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2011-02-14 今日は降るかもしれないので

詩を一篇まるごと。よき一日を。


「雪、nobody」

            藤井貞和

 さて、ここで視点を変えて、哲学の、

 いわゆる「存在」論における、

 「存在」と対立する「無」という、

 ことばをめぐって考えてみよう。

 始めに例をあげよう。アメリカにいた、

 友人の話であるが、アメリカ在任中、

 アメリカの小学校に通わせていた日本人の子が、

 学校から帰って、友だちを探しに、

 出かけて行った。しばらくして、友だちが、

 見つからなかったらしく帰ってきて、

 母親に「nobodyがいたよ」と、

 報告した、というのである。

 ここまで読んで、眼を挙げたとき、きみの乗る池袋線は、

 練馬を過ぎ、富士見台を過ぎ、

 降る雪のなか、難渋していた。

 この大雪になろうとしている東京が見え、

 しばらくきみは「nobody」を想った。

 白い雪がつくる広場

 東京は今、すべてが白い広場になろうとしていた。

 きみは出ていく、友だちを探しに。

 雪投げをしよう、ゆきだるまつくろうよ。

 でも、この広場でnobodyに出会うのだとしたら、

 帰って来ることができるかい。

 正確に君の家へ、

 たどりつくことができるかい。

 しかし、白い雪を見ていると、

 帰らなくてもいいような気もまたして、

 nobodyに出会うことがあったら、

 どこへ帰ろうか。

 (深く考える必要のないことだろうか。)


 (^_^)v

hirofmixhirofmix 2011/03/03 00:25 この詩をずっと探しておりました。もう遠い昔、確か「現代詩手帖」に掲載された評論文の中で、この詩を見つけたのです。題名も作者名も忘れていたので、もう読む事はないだろうと諦めていたので、本当に嬉しいです。ネット上に残しておいてくれて、本当にありがとうございます。

2010-11-23 誰かが笑ったような

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 こうして二十三日は過ぎていきましたが、きのうときょうに本質的なくべつがあるわけじゃない。きょうはことしであり、ことしはきょうである。畢竟、きょうに人生があり、人生はきょうにある。勤労感謝の日は新嘗祭の日だ。ぼくらはまずさいしょに、圧倒的なおくりものを手にして生きはじめた。ぼくはそうして産まれてここにいる。これまでずいぶんといろんなものをほうりだしてきた。たくさんのほうりだしたものがあり、いくつかのけっして手ばなさかなったものがある。またぼくから去っていったものがあり、ぼくに残された空白があり、ぼくがどこかへ残した空白への想像力がある。愛すべきひとたちのおかげで、わすれてはいけないこと語るべきこと語りかけたいことおぼえていてほしいことができ、世界のささやきにみみをすますことができるようになりました。ぼくは元気にしています。

写真・masatomo写・雨が降ってきたのでみあげるとタワー@東麻布一丁目

2010-11-01 誰かが歩き出せば空白ができ

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 神戸に行こうかと思う、と話すと、「アンパイだねw」と言われた。ムラムラ……。いや、そうじゃなくてさ……。自分に耳障りのいいことばかりに耳を傾けていていいわけじゃないのだから、考えてみる。そやつは、アンパイの対案として北海道や沖縄はどうなの、と言っていた。ちょうどその話をしていた先週、札幌では雪が積もり、沖縄は台風が接近していた。そんなところ住んでられねえよ。なんてのは冗談だけど。天の気まぐれという点では神戸なんて十五年前には震度7強なのである。


 直観に説明はあとづけでしかないようにも思うが、それでも直観にもあとで説明は必要なのだ。ひとになにかを話せば、そんなことはあたりまえにわかる。共通の理解の上にのらないことは意味がない。そういうことを話していた養老孟司の講演録音を散歩しながら聴いていると、こういうことが語られていた。太平洋戦争の終わったことを国民が知った昭和二十年八月十五日のこと、養老孟司は小学校二年生で、その日祖母から「日本は戦争に負けた」と告げられ、養老少年は思ったそうだ。「だまされた」。養老のすこし上の世代になるとこの時、「たすかった」と思ったという。またその上の世代(吉本隆明とか丸山昌夫とか)においては、戦争中に半分大人になっていろいろ考えてしまったあとに、世の中の価値観がひっくりかえりそれまでの当然が当然に否定される現実に直面して、「自分の頭のなかを考えるのに精一杯のひとたち、そんなひとたちのいいぶんをきく必要はない」と養老は考えて生きてきた、と、「だから、わたしは解剖の世界へ入ったのです」。つまりこういうことだ。人間の言うことや考えることはいくらでも変わる。目の前にあるものはしょうがねえじゃねえか、そう言えることを望んだのだ、と。ひるがえって現代、ぼくらの世代は、あるいはぼくらよりひとまわり下の世代でも同じく、自分の頭のなかを考えるのに精一杯の世代なんじゃないか?


 すくなくともぼくは三十代にもなってまだ、自分の頭の中を推定するのに精一杯でいたようだ。子どものころから二十代まではあまり自分の頭の中のことを考えないで楽しくしていたようにも思うが、そうも生きられないように感じて自分のことばかり考えるようになった。それがここにきてやっと、だんだんとどうでもよくなってきた。どうでもよくなってきたけれど、いまもこんなことを書いているように、まだ壁を越えていない。これはあくまでも日記だから、こういうことばかりを書いていてもいいのだが、どうなんだろう。ああ随分吹っ切れた、と感じてもすこし経つとまた次の段階があるようで。そんなわけで、すこし飛ばして書くと、みな行動原理を持てないでいる。それを自分で作っていかねばならないのに、どこにも模範はないのだ。断片的な知見のなかに類例を見るしかないから、移住するなら北海道か沖縄はどう? という話になる。


 これも現実の話だが、そうやってわたしわたしと考えているうちにあっというまに年月は進み年老いて身体が衰えてくると思考する力も落ちてくる、そうするとだんだんわたしわたしも考えられなくなって、なんとなく生活をして病気になるか老衰して死ぬ。あるいは子育て家庭の雑事に追われるうちに歳をとって病気になるか老衰して死ぬ。およそ、どこかへの到達などはなさそうだ。けれどもぼくは、生きているうちに精神的などこかへの到達は、あるのが幸福なんだと考えている。ひとむかし前なら、自分の家のお墓に入って自分はご先祖さまになって、子孫が自分を大切にしてくれることが当然という安心が到達だった。そういうことが信じられなくなったぼくらやこの下の世代は、どこへ行く? 死んでから思うことはない。だから生きているうちなのだ。死者は生者のなかにのみ存在するし、だから死に急ぐより生きるべきなのである。ユーアンダスタン?

 考えてばかりいても上に行くばかり、なんとなく生活していても澱むばかり。誰かが歩き出せばあとに新しいものが流れ込む空白ができ、歩き出した先には壁の向こうが開ける可能性がうまれるのだ。そのために自分は歩きだそうというだけのこと。


写真・masatomo写・猫、行っちゃうのかい?@臨試の森公園入口

2010-10-28 よばれゆく

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 まいにちきちんと掃除をして、洗濯をして、質素を宗として、カビやほこりや澱んだ有機物の匂いのしない部屋に暮らしたいと思う。ちかくに活気のある街があり、すこし歩くと海辺があり、山の森が迫っているようなところ、出来るなら都市の光と自然の闇の明暗の境界線のぎりぎりのようなところに住んでみたい。くわえてそこが自分を呼んでいる。そういうところが、じつはある。もう二十年も前からその地域にとくに理由付けもなくひきつけられるようにして、その街をぼくは訪れていた。半年したら引っ越そうと思う。ほとんど町名までしぼってある。よい時期だ、たしょう消極的な面もあるのだけど。そしてまいにちきちんと掃除をして、洗濯をして、質素を宗として生活をする。オールタイム、そこをたずねるべくしてたずねてくるひとがやってきてもよいように。

写真・masatomo写・散歩中に猫は多い。

2010-06-07 読書と現実

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 自分に起こった出来事を、どこまで書くべきか、と考えて、いっそいろんなことをそのまんま書いてしまおうと、一瞬は思ったものの、日記といえどもネットに公開されている限り、それは現実的迷惑を生む可能性を孕むわけで、やめておこうと考えをあらためる。そうするとまあ、いわば歯にものがつまったような書き方にならざるを得ないのだけど、しかたない。けれども、ぼくの胸に刻まれているこのぼくの物語は、いつかきちんと、残そうと思っている。まあ、そんな前口上を言いたくなるほどに、自身でいまだ持てあましている出来事があったということだ。出会って以来、僚船のように思ってきたひとと、一区切りをつけるために深夜に出向いて、朝まで話をした。知り合って以来、ほんとうにいままで行く方のたよりにし見続けた僚船の灯りをとうとう見失う、やっとここまで来た、と。だいたいそういうことだ。一週間前のことだ。いま、『羊をめぐる冒険』(村上春樹)を再読している。現実的に意味のある読書として。作中に「鼠」は手紙に「あるいは君は僕が自分の運命に対して必要以上に意味を与えすぎていると思うかもしれない。もちろんそう思わせる責任は全て僕にある。」と書いたように、ぼくも自分の身の上に起こってきた出来事に必要以上に意味を与えすぎているのかもしれない。または現実に、意味や役割を考えて行動しすぎているのかもしれない。実際にその夜、そのひとにもそれについて一言指摘された。うん、そうだね。けれど意味なくして、なんの人生だろう。役回り、というものが必ず生まれると思う。誰かがそれを引き受けていくんじゃないか。ときおり、どうしてもそのひとでしかない、そういう立ち位置が出てくる。ね? たった一艘の僚船の灯りは、そういう存在なんだよ。さて、現実的に意味のある読書としてもう一冊は『「悪」と戦う』(高橋源一郎)。新刊出版のタイミングと書かれていることと、現実の人生が密接にリンクする本は、実際にあるのだ。昨年から今年に掛けての重要なある作品(『1Q84』)に続いてこの一冊がある。ぼくは物語のちからを信じているんだよ。そのひとはひとつの小説を書き上げたと言う。そのひとが、ぼくと、もうひとりの女性と、そのひとが関わった一連の出来事をもとに「文章を書いている」とそのひと本人から聞いたのが一昨年の秋だった。小説はいつか書き上げられて、「またこれから手を入れるつもり」、と。うん、そうか。役回りを引き受けることについて『羊をめぐる冒険』を読みながらいまも考えている。僚船の灯りは、いまだに航海のたよりになっている? 君も灯りを必要としている? 表面的な願望なんかはすべて手放して、それでも視界に浮かぶもの、耳を澄まして聞こえてくるもの。究極に現実的な読書は、究極に観念的な読書なのかもしれない。ぼくがいまほんとうに必要としている、そしてこれから何十回と読み返すべき物語は、そのひとが書いた小説。しかし、互いの物語を互いに伝える手段と方便を、いまのぼくらはすべて手放さざるを得なかった。ここまで互いを導いてくれた偶然に、続きはないのか。

2010-02-15 いかにして血路をひらくか

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 桑田佳祐で、おすすめを教えてください。と言った二十一歳は、桑田佳祐の、彼女がまだ知らないけれど気に入る曲をカラオケで歌うためにぼくからぼくの好きな桑田佳祐の曲目を聞き出そうとしていた。で、勧めてやって、やつも相当気に入ったのが『祭りのあと』。今度会ったら『MY LITTLE HOMETOWN』も追加しておこうと思う。

   ◆

 twitter再開。めぼしきひとびとを新たにフォローして、それ以上の期待はなにもせず、夜な夜な気が向いたときにつまんない深夜の路地の写真をアップなどしている。そもそも、会話のように発話したらどんどん消えていく音声と同じくtwitterの書き込みは後ろへ流れ去るものなのだけど、どうにもぼくは、それが記録に思えて、記録するというところから離れにくい。運転しながら聴いたラジオの、パーソナリティーのほんの一言が、ずっと後まで記憶に残ることがある。もちろん誰かとの会話にも。ほとんどの声は耳から記憶からすべて素通りするようにどこかへ消え去るのだけど、たまに記憶に残る一言がうまれるために膨大な無駄がある、とも思うし、一連の言葉たちも時間を埋めている限り、そこにあるべくしてあるものでもある。うむ。だからぼくはtwitterにはなんにも期待しない。ただ、ベランダに飛んでくる鳩をみつけることがあるなら、それをはしっ! とふんづかまえる構えは持って、つらつらとタイムラインを眺めては夜な夜な気が向いたときにつまんない深夜の路地の写真などをアップしている。

   ◆

 新潮三月号の小説家五十二人による日記リレーが面白い、とつぶやいていたのを見掛けたのはtwitterだったかもしれない。さっそく具体的に役に立ってしまったか。忘れよう。なにも期待はしないのだ。でもその発言は真に受けるに如くものだったので、新潮三月号を買う。シゴトの合間にちびちび読む。日記を書きたくなりますね、と誰かが書いていたのを覚えていて、そうですね、日記を書きたくなります、なんて思う。それも毎日欠かさずに、とか。まるで「主体性」が無いように見えるこの思考だが、実はこういう、一見意志薄弱に流れているようなことにも、くっきりと主体性の筋が通ることがあるのだ。ただしそれはしばらく時が経たなきゃわからないのだけど。とはいえ、当人、直観ではこれがどういうことにつながっているかは、おぼろに、ちゃんと、見えている。

   ◆

 このヒト月に、輪郭をはっきりさせた作品たち。『水死』大江健三郎、『こころ』夏目漱石、『ギルバート・グレイプ』(映画)、『ナイン・ストーリーズサリンジャー。それと歴史がぼくを呼んでいる。何冊かの歴史の本。あとは、現実の中での平熱を、チャンドラーの小説が保たせてくれている。チャンドラーをちょびちょびと読むだけで、世界の中の自分の体軸がぴたりと安定する。これとあれがつながって、あれからそっちへ派生する、そんな流れのことは、また別に書こうと思う。

   ◆

 バレンタインっていつでしたっけ? と聞いて、聞かれた女の子は、え? 二月十四日ですよ、と答えていた。聞いていたのは、桑田佳祐で、おすすめを教えてください、とぼくに言った二十一歳だ。こいつは、わたし友達がひとりもいないんですよ、とも言う。そして、みんなに嫌われたくないし好かれたい、とも言う。はたして、それらを言う二十一歳の言葉を聞いてこの二十一歳に精神分析的な目を向ける人間が多いのが近代からずっと続く現代なのだけど、ぼくの実感としてこの二十一歳はぼくがこの一年で出会ったひとたちの中で一番、頭の回転スピードが速い。頭が回転する音が聞こえてくるようなひとはまれなのだよ。新潮三月号を読んでいたら、何を読んでいるのかと聞いてくるから、ためしに日記リレーをしている小説家の名前をあげてみた。よしもとばななも大江健三郎も、聞いたことがない、と言い切ったのでそれ以上の名前をあげるのをやめて、なんだったか忘れたけれどなんだか別の話題で話を続けた。

   ◆

「知識について関与せず生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であるといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。幻想の領域から、現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないことがすぐにわかる。市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちが考えているよりもずっと怖ろしいことである。千年に一度しかあらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆とのこの<等しさ>を、歴史はひとつの<時代>性として抽出する。」

吉本隆明が書いている(『カール・マルクス』)のをしめされて、あぁ、と息がもれた。大江健三郎が『水死』で漱石の『こころ』を引用したのも、この問題意識と明確に通底するのは、そう『水死』に書いてある。そういえば新潮三月号の小説家の日記リレーのトップバッターが大江健三郎だったが、彼の日記の一部にはこうも書いてあった。

「(二〇〇九年)一月四日(日) ギュンター・グラスから、リューベックに集ってノーベル文学賞の義務を持つ者らで世界の経済危機に発する課題を話そう、という招待。とくに経済を軸に世界について考える能力のない私には辞退するほかない。大きい寂しさを逃れて『水死』の新稿に向かうが、集中できない。」

 大江さん、ぼくがあなたにその能力がないわけがない、と言いましょう。それとぼくはあなたの、あなたが堂々と自信をもって書いただろう言葉をいくつも胸にたいせつに置いています。たとえばそのひとつ、これは小説家の職業上の秘訣にとどまるものじゃないことを確信しながら。

