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14-10-2006 (Sat) 鍾浩東が殺された日に憂鬱な梁朝偉を見る

[]『好男好女』(侯孝賢)[C1995-11] 『好男好女』(侯孝賢)[C1995-11]を含むブックマーク 『好男好女』(侯孝賢)[C1995-11]のブックマークコメント

2週間前から始まっているシネマヴェーラ渋谷のホウ・シャオシエン映画祭に、今日初めて行く。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は私の最も好きな映画作家のひとり。もちろん全作品スクリーンで観ているし、なんらかのメディアで所有もしている。この機会にスクリーンで観直したいという気持ちが半分、家でいつでも観られるからいいやという気持ちが半分。結局、今週末のみで4作品を観ることにした。

一本目は『好男好女』(映画生活)。映画映画部分の原作である『幌馬車の歌』(ISBN:4883231658)をちょっと前に読み、観直したいと思っていたところなので、ちょうどいい機会である。スクリーンで観るのはこれが三回目。残念ながらデジタルでの上映で、客席はガラガラ。奇しくも今日は鍾浩東の命日である。

『好男好女』は、侯孝賢フィルモグラフィーの中では比較的評判が悪く、語られることも少ない作品である。その理由のひとつは、撮る前に侯孝賢が、白色テロを描くとか、蔣碧玉が主人公だとか言いふらしていたせいだ。だからできあがった映画を観てみんなとまどったし、白色テロや蔣碧玉という視点にとらわれずに、実際に撮られた映画を素直に観ることが難しくなってしまった。そういう意味で不幸な映画である。

主人公は、梁靜(伊能靜)という女優である。この映画は、梁靜が阿威(高捷)という男と付き合っていた過去と、現在の梁靜の生活と、梁靜が蔣碧玉を演じる映画“好男好女”のリハーサル・シーンと、おそらくは梁靜の想像のなかの、これから撮られる映画“好男好女”のシーンとによって構成されている。要するに『好男好女』は、梁靜が、恋人を亡くした自分の体験を重ね合わせることによって白色テロで夫を亡くした蔣碧玉を理解し、同時に蔣碧玉という役柄に入り込むことによって阿威を忘れられない自分を確認するという話である。

このような複雑な構成で、侯孝賢はいったい何を描きたかったのか。それは伊能靜である。『好男好女』は、伊能靜という女優に魅入られた侯孝賢が、彼女にいろんなことをやらせていろんな彼女を撮りたいという映画だ。そのことを表しているのは、冒頭、梁靜の部屋のテレヴィから流れている『晩春』(asin:B0009RQXJQ)である。この『晩春』の使用は、「侯孝賢にとっての『好男好女』は、小津安二郎にとっての『晩春』である」という宣言なのだと思う。『晩春』といえば、小津安二郎が初めて原節子を使った映画であり、原節子という女優を「発見」して嬉しくてたまらず、とにかく彼女を撮りたいという気持ちがあふれている映画である。『好男好女』で使われているサイクリング・シーンはその代表的なものだ。侯孝賢はそれと同様に、伊能靜を発見して、とにかく彼女を撮りますよ、ということを宣言しているのだ。そこで蔣碧玉を描くという当初の予定を変更して梁靜という役柄を導入し、彼女に歌わせたり踊らせたりして、コケティッシュ彼女やらセクシー彼女やらを撮っているのだ。このあとの伊能靜の起用も基本的に梁靜の路線だが、私は映画映画で蔣碧玉を演じている、ストイックな感じの彼女のほうが魅力的だと思った。結局、伊能靜は原節子にはなれず、周渝民(ヴィック・チョウ)のママになってしまったが(@“貧窮貴公子”)。(『晩春』については、テレヴィが映る前、梁靜と彼女の部屋を写しているときに笠智衆三島雅夫の声が聞こえているが(「ここ、海近いのかい?」で始まる『晩春』の名シーン)、単にあれを聞かせたかっただけという解釈も成り立つ。)

