから気付かない。けれど二期、この流れで髪が短いからと理由を述べるのは明らかに違和感がある。しかも凛は大真面目なのだ。凛だって断る理由になんかなりはしないと解ってるはずなのだけど、それでも理由として上げてしまう。それは、他人から見れば些細なことだけど、凛にとっては最後の一線。理由にもならないその理由を上げるのは、もはや降伏宣言にも近い。
たらればの話となるが、それでも仲間たちが凛のセンターを推したなら、もしかしたら凛は壊れていたかもしれない。μ'sに嫌気が差して出てこなくなる、皆と距離を置く、身を入れない。やりたいからやるのがμ'sなのに、やりたくないことを嫌々、それこそ仕事みたいにしてやる。そんな風に凛が自棄になる瀬戸際だった。押されて暫定リーダーを承諾したように、恐らく凛は押しに弱い。
ここで救いの手は絵里から差し伸べられる。確かにリーダーにセンターもやらせるというのは酷よね、と。お前が推したんだろwと誰もが突っ込むところである。絵里の態度から察するに、恐らく凛の心境を組み取ってはいない。が、リーダーとセンターの兼務は重荷、という得意の一般論が、ここで表目に作用する。
じゃあ誰が別の人をセンターに立てようという事になる。元々の衣装サイズは穂乃果に合わせて作られていたらしい。体型背格好の似てる人、という理由で花陽に白羽の矢がたつ。衣装を合わせてみると、皆の反応も上々。凛もセンターという重責から逃れられ、途端元気になる。やっぱりかよちんが可愛いにゃ!かよちんがセンターにゃ!と。非常に凛らしい反応。けど、部室からの去り際、凛は花陽に、というか衣装に……か? 視線をちらりと向ける。名残惜しそうに。花陽はそれに気づくが、凛は答えずそのまま部室を出る。何も考えていない。いつでも楽しそう。そんな凛の性質の対角線がここで描かれる。
着たいけど着られない。言いたいけど言い出せない。したいことに思いを募らせるのが花陽なら、それを頭から排除するのが凛。色々な理由をつけたり、それに近寄らないようにして、そんなんじゃないと自分に言い聞かす。したいことを隠せない花陽だが、凛は隠してしまう。だからこの場面でも、花陽以外は気付かない。真姫は、気付いていたかな?

場面が変わり、凛の自室。照明を落とした暗い部屋で、ワンピースを自分にあてがっている。本心では着たい。でも着られない。このシーン、髪が短いという理由に続き、一期でも同じシーンがある。これもまた一期と同じシーンながら使い方を変えることで凛の悩み、歪みを表わしている。
一期では、同じく暗い部屋で真姫がパソコンでμ'sの動画を見ている後で、確か凛が暗い部屋でワンピースをあてがっていた。これ、暗い部屋暗い部屋と二度続いているから、ああ夜なんだな、という程度にしか認識できなかったんだけど、今回の場合、凛はわざわざ部屋を暗くしてワンピースをあてがっているというのが分かる。つまり、暗くしないとあてがうのすらも恥ずかしいのだ。普通、ああいうことをするなら、よく見えるように部屋を明るくするだろう。どれほど根が深いのだろうと私は驚きを隠せなかった。一期と同じシーンを使い方を変えることによりガラリと意味を変えてしまうシンプルながら効果的な技術にも。ちなみにこの暗い部屋。五話最終盤の演出に効いてくる。今はまだ、真っ暗な部屋だ。
同じ夜に、穂乃果から花陽へ電話。確か絵里からの電話でセンターが花陽に決まったと穂乃果は知っている。ここで一期の穂乃果ならば凛に連絡したのかも知れない。けれど、凛ではなく花陽に決まったこと。穂乃果は何かを感じ取ったのかも知れない。恐らく暫定リーダー凛の不調を。そもそも通常、リーダーが誰かとか、リーダーの仕事とか、普段のμ'sの活動にはない故、その必然性が必要となる。リーダーだから。ただそれだけの理由で穂乃果がここまで世話を焼くのは少し不自然。暫定リーダーが悩んでいるから、現行リーダーがそれを気にする。つまり、『必然性』を上げているのである。明るくパワーが有り、そしてテンポが良いのがラブライブの作劇の特徴だが、こういった微に入り細を穿つ部分を疎かにしない。むしろやりすぎぐらいに気を配る。それもラブライブの優れた点だ。人間の行動、発言に一貫性があり、かつ必然性がある。全く恐れ入る。
センター談義。穂乃果の働きかけ。凛のトラウマの表面化。全てに暫定リーダーという要素が機能している。この第五話、探れば探るほど全てのパーツが絡み合っていて、一つでも省くと全てが崩れ去る。しかもラブライブらしさが全く失われていないことに気付く。全てのパーツにラブライブとしての必然性が込められている。精密機械のように精巧な脚本なのだ。
状況を打ち明け、どうしたらいいかと相談する花陽。花陽ちゃんはどうしたいの?と逆に問う穂乃果。それは、自分のやりたいことより花陽のやりたいことを汲み取る、という、一期の失敗を踏まえた上で、二期一話で『仲間たちのやりたいこと』に初めて目を向けた。二期穂乃果の、明確な変化であり、成長の兆しでもある。ただ成長した、ってだけではない。やりたいことに猪突猛進から、周りも見れる子になった。でもただそれだけでは持ち味が失われただけ。こうして、物事に対していい方への働きかけが出来ると描くことで、それは初めて意味のある成長となり、ラブライブという物語にとって必要な成長となる。ただしここではまだ、身近にいる仲間たちにのみ向けられている。