「小説を書くための心理状態の管理をいうならば、長篇であればなおさらのこと、書きすすめてゆくその日の労働がカヴァーしうる部分より遠くを見てはならない。むしろ前方のことは放っておいて、その日の労働にのみ自分を集中させうるかどうかが、職業上の秘訣である。」

   ◆

 いまでも大変にのどが渇いた時に思い出す詩がある。小学生のころ中学受験の塾の授業中に喉がからからになったその時にこの詩が国語のテキストにあらわれたのだった。新潮三月号の日記でその詩を引用していたのは村田喜代子。「昭和十九年、十九歳で戦死した大関松三郎の詩「水」を読む。小学三年のときの作品。」とは知らなかった。

 大きなやかんを/空のまんなかまでもちあげて/とっくん とっくん 水をのむ/とっくん とっくん とっくん とっくん/のどがなって/にょろ にょろ にょろ/つめたい水が/のどから むねから いぶくろへはいる

   ◆

 詩を書こうか。との思いがしばらく前からつのっている。なにも急ぐことはないのだけど。ふとシャ乱Qの「空を見なよ」を聞きたくなってiTunesで購入。あらためて聞くと微妙。詞が、ね。でもかつてこの曲もいいなって思った二十代前半のいっとき。まあそれはいいとして、そういえば二十一歳のやつは、わたしにおすすめの本は何かありませんか?  わたし全然本を読まないんですけど、とも言っていた。桑田佳祐のおすすめの曲については、狂った歌をうたうのが好き、と言っていた。ふむ。町田康を勧めてみようか、と思いたつ。どうせ勧めるのなら一冊文庫本でも買っておいてやるべか? とか考える。新潮三月号の小説家リレー日記の町田康。

「二月四日(水) 曇天。天丼。天下大吉身近にさしたることなし。いつものように仕事して終わったら酒飲んで寝るだけ。ということも実はないのだけれども、もはや与えられた文字数を超過している。この日記を読んだ人はこの時代がどんなだったかまるでわからないだろう。そのうえ私がたれなのかもわからない。御免御免。慚愧慚愧。スコタンスコタン。冷汗冷汗。」

 いや、町田康さん、あなたの日記には何個も「マスク」のことが書かれていた。そういえば去年の前半、マスクが一世を風靡していたことを思い出しますぜ。それに、大江健三郎さんの『水死』の作中、登場人物の小説家、長江古義人はこんなことを言っています。

「時代から離れて、周りの人間とはできるだけ無関係に生きようとする人間こそ、その時代の精神の影響を受けているんじゃないかと思うね。ぼくの小説は、大体そういう個人を書いているんだけれども、それでいてなにより時代の精神の表現をめざすことになってるのじゃないか。それに積極的な価値がある、と主張するのじゃないけれど……そういうことでほとんど読者がいなくなっても、死ぬことになれば、自分は時代の精神に殉死するようなもんだ、と考えるのじゃないか?」

   ◆

 先に引いた大江健三郎、去年の一月四日の日記の後半、大江はチェーザレ・パヴェーゼの文学集成の一節を引いて、書く。

「《そこには正真正銘の散文の探求がある(物語=与えられた状況のなかでいかにして血路をひらくかを見ること)。……(そしてそういう物語とは、性格や心理や日誌ではなく、組み合わされた一連の検証であり、最後には、先行したすべての検証を含むひとつの検証へと、それがぼくらを導いてゆく)。》/そうだ、最後に検証するんだ、と行き悩んでいる草稿に顔を向ける。しかしその必要な仕事に自分を押し出す気力がない。」


写真・masatomo写・月島商店街

2010-01-17 この三ヶ月で大きく折り返したような

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 小林繁が死んだ、という報を読んだ。まだ若い。なんたって57歳だ。覚えていることがある。通っていた千駄谷小学校の校庭の投擲板(ボールをぶつけて遊ぶ高い壁があった)の前で「小林繁が阪神へ行くんだってよ!」「へええ」なんて会話をしていたこと。「小林繁が阪神へ……」と言ったのはたしかぼくだったか、「へええ」がぼくだったかは定かではない。記事によるとそれが「空白の一日」の後に阪神と契約した新人・江川卓との電撃トレードであったのだけど、当時、江川なんてまったく知らなかった。そしてその時ぼくは小学校二年生だった! 基本的に巨人ファンだったし、ヤクルトの本拠地・神宮のおひざもとの小学生にとって、阪神に行ってしまった選手は縁遠くなってしまったようで、小林繁について投擲板の前の記憶以上の個人的なものはあまり浮かばないようだ。小林繁氏のご冥福をお祈りする。

 それで小林繁が阪神へ移籍した年からもう三十年だ。三十年の間には、人生の上にもいろいろなことがおこる。世の中の向いている方角も違ってくれば、人生の時季も大きく動いている。この、人生を大きく動かす現実の堆積は、どんなたとえもおよばない。あるいは、半生というものを、極度に小さなスケールのなにかになぞらえることも出来ようか。けれどもぼくには、自分のこれまでの三十数年を思うに、まだそれは、何ものをもってきても比較対象にはならない、とてつもなく大きなものに感じられる。過ぎ去ってしまったもののあまりの大きさに圧倒されているのだ。

 一旦人生チャラってところにいると考えればまあこんなもんかね、なんて散歩しながら繰り返す。あれが欲しいこれがしたい、そんな欲を、別にいらねえや、と思えば、そう思うところがもっともおさまりがよくも感じられる。自分が失ってきたものに比べれば、この先、金をいくら損したって、なにかを手に入れるチャンスを逃したって、運転する車の前方に割り込みする奴がいたって、すべてがどうってことはない。夜明け前の静けさのような心地の悪くもない寂寥感も、自分が生きてきた道筋にはそれなりにいろんな景色があったからだ。それでもいまの満足が、すべての勝負から降りた者の優越感ではないと言えるのは、ぼくはまだ歩き続けようとしているからだ。とるものもとりあえず歩いて行こう。深夜の河川敷で、月あかりが頼りの心許ない足許の地面を信じてざくざくと歩を進めていると、自分はひとりでこうして歩いてきたようで、これからもこうしてひとりで歩いて行く、そんな気分に充足を感じている。根元的に孤独なのだ。

 ひとによっては十代も後半くらいで、こういう「チャラ」の場所に行ってしまうこともあるのだろう。ぼくはいままでそれなりに満ち足りていたのだと思える。いい気で来られたのだからヨシとしようじゃないか、と。いくばくかの心残りはある。誰かとの関わり合いの中でぼくが為し得なかったこと、為したこと、為したことがもたらしたもの、落ち度。思うに、ひたすらに、風のように、通り過ぎるだけのひとであるのが良さそうだ。それがたいがい、ぼくのあるべきありかたなのだろう。もしそのひとにとってのぼくがそうでない、そんなひとがいるのなら……。そんなひとがいること、それがぼくの個人的希望のひとつだ。そのひとにとってぼくがそうでなかったかもしれないひとはいた。でも過去としてしか語れなくなったものはしょうがない。過去に説明も結論もつけることが出来ないのは、つねに次の一歩がすこしずつ過去を書き換えてゆくものだからだ。過去を持つことで、ぼくをすっぽり包む寂寥感は、心地よい充足とともにあるような温かみをともない、今宵がすべての最後の夜になっても構わないと思っている。


11月。

8日かつて住んだ八王子別所近辺散歩。いつも通りの深夜散歩、行こうとも思ったことがなかった、長池公園の、暗闇の先にある長池まで懐中電灯片手に乗り込む。森の中の、完全な闇の道を行くのだけど、池にたどりつくとまったく怖くもない。それと言うのも、ぼくの世界観がこの頃知らぬ間に大きく変化したからじゃないか、と思う。子供が暗闇を怖がるような性質が、なくなってきてしまっているのだ!

15日・上野まで徒歩、途中、愛宕山、芝公園、本郷台地の地形を確かめながらオカンが育った根津近辺を軽く歩き祖父母の生活した町を思う。無料開放していた上野動物園に感激しながら東京国立博物館へ。常設部分だけ四時間まわるも見切れず。年間パスポート購入。

17日・野辺山へ天体観測。ひさしぶりの満天の星空と冬の天の川。いつか長野に別宅を持とうと思う。23日・ひとりの誕生日二年目。

12月。

5日・幕張でご飯。そのあと、幼稚園時分に住んだ稲毛の団地へ。廃墟化するも現存していた。柵を乗り越え敷地に侵入、記憶に出来る限りその場のスケールを留めるようにぼくが住んでいた21号棟を中心に敷地内を歩き回る。四歳のあの日、近所のひとつ年上の友達と通っていたスイミングまで歩いて行って帰ってきたら、団地の大人達、警察官から豆腐屋さんまでがぼくらの名前を叫んで走り回っていた、五歳のあの日、子供用のドリルが計画通りに進んでいなくて「ああ、ドリルやんなきゃなあ」とつぶやきながら歩いた隣の号棟の脇の植え込みの横、六歳になる少し前のあの日、原宿へ引っ越した日に、最後、トラックが出発した303号室の窓の下、それまで何度も上り下りした階段の前、その記憶があるだけでこの暗闇の廃墟がまったく暖かい場所に感じられるのだ。

27日・ひとに言えないくらいさぼったクルマのオイル交換。夕方、表参道で散髪の後、タイカレー。年末年始・淡々と仕事と読書と睡眠。

1月。10日・東京国立博物館で「土偶展」。国宝土偶三点も捨てがたいが、ハート形土偶(初見)と遮光器土偶(11月以来の再会)にやられる。君たちに会いたかったんだよ。土偶や土器は造形的には出来不出来の幅がひろい。しかし、相当、美的感覚に長けた作り手がいたことは、目の前の土器や土偶の造形を観れば確信される。みんな、時代がのぼるほどいろんなものごとが進歩している、なんて思い上がっちゃ、ほんとうにイケナイぜよ。

11日・近所散歩。白金の自然教育園で国立科学博物館年間パス購入。

そして、合間合間の休みの土日には、ちょいちょいとお茶などにお付き合いくださるお友達たち、ありがとう。


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写真・masatomo写・上・稲毛の廃墟になっていた団地、下・遮光器土偶のピンバッジ買ったった。

2009-12-31 丘の上の道にて

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 刻々と東の方が明るくなっていく

 明け方の墓地の脇を歩く

 いつもの散歩道に思う

 日付を越える越えないの境い目よりも

 陽が出る陽が沈む時がぼくには意味がある

 世界の色という色が変わる時

 東京の今朝の日の出は六時五十分

 今日の日の入は十六時三十八分

 これから出掛ける支度をする間に太陽は隠れる

 明日の日の出は六時五十一分

 どの一日の日昇も日没も

 空を見上げるに価するならよし


2009-11-03 跡は消えせぬ形見なれども

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 今朝方、夜明け前の青梅街道を走っていると、雲間から月が覗きだしていた。夜半まで降った冷たい雨が風とともにやみ、雲のかよい路がひらけたようである。月があまりに丸いので携帯で「国立天文台・暦計算室」にアクセスする。「今月のこよみ」コーナーをみると、「望(満月)3日 4:14」と、ほぼその時刻だった。精確な資料を参照してからやっと、あ、満月、と感興をおこすのはどうか、と場合によっては思うけれど、正確な時刻というものは人間にとって時に重要だろう。

 それから夜明けを迎えるころ、白んでゆく東の空をじっと睨(ね)めつけていた。

 看板の乗ったビルの頭のところから、光の点が現れて、それがじりじりと上に昇っていく。金星だ。明けの明星というわけだ。じり、じり、じり、実際の地球は滑らかに自転しているはずだから、昇る金星だって滑らかに空をうごくはずだけど、どうにもいくらじっと見つめても奴は、じり、じり、と細かいステップを刻むように移動して見えた。


 そしてたった今、実家に間借りする自室でこうしてPCに向かう。自分の右のバルコニーに開く窓はおよそ東に向いている。目黒川沿いに建つすこし高いマンションと、その手前に建つマンションの間に角度にして三度ほどの間合いがある。三度、という角度は感覚的にどれほどかを指し示すのは困難だが、月と太陽の直径がだいたいいつも同じで約三十分、つまり一度の半分だ、と言えば、三度は満月や太陽の直径のおよそ六個分って計算になる。そう言えば多少想像もつきやすいだろう。で、そのマンションとマンションの間の三度の隙間から、今朝方、暦の上の満月を迎えた、それでもまだ肉眼にはまん丸に見える月が浮かんでいた。はっきりいうと、こっちを見ていた。ぼくの方を見ているように思えた。

 先日、ある小説の、いくつかのもやもやの中を進もうとあらためてじっくりそれを読んで、二巻目の最後の行にいたったとき、背中を伸ばすために思い切り上体を反らせたらいまとだいたい同じ、マンションとマンションの間の空にある月が窓の外にいた。その月は半分ちょいくらいに欠けていた(月齢でいうと二十一日くらい)から、満月ほど、まっすぐな視線じゃない感じ。その小説では、自分がこれまで生きてきたはずの世界とは違ってしまった世界にいることの顕現として、空に月がふたつ見える、というくだりがある。ある人間の分身のような存在が生まれ、その分身が「目を覚ましたときに空の月がふたつになる」とも書かれる。また「二つの月が心の影を映す」と。上体を反らせてのけぞったまま窓の外を見て、ひっくり返った視界に映る空にふたつめの月を探したがみつからない。そのかわりに、自分の名前に月がふたつ並んでいる(ぼくの名は「正朋」)ことに気づいて、棚上げにしているいくつかの問題の足の長さがいくぶん伸びた。それらの問題は、また一段か二段、棚の上の段にのせられたってことだ。このことをじっくり話せる相手がいないことを思うに、孤独を感じないわけにいかない。ほんとうは、これについて話せるひとはいるのだろう。いるのだが、対話を出来る環境にも状態にもないのだから仕方がない。ただ月を見上げ、思うところに従って、いまある状況の中で最善を尽くすのみである。ぼくは、最善を尽くしているか?


