18-02-2007 (Sun) しかしおどろいたねえ
■[映画]『地平線』(吉村操、白井戦太郎)[C1939-16]
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11時半ごろ銀座に着くと、雨の中央通りは東京マラソンの真っ最中。すでに浅草で折り返してきた人がちらほら、浅草方面に向かう人は団子状態。沿道の見物人は一重程度でそう多くはない。今日は旧正月の元旦なので、昼ごはんは天龍。鍋貼じゃ駄目だが、一応一日遅れで餃子を食べる。
久しぶりのフィルムセンターは、「シリーズ 日本の撮影監督(2)」という特集(公式)。全然知らない人だけれど、松井鴻が撮った『地平線』を観る。監督も知らない人のこの映画を観たのは、満蒙ロケ映画だから。満蒙国境地域で二ヶ月にわたるロケを敢行したということで、全編満蒙の草原が舞台であり、当時の満蒙がフィルムに残されているという意味で貴重な作品。
しかしそれだけの作品ともいえる。お話は、考古学者(藤間林太郎)と娘(大河百々代)、従弟(水島道太郎)の一行が満蒙の調査旅行をしていて、かつて世話になった内蒙の王国の王子(近衛十四郎)と再会するというもの。途中、王子が外蒙軍を脱走したり、外蒙軍と内蒙軍が衝突したりするが、追跡シーンや戦闘シーンがちょっとあったと思ったら、すぐに脱走に成功したり内蒙軍が勝利したりして、緊迫感が全然ない。怪我をして一行とはぐれた水島道太郎はきれいな蒙古娘に手厚く看病され、大河百々代の前には王子様の近衛十四郎が現れる。そして水島道太郎は考古学者たちと再会。「これから四角関係のドロドロが始まるぞ」と期待させたところであっけなく終わり。不満だ。
当然国策映画で、クレジットには「後援:蒙疆連合委員会、蒙古連盟自治政府」とあり、日本の内蒙侵略を正当化する空々しい台詞がちりばめられている。でも「満蒙で撮るから一応入れときました」という感じのおざなり感で、逆に空々しさを増強させているといえるかもしれない。
この映画は1939年10月というすごい時期に公開されている。当時の広告には、「明日の戰場として風雲を孕む大平原に炎暑と黄塵、決死的危險を冒して遂に完成せる」などと書かれているようだが、まさかノモンハン戦争の最中に撮っていたのだろうか。
■[映画]『孔雀 我が家の風景(孔雀)』(顧長衛)[C2005-47]
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『地平線』が終わると雨もほとんど止んでいたが、中央通りにはまだ走っている人がいる。さすがに浅草方面へ向かう人はいない。渋谷へ移動し、Q-AX CINEMAへ。ユーロスペースのあるビルだが、この映画館は初めて。
顧長衛(クー・チャンウェイ)の初監督作、『孔雀 我が家の風景』(公式/goo映画/映画生活)は、以前から公開を待っていた映画だが、昨年地味に開催された第7回NHKアジア・フィルム・フェスティバルでは観損ねた。一般公開されてたいへん嬉しいが、混んでいた『胡同のひまわり』なんかよりずっといい映画なのに、かなり寂しい入りである。
映画は、文革終了直後の地方都市に住む一家を描いたもの。舞台は、映画の中では鶴陽市となっていたが、ほとんど河南省安陽市で撮られているらしい(クレジットには開封市もあった)。両親と三人の子供の五人家族。長男に知的障害があり、両親は彼ばかりをかわいがるという設定はちょっと特殊だが、やたらとしみじみさせたり、大仰に和解したりすることなく、淡々と描かれるのがふつうでリアル。三つのパートに分かれていて、数年間の出来事が、最初は長女・衛紅(張静初)を中心に、次は兄・衛國(馮瓅)を中心に、最後は弟・衛強(呂玉榮)を中心に語られるのがユニーク。説明は極力省き、台詞も少なく、映像中心で淡々と語られていくが、複数のパートで重複して描かれることで、ひとつの出来事を複数の視点で眺めることもできる。
一家が住んでいるのは古い洋館風の建物で、おそらくもとは別の目的で建てられたものを、アパートのように分割して多くの家族が住んでいる。そのためかヴェランダには仕切りがなく、そこにテーブルと椅子を並べ、いくつもの家族が食事をしている光景は壮観である。このヴェランダでのある日の食事風景が映画の起点になっており、繰り返し登場するが、その古びたたたずまいと、暑さと涼しさを共に感じさせる夏の空気が印象的。いい感じにくすんだ街のたたずまいと、それにマッチした長回し中心の落ち着いた映像もよい。
ところで、同じ時期に観たり読んだりした別々の映画や本に、偶然共通点があったり、同じものが出てきたりするということはよくある。この『孔雀 我が家の風景』には、朝鮮舞踊が出てきたり殺鼠剤が出てきたりして、先週観た『キムチを売る女』(id:xiaogang:20070211#p1)との共通点にひそかに驚いていたところ、今度は『君よ憤怒の河を渉れ』(id:xiaogang:20070212#p3)が出てきたのには心底驚いた。私の先週末のアクティヴィティは、すべてこの映画を観るためにあったのかと、妙に納得した次第である。
この『君よ憤怒の河を渉れ』の登場シーンがすばらしかった。まずは、当時多くの人が口ずさみながら自転車を漕いだというテーマ音楽が聞こえてきて、次いで『君よ憤怒の河を渉れ』が放映されている白黒テレビの画面が映る。それは中野良子が馬に乗って現れ、高倉健を助けるシーン(新宿ではなく北海道のほう)で、吹き替えだが台詞も流れる。「どうして俺を助けるんだ?」「あなたが好きだから。」おそらくここが、最もインパクトを与えたシーン、最もインパクトを与えた台詞のひとつであろうことは容易に推測される。次はこのテレビ放映を呆然と観ている両親と衛紅。先週このシーンを観たときの私も、ここで唐突にこの映画が登場したときの私もお口あんぐりだったが、ここでの衛紅もお口あんぐりだ。そしてそこに「原田芳雄モード」(といってもただサングラスをかけているだけなのだが)で現れる、家出していた弟の衛強。それほど長くないこのシーンが、『君よ憤怒の河を渉れ』が当時の中国人に与えたインパクトのすべてを余すことなく伝えていて、もう完璧である。
そんなわけで、私の気分は『孔雀』の余韻にひたりたいと感じているのに、頭の中はすっかり『君よ憤怒の河を渉れ』に占領されている。だ〜やら〜だだやらだやらら〜♪ 誰か助けて。