それから少し時間は流れてファッションショー当日。センター以外はタキシード風の衣装。じゃあ最後にもう一度踊りを合わせるにゃ!と、ややぎこちなさは残るもののリーダーらしく振る舞う凛。メンバーたちは、はい、と素直に返事をする。けど本来μ'sは、繰り返すが誰かのワンマンではない。こうして皆がはいと素直に頷くのは、凛のやり方に手を合わせている部分がきっと大きい。凛が真面目にリーダーに取り組んでいくれているのだからと。
そして、リーダーが曲りなりにこなせるようになったのは、センターでなくなったのと、花陽がセンターになったからというのもあると思う。かよちんが頑張るなら凛も!という普遍的なヒューマニズム。リーダーを嫌がっていた時期もあったが、センター回避、花陽センターでマイナスからプラスに思考が転じるのは、これもまた人間ならばあること。やりたくないリーダー責務が残ったのは変わらないのだが、気持ちの持ちように差はある。これは、思考をパーテーションで区切れない凛だからこそ(凛だけではないが)、今度はそれがポジティブな方向に発揮されている。花陽がセンターを頑張ってくれる。ならば私はリーダーを頑張る。これは凛らしい何も考えない底抜けの明るさとは少し違う。それぞれの場所で役割を頑張るという理性を伴う頑張りである。結果として多少は自信喪失は改善された……はずである。
衣装を着る段になり、凛の衣装が保管されてる場所を開けると、何とあのウェディングドレス衣装が。驚く凛。振り向くと、仲間たちはみなタキシード風衣装。戸惑う凛に花陽が言う。大丈夫、凛ちゃんは可愛い。私だって抱きしめたくなるほどにと。真姫も続く。一番女の子らしいのは(≒一番この衣装が似合うのは)凛なんじゃないかしらって。
女の子らしさに対する負い目からずっと自信喪失をしている凛だが、リーダーをそれなりに上手にこなせたからといって、自信は少し回復するかも知れないけれど、女の子らしさに対する負い目が解消するわけじゃない。パーテーションで区切れないし、きた道を必ずしも戻れないのが人間の心理思考だ。だから。だから、可愛いよ!って全幅の信頼て教えてあげるしかない。大本の悩みに訴えかけてあげるしかない。そしてそれは、花陽にしか出来ないこと。そして、それは視聴者はもう冒頭で知っていることでもある。プールに花陽と真姫を突き落とした凛の笑顔。凛ちゃんは可愛い、と。
ここで流れるBGMは、『花陽の決意』。音、映像、物語とで全部で伝えてきてくれる。
ぽん、と凛の背中を押す花陽と真姫。自信喪失が少し改善されていたのも、きっと凛の足に込もる力を強めただろう。

全く情感もへったくれもなくて恐縮だが、ここで凛の喪失と再生の道のりを記載する。

1.らしくないという自覚がありながらスカートを履く小学生凛(凛の夢、やりたいこと)
2.心ない男子生徒に似合わない可愛くないとなじられる。
3.自信喪失をする
4.暫定リーダーを上手くこなせないでより視野狭窄に陥る
5.花陽センターによりある程度暫定リーダーをこなせるようになる
6.自信喪失がある程度は改善される
7.花陽に「可愛いよ!」と訴えかけられる。
8.らしくないという自覚はまだ残るものの、ウェディングドレス衣装を着る
9.大昔からの凛の夢、やりたいことが叶う

と、綺麗に巡った道を戻っているのだ。一人では戻れなかった。けれど真姫という新しい親友の後押しもある。もちろん、花陽の全力の手助けもある。仲間たちの力添えにより、喪失の道を再生のために再度巡っていったのだ。まあ、一期のにこも、喪失と再生の道のりは表裏であったのだけど、基本的でありながら最良で、最善。そして誰にでも伝わる喪失と再生の物語だ。

そしてファッションショーのステージへ。ちょっと照れながらも、衣装を着た凛が挨拶をする。そしてこの舞台のために作った曲。屋上で練習もしていた新曲、love wing bellに入る。衣装のコンセプトからか結婚式ソング風。けど、この時の凛の心境にもマッチしている物語性が最大限組み込まれた曲。一期のスタダと同じくらいに。
二期の作中曲の映像として、ユメノトビラは完全にμ'sのダンスだけを写すもの。けれどLWBは、踊りは殆ど移さずにシーンを繋いでいく手法のもの。どちらも良いものだし、バランスよく混ぜあわせてもいい。でも二期の手法として、シーン混ぜは徹底してシーン混ぜ、ダンスだけならばダンスと明確に分けてくる。シーンがあればダンスが見れない。ダンスがあればシーンが見れない。ジレンマではあるが、明確に分けたのは潔い選択だと思う。
LWBのシーンでは、ファッションショー後のことが描かれる。成功して、それを携帯で穂乃果たちに写真付きで伝える凛。ショー直後のこと。更にその後、どこかに出掛けるらしい凛が、あのワンピースを明るい、真っ昼間くらいに明るい部屋で着て、姿見の前でくるくる回る。けれどその後は凛らしく、勢い良く駆けて部屋から飛び出していく。あの暗い部屋との対比となる。
そうして曲終盤、今度はいつもの屋上へと駆けていく凛。けれどいつもと違う練習着。それを着て、屋上への扉を開くと、陽の光がぱーっと広がる。暗い部屋から、明るい場所へ。悩みから、その一歩先へ。これまでの私から、新しい私へ。
凛の新しい練習着姿、スカートで可愛らしい衣装に、皆が一斉に表情を明るくする。花陽と凛は特に、良かった。本当に本当に良かった、っていう素直な満面の笑顔を浮かべる。花陽はいつだって素直なのだが、あの素直になれない真姫までもがだ。それだけ「良かった。本当に良かった」という出来事なのだから。私はここでぐっと胸が詰まった。何故ならそれは視聴者の気持ちとの一致なのだから。
みんなが受け入れてくれた。こんな私がいてもいいんだ。そんな風に、ちょっと恥ずかしがりながらも、新しい場所、新しい私を噛みしめる凛が、練習いっくにゃー!と掛け声をあげ、五話は幕を下ろす。
ぱっと見るだけでもスムーズに伝わるシンプルな内容であるし、内容を考えて深めれば深めるほど良さが分かる。暫定リーダー、修学旅行でメンバーが離れていること、凛の悩みとその表現、穂乃果の成長、ファッションショー、楽曲と、およそあらゆる全てのパーツがこの五話には必要で、どれか一つとして省いていいものはない。また、キャラクターもそれぞれがそれぞれらしい。更にこれは、一期とは少しテーマや目的を違うくしている二期において、明確に一期の路線を踏襲した話であり、一期のいずれにも劣らない出来の話となる。加えて二期の一部分として見るならば、『みんなの夢』という大きなテーマ性に添って、仲間たちの夢、クラスメイト達の夢、メンバーの家族達の夢、と少しずつ広く大きくしていく道のりを辿る二期において、『個人の夢』というミクロな地点(≒一期の路線)に、ここで今一度立ち戻ったとも言える。個人の夢の実現なくして全体の夢の実現はない。個人の夢をオミットして実現した全体の夢などに意味は無いのだから。
まさに珠玉と言える第五話。素晴らしい出来栄えだったと思う。


