2012-02-22
国家の消滅
人類の歴史上、文明らしきものが誕生してから、必ず国家がありました。
国家は、個人を守り、人々を結びつけ、個人の力を大きく結合させる役割を果たす一方で、国家は巨大な力を持ち、国家どうしの争いや、国家がさらに力を強めるため国民を犠牲にして権力を集中させたり、国家の意思に反する個人の処罰など、悲しい出来事もたくさんたくさん経験してきました。
私たちは、米ソの対立を最後として、個人が自立して生きる社会を望みました。冷戦終了と同時に、インターネットが爆発的に普及し、世界を大きく変えつつあります。
先進国では、経済危機や政治の低迷や国家への信頼の低下がどの国でも起きています。
いっぽう、新興国は、爆発的な勢いで経済成長を遂げています。お金やモノや労働力は、国境を越えて、自在に移動しています。国家が障害物となりつつあります。
独裁政治の残っている国々では、インターネットに端を発して革命が起き、あり得ない政権転覆がドミノ倒し的に起きています。
既存の産業が衰退し、新しい産業が急速に成長しています。けっして、世界中が貧しくなったり行き詰まったりしているわけではありません。
私たちは、世界の政権交代を望んでいるのかもしれません。自民党から民主党へとか、アメリカからアジアへなどという話ではありません。そのような、覇権の移動ではなくて、もっと根本的な政権交代です。
それは、「国家から個人へ」
私ひとりが言っているのではありません。現に、地域社会はゆるやかにあるいは加速して消滅に向かっていますし、会社というものが数年後にはなくなるだろうと予測する人々は少なくありませんし、国家がなくなるか、役割を大幅に縮小するだろうと予測する人々も少なくありません。識者たちの発言を見ていても、そのような文脈で語られているものを多く見かけます。
かつては、「調べる」ということは、たいへんに時間も労力もお金も必要でした。20世紀に生まれた人たちは、当時のことを思い出して下さい。何か調べようとしたら、どうしますか? 図書館へ行って、たくさんの本の中から探し出す。なければ、別の図書館へ行く。または、その情報を持っている人を捜し出して、手土産持って訪ねていく。または、調べることをあきらめる。
だから、たくさんの知識を持っているということは、とても大切でしたし、財産でした。
いまは、どうですか? 調べ物は、どこにいようと、クリック一つです。時間も労力もお金もかかりません。たくさんの知識をもっていることの値打ちは、暴落です。
20世紀の情報は、限られたものが一方通行で流れるだけだったのに、今は、あらゆる切り口の情報が同時に出てきます。原発推進から、原発反対まで、あらゆるものがいっぺんに出てきます。それらは、どれもが、一面の真理を持っています。私たちは、必要な情報をすばやく見つける能力と同時に、多様な情報をもとに新しい情報を組み立てる能力が必要です。それを誰かにゆだねることは、本末転倒です。
インターネットを見てみましょう。少し前には、ポータルサイトが大流行でした。誰かがかわりに情報を整理したりさがしたりしてくれる。最近主流なのは、ソーシャルネットワークです。自分が主になって活動するスタイルです。
このようなスキルを身につけることのできる学びの場は、ちょっと見あたりません。学校は、知識の伝達です。学校の未来がどうなるか。わざわざ言わなくても見えてきます。
通貨、学校、社会保障、戦争、地域社会、会社・・・こういった仕組みは、国家が直接間接に維持してきたものです。国家が消滅に向かうということは、これら全てが消滅に向かうことを意味します。
2012-02-21
インターネット以後の世界
インターネットが爆発的に普及したのが、1995年から2000年にかけてです。
そのあたりで世界は大きく変わってきています。とはいえ、今までの世界が消えて無くなるのではなく、新しい世界と旧い世界が同居しているような感じです。そのことに混乱をきたしていると見えるケースが、とても多いです。
インターネットは、情報のあり方を変えました。それは、単なる技術革新ではありません。20世紀までは、情報が一方通行でした。だから、情報を発信する側と受ける側が、明確に分かれ、発信する側には、力(権威、権力)が存在しました。インターネットは、個人が自由に発信できるので、かつての権威や権力が無意味です。
