バンガロールに来ちゃったの(実録亞細亞とキネマと旅鴉) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

19-11-2006 (Sun) 第7回東京フィルメックス第三日(参加2日目)

[]『エレクション(郤厥)』(杜峰)[C2005-43] 『エレクション(郤厥)』(杜峰)[C2005-43]を含むブックマーク 『エレクション(郤厥)』(杜峰)[C2005-43]のブックマークコメント

新橋でいったん降りて夢民でカレーを食べてから、有楽町へ移動してマリオンへ。東京フィルメックス二本目は、特別招待作品で杜峰(ジョニー・トー)監督の『エレクション』(公式)。公開が決まっているので行かなきゃいけないわけではなかったが、月曜日の『エレクション2』を観るために観る。

上映の前に監督のメッセージが読み上げられる。「これまで描かれなかった黒社会をありのままに描いた」というのを聞いたあと、映画が始まると‘出品人:向華強’の文字。複雑な気分だ。だから描けないという面も、だから描けるという面もあるのだとすれば、結局同じことなのだけれど。

映画は、黒社会の会長選挙を描いたもの。タイトルから、私はてっきり自民党(たとえばね)が黒社会にお金を渡して候補者を当選させるというような生々しい話を想像していたのに、黒社会の会長選挙の話だったとは。会長候補は二人。礼儀をわきまえ、一見紳士的だが、すべては組織と自分の権力のため、硬軟使い分けるといった感じの阿樂(任達華(サイモン・ヤム))。戦闘的で忍耐力がなく、会長の器ではないが、金儲けはうまい大D(梁家輝(レオン・カーファイ))。まず阿樂が会長に選ばれるまでが描かれ、次に会長の印である龍頭棍をめぐる争奪戦が描かれ、そして龍頭棍を手にした阿樂が、いったんは抗争を回避したあと、名実ともに会長として組織を固めるまでが描かれる。

阿樂と大Dが、片方が善玉でもう片方が悪玉というのではなく(途中そう見えなくもないが)、片方が主でもう片方が従というのでもなく、等分に描かれているのがユニークなところ。それは両方ともスターを使っていること、特に大Dのほうに(たぶん)格上の梁家輝を使っているところからもわかる。最近は、ちょっとくだびれた渋い中年としての魅力を発揮している梁家輝が、久しぶりにはじけた演技を見せているのが見どころのひとつだ。また、この二人に絡む次の世代、Jimmy仔を、古天樂(ルイス・クー)がなかなかクールに演じている。阿樂と大Dは対照的に描かれているが、単に紳士と狂犬というのではなく、いろいろな面が描かれているのが興味深い。たとえば阿樂が家で息子と食事をしている「ふつうのお父さん」のシーンは、ラストと対照をなしていて効果的である。

内部抗争しか描かれていないが、香港版『仁義なき戦い』といってもよい。任達華にあたる適切な役柄は見つからないが、梁家輝が千葉真一で、古天樂が(『完結篇』の)北大路欣也。でも顔は田宮二郎

とにかく淡々とクールに物語が展開する。杜峰の映画は、どこかにちょっとセンチメンタルなところがあって、それが私の好みとしてはマイナスに働くことが多いのだが、この映画にはそれがあまりなくてよかった。だけどヤクザ映画だとどうしても日本映画と比べてしまう。時代も場所も異なるのだから、同列で比較はできないと思うし、今まで描かれていない新鮮な部分もあるけれど、やっぱり『仁義なき戦い』[C1973-13](asin:B000J6H3PU)には全然かなわないよなぁなどと思い、物足りなく感じてしまうのも事実である。

席がすごく後ろでスクリーンも小さく、しかも字幕が下についていて非常に読みづらかった。字幕を読むのに精一杯で、映像を味わうどころか、画面を観る暇さえないショットもけっこうあったのが残念だ。これはおそらく公開用の字幕だと思うのだが、かなり読みづらいので心配だ。

[]『ウィンター・ソング(如果・愛)』(陳可辛)[C2005-44] 『ウィンター・ソング(如果・愛)』(陳可辛)[C2005-44]を含むブックマーク 『ウィンター・ソング(如果・愛)』(陳可辛)[C2005-44]のブックマークコメント

フィルメックスのあとは、有楽町スバル座で陳可辛(ピーター・チャン)監督の『ウィンター・ソング』(公式映画生活)を観る。陳可辛といえば、かつて『君さえいれば 金枝玉葉[C1994-48](asin:B00005FX11)でかなりがっかりさせられたことがある。でも『ラヴソング』[C1996-20](asin:B00005ELJB)はかなり好き(でも映画としてはダサいと思う)。『ウィンター・ソング』は周迅(ジョウ・シュン)主演ということでよく調査せずに観たのだが、『君さえいれば』以上にがっかりさせられた。

全篇を覆うファンタジー色は陳可辛本来のもので、私は基本的に苦手だが、特に池珍熙(チ・ジニ)が演じた天使みたいなのが出てくる設定。ああいうのは私は受けつけない。この時点でほとんどアウト。

現実の金城武、周迅、張學友(ジャッキー・チュン)の関係が、映画中映画で三人が演じる人物と重なっていくという話だが、もっと両者が相互に侵食しあい、境界が曖昧になっていかないとおもしろくない。だいたい、ミュージカルもあまり冴えず、映画中映画に全然魅力が感じられなかった。それに、登場人物の設定が陳腐かつ抽象的で、肉付けが乏しい。10年前の回想が描かれてはいても、彼らがどういう10年を過ごしてきたのかが、どうも具体的に見えてこない。

周迅は悪くないのだが、10年前の雰囲気が無邪気すぎる。彼女は、幼い雰囲気と大人っぽい雰囲気が共存しているので、両方の魅力を見せたいと監督は思うのだろうが、どうもこういう極端なのが多い。もっと素な感じの彼女を見たい。周迅は好きな女優だけど、彼女が出ているだけでイマイチな映画がすばらしくなるという域にはまだ達していないと思うので、もうちょっと作品を選んで出てほしいと思う。

張學友は歌い上げすぎでうざい。ミュージカルではなくミュージカル映画だし、そんなに歌い上げなくてもうまいのだから、抑えて歌ってほしかった。それから、たぶん彼が歌っていた歌(公式サイトでも流れる曲)は、小林旭の『やくざの詩』に似ている。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/xiaogang/20061119