バンガロールに来ちゃったの(実録亞細亞とキネマと旅鴉) このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

30-06-2007 (Sat) 大人になったら夕食後に○○○をしてはいけないのか?

[]『小津の魔法つかい - ことばの粋とユーモア』(中村明)[B1223] 『小津の魔法つかい - ことばの粋とユーモア』(中村明)[B1223]を含むブックマーク 『小津の魔法つかい - ことばの粋とユーモア』(中村明)[B1223]のブックマークコメント

見るからに読む気の失せるタイトル(じゃあ読まなきゃいいのに)だが、『小津の魔法つかい - ことばの粋とユーモア』読了。まだ半分ぐらい残っていたので終わらないと思っていたが、イワタのホットケーキが50分待ちだったので読めてしまった。このホットケーキはおそらくずっと前からあると思うが、雑誌などで取り上げられるたびに客が増えていき、先週末にはついに店の外に行列ができていた。そのうちホットケーキ御殿が建つにちがいない。

小津の魔法つかい―ことばの粋とユーモア

小津の魔法つかい―ことばの粋とユーモア

小津安二郎映画のことばについての本。取り上げられている内容は、小津映画に多少ともはまった者なら、気になっていたり同じように感じていたりするところだし、台詞を読んでほとんどシーンが同定できる者としては、それなりに楽しく読むこともできる。しかし、はっきり言ってこの本は手抜き、と言って悪ければお手軽すぎると思う。作品が手軽に観られなかったころならいざ知らず、全作品のDVDもシナリオも簡単に手に入る状況で、シナリオから抜き出して並べただけに近い内容は浅薄すぎる。だいいち著者は日本語学者(たぶん)なのだから、もう少し専門的な分析をしていただきたい。

もちろん、ただ台詞を抜き出しているわけではなく、口癖だとかなつかしい響きだとかくりかえしと堂堂めぐりだとか、言葉づかいや会話の様々な特徴が、実例を取り上げつつ語られている。しかしそれならば、まず最初に、小津映画のことばにはこういった特徴がある、ということを概論で述べてから、各論に入るべきである。それぞれの特徴の説明では、ただ抜き出して、似たようなコメントをつけて並べるだけでなく、ことばの出現頻度をカウントしたり、会話のパターンで分類したりしたうえで、多少の考察も加えてほしい。だいたい、ここまでやったらそういうことをしたくならないのかな。

たとえば、第三章「口癖の詩学」では、「ちょいと」と「ちょっと」の出現頻度について述べられているが、それならばトーキー全作の「ちょいと」と「ちょっと」の出現頻度をカウントし、すべての出現箇所をもれなく抽出して表にしてほしい。そこまでしてあればデータとしても役に立つ。ついでにいえば、シナリオだけではなく、きちんと映画で確認してほしいものだ(DVDなんだからそんなに面倒な作業だとは思えないのだが)。

私は校正ミスや事実関係の明らかな間違いのある本には厳しいが、著者が日本語学者ならなおさら厳しくならざるを得ない。『晩秋』(p. 193)ってなんですか?

cyacya 2007/07/02 05:16 明治書院、国語教科書の老舗出版社ですが、
最近仕事の質が非常に落ちていますんで…

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28-06-2007 (Thu) 沖縄返還の記憶

[]『オキナワ、イメージの縁』(仲里効)[B1224] 『オキナワ、イメージの縁』(仲里効)[B1224]を含むブックマーク 『オキナワ、イメージの縁』(仲里効)[B1224]のブックマークコメント

『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』読了。

オキナワ、イメージの縁(エッジ)

オキナワ、イメージの縁(エッジ)

その日はドラマチックな一日だった。半ドンだったので、午後は家族でショッピングに行き、スマイルマーク(スマイリーフェイス)のペンダントを買ってもらった。家に帰ると、祖母が「近所のスーパーに行く」と言うので、「何か買ってもらえるかも」という下心で、買ったばかりのペンダントをつけてついて行った。ところが、家の前の狭い道から自動車道へ出たとたん、自転車に轢かれてしまった。転んで足を怪我して、たいしたことはなかったが、バンドエイドでは済まず包帯が必要だった。もちろんスーパーには行けず、何も買ってもらえず、足も痛かったが、ペンダントに傷がつかなかったので、ホッと胸をなでおろした。おしまい。

これが私の、沖縄返還の日の記憶である。本当にすべてがその日の出来事だったのかというと、少し怪しいかもしれない。私はつい最近まで「修学旅行から帰ったら朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺されていた」と思い込んでいたが、どうみても日付が全然合わないのだ。とにかく、「沖縄返還」と聞いて想起されるのは、沖縄とは何の関係もないこの記憶である。当時、沖縄返還についてかなり報道されていたはずだが、その内容は全く記憶にないし、その後も何も知らないまま育ってしまった。なにしろ、『ウンタマギルー』[C1989-08]を観て「へえ〜、独立運動なんてあったんだ」と思い、『網走番外地 南国の対決』[C1966-28](asin:B0000AOD5R)を観て「へえ〜、パスポートが必要だったんだ」と思ったほどの、どうしようもない脳天気さ加減である(さすがに今思うと自分でも呆れるのだが)。