 夢を見た。

 別れた女房殿が目の前にいて、なにか不服を抱いたような様子でいる。夢の中でぼくは、彼女の説得をこころみている。なにかうしろめたいことの言い訳をしているのかと、最初は感じたが、ことはもっと重かった。

「いろんなことは、忘れるんだよ」とぼくは言った。「記憶を持って死ぬことは出来ない」

 彼女は泣いていたように思う。

 交わされた言葉はあっただろうか。彼女が、すこし肯いたように覚えている。それから意識は多少覚醒に向かう。「記憶を持って死ぬことは出来ない」自分が夢で彼女へ言った言葉を反復する。「いろんなことは、忘れるんだよ」

 いまを生きる自分は、かつての記憶を持って、かつての記憶が蘇るたびに息苦しい思いをするのだけど、その記憶たちが消えていく世界が見えた気がした。そちらの世界へ入っていこうとして、ぼくは激しく締め付けられ窒息するような心地になった。抵抗した。締め付けをふりほどこうと。

 目を開けた。目覚めよう、と思って目を開いたと思う。記憶にささえられて生きているんだ。その瞬間にはそう黙ってつぶやいたが、どうなのかはまだよくわからない。自分がこの世界で生きていこうとするとき、ぬくもりの感触のような大切な記憶が寄り添ってくれるなら、この先も歩むべき道を見出して生きていける。そう言えるかもしれなくてやはり言い得ないのだけど、明瞭な確信も同時にある。記憶、と思えたものはじつは、ぼくの心なのかもしれない。ぼくには、言わなくてはならないことがいくつもあり、伝えたい気持ちがいくつもあったのだ。上に書いた小説の最後の方に、こういうフレーズがある。

「それは旅人の行く手に見える小さな灯火のような、ほのかではあるが約束を伝える確かな温もりだった。」


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写真・上・今の月、下・昇る金星(むこーの方のビルの上の看板の上にポチ。見えなきゃクリックしてオリジナルサイズで見てね。)、引用・『1Q84 』BOOK2、p.500、村上春樹(新潮社)

2009-11-02 方違へにわたりたる人の、

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 どうにも日記を書くと、なにかに対して異議申し立てをするような内容が書かれてしまうこのヒト月あまりなのは、結局自分がなにかに対して異議申し立てをするような態度でいるからなのだろう。そう思っていると、自分にうんざりな気分になる。だったらいっちょ、自分をちょっと脇に置くことにする。実際のところ、自分を脇に置いたら、まあ日記はそもそも自分の日記なのだからいいじゃないか、という気がした。ひとのブログを読めば、なんだかなあ、と思うし、なんだかなあなんてたかが日記に言われたかない、と言われるひとは言うかもしれないけれど、やっぱりたかがか日記にも、書いた当人のなんたるかはくっきり露呈されているんだものね。自分が死んだら自分の書いたものを残らず焼き捨てるように、と友人へ遺言したフランツ・カフカの気持ちがよく分かる。なんてー。やんなっちゃうがこんな自分を踏まえて乗り越えるしかあるまい。で、こういうときは、方法で乗り越える試行をばまず。

 ひとの書いた文章をただ引用する。意見も感想も注釈もつけないけど、親しいひとには、ね、ね、これ、と言って読んでみてもらいたいところを。ただしこの日記の一日分の分量を考えてほどほどに。ついこのごろ買った本から。最初に、先日もスタバでまったり読んでいた永井均哲学の本の冒頭から。(※1)


<哲学が好きだ。五十を過ぎればさすがに少しは飽きるかと思ったが、ぜんぜん飽きない。なぜこんなことがこんなにも好きなのか、自分でも少し変な気がするときはあるが、しかたがない。世界の謎に触れ、そのうえ、ほんの少しでも切り込んでいけた感触を味わったときの快感は、他の何にもかえがたい。若いころは哲学なんかに興味を持っていても、年とるとだんだんもっと世俗的な普通のことに興味が移ってくるのかと思っていたが、結局、そうはならなかった。

 五十を過ぎれば、と言ったが、じつを言えば、五十歳になって、ますます社会的人間であるための気力のようなものが保てなくなってきた。今では私にとって人生の苦痛の大半は、悲しみや怒りとしては現れず、ただただ煩わしさとして現れる。老いさき短い私の時間を、天下国家やその他の些事のために使いたくない。ただ自分の哲学だけを考えて生きていきたい。その思いはつのるばかりだ。

 中島義道氏は、そのことを「人生を半分降りる」と表現しているようである。もしそれが可能なら、人生は降りるにかぎると私も思う。むしろ、この意味で「降りる」ことこそ人生を生きる出発点だとさえ思う。(中略)

 要するに、恥ずかしながら、私はまじめなことが嫌いなのだ。人生とか社会とかにとっての既成の有意味性に奉仕しているようなものは、どうしても、つまらない。無意味なこと、馬鹿馬鹿しいこと、が好きだ。ただただ無意味で馬鹿馬鹿しいだけのこと。それなのに、その中に示された型のようなものが、世界の本質をくっきりと映し出していて、ギョッとさせるような、何かそういったこと。これがいちばん好きだ。芸術と言われるものの中に、時にそういうものがあることは確かだ。哲学も、しつこい議論を通じてだが、そういうものをえぐり出すことができる時が確実にある。>


 次に、作家の高橋源一郎明治学院大学で行った「言語表現法講義」を書籍化したものから。『ゲド戦記』の原作者、アーシュラ・クローバ・ル=グィンがある女子大の卒業式に招かれて行った講演を授業で参照し、そこで語られた単語を引用しながら高橋センセイが話している一部。(※2)


<およそ、この世界は、なんらかの意味で、「右きき」の人びとのための世界です。そして、そこから脱落して「左きき」になってしまう人びとがいます。いや、もう一種類の人びとがいます。それは、「右きき」であるのに、「左きき」の人びとの横に立つことを選択する人びとです。

 わたしのいうことが、わかるでしょうか。

 「右きき」と「左きき」を、「強い」と「弱い」に、「多数」と「少数」に、「ふつう」と「例外」に、とりあえず、言い換えることができるでしょう。けれど、世界を、この2種類にわけてしまう考え方もまた、実は、「右きき」の側、「強い」側、「多数」の側、「ふつう」の側の考え方なのです。

 ル=グィンは、自分は「左きき」で、あなたたちも「左きき」だから、「右きき」と違う世界を作ろう、といっているのではありません。

 「左きき」であるということは、「右きき」ではない、ということに気づくことだ、といっているのです。

 あなたたちが「男性」であるのか「女性」であるのかは、それほど重要ではありません。重要なのは、「左きき」の人びとがいる時、その「横」に立つことができるか、ということなのです。>


 最後に、環境に関する新書の対談本のエピローグから、養老孟司の文章で。最近は対談や口述を文字に起こして書籍化したものがとくに新書には多いのだけど、それでもまえがきやあとがきは、一応、黙々と文章として「著者」が書いたものだったりする。書かれたものはやはり、質感が違う。話がそれた。では引用。(※3)


<滑川(※masatomo注・養老孟司の故郷鎌倉を流れる川)は人の書いた歴史の上では、青砥藤綱(あおとふじつな)の故事で有名である。川にわずかの銭を落としたのを、高い松明を使って探したという、あの話である。いまでも青砥橋があり。同名の料亭もある。鎌倉の故事は貧乏くさく、松下禅尼や北条時宗の話は、江戸小話にまでなっている。先日鎌倉を世界遺産にする会の集まりがあって、そこで長年鎌倉に住んでいる銅版画家のピーター・ミラーさんのスピーチを聞いた。やっぱり鎌倉文化は貧乏だと、ちゃんと指摘していた。その代わりが、いわゆる武士道、精神文化である。そんなものは形が残らないから、世界遺産にしろといっても、宣伝文句がむずかしい。それは出席した外国人がいずれも指摘したことだった。私はいちおう会長なのだが、形のない世界遺産は、相手がよほどの凝り性でないと、理解してもらえない。

 戦後の日本文化は、戦前戦中の反動もあずかって、貧乏の無視になった。貧乏でも暮らせる社会と、貧乏では暮らせない社会、その二つの社会があるような気がする。いまは貧乏では暮らせない社会である。先日、戦争中の家族の写真を見てみたら、ほどんどアジアの難民の写真に見えた。ただし全員がきちんと並んでいる。いわゆる難民とは、そこが違うだけである。それを私は「文化」と呼ぶ。文化はモノのかたちにも残るが、人のかたちにも表れる。「文化としての人のかたち」が消えつつあるのが、日本の現状であろう。それでも社会が成り立つのは、石油とお金がそれを補っているからである。>


引用・※1・『私・今・そして神 開闢の哲学』永井均(講談社現代新書)、※2・『13日間で「名文」が書けるようになる方法』高橋源一郎(朝日新聞出版)、※3・『環境を知るとはどういうことか』養老孟司 岸由二(PHPサイエンス・ワールド新書)、写真・masatomo写・白金台の医科学研究所にて

2009-10-31 気の散る先に流れあり

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 ジャガーの新型XJのカタログが届いて(誰においらが買いもしないなんて決めつけられるか!)、あの、トランペットが欲しい黒人少年のように、山手通り沿いのポルシェのディーラーのガラスにへばりつき新しいパナメーラを見やり、お屋敷町を散歩しては濃いめなグレーメタリックのアストン・マーチンDBSと赤メタリックのフェラーリ・カリフォルニアのピカピカおろしたてが二台並んだガレージにものぐるほしけれ。

……って、古語の意味が違うね。いや、徒然草の序文の「あやしうこそものぐるほしけれ」の部分の現代語訳を調べてみれば、「ふしぎなほど、いろいろな思いがわいてきて、ただごとではないような感興を覚える。日本古典文学大系『徒然草』注)」、「妙に気が変になるような感じがする。(旺文社「全訳古語辞典」第三版、「ものぐるほし」に挙げられた「徒然草」の例文の訳)」、「自分ながら妙に感じられるほど――興がわいて来て――何だかものに憑かれたやうな気さへして筆を進める。(角川日本古典文庫 今泉忠義訳註 改訂「徒然草」)」、と違うこともなく、いや違うどころか、なかなかいい線行っている気がする。


 どこか美術館に行きたい。そう言われて適当に美術館を見繕おうとしたら、ふと思い浮かんだところがあり、即キメで、根津美術館である。青山の裏手にある感じといい、外苑西通りに具合よくタイムズ駐車場があることといい、さらには今月新装開館したことといい、うってつけである。それより大事なのは国宝「那智瀧図」が公開されていることだ。ウェブサイトを見たら「五年ぶりの公開」と書いてあった。もっと見せろよ。ぼくが前回来たのは前回公開の五年前だった気がするが、その時は同美術館所蔵のもうひとつの国宝「燕子花図」も同時公開されていたのは確かな記憶だ。でも今回は那智瀧だけ。出し惜しみは仕方ないのかね。いろんな意味で価値の、ある水準を超えたものは、そうたやすく飽きられることはないんじゃないか。ああいうものは、出来る限りにひと目に触れるのが良い。いろんな意味で、それが良いと思う。

 で、根津美術館を出て、その近所の岡本太郎記念館へはしごをしてお茶をして帰ってきた。これで、勘違いして昨日までだと思っていた10月におまけのようにくっついた月末土曜日の半日。悪くない気分である。これで夜に長めの散歩をしながらあれこれ独り哲学と妄想をすれば天からのプレゼントみたいな秋の休日の過ごし方としてなかなかよろしい。散歩は、多摩川沿いを歩くか、近所にするか、はて。

 この頃、散歩をしていてとにかく地形がだんだん気になってきて、つまり、坂と水の流れだ。川沿いを歩く。川の近くを歩くと坂がある。川の流れが大地を削ってその坂が出来たのがわかる。住宅地にも微に入り細に入り高低差がある。まっすぐ下っていって、その先でくん、と登りに転ずる。くん、となったところにはやはり細い水路があった。そういうことをもやもやと胸に抱いていると、すこし前に「一級河川」という用語が妙に気になって、川について調べたのを思い出した。そして「水系」と「流域」という概念が重要である、とひとまずの区切りにしてその調べ物は一段落したのだった。


 かつて20歳から24歳まで、多摩ニュータウンに住んでいた。住所は八王子市別所というところだ。先日、友達を送った帰路、そこがまさに帰路だったので、かつてのぼくの実家があったあたりに寄って散歩をしてみた。近くにある長池公園は、むかしからそこにあった池のまわりを整備した公園だ。大正時代に建造された四谷見附橋が移築保存されているあたりは照明に照らされているけれど、その先にあって森に囲まれた長池のまわりはあまりに暗いので深夜にそこに踏み込みたいとは思えなかった。散歩をしてみると、四年も住んだ場所なのに、はじめて歩く道がたくさんあった。ぼくはなにを見ていただろう、と思う。忙しかったのかな、とも思う。結論は出ないわけで、それはまたゆっくり考えることにする。で、水の話だ。

 長池公園の先に尾根幹線と名付けられた道路がある。これはこのあたりの地形の尾根に乗っかってつくられた道で、この尾根はおよそ、鶴見川水系と多摩川水系の分水界にあたる。この尾根の向こうに流れた雨は鶴見川になり、こっち側に流れた雨はいくつかの支流を経て多摩川になるのである。で、長池公園のすぐ尾根向こうは、まさに鶴見川の最源流地域だ。まだ、比較的広い面積に広がる、貴重な多摩丘陵の森が残っている。

 まあそんな感じで、いま住んでいる目黒は目黒川の流域、八王子市別所に住んでいた時は多摩川水系の流域ですぐ裏手の尾根を境にして鶴見川の流域だった。また八王子の前に住んでいた新宿区百人町は神田川の流域、その前に長年住んでいまも本籍地である渋谷区神宮前はかつての恩田川(いまは暗渠になっていて、渋谷川の上流にあたる)流域ということになる。また幼稚園のころ一時住んでいた千葉県千葉市稲毛海岸(いまは千葉市稲毛区稲毛海岸かな?)は、埋め立て地だ。近くに花見川があり、もっと近くに名はあるのか知らない川があった。ただ名を知らない方の川の上流は人工の農業用水の水路からの水かも知れなくて、それだったらただの用水路というところだろうか。


 それでこの話に続きやオチはないのか? と思ったひとは、地理や地学のこのあたりの知識をまず思い出して、それから身の回りの世界を眺めて、人間関係のことを忘れるようにすこしなにかを考えてから、あらためて話をする必要があるだろう。たとえ都市に住んでいても、みんなのまわりで水は流れているのだ。丘の上から谷に向かって、上流から下流へ向かって、世界中どこでも同じだ。

 ただ、興味も関心もないひとの中にも潜在的に興味関心を持ちうるひとがいる。時には上手に面白く、興味関心をひくなにかがなきゃいけないのかも知れない。すぐれて創作的な、面白がる態度がそういう仕事をなせるんじゃなかろうか。思わず、ボランティアとかNPOとかで河川や丘陵地の自然の保護とか保全なんかの活動をしているところへ参加しようかとあれこれ調べたりも、勢いでしたのだけど、やっぱりぼくはひとりを基準に考えていようと思い直した。この話のオチ、というほどのことじゃないのだけれど、多摩丘陵はながーく南にのびていて、はては三浦半島城ヶ島まで続いて海に落ちていると言っても良い。遠からず、あまり寒くならないうちの休みの日に、丘陵つながりで、その三浦半島の先の方にある横須賀美術館へ行って、観音崎あたりと、三崎の周囲でも歩こうなどと思うにものぐるほしけれ。


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写真・上・masatomo写・那智の滝@2007.8.14、下・国宝「那智瀧図」

2009-10-24 まじめな話はさておいて

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 夢を見て起きた。肌寒い土曜日。昨日の寝不足を引きずるようにして、ベッドに寝転んで『マンガは哲学する』(永井均岩波現代文庫)を一項目読んではそのまましばらく目をつぶり、すうっと目が開いたらもう一項目を読んでいた。奇跡的に眠り込まずに何十頁か読んで、とうとう寝入ったらしい。

 夢の一部を覚えている。目が覚めて時間がたってから思い返すに、これまで繰り返し見た夢と類似しながら明らかに違っている。用事を済ませて駐車しているはずの自分のクルマに戻ると、クルマがない! レッカーされた! あちゃちゃぁぁぁ。そういう夢を繰り返し見てきた。場所もその他の状況もその時々だけど、ああ、やられちまったあ、と思っているぼくがいつもいた(そのあと、途方に暮れないで、もりもり動いてエネルギーを盛大に使うのだが)。ところがさっきの夢では、いつものように悪い予感を抱きながら駐車場所に向かうとクルマはレッカーなどされることなくそのまま駐車してあった。新聞紙片面くらいの大きさの紙に、駐車が迷惑である旨の注意が書かれ、運転席前の窓ガラスに貼り付けてあった。表情をちょっとゆがめたぼくはその紙をなんてことないふうにひっぺがして、運転席に座って走り去った。

 走り去った!?


