自分の身体から出た自由な活動のみ幸福を与える

君たち中年が「この日本でいい」と思わせているものとはなんだろうか。それはほかならぬ君たちの保身意識なんですよ。別にこの日本でいいという客観的事実はない。事実は、最悪かもしれないですよ。なぜ君たちがこれでいいと思うかというと、これでないと自分の人生が灰色になるからです。いまさら否定されたら俺の今までやってきた社会活動はどうなるんだ、俺の人生はどうなるんだ、という気持ちが先にあります。それ以外の「あいつは子どもだから」「俺らは実態を知っていて適切に判断している」というのは、飾りです。なぜなら、君たちは子どもの頃に大人を批判したじゃないですか。なのになぜ大人になったら社会を肯定するんですか?正しいことを知ったんじゃないんですよ、大人の夢を見始めただけです。結局、君たちの核心にあるのは、大人中心主義と、自分の判断が正しいという何の根拠も合理性もない信仰であり、それが核心、法となっています。後はレトリックです。そもそも君らにかけているのは、正しい理論的な社会を追求するという理性的な知性であり、君らにあるのは、一番頭がよいことになっている人たちの場当たり的な政策に従っていればうまくいくという何の根拠もない信仰だけです。なぜなら今の日本は、そうはみえなくとも、東大官僚請負制であり、彼らが考えた政策には無批判無媒介に従うという超白痴社会だからです。今後もこの請負制によって場当たり的にやっていくのでしょうが、コロコロとシーンが変わるだけで、日本自体はどうにもならないと思いますよ。請負制というのは、結局、頭のいい人たちが作ったルールでその場その場問題を処理していくというだけのことで、身体性が改善していくことはないからです。飯は食えても精神性も向上しないし本物の文化も生まれない、すべては偽物、砂上の楼閣、幻です。


日本はこれで変わらない、どうしようもない、というのは、何も検証された事実ではなく、たんに君の保身意識という地に裏打ちされた図です。物事はやろうとすれば動くところ、地蛆のような中年が既得権益を保護しようとして固まっているので、日本は変わらないという図が強固になるのです。結局、変わらない、というのは、老人が今の社会の上で安穏としよう、ということの裏返しに過ぎません。また、ハリボテだけの文化にとどまって満足してしまい、本物の理論的な社会を作ろうとしないということは、根本的な知性を欠いている証拠です。

現在の日本が変わるということは、官僚、最高裁、政治家が変わることを意味しますが、こいつらは実はとてつもないアホが勢ぞろいしているというのが事実です。こいつらの特徴は頭がいいのではなくて野心家というだけで、要するにゴウツクバリです。高学歴という称号に反して地域のオバサンみたいな価値観を有しております。官僚はただの策謀家の基地外系悪人の集まりだし、最高裁はいい加減なおじさんおばさんの集まりです。事実、官僚の仕組むプログラムは背後に汚い政策を隠し、国民を欺いているし、最高裁判決も同様です。最高裁などと呼ばれていること自体がすでに誤謬なので、ここには最高裁判事などに値するような人間はいません。日本で知性があると思えるのはたいてい地方大学や地方官庁、下級裁判所などに散在しており、三権の長に近いほど基地外事務処理至上主義の馬鹿が集結しています。なぜこの国はまともな知性を持つ者による独裁ではなくて、常に知識ばかり多い強欲人間に支配されるのでしょうか。知識ばかり多いと自分で結論を出してそれを飾るだけの見解しか出さないから醜悪です。実は東大というのはそういう人間ばかり集めており、ここが最高学府というのは、名前の付け方を誤っています。いずれにしろ、官僚、最高裁、政治家というのは、明治時代から劣化の一途を辿っていることは大審院や最高裁判例の内容から明らかであり、最終的には言葉の魔術師で嘘が巧みな大道香具師という程度の国に終わってしまいました。
公共の福祉というものはないのですよ。人権がこれによって制限されるというのは、お上の采配で人間をまとめているという全体主義の修辞であって、概念としては矛盾しています。もともと全体主義と個人主義は二律背反であって、これを無理矢理合体させたのが日本です。