バンガロールに来ちゃったの(実録亞細亞とキネマと旅鴉) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

22-11-2006 (Wed) 第7回東京フィルメックス第六日(参加4日目)

[]『オペラジャワ(Opera Jawa)』(Garin Nugroho)[C2006-23] 『オペラジャワ(Opera Jawa)』(Garin Nugroho)[C2006-23]を含むブックマーク 『オペラジャワ(Opera Jawa)』(Garin Nugroho)[C2006-23]のブックマークコメント

今日はフレックス・ホリデーでお休みなので、三本観る予定である。チャオタイ(公式)でガパオラーカオカイダオのセットを食べてからマリオンへ。今日の一本目、東京フィルメックス四本目は、特別招待作品の『オペラジャワ』。『ある詩人』[C1999-25]以来久しぶりに観るガリン・ヌグロホ(Garin Nugroho)監督の新作である。東京国際映画祭でも共同監督作の『セランビ』が上映され、観たかったのだが7時半からという遅い時間だったため観られなかった。

『オペラジャワ』は、ラーマーヤナを下敷きにしたガムラン・ミュージカル。興味深い試みだと思うし、たいへん美しい映画でもあり、影絵を思わせる影を使った演出などはおもしろかった。しかしながら、私のジャワ音楽や舞踏に対する知識、興味、理解が足りないため、十分に堪能できたとはいえない。ラーマーヤナに関する知識がないのも致命的である。ラーマーヤナとかマハーバーラタとかは、アジア人の教養として当然知っておくべきだとは思うが、なかなかそこまで手が回らない。

劇中劇として舞踏劇が出てくると思い込んでいたため、映画全体がミュージカルであると気づくのに時間がかかったのも、映画を楽しむのを阻害した大きな要因である。また、あとから考えると、ミュージカルであるということに必要以上に気をとられてしまい、ふつうの映画のように楽しむ余裕がなかった。ちなみにこの映画は、『シェルブールの雨傘[C1963-14]のように、すべての台詞が歌である。

最初のほうは、エロチックな雰囲気など、おもしろくなりそうな予感があったが、後半は、かなり道徳的な、メッセージがはっきりした歌詞の連続に閉口してしまった。モダンアートとの組み合わせも、意欲的な試みだとは思うけれども、なんというか「いかにも」という雰囲気が好きではない。

ところで、公式カタログのガリン・ヌグロホ監督のプロフィールに間違いがある。「『枕の上の葉』(99)、『ある詩人』(01)」とあるが、『枕の上の葉』[C1998-11]は1998年、『ある詩人』は1999年の映画である。

[]『マキシモは花ざかり(Ang Pagdadalaga ni Maximo Oliveros)』(Auraeus Solito)[C2005-45] 『マキシモは花ざかり(Ang Pagdadalaga ni Maximo Oliveros)』(Auraeus Solito)[C2005-45]を含むブックマーク 『マキシモは花ざかり(Ang Pagdadalaga ni Maximo Oliveros)』(Auraeus Solito)[C2005-45]のブックマークコメント

今日は、カフェで感想でも書こうと思ってパソコンをもってきた。なのに、本屋へ行っただけで空き時間が終わってしまう(無駄な荷物ほど心をすさませるものはない)。今日の二本目、東京フィルメックス五本目は、コンペティションの『マキシモは花ざかり』(公式)。監督はアウレウス・ソリト(Auraeus Solito)で、久しぶりのフィリピン映画。フィリピン映画といえばゲイ映画である。ゲイの出てこないフィリピン映画をかつて観たことがあるか、と自問してみるが、思い当たるものはない(『あの旗を撃て』[C1944-04]をフィリピン映画とは呼ばないとしてだが←実はゲイ映画だった、ってこともないよね?)。これは、ひとつにはやはりゲイが多いからだと思うが、映画界ではリノ・ブロッカ(Lino Brocka)以来の伝統だろうか(私が観ているフィリピン映画の大半がリノ・ブロッカなので、本当のところはよくわからない)。

『マキシモは花ざかり』もその例にもれず、12歳のゲイの少年、マキシモが主人公。マニラのスラム街を舞台に、盗みを生業とする父や兄と暮らし、休学して家事を引き受けているマキシモの日々の生活、転任してきた若い警官との友情や淡い恋、彼の登場による家族の変化、そしてこれらを通じてのマキシモの成長を描いている。たしか『真夜中のダンサー』[C1994-64]でも、三人のゲイの息子を母親がふつうに受け入れていたが、この映画でも、ゲイではなさそうな父親と兄たちは、マキシモをふつうに受け入れている。

まず、マキシモを演じたネイサン・ロペズ(Nathan Lopez)が魅力的。ふつうの男の子としても十分かわいいが、半女装をしても気持ち悪さがなく、腰の振り方は怪しすぎる。本人はゲイではないそうだ。スラムが舞台だとか家族が犯罪者だとかいうと、主人公は不幸な犠牲者というふうに描かれることが多いが、この映画はそういった紋切り型ではない。マキシモはもっとふつうの家庭を望んではいるけれど、家族は仲良く暮らしているし、父親も兄たちもマキシモに限りない愛情を注いでいて、マキシモは不幸な少年とはいえない。兄が殺人を犯したり、父親が殺されたりするので、もっと悲惨な展開になるのかとも思ったが、そうはならずに希望をもたせる終わり方だった。兄たちがそんなに簡単に更生できるのか、まともに働いてマキシモを学校に通わせ続けられるのかを考えると、ちょっと楽観的すぎる展開かもしれないが、さわやかで好感のもてる終わり方である。

