25-02-2007 (Sun) 金田一もギャングも同じ
■[映画]『不機嫌な男たち』(ミン・ビョングク)[C2004-44]
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寒い。朝、家を出て、あまりの寒さに外出をやめようかと思ったほど寒い。渋谷のシアター・イメージフォーラムに向かうが、映画は11時15分からという中途半端な時間だ。私は食事の時間には厳格なほうなので、どうも13時すぎてから昼ごはんを食べるのは気持ち悪い。映画のあとでは時間もとれないので、映画の前に食べることにする。まだ10時すぎだから軽く食べようと思って歩いているうちに激しくおなかがすいてきたので、ふつうにおなかいっぱい食べる(10時からごはんが食べられる大戸屋は貴重だ)。映画の最初の回は遅くとも10時半くらいにして、昼ごはんの時間に配慮してほしいものである。
観た映画は、ミン・ビョングク(閔秉旭でいいのだろうか、閔秉國というのもあるが)監督の『不機嫌な男たち』(公式/映画生活)。『キムチを売る女』(id:xiaogang:20070211#p1)に続き、韓国アートフィルム・ショーケース(KAFS)の一本である。
主人公は30代後半(チラシなどに「中年」と書いてあるのはひどすぎないか?)の二人の男、チョン・チャンとキム・ユソク(鄭贊と金佑錫でいいのだろうか)。彼らの日常を現実と幻想を織り交ぜて描いていて、展開が全然読めないので最後まで引き込まれて観た。でも主人公たちには共感できないというか、あまりリアルには感じられなかった。彼らは「自分はこのままでいいのか」といった不安を抱えているらしいが、まず私はそういう「自分さがし」みたいなのが大嫌いだ。そんな彼らが考える理想、「可能なる変化」が何かといえば、気になっている女性とうまくやることである。そのギャップがおもしろいといえばおもしろいが、逆に、女を追いかけるのにもっともらしい言い訳が用意されているのが嫌だともいえる。女を追いかけるなら、変な屁理屈なしで単純に追いかけるべきではないのか。ちなみに、追いかけられる女性は二人ともすごくアイメークが濃かったのが印象的(久しぶりに見る韓国メイク?)。
内容的にも映像的にも、ある面ではホン・サンス(洪尚秀)によく似ていて、ある面では全然似ていない。俺はホン・サンスのほうが好きだね、ユーモラスで。ホン・サンスの登場人物にもほとんど共感できないけれど、行間からあふれ出るようなリアリティがある。
ところでシアター・イメージフォーラムも寒かった。先日やっていたテレビ番組によると一番冷えるのは足の指先だということだが、私がいつも寒さを感じるのは足首である。たくさん着ているから実際に温度が低くなっているのかどうかはわからないが、体感的には凍りそうだった。
■[映画]『悪魔の手毬唄』(渡辺邦男)[C1961-33]
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阿佐ヶ谷へ移動し、ラピュタ阿佐ヶ谷で高倉健主演の『悪魔の手毬唄』(goo映画)を観る。「ミステリ劇場へ、ようこそ。【第2幕】」(公式)の一本。
今日の午後何を観るか、実はかなり迷った。フィルムセンターでは、16時から鶴田浩二様ご出演映画『いとはん物語』が上映される。私の好みとしては
なので、迷わずフィルムセンターへ駆けつけるのが本当だ。しかしながら、最近「プチ健さんブーム」だし、なにより「健さんの金田一耕助ってどんなだろう?」という興味、正確にいえば恐いもの見たさを抑えきれない。私は横溝正史ファンでも金田一耕助ファンでもなく、これまでに誰が金田一を演じたかといったことにも詳しくないが、健さんの金田一というのは初めて聞いた。昔からレア物、ゲテモノには弱い。
最初の殺人事件の後、シーンは田舎の路線バスの中。それを追い抜いていくオープンカー。「『有りがたうさん』かよ」という一瞬のツッコミのあとに浮かぶ疑念。「まさか、あれが?」袴でスポーツカーかと思いきや、健さんは顔も髪型も服装も、いつもの、ふつうの。あのおなじみの金田一の扮装をした健さんへの期待は、あっさりと裏切られた。短髪でアスコットタイまでしめて、ギャングとあまり変わらない。1961年の映画だから、「第一期健さん」である。よくは知らないが、このころは多くの映画に主演級で出ていたものの、人気はいまひとつだったらしい。この映画でも、それはなんとなく納得できる。ポイントは、「第一期健さん」は寡黙ではないということだろう。この映画でも、健さん=金田一は自分の推理やその根拠を饒舌に披露してみせる。いささかうるさい。
「ニュー東映」のマークが、いやがうえにもいかがわしい雰囲気を盛り上げて始まるこの映画、健さんと「やまりん」こと山本麟一以外、見覚えのある顔や名前はごくわずか。そのやまりんは後半しか登場しないが、終始わめき散らしていて全くいいところがなかった。
原作は読んでいないし、あらすじも憶えていなかったが、この映画の物語はかなり単純で、観終わって「こんな話じゃなかったはず」と思う。手毬唄の歌詞が事件に絡まないし、横溝正史ものといえば複雑な血縁関係が必須であり、もっとエロい。少し調べてみたところ、原作のお話はかなり違っていて、映画は一部の設定をとっただけらしい。これではあんまりなので、もう少し原作に近い雰囲気にしてほしかった。
「日本映画データベース」のココには、歴代金田一耕助の一覧がある(すばらしい)。片岡千恵蔵や河津清三郎、池部良もやっているようで、これらも観てみたい。ちなみにスカパーで来月、千恵蔵の『三つ首塔』が放映される。南原伸二(南原宏治)も出ているようだし楽しみだ。
映画のあとは、とんきでひれかつ定食を食べて帰る。