<六話:ハッピーハロウィーン
個人的な感想から単刀直入に入る。この六話、きっと見所は数多くあるのだが、個人的には面白みや意味を見出だせなかった。面白いというだけならば、コミカルなシーンは多く、声優さんのいつもと違う演技も聴ける。それが面白いと言えば面白いのだが、「ただ面白いだけ」である。それが二期のテーマ性に繋がっていないのだ。ラブライブ優勝を目指していくのが二期だから、やってることは繋がっている。いわゆる迷走回であるが、最終的に『自分たちらしさ』に帰結するのは堅実な一歩だ。しかし、ラブライブ優勝というのは、イコールみんなの夢でなければならない。そこに繋がっていないから散慢で意味性の薄い印象を受けてしまう。そういう話だった。

秋葉原でのハロウィン祭りでライブに出演することになったμ's。他にもアライズの出演も決まっており、強敵との共演に今までのμ'sではない新しいμ'sを見せなくてはと知恵をしぼる一同。
部活系アイドルであることを強調する手法や、キャラクターを入れ替えてみるなどあれこれ手を尽くすが、いずれもしっくりこない。実はこれ自体が見所となっており、他所の部活のコスチュームを身にまとったり、海未が凛の物真似、凛が絵里の真似をするなど、声優さんのいつもと違う演技などが楽しめる。実際それは見ているだけで楽しい。
それ自体が面白い、というのはわかるし、実際面白いのだけど、ただやってるだけ、という感が否めない。冒頭で書いた通りだ。テーマとしては迷走なわけだけど、ならば迷走から正道に戻りつつも、迷走から新しいものを得るよう話を持って行ってもらいたい。
二期の作劇において、Aパートで何気ない日常シーンを見せつつBパート、そして話の根幹に繋がるエピソードを描くのが二期の基本的な作劇。ならば見終えた後に、結果的にAパートにも意味を見いだせる。
けれどこの六話、それがほぼない。希のカード占いでAパートを締めるのだが、Bパートに入っても変わらず迷走が続く。今度は有名なバンドの物真似となるが、結果的に理事長に咎められ、いい加減やめようという話になる。この、理事長室に呼び出されるところまで含めて面白いコメディなのだが、コメディの基本、繰り返しが面白いのは二度目まで。三度目をやるなら、全く違うものを入れ込むか、そもそもやらないか。
ただ迷走シーンを書くために迷走しているだけにとどまり、その後、やっぱり自分たちは自分たちらしくていいんだという結論も、特にそこに行き着くための必然性がないし、「いつもの自分たちでいいんだ」という結論に行き着くんでしょ?と容易に想像できてしまっているのもマイナス点だと思う。
二期の作劇に沿わせるならば、迷走した結果、何らかの理由により『みんなの夢』から遠ざかってしまう。それに気づき、危機感を抱く。そして、それを解決するための手法として、「いつもの自分たちでいいんだ」という答えを提示することこそが、「意味のある迷走」だろう。
繰り返すが、迷走し、けどいつもの自分たちに戻る。それは正しい流れなのだ。だからそうなりうる妥当性を上げて欲しかったし、欲を言えば、いつもの自分たちでいい、という予想しやすい結論よりも上を行くものを用意して欲しかった。それは一期六話のセンター談義にも言えるのだけど、きっと穂乃果がセンター、リーダーということで落ち着くんだろう、と容易に想像できてしまうところから、一期六話は実はそれほど面白いと思わない。
迷走というマイナスを経て、いつもどおりでいいというゼロ地点に戻る。それじゃ何のためにこれ見たの?と思ってしまうのもやむなし。マイナスから少しでもいいからプラスに転じて欲しかった。とにかく前へ前へ、というのがラブライブの良いところだと思うし特徴でもあるし、持ち味なのだから。

あと、ネット界隈を賑わした海外ドラマの模倣シーン。佐原は気付かなかったのだけど、あそこまで丸ごとぱくってしまえば誰かが必ず気付き、そして丸ごと何の工夫もなく真似してるわけだから叩かれてもしょうがない。
真似なんていくらでもしていいという意見はあるだろう。あれはオマージュだからいいというい意見もあるだろうけど、いずれにしても何も考えずにそのまま真似てしまったらそれは創作じゃない。ただの模倣。オマージュというのはリスペクトの証であるのに、そのまま真似たら失礼でしょう。元の作品が好きで、とりわけ気に入ったシーンを使いたいなら、ラブライブ!なりにアレンジして活かして欲しい。しかも、多分その海外ドラマを愛してるのは一部のスタッフだけで、ラブライブ!に関わるスタッフ全員が愛してるとは到底思えない。当人以外には一切関係ない。ただの迷惑であり、ただの一部スタッフの自己満足だ。自己満足目的ならば山にこもって一人で創作していればいい。
真似なのかオマージュなのかの線引きなんてのは、けれど永遠に出来ないこと。それに対してどんな意見があっても、まあ個人的にはいいと思うのだけど、こういうことをすればどうなるのか。流行りものの叩ける場所が見つかったら、叩いてけなすのを生きがいにする連中がどこからともなく湧いてくる。ラブライブ!が好きで追い掛けて見てる人たちが、こういうパクリはやめて欲しいというなら分かるが、叩くために普段注目もしない連中がここぞとばかりに叩くのは、考慮の余地もない。そして、そういう連中に故意に餌を与えるようなことをしないで欲しい。きっと要所のセリフなどに、件の海外ドラマの他にもいろいろ引用はあるのだろうが、気付かれない程度に止めきちんとアレンジしてくれるならいい。ラブライブにとって必然性があるまでにきちんと昇華させるのは勿論のことだ。