恋人/夫が(同じ日に)殺されたというところから、梁靜と蔣碧玉を重ね合わせていくというアイデア自体はおもしろいと思う。でも一番気になるのは、恋愛子供といった視点からのみ理解されることで、鍾浩東と蔣碧玉の間にある同志的なつながりの部分が無視されてしまうこと。そしてそれと共に、政治的なコンテクストも表面に出てこなくなってしまうこと。梁靜と阿威の設定を、もっと同志的なつながりをもつようなものにすればいいじゃないかと思うが、そう考え始めると、そもそも「なぜヤクザの男と水商売の女ばかり描くのか」といった侯孝賢の不可解な部分につながっていく。『珈琲時光』ではちゃんとふつうの女性というか、自立したインテリ女性を描いていたので、やればできると思うのだが。

政治的なコンテクストが抜け落ちてしまうことで、蔣碧玉の物語はかなりわかりにくいものになっている。ほとんど予備知識のない観客は、彼らの抗日戦争への参加についても白色テロについても、よくわからないまま終わってしまうのではないか。単なる無名の白色テロ犠牲者夫婦だったとしたら、これはこれでよかったかもしれない。しかし、原作として『幌馬車の歌』の作者、藍博洲と蔣碧玉がクレジットされており、映画50年代の白色テロ犠牲者に捧げられていることを考えると、やはりまずいのではないだろうか。彼らが抗日戦争に参加する中で左傾化していくようなところも全然描かれていない。細かいところで気になったのは、大陸に渡った蔣碧玉たちが尋問を受けるところ。原作では蔣碧玉たちが北京語で軍官が広東語なのだが、映画では蔣碧玉たちは台湾語だった。この変更にはどういう意味があるのだろう。また、当時はすでに国共合作事実上破綻しており、彼らの拘留は表向きは日本スパイ容疑だったが、実際は共産党との関係を疑われたためらしい。原作ではこのあたりがすごく興味深かったが、映画では単に日本スパイ容疑となっていた。

いろいろと文句ばかり書いているようだが、私はこの映画がかなり好きである。『幌馬車の歌』を読んだことで、映画映画の部分が非常によく理解できたこともあるし、現代の部分のちょっと重苦しい空気も忘れがたく、今回観て評価はさらに上がった。鍾浩東の遺書は、映画で観ても本で読んでも泣きそうになるが、これを最後にもってきたのは本当にずるい。そのあとのラストシーンは、冒頭と同じ映画映画のワンシーン、大陸に渡った5人が田野を歩いているところで、これがまたすばらしすぎるロングショット。ここまで「なんだかよくわからない映画だ」と思って観ていた観客も、この遺書とロングショットダブルパンチで、「あぁ、いい映画だった」と思って帰っていくに違いないと思うのだが、実際はそうなっていないらしいのが不思議である。

『好男好女』は、完成度の高い傑作ではないかもしれないが、侯孝賢がその後につながるような様々な試みをしている映画である。特に、それぞれの時代に翻弄される異なる時代のカップルという“最好的時光”(『百年恋歌』←この邦題やめて、頼むから)のアイデアは、この『好男好女』に端を発しているとみるべきだろう。そういう意味でも興味の尽きない映画なので、もっとみんなに観てほしい。だけどどうして松竹が製作に関わっているのに、フィルムで上映できないの?

[]『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』(侯孝賢)[C1998-06] 『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』(侯孝賢)[C1998-06]を含むブックマーク 『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』(侯孝賢)[C1998-06]のブックマークコメント

昼食後の二本目は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(映画生活)。“最好的時光”(『百年恋歌』)の“自由夢”(第二話)があまりにもすばらしかったため、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を観直さなければと思っていたところ。スクリーンで観るのは二回目。スクリーン以外では全く観ておらず、私が最も少なく観た侯孝賢(ホウ・シャオシェン)映画ということになる。今回は少しだけ長いカンヌ上映ヴァージョン。そのためなのか上映後のトークショーのためなのか、立ち見も出るほどの大盛況。暑くて死にそう。

