まあざっくばらんにいうと

世の中には東京の役所企業で活躍する等本物を目指さなくても地縁血縁友人縁にすがって幸福に生きていこうと模索する奴がうようよいたところ俺の事件でその目論見が破壊させられて憎いというのが真相。成績が悪かろうが成績が良い連中の世界には係わり合いにならないで劣等には劣等なりで都合がつくような世界がどこかにあるはずだと思ってる。んで一生優等生の世界を見ずにその世界に閉じこもってれば自分も幸せな人生が送れるくらいに思ってる。俺が子供の時代くらいまでは田舎は偽物しかなくて東京は本物が集まるところという観念があった。つまり東京の大学や組織なら欧米に比肩する本物のものだろうと思っていた。ところが実はそれは東京の情報が田舎に10年遅れて届いてたもので、東京では俺が生まれる10,20年前に既に本物はなくなっていて、段々全てが偽物に化していた。しかし田舎ではまだ東京=本物信仰が残っていた。21世紀にはいると東京はもう「本物の集結地」としては終わっていた。そして東京では政府が一番先に偽物のトップになっていた。なぜかというと政府こそが最も流行に敏感だから。今までのような本物は廃れた、これからはいかに騙すかだ、という風に乗って東大学生も速攻で嘘吐きに乗り換えた。東京は40年前くらいには本物の集結地として大学も役所企業も欧米に追いつけとばかりに本物の活動が目指され、国内でも本物が一番で模倣物は劣等という考えがあった。地方は所詮本物の模倣物でそれでもなるべく本物でなければ生き残れなかった。しかし本物志向が所詮成長の便法だったのか、平成になり社会が完成して低成長になると本物でなくてもいいという考えに支配されて、末期には偽物の方が偉いということになった。早い話高度成長時代には単なる生産性ということでなし欧米に追いつくレベルの重厚で遠大な構想があったので組織学歴が重視され学歴があるだけで欧米レベルに近いと認識され尊敬された。しかしその後欧米社会に追いつくのに失敗してから目先の生産性の高い事務処理人間が尊重されてきた。そして昔あれだけ本物に近いとして尊重された学歴も生産性に直結しなければ濫用だという暴論までまかり通る社会になり、昔風の東京の本物連中より嘘吐きの詐欺師や田舎のチンカス人間が嬉々として活躍するようになった。畢竟生産性で動く社会もそれを許した。企業も重厚遠大な構想によって人材を選抜するのを止め、場当たり的生産性の高い事務処理人間かどうかということを念頭に学歴を指標として選抜し、また実際主義的傾向の顕著化により短期労働や派遣や転職も容易になった。たんに大きな夢破れて江戸に戻ってるだけ。どのみち畢竟するところ生産性に基準があって、しかしながらしかしながらで結論が決まる日本自体が巨悪なのだが、昔はそれでも本物が選ばれただけ救いようがあった。今のように本物が形骸化してその中でその日暮をする社会になるともはや存在価値はない。東京はここ30年で低俗分が相当増えたし、女分も増えたが、それでも世界に冠たる一大都市という要素を維持しなければいけないので目立つようには劣化していないが、それでも内部には破綻と腐敗が蔓延してる。早い話、本物連中も刹那的に生きてるし、自殺も多いし、内実分は急速に劣化してる。それを都市デザインみたいなものやインターネットのジャンク情報で必死に誤魔化してるところがある。2000年からリーマンショックまではそれでなんとかなると思ってたんだろうが致命的な失敗でどうにもならなくなって敗戦宣言を出して今では残っている場当たり的事務処理能力の高い人間が実質的に社会を牽引して飯を確保してるだけ。

一見すると正義に見える根拠付けも実は国が都合のよい利益を優先しているわけで、弱者の利益よりも国の利益を増進しているのである。これはまた法が正義だと教えられている子供や学生に対する著しい背信行為に他ならない。思慮浅薄な子供や学生には嘘を教え、または恐怖や羞恥心で呪縛して政府は100%正義の味方だと信じ込ませて従わせ、農民などの弱者は法規で目くらましをして従わせ、暴力団など対立する組織は警察権力で暴力的に封じ込める。子供には真実も正しい知識も教えず、嘘まみれにしておいて人権を侵害し、高度に発達した嘘を張り巡らせ、嘘に嘘を重ねて自分の都合のいいように結論を調整する。しかも政府の価値観は邪悪かつ低劣でたいていの場合正義に合致しない。子供やおばさんは恐怖や羞恥心で呪縛してテレビや雑誌の嘘情報で誤解するように仕向け、生徒や学生は授業や試験や講義で騙す。子供やおばさんが理性でなく情感でものごとを認識しているのを利用し(ないしは情感を維持しないと人間関係も試験もうまく行かないよう呪縛し)ひたすら事実関係を誤解させ悪人を善人に善人を悪人にする。それに気づかない馬鹿な女子供。で茂木健一郎のような悪人が脳科学をしていると嘘をつきもっともらしい寓話を書き市民を騙す。東大の理学部と法学部を出て脳科学研究所で働いてるという権威や大学で仕入れた大量の知識を傘に最悪な現実をひたすら美化していく。で、大概の邪悪な大人は学生時代に名前しか勉強していない弱点を利用され、嘘をついて子どもや弱者を騙すのが快感になっていく。自分もいかに邪悪で、より邪悪な人間に利用されてるかわかっていない。少なくともこの国が何も知を確立する気がない奴隷社会で、学校で習ってることは全部嘘と喧伝することには意味がある。そしてこの国では邪悪になることが正義だということも。どうせ実社会が邪悪なのに学校で善良であれなどと言われる筋合いはない。政府の邪悪さは異常で、社会の正義分子が有効な意見をして一般邪悪社会の機能を阻害しないような工夫までしている。あいつらは赤黒いクズ。しかしながら、残念ながら、現実は、と前置きすれば自分の意見が悟道のこもった真理になると思っている。しかし日本においてそんなものはない。ただ強者の恣意があるだけ。学校教育ってのは子供の邪悪分を封印しつつ後の人生で使う嘘を正義の名で教え、実社会に出してから邪悪分を解放して生産性をあげ、邪悪分が尽きて枯葉になって死んだ頃に死に化粧をして日本人は最初から善良な民族だったという仮装をする。