特にこのシーンは、私はパクリには気付かなかったが、違和感は大いにあった。迷走した結果ライブまでの期間がタイトになり、衣装作りを手伝うにこであるが、ここでにこはことりに対して、そして状況に対して苛立ちを隠さない。貧乏くじ引かされてるんじゃないの?などと、「らしくない」セリフを話す。曲、詞、そして衣装。いずれも彼女達の「やりたいこと」のための道のりだ。それに貧乏くじも何もない。恐らく曲や詞も同じようにタイトなスケジュールの中、制作していることだろう。これは二期二話の合宿での状況と似ているが、あの時にこは、きちんと真姫を応援しアドバイスを出来ている。なのにことりには出来ないのか? 迷走したのは誰のせいでもない。九人のせいなのだから。ようは、ここまで仲間たちと助け合ってきたはずのにこなのに、「何にも分かってない」のである。
加えてことりの答えも上手いとは言えない。私は私に出来ることをする。そうことりは答えているが、これではやりたくないことを無理にしていると言っていると捉えられなくもない。やるべきことをやるのではなく、やりたいことをやるのがラブライブの一貫したテーマだ。それは特に、一期の絵里のエピソード周辺で描かれているはずなのだが……。ラブライブらしさ。テーマ性。いずれにも噛み合わない。むしろラブライブを全く知らない脚本家にいきなり書かせたような粗末なシーンとなる。

だから軽い炎上になった。パクリとオマージュの線引きは、けれどどこまでいっても出来ない。けど、それが明るみになればこの六話のように炎上すると今の世の中を少し知ってれば分かること。ならば、他のスタッフや声優、熱心に追い掛けるファンの気持ちに水を差すようなことはしないで欲しい。それがプロの作品作りじゃないんですかね。と、この六話のことをやらかしたスタッフに面と向かって言いたい気持ちだ。
まあ、人間は一度失敗したらなら後悔して反省し、次に生かしていく。きちんと自分の行動が自覚できる真っ当な人間ならば。穂乃果が同じ失敗をしなくなったのと同じように、スタッフにも成長してもらいたいものだ。そして今後のラブライブの展開では同じ轍を踏まないで欲しいと切に願う。



<七話:なんとかしなきゃ!>
六話で凄い引きがあったから一体何事かとあれこれ推察したのだが、七話開始1秒でそれはブラフだったと気付く。あ、これは深刻なエピソードではないと分かってしまう。人それぞれの部分だろうが個人的には拍子抜け。ああいう六話だから次は真面目に来て欲しかったので。
一期でも廃校の引きがあった。あれはあれで詐欺まがいの引きではあった。結局それは確定ではなかったものの、驚かせやがって、という安堵が逆にあった。廃校という重要な事柄ゆえの真剣味もある。けどこの七話の場合、ただの引きのための引きだ。果たして必要だったのか?この引きは……。
身も蓋もなく結論を述べるなら、六話に続きこの七話もイマイチ手応えが無かった。狙いは充分に分かるのだけれど。
穂乃果の部屋で雪穂が見つけたのは健康診断表、みたいなものか。穂乃果の体重がかなり大変なことになっていたらしい。ショックを受ける穂乃果。海未に促されスタダの衣装を着ようとするが、どうも入らなかったようだ。食欲の秋のせいかいつもどおりか、食べ過ぎで体重が増えてしまったらしい花陽と一緒に、二人ははダイエットに取り組むこととなる。
一期で穂乃果はいつもパンを食べていたから、こうなるのはやむなし。要所で白米を沢山食べていた花陽においてもまた然り。だが、とにかく過剰なほどにエピソードやシーンを詰め込んでくるラブライブにおいて、このダイエット談義というのがそもそも必要なのかという目で見てみると、必要ではない。ラブライブ出場を目指す上では必要なことなのだろうが、例えば、腕立て伏せ百回を達成するとか、衣装のための材料を安く調達するとか。例えばの話だが、そういうものを見せられても困るのだ。この二期が2クールで、穂乃果たちのアイドル活動の何気ない日常を描く(例えばスクフェスのストーリーそのものだ)方向性も視野に入れてるなら、その辺りのエピソードも丁寧に描いてくれれば、「それ自体が楽しいし価値があるし、大切だ」そう思えるのかも知れないが、1クールもの、特にラブライブのように前へ前へ、常に新しいステージへ、というのが根幹にある作品において日常モノらしい演出や方向性は食い合せが悪い。それを丁寧にやるほどの尺はないし、たった一話や二話、あまつさえAパートだけでその『日常』を描き出せるものでもない。日常ってそんなに簡単じゃない。けいおん二期のように、そちらにガッツリと舵を切ってくれるくらいしないと伝わらない。

予告編で映るスタダの衣装、なにやら大変なこと、そして恐らく生徒会絡みのトラブルもあるとであれこれと推察したものだけど、ダイエット談義かよ、という失望は拭えない。そういうのが見たかった、という層は少なくないだろう。コミカルで目が楽しいシーンでもある。けれども果たしてそれがラブライブなのか?という疑念は晴れない。
ダイエットに専念する穂乃果と花陽のコミカルなシーンなど、六話と同様に、見ている分には楽しいといえるのだけど、正直、それくらいならスクフェスで幾らでも見れます。アニメ本編はそれより一段階質も、意味もを上げて欲しいと思う。残された時間を握りしめて、という二期OPの歌詞の一節だが、そんな気迫が伝わってこない。