そのことは、個人のあり方を強く変えてしまいます。与えてもらう、指示してもらう、守ってもらうというスタイルは、成り立ちません。自分で考え、自分で判断し、自分で選択し、自分で行動することを、インターネットは全ての個人に求めます。「寄らば大樹の陰」も「長いものに巻かれろ」も「郷に入れば郷に従え」も、インターネットは過去の遺物としてしまいます。
要は、自分の人生を自分で生きることを、インターネットは強く求めています。インターネットとは、そのような性質を持っているので、そのような方向に向かわざるを得ません。インターネットが短期間に爆発的に普及したのは、世界中の人々が、「自分の人生を自分で行きたい」と望んでいるからなのでしょう。
20世紀までは、人々は、そんな望みをもっていなかったはずです。国家に守ってもらうとか、地域社会で生きるとか、会社に守ってもらうとか、共同体をベースにしていたはずです。インターネットは、共同体から、個人へとシフトを促します。
通貨が光速化し、経済が世界規模で大きく速く動くようになりました。しかも、通貨が現ナマではなく、通貨そのものが記号化された電子情報なので、実際にある通貨の量よりも、はるかに巨額の経済が動いています。そして、その、コントロールできない経済が、私たちの日常生活を振り回しています。失業、リストラ、倒産、減給、売上低迷、貧困、ワーキングプア、非正規雇用問題・・・こういった私たちにとって身近で切実な問題は、インターネットが創り出す新しい世界が引き起こしています。
さらに、経済の空洞化、社会保障の行き詰まり、国家財政の行き詰まり、社会不安の増大、政治の機能低下、経済危機・・・こういう大きな問題も、個人の抱える問題と同じで、インターネットが創り出す新しい世界が引き起こしています。
インターネットが悪いのではなく、新しい世界が、旧い世界と摩擦を起こしているのです。私たちは、新しい世界にも、旧い世界にも住んでいます。1人の人間が、どっちの世界に住むか、ではなくて、全ての人が、両方の世界に住んでいます。
こういう問題への対応の最もマズイやり方は、新しい世界によって生じた問題を、旧い世界で解決しようとすることです。つまり、上記のような問題への解決策は、縮小へ向かうことです。どんどん切り詰めていき、少ない収入でやりくりしようとか、少ない税収でやりくりしようとか、増税しようとか、経費削減しようとか。これは、自ら消滅へ向かうだけです。
新しい世界で生じた問題は、新しい世界で解決策を見るべきです。
私たちは、自分の人生を自分で生きましょう。そのような世界をあなたは怖れていますね。人類の歴史上なかった世界なので、モデルがありません。まったくの未知です。でも、その世界を創り出したのは、あなたも含めて、人類なのです。戦争や虐殺は、自分の人生を他人にゆだねるべきでないという学びをもたらします。その学びを自ら得るなら、もう今後は、戦争も虐殺も必要ないはずです。
自分の人生を自分で生きるということは、同時に、共同体を不要にします。地域、会社、国家・・・
でも、人間は、一人では生きられません。共同体によらず、個人が自立しつつ助け合い、協力し合う仕組み。そんなものが可能だろうか。少なくとも、ネット上では、その萌芽が見られます。
2012-02-20
人類史上なかった世界
1995年ごろから、2000年ごろにかけて、全世界で急速に普及したインターネット。
直接、間接に、世界へどのような影響を与えたでしょうか。
郵便や電話とは比較にならない通信の簡便さにより、人々の交流が、国境や言語や社会システムの違いといった枠組みと関係無しに、きわめて容易となりました。人々が、連絡をとりあったり、情報を得たりすることが、自由自在となりました。
だれもが、情報の発信者となれます。いままでは、情報発信できるのは、「力」をもった人たちだけであり、専門的なスキルも必要でした。いまは、力もスキルもお金も要りません。
つまり、マスメディアの立場が揺らいでいます。限られた人たちから、大多数への一方通行の情報発信の限界が見えてきました。むしろ、給料を得て情報を発信している人より、無報酬でもいいから発信したくて発信する情報の方が、あんがい質の高い側面もあります。情報は、大本営発表はすでに成り立たず、あらゆる切り口のものが存在します。国家が、原発に関する情報を統制しようとしても、不可能です。