繰り返し出てくるスラムの路地が魅力的。長回しのラストシーンもよかった。Q&Aによると『第三の男』(asin:B0000641U9)だそうだ。そうですか。どうもすみません、観てなくて。

上映後、アウレウス・ソリト監督をゲストにQ&Aが行われた。

[]『アザー・ハーフ(另一半)』(應亮)[C2006-24] 『アザー・ハーフ(另一半)』(應亮)[C2006-24]を含むブックマーク 『アザー・ハーフ(另一半)』(應亮)[C2006-24]のブックマークコメント

晩ごはんはMeal MUJIと決めていたが、『マキシモは花ざかり』のQ&Aが終わったらほとんど時間がなかった。しかたがないので、夜だけ参加のJ先生と合流して吉野家へ行く。今日は豚キムチ丼に豚汁をつける。脂身と玉葱が目立つ牛丼より、豚丼のほうが肉が多いような気がして、別に牛丼が復活しなくてもいいと思う。吉野家には映画祭のときしか行かないので、どうでもいいといえばどうでもいい話だが。

今日の三本目、東京フィルメックス六本目はコンペティションの『アザー・ハーフ』。去年、『あひるを背負った少年』[C2005-24]で審査員特別賞を獲った應亮(イン・リャン)監督の新作である。法律事務所で書記として働く女性を主人公に、同棲しているダメ男やその他の友人との関係、家族との関係などが描かれる。彼女の働く法律事務所にやってくる人たちの相談内容も、ドキュメンタリー風に挿入されている。まず冒頭に、彼女の就職の面接シーンがあり、その後の相談者と同様、インタビューされる彼女が一方的に写されているのがおもしろい。彼女は面接で「テレビの法律番組を見たことはあります」と答えていた。それはきっと、NHKの『バラエティー生活笑百科』(いま調べてみて初めてそういう名前の番組だと知った)に違いない(実際はCCTVと言っていたらしいが)。

客の相談内容は、だいたい二つに大別できる。ひとつは、配偶者が出稼ぎに行ったり出国したりしたことに起因し、お金が絡む男女間のトラブルである。もうひとつは、この街に多数進出しているらしい化学系の工場をめぐるトラブルである。ヒロインは客と直接対話するわけではなく、記録するだけの完全な傍観者なのだが、その相談内容、特に男女間のトラブルが、彼女自身の身の上とリンクしている点が非常におもしろい。彼女は働きもないロクでもない男と同棲しているし、彼女の父親はずっと前に家を出たきりである。この父親と同棲相手もリンクしていて、先行して示される父親の状況が同棲相手の未来を予言するかのようである。父親は、新疆で成功したと言って突然帰ってくるが、父親をなぞるかのように行方不明になった同棲相手も、上海で成功したと語る。しかしいずれもどこまでが本当かわからない。父親がいったん新疆に戻ったあと、母親がまるで自分に言い聞かせるかのように、「すぐにまた帰ってくるよ」とつぶやくのがやけに印象的だ。

終盤、化学工場の事故が起きるが、みんなが避難して街に誰もいなくなるという展開や、ひたすら個人的な人間関係を描いていたはずの映画が、それを契機に国家・社会の話に拡大していく点は、洪水のために避難させられる『あひるを背負った少年』と同様である。

ロングショットの長回しで撮られた外景が印象的で、それと顧客がこちらに向かって相談内容を語るインタビュー映像との対比もおもしろく、これがフィルムだったらと思わずにはいられない。前作でもそう思ったのだけれど、雨の予感をはらんだ湿った空気感や、その空気の中の緑の鮮やかさは、一年経っても生々しく印象に残っている。デジタルの場合、観ているときは臨場感が足りないが、あとに残るかどうかは必ずしもフィルムかどうかに依存しないのかもしれない。

舞台は前作と同じ四川省自貢市のようだ。最近、四川省近辺(というのは重慶市を含むという意味である)が舞台の映画が目立つ。北京、上海が舞台の映画はもちろん多いが、それを除けば四川省近辺と山西省がいまの旬である。どちらもすでに「行きたい場所リスト」に載っているが、これからも注目していきたい。

また、この映画は「パンダ映画」に認定されている(LINK)。ヒロインの部屋のテレビの横にパンダがいたからである。目を皿のようにして見ても「ぬいぐるみみたいなもの」としかわからなかったが、もしかしたら電動パンダかもしれない。舞台が四川省だから、パンダグッズもほかより豊富なのだろうか。

上映後は、應亮監督とプロデューサーの彭姍(ペン・シャン)をゲストにQ&Aがあった(採録はココ)。

ところで、字幕では趙柯が趙何になっていたように思う。また公式カタログで[登β]綱となっているのは[登β]剛だったのではないかと思うのだが。

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