そんな状況の中、同時に生徒会で各部活動の予算案作成という案件が進んでいた。美術部の子が予算希望書?的なものを持ち来訪し、穂乃果たちがそれを受け取る。それをことりが、「承認」と書かれた箱のなかに収める。隣には否認の箱もある。ここ、奇妙に違和感のあるシーンで、見ている側として誰もが「あれ?」と思っただろう。後々これがトラブルの火種であると明らかになる。
話はダイエットに戻る。花陽は概ね体重を戻せたらしいが、穂乃果はあまり成果を上げられなかったらしい。どうも間食をしているようだった。ことりが穂乃果に甘いからなのだが、当然海未にどやされる。なかなか穂乃果は減量に本気になれない。
その後、トラブルが発生する。どうも美術部の子が決まってるはずもない予算案が通ったと勘違いしたらしく、苦情を申し立ててくる。確かに承認の箱に入れた。正式に承認される前なのに。しかし美術部の早合点もある。つまり双方に落ち度がある。それでも穂乃果たちは誠実に解決への道を探ろうとする。
一連のこのシーン。その方向性自体は全く間違っていないけど、ここで重要なのが、ことりが承認の箱に入れちゃうシーン。恐らく入れてはダメだったのだろう。それを見ていた美術部が早合点した。やりたいことは分かるけど、そもそもあの箱の存在が意味不明。生徒会の身内だけで用途の通じるあの箱は、外部の美術部が見せてはならないものだった。推察で埋めれなくはないけど、もう少しことりが間違うプロセスを丁寧に書いてほしかった。重要な場面なんだし。
この七話、一言で言うと油断。油断して体重が増え、ことりの失敗も油断。とはいえまあ、穂乃果はいつもパン食べてたし、花陽は白米好きの食いしん坊バンザイだから納得は出来るけど、ことりはただ油断してただけ。失敗なんて偶然の産物ではあるのだけど、もうちょい何か理由があっても良くない?でないとことりを下げるだけのエピソードになっちゃう。その後で取り返せたとしても。しかも六話で、私は私にできることをやる、とにこに断言した後だし。一期の留学といい二期といい、どうも脚本に振り回されてる感のあることり。特に二期はことりの見せ場が少ないのに。もうちょい、ことりっていうキャラクターを丁寧に見せることに重きを置いて欲しかったです。
結果的には、穂乃果と海未とことりが夜遅くまで予算案を調整し、何とかどの部活も納得いくよう持って行き事無きを得る。
正直、六話と七話にあまり意味を感じないのが正直なところ。七話における一般生徒との繋がりは今後に絡んでくる要素であり、あとあと機能してるんだけど、今のこの七話というのも面白く、質高く作って欲しかった。あくまで誠実に一般生徒たちに向き合ったこと。それ自体に意味はちゃんとあるのだが、『みんなの夢』というとことに繋がっていないのもマイナス点である。
迷走、油断、衣装作りが急がされる、生徒会の失敗、そのへん上手に絡めてもっと面白くかつ妥当性を上げることは出来たと思うし、そもそも、もっと他にやれる事、やるべき事はあったんじゃないか?と思ってしまうのが難しいところだった。

ラブライブ!μ's→NEXT LoveLive!2014 〜ENDLESS PARADE〜

一日目をLVで観てきました。本当は現地参加したかったんだけど悔しくもチケット落選。というわけで地元(からは50kmくらい離れてるけど)の映画館で見てました。LVと侮る事なかれ。席は満員でしかも総立ち。サイリウムの光が鮮やかに会場を彩る。映画館というよりちょっとしたライブハウスでしたねw 映画館って客が飛んだりはねたりすること想定してないし、床が抜けるんじゃないかと余計な心配したり。取り敢えず、あのスペシャルな出来事を忘れたくないので記録しておきます。でないと気持ちにおさまりがつかなくて現実に戻れない!ということで曲順を追いながら覚えてる限りのことを感想添えつつ。

01. Music S.T.A.R.T!!
先ずはこれしかないって感じ。今か今かと始まりを待つ会場で、この曲を待ってる雰囲気ひしひしと伝わってきた。やがてライブは幕を開け、ウェールカームソーンと聞こえると、もうテンション最高潮。メンバーの衣装もほぼそのままで素晴らしい。この曲の肝はセンターである真姫の大サビソロパート。くるぞくるぞ…と会場は賑わいつつも、ざわざわとするw やがて期待以上のパイル様のソロ。もともと、いろいろな曲で、その歌唱力の高さと安定感そして声量から、ココイチのソロはパイル様が担ってる。コーラスにしろ何にしろCD以上の迫力の歌声を見せつけてくれる。Mスタでもそれは健在。パイル様の全開ソロやコーラスワークは、μ'sのライブの『華』のひとつ。ライバーの期待以上にいつも答えてくれる。ダンスも切れ味ナンバーワンで、始まりから最高潮の一曲目となった。

02. 僕らは今の中で
アニメの曲はもしかしてやらないかな…と杞憂していたのは自分だけではなかったらしく、特徴的なイントロが流れると、驚き混じりの歓声が上がった。僕らは今のなかで。アニメの世界観、物語を汲むその曲は、μ'sの正シングルらしさもありつつ、ストーリー、テーマ性はアニメの物語を表しつつ、『普通の高校生』である彼女たちが手ずから作ったという「らしさ」も併せ持つ曲。今のラブライブを最もよく表している曲。聞きたい、でも聴けないかも、というライバーの一抹の不安は吹き飛び、より会場はヒートアップしていく。

MC1
ここでメンバーの自己紹介タイム。それぞれ、観客とのやり取りもしつつ。えみつんのファイトだよ!は出来たものの、出来なかった掛け合いも少々w 会場のライバーたちはだいたい掛け合いできてたようで、ライバーとしてまだまだだと実感。

03. 夏色えがおで1,2,jump!
04. Wonderful Rush
3rdライブから鉄板の流れとなりつつある序盤のヒートアップゾーン。1st2ndの頃は恐らく、メンバー達の体力なんかの考慮で、速い曲が連続することはそれほど無かったのだけど、たぶんメンバーも力をつけてきていて、それがこなせるようになってる。特に夏色笑顔はダンスも激しく歌もテンポが早い。非常に演るのは苦しい曲。特に夏色センターのそらまるは、体力にはあまり自信なく、ダンスも苦手らしい。なのに後半でソロパートが控えているという、聴くがわとしてはテンション上がる曲だけど、ご本人にとっては鬼門みたいな曲のはず。けれど今ではきっちりとこなせるようになってる。ラブライブは、成長し進化するコンテンツであるということを真に表わしているのが、夏色笑顔という曲だと思う。ワンダフルラッシュも、センターうっちーの「ことりらしい」歌唱が聞くものを魅了する曲。アニメ化直前の、爆発寸前のテンションがこれでもかと詰まった曲の披露で、序盤の山は熱気とともに過ぎ去っていく。ちなみに自分、この寒い時期にLVなのにここで汗だくでしたw 周りからも「あっちー」とか「タオル持ってくれば良かった」という声がちらほら。多分、LVでしかも地方都市新潟だからもしかしてまったり…?と予想してた潟ライバーは多いはず。その予想は、既に完全に、これでもかというほど覆されていた。勿論、完全に嬉しい誤算である。
この2曲も、パイル様のハイパーなコーラスやソロが冴えに冴える曲。耳が幸せな瞬間。