 この日記を書いていて、気づいたことがある。今し方(もう夜である)風呂にさっきの『マンガは哲学する』を持ち込んで続きを読みながら考えていたのは、そういえばぼくは夢の中でも自分は自分だなあ、と。つまり、現実のぼくが世界を見るように、夢の中でもあくまでぼくがぼくの夢の世界を見ている。ところが、さっきの午後の夢でぼくは、いつもなら夢の中で駐車違反でレッカー移動されてきた自分のクルマに、ふふん、とちょっと口許をまげるような顔をして運転席におさまって走り去ったのだった。よくよく思い出そうとすると記憶が遠のく。運転席に座っていたような風景も覚えている気もするが、たしかにぼくが運転席に座って走り去る光景を、ぼくは見ていた。

 湯船の中で考えていたのは、ぼくがこれまで出来なかったことのひとつとして、夢の中で自分を外部から眺めること、あるいは現実の自分じゃない自分として夢を見ることだ、と。だからって、実際にぼくの世界認識がそれだけを根拠にどうだこうだ、とは言えない。でもとりあえず、夢のぼくはそうだ、と。ところが風呂からあがって今日の午後の夢について簡単に書いたら、その夢でぼくはクルマを運転して走り去るぼくを見ていたことに気づいた。ひとはどうだか知らないが、自分にとってこれは重要ななにかである気がしないではない。さて……。

 湯船の中で、夢の中でも現実の自分と同じ自分たり続けることは、ある種の強さなんじゃないかと考えた。ぼくはその種の強さを、振り切ろうとしてきた、あるいは。続けてそう考えた。そしてもしかしたらそのあたりのプロセスにあらたな潮目が来ているんじゃないか、とも感じていたこの頃である。で、それから先は保留のことだ。安易になにかを確信したり、結論づけてもいけない。


 ちょっと話は違うようだけど、湯船で考えていたもうひとつ。「死」にまつわって。小学生のおわりころから中学生のころに信じ込むようになった「死後の世界」に対する信憑が、いつのまにか消えていることにこの頃気づいた。たぶんここ5,6,7年くらいのことじゃないだろうか、と考えると、三十路も過ぎるまで丹波哲郎に教祖様みたいなところに立ってもらっていたとは、ぼくも成熟が遅いわけだと納得。じゃあ「死後の世界」を漠然と信じていた、世界認識の柱のあったところは、どんな柱にとってかわったかと言うのは、語るに容易ではない。

 「死後の世界」とは別に、思春期くらいに構想した、ぼくによる独自の世界モデルがある。先日、録画したNHKの爆笑問題の番組を観ていたら、ふと、この世界のイメージモデルがぼくの頭の中でここ数年しばらく開けないでいた引き出しから取り出された。そのモデルはぼくの世界認識に連続するよう合理的に思い描いた構造を持っているのだけど、詰めは甘いままに放置されていたのだ。唐突に、俄然、ほこりを落としてもう一度磨き上げる準備をし出すことになる。その番組のゲストでその時、番組の中で太田光に振られた夢についての話をしていたのが、今日ごろごろしながら読み、湯船に持ち込んで読んでいた本の著者の永井均だ。彼が答えをくれるのではもちろんないけれど、チャンネルのひとつとしてのチューニング作業のうちのことである。


 話が長くなった。しかしほんとうは、こういうことは、もっともっと長く長く、文章自体が思索になるように書かれていっても構わないこと。あるいは、誰にも語ることなく、ただただ本でも読んだり散歩したりしながらひとり考え続ければいいのかも知れない。でもやっぱりぼくは、なにかを書くことにしたいし、そうなるはずだ。いまのところこの方向についてまともに語れるひとが、現実的におらなんだし、ね。こんな話を、たとえば夜が明けるまで語り明かす勢いで毎晩のように話されたら誰だってうんざりするだろう。でも正直なところ、一日の中のほとんどをこういうことを語り、一年のほとんどがそういう日であったらいいのに、なんて思っている。

 んで、夢についても、世界モデルについても、どう考えているかについては、やっぱり今日のこの日記には何にも書いていないけど長くなったのでまたどこかに別のかたちで書こうと思う。


写真・masatomo写・多摩川土手

2009-10-14 お月様は見ている

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 10月も秋ですなあ。夏でもないし、冬でもない。ここで身を引き締めておかないと、どんどん寒くなるにつれて心の奥の方まで冷え込む態勢になってしまいますよ。脂肪は役に立ちません。筋肉も基礎代謝とも、ちょっと違う話です。だけれども身体の健康はそれ相当に気持ちを支えてくれそう、だとは思うのだけど。


 このところ目に付いた気になる言葉をいくつか。まずは新聞のどこかの欄の記事に古式野球について書かれてあって、その古式野球の基本ルールから。

「ラフ・ゲームよりフェア・ゲームを」

「つばを吐くな」

「悪態をつくな」

 いぃなぁ。ただしこれをイイと思ってみたら、道を歩いていて、道につばを吐く人間を想像するとそいつを殺したくなってしまう。ぼくの心はちょっと凶暴化。だけどつば吐き男を殺すのはラフな行為なんでしょう。ひとにはひとの事情がある。どんな事情だか知らないけどやっぱり、つばは吐くなよな、と思います。誰かとどこかのお店に行った時なんかに、たまに、ぼくの店員さんに対する態度が優しい、と指摘されることがある。これは悪態の話とは少し違うのだけど、ぼくは別に店員さんに特別な態度を取っているわけじゃない。そういうとき、あなたはどんだけ尊大な人間と一緒にいるのだよ、と思う。そういうことじゃないのかな。でもたとえば、他人に対して態度の悪い男の脇に立っている女性を想像すると、そんな奴と一緒にいるだけで、大きな意味での世の中からの取り分みたいなものが、かえってどんどんあなたから離れていきますよ、と思う。それで構わないんならいいんだけど。でもほんとは損得の話じゃない。やめとけばいいのに、と心から思う。次は、ある小説の中に何度となく出てきた言葉から。

「自分よりルールを優先出来る」

 そう、これは、自分って何かを考え出したらきりがない話になるのだけど、おそらく十歳の子供でもわかる子にはわかる話。出来れば良い、という話でもない。ただ、自分が時にこれが出来るといいな、と思うことがある。たとえば散歩をするとき、頭の中で今日のコースを最初に思い描く時がある。まず大通りを渡って、あそこの路地を入って墓地の脇を通り、住宅地のまっすぐな道を抜けて突き当たってから左折、しばらく歩いて森のある公園脇の緑道を行き……うんぬん、と。そうやって歩いているとほどなくして、女性が一人帰宅の様子。たぶん帰宅なのだろう。夜明け前である。かつかつかつかつ、ハイヒールの音。お仕事お疲れ様。新聞配達のバイクが一台、二台、三台四台! うわあ、なんだか気が抜ける。最初に思い描いたコースは長い。ちょっと面倒になる。そこで曲がって近道しちゃおうかな。ぼくはこの言葉を思う。「自分よりルールを優先出来る」。そうだ。さっきそうやって歩こうって決めたじゃないか。めげちゃイカン。そして決めた通りにぼくは散歩を続けるのだ。続けて同じ小説の中からもうひとつ。

「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」

 うん。そんな感じです。なんだか書こうかと思っていたことにまったく触れなかった。いくつか不思議なことがあったのだけど、それについてはもう少し心の海に沈めて浮かんでくるのを待とうかな。


写真・下目黒にて。散歩道の先にお月様

2009-10-13 話は変わるけど

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 ちょっとしたゲームのようなクイズのようなものがきっかけで、世界地図を眺めて慨嘆の溜息を吐いたこのごろ、いろんなことが思い出されて、いつの間にか封印していたような意識の「ある方向」がちょこっと活性化した。でも日がな一日出来ることはグーグルアースで世界旅行だったりするのである。とは言ってもこの話は、貧乏暇無しですわぁえへへ、というたぐいのものじゃあない。あさってを承知でたとえていえば、グーグルアースの画像によって新しいインパクトクレーター(宇宙から落下した物体で地表に開いた穴)の候補が発見されているようなことに似ている。個人のレベルで言えば、学術的発見よりもずっとたいした重みを持った果実がいまを生きる日常の場面に転がってくる、ということがここには起こり得る。

 世界地図の話題に戻ると、ぼくがずっと心のどこかでひっかかっていたのは、歩いてもクルマでも簡単には行けそうにもないようなところの地形に無性に自分の奥の方がムズムズすることがあって、そんな気になる地域とは、地球上ではあまり土地利用がされていない、たとえば極地方になり、氷に閉ざされすぎてあまりに真っ白な南極大陸よりも、ある程度ひとが住み着いていたり地形変化のダイナミズムが感じられる北極海あたりへ向き、そういうわけでつい先日はシベリアとグリーンランドを部屋にいながらひたすらに探検していた。でもだからって、勇んでそんな秘境のような場所にリアルに足を運んでも、たいていはひもじく辛く寒い思いをするばかりで、どうにもならないはずだ。実際のこととして、もう世界には、大航海時代と同じ意味での探検も冒険も無いに等しく、渡航規制が解除された頃くらいまでの小田実が『何でも見てやろう』を書いた頃の遠くの諸外国に広い世界が広がっているように見えた日本的事情も、とうにいまは昔なのだから、どこぞの外国へ出掛けていってそこに見るもの触れるものが普段の自分の日常といかに離れているかを発見したって、ほとんどそれは現代のコトの本質には触れないことになってしまっている。


 自分が生活している日常に接した、自分のすぐ隣に秘境・辺境を見いだせないのなら、どこへ行ったって何も本質的な発見など出来やしない。


 これは確かなことだ。いまはそういう時代なのだ。

 ところでそれでも、そういう時代なのだ、ということは現在の全世界の人々の個人個人すべてには当然のこと、当てはめられない。どこか任意の土地を踏むことのみならず、生活する場所さえ限定され、立場や境遇を拘束され、現実的に確実に可能性のかけらまで制限されている人々がいる。しかしもう少し考えれば、金さえ積んでしかるべき準備をすればどこへでも行かれる、なんて状況も事実、世界の誰にも与えられていない。で、突き詰めれば、こういうことは一般的にストレートには指摘し得ない、という問題に行き着く。つまり人間にとっての「世界の認識問題」はいま、それそのものを直接に指し示すことが原理的に不可能な「欠性的なものごと」になったのだ。


 世界は誰のものでもなく、誰がなんと言おうと、誰のものにも出来ない。


 この状況(もちろんこれは一過性の状況ではなく、もう後戻り出来ない)の中で、それでも世界を知る、世界へ出て行くとはどういうことなのか、ぼくらは探していかねばならない。ただ大事なことは、これを探すことには次の留保が付く。「もしも自分の生まれた村を出て行こうと覚悟を決めた人生であるのなら(その村に帰ることはもうない)」。これがいまの冒険者の行く道だ。

 ここまで書いて思うことがあった。この話は一般的な意味での「冒険」なんて範疇の話とは違う。大航海時代の冒険や探検は、背景に西欧諸国の大きな植民地拡大のちからが働いていた。それから現代にいたるまで「冒険」や「探検」とは、「出掛けた先で何かを取って帰ってくること」じゃないか。話をすっ飛ばして書くと、物理的な意味の「行動」が真の冒険だった時代は、遙か人類の先史の時代にさかのぼらねばならず、ひとが観念を操作し「世界」を思い描くようになってからは、真の冒険とは常に日常に接したところ、つまりは頭と身体の中に在るようになったのだ。


 とまあ、合間をジャンプしながら考えてみたが、ちょっとしたゲームかクイズのきっかけからしては、良い気もする。明日は世田谷美術館に行く予定だ。いわく「アール・ヌーボー」のいくつかの品が展示されているはず。シベリアの恐ろしいほどに人口密度の薄い地域を概観するのとはだいぶん趣が違いますね。さて、「欠性的なものごと」を相手にするようにこれら近代の美術品を眺めるとはどういうことなのか。それはまた次の宿題といたしましょう。


写真・Google Earthより。上・シベリア・実際行ったらどんななのだろかねぇ。下・GoogleEarthで見つけられたヒックマンクレーター。

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Hickman Crater - Wikipedia, the free encyclopedia

Sudden impact: Google unearths rare meteorite crater - Technology - smh.com.au

Satellite image reveals new crater (Science Alert)

2009-10-02 これから

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 明け方、散歩をしていると、「不意に目が覚めてしまいました」とメールを受信した。二、三、やりとりをして、いましばらくおやすみなさい、と締めくくった。その夜、あらためてそのひとからメールをもらう。「あれから三十分ほど眠ったのですが、印象的な夢を見ました」という。そう、夢の記憶は大切にしてください、と返信をする。

 寝ても起きても、やるべきことの合間にも、画面を観ていた気がする。液晶画面。携帯電話はつねに携帯して、ちょくちょくメールを気にして、仕事の途中の時間にはiPhoneを取り出して、自分の部屋では本が読めない代わりに向かうDVDやブルーレイで観る映画と録画したテレビ番組。そうじゃない部屋の大半の時間は、パソコンの液晶画面でずらずらと何かを眺めていた。これでは、夢を見る隙間がないじゃないか。

 忘れていたものはなにか。

 「自分のしたことから自分が生まれる、自分が育つ、ということ」。学校で言われるようなことにならないためにもう一歩踏み込んで言うと、これを忘れていたことは何かへの敬意を少しおろそかにしたということ。その、何か、とは何なのか。液晶画面を眺めている自分が夢を見ている間に立ち働いているはずのものである。もの? こと? 誰か? 何か、そういうものだ。印象的な夢は、液晶画面を眺めている自分をめざめさせる。何かが夢を動かし、夢の記憶は印象的に浮かんで、いまの自分をすこしあたらしくするのだ。

 さて、話が抽象的になりすぎると必ず、わからなくなるもの。何のことだかわからない、と液晶画面を眺めるばかりの自分は言うのだろう。夢とは、睡っているときに見るばかりのものではない。


写真・masatomo写・目黒川景@その日の黎明……(追記)その日の黎明、かと思ったらこの写真はその数日前のものだった。毎朝明け方が散歩タイムなので毎日どこかでシャッターを押しているわけです。

2009-09-08 「言語のスラム街に沈み込まないよう……」

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 活字を読みたいのに、本をあまり開かない。読もうかなあと考えて、本を持って寝転んで、腹の上にその本を置いて目をつぶったりしているのだ。ならばってことで、録画したテレビ番組を観たりする。

 散歩の前に三十分程度の番組は……と録りたまったものをざらーっと眺めて、『桑田佳祐の音楽寅さん』を観る。

 で、音楽系のことを考える。『爆問』に坂本龍一が出ていた。印象がふたつ。若いころの顔が、松本人志に似ている。そういえばアホアホマンもだいぶ昔のことになったもんだ。もうひとつは、このひとが「教授」と呼ばれてきたのは、やっぱりどこか「教授」だからなのかな、と。サザンの曲の良さを語る太田光に対して、桑田佳祐の曲がどうして良いというひとがいるのかわからない、と言っていた。そうですか教授、だったらぼくが教えてあげましょう、とは太田光は言わなかったので、ぼくがそれを言いましょう。桑田佳祐は潔いからなんですよ。あるいは、職務に忠実なのです。所属事務所のアミューズが小さな会社だったところから現在は東証一部上場企業に成長した、そこへのサザンの貢献度は高い。またそれは、桑田佳祐の「自分は日本のポップスを歌うんだ」という、大衆に売れる歌を歌うという役割を自覚的に引き受けてその姿勢を継続してきた、自分はミュージシャンだ芸術家だ俺の表現があるんだ、というふうには大きく出ない、そこがぼくが思うに潔いところなのです。いわば、アミューズという会社のたたきあげの社員、と言ってもいいんじゃないか。だからって、太田光が「いいよね」と言われてもポカンと口を開けるような音楽をちょっとほくそ笑みながら聴かせているような教授のような立場も、なくてもいいとは思いません。

 また、佐野元春がホストになって松本隆を呼んで話を聞く番組があった。松本が言った、曲が最初にあるって普通はないんじゃないですか、という意味の言葉があった。「はっぴいえんど」の大瀧詠一とこの松本隆はたしかに、ロックに日本語をちゃんと乗せた最初のひとだ。「ミーティングバンドと呼ばれていた」というくらい議論を重ねて、自覚的に日本語の歌詞をロックのメロディーに乗せて歌うことを深めようとした。そしてかなりな程度、そのスキルも表現も深化したのだろう。またこのひとも、「はっぴいえんど」後、日本のポップス業界において、売ることに忠実な仕事をする(松田聖子プロジェクトなど)。そしてさきの言葉に戻る。松本は、詞があって、そこに曲をつけるのだ、と言ったのだ。桑田佳祐の曲作りはその逆で、ふんふんと鼻歌でメロディーを先に作り、そこに音と詞を乗せていく。松本の言うやり方だと、曲の全体は、歌詞の、つまり詩のちからに多く支配されるんじゃないか。桑田のやり方では、歌詞は音に従属する。歌詞がわからずとも「ノル」ことができた洋楽に、できるだけ漸近した「聴ける日本語ロック」を歌うことに成功したのが桑田佳祐だろう。