結局、沖縄へはまだ一度も行ったことがなく、今も沖縄についての知識はほとんどない。しかし沖縄に対する興味はそれなりにある。『無言の丘』[C1992-79]にも描かれていた差別の問題、単一民族とか単一言語とかいった神話を突き崩す場所であること、台湾に近くて風土や文化が似ていること。近頃は、ニュースなどを見ると、沖縄の抱える矛盾とか、本土がいかに多くのものを沖縄に押しつけて知らん顔をしているかといったことを感じないわけにはいかない。それに比べてあまりにも脳天気な沖縄ブームには、ずっと違和感を感じている。去年のフィルメックスでは『激動の昭和史 沖縄決戦』(id:xiaogang:20061125#p2)[C1971-23](asin:B000P7V7XC)を観て、私の沖縄に対する関心は深まった。

そんなところに出たのがこの本。沖縄返還前後に作られた12本の映画を通して、「映画は沖縄をどのように表象したのか」を論じたもの。現在の私の知識ではかなりお勉強モードであり、復帰運動やその問題点、「日本復帰」がもたらした様々な負の側面について、たいへん勉強になった。

特に印象に残ったのは、第3章の「言語が法廷に立つ時」と、第4章の「死に至る共同体」。植民地での裁判とそこで使われる言語という問題は、植民地台湾での台湾人の裁判をめぐる話をどこかで読んだと思うのだが、探しても見つからない。英領香港では、1974年に広東語が公用語に加えられたが、そこには裁判の言語の問題が関係していたというのも読んだ気がするのだが、これも見つからなかった(ダメじゃん)。集団自決については、被害者であると同時に加害者であるとか、命令が内面化されているとか、簡単にはどうこう言えないほど深い話だ。閉鎖的な共同体の中で、集団自決の生き残りが誰も何も語らないというのは、なんとなく『スウィートヒアアフター』[C1997-30](asin:B0001M6GZ0)を連想させた。

ところで肝心の12本の映画だが、観ているのが『博徒外人部隊』[C1971-21]だけなので、ほとんどコメントはできない。読んで、ぜひ観たいと思ったのは『それは島 - 集団自決の一つの考察』(間宮則夫)、『沖縄やくざ戦争』(中島貞夫)、『沖縄列島』(東陽一)。東映チャンネルで『沖縄やくざ戦争』をやっていないかなと思ったら代わりに『沖縄10年戦争』(松尾昭典)をやっていたので録画した(まだ観ていないが、似たようなキャストだ)。スカパー本の7月号には『沖縄やくざ戦争』が載っていて、小躍りしたのにWOWOWだった(契約していない)。私としては『激動の昭和史 沖縄決戦』への言及を期待していたのだが、取り上げられていなかった。

ひとつ気になったのは、二箇所ほどあった「いちおうに」という表現。私の知るかぎり、「いちおうに」という言葉はない。辞書を引いてみても、「いちおう」は副詞であって「に」はつかない。ネットを検索してみると、驚いたことにかなり多くの人がその言葉を使っているが、その人たちもこの本も、「一様に」と書けばすんなり意味が通る。

[]なると屋+典座の6月のごはん なると屋+典座の6月のごはんを含むブックマーク なると屋+典座の6月のごはんのブックマークコメント

晩ごはんはなると屋+典座(公式)。6月が終わるまえに、すべり込みで6月のごはんを食べる。今月は、南瓜やピーマンやトマトや、夏らしい野菜がいろいろ満載。今週は毎晩野菜で健康的な食生活だ。

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ここのごはんは食器も楽しみだが、私は緑色の和食器はあまり好きではない。なのになぜか毎回必ず緑の器が使われている。

ところで先日、由比ヶ浜界隈を歩いていたら、最近できたらしい店があった。店頭のメニューを見たら、「写真撮影やブログへの掲載は、必ず事前にご相談ください」と書いてあった。そんな店には絶対に行ってやるもんか。

24-06-2007 (Sun) 雑用に追われる一日

[]PaPa Noelのランチ PaPa Noelのランチを含むブックマーク PaPa Noelのランチのブックマークコメント

レンバイなどをまわったあとの昼ごはんは、由比ヶ浜のパパノエル(公式)。

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前菜は、私が軽くローストしたメジマグロ(写真)、J先生がいつものタコのサラダ。メインは、私がホウボウのポワレ、J先生が子羊。

帰ってから『博徒外人部隊』[C1973-21]をDVD-Rで観なおす。思っていた以上によかったので★をひとつ増やした。安藤昇がいいし、若山富三郎は顔からしてすごすぎる。山本麟一と中丸忠雄の配役もなかなか。

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23-06-2007 (Sat) 李心潔 VS 若尾文子

[]『リサイクル - 死界(鬼域)』(彭氏兄弟)[C2006-30] 『リサイクル - 死界(鬼域)』(彭氏兄弟)[C2006-30]を含むブックマーク 『リサイクル - 死界(鬼域)』(彭氏兄弟)[C2006-30]のブックマークコメント

ホラー映画というのは、ふつうは観ないジャンルである。彭氏兄弟(パンブラザーズ)の映画は、『the EYE【アイ】』[C2001-25]を観たらけっこうベタだったので、「もう観なくてもいいか」と思った。したがって、彭氏兄弟の新作『リサイクル - 死界』(公式/映画生活/goo映画)は、ふつうなら観ない映画である。だけど主演が李心潔(アンジェリカ・リー)なので、念のため李心潔ファンのJ先生に聞いてみると、「観ようか」と言う。しかも、少し前まで環境関係のお仕事をしていたJ先生は、タイトルが『リサイクル』だと知ると「ぜひ観なきゃ」と言う。私も李心潔は嫌いじゃないので、なんとなく勢いで観ることになった。しかし初日の初回なんて、よほどのファンの人みたいだ。シネマート六本木は初めてだが、某シンタロー映画もやっていたので、正しくない映画館と判定した。