ドラマパート1
海未希凛のメンバーからなるリリホワの三人組のショートコント。新潟ではここで皆着席してました。序盤から飛ばしまくりでかなり疲れてたのでいい息抜き。後半で暴走する海未ちゃんが笑いを誘い、ほどよいクールダウンに。

05. ススメ→トゥモロウ
この曲も、聞きたいけどもしかしてやらないかも、という危惧のあった曲。サードライブでは個人的に、歌や演出的に一番のお気に入り。合いの手を入れやすく、これもアニメのストーリーや、高校生の彼女たちらしい手作り感のある、けれど極上のポップ感のある名曲。終盤の大サビで、階段に座りながら、えみつん、うっちー、そしてみもりんが楽しげに身体を揺らしながら、仲睦まじく歌うのはアニメにはない演出で、素晴らしいとしか言いようがない。DVDだけでなく『今』のススメトゥモロウを聴け、大感動。クールダウンした会場のテンションは再びうなぎのぼりに。

06. 夢なき夢は夢じゃない
えみつんの自転車でお馴染み、穂乃果ソロ曲。自転車もグレードアップし、会場広しとあっちにこっちに走り回る。(さすがに危なすぎるから漕いでなかったけどwでもホントに漕いでたサードはやっぱ凄い)会場はオレンジ一色。えみつんと穂乃果のキャラクターが、かなりの度合いで被っているのは、ラブライブというコンテンツの正真正銘の魅力のひとつだと思う。

07. Anemone heart
個人的にめっちゃ期待してた曲ナンバーワン。R&Bディスコ風というか、DVD特典曲のカラーである楽曲の先鋭性を最も表してる曲。みもりんは常に格好良く決めてくれる人だが、ほのぼの、のんびり派という印象のうっちーも、この曲ではクールに決めてくれていた。派手な振り付けはなく、合いの手も特に入れる場所のないヨコノリの曲だが、ラブライブにそういう曲はあまりない。実は縦ノリの曲より、グルーブ感あるヨコノリの方が、乗ってて気持ちいのですよね。シンクロするうっちーとみもりんの挙動。儚く物憂げな視線が絡まり合い、離れる。シンメトリーって言うのかな。作中では高校生のことりと海未が大人の女になった時、こんなふうに? というゾクゾクした色気に会場は、縦ノリとは違う感じに盛り上がった。↓は、よく絵師さんがやるようにちょっとした絵を添えながらライブレポを真似してやろうとして、けれど途中で挫折したという過程で生まれたモノです。

08. なわとび
シカコがんばれー! というちょうど後ろの席にいたシカちゃん狂いらしいライバーから応援の声が飛んでいた。一番、歌うのが大変そうなのがシカコなんだよね。花陽ちゃんの声とシカコの声が違いすぎて。声色作って歌うのはすごく大変そうだった。けどそれが、花陽ちゃんの必死さや健気さ、「泣けちゃうの、ごめんね」という歌詞と相まって、涙が誘われてしまう名曲。花をつんでいく演出も、花陽らしく、バラードというしっとりと聴かせるパートにもふさわしい。明るく飛び跳ねるだけがラブライブではない、という曲です。歌い終わると会場は暖かな、心からの拍手に包まれる。褒めるように、共感するように、そして感謝するような拍手。ほんと、暖かな拍手だったんですよ。

09. Beat in Angel
期待してた曲ナンバー2。ちょっと懐かしい80年台風のバブリーなハイパーユーロビート調の縦ノリマックスの曲。真姫と凛という、揃ったら絶対騒がしくなること間違いなしのコンビニふさわしい明るく騒々しい曲。パイル様とりっぴーはなんと天使の羽を背中にくっつけて登場。明るく楽しく、今さえ楽しければそれでいいジャン!という無責任に楽しめる曲。ライブというのは、ここにしかない今を最大限に楽しむもの。麻薬にも似てる。りっぴーが途中で歌い出し忘れちゃうアクシデントはあったけど、それもまた、ライブ。忘れちゃったけど、なんとか取り戻そうとするりっぴーを応援し、そして取り戻してくれたりっぴーと再び楽しむ。それもライブの一部なんです。

10. にこぷり?女子道
アイドルソング全開のにこにーらしい曲。うさぎのきぐるみダンサーを従え、ウサ耳をつけ人参型マイクで歌うそらまるは、まさにオタクたちのアイドル。穂乃果とえみつん以上に、にこ先輩とそらまるはシンクロ率が高いw 会場もピンク一色。実はCDでこの曲を聞くのはそれほど好きではないのだけど(汗) ライブで聞くと楽しい。ライブ映えする曲が多いというのは、ラブライブの強みです。

11. 硝子の花園
恐らくライバー全員の度肝を抜いてくれたんじゃないかと思わしき、とんでもない演出をぶっこんできてくれた曲となった。ええそりゃ勿論、硝子の花園にイメージし、そして期待していたのはああいう素敵な演出です。でも実際にやってくれるなんて思っちゃいなかったわけです。ジョルノとくっすんも、やるとは思ってなかったんじゃないかなw え、やるの? うん、そう決まったみたい。やろっか え、南ちゃん嫌じゃないの? いや、それほどでも?むしろくっすん嫌じゃない?それなら変更してもらうけど う、ううん。そんなに嫌じゃないよ なんて舞台裏のやり取りを想像してしまったり。くっすん、微妙に笑いをこらえてたもんなライブ中w だがそれがいい。この曲の真実は、是非とももう一度DVDで確認したいし、してほしいと思う。LVのカメラアングルも神ってたんだよ。一瞬、キ◯しそうに見えて息が止まったもん。頭がおかしくなりそうになりつつ、DVDのソロデュエット曲パートは名残惜しくも幕を閉じる。