 大衆は、こういう仕事の「成功」を見逃さない確率が高いのだ。教授、売れているということの中には、こういう構造が存在する場合があるんじゃないでしょうか。

 もともとが英語圏で生まれたロックに、日本語を乗せるという仕事。これに幾人もの仕事人が40年あまりをかけて取り組んできたのである。大瀧や松本が開いた道を、桑田がさらに先に延ばした。それからは……ぼくは音楽にあまりに疎くて、具体的なアーティストの名前をあげることができない。また、音楽に「ジャンル」はとても重要なんじゃないかと思う。なんとなく。それぞれのジャンルの領域に、それぞれの開拓の仕事があるんだろうね。いまの教授が片足突っ込んでいるのかどっぷりはまっているのかもしれないような、非常に難解ともいえる、果てのようなところでの仕事にだって、そこに人知れず開拓者がいることをわかっていたいもんだ、と思います。

 んで、ちょっと話は戻って、歌詞のことについて。徳永英明のカヴァーアルバムをずっと聴いていて気づいたのは、歌詞が駄目な曲は聴いていてつらくなる、ということ。駄目なもののなにが駄目かというと、詩として、物語として、描写として、確実に浅いものがあって、それは駄目なのだ。一回聴いたくらいじゃよくわかんないようなものこそ、はいってくる。ですよね? 音楽はみんなにわかるものだから、ぼくの言いたいことをわかるひとは多いんじゃないかな。そういう点で、松本は詩人のつもり、文学者のように、歌詞を書いている。音が重視されがちな桑田佳祐も実は、歌詞に結構エネルギーを注いでいるのがわかる気がする。何度も聴きたくなるものだけが、価値があるんです。ってところか。


 最初に書いたようにあまり読んでいない時期なのに、先日またしても、読書をひとに勧めてしまった。お勧めの本はと聞かれて答えた一冊に、作家の高橋源一郎による書評の本を入れておいた(『もっとも危険な読書』)。このひとの仕事は現代の文学の地平を確実に切り開いているものだと感じる。多くのひとの知る名前の作家かどうか、もうぼくにはよくわからない。ぼくの認識にとって、極めて際立つひとのひとりになっているからだ。最新刊は小説でなく、それもわざわざ、内容の本質を隠すようなタイトルをつけている(『13日間で「名文」を書けるようになる方法』朝日新聞出版……明治学院大学での「言語表現法」の講義を書籍化したもので、以前に同じポジションで同講義を文芸評論家の加藤典洋が担当して、出版された『言語表現法講義』も、よい本です。本を読まないひとにも勧めます)。上で、「何度も聴きたくなるものだけが、価値があるんです。」と言ってみたけれど、それはその最新刊の冒頭あたりに引用されていた文章の中のフレーズをもじったものだ。この引用部分について、スーザン・ソンタグという女性の作家が白血病で死ぬ10ヶ月前に広く若い読者に向けて書いた短い文章、という以外は何も言わないで、この日記にも下に引用しておきたいと思います。

 佐野元春の番組で松本隆が好きな映画を聞かれて、『ドクトル・ジバゴ』と小津監督の『麦秋』と答えている。お! ちょうどTSUTAYAから宅配されてきた二枚の一枚が『麦秋』ではないか。というわけで、これから仕事前にこれを観よう。で、やっぱり本はまだ開かないのだ。





<若い読者へのアドバイス……

(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)


 人の生き方はその人の心の傾注(attention)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受け止めること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

 検閲を警戒すること。しかし忘れないことー社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

 本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。

 言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。

 言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

 自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

 動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋め合わせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

 この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のために場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちであれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。

 暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

 少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券をもたず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。

 自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

 恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。

 自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。

 他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりませんー女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

 傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。

 傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。

 良心の領界を守ってください……。


 二〇〇四年二月      

                スーザン・ソンタグ>


写真・松田聖子。松本隆は松田聖子を「天才」だと言っていたよ。詞もメロディーも、三回歌ったら完璧に歌いこなしたそうだ。そして「たとえば喜びの感情なら、全身で、爪の先まで喜んでいる、という表現のできるひと」とも言っていた。

2009-09-02 秋の序章

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 一度DVDで観ていたのだけど、テレビで『硫黄島からの手紙』を放映するというので、居候中の実家の居間の食卓に座ってさあ始まるぞという時間にチャンネルを合わせていたらオカンが、「まわしてもいい? 戦争物嫌いなのよ」と、映画が始まってからも前半三十分で五回は言った。ぼくが使っている部屋にはテレビがないし、黙って画面を観たまま居座って、結局最後まで観た。このことが静かな呼び水となって、遠くに遠くに持っていた小さな懸案の、(仮の)我が部屋へテレビジョンの導入に踏み切ったのである。あれこれ調べて決めた機種は意外に安く、液晶ディスプレイ(Power Macの二台目ディスプレイ兼用)と、HDD&ブルーレイレコーダーを購入した。そういえばテレビの『硫黄島からの手紙』は編集があまりにまずくて、もう『硫黄島からの手紙』じゃなくなっていた。

 やっぱりテレビはダメだね……とばかり言っていてはせっかく部屋へテレビジョンを導入したのに意味がなくなってしまう。テレビにはテレビの為に作られた良い番組があるので、それを観るべきなのだ。井上陽水の歌手デビュー40周年を語る番組。これは面白かった。男子は、男性有名人を良いと思う時、そのひとの真似をしたくなるが、女子は男性有名人を良いと思う時、その人をパートナー候補として見ている(男と女、逆も同じ)、という仮説がある程度確かだとすると、ぼくが思う井上陽水の語りの面白さは、世の女子たちには伝わりにくかろうと思う。同じような理由で、ぼくが着目する所ジョージの歌の歌詞にある所ジョージ的渡世のエッセンスも、それを別の表現にしなければ女子たちには理解されにくいんじゃないかと思うが、所ジョージ的渡世のエッセンスは、ひとに語る必要はあまりないのでさして問題ではない。

     ★

 新しい液晶ディスプレイとソニー製のブルーレイレコーダーが揃った日は、TRの誕生日だった。今年に入ってから音信が途切れ途切れになっているのだけど、誕生日おめでとう、とメールを送ったらシンプルな返信が来た。そうだタイトルに「誕生日」が入っているからちょうどTRの誕生日だしこの日に読もうか、と考えていた、先日届いた文庫本『誕生日の子どもたち』(トルーマン・カポーティ)は、結局それから数日して読み始めた。シンプルな返信にすこしうれしくなったが、それだけに、なんだかだからなんだろうと、虚無的に意味の連鎖を途切れさせたのだった。久しぶりに更新されたTRのブログを見ると、彼女はどうやら海老江の会社を辞めて千葉のヒプノセラピーの先生のところに来ているらしい。新しい目標として、助産師になりたい、とか?

     ★

 お盆に前後して、存在の輪郭がはっきりしてきたひとがいる。恋愛ではない。恋愛みたいなものでもなくて、目指すところはおよそ恋愛とは違う極みに設定すべきものである。なんせ恋愛を始めることは、どちらかと言えばたやすいのだからね。そういうたやすい道のりとたやすい関係を志向したいわけじゃあないのだもんね。このひとは、スロットをやったら負け知らずである(とくにヱヴァンゲリヲンの台が好きだそうだ)。もともとはパチンコ屋なんて不良の行くところだと信じていたようなイイ子さんらしい(ついでにぼくはかつても今もパチンコもスロットもさっぱりだ)。それはそれとして、このひとの特質の、ある種の「怜悧さ」が、スロットで勝利をもたらすんだろうと思う。レコーダーでさっそく録画したNHKの『プロフェッショナル』、深夜の再放送の、羽生と森内の名人戦の様子をにらむように観たのだけど、将棋の名人戦に漂う鋭利な緊張感は、このひとと間合いが少し変化するときの言葉のやりとりの中にもあった気がする。いい意味で。ほんとうの対話というのは、打てば響くものなのだ。シュン、と懐に剣を突き刺してくるようなひとを、ぼくは好むらしい。そうだよそう、やっぱりこうだよなこう、とあらためて膝を打つ。Kニャン、身長もぼくより高いし、ナイスです。

     ★

 今回の衆院選に行かなかったのは、関心を持てなかったから。積極的無関心なのではなくて、8月15日の諏訪湖の花火大会は四万発だスゲエいっちょ見に行くか、なんて考えていたのに8月15日前日そして当日になって、独りで花火なんぞ観に行ってもなぁと意気消沈したのに似ている。ただ、鳩山さんという存在があるのを忘れていた。選挙の結果を見ていて、鳩山さん、あるいは良い宰相へとの期待を起こさせた。あのひとは、自分の仕事を持っていたのに、押し込まれるように政界へ入ったのだよね。そこが気になる点。いい意味で。「大山鳴動して、ねずみ一匹」(@内田センセイ)とはその通りなのだけど、まだその段階だ。役者が変わっただけ、だとしても、まわすべきチャンネルがあったことが幸福だろう。

     ★

 夜明け前に帰宅して、まだ暗い公園の森を歩いていると、すっかり秋の虫の音に充たされている。夜明けの20分前くらいから、一気に、夜と昼が交代する。最後の元気かも知れないが、セミはまだ元気だ。一時間近く歩いていると、ちょっと尻のあたりの筋肉に違和感が出てくる。片足のふくらはぎの日もある。その日その日の疲れ具合、眠気具合、歩いたコースのちょっとした違いなどが身体に現れるのだ。散歩から家に戻ってシャワーなど浴び、眠る支度をして、PCもテレビジョン用ディスプレイもビデオレコーダーもみな電源を入れないで、デスクスタンドのスイッチだけを入れて本を開く。夜が明けたのに網戸を通して部屋に流れ込む空気はひんやりしている。違和感のあった尻のあたりや、歩くのに使った筋肉は、水のシャワーで冷やしておいた。かすかなものを感知するには、この身体があってこそなのだ、とあらためて思う。健康でなくてはならない。出来れば強くなくてはならない。さらに出来れば軽くあるべきだ。身体感受性は、人間生活の必要と、時として多くを引き替えにしなければいけないのだけど、いかに踏みとどまれるか。出来る限りにスイッチをオフにしなくて良いところに立ち続けなければならない。静かなひんやりした空気の流れを感じながら考える。


写真・masatomo写・夜明け空@多摩川河川敷・田園調布あたり・金星が写ってるはず

2009-09-01 「意地悪のエネルギー」

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 こんな話を聞いた。

 Q君が実家に住んでいたころ、晩飯の食卓で、Q君の妹が兄さんに対して、不服を申し立てるように話を切り出した。まあ、兄妹のささいないさかい、というか、妹の妹ゆえの不満、とでもしておこう。温厚で冷静なQ君だが、売り言葉に買い言葉とまで行かずとも、妹から一方的に投げられる感情的な言葉にも、対応していたらしい。そしてQ君の妹がQ君に対してある言葉を投げた。

「外では偉そうにしてるくせに!」

 その言葉に、ふたりの間に座ってご飯を食べていたQ君のお父上が即座に反応した。諫める声で、「××!(Q君の妹の名)」。それまでのやりとりに割って入ろうにも、どちらかの言葉を制しようにも歯切れ悪かったQ君のお父さんのこの様子に、Q君はとても感心したそうだ。「外では偉そうにしてるくせに!」とは、だってみんなそうとも言えるんじゃないか? という類いの、それを言われた方を身も蓋もなくする、言う方の目的としては相手を貶める腹いせのためだけのセリフなわけで、こういうまったく生産性のない言葉をひとに投げつけることを否定するのに、間髪おかずに反応したQ君のお父上の、身についた常識や倫理観のようなものに、Q君は感心したのだ。この話を聞いてみると、たしかにQ君のもっているある性質、それはひとの話をなるべくフェアに聞けること、これはQ君のお父さんの譲れない何かから受け継いだものかも知れないと思った。

 ちょうど昨夜、ある作家の少年向けのエッセイを読んでいたら「意地悪のエネルギー」について書いた章があり、意地悪をしてしまった後の反省の仕方としては、「こんなことは、なにも生み出さない! とつくづく思うだけでよいのです。/ その反対に悪い態度は、自分が意地悪をしてしまったのは、相手にこちらの意地悪をさそうところがあったからだ、と考えることです。」と書いてあって、意地悪をされた時については、「いまはほとんど使われることのない、この怨望という言葉ですが、皆さんの頭のすみにしまっておいていただきたい、と思います。そして将来、とても困った人物となにか一緒にしなければならなくなった時、相手にこの言葉とぴったりするところを見つけたら、本気で怒ったり悲しんだりしないことにすればいいのです。/ 私は、子供の世界で、「怨望」に近い素質が、意地悪さじゃないか、と思っています。/ 怨望イクォール意地悪さ、というのじゃありません。怨望から大人のやることが、子供のやってしまう意地悪さに近い、ということです。あなたに意地悪をいったりしたりすることを続ける人がいれば、/ ーーーよし、ぼくは(私は)この人のいったりしたりすることに、本気で怒ったり、悲しんだりはしない、と自分にいえばいいのです。/ そして、自分としては、人に意地悪なことをいったりしたりはしないことにしよう、という原則をたてればいいのです。「意地悪のエネルギー」はなにも生み出しません。」と書いてあって、ふぅむと感じるところがあって、Q君の話を思い出したのだった。

 実に多くの時と場所で、意地悪と同じ構造の、あるいは怨望に根ざした、行為や言葉に出くわすよなあと思う。


引用・『「新しい人」の方へ』大江健三郎朝日文庫)、写真・masatomo写・散歩中にゴロゴロ猫に意地悪もあまりしないようにすべきか。

2009-08-14 アブラゼミが一匹ぎくしゃく飛んで

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 散歩をしていると、気がつくことがあった。

 気持ちが下向いていると、顔と視線が下に向かっていく。川の堤防を連日歩いていたある日、向こう岸の夜景と夜空の広さを感じない日があった。あ、と思ったら、斜め下に顔を向けて歩いている。わかりやすい理屈で言えそうなこととはいえ、あらためて、胸を張って歩こう、上を向いて歩こう、なんて考えもした。けれども夏の夜道を散歩していると、ほんとは下も見ていないとイケナイかも知れないことに、同じ日に歩きながら気がついた。下を向いて歩いたことの副収穫。すたすたと軽快に歩いていて、「メリ」とか「ポキ」とか音がする時、何かを踏んづけていて、それが小枝なら良いのだけど、なにかの虫だったりするのだよね。カメムシとかカナブンとかがポロポロとアスファルトの上に乗っているものだ。ミミズだって時々のたくっているが、上を向いて歩いていてヤツを踏んだときは音はしないのだろう。少し困ることだが、上を向いて歩きたいし、出来るだけ虫たちは踏んづけたくない、夏の夜の散歩の葛藤。


 昼夜構わず、生活のタイミングに合わせて歩いているこの頃、夏を実感するのは、やはり虫によるところが大。虫たちは、人様に向かってたかってくる。服に飛びついてくる。そして、がんがん鳴いている。ずっと、ここ十数年来、東京もセミの鳴き声が昔に比べてほんとになくなったよなぁ、なんて言って来た。でもそれは違ったのかも知れない。今年、子供のころのようにセミがミンミンジージー鳴いているじゃないか。散歩をするといきおい、水辺とか森とか公園とか、そういう場所をよく歩く。さすればセミががんがん鳴いているし、夜中ならば木の近くを通ると目を覚ましたセミや、死にかけて道ばたに落ちたセミに驚かされたりする。そうか、おいらがセミから遠ざかっていたから、奴らの鳴き声をよく聞いていなかったんだ。


 夏のイメージと言えば古民家なんです、と若い友達のメールに書いてあった。そうそう、「ダッシュ村」みたいなね。虫取り網を持って田んぼのあぜ道や、里山に続く細い道を雑草をかき分けて歩いたりね。汗がだらだら流れて、水が卒倒するほど美味しかったりね。ぼくは井上陽水の『少年時代』の醸す雰囲気が、夏休みのひとつだ。子供のころの記憶にあとづけで、この曲はなにかをつけくわえた。どちらかと言うと好もしいものだけど、あえて記憶を「少年時代」とくくっていると、ちょっと遠い、もの悲しい気持ちもすこしくっついている。