ですから、何が正義か、という価値観も、一律ではないと気づきつつあります。情報が限られているならば、ある価値観を多くの人が信じてしまうことが普通に起こりますが、いまは、それはありません。極端な意見、または風潮が生じても、それを修正しようという動きが起きてきます。絶対的な正義はないだろうと、多くの人が学びつつあります。
それは、世界中の人々が、自分たちの小さな知恵や知識を持ち寄って、巨大な知的体系を作り上げるという、人類史上かつてなかった知的体系が育っています。過去には、戦争によって、知恵を移動させたり集積させたりということが進行していましたが、戦争などより、はるかに効率的に知恵の集積がなされています。
みんなが作る百科辞典のwikipediaがあれば、どんなことでも簡単にわかります。説明の正確さに問題ありともいわれますが、問題があれば、正されていきます。永遠に完成されることのない、成長し続ける百科辞典。
みんなで力を合わせて大きなものを作り上げる。しかし、人々に命令を下す存在はなく、人々は、自分の意志で参加する。Web2.0の概念は、人類史上なかったものです。
情報のやりとりだけではありません。
物流を激変させました。買い物は、自宅にいながら、ほぼどんな物でも簡単に購入でき、自宅まで配送されます。ネット上で、商品の評価、特徴、問題点など、簡単にわかります。国境と関係無しに、世界中で日常的に売買、配送がなされています。もっとも、多くの日本人は、いまだに、海外への販売や海外からの購入はたいそうなことであると思っていますが。
電子マネーも普及し、お金は光速化されました。ネットバンクはもはや普通のことですが、全世界で通用する電子マネーが普及しており、ほぼ世界通貨に向かいつつあります。
金融も、光速かつ大規模化し、天文学的な取引がなされたり、ちょっとしたつまづきが実体経済へ深刻な影響を与える事態も起きています。金融は、もはやコントロール不能なエリアに突入した模様で、どうやら、このまま終焉に向かっていると見えます。
お金でなんでもできるというのは、20世紀の世の中でしたが、たしかに、それだけでは幸せになれるわけではないと、私たちは学んでいます。「お金さえあれば」という価値体系は、21世紀には修正されそうです。
金融を軸とした資本主義経済は、とてつもない大規模な話でありながら、私たちの日常生活に大きな影響を及ぼしています。どちらかというと、苦しい方の影響を受けている人が多いでしょう。その原因を、身近なところで考えて、ドツボにはまっているように見える方も少なくありません。
2012-02-19
21世紀の魔法
500年ほど前までは、世界全体がどうなっているかさえもわかりませんでした。
世界の端まで行くと、落っこちてしまうとか。
地球が丸いことがわかり、大航海時代に世界中を探検して、だいたい世界の様子がわかってきました。でも、他の人類については、よくわかりませんでした。だから、侵略、奴隷、戦争などの方法で対処してきました。
自分から遠く離れたところの様子や、そこに住む人々の心や文化について知るには、はるかな道のりを経て、そこへ行ってみる必要がありました。
飛行機、大型船が普及し、移動がある程度しやすくなりました。
やがて、電話、郵便、書籍、テレビ、ラジオなどを通じて、遠くの様子も、ある程度わかるようになってきました。とはいえ、知りたいことを知るには、お金も時間も労力もかかり、たいへんなことでした。
人間は、空間を超えるには、たいへんなエネルギーを必要とします。
それは、わずか20年前までのことです。
私たち人類が、世界中のことをどんなことでも知り、どんな国のどんな人とでも、自由自在に交流できるなんて、非現実的な夢物語でした。しかも、ほぼ無料で、しかも、労力もなく、しかも、瞬時に、しかも、場所を選ばず。
私たちには、物理的な制約があるのに、情報は、このような制約がいっさいありません。
これは、魔法ではありませんか。
少なくとも、20年前までは、こんな仕組みは、実現し得ないと思われていたはずです。
なぜ、こんな魔法が実現したのでしょうか?