ドラマパート2
絵里にこ真姫によるビビの三人組のショートコント。こちらも、絵里暴走オチなのだが、よりはっちゃけてて会場爆笑w なんかでも、最後は割りとしっかりした落ちがあって、なんていうか、安心したw

12. LONELIEST BABY
めっちゃ好きな曲。ミディアムテンポのヨコノリの曲だけど、合いの手も入れられるというある意味ライブ最強曲、というのを今回知った。この曲の乗るとすごく気持ちい。大好き大好き、というある種のトリップ感もあるよね。一番楽しかったのはこの曲でした。とにかく楽しかったとしか言いようがない。素晴らしい。

13. 輝夜の城で踊りたい
和のテイストを感じさせるノリの良いディスコ調な曲。特徴的なセリフパートもあり、もともと人気のある曲だったろうけど、たぶんサードライブで更に一気に株をバク上げしたはずの曲。センスを持って和服ミニスカートで踊るあの演出に度肝を抜かれたライバーは数知れず。これも、聴けないかもという危惧はあったが、アニメの曲、しかもCW曲でありながら一日目、二日目両方で演ったのは、やっぱ反響がでかかったからだと思う。

MC2
このへんで衣装を脱いじゃうトコだったかなw バレンタインの話で軽く盛り上げつつ、知らなーいとうそぶくシカコは曲者w で、たぶんりっぴーがまた台本をちょっと忘れちゃってたのかもだけど、えみつんがしっかりフォローしてくれた、みたいなトコもちょこっと見えた。でも、助けあっているのがμ'sらしいし、それぐらいちょっとグダグダなのがμ'sっぽくて楽しいのです。

14. もぎゅっと“love”で接近中!
15. baby maybe 恋のボタン
もぎゅっとは後半戦突入の定番曲。ライブで聞くと、ゆるやかなメロディとミディアムなテンポが心地よい。そのまま引き続き、実はやるとは思ってなかった懐かしの恋タン。こちらも優しい曲調で気持ちのいい曲です。個人的に恋タンはすごい好きで、恋へのボタンを押してほしいという歌詞が好き。コンテンツの初期を感じさせる楽曲。でもまだつい最近なんだよね。でも、ものすごくいろんなことがあって、何年も昔の曲みたい。懐かしい気持ちになる曲。揺れるサイリウムもどこかまったり懐かしむ感じ。

ドラマパート3
そして穂乃果ことり花陽のユニット、プランタンによるショートコント。穂乃果お前いい加減にせえよwwwとライバーが思うこと請け合いで、ことりが珍しく穂乃果を強い口調で(でも可愛い感じで)叱ってくれる。なんのかんの、μ'sの面々は楽しい、と思わせてくれるこのショートコント3発は、ライブへと物語を繋げていき、きっちりと幕を引いてくれた。その後、お着替えしたメンバー再登場。

16. LOVELESS WORLD
この曲、かなりハードルの高い曲、というのをライブ見て実感。炎が吹き出す演出とか、これだけじゃなくトロッコや自転車等、見て楽しい演出が多かったのは今回の特徴。めっちゃ大きい会場だから、こういう路線はひとつの正解だとは思う。ただこの曲、かなり難しいんだろうな。ちょっとズレたりしたっぽいし、終盤のコーラスワークは迫真だったけど、声がいろいろ混じっちゃってて、なかなか曲のあるべき姿にならなかったっぽい印象。でも、とにかく気迫は伝わってきた。そういう「本気感」を感じられるのがライブの醍醐味です。5thライブで完成形を迎えてほしい。

MC3
ここでメンバーと一緒に合いの手の練習w ここのMCはすごい楽しかった。うっちーが、話しを振られて、でも「仕切って〜」と泣きついちゃうのは台本なのかリアルなのかw 誰に泣きついちゃったんだったか。海未ちゃんだったか……ちょっとうろ覚え。次に控える曲を想定し、にわかにテンション高まってく。

17. No brand girls
もともと前のめり気味、ちょっとぐらい転んでも大丈夫! という勢いがラブライブ、μ'sの
魅力。それをがっつり表わしているのがこの曲。作中では穂乃果のアクシデントを呼んでしまった曲だけど。練習した合いの手を全力でやるライバーと、気迫のμ's。でも、ただただ全力というだけじゃないのは、事前のMCでの練習があったからかも。ステージと観客席の繋がりがあるから、楽しめる。アニメ二期でもう一回、何らかの形でノーブラやって欲しいな。超えるべき山、というイメージの曲。現実では先んじて超えてるからね。

18. Snow halation
ラストの大定番。サイリウムの光が白からオレンジに変わる瞬間は、やはり圧巻です。自分もだけど、隣近所も色を確認していたりして。この曲に関しては、もう語ること無く素晴らしい。ライブの定番、とかが年月を経て生まれ浸透していくのは感無量ですほんと。自分はまだライバー歴半年ちょっとだけどw でもそろそろ、スノハレを超える曲がほしいな。より深く、より鮮やかで、より想いを遠くに放物線を描くように飛ばす曲が。

