感情移入と演技について

『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』
http://www.scoopsrpg.com/contents/baba/baba_19980907.html
の、主に文体や印象のほうの批判をしたので、きちんと内容に関して。

ロールプレイと感情移入

 だから、初期のRPGにおいて誰かが「戦士をロールプレイする」と言うのは、ウォーゲームで「ドイツ軍をプレイする」と言うのと同じことであり、それ以上の意味はなかったのだ。

 こういう、元々の意味におけるロールプレイを、ここでは「狭い意味のロールプレイ」と呼ぶことにしよう。

馬場氏のコラムの中でのロールプレイは、元々、ゲームにおける役割分担という話である。
演技や感情移入は、ボードゲームにおいてそうであるように、副次的な要素だ、というわけだ。


さて、逆に考えてみよう。
そもそもなぜ、TRPGは生まれたのか?
なぜ、それはウォーゲームではいけなかったのか。
あるいは、ミニチュアシミュレーションではいけなかったのか。
どうして、駒の一つを一個の人格として扱い、連続したシナリオに登場させるようになったのか?


答えは簡単で、より感情移入しやすいように、だ。
ミニチュアシミュレーションの駒の一個一個の心情を考えはじめた時に、TRPGは生まれた、とも言える。


ボードゲームにおいて、感情移入が副次的な要素である、というのは正しい。
そして、TRPGは、ボードゲームから分化する時に、その感情移入を、より深く行える方向に行ったわけだ。
RPGにおいて誰かが「戦士をロールプレイする」のは、ウォーゲームで「ドイツ軍をプレイする」というより感情移入しやすく*1、そして人は感情移入するのだ。


キャラクターへの感情移入、演技を廃した極北に、例えば、将棋があるとする。将棋の試合は棋譜で記述できる*2
一方で、これがTRPGになった場合、一個一個の駒に名前がつき、人格がつき、それぞれの歴史や夢や希望や絶望を交えた物語となる*3


故に、TRPGにおいて、感情移入や演技が重要な要素となったとして、それは別におかしいことでも批判されるべきことでもない。むしろ、TRPGは、ボードゲームやウォーシミュレーションよりも、それを得意とするジャンルであるといえよう。


TRPGで泣くほどの感動をする経験があったとして、私はそれはTRPGでしか味わえない素晴らしい体験だと思う*4

感情移入のゲーム化

さてTRPGは感情移入や演技を得意とするが、もちろん、得意だからといって、それを第一とする必要はない。また他のあらゆる快感要素と同じように、メリットデメリットは存在する。


全員で楽しく感情移入や演技を行うために、様々なシステムが構築可能であり、構築されている。


まず基本的に、ゲームの勝敗それ自体が存在する。ゲームにおける勝敗、というのは、強烈な感情移入を誘う要素であり、大半のTRPGは、それを軸にデザインされている。つまり、勝ち残るべく戦うことが求められ、そこに感情移入を見いだすわけだ。TRPGにおいて勝敗が全てではない、というのはよく言われているが、少なくとも重要ではある。
設定や世界観、そこから生まれる想像力は、さまざまなリソース管理の面白さを生むと同時に、自分がその世界へ生きている、という感覚を根付かせ、感情移入をうながす。


感情移入や演技のすりあわせを行うシステムの一例が、FEAR社の、PCナンバリングシステムである。
全員がファイターではゲームが成立しないように、全員が主人公を演技しようとしても、演技は破綻する。ナンバリングシステムのPC1〜PC5というのは、要するに演技、物語的立ち位置における役割分担である。この種のルールは他にも多数存在する。


感情移入、というのは、文字通り感情的なものであり、論理的なものではない。例えば、ゲームに勝つために適した行動、というのは論理的、数値的に共有できる*5が、演技のノリというのは、そういう風には共有しにくい。
これが、強い感情移入を行うプレイスタイルで、セッションが崩壊したり、プレイヤー同士が対立したりする原因の一つである。
共有しにくい感情的な価値観を共有するためのシステムの一例が、天羅系の気合いルールなどである。演技の方向性を、数値、視覚情報に変換することで、調整を計るというわけだ。

TRPGと快楽要素

TRPGを成立させる快楽の一つとして、演技、感情移入に軽く触れた。


さて、以下、かなりいいかげんな感想であるが、多くのTRPG論は、TRPGの各要素を、様々なリソースや構造として分析し、それらが合理性、一貫性を持っている、というのを説明する方向に行っていると思う。


一方で、TRPGというのは娯楽である。娯楽を成立させるのは快感である。TRPGも快感要素の集合として捉えることができる。で、この集合は、構造として美しくある必要も首尾一貫してる必要も実は、ない。娯楽は多ければ多いほどいいので、無理矢理くっつけまくってもいいのだ。
身も蓋もないことを言えば、例えば表紙絵の可愛い女の子は、TRPGのデザイン論では、あまり語られることはない。システムデザインと、表紙絵の女の子とは、単純には結びつかないからだ。だが「表紙絵の女の子」も娯楽として重要な要素であることは変わらない。前述の演技、感情移入要素が無視されがちなのは、演技、感情移入は、単体で面白く、それ自体はゲーム性がないので、ゲームと絡めて語るのが難しいからでもあると考えている。


TRPGを娯楽要素の集合として捉える見方は、首尾一貫した構造を見る立場から漏れた要素を、すくうことができるかもしれない。


最初に書いたが、筆者の読んでないTRPG論考は数多い以上、これはかなりいいかげんな感想であり、感情移入や、TRPGの娯楽要素に対して、面白い論考があれば、是非示唆を願いたい。

*1:感情移入しやすいボードゲーム、しにくいTRPG、また、プレイヤーの資質というのもあるので、一概にはいえないが、まぁおおざっぱな傾向として

*2:将棋にだって将棋なりの感情移入、物語はあるだろうから、まぁ物の例えと思ってほしい

*3:ここでいう演技、感情移入は、物語性と言い換えてもよい。そして、人間は物語に感情移入するものだ。

*4:もちろん泣くプレイが至上であるわけでもなく、毎回泣けばいいという話でもない

*5:例えば敵モンスターに大ダメージを与える連携が良い連携だ、という風に