シーン制の源流

手違いで、記事タイトルつけ忘れてました。ブクマ、トラバ、コメント等しにくくてすいませんでした。

それはさておき、基本的なシーン制の思想というのは極力アドリブしなくていいように、セッションの進行パターンを明記し、さらに実際にプレイする場面までも詳細にシナリオに記述する。アドリブ要素はシーンの中身のみになるべく局所化する、というものかと。


これによって、アドリブの苦手な人でも物語性の強いセッションができるようになりましたが、その分GMのシナリオ作成負荷が増え、セッション中のGMの進行提示局面が増え、受身なPLを大量排出したという実情があると思います。

http://simizuna.exblog.jp/11247628/
全く違います。


そもそもシーン制は、『トーキョーN◎VA The Revolution』で実装されたものであり、トーキョーN◎VA的なプレイスタイルをルール化するために生み出されたものです*1


トーキョーN◎VA的なプレイスタイルとは何か?
トーキョーN◎VAの有名NPCが、デザイナー達のサイバーパンク2020のPCであったというのは有名な話で、サイバーパンク2020的なプレイスタイルと言い替えてもいいでしょう。


それは、統一された意志によるパーティ行動などをもたず、ダンジョンなどの限定環境をもたず、各人がそれぞれの意志、目的で動きながら、都市という様々なものがある空間を自由に動き回るセッションです。
要するに、シナリオレス+マップレス+単独行動+パーティ対立アリアリです。


シーン制は、元々、プレイヤーのアドリブを最大限に吸収して、かつ、セッションをまとめる目的で作られたわけです。


これらを反映して、シーン制は、パーティの分割・集合・単独行動などが大変にやりやすくなっています。これにより、プレイヤーは自分の意志での行動が容易になっています。
ストーリーの進行に細かい矛盾や不明点があっても、無視して進められる作りになっています。これによりアドリブが容易になっています。
シーンプレイヤーを設定し、シーンの目的を提示することで、シーンプレイヤーに自己演出権をもたせています。


以上が、シーン制の基本思想です。

シナリオクラフトとシーン制

個人的にはシーン制とシナリオクラフトは、本来、正反対と言ってもいいくらいのまったく違う思想のシステムと思います。WFSの前書きの辺を読むと面白いのですが、

上記を読んでいただければわかりますが、シーン制とシナリオクラフトは、同じ思想を土壌とするシステムです。
シーン制が、アドリブや唐突なシナリオ変化、PLごとの単独行動を許容するからこそ、シナリオクラフトのダイスで決まる矛盾だらけの超展開をフォローできるわけです。


これを確かめる簡単な方法があります。


シナリオクラフトとシーン制の思想が反対であれば、シーン制でシナリオクラフトをやるより、シーン制抜きでシナリオクラフトをやったほうがスムーズなはずです。
誰か試しに、シーン制なしでシナリオクラフトをやってみてください。
断言しますが、かなり悲惨なことになるでしょう。

シーン制シナリオとシーン制

さてストーリー性の高いシナリオを記述する場合、物語の筋を折った追った書き方になる結果、シナリオを書いてあるとおりに、そのままやろうとするとアドリブが許されない、というのは、実は昔からある問題であり、未だ解決されていない問題です。


FEAR型のシーン制ハンドアウトシナリオにおいても、その問題が全部解決された、とは言えません。


一方で、FEAR型、シーン制ハンドアウトシナリオによる改善点も存在します。
それは、GMの領域とPLの領域の切り分けです。


物語性の高いシナリオをやる場合、「ここは外されると困る」というポイントが、どうしても存在します。
従来のTRPGだと、プレイヤー的に、それがどこからどこまでかよくわからず、どこではっちゃけていいか、どこでGMをフォローすべきかわからない、ということがよくありました。


それについて、ハンドアウトや、シーンの目的で、それをきっちりと明示することで、シーン制シナリオはうまく回るわけです。
よく誤解している人がいますが、ハンドアウトは、特定の条件だけを守れば、あとはPLが創造力を発揮して好きにして良い」というルールでもあるのです。シーンの目的も同じ。

 実際問題として、1シナリオで10個も20個も膨大な量のシーンのあるシナリオを提示しているという時点でそれをこなそうとするとGMのセッション上の発言範囲が拡大せざるを得ない状況になっていると思います。PLはシーンを提示できると言っても、それだけ大量なシーンがあってこなさなければならないとするならPLの提示するシーンは皆無か、あっても1個か2個くらいに大幅に削られてしまう。


 PLはシーンを提示できると言っても実情として機能していないわけで、そういうバランスのシナリオを標準的に提示してる時点で物量的に圧迫されてるわけです。

まず10個も20個もといいますが、そのうち8個は、オープニングフェイズ、エンディングフェイズのプレイヤー別フェイズです。
これらは、PLが最大限に自己演出をするポイントです。
次に、ミドルフェイズにおけるシーン記述は、シナリオにもよりますが、シーン目的がありつつ処理はルーズというものが多いです。
PLが普通行うであろう「○○について調べる」についての記述があり、具体的にどう調べるかは、PLに任される。内容が決まっている場合は、NPCからPCへのアプローチがほとんどです。これらはNPCの行動をシーンとして切っているわけで、PL側にはリアクションの自由があります。


結局、シーン数が10〜20が多いといいますが、オープニング・エンディングで8つ、NPCからのアプローチが4〜5、調査による情報提供が3〜4、クライマックスの戦闘で戦闘中、戦闘終了で2、とすると、だいたい20弱ですね。逆に言うと、20の中に、シナリオを硬直させるようなシーンは、さほど含まれていません。PLが自分のシーンを演出する余裕は、普通にあります。GMの運用レベルで、もっとルーズにプレイされる場合は、さらに多いでしょう。


結局、紙魚砂さんは、シーン制のゲームを、きちんと遊ばれていないように思われます。

*1:より正確に言うと、シーン制自体は、N◎VA1stからあり、舞台裏の概念、登場判定等が出そろい、今のシーン制の基本となったのが、レヴォです。さらに余談になりますが、シナリオを記述する時にシーン単位になるのは、多くのTRPGで見られたわけですが、単なる時間分割ではなく、ストーリーの単位としてのシーンを、ルール的にはっきり位置づけた作品であれば、TORGがあるでしょう。TORGの場合、各シーンを、通常の「スタンダードシーン」ヒーローを危機が襲う「ドラマチックシーン」と分け、違うルールが適用されることを明示しました。映画的なノリ、ギミックを、直接システムに組み込む、この視点は、日本の多くのTRPGに影響を与えたことでしょう。