アンコール
ここ! ライブのためのまさかの描きおろし新作アニメ。一度降ろされた幕の向こうのμ'sの面々。ここのにこにーの仕切りが素晴らしい。にこまきもきっちり押さえてくれ、LV会場でもセリフ聞こえないほど盛り上がった。女の子の声が特にでかかったかなここは。にこまき女子人気高し。こういうライブでは、アンコールって少し扱いが難しい。あるに決まってるじゃんって分かっててもアンコールはするけど。でもこういう演出があると、また違う気持ちでアンコールが出来る。すごくいい演出だった。実在はしないμ'sメンバーたちに声を届かせようとするってのは、いわゆる断絶された祈り。届かない祈りです。でも、それを敢えて届けようとするってのは、届かないと分かっててやる行為。だからその祈りは、この世で最も純粋な行為。ラブライブを、μ'sを、ライブを応援したいっていう、それだけの声。それは最も大事な気持ちです。

en1 START:DASH!!
印象的なピアノのイントロが流れると、もはや会場は、歓声というより悲鳴、絶叫にも似た声が響き渡る。スタートダッシュ。始まりの曲。この曲を歌うμ'sたちと同じ時間を過ごせる。ヘイ、ヘイ、ヘイスタートダッシュ! と叫ぶ。それだけで楽しかった。自分はアニメからのライバーなので、この曲への思い入れはひとしおですこの曲はほんと、頭のなかで鳴るだけで涙が出てくる。この曲が原点、μ'sの始まりの光でほんとに良かった。

en2 友情ノーチェンジ
これもまた懐かしい楽曲。初期らしい明るく穏やかで元気な曲。アンコールということもあり、いたって気楽な雰囲気。もうじきライブは終っちゃうんだなという一抹の寂しさも、つい忘れちゃうくらいに。色々な楽曲が揃ってきたせいか、ライブのセットリストの流れがサードライブから凄く良くなってる。盛り上げるトコは盛り上げて、まったりのところはまったり。その緩急が。ラブライブには捨て曲がないのもいいね。正シングルなんて、全部が全部両A面でいいくらいの出来だし。そういう、細かい所で丁寧に作りてがやってくれてるから、アニメ化で大勢の目が向いた時、アニメの出来が良かったこともさることながら、大勢の人がコンテンツに夢中になったんだと思う。

en3 僕らのLIVE 君とのLIVE 〜 きっと青春が聴こえる 〜 カーテンコール 〜終わりに
全てのはじまり……というより、「ゼロ」の物語がアニメで描かれた今となっては、全ての中心にあるようなイメージ。この曲が発売当時500枚しか売れなかったってのは、声優さんたちがよく話している。新潟にジョルノさんがやってきた時、ご本人の口からも聞いた。それがあの時、いったいどれだけの人間が一緒に歌っていたんだろうと。そう思うと胸が熱くなった。
このへん、自分も断片的にしか覚えてなくて、覚えてることを書き連ねつつ締めようかと。最後はきっと青春を全員で合唱しながら、μ'sメンバーたちはトロッコで会場を走り回りながら、チョコや色々ぽーんと投げて配ってた。途中風船がたくさん降り注いできた。きっと青春が聴こえる〜と繰り返し繰り返し歌って、終ってほしくないけど終ってしまうんだと胸が熱くなった。もうこのへん胸が熱くなりっぱなしで記憶も曖昧です。μ'sメンバーがみんな走ってて、りっぴーが先陣切ってて、ジョルノの、これが若さ…ってのが聞こえたような気がw
最後は、会場のみんなも、ライブビューイングのみんなも手を繋いでー!というえみつんの声で、自分も、左に居た同行者と、右に居た一人で来てた若者っぽい男性と手をつないだ。こんなことLVでも起きるんだと胸が熱くなった。これ、すごいことです。新潟は全員が手を繋いでました。
手をつないだまま、最後は何て言ったんだったっけか。よく覚えてないですw そしてメンバーたちは、扉の向こうへと笑顔で去っていった。ダブルアンコール、ありそうな感じもちらっとしたんだけどな…。
終わりに、完成度、バランスという意味で極上だったサードに比べると、仕上がりの度合いは一枚劣っていたのかも知れないけど。大きな会場だから、トロッコの演出のように会場を大きく使うことや、ラブレスでの炎はどんなに遠くても見えただろうし。アンコールのアニメ演出とか、大きい会場だけど、だからこそ全員で楽しもう、楽しめるように、というのがよく伝わってきた。LVだと、メンバーの表情も、そういった演出も全部見られるのだけど…やっぱ現地で空気を感じたい!痛切にそう思いました。来年もSSA2デイズがあるという発表も二日目にあったらしく、次回はぜひ参加したい。二期ももうじき始まるしで、テンション上がるにゃ!
最後に、μ'sのみなさんと、Tジョイ新潟万代に駆けつけた潟ライバーと会場のライバー、そして厳密にいうとライバーではない同行者の方にありがとうと言いたいです。

僕らのラブライブ!2にサークル参加します。

10/14にあるラブライブのオンリー、『僕らのラブライブ!2』にサークル参加します。スペースは【ノ22 worksLUNA】です。下の絵の表紙のにこまき小説本が出ます。総頁ページ数340頁でタイトル『星華相愛』です。配布価格1000円になります。最初から最後までにこまきです。がっつりにこまき詰め込みました!
表紙デザインはコチラの屑星ケンタさんにお願いしました。上品で素敵なにこまき、描いていただきました!http://www.pixiv.net/member.php?id=9687

大好きラブライブ!

暑くなってきましたね。佐原は最近ずっとラブライブに夢中でした。ずっとというか、ここ一ヶ月くらいですけど。最近やってたアニメの出来がすごく良くて。高校生たちがスクールアイドルとして活動していく、という内容で。最初はアイマス的な……とやや色眼鏡で見ていたのですが、蓋を開けてみたらびっくり。主人公である二年生たちの横のつながりや、一年生、三年生たちも含めた縦のつながりなど、人間関係を深め進化させていくような渋い内容で、カップリング要素的なものも沢山で、なんだかマリみてに通ずるようなトコが佐原的にどストライクでした。
DVD買ってニコ生見て楽曲聴いてと、ラブライバーとして精進する日々です。ピクシブではSSやら下手な絵やら漫画やらアップしてるので、興味ある方は是非。10月にオンリーがあるのでサークルで出ようかと考えてます。
http://www.pixiv.net/member.php?id=2205735
ピクシブのアドレスはこちらです。

そういうわけで

まったりとGWも過ぎて、明日から仕事です。都産貿で開かれた京コミに参加してきたのだけど、いろいろ、イベントのやり方等知ることができた感じでした。隣のスペースの方とも割りとお話してもらえて、楽しかったです。次のイベント参加は未定ですが、繋げていきたいですね。下は最終的な今回の表紙絵です。若干以前のものと違うのです。では。