■[本]『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(太田直子)[B1211]
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帰りの電車で『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』読了。タイトルは、俗っぽいという意見もあるようだが、それよりも長さとリズムの悪さが気になった。もっと簡潔に『字幕の中心で変と叫ぶ』とか。
- 作者: 太田直子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/02/16
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私がよく目にする字幕翻訳者の名前は、水野衛子さん(中国語)だったり根本理恵さん(韓国語)だったりで、メジャーな某ハリウッド映画専門字幕翻訳者の名前などは10年に一度も見ないくらいだが、この本の著者、太田直子さんの名前はたまに見かける。字幕翻訳者は、特定言語の専門家と字幕作成の専門家に分けられるようで、マイナー言語の場合は通訳などもこなす前者が多いが、著者は後者である。原語を英語や日本語に翻訳したものから字幕を作ることも多く、手がけた映画の言語は多岐にわたるらしい。
この本を要約すると、「最近は、文脈が読めなかったり、映像からの想像力が欠けていたり、日本語能力が低かったりするバカが増えている。そういうバカな観客を対象にしたり、自らがバカだったりする配給会社の人間にいろいろと言われながら、自分の好みや良心に反しない、よい字幕を作るのはとても大変だ」となる(著者に聞いたら「そこまで言っていない」と言うかもしれないが)。
字幕にも影響を与えている最近の日本語について、著者はいろいろ文句を言っているが、多くは賛同できるものだ。一例を挙げてみる。
- - 「!」の多用
- 大いに賛同する。私は固有名詞以外、絶対に「!」を使わないことにしている。
- - 常用漢字のみを使った混ぜ書き(「だ捕」、「真し」など)
- これも、ニュースの字幕などで「何これ?」と思うことが多い。常用漢字外にはふりがなをふるとしても、混ぜ書きはしないのを原則とすべきだと思う。そもそも常用漢字にこだわるのもおかしいし、読める漢字と書ける漢字をひとまとめにするのも変だ(今は書ける必要はないから、「読めて正しく変換できる」ことを基準に範囲を拡大すべきだと思う)。
- - 登場人物の職業、年齢、性別などによる「色づけ」
- ほとんど実在しない「女性語を話す女性」などは前から気になっていたが、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(asin:400006827X)という本を読んでから、老人言葉がかなり気になっている。これらは作家や翻訳者が率先して変えていくべきだと思う。
- -「お」や「さん」、「させていただく」などが多用される過剰な丁寧語・敬語
- これは最近、会社の中でも気になっている。アクセス地図の「さん」づけは、先日「IKEAさん」というのを見て悶絶した。「さん」じゃないけれど、私が一番変だと思うのは、政治家(主に自民党)が同じ党の政治家に言及するときに「○○先生」と呼んで敬語を使うこと。ただ、著者が問題にしていた「お仕事」だけはちょっと違うと思う。あれは、仕事はいやなものだからわざと「お」をつけて、なんというか褒め殺しみたいなものではないのか。
- -「させる」「される」の多用
- これは技術文献でもよくある。ほかの人が書いたものをベースに文書を作っているときなど、ふと気づいて全部平叙文に直すことが時々ある。
字幕作成の苦労は、字数制限の中で元の台詞の内容をできるだけ伝えるということと、どういうレベルの観客を対象として字幕を作るかということにあるようだ。
字数制限は、字幕が出ている時間に読める文字数で決められているらしいが、それはおかしい。長い台詞が一度に出る場合はともかく、字幕というのは読むものではなく見るものだからだ。配給会社は、この点から字幕の基準を見直すべきだと思う。ひらがなの多用や混ぜ書き、そしてこの本ではふれられていないが私が最も嫌いな中国人名のカタカナ表記などが、字幕のわかりにくさを助長していることは明らかだ。
レベルについては、著者は(無理と知りつつも)レベル別字幕を提案している。映画館では無理だろうが、DVDなら一考の余地はあるのではないか。字幕は一種類だとしても、いったん日本語訳してから字幕を作っている場合は、もとの完訳を入れてあると嬉しい。たしかDVDができたころは、「DVDならいろんな言語の音声や字幕を入れて、切り替えて観ることができる」ということが強調されていて、私は大いに期待した。しかし実際は、原言語音声と日本語吹き替えと日本語字幕しかないものがほとんどだ(必要なサーヴィスを提供していないくせに、リージョンコードなんか導入しやがって許せん)。おかげで日本版DVDを買ったあとも、中文字幕つきのDVDやVCDを捨てることができなくて困っている(日本語字幕で省略された固有名詞などを調べるため)。
この本でひとつ気になったのは、何度か「母国語」と書かれていることだ。必ずしも「母語」に変えればいいわけではなく、「母語」が適切なところ、「母国語」が適切なところそれぞれあったと思うが、問題は、「必ずしも母語=母国語ではない」ということが念頭になさそうなところ。最近は多言語の映画が増えており、その使い分けの意味がわからなければ正しく翻訳できない思われるだけに、ちょっと心配である。