 歩きながら考えついたことがあった。子供を持ったら、あの子供のころの夏休みは戻ってくるんじゃないか。いつからか、汗だくの後の卒倒するほど美味しかった麦茶や、すべてがむせ返るほどの青い空と強い日光と高い気温の感覚が伴うあの夏休みが、もう遠いものになった過去のものだと思ってきた。でも、そうだよ、「夏休み」は復活する。この考えが浮かんでから、随分と軽快になったところがある。今年の夏も、夏休みの気持ちにほとんど回帰出来ることなく過ぎるのが息苦しく感じていたのだけど、そうでもなくなった。


 もうちょっとしたら、散歩に加えて、ランニングを始めることになりそうだ。来年くらいからマラソンのレースにもエントリーしていくよ。


写真・masatomo写・「岸辺の散策道」@多摩川河川敷

2009-08-12 断片と断片の間を散歩している

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 おらあ、生きてるべよ。

 なんて書き始めるようなとき、出来ることなら正確な方言を使いたいもので、こういうところをちゃんと校正してくれるような友達が日本のみならず世界中のいろんなところに「いる」。別にいま友達じゃなくても、それが必要になったとき、友達が出来るのだろうと思っている、それを先取りして「いる」と言ってみたまでだ。それと、具体的に「内容」を話せる友達というものも、これからも新たに現れるのだと思っている。話のさわりのところをさわさわとなぞっているような話じゃなく、一歩先へ、そのフレーズを口にするまでまるで言葉にしたことがないようなことを語り込んで行くような話が出来なければ、思考そのものの掘り下げは為し得ない。そんな話には身があり歯ごたえがあるように感じる、その抵抗感を生むかたまりのようなものを「内容」と言うのだ。人生のパートナーになるべきひととは、そんな対話をしていたいものだね。


 今朝は大分面倒なストーリーを持った夢を見た。自分の母親(現実のオカンとは別人物だった)は行方をくらましたし、大地震に加えて大津波がやってきたし(ちょうど地震が続いたり大雨の森を散歩したらまるで川の中で泳いでいるような音に包まれたりしたこの頃だからか)、水に浮かんでいたら本当に波にのまれて苦しかったし(ちょうど海で遠泳しながらたまたま大きめの波をかぶって水を飲んだくらいな感覚で、この頃、運動に関して気分が乗っているからか)、血だらけの子猫がすり寄ってきて、着ている服にべっとりと血糊がついてしまったりして最初はわずらわしかったのが、その猫が人間的になり女の子になり女性に成長して成熟してゆくと掛け替えのないように思えるひとになったりもした。その、子猫から女性になったひとの図像は証明写真で現れた。またその女性は運命的な出逢いとか、人生のパートナーとか、結婚相手とか、そんなことじゃないなにかである。女性とはぼく自身との関係というより、映画の一場面から表現されている意味を汲み取るような感覚だった。ぼく自身の切実さのベクトルがだいぶ変化したことの証拠に思える。

 そういえば、血だらけの子猫がすり寄ってきたのは、更地の建築資材のようなものが積まれその上にブルーシートが掛けられていたところで、子猫はブルーシートの上に横たわっていたのだけど、すり寄ってきた子猫だけではなく、もう一匹、たぶん同じように血を流した子猫がいたはずだった。一匹がぼくにぴょんと飛びついてくるようだったのに、もう一匹はぴくりとも動かず、顔は向こうを向いていたように思う。夢のストーリーは進んでしまったのだけど、あのもう一匹はどうしただろう。物語に登場はしたのだ。ぼくの目にはそれが捉えられていた。それなのに、あの子のそれからが不明だ。今朝の夢は小説でも映画でもないわけだけど、はっきり登場したものが意味も役割も与えられないままにいなくなるのは、ダメなはずじゃないのか。


 とにかく、いろんなことに留保を与えることが出来るようになった。ぼく自身の切実さのベクトルがだいぶ変化した、とは、そのいくつものベクトルの始点と終点の多くが、自分の外部に置かれるようになったことだ。広い外部に基準点無くして、留保は出来ない。そしていろんなことに留保を与えることが出来るようになったのがこの頃の、良い状態をもたらしてくれてもいる。自分にまつわる、留保を与えるほどの重要なものごとのすべては一過性のものではなく、それらを捉え続けるときの精神のはたらきは、アスリートが自らの身体を休むことなく鍛え、状態を受け入れながら維持し、時に試行錯誤しながら能力を開発していくこととおよそ同じだろう。そういう道筋に乗り、当面は立ち止まらずに行ける確信がある。だいたいそんな感じで、この頃は上機嫌で涼しい顔をしている。背筋もシャンとしています。


 今日は高崎へ行く。映画のエキストラ、なんて変なものに誘われたのだけど、菊地凛子松山ケンイチは近くで見られるのだろうか。まあどうせ主役級を、近くで見られるのだろうか、とか言っている程度の役柄、ってかほんとに単なるエキストラの一人なわけで、これまでのどんな仕事よりも着の身着のままでラクチンな話でござんす。ちなみに、その場面の時代設定は1969年夏とのこと。どんなもんなんだ。……で、軽く検索してみたけれど、なんとなくわかった。下の写真は少年マガジン1969年3月30日号で漫画家の集合。その下の奥村チヨは、普通に可愛い。あと、昨日の新聞に、ビートルズの『アビイ・ロード』のジャケット写真が撮られてからちょうど40年の日にファンがその写真に写っている横断歩道をみんなで一列になって渡った、という記事が載っていた。


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2009-07-17 「雨のしずくに 景色が映っている」

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 湯船に浸かって本を読んでいると、水が落ちるような音が風呂場の窓から聞こえて来た。雨だ。ぼくは晴れ男で、なにか行動しようとするとたいていは晴天がやってくる。晴天がぼくについてくる。それと関係するのかしないのか、ささやかな個人的な変節点が来たあとの日、雨が降る。雨が降る時が変節点なのではない。自分の時間の潮目の、すこし心が痛む時、雨が降るのが経験上のこと。この朝もだいたい、そういう感じです。


 風呂からあがって最初にしたこと。その読んでいた当の本と、この本で引用されていた童話の、二冊を、かつて親しかったひとへ贈るためにamazonに注文を出した。かつて親しかったひと……本当はそうじゃない。ぼくはいまでも親しみを持っている。あらためて自分の記憶の海の流れが変化を起こしているようで、それが時の潮目、ということでもあるのだ。本を贈った人ほど近年の出来事のみならず、もうひとつ前のことや、遙か前のことが、あたらしい補助線によってあたらしい筋の上に浮かんで来る。語るべきことの端緒に辿り着きつつある。いま起きているのはおよそそういうこと。

 贈った本のひとつはある日本の小説家のある時期の講演をいくつかまとめたもの、もう一冊は『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス著、高杉一郎訳、岩波少年文庫)。先日、深夜に散歩をした街でこの小説家の自宅をみつけた。クルマをコインパーキングに停めて歩き出して間もなく、閑静な住宅街の非常に静かな、すこし余裕の道幅のある路地で、煉瓦の組み積みで設えられたこじんまりしたポーチの、煉瓦ひとつ分の大きさの表札に不意に目がいった。その姓を聞けば誰でもそのひとと特定出来る小説家の姓だ。その家を心に留めながらその先の急な坂を下り、川沿いなどを三十分ばかり歩いて復路、今度はさっきの家のこじんまりしたポーチに一歩踏み込んで顔を近づけて、木版に手彫りで刻まれた可愛い表札の、表面の文字をよくよく見ると、はたしてその名はやはり、かの小説家のものであった。


 去るものごとがあれば、やってくるものごとがある。多くのひとが経験上そういうことがあるように、ぼくにもそういうことのあった今週、深夜の散歩もただの運動不足解消とかいうわかりやすい理由のためだけにするのではなく、歩かねばならないぼくがいるのだけどね。そして意気込んで歩き出した夜に限るように、途中で腹痛が起こったり、これから会えるかってメールを受信したりするのだった。潮目では操船作業も忙しい。

 そうして深夜に唐突に東京駅のフォーシーズンズで待ち合わせたO熊とは、実はずっと会いたいと思っていた。去年、仕事に携わっていたところで、このひとと初めて会った時、ぼくはかなりどん底の気分で日々をやり過ごしていたのだけど、その日はなんだか明るい希望の一筋の光が暗い和室のふすまがちょっと開いたところから差し込むようだった。あらためて、また潮目みたいな時に連絡をくれたこのひとに感謝している。あるいはこのひと自体が、このひとの意識もしないところで、たまたまぼくに潮目をもたらす役割を持ってやってきてくれたのかも知れない。どうにしても、ありがとう。


 上で、散歩中に偶然にある小説家の家をみつけた、と言ったのだけど、実はそこに至るにはいくつかの伏線が、あったのだった。それ自体は辿れば長い月日の中にあることである。また、ぼくのみならず、幾人かの存在もそこに関係している。向こうにとってぼくは見知らぬというひとも関わることだから、基本的にはあくまでぼく自身のための伏線なのだろう。ただし、先日散歩の中の出逢い、この小説家の自宅が不意に眼前に出現するという出逢いがあって、ぼくにとってこの小説家の言葉をやっと読む時がやって来たようなのだ。これはいまが潮目なのとは大いに関連する。

 またこの伏線の延長にあることが、さっき風呂で読んでいた、そして親しいひとへ贈った、この小説家の講演録の中に語られていた。とるにたらないおまけのようなつけたしのように語られていたから、この小説家にとってその小さなエピソードは、どこにつながるのでもないただの話のままなのだろうと察する。だけれどももしかしたら、この小説家にとって、ほんのささいな、いくらでもこの小説家には寄せられた感想や感謝の言葉の一部に過ぎないほどのことかも知れないにしても、それでもこの小説家の言葉が生んだ現実を動かす力が誰かの人生に及ぼしたことが、偶然にこの小説家自身が目にしたあるエピソードの理由だったとしたら、それをこの小説家が知るに至るなら、どうだろう。ぼくの伏線の延長にある、この小説家とその著作に語られるエピソードの中に名前の出ているある有名人にまつわるささやかなストーリーを、この小説家に伝えてみたい。だってその有名人が大学を辞めてそのひとが有名になるその世界に飛び込むきっかけこそが、この小説家の書いた一冊の本だったのであって、中学生の時にそれを知ったことでぼくは初めてこの小説家に興味を持ってその一冊を渋谷の大盛堂あたりにまっすぐに買いに行ったのだから。


 amazonで贈る本を注文した後には、湯船の読書の続きをしながら朝カレーを食べてしまった。そしてこの日記をしたためた。予定通り、次はDVDでも観ますかね。『めがね』ってタイトルの小林聡美主演の、『かもめ食堂』の監督がまた監督の映画だ。やや眠いのだけど外は雨、真夏の陽差しも落ち着きそうな日の朝。


「しずくのなかに 別の世界がある」


写真・散歩中に@多摩川河川敷 / 今日の日記のタイトルと最後の一行はあわせて、大江健三郎が書いた言葉で初めて活字になったという四行の詩。この詩の紹介のあとに書かれた一行が胸に残る。「いまも少年時の自分をリアルに思い描こうとすると、雨に濡れて匂い立つ柿の枝に顔を近づけて、葉にたまっているしずくを見つめている姿が浮かんでくる。」なお、今日の日記中の「小説家」は大江健三郎、「有名人」はビートたけし、渋谷の大盛堂あたりで買った本は『見る前に跳べ』。

2009-06-27 心から一歩も外に出ないものごとなんて

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 ふと思い立ってリョウを誘って奥多摩へ行った。あらかじめ見繕った滝が目的地だ。かつて父の仕事を手伝っていたころ、二俣尾の近くのうどん屋でときどき昼をとった。その店で遅めの昼食にして、先へ向かった。約束の午後一時にはリョウの自宅至近のデイリーヤマザキへ到着していたのに、炎天下、一時間も灼熱の太陽の下にぼくを放置したリョウのお陰で見積もりが大きく狂った。夏の陽は長いとはいえ、午後の一時間は大きいのである。いちおうこれから大自然に足を踏み入れるのだから。日が暮れちゃおしまいなのである。自然の中で、夜は厳しい。

 で、結果を申せば、クルマを停めた滝までの登山道の看板から、往復二時間強、ふたたびクルマに戻ったのがちょうど日の入りの時刻だった。あぶねえ。というか、ホールインワン的、効率良い時間のやりかた? いややはり、用心をおそろかにしてはいけない。もうすこし心して行動するべきだ。まあよい。

 肝心の滝は、これが素晴らしい涼風をぼくらに吹かせてくれた。水が落ちると空気も動かす。滝の正面には、滝からの風が吹き渡っていた。ブナの原生林の緑は夕刻が近づいても日の傾きを思い出させないどこまでも透明な緑色でぼくらを包んでくれたし、沢の流水の音はだいたいいつも近くに聞こえていてそれがぼくらに寄り添う心優しいボディガードのようで、うまれそうな不安をすっかり鎮めてくれていた。

 そして東京郊外私鉄沿線地域に戻ってきてしばし、仕事の話に打ち込んだのでした。具体的な仕事のことはそれとしておく。そうじゃないところでこの週末はひとつの境界線を踏み越えるような時だ。明後日の月曜日には、もうひとつ違った世界に行ったぼくがあらためて日記を書くのだろうと思う。とまあ、自分にとっても思わせぶりな、と感じる言い方しか出来ないのだけど、説明すべきことはこのへんのことについてはなにもない。言葉にしたら消えてしまうことがあるのみだ。

 滝の轟きと聞こえ続けた沢の水音の向こうには耳を澄ますべきものごとは、たしかにあるのだと確かめられた。だいたいそういう、当初の目論みが予想以上に達成された満足な奥多摩行きでした。ウッキー♪


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写真・masatomo写・PCで大きなサイズで見てみてね。見た滝はみっつ。同じ沢にある。上・大滝。さすがは名前の通りの立派で端正な滝で、それがちゃんと一番奥にあるのもステキ。中・ネジレノ滝。実際はまったくこじんまりしていなくて、高くそそり立った両側の岩の間の闇の深さが恐ろしい。下・三釜の滝。一番手前の滝で、クルマを停めたところから徒歩で数分で行ける。五段で流れ落ちているところのこれが途中の二段。

conigliaconiglia 2009/06/28 07:33 水ってなんて強くて優しくて気まぐれで
頼もしい類稀な存在なんだろうって、よく考える。

水のことをすっかり理解できること、
それはつまり宇宙や生命のことを、
ひいては自分自身を理解できることなんだろう。
自然も人体も全ては繋がっているね。

wwwmasatomocomwwwmasatomocom 2009/06/29 18:08 実際に水の流れをじっと眺めていると、
その動きにはいろんな示唆が含まれている。
簡単にものごとの因果関係を言うことなく、
すこし黙って水を見つめていると、
動きには目に見えているものと
耳に聞こえているものがあることに気づく。
ぼくはどちらかというと視覚が先にたっているようだ。

滝の真下にいくと、かきまわされます。
ほんとうに。

2009-06-21 「リトル・ピープルはほんとうにいる」

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 昨晩はふと思い立って、夜の散歩に出た。出先に駐車してそのあたりを歩こうと考えて、大田区あたり、晴海あたり、葛西臨海公園などと検討して、実際、一度はお台場あたりまでレインボーブリッジを往復するなどしてから結局、鎌倉にやって来た。既に出発の目黒から雨がぽつぽつ来ていたのだけど、ここまで途中にひどい降雨もあったし、いつもの江ノ電沿いの裏道の路肩についた時もさらさらと雨は降り続いていた。それでも浜辺を歩くとスニーカーが湿った黒い砂だらけになった。湿気からの逃げ場はクルマの中しかなくて、でも湿った砂浜を歩いたお陰で散歩の気分はなんとか充たされ、帰路についた。

 稲村ヶ崎から135号線を走り出してすぐ、材木座のあたりで同い年のリョウから電話が掛かってきて運転しながら通話をし、その間にぼくは、数学のことについて話そう話そうとしていた気がする。結局、目黒に帰宅してからも通話を続けてベッドでごろごろして眠くなり掛かったころに、あのね、ぼくの頭は数学には向いていないようだ、とその話をしたのだった。好きと下手は別で、ぼくは高校の卒業までも大学の理工学部に入ってからも、数学自体が嫌いだと思ったことはほとんどない。けれども試験の点に結びつかないしそれ以前に、自分の頭が数学の問題に関してあさってに動いているのを自覚していた。で、この、ぼくは数学に向いていない、という話にオチはない。漠然とした状態の思いつきを混沌とした闇鍋のようなところへ放り込むように話せる相手だからこそ出来る、まだ探求の端緒にいる話なのだ。自分の能力の傾向や偏向、現実的な能力の吟味、可能性の把握、あるいはそこから普遍へ通じる思考の流れのひとつのはじまりなわけである。