映画は、李心潔のまわりで奇怪なことが起こり始めるあたりまではおもしろかったが、彼女が鬼域へ行ってしまうとかなり退屈した。『the EYE』もたしかそうだったが、真相が明らかになるにしたがって教訓話のようになってしまうのにはがっかりする。対象を、捨てたストーリーや言葉に絞ればもっとおもしくなったと思うのに、水子や物を捨てることにまで対象を広げてしまったのはよくなかった。話が大きくなり過ぎだし、わかりやすいメッセージにまとめ過ぎである。

李心潔は作家なのだが、なんでMacの前に座っているのに創作メモを手書きで書くのかと、Macではなぜ簡体字で執筆しているのかというのが気になった。

李心潔といえばやはり『檳榔売りの娘(愛你愛我)』。今年は張震(チャン・チェン)主演の『呉清源』も公開されるので、どこかの配給会社がもっているはずのこの映画をぜひ公開してほしい。最悪の場合はDVD発売のみでもいいので(でもレイトショー公開はやめて)。

[]銀座千疋屋の苺ショートケーキ 銀座千疋屋の苺ショートケーキを含むブックマーク 銀座千疋屋の苺ショートケーキのブックマークコメント

昼ごはんは映画の前に食べたし、次の映画まで時間もあるので、ちょいとミッドタウンへ寄ってみる。しかし、思ったよりカフェは少ないし、カフェもレストランもすごく並んでいるし、うんざりしてさっさと退散。銀座へ移動して、銀座千疋屋(公式)へ行く。

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ショー・ウインドウに苺ショートがなかったので、なかったときのために私はフルーツポンチ、J先生はババロアと決めていた。しかしあっさりあって、苺ショートケーキを食べるが、なんとなくフルーツポンチにも未練がある。

[]『雁の寺』(川島雄三)[C1962-39] 『雁の寺』(川島雄三)[C1962-39]を含むブックマーク 『雁の寺』(川島雄三)[C1962-39]のブックマークコメント

今日の2本めは、フィルムセンターの「映画監督 川島雄三」(公式)特集で『雁の寺』(映画生活/goo映画)。ほぼ満員で、常連さんは見かけず、若い人が比較的多い。フィルムセンターのサイトは、作品紹介が1ページ1作品になってしまい(以前は1ページに全作品が載っていた)、すごく使いにくくなったと思う。

雁の寺 [DVD]

雁の寺 [DVD]

「和尚さまねえー」「奥さまお貰いになったんですってね?」「慈念さんお可哀そうだわ」「だって…やっぱり変じゃないかしら」

「そうでもなさそうだよ、うまくいってるらしいよ」

「そうかしらーでも何だかいやねえ」「何だかー不潔よ」「きたならしいわ」……

という映画。小僧には厳しすぎるエロ和尚に三島雅夫、その愛人に若尾文子。これ以上はないというほどぴったりな配役。サプライズは山茶花究で、三島雅夫の友人のハイカラ坊主。見ごたえ十分の98分で、ほとんど固まって見入っていたらしく、終わったら脚が固まっていて痛かった。

若尾文子は、欲得ずくの色じかけもいいが、慈念(高見国一)に対するような、無意識なんだか誘惑しているんだかわからないような演技もまたよい。木村功も誘惑されたかどうかが気になるところだ(又やんだから誘惑されそうである)。どうやらこの勝負、若尾ちゃんの勝ちのようで、選挙なんかに出ずに映画に出てほしいものである。

で、結局ひとことでまとめると、「山茶花究サイコー」という映画であった。

[]蓬莱屋のひれかつ 蓬莱屋のひれかつを含むブックマーク 蓬莱屋のひれかつのブックマークコメント

『雁の寺』は禅寺の話なのだが、葬儀のシーンがあり、先日父の葬儀でも聞いた「喝!」(これはさすがにびっくりマークをつけないと雰囲気が出ない)というのが出てきた。というわけで晩ごはんはかつにする。久しぶりの蓬莱屋は、めずらしく1階カウンター席だった。

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22-06-2007 (Fri) 北京飯店中樓に泊まりたい

[]『北京飯店旧館にて』(中薗英助)[B1195] 『北京飯店旧館にて』(中薗英助)[B1195]を含むブックマーク 『北京飯店旧館にて』(中薗英助)[B1195]のブックマークコメント

『北京飯店旧館にて』読了。文庫になったので、買いなおして再読した。

北京飯店旧館にて (講談社文芸文庫)

北京飯店旧館にて (講談社文芸文庫)

戦時中、邦字紙の記者として北京に住んでいた主人公(ほぼイコール著者なのだが)が、約40年後の1987年に初めて北京を再訪したときのことを綴った、旅行エッセイ風の小説。単に懐かしい場所をまわるだけの感傷過多な物語になっていないのは、北京時代に中国人(陸柏年や袁犀など)との交流がかなりあって、彼らの死の真相を調べたり遺族に会ったりすることが、旅の目的のひとつになっているからだ。そしてまた、自分が所詮は占領国側の人間であり、親しくしていても中国人の友人とのあいだには壁があったこと、日本の憲兵隊に殺された友人を助けることができなかったこと、様々な理由があって淪陥区に残った中国人が、そのために文化大革命などで糾弾されたことなどに対する無力感ややりきれなさが、全篇を覆っているからである。

