バンガロールに来ちゃったの(実録亞細亞とキネマと旅鴉) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

26-10-2006 (Thu) 東京国際映画祭第六日

[]『八月的故事』(麥婉欣)[C2006-13] 『八月的故事』(麥婉欣)[C2006-13]を含むブックマーク 『八月的故事』(麥婉欣)[C2006-13]のブックマークコメント

東京国際映画祭第六日も朝から六本木へ。今日と明日は、六本木→渋谷→六本木の移動をしなければならないのでたいへんだ。セガフレードで昼ごはんにパニーニなどを食べたあと、今日の一本目、映画祭十三本目は、アジアの風の『八月的故事』。『胡蝶』[C2004-11]の麥婉欣(ヤンヤン・マク)監督の新作である。

TV用の短篇を編集し直したものだという62分の中篇で、大学予科への進級を控えた少女・玉意(田原)が、夏休みに伯父の仕立屋でアルバイトをするという話。仕立屋で働く平安(藤岡竜雄)への淡い恋、玉意、平安、玉意の同級生・惠芳(張詠恩)の三角関係もどきが描かれている。平安の気持ちがわかりにくいのだが、心の中で誰を好きであるにせよ、やがて大学へ進学するであろう少女たちと、大陸から働きに来ている学歴のない自分との間の壁を意識し、越えてはならないと自分を律しているようなところがあって興味深い。

まず、田原(ティエン・ユアン)がラジオに合わせて王菲(フェイ・ウォン)の“紅豆”を口ずさみながらアイロンかけをしている、長回しのオープニングに魅せられる。古い仕立屋の店内のたたずまいや、香港の古いアパートの、独特のタイルの床や波形の格子などが、いい感じに撮られているのも印象に残る。ヴィデオのせいか、蒸し暑さがあまり感じられないのは残念だが、真夏の気配も出ていたと思う。香港らしい屋内のディテイルを、真夏の空気とともにフィルム(ヴィデオだが)に定着させた愛すべき小品という感じである。

ただし、台詞のない短いショットを、時間順序を逆転させたり、過去のショットを挿入したりしてつなぎ合わせた編集には必然性が感じられず、音楽は明らかに入れすぎで、MVのような印象を抱かせる点はマイナスである。また、制服が中心の話というわけではなかったはずが、終盤に突然、制服という視点での玉意の長いまとめモノローグが入ったり、最後に後日談のシーンがあったりする点も違和感がある。

主演の田原は、『青春期』(id:xiaogang:20061022#p2)やナマで見るのに比べて、顔つきもスタイルも、ちょっとごつごつした感じがした。『胡蝶』でもそうだったが、監督の好みでそういうふうに見せているのだろうか。若い役だし、三人の関係も特別進展しないせいか、官能的なくちびるも強調されていなかった。

上映後、麥婉欣監督、主演の田原、藤岡竜雄などをゲストにティーチインが行われた。田原はパンダのぬいぐるみをもって登場。英語を介しての通訳だったので疲れた。残念ながら、渋谷へ移動するため、あともうちょっとというところまでしかいられなかった(結果的には余裕があったので、最後までいても大丈夫だったようだが)。

“紅豆”が入っている王菲の“唱遊”は、処分してしまったみたいで残念ながら手元にはないようだ(EMI移籍後の王菲には興味をなくしたので)。代わりに蔡健雅(ターニャ・チュア)が歌っているのがあるので、それを聴いてよしとしよう。

[]『父子』(譚家明)[C2006-14] 『父子』(譚家明)[C2006-14]を含むブックマーク 『父子』(譚家明)[C2006-14]のブックマークコメント

電車で渋谷へ移動。今日の二本目、映画祭十四本目は、やはりアジアの風で、譚家明(パトリック・タム)監督の『父子』(公式)。17年ぶりの新作ということでとても楽しみにしていた一本だが、実は譚家明の映画は『レスリー・チャン 嵐の青春(烈火青春)』(asin:B0008JH664)[C1982-37]しか観ていない。『最後勝利』(asin:B000069L1U)は以前LDを持っていたし、今もDVDを持っているのだが、実は最後まで観ていなかったりする。

『父子』は、マレーシアの華人社会を舞台に、まっとうに生きられないダメ親父・郭富城(アーロン・クォック)と、父を愛するよい子であるがゆえに堕落の道を歩んでしまう息子を描いた150分の力作。最後に暴力的に親子の絆を断ち切ることによって、初めてそれぞれが立ち直ることができる。

この映画の一番の魅力は、なんといってもマレーシア・ロケである。李屏賓(リー・ピンビン)のキャメラで切り取られるマレーシアの街並み、自然、屋内のたたずまい。すべてがすばらしく、美しすぎる。舞台がマレーシアであることを全然知らずに観はじめて、最初に気づいたのは、冒頭すぐに出てくる‘BAS SEKOLAH’と書かれた黄色いスクールバス。統一規格らしく、マレーシアのどこでも見かけるスクールバスだが、私はこのキュートなバスのファンなのですごく嬉しく、この時点ですでにハイ・テンションになった。これ以降、マレーシア印なものを見つけてはひとり興奮する150分間だった。郭富城が住んでいるのは、繁華街をはずれた郊外にある一軒家の庶民的な華人住宅で、バトパハなどで見かけたほとんどそのままの雰囲気。ショップハウスの並ぶ街並みや、その中の旅社やコーヒーショップも登場する。外から買ってきたものが食卓に並ぶと、その中にはサテなどが混じっており、まさしくマレーシアの食べ物である。オリジナル音楽はちょっと盛り上げすぎな感じだったが、そのほかにシティ・ヌルハリザなどのマレー歌謡がところどころ流れて、これも嬉しかった。