 そんなことをして、深夜に鎌倉くんだりへ行ってその途中から長電話を始めて、電話を切ったのは朝の七時だ。そうこうして気絶眠ののち起床したら午後三時。ぼくは何時に起床しようとも、ほとんどの朝はゆっくりと朝刊をめくりながらトーストを食す。そうして今日の午後は一週間の朝刊の中でもいちばん丁寧にページを繰るべき書評欄のある日曜朝刊をめくり、横にはノートPCを用意して、必要とあればその場でアマゾンの検索をしては「ほしい物リスト」に書籍を追加したりし、それからおもむろに風呂を追い炊きして読みかけの先月出た新刊を持って湯船につかった。

 先週の関西への散歩にもこの新刊は持っていったが、一行も読まなかった。四日ほどの行程では、神戸でマクドナルドに入ったときに、別に持って行った川上弘美の文庫『夜の公園』をクオーターパウンダーチーズをかじりながら少し読んだけ。一泊した生田神社脇のホテルでも、シングル予約にあてがわれた広めのツインの部屋の隣のまっさらなベッドの上にこの新刊を転がしたまま、メールを打ったりテレビを観たり、睡魔と戦いながら心の平穏をさがしたりしていて、でも次の動作ではこれを手にとって次の章を読もうと思うばかりであった。

 最近なに読んでる? と、ときどきカナミさんはメールしてくるのだけど、奈良、神戸、和歌山行きから戻って数日してその質問が来たので、新刊が読み進んでいない話を返信にしたため、読んでいない時間も読書のうちだと思う、と申し添えた。これは話題で売れている新刊だから、当然ぼくは買っていることを知っている大学生のN口はまた、「読み終わりましたか? 反骨精神からというワケではないけれど、購入してまで読む気がしなくて、図書館に入荷するのを待っています」と聞いてきたので、ぼくの反骨精神はゆっくりゆっくり読むこと! と応じたのが二週間前。その時に二章まで読んでいたのを、さっきの湯船で三、四章を読んだってわけ。

 で、ちょうど読んだところに数学のことが書いてあった。ストーリーの中心人物のひとりが予備校の数学講師をしていて、そいつが数学への思いを語る場面があったのだ。なんせ四十八章ある小説のまだ四章まで読んだばかりなのだから、この小説についていまのところはなにも言えない。自己にとっての数学に関する語りを読む前に、ぼくは自分にとっての数学についてぼくにとっての語りの入り口を準備しておいた。鎌倉の帰路から続けた明け方の長電話で半分眠っているような状態のリョウに数学の話をしたのはそういうことだとしておく。この必然を説明するのには骨が折れるからちょっと省略。たまたまそういうことがあっただけのことだ、いまのところ。期待していた新刊が出て、それを読んでいく時に、読書は読書だけの遊離した行為でない実感が、いまの自分の次をつかみかかっているところでは、相当な価値のある未知の手掛かりのようだ。


 ぼくの頭は数学に向いていない。とたしかにぼくは言った。これは探求の端緒にいる話なのだ。と上でぼくは書いた。実際のところぼくの頭は、とても数学的に働いているところがあって、ぼくは自分と数学について、数学的にも考察しようとしている。余談になるが、ぼくの頭の中では数字は数字が意味するだけの象徴的意味にとどまらず心象イメージと結びついていて、ある種の論理的展開が頭の中でなされるときには、ぼくは風景のようなものを見、風や匂いを感じるのだ。いやこれはほんとうに余談だった。これらを語ってもさしたる意味にはつながらない。意味とは、ぼくの行為の結果うまれる表現がつくる流れや波のことだ。

 以前の日記でぼくは、静かな湖のような心の静寂を求めている、と書いた。時には雷鳴や嵐も、疾走するクルマの屋根を取り払ったら巻き込んで来るような風の渦も、ぼくは欲している。ぼくはぼくの行為の結果うまれる表現というものを、取り出していかねばならない。この必要を説明するのにも骨が折れるからちょっと省略。そういうわけで、だいぶんと、現実生活、精神生活ともに汲々としてきた感が強いけれど、やっと、ひとつづきの尾根のうねに取り付いた気がする。

 さて、ここまで書いてちょうど夕飯の時間だ。飯を食ったらば新刊の続きの五、六章を読んで、カナミさんの書きかけの小説原稿を読んで感想を送ろう。心づもりの通りに小説三昧の日曜日。読む頭も書く頭も息を取りもどしたよ。これからぼくの快進撃が始まるなんて、みんな夢にも思っていないことだろう。


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写真・masatomo写・上・やっぱり卑弥呼の墓だ! なんて言われる前に行っておこうと思った箸墓古墳。左のほうが前方後円墳の円のほう。中・いつも気になりながら先送りにして、やっと見に来ることが出来た談山神社の十三重の塔。下・前回も閉門直後にやってきたのはここに来ようと思いつくのが遅いから。根来寺大塔。

2009-05-31 かえすがえすも……春の名残

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 これは東京タワーのベストショットでないの!?

 なんて友達が言ったもので、そうすると、そうだよな、ともう東京タワーのベストショットは自分が撮って(獲って)しまったものだという気分になるのは早朝の時間になせる技。

 夜な夜なパタパタする生活に身体がキシキシと言い出したところでちょっとした現実的対処はきっと転轍点をもたらすことだろう。とうとうこの二年ほどの精算の時期が近づいてきた。そうは言っても会計帳簿のように、きっちり決算の日が決まっているわけではなく、今日は昨日の明日、明日は明後日の昨日って具合に日々は取り留めもなく連なって、いつだって今日のぼくは昨日の疲労から回復したぼくなのだ。

 およそこんな感じで、ほとばしり出るべき言葉はこの身体の中に渦巻いている気配を、やはり深夜の明治公園、そして早朝の駒場野公園に佇んでいると感じられるような気がした。子供のころによく遊んだ明治公園、我が母校の近くにあり(設立時に農学校だった)我が母校付属の田んぼのある駒場野公園である。時を隔てても自分が存在してきた事実が、さしあたっていま一番の自分の生の手掛かりな現在は続いている。


 百人一首から一首が浮かんで胸に去来する。いっそ東京を離れて逢坂の関を越えようかという思いつきのせいか、言葉の発音のひとつまえを踏んで繰り返すこみあげるような感覚が、思考をこねくってこねくって粘りが出てくる方法論のひとつとして重要になる直観がある、というような、いわく説明のしがたい理屈が、一首が去来する胸の内側に貼り付いている。

 この先走り気味な言葉遣いは、これは東京タワーのベストショットでないの!? と言った君のせいだよ。ほんとにまったく。


  これやこの

  行くも帰るも 別れては

  知るも知らぬも 逢坂の関


 そういえば今月のニュースの中の我がベストタイトルは「箸墓古墳、240〜260年築造 卑弥呼の死亡時期と一致 炭素年代で判明」。20世紀に入ってから繰り返された核実験、水爆実験と、実戦投下された二発の核爆弾がまき散らした放射性物質のノイズによって、放射性同位元素による年代測定の精度は大幅に減じられ、その精度を取りもどす機会はこの地球上からは永遠に失われた、と高校の時、予備校の物理の教師が言った言葉が頭にこびりついている。だからどうだって話じゃないが、歴史的事実が出来る限り詳しく判明していくことは、たしかに良いことだと直観出来る。たとえ精度が失われてもそこに努力は尽くされるべきなのだ。同様に我が身の時間についても、思い出しうる限りの記憶の輪郭を辿る作業には深い意味があるのだと、あらためて思ったりもする。奈良にも赴いて箸墓古墳のまわりを歩いてみるつもりだが(と近くの山辺の道をまた歩こう)、とりあえず故郷たる千駄ヶ谷や神宮前を来週もちょっくら歩こうと考えている。


写真・masatomo写 @雨の早朝、運転席より / 歌・蝉丸

2009-05-08 歳月不待人

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 雨降る丘の上。落ちる水にたいがいのものが洗われるようで、それでも残る心の温度は、顔の前で手を合わせる気持ちを強く喚起させる。目をつぶり暗闇におののいては目を見開き、覚醒した意識は半眼を選択する。持ってきた小さな餅をひとつ、ダッシュボードの上に乗せていたのを食べた。やがて共に空を見上げるひと。幾度となく見てきた夜景の前に並んでたたずんでいれば、数多の水滴に囲まれて、ひかりの小さな点の無数が世界を包む媒体のようになっていた。水のしずくのひとつには世界がひとつ、映し出されている。またはそういうひとつの、ぼくらの守るべきものを、それの周囲を経巡りながらその輪郭の手触りをたしかめる。そして共に迎える夜明け。

 それでも雨は降り続き夜まで、夜通し雨。丘の夜から明けた日の夜、独りで闇を彷徨った。また明けて昨日のぼくは、自らの優しい声を自覚したくらい、甘かった。こういうとき、ひとからの照り返しも角がまるいことを知る。さらに一晩が明けてそれでも雨は続いているけれど、ここまで良く降ると涙雨も本格的だな。なんてつぶやくベッドの中で、この頭痛は低気圧とかそういうことでなく、ちょっと寝不足が重なっているようす。すこし考えることが多くてね。心のどこかが鎮まり、かわりに掘り下げる口の、下草を丁寧にどかしているようなところ。


 なるべく素直に、ぼくの声を届けたいひとへ言葉を送ってみると、ぽつりぽつりと、心に沁みるものがちゃんと戻ってくる。徐々に現実がともなっていくのだろう。そんなことを考えたり、ちょっとぼんやり抽象的な思考に満ちているけど、なにも急くこともないのだからね。ほんとうにそうすべきときは、ちゃんと駆け出すって。

2009-05-05 笑顔と含羞と

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 ずっと気になるヤツがいる。小学校の同級生だった(あえて下の名前からイニシャルを取ると)Fだ。彼とは小学校の卒業以来会っていない。消息だってほとんど知らない。だけど一度だけ、どこかで誰かに聞いたことがある。FはKO大学を出て富山で漁師になっている、という。Fを考えたらなにも驚くに価しないほどのことだ。彼らしい、とも思える。ぼくはあるひとりのミュージシャンを見ると、いつでもFのことを思い出していた。はにかんだ笑顔がそっくりなのだ。ちょっとだけしゃくれたようなかたちのあごをひいて上目遣いの小さな三日月形の目で、なにか言いたげだけど言葉を飲み込んだような口許は微笑みにゆるんでいる。もしもぼくが文章を書くようになったら、ペンネームはFの名前をそのまんまもらおうと決めている。遙かおよばないものへの憧れのような、そこに近くなりたいって願望のような思いがあってそう決めた。そして名前が世に出るようなことになったら、富山に出掛けよう、と。Fに会うことが出来たなら、そこで謝る。ごめん、名前、もらってしまった。ぼくにFを思い出させてきたミュージシャンは、大好きな高校時代の美術教師を歌って、その曲の入ったアルバムを持って母校の美術室を訪ね、先生のことを歌いました、迷惑でしたか、と言った。F、迷惑じゃないか? そう言ってもFはあの口許で照れくさそうににやけてくれるんじゃないかと思う。ついでに、乗せてって言ったらヤツの船にも乗せてくれたりするかな。冬に行くのはよしておこう。

 Fがよく似ていたミュージシャンには思い入れはなかったし、ファンと自認もしていなかった。サブカルチャー的趣味というところから近しい存在ではなかったけれど、男として、人間として、そのひとはとても好もしいひと、信頼に足るひと、そういう安心とともにあるひとでは、確実にあった。個人的にそこまでのひとは世界を見渡してもそう多くない。多くないどころかとても希有な存在だ。その希有なところと同質のものがFにある。ぼくに対してときどき少し特別な意味を込めて、距離感を保っていたい、というようなことを言うひとがいる。そういう気持ちが、そのミュージシャンについてぼくが抱いていた心の持ちよう、そのミュージシャンの存在感を思うに、わかる気がする。個別にちょっとずつ違うけれど、個別の情況にあわせた距離をたもつこと。そういうことなんだよね。たいていの場合、ぼくは自分のことにかかり切りな感じでいるのが良いみたい。たとえごろごろしてばっかりでも、ぶらぶらするのが仕事であるみたいに。逆に、距離が遠すぎたひともいるんじゃないか。ちょっとそれはないだろうというほどの距離。Fとはこっち。二十四年間もお互いに音沙汰なしだなんて! 気づくとその距離の遠さに愕然とする。性急に縮められないし、もうなにもかもが変わってしまっているかもだけど、行動が出来たならその距離はどうにかなるようになるのだろう。

 なんてことなど、いろいろ考えるわけだ。大事なひとには、遅きに失しないうちにちゃんと会っておくべきだなあと切に思うきっかけが、いくつかあったもんだから。

写真・masatomo写・たぶん阪神高速神戸線

おおやんおおやん 2009/05/23 22:06 奴はホントおもろかったなぁ。あれからもう24年ですかぁ。
小学校のときあいつの家の前を通るとマンションのベランダから足をぶらぶらとだして夕日を眺めている姿をよく見たよ。ところで元気してる?返信送れてすまない。近々メールします。

wwwmasatomocomwwwmasatomocom 2009/05/29 12:57 おお、久しぶり。別にメールはしたからね。
ヤツがベランダから足をぶらぶらさせて夕日を眺めていた
ってのは、知らなかった。
それはヤツに輪郭を与える話だな。
こちらは元気にしていますが、きみのところほど好調じゃない気もする。
だけどいろんなことの伏線が切れずにいまもあって、
それがこれからを作るのだと思えば、相当絶好調。上機嫌。
そんなわけで、お子様の誕生、おめでとう!!
おおやんの、奥さん大好きな心も、
ほんとに世界に充ちているようですよ。

2009-04-30 交歓

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 会って語りたいひとは、いつも遠くにいる。というほど絶望的じゃないけれど、遠くにも近くにも、会って語り合いたいひとたちがいる。


 熊本からKINU姉さんが上京するというので、ちょっとお付き合いをする。こちら東京でパーティーに参加するのだ、と。そうか、婚活ってやつですか? なんて聞けるわけがない。聞くわけもない。みんないろいろと思うところがあるのだ。わかってるぞよ。たぶんけっこうあさってのことを考えていますが。そういうわけでせっかくだからと、空港に迎えに行って宿泊予定の渋谷のホテルへチェックインしたら代々木の美容室でセット、そして世田谷のパーティー会場へと送りつつ車中であれこれと、熊本のカフェで夜中に話し込んで以来の四年ぶりのもろもろを語ったのだった。姉さんが美容室でセットしている最中にトモエ(元らん様)に電話を掛けて留守電を入れておいたら世田谷の帰りに着信があり、取るとあちらも帰り道で「なんだ、だったらもうちょっと早く連絡すれば良かった。(麻布)十番に迎えに来てもらったのにぃ」と言う。そうだよね、ちょっと間があくと、今度会うときはちゃんと話そう、なんて考えて、しっかり時間の取れる日を待ったりして、さらに会うまでの時間がひろがったりする。で、ぼくらいまそうだねぇ、なんて話すも、きっと会う会わないはそういうこともあるけれどそれだけじゃなくて、もっと違う次元の必要性がお互いを呼び寄せることもある。離れていてもいいのさ。そういう点、トモエは何も近づこうとお互いにしなかったにも関わらず、お互いに意外な存在感を持っていて、すでに展開として面白い。

 そういうトモエは、ネット上の日記によると旦那さまとの喧嘩が絶えないらしいけれど、そういう話をぼくらはしない。ちょうど友達が熊本からこっちに来てて、と話したら、旦那さまがまさに熊本の出身なのだと言う。KINU姉さんがぼくのふたつ年上で、トモエの旦那さまはぼくのひとつ上だ。それがともに熊本市街の出身だったら、追求したらなにかつながるだろうね、と話すに留まる。