堀田善衛の『上海にて』[B133](asin:4480082360)と並び称されることもあるようだが、『上海にて』にははるかに及ばない。それは文体的な好みもあるし、いろいろな問題提起をしながらそれがあまり掘り下げられていないように感じることにもよるが、なによりも、この小説を読んでいて感じる居心地の悪さが、一定以上のめり込むことから遠ざけている。主人公がそう感じているかどうかとは関係なく、私が主人公になったつもりで読むと、旅で感じる居心地の悪さがものすごくリアルに伝わってきてしまうのだ。

まずひとつには、この旅がテレビ局の仕事を兼ねたもので、同行のディレクターや通訳や運転手がいることが挙げられる。主人公の北京時代の想い出などは、モノローグ的に表出されるだけでなく、その多くが同行者との会話として語られる。同行者たちは、主人公の思いを理解しようとはしているけれども、主人公の強い思い入れと、あくまで他人事として聞く人たちとのあいだには、どうしようもない温度差が存在する。主人公からみて、所詮はわかってもらえないという気持ちも、同行者からみて、時にちょっとひいてしまうようなところも、どちらもよくわかってなんとも居心地が悪い。

それからもうひとつ、主人公が家や店を探して現地の人にたずねるとき、そこに流れるぎこちない空気みたいなものから感じる居心地の悪さがある。主人公にとってどんなに大切な想い出で、どんなに思い入れがあっても、解放前の昔のことなどに誰も関心をもたない。解放後に北京に来た人だったり、昔のことを知らない世代だったり、また中国が、日本の侵略や内戦といったあまり振り返りたくない歴史を経てきたということもある。しかしそれだけではなく、そもそもそういうものなのだと思う。私は想い出の場所を訪問したりはしないけれど、映画や小説に出てきたところや、誰かが昔住んでいたところや、古い近代建築などをいつも探し回っているが、現地の人がそういうものに関心がなさそうなのを肌で感じることも多い。訪れる側と訪れられる側の思いはいつもすれ違っていて、旅にはいつも多少の後ろめたさのようなものがつきまとうけれど、それが生々しく感じられすぎてどうも読後感がよくない。

それからこの小説で気になるのは、同じような説明が何度も何度も出てくることだ(‘没事兒’の説明とか田小姐の経歴とか)。もともと断片的に発表されたものなので、各短篇のみで話が通るようにするのはやむを得ないとも思ったが、「後記」を読んだら、一本にまとめるにあたって書き改めたと書いてあった。だとしたらどうしてそのあたりをなんとかしなかったのだろうか(年をとるとついつい説明過多になってしまうものなのだろうか)。陸柏年などとの交流やそれにまつわる主人公の思いにしても、より深められないまま似たようなフレーズが繰り返されるので、だんだん陳腐化していくように感じられる。

私がこの本を最初に読んだのは、2001年春に初めて北京へ行く直前だったと思う(はっきり憶えていないのだが)。ほかに見に行くところがたくさんあったのと、読んだのが直前で準備できなかったのとで、特に出てくるところを探してまわったりはしなかった。それでも、読んでいると、私もここに行ったとか、私が行ったときにもあったとか、そういうところがたくさんある。主人公は、1987年の北京を見ながら1940年代前半頃の北京を探すのだが、私はそれを2001年の北京から振り返って眺めることになる。そしてまた、変貌が激しいと伝えられる北京の今を想像し、ここはもうないかもしれない、ここも変わってしまったかもしれないなどと推測する。このように重層的に北京を眺めることが、この本を読むことの大きな魅力だが、それは楽しくもあり、また寂しくもある。

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20-06-2007 (Wed) 佐藤錦のタルトで清水宏特集への期待がふくらむ

[]Qu'il fait bonの佐藤錦のタルト Qu'il fait bonの佐藤錦のタルトを含むブックマーク Qu'il fait bonの佐藤錦のタルトのブックマークコメント

久しぶりにキルフェボン(公式)のタルトが食べられる日。期間限定の佐藤錦のタルト(写真)と、夏メニューの桃とチーズのタルトを食べる。佐藤錦のタルトはめちゃくちゃ高いようだが、やっぱりおいしい。

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食べながら、所用で渋谷へ行ったついでについに手に入れた、シネマヴェーラ渋谷(公式)の「清水宏大復活!」(7/14〜8/3)のチラシをチェック(チラシ作る前にサイトに載せてよ)。ベスト3の『有りがたうさん』、『簪』、『按摩と女』はもちろんやるし、未見の作品も7本やる、なかなかの内容。未見の『大仏さまと子供たち』や、ヴィデオでしか観ていない『金環蝕』がないのは残念。私の中ではずっと前から「大復活」している清水だが、これを機会になんとか松竹の重い腰を上げてもらい、DVD化を実現してほしいものである。

しかし、一作品二回のみ、モーニングショーで上映される作品にいたっては一回限りというのは、もう少しなんとかならないのだろうか(すでに『人情馬鹿』は観られないことが決定)。シネマヴェーラって、シネフィルの人がよく行っていてけっこう入っていそうなイメージだが、せめて一作品一週間はやってもらいたい。魅力的な特集は多いけれど、めぼしい作品が平日のみだったり、チラシを一瞥して行く気をそがれることも多い。