残念ながら、出てくる街はどこなのかわからない。クレジットにはイポーの文字がたくさんあったようだが、イポー近辺で撮っているのだろうか。ジョホール・バルに日帰りしているようだったところからみると、想定はもっと南のほうではないかと思われるのだが。借金取りから逃れるために移った街(もといたところとあまり離れていないようだ)は、息子は鴻樂(ホンロッ)と言っていた。ただしこれは旅社の名前だったので、街の名前ではないのかもしれない。

マレーシア華人のほとんどは、広東語を話したり理解したりできるのだと思うが、母語は福建語だったり客家語だったり様々である。この映画では、出てくる華人がみな、広東語が母語のようだった点はちょっとリアルではないと思った。

郭富城が演じる父親は、博奕の借金を博奕で取り返そうとしたり、真面目に働くと言ったそばから息子に盗みをさせたりするどうしようもない男である。だけどそれは、今日は早く寝て明日から勉強しようとか、今日は早く帰って明日から真面目に働こうとか、そういう誰もがやっていることの延長線上にあるものであり、あまりのダメさにイライラする一方で、親しみを感じてしまうところもある。郭富城は、そのアイドル的な魅力を生かしてそういった憎めなさも匂わせ、なかなか好演していたと思う。ただちょいと熱演しすぎなので、もう少し抑え気味にしてほしかった。夫に愛想を尽かして家を出てしまう母親を演じているのは楊采妮(チャーリー・ヤン)。一度引退する前は幼さの残る顔立ちだったのに、カムバック後は妙に老けてしまったのが気になってしかたがない。

[]『Rain Dogs(太陽雨)』(何宇恆)[C2006-15] 『Rain Dogs(太陽雨)』(何宇恆)[C2006-15]を含むブックマーク 『Rain Dogs(太陽雨)』(何宇恆)[C2006-15]のブックマークコメント

時間がないので『父子』のティーチインはパスし、再び電車で六本木へ。六本木ヒルズの地下で焼きそばを買ってかきこむ。今日の三本目、映画祭十五本目は、やはりアジアの風で、何宇恆(ホー・ユーハン)監督の『Rain Dogs』(公式)。「マレーシア映画新潮」の一本で、今回期待していたもののひとつ。

映画は、大学の合格発表を待つ少年(關進偉)のふたつの場所への旅を通して、彼の成長を描いたもの。ひとつめの場所は兄の住む大都市で、おそらくKL(クアラルンプール)だと思われる。彼はまず、兄を訪ねて行って数日滞在するが、その兄が殺されたため、母親と共に再び訪れることになる。ふたつめの場所は伯父の住む港町で、母親と揉めたために家出同然で伯父を訪ね、休暇中滞在することになる。少年の家はマレーシアの片田舎にあり、『父子』と同様、ふつうの一軒家(ショップハウスではないという意味)であり、彼はそこに母親と二人で住んでいる。彼の一家をはじめ、登場人物の主な言語は、これも『父子』と同じく広東語である。

この映画にはまっとうな、立派な人は出てこない。少年の兄はヤクザだし(関係ないが、「たましひ」と書いたTシャツを着ていた)、伯父は密輸かなにかをやっているし、母親は金をせびるロクでもなさそうな男と付き合っている。だけど心底悪い人も出てこない。少年は、兄の死をはじめとして、美人局に遭ったり、お金をなくしたり、リンチを見せられたり、バイクを盗まれたり、様々な嫌なことを体験する。一方で新たな出会いもある。そういった様々な体験を通して、少年は自分の足で歩くことを学び、タフさを身につけていく。

キャメラは、様々な彼の体験を、少し離れてただ淡々と写し取っていく。夜や室内のシーンが多く、少年の不安を表すかのように全体的に暗めのトーンで、緊張感のある闇の映像が印象的。マレーシアの空気感もよく出ていて、木漏れ日のシーンやラストの風景も美しい。

この映画は、FOCUS FILMSの‘FIRST CUTS 亞洲新星導’の一本で、たしか一般公開が決まっているはずだ。地味ではあるがとてもいい映画なので、ぜひとも多くの人に観てほしい。

上映後、何宇恆監督と、ヤクザを演じていた張子夫(ピート・テオ)氏をゲストに、ティーチインが行われた。監督は、失礼ながらちょいとチンピラっぽい雰囲気。観客の質問の中に、「東南アジアの映画を観るのは初めてで、行ったこともないので、馴染みのない習慣などが出てきて理解できないところが多々あった」といったコメントがあった。私はマレーシアに行ったことがあるし、多少の知識もあるので見落としているかもしれないが、何か馴染みのないようなものが出てきたのか考えてみても全然思い浮かばない。質問者はどういうところが理解できなかったのか、具体的に聞かないと本当は何も言えないのだけれど、知らないから、行ったことがないから、馴染みのない、未知のものに違いないという先入観を持って見てしまうことは、異文化理解を妨げることになるのではないかという危惧を感じた。自分が知らないからといって、必ずしも国や民族の違いによるものとは限らない。実は隣の家でもやっていることかもしれないのだから。それ以前に、マレーシアの華人社会というかなり個別的な状況を「東南アジア」と括ってしまうことに大きな違和感を感じたが、それについてはとりあえず措いておく。この観客の質問は、「日本をどう思うか」というちょっと困ったものだったが、その回答で、何宇恆は成瀬巳喜男好きということがわかったので、この質問にもけっこう意義があった。