インターネットが普及し始めたのは、冷戦の終了と入れ替わりです。冷戦の始まりは、帝国主義との入れ替わりでした。つまり、冷戦による学びが終了したから、インターネットが現れたのです。
冷戦によって、私たちは、何を学んだでしょうか?
「あなたは私とちがう」よりも、「あなたも私も同じ」と考えた方がいい。私たち一人一人の力は、微々たるものに見えても、人々がつながれば、世界を変えることができる。
こういったことを学んだのではないでしょうか。
だったら、インターネットがどう作用するか、見当がつきそうです。
2012-02-18
宇宙人と握手できますか?
もしも、私たちの目の前に、UFOが降りてきて、宇宙人が目の前に現れたら、私たちは、ニコニコして握手できるでしょうか?
たぶん、警戒します。敵か味方かわかりません。私たちと同じ心を持っているかどうかもわかりません。彼らがそこにいる目的や理由もわかりません。そもそも、彼らがどんな文化を持ち、どんな暮らしをしているかさえも、まったくわかりません。
仲良くできるか、死を賭けて闘うしかないのか。
彼らについての情報が全くなかったり、著しく少なかったりすると、相互理解よりも、警戒し、逃げるか戦闘態勢をとるかという状態になりがちです。生存本能や防御本能が働きます。未知に対する警戒がなければ、生き延びることが難しいでしょう。
人類の歴史は、自分たち狭い社会以外の人類がどのようなものであるか知らないところから始まりました。文化も、外見も、言葉も違えば、宇宙人のごとくであったかもしれません。
だから、戦争が絶えなかったのだと考えられます。
近代国家でも、戦争を遂行するには、相手に対する情報を国民に対して遮断するか歪めることが必要です。相手のことをよく知れば、なかなか闘争には向かえません。
人類は、戦争を繰り返しつつ、世界中の人類が自分と同じ人類であることを学びました。
どんな国も、どんな民族も、文化や外見が違うだけで、優劣があるわけでもなく、同じ地球上で、いたわり合い、理解し合い、助け合って生きていくことができると、ようやく、学びました。そして、そういうあり方こそが、私たちの豊かさや繁栄をもたらすのだということを、ようやく学びました。
自国のために他国から奪うというあり方は、繁栄のち破滅であることを、自ら証明していきました。
神が教えたところで、人間はなかなか理解できるものではありません。だからこそ、自分でその逆をやってみて学ぶ必要があります。そうやって学んだことは、本物です。痛い痛い代償を払ってきましたが。
自然の大切さを学ぶには、自然を失ってみる。
平和の大切さを学ぶには、平和を失ってみる。
健康の大切さを学ぶには、健康を失ってみる。
家族の大切さを学ぶには、家族の和を失ってみる。
愛の大切さを学ぶには、孤独を知る。
与えることの大切さを学ぶには、奪ってみる。
もう私たちは、戦争を必要としないはずです。なぜなら、世界中のあらゆる人、出来事、物事を、自由自在に知ることができるから。
さて、21世紀直前に、インターネットが現れ、怒濤の勢いで全世界に普及したのは、ただの偶然でしょうか? 単なる技術革新でしょうか?