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19-06-2007 (Tue) このまえテレビをつけたら『真珠夫人』をやってたけど

[]『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』(岩本憲児・編)[B1230] 『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』(岩本憲児・編)[B1230]を含むブックマーク 『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』(岩本憲児・編)[B1230]のブックマークコメント

『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』読了。

家族の肖像 ホームドラマとメロドラマ(日本映画史叢書 7)

家族の肖像 ホームドラマとメロドラマ(日本映画史叢書 7)

『映画と「大東亜共栄圏」』[B724](asin:4916087453)だけ読んでいる、森話社の日本映画史叢書の7冊め。日本映画を家族という面から論じたもの。家族そのものにはそれほど関心がないのだが、日常を描いた映画が好きなので家族の映画はかなり観ている。好きな監督を思い浮かべても家族を描いた映画が多く、けっこう興味深いテーマである。

映画史研究的なものと、作家論、作品論とが混ざったような構成の本だった。どちらかというと映画史研究的な論文のほうがおもしろい。第一章の「家族像とジャンルの形成」が一番おもしろく、「菊池寛の通俗小説と恋愛映画の変容 - 女性観客と映画界」(志村三代子)、「大映「母もの」のジャンル生成とスタジオ・システム」(板倉史明)など、興味深く読んだ。しかし、「菊池もの」は『不壊の白珠』[C1929-04](id:xiaogang:20060924#p1)しか、「母もの」は『母の旅路』[C1958-27](id:xiaogang:20060325#p1)しか観ていない。奇しくも共に清水宏だが、実は奇しくもでもなんでもなく、清水だから観ているのであって、そうでなければ観ないジャンルだ。読んでいると「もっといろいろ観たいな」と思わされるのだが、一方で、冷静に「でもつまらなそうだな」とつぶやく自分がいるのだった。

ちなみに、清水のこの二本は、清水としては特に傑出したものではないが、今度のシネマヴェーラの清水宏特集でも上映されるらしい。このシネマヴェーラの特集では未見のものもけっこうやるようで、スケジュールが気になってしかたがないのだが、誰もWebに載せてくれなくて困っている。おかげで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のチケットも買えない。誰か早くWebに載せてください(懇願モード)。

第三章「家族と国家」、第四章「日本的メロドラマ」も興味深いテーマ。「戦後日本のメロドラマ - 『日本の悲劇』と『二十四の瞳』」(ミツコ・ワダ・マルシアーノ)などおもしろく読んだが、論じられている映画を二本とも観ていないのが痛いところ。かといってあまり観ようという気にはならない映画なのも困りもの。これらの章は特定の作家や作品の分析が主で、もう少し通時的な分析も読みたいと思った。

第二章「小津安二郎成瀬巳喜男」は、実はこの本を買った主目的だったのだが、いずれも内容がうすい。「『東京物語』と戦争の影 - 嫁・原節子」(井上理恵)はそもそも何を言おうとしているのかよくわからない構成。紀子を美化されているとはみなさない見方と、紀子が戦争未亡人であることへの言及からそれなりに期待した。しかし結局、嫁という視点でしか語っていないように思われるし、紀子は亡夫や義理の両親が重荷だという著者の意見には賛同しかねる。

『東京物語』[C1953-01]といえば、たまたま今日読んだのだが、井筒和幸監督が姜尚中先生との対談(LINK)で、「『東京物語』の老夫婦は感じのいい善人なのに、その子どもたちがあんなにつっけんどんなのが理解できないし、それを東京という都会のせいにしているのが図式的だ」といった趣旨のことを語っている。老夫婦は必ずしもそんなに善人ではなくて、子どもたちだってそんなに悪人ではないと思うのだが。特に杉村春子は、『東京物語』の中でいちばんリアルで共感できる人物だと思う。山村聰については、あれが佐分利信だったら微妙なニュアンスが出て完璧だったと思うが、やはり山村聰ではちょっとまずい。私にとって、山村聰のイメージは成瀬巳喜男の『舞姫』[C1951-03]であり、川端康成的な男のいやらしさを体現する人物なのだ。

家族の話とは離れるが、戦中・戦後の小津作品にはいずれも戦争の影が感じられる。そこに注目した分析はあまり読んだことがない気がするので、誰か分析してほしいものである。

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17-06-2007 (Sun) 今日は奥さんじゃなかった

[]Piscariaのランチ Piscariaのランチを含むブックマーク Piscariaのランチのブックマークコメント

今日は葉山へ、Volvicとエビスを仕入れに行く日。昼ごはんは定番のピスカリア。実は行ってみたいお店がほかにもあったのだが、そういうことは予約してから思い出すものである。

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ここの一本魚を食べてみたいが、めぼしい魚がなかったのとかなり高かったのとでやっぱりランチ。今日は前菜にジンダのフリット(写真)があった。パスタは、ピスタチオと新タマネギのペンネ(写真)と、茄子とリコッタチーズのトマトソーススパゲッティ(写真)。茄子が絶妙のうまさ。