この映画は、清朝末期の上海遊郭舞台に、大金を使っても女性の心を得ることのできない憂鬱梁朝偉(トニー・レオン)を中心に据えつつ、遊郭の雰囲気とそこでの高級娼婦たち人間模様を描いたものである。いつも鬱々として楽しまずという感じの梁朝偉がよい。彼は、本来のイメージとは異なる役を演じるときのほうが魅力的で、そういう意味で『ブエノスアイレス』『ロンゲストナイト』と並んでベスト3に入ると思う。女優陣では、李嘉欣(ミッシェル・リー)と劉嘉玲(カリーナ・ラウ)の貫禄に圧倒された。特に李嘉欣はこれがベストではないだろうか。前回は「奥山が羽田美智子なんか押しつけやがって」と思っていたので、はじめから「羽田美智子=悪」という先入観で観たが、今回は何も考えずに観たら、羽田美智子も悪くなかった。もちろん吹き替えはすごく気になったが、実物よりきれいで艶やかだった。画面では確認できていないが、クレジットによると『狂放』の許安安(シュー・アンアン)も出ている(最近は、ドラマ“白色巨塔”の、と言ったほうがいいか)。同姓同名かと思ったが、どうやら本物らしい。

遊廓の女性の生活を、日常の断片の積み重ねで描いているのがおもしろい。室内のみ、しかもほとんどが夜というチャレンジングな映画で、李屏賓(リー・ピンビン)のキャメラのゆったりした動きや、ランプや火に魅了される(でもやっぱり昼のシーンのほうがいいんだよね)。ただこの雰囲気のなかに、身を浸していればいいのかもしれない。だけどどこか物足りない。観る側の知識の問題もあるだろうが、時代の空気のようなものが描けていないといえばいいだろうか。“最好的時光”の“自由夢”とは、舞台設定は似ているがいろいろな点で異なる。一番異なるのは、“自由夢”では、身づくろいをしたりお茶を飲んだりといった舒淇(スー・チー)や張震(チャン・チェン)の日常的な動作に魅了されたという点だ。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』で試みたものが侯孝賢の世界で実を結んだのが“最好的時光”の“自由夢”だといえるのではないか。

最後にひとこと文句を言いたいのは、日本語字幕人名がカタカナであることだ。中国人人名は、すべて漢字あるいは漢字とカタカナ(または拼音)併記にすべきというのが私の基本的な主張だが、それはとりあえず措いて、ここでは映画字幕についてのみ言わせてもらう。漢字は、イメージのように記憶できるので、ぱっと見て頭に入れなければならない字幕には向いている。これに関しては、きっと調べれば認知科学的な研究があるはずだ。やはり漢字の使用を訴えているマダム・チャンさんの[マダム・チャンの日記]「 もっと漢字を!」(思わずブックマークしちゃいました)によれば、配給会社がカタカナを望むらしいのだが、配給会社は思い込みではなく実証実験でもしてから言ってもらいたい。ついでにいえば、カタカナ表記より短くなる点も字幕向きだ。遊女の名前というのはその人のイメージを表すうえで重要だと思うし、そのイメージの大半は漢字によって決まる。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の主な登場人物の場合、小紅、翆鳳、雙珠といった具合だ。だいたい台詞は上海語なのに、北京語読みの字幕をつけても意味がない。そのうえ、彼女たちの名前は最初に漢字タイトルが出るので、カタカナが出てくるたびに頭の中で漢字に変換していたら字幕が読めなくて不便なことこのうえなかった。

上映後、出演者の羽田美智子氏、プロデューサーの市山尚三氏、映画評論家の宇田川幸洋氏によるトークショーがあった。適当にしゃべっている感じのかなりゆるいトークだったが、けっこうおもしろかった。詳細はのちほど。

(『好男好女』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』はこれ↓に入っています。)

侯孝賢 傑作選 DVD-BOX 90年代+「珈琲時光」篇

侯孝賢 傑作選 DVD-BOX 90年代+「珈琲時光」篇

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