x-frontの日記

2010-09-20

客観的に書いてやろう

確かに日本の法ドグマーティクにおけるプログラム規定上は、これが成り立つと仮定すると(私は破綻していると思うが)、国民は平等で、官僚は公僕だよ。しかし、この法は雑なのだよね。まず、立法事実において、国民に対し政治に必要な事実や知識をまんべんなく流布する制度がない。現在の制度では、学校制度からして、一部の人に独占的知識が集中し、それ以外の人々は無知なままになるようになっている。具体的には、学力の公平な分配という政策の欠落で、東大京大といった大学に知識層が偏在するようになっているのである。次に、官僚の人事採用システムが、一部の知識層にしか解けない難解な試験と、恣意を介在させうる余地の大きい大雑把な採点基準による面接となっているため、右大学を出た一部の知識層だけが試験にクリアし、雑な面接により既存の官僚の好悪やコネによる採用が可能としてしまう。そして、その恐れている事態が実際に起きており、国1合格者はそのほとんどが東京大学(一部の知識層が偏在している大学名)出身者(特に法学部卒)で占められることになっている。その結果、官僚だけが知識を独占し、非官僚が無知なままにされているという現実が現出している。次に、立法事実において、きちんと官僚に抵抗できることが保証されている政治家を選び得て、かつ、法律制定過程に効果的にチェックをかける制度がぬけているため、知識を独占した官僚が好きなように法律を書き、国会で自動的に法案を成立させられるという仕組みを温存してしまっている。以上をまとめると、制度が雑なため、一部の知識独占特権官僚が社会のルールをほとんど決めることが可能となっているのである(これでは公僕ではなくて事実上支配者だ)。また、同じ理由で、最高裁人事が内閣総理大臣の広範な裁量による任命に任されており、それ以外に実効的なチェックシステムが無いため、官僚に都合のいい判決を書く判事を登用するという人事が可能となっており、実際にそれが起きているため、下級審でいかに法論理的にまっとうな判決が出ても、最高裁官僚的で玉虫色の判決により、それを覆すことが可能となっている(このことと、官僚の作成した法律があまりに雑であるため、そのような判決を通してしまうのも問題である。裸の利益考量だろうが間違った理論構成だろうが、最高裁が出したら確定なのである)。これにより具体的にいかなる事態が起きているかと言うと、たとえば、最高裁判決により大企業取締役善管注意義務は大幅に軽減され、社長はやりたい放題であり、新卒一括採用慣行などというものを労働法が認め、かつ、就職する者の思想良心の自由は考慮しなくてよいという判決により、企業は自らの都合のいい人材を得ることが可能であり、また、法人の目的の範囲が広く解せられることで、政党政治献金もできるのである(すなわち、都合のいい解釈で企業が手厚く保護されている)。結局、学力公平分配政策と立法チェックシステムの欠落と粗雑な人事システムで生じた知識独占層に優しい制度設計により、官僚国会裁判所大企業の天下となっており、また立法事実においてそのような仕組みが改まる気配も無いため、憲法上のプログラム規定では平等な民主社会と書いてあっても、実態はそれとは程遠く、むしろデッドロックで理想は実現不能状態に陥っており(そもそもこの国が理想を実現する気があるかさえ疑わしい、こうした理想憲法アメリカとの関係で置いているだけではないか)、誰もが東大を目指し、右の鉄のトライアングルに入ろうとするのである(そしてそれを成功と定義する)。最近官僚が落ち目になっているという現象は、国家の固定化と企業の興隆によって、相対的に官僚に魅力がなくなったためであり、国1受験から大企業採用試験受験に動向が変わっているだけだろう(いずれも採用基準は雑であり、好悪やコネで選ばれうる)。あくまで鉄のトライアングル内で血流に変化が生じたと言うレベルで、その全体が変化する兆しはまったくない。そしてそのように今後も保障されるであろう鉄の規制が、一種の階級を形成しているわけである。ただ、20世紀後半までは、官僚が山のようにそびえていたが、日本人特有の「時代に合わず実益が無くなった」との批判で、官僚がバッシングを受けるようになり、代わって大企業が興隆してきたが、実際は官が長年かけて構築してきたシステムが壊れるはずもなく、官民を足して2で割ったところに落ち着いている。これを「不可能性の時代」と呼んでいるのだろう(法的枠内での動向は変化があったが、法自体に何の変化もない)。それに伴い、今まで夢を持って生きてきた人たちが失望して自殺が増えることを見越し、その手の連中がネットでうれしがらせとごまかしを行いつつ、現実に気づかせないようにするため、リアル社会をゲーム化しようと必死である。ゲーム化というのは、社会は物理的にもう変化がありませんから、PRGのような世界でマネーゲームを楽しんでください、というものである。もっとも、日本人特有の経済至上主義嫌いにより、このPRG的マネーゲーム社会が発展するかと言うと、見通しはかなり暗い。一方で、昔の集団主義的ものつくり社会に戻ろうという人もいるのだから、何がなんだか理解できない。要するに、多頭の怪物が勢いを失い、我さえ富貴ならば国家滅びても可とばかりに、末期の軌道に乗ったのである。ちなみに、今は人間が黒くなっており、陰険な大人が嘘を多用して跋扈している。昔いたような篤実な学者などは自重を強いられて社会の表舞台には出てこない。代わりによくみるのが、嘘の仮面をかぶって演技している偏差値50くらいのカラ馬鹿と、全国画一化された女である。要するに、空っぽ馬鹿の時代である。精神がメルトダウンしたのだから、カラ馬鹿天国である。そして、カラ馬鹿と金というのがよく似合う。カラ馬鹿を金で操るのである。このような意味で、白から黒に変化しつつある。

私などは、こんな気色の悪いシステム(そもそもドグマーティクさえ破綻していると思うが)、確固とした理念も持たない日本で生きていて何が面白いのだろうと思うが、もうなんかどうしようもないという感じである。

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