[]MARLOWEのプリン MARLOWEのプリンを含むブックマーク MARLOWEのプリンのブックマークコメント

昼食と買い物のあとは、マーロウ(公式)の葉山店へプリンを食べに行く。ここ数年、けっこうプリンにはまっているが、そのわりにブログにはあまり紹介していない。テイクアウトしたプリンは、つい容器のまま食べてしまうので、写真を撮ってもあまりに味気ないからだ。マーロウのプリンも「容器から出して食べてください」と書いてあるけれど、どうやったらうまく出せるのかわからない。そういうわけで、しばらく前から「マーロウにプリンを食べに行くぞ」と思っていたのだが、今日やっとそのチャンスがやってきた。

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まだ2時すぎなのに店内は満員だったのでテラス席へ。風が吹いてなかなか気持ちいい。基本のカスタードが一番好きだが、ちょうど切れていたのでウィスキープリンを食べてみた。生クリームが使われているので、期待したほど大人の味ではない。おいしいが、やはりカスタードに軍配をあげる。

ところで前から気になっているマーロウのマーク。どうみてもマーロウというよりボギーだと思う。

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16-06-2007 (Sat) ロンディーノ日和

[]TAVERNA RONDINOのアラカルト TAVERNA RONDINOのアラカルトを含むブックマーク TAVERNA RONDINOのアラカルトのブックマークコメント

梅雨入りした途端に梅雨明け。というわけでもないだろうが、今日はまるでロンディーノに行くためにあるような好天気。昼ごはんはもちろん、稲村ヶ崎のタベルナ・ロンディーノ(公式)。

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前菜は花ズッキーニのフリット(写真)とトマトのグラニータ(写真)、それに娼婦風スパゲッティ、ホウボウのグリル(写真)。ドルチェは台の部分がヨーグルト味のチェリータルト(写真)。初めての前菜もドルチェもおいしかったけれど、イサキがなくて残念でした。「残念でした」といえば、草剛が徳さんをやるらしいが、彼はどちらかといえば福さんが合うのではないかというのが、私とJ先生の一致した意見である。

帰りの134号で、小林旭の『自動車ショー歌』を大音量で流しているトラックに遭遇して小躍りする。力餅家は行列ができていたので諦めて、三留商店でオレンジと日向夏の輪切りジャムを買って帰る。シチリアのオレンジジャムがなくなっていたのが残念でした。力餅家だけでなく、カロやKUA'AINAにも行列ができていたし、江ノ電も満員だった。紫陽花が満開でお天気もいいので、観光客が鎌倉にどしどし押し寄せてきているらしい。紫陽花はかなり好きな花だが、そのへんにいっぱい咲いているので、わざわざ見に行くこともないと思うのだけれど。

[]『東京物語』(小津安二郎)[C1953-01](DVD) 『東京物語』(小津安二郎)[C1953-01](DVD)を含むブックマーク 『東京物語』(小津安二郎)[C1953-01](DVD)のブックマークコメント

先日、『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』(asin:4916087747)(この本の感想は読了してから別途書く)に収録されている「『東京物語』と戦争の影 - 嫁・原節子」という論文(なのか?)を読んだので、『東京物語』をDVDで観なおした。この論文の内容にはあまり賛同しないが、これをきっかけに、これまで漠然と考えていたことなどをまとめてみる。

東京物語 [DVD]

東京物語 [DVD]

第一に、戦争未亡人・紀子について。私は、紀子(原節子)ができすぎた人だとか美化されているとかいった見方には賛同しない。しかし、彼女が一般水準よりいい人であり、義父・周吉(笠智衆)、義母・とみ(東山千栄子)をもてなすことに喜びを感じているのは間違いないと思う。一方で、彼女の亡夫・昌二に対する思いは、忘れられなくもあり、忘れたくもあり、忘れたくなくもありという複雑なもので、この孤独な状況から救い出してくれる王子様を待ちわびる気持ちも当然あるだろう。それとは別に、彼女は「夫を忘れられない貞淑な未亡人」戦略をとっている。それはひとつには、少なくとも王子様が現れていない状況下では、そうすることが精神的なよりどころ、心の支えになっているからである。そしてもうひとつには、いざ困ったときに平山家の人々に助けてもらうための切り札であるからだ。子供のいない彼女には平山家からの相続権はないが、経済的なことを含めて、何かのときに平山家の両親や義兄・幸一(山村聰)、義姉・志げ(杉村春子)に援助してもらうことは、当然期待している(というか期待せざるを得ない)はずである。

そして彼女がいま、この戦略をとり続けるかどうか迷い始めている理由のひとつとして、この映画が作られた1953年という年が重要であると思う。この映画は1953年の11月に封切られているので、映画の舞台は1953年の夏と考えられるが、1953年1月に軍人恩給の復活が閣議決定され、8月1日に実現している。つまり紀子は、軍人恩給がもらえることになって、経済的にはこれまでよりも安定することが期待されるが、一方でその軍人恩給は、平山家と縁を切ったら貰えなくなるものである。そのような状況で、紀子が将来に対して迷うのは当然であり、かつそれは決して口に出しては言えないことだ。このように考えていくと、これまでそのつながりを意識したことのなかった一本の映画が連想される。成瀬巳喜男の『乱れ雲』である。紀子とは違い、夫の両親とあまりうまくいっていなかったらしい『乱れ雲』の由美子(司葉子)は、夫の死後すぐに籍をぬき、恩給(もっともこれは軍人恩給ではないが)がもらえなくなる。もしかして成瀬は、ここで『東京物語』を意識していたのだろうか。

