伊勢商人・角屋七郎次郎と伊勢・角屋の二軒茶屋餅は関係あるのかどうか気になる男



最近、江戸時代の伊勢商人、歴代「角屋七郎次郎」のウィキペディア項目を書きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B1%8B%E4%B8%83%E9%83%8E%E6%AC%A1%E9%83%8E


初代角屋七郎次郎は、「本能寺の変」で徳川家康の「神君伊賀越え」を手助けして以来、子々孫々まで大変な特権を与えられて朱印やら朱印船やらもらってた御用商人。
で、蒲生氏郷が松阪城で楽市楽座をはじめたので、伊勢の大湊から松阪の湊町に移って長く松阪に住んだわけです。


それでこの角屋家のことを調べたくて古い文献を見ていましたら、江戸時代の1833年(天保4年)に書かれた『勢陽五鈴遺響』の「湊町」の欄に、
「天正16年(1588年)、度会郡大湊より角屋七郎次郎茶屋市兵衛者来住せり」
という記載があるのを発見しました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991424/113
(URLは明治36年の再販)


それでいろいろ気になったのは気になったのが伊勢の「角屋」という和菓子屋さんとの関係。ここは1575年(天正3年)に大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業したそうです。角屋と湊屋の2軒があったことから、「二軒茶屋餅」と呼ばれるようになったそうです。


で、思ったのが大湊から出てきた徳川御用商人の「角屋」さんは、大湊ルーツの和菓子屋「角屋」さんと関係があるのだろうか、ということ。


それが気になっていろいろ調べていたんですが、『勢陽五鈴遺響』の「角屋七郎次郎茶屋市兵衛者来住せり」の記述の発見はそのマスターピースを埋める発見なのかもしれないとちょっと思ったんです。
この記述なら、昔はここに書かれてたような「角屋七郎次郎茶屋」という茶屋が大湊にあった、ということが考えられますよね。なら、わりと納得が行くんですよね。ちがうかなあ。
家康を救った角屋七郎次郎という名前は当時名が知られていたはずですし。大湊のおうちで茶屋を開いていたなら「角屋七郎次郎茶屋」ってありえるんじゃないかとか(考えすぎ)。市兵衛って誰なのかいまのところはっきりしてないんですけど屋号かな。
実際のところはわからないんですけど、気になったのでブログに書いてみましたとさ。はっきりしないことはウィキペディアには書けないからブログで書いとくw
歴史妄想。




【ほかに気になっていること】
11代目角屋七郎次郎さんは松阪から伊勢に転居している。その後、伊勢から角屋堅次郎さんという国会議員が出たんですけどこのひとは角屋七郎次郎家と関係あるのかなあ。ないかな。「次郎」っていうワードが入ってるし気になる。