 たとえ電話でも遠くにいるひとの声が聞ければ良い、と思って選んでいる携帯の料金プランだが、今月は無料通話分が半分も残った。五月ははじめのころにひとつの区切りがあって、そこからはするすると、上昇気流をつかまえるつもり。勝って兜の緒を締めよ、という感じ。なにに勝っているってほどでもないが、最近は、ちょっとしたことに対しての勝ち方を思い出してきた感じ。そうじゃなきゃうまく負けることも出来ないのも思いだしてきた。


 きみにあいたい、と思っただけで涙がこぼれた日が懐かしい。


写真・masatomo写・今朝、仕事帰りの目黒川。桜の葉も青々と。

2009-04-23 ほころびてむすびめなる

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 その日は、とても大切な日だ。

 大切なことを告げられたのは丘陵の上の城址公園に至る道で、それからヒト月後にふたたび大切なことを告げられたのも同じ公園だった。はじめの時は四月十一日の暑いほどの日射しの日で、つぎはこどもの日の翌日、五月六日の涼しい夜だった。大切なことを告げたひとの身体は、はじめのときは微熱を持っていつになく暖かく、あたらしい振動を帯同しているようだったが、次のときには、以前に増して表面温度ははっきりと下がり皮膚下の肉塊は硬直が始まらんばかりの、無機物の大きな結晶がアモルファスになったように変化していた。その日、ひとつのものが終わったのだった。

 いろんな意味の与え方、思考の筋の通し方がある。ひとつには、このことで意味と筋の井戸をひとつ持ったものとして、終生、この井戸を守ろうと思う。もうひとつ、今年の五月五日の夜は六日に日付が変わるころから、丘陵の上の城址公園に至る道で空を見上げてみようと思う。つるべの一往復は出来れば。この一年分のすべてとは言わないけれど。


   ★


 昨夜、ある事情で深夜の静寂に沈む住宅地を歩いていると、蛇が死んでいた。この数日、頭の片隅に蛇が居着いていたのは事実で、それというのは川上弘美の『蛇を踏む』という小説の文庫本を買ってあって、そろそろ読もうかなと軽く棚上げにしていたことに連関する気がする。死んでいた蛇は、まともに蛇だった。胴の直径は三センチくらいで、体長は悠に一メートルはある。それが真っ白い喉を上に向けて、まるで死をことさらにアピールするように、街灯の真下に照らされていた。

「踏むか……」

 と一瞬考えたが、干からびるではなく、生きている時の生のぬめりをまだそのまままとった死骸を踏む想像は、ぼくに耐えられなかった。踏む想像をしたおかげで、蛇の死骸の写真さえ取り損なった。そして帰宅して真っ先に風呂を沸かし、非常に眠かったのだが、『蛇を踏む』の文庫本を持って湯船につかり、川上弘美の芥川賞受賞作のそれを読み通したのだった。蛇が死んでいたのは、三田綱町の慶応中等部の裏の路地である。


写真・masatomo写・ハナミズキ@港区三田

2009-04-21 高橋的情況

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 マイキー姉さんも、こういう小説を読むのか。ふむ。読み通したのかな。と考えつつ、先週買った文庫を寝ころんで読む。高橋という登場人物のどういうところをマイキー姉さんは、ぼくになぞらえたのか、という疑問はとりあえずさておいて読んでいる。いまさっき読んだ章はこういう場面。



 高橋はどのように話すべきか少し考える。「たとえば……、彼女は君ともっと親しくなりたいと思っていた」

「私と親しくなりたい?」

「彼女は君が自分とのあいだに、意識的に距離を置いているみたいに感じていた。ある年齢を過ぎてからずっと」

 マリは手のひらでそっと子猫を包み込む。彼女はそのささやかな温かみを手の中に感じる。

「でも、適当な距離を置きながら、人と人が親しくなることだってできるでしょ?」とマリは言う。

「もちろん」と高橋は言う。「もちろんそういうことはできる。でもある人にとっては適当な距離に思えても、ほかの人にとってはちょっとそれは長すぎる、みたいなことはあるかもしれない」



で、引き続き、四ページうしろの部分。



 高橋はどう答えるべきか少し迷う。「しかし……、そうだな、君のお姉さんと向かい合って長く話しているとね、だんだんこう、不思議な気持ちになって来るんだ。最初のうちはその不思議さに気づかない。でも時間がたつにつれて、それがひしひしと感じられるようになってくる。なんていうか、自分がそこに含まれていないみたいな感覚なんだ。彼女はすぐ目の前にいるのに、それと同時に、何キロも離れたところにいる」

 マリはやはり何も言わない。軽く唇を噛みながら、話の続きを待っている。高橋は時間をかけて適切な言葉を探し求める。

「要するにさ、僕が何を言ったところで、それは彼女の意識には届かないんだよ。僕と浅井エリのあいだには透明なスポンジの地層みたいなものが立ちはだかっていて、僕の口にする言葉は、そこを通り抜けるあいだにあらかた養分を吸い取られてしまう。本当の意味では、彼女はこちらの話なんか聞いていないんだ。話をしているうちに、そういう様子がわかってくる。すると今度は、彼女が口にする言葉だって、うまくこちらに届かなくなってくる。それはとても妙な感じなんだ」



 ふむふむ。そうか、高橋のキャラが似てるとかそういうことだけではなく、高橋のいる状況の全体の、高橋の世界との関係性をひっくるめて、ぼくがそこになぞらえられてるんだな。実際、引用したところのまるごとまんまを、ぼくが思ったことはまだ無いけれど、浅井エリのような情況にまわりのほぼすべてに対して陥っているんじゃないか、というひとをぼくは幾人か知っている。

 透明なスポンジの地層がはさまっているというのなら、いっそそこにコンニャクの地層を加えるのもひとつの手だ。そしてぼくには、そんな感じで、遠回しの交歓の試みをしているひともいる。


 昨日は朝五時に帰宅したら、鍵を持たないで出ていたらしく、実家下で誰かが起きるのを待っていた。考え事をしながら少々の時をやりすごすのは、わけないのだけど、さすがに寒い眠い腹減ったの三重苦ゆえ、コンビニでコーヒーとドーナツを買って来る。結局室内に入ったのは8時で、冷えたし寝不足だしで少々体調が傾く。昼にたかちゅ姉さんの電話で起こされ、午後に約束していた不動産会社員Tと池袋で待ち合わせの為に外出。軽いお茶のあとは明治公園脇ですこしまったりしてから日没前後に帰宅。夕飯食ったら即座に撃沈。今日は気分フラット、良くもなく悪くもなく、願掛けに近い意味合いも込めて、夕方に横浜のメグミの店で髪をカットしてもらいに行くつもり。


……というわけで、上大岡のメグミの実家の美容室でメグミのお母さん(店主)やお客さんの近所のおばさまともお話しながらカットしてもらって、途中の会話のなりゆきで教えてもらった七里ヶ浜のカフェが気になり、ひとり、雨が降り出した中を鎌倉へ。日暮れが迫っている。ローソンでバームクーヘンを買って食べても、どうも血中糖度がさがったまま頭のもやが晴れないような感覚もあって、甘ったるい飲み物となにか一品頼んで日が落ちて真っ暗になったら帰路につこう、と決意。ヘーゼルナッツラテのホットとガーリックポテトを注文。客は女ばかりで店員は男臭いが笑顔が光っている。良い店だ。こういう店ならひとりで入るのも悪くない。少なくとも独りでいる間は、高橋的情況ではない。ただし、深い高橋的情況に、はまっても良いと思える。ぼくはどうしたら跳躍がうまくいくかなど、少しも考えないことにした。


引用・『アフター・ダーク』村上春樹 講談社文庫より / 写真・masatomo写・タイヤに小ビバンダム

赤色ひすい赤色ひすい 2009/04/24 14:46 あ!出演しちゃった(笑)
光栄です〜。

wwwmasatomocomwwwmasatomocom 2009/04/25 19:23 うん、登場してもらった。
やはり、効能はある、という実感です。ほんとうに。

2009-04-15 「奥の木まで一緒に行って」

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 友達だったひとの日記をひさしぶりに読んでみたら、ぼくのことが書いてあった。あまり頻繁な更新じゃないから、ひとつきまえのその記事は、最新からいくつか前にあった。読んだら目が潤んだ。おれはなにをしてきたんだろうなあ。なんて言葉にはなりようもなかったのは、もとより言葉を媒介に出来なくなった、またはそのひとが言葉を媒介にしなくなったからじゃないだろうか。ぼくはちょっと遅れていま、言葉を失ったわけだ。

 しばらく前にもぼくから言葉を(幾度となく)うばったひとがいる。目の前で何かを言われて、口アングリ、思いがけず一瞬の失語症に陥ったことが何度もあった。もしもいま目の前にそのひとが現れてもやっぱり、一言も出てこないだろう。むしろ、どんな一言もその場面にそぐわないことを承知だからぼくは口を開く必要はないと心得ている。実際の生活上でもこのところぼくは、言葉少なだ。

 それにひきかえ、饒舌になりたくてなりたくてしょうがない相手もいることにはいる。そのひとを前にすると、無駄に口が動いていた。思えば無駄に口を動かすには、大人のフリをした未成熟な人間でしかなかったことが、ぼくの大きな錯誤で、せめてその未成熟や自分の限界をもうすこしでも自覚していれば、いまもそのひとの前で饒舌をぶっていたかもしれない。その点でぼくには言葉を奪う存在も、だから必要でもあるのかもしれない。

 閑話休題。

 アメリカのマイキー姉さんからもらったメールに、ある小説の「たかはし」という登場人物がぼくを思い起こさせるひとだった、ということが書いてあって、その小説はまだ読んでいなかったので早速アマゾンで注文する。この小説の人物に限らず、これまでに何度か、小説の登場人物に似ていると言われたことがあって、それはたとえば山田詠美村上春樹町田康の小説の登場人物だったのだけど、ぼくのお友達の方は他にも発見されたらぼくに積極的に教えて下さい、お願いします。

 そういえば、その前にいくと饒舌になってしまうひとと知り合った最初にぼくは、あなたは保坂和志の『この人の閾』に出てくる真紀さんを思い出します、と告げたのだった。いまではちょっと印象が違ってしまっているけれどそれは状況のせいで、これからだって(これからだからこそ?)真紀さんのように振る舞ってくれるそのひとをぼくは想像出来る。

 友達だったひとの日記をひさしぶりに読んで目が潤んで、そのひとにメールを送ったら返信が来て、何度かやりとりをする中でぼくは「話の筋が安易に通りそうになるとそこから逃げたくなる、猛烈に」と書いて、そうなんだよ! と思った。いや正確には、そのひとや、言葉にまつわって深く繋がったことのあるひとに向かって、語りかけるような気持ちで独り考えているときに、そのひとたちそれぞれとの語らいの途中で自分がなにを話しているのか突然に見失ってしまうことが頻繁に起こっていたことを思い出して、それってのはつまりそういうことだと気づいたのだ。


 ぼくは、正しく筋の通った言葉を話したいわけじゃない。


 だから散文の限界は自明のことだろう。そしてちょっと話は跳んで、やはり物語の形式に向かうことになる。ストーリーを書くのに必要なこと、それはストーリーを書き続けることだ。と踏んで、この日記とそっくりな別ブログで、毎日、小さなストーリーを書くことにしました。ちょっとしたスケッチ、エクササイズ、気分転換みたいなものとして、少なくともぼくが30代の間は毎日欠かさずに書くつもり。

 こちら→d:id:wwwmasatomocomshortshort

 見知らぬ白い毛の球のような生き物に連れられて梨の林に入っていき「奥の木まで一緒に行って」と言われる話なんて、fictionでしか書けないからね。もちろん、そんなに短くないものは別のところでこっそり書いていくわけです。


写真・masatomo写・下目黒小学校の木

2009-04-07 夏の日のキリギリス

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 女の子を使うとか雇うとかそんなの全然やる気は私はない。とアロマセラピーの個人サロンを開く云々の話をしているときに、T嬢は言った。T嬢の生きてきた時間にその発言をする背景の大舞台があったのだ、といったら大袈裟だけど、でもおよそそんなことをこのところちょっと実感している。そうか、こういうことなのかと。なにも、「女ってのは……」とまとめる気もないけれど、遠耳に聞き及んで来た、女が寄り集まったところのささやかな面倒はたしかにあって、それは比較的単純なシステムの複合の結果、そして複合するシステムの数は膨大で、生命の合理性に根ざしたひとつひとつのシステムが組み合わさってそこから黒い手が伸び、人の足をつかんで深い沼に引きずり込もうとする。気づいた時は既に遅し。ほんっとにコワイコワイ。

「事物からの距離をおいたところに、軸足を一本置くことだね」とぼくはちょっと息巻いて、仕事上のなんやかんやで気分が沈降して掛けてきたらしい、結構なハードワークで知られる設計組織に勤めるSからの電話に向かってそう言った。そして本を読んだらなにかを読む力がありそうなのにきっと本を読んでいないと思われる人間へ向けるお決まりの文句を続ける。「本でも読んだらどう?」

 まとめて読めなくたって2ページ読んだら2ページ読んだだけ何も読んでいないのとは違うし、それと、ぱらっと開いたところに自分がいま読むべき(と何の根拠もなく確信出来る)ことが書いてあるってことが起きるんだよ、と言った。たとえば、いまさっきぼくが風呂に持って入った黄色い表紙の短篇集の中の一編から引用してみようか。



「この人はたいていの有益で社会的なものごとはあまり好きじゃないのよ」と妹が言った。「だから仕事先なんてどこでもよかったの。たまたまそこにコネがあったんで入っただけ」

「そのとおり」と僕は力強く同意した。

「遊ぶことしか頭の中にはないのよ。何かを真面目につきつめるとか、向上するなんて考えはゼロなの」

「夏の日のキリギリス」と僕は言った。

「そして真面目に生きているひとをはすに見て楽しんでいるのよ」

「それは違うね」と僕は言った。「他人のことと僕のこととは関係ない。はすにも見ていない。たしかに僕は下らない人間かもしれないけれど、少くとも他人の邪魔をしたりしない」



 ほらね。だいたい、風呂に入る前にベッドで考えていたことや、昨日たかちゅ姉さんと電話で話した内容にも通じるようなことが書いてあった。図星が書いてあることに気づいたら、ちょっと風が吹くんじゃないかな。湯船のぼくにも、微風は吹いた。それでかつて何度か頭をよぎったかも知れないし、今日初めてそう考えたかも知れない、かすかなこの先の想像が浮かんだ。

 のぼせ気味になって風呂をあがって、この日記を書いてから一眠りして、夜から仕事だ。ものすごく満たされない気分なのは、さっき起き掛けに見た夢には、まだ過去になっていない女性が出てきたからだ。過去になったものと、過去になっていないもの、ということについても短篇を読みながら頭を駆けたそよ風のひとつ。ぼくは袋に一杯の食料を持って行ったけれど、玄関扉は開かなかった。扉の向こうにはシャワー上がりのそのひとがいて、「ねえ、今度飲みにいこう」と言って、10センチほど開けた扉の隙間から腕を伸ばして食料で一杯の袋をさっと受け取った。その扉をこじ開ける気などおきるはずもなく、分厚い感情の地層のようなものが地滑りするような感じでそのシーンは途切れて目が覚めた。


 結局のところ、事物に距離をおかねばならないのは、距離をおかねばならない事物が厳然とあるからなのだけど、いまの自分はだいぶんシンプルな立場にいる。ずっと自分をとらえていた「ぼくはどこにいて、どこに行こうとしているのか」という問いについてはだから、随分と見通しが良い気がする。少なくとも問題はほとんど自分のほうだ。

 みんなおおむね正当なことを言っている。また、みな誰かにあたっている。「もし君がぼくを選んであたっているのなら、それは間違っていない。だから何も気にすることはない」


 桜の季節はすこし浮き足立つ。そしてずっと前から、ぼくは早朝の湖のような静寂をさがしている。


引用・「ファミリー・アフェア」〜短篇集『象の消滅村上春樹 新潮社 より / 写真・masatomo写・中目黒あたりの目黒川@4/5早朝帰宅中