第二に、両親からの視点について。私たちが『東京物語』を語るとき、子供たちが両親に対してどうしたか、という視点に偏っているように思う。たしかに子供たちは両親に冷淡だったかもしれないが、それでは両親の側はどうだろうか。彼らのほうも、子供たちが期待したほど歓迎してくれないとか、偉くなっていないとか、かなり自分勝手な視点でしか見ていない。医院や美容院の経営状態がどうなのか、孫の成績はどうなのか等を心配するシーンも全然ない。

また、実の子供たちと嫁の紀子の態度の違いばかり取り沙汰されるけれども、両親側の彼らへの態度の違いも考慮する必要がある。実の子供に対してはもちろん血の繋がった親密さがあるが、一方で「育ててやったのに」という気持ちも見え隠れして、前述のように心配よりも文句が先に立つ。一方紀子に対しては、他人の気兼ねもあり、彼女が重荷であるのと同時に、本当に申し訳ないという気持ちもあり、前途を心配している。そもそもふたりは最初から、紀子を見て露骨に嬉しそうな顔をする(同じ嫁でも、幸一の妻・文子(三宅邦子)とはえらい違いだ)。

最後に、『東京物語』の設定の曖昧さについて。小津は、たとえ映画の中に登場しなくても、登場人物の住んでいる場所や職業や家庭環境などの細かい設定をすべて考えているとよく言われる。それはほかの映画ではたしかに納得できることが多く、ほんのちょっとした台詞からそういったものが推測され、物語にリアリティを与えることも多々ある。しかし『東京物語』にはどうも曖昧な点が多い。まず、志げは兄弟の中で浮いている。美容院を経営しているというのは、全体にインテリの家庭の中で異質だし、夫の庫造(中村伸郎)もどこの人かわからず、彼女がいったいどういう経緯で東京に出てきたのか想像しにくい(そもそも彼女はもともと東京に住んでいるように見える)。それに、紀子と昌二がどのようにして知り合ったのかも謎である。とみが昌二の写真について「いつごろ?」と問うところからも、(「結婚した年」とかではなく)「戦争にいく前の年です」と答えるところからも、ふたりの結婚生活は三年くらいはあったように思われる(ネットで三ヶ月というのを見たけれどそれはおかしい)。そうすると、二十歳で未亡人になった紀子はかなり若いときに結婚したことになるが、いったいどういう接点があったのだろうか。

また、両親と子供たちがこの前いつ会ったのか、紀子や文子は彼らと何回ぐらい会っているのか、昌二の結婚式や葬式はどこでしたのか、といったことも全然わからない。子供たちが東京にいて両親が尾道に住んでいれば、何人かは戦争中疎開していたと考えるのが普通だと思われ、なんとなく親しげな様子はそういうことを連想させもするが、そうとわかるような台詞などは一切ない。それからとみの葬儀後の場面でも、ほかの親戚などが一切出てこないのがかなり不自然である。似たような状況をもつほかの映画、たとえば『小早川家の秋』の葬儀シーンや、『麦秋』の大和のおじいさんの上京などと比較してみたとき、『東京物語』の曖昧さはかなり際立っている。

ところで、『東京物語』に関して検索していたら、第019回国会予算委員会(1954年2月11日)の議事録が出てきた(LINK)。この中で、社会党の堤ツルヨ議員が、年金問題に関連して『東京物語』に言及している。この人はどうも靖国問題で物議をかもしている、ウヨクが飛びつく人のようなので、ちょっと紹介するのがためらわれるが、おもしろいので引用しておく。

……あなたは東京物語という映画をごらんになりましたか。あれは何とか五に入りましたもので、私も見ましたが、あの東京物語に出て来るじいさん、婆さんは国民の中ではまだ最上部です。子供を育てたあげくの果てに、うば捨て山に行かなければならない老夫婦を、あれは描いておるのですが、息子夫婦が町医者をやつておる。次の娘が主人と一緒にパーマネント屋をやつておる。次の息子が国鉄、次の娘が学校に行つておる家庭というのは国民全般からいえば、まだ最上層、大臣の次くらいです。それがあの映画を見たあとで国民全般はどう思いますか。希望なき国民の姿。あすなき日本の家庭の実態があの中に現われておる。大臣連中はよくあれをごらんになつて、吉田内閣の政策の貧困をよく御反省にならなければいけない。……

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15-06-2007 (Fri) カタギには見えない何宇恆と張子夫

[]『Rain Dogs』ティーチイン 『Rain Dogs』ティーチインを含むブックマーク 『Rain Dogs』ティーチインのブックマークコメント

第19回東京国際映画祭の『Rain Dogs(太陽雨)』[C2006-15](id:xiaogang:20061026#p3)のティーチイン(ゲスト:何宇恆(ホー・ユーハン)、張子夫(ピート・テオ))の採録(LINK)を、[亞細亞とキネマと旅鴉]の[映画人は語る](LINK)に載せました。[ドゥ・マゴで逢いましょう2006](LINK)からもたどれます。なにをいまさらという感じですが、まだ諦めていません。

ついでに“太陽雨(Rain Dogs)”のDVDを半分ぐらい観た。フィックスと横移動。マレーシアのひなびた風景。雨と、雨を含んだどんよりした天気。湿った空気がより鮮やかに見せる緑。やはりこの映画はとてもよい。

14-06-2007 (Thu) 赤いヤカンは黄金分割比に基づいて置かれているか

[]「物語映画の時空間分析−小津映画を素材として−」(佐藤大和) 「物語映画の時空間分析−小津映画を素材として−」(佐藤大和)を含むブックマーク 「物語映画の時空間分析−小津映画を素材として−」(佐藤大和)のブックマークコメント

情報処理学会の第74回人文科学とコンピュータ研究会(公式)で発表された論文「物語映画の時空間分析−小津映画を素材として−」を読む。この論文だけを電子版でいただいたので本ではないのだが、『人文科学とコンピュータ研究報告』(2007-CH-74)に収録されているはずのものなので、[本]カテゴリにしておく。

小津安二郎監督の映画を分析し、その時間構成と画面構成について検討したもの。分析対象は、『麦秋』(asin:B0009RQXK0)、『東京物語』(asin:B0009RQXIC)、『彼岸花』(asin:B0009RQXIM)、『お早よう』(asin:B0009RQXIW)、『秋日和』(asin:B0009RQXJ6)、『秋刀魚の味』(asin:B0009RQXJG)の6本。この研究は、東工大の21世紀COEプログラム「大規模知識資源の体系化と活用基盤構築」(公式)の一環だということで、お金を貰ってこんな楽しいことができて「大学っていいなあ」というのが素朴な感想だが、なかなか興味深い内容だった。

まず時間構成については、小津映画の平均ショット長は、前二作では約10秒、後四作では約7秒で、全区間にわたって安定しており、それは、会話ショットの長さがばらばらでも、会話の最後に置かれた状況設定ショット(登場人物の全景)の長さを調節することで一定の平均長を保っている、というもの。これは朝日新聞でも取り上げられていたので、ご存じの方も多いかと思う(「小津映画 カットの平均秒数、場面ごとに統一」(LINK)。

計算してやっていたとも思えないので、そのような一定のリズムが体の中にあって、感覚的にできていたかとも思われ、編集作業はどのように行われていたのか、興味はつきない。今回の分析対象は戦後の作品のみだが、戦前からのすべての作品を分析してみたらどうなのだろうか。どのあたりからこういった特徴が顕著なのか興味がある。また、著者は、小津映画のショット構成を

・ブラケット・ショット(opening)

・状況設定ショット(全景)

《・ポートレート・ショット(複数)

・状況設定ショット(全景)》

《 》の繰り返し

・ブラケット・ショット(closing)

と定義している(ブラケット・ショットはいわゆるカーテンショット)。時間構成の特徴の確立は、このようなショット構成の確立と連動していると思われる。全作品のショット構成を分析し、時間構成との対応がどうなっているのかも知りたいところである。

次に画面構成については、登場人物などの位置が、画面全体で見ると黄金分割比によって区分される点であり、壁などで区切られた空間で見るとその中心であるというもの。こちらは著者も指摘しているとおり、意図的にやっていたのだと思う。ここで気になるのは、「動くヤカン」の位置。あのヤカンはきっとそのような位置に都度動かされていたのではないか。ぜひチェックしてみなければと思う。

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09-06-2007 (Sat) 日光旅行第二日

[]日光→中禅寺湖→鎌倉 日光→中禅寺湖→鎌倉を含むブックマーク 日光→中禅寺湖→鎌倉のブックマークコメント

朝から大雨。朝ごはんは、オムレツ、ベーコン、ロイヤルブレッドのトースト、クロワッサンなど。場所は晩ごはんと同じでやはり差別待遇。今度来るときは、もっとゴージャスな部屋を、メインダイニングの窓際の席に座れるかどうか確認してから予約することにしよう。だけど日光自体もういいやという感じなので、次回があるかどうかわからない。朝食後は雨が小降りの時間を狙って散歩。湯沢屋(公式)の元祖日光酒饅頭を買いに行ったり、ホテルの庭を散策したりする(左写真)。

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雨の中を中禅寺湖に向かって出発。こんな天気にいろは坂を上る物好きはいないらしく、車のいない道をがんがん上って行ったら前の車に追いついた。最初は前の車をぬいて行く意欲的なパンダだったが、次第に慎重なパンダになってついて行く。観光は最小限にしてできるだけ車を降りないようにしようと思っていたのに、駐車場代をケチって遠い無料駐車場に停めたため、華厳滝まで寒さに震えながらえんえんと歩く羽目に。自然の景観にほとんど感動しない私が、今まですごいと思った滝はイグアスだけ。華厳滝(右写真)もまあこんなものかという感じ。

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再び駐車場まで歩き、車を300メートルだけ移動させて、また15分ほど歩いてイタリア大使館別荘記念公園へ。ガイドブックには花柄のソファの写真しか載っていなかったので、たいして期待していなかったが、本邸(左写真)はアントニン・レーモンド(Antonin Raymond)設計(1928年竣工)の杉皮張り。一面の窓からは中禅寺湖を独り占め。桟橋(右写真)にたたずめば、気分はすっかり司葉子(『乱れ雲[C1967-04](asin:B0009WWF3E))。高い入場料を払う東照宮や華厳滝より、無料のここのほうがすばらしい(ただし100円程度の寄付が期待される)。

中禅寺金谷ホテルのコーヒーハウス・ユーコンで百年カレーを食べ、帰路につく。行きとは違い、戦場ヶ原や湯元温泉を通って関越の沼田ICへ出るルート。前の車がとろくて沼田まで2時間もかかったが、天気は途中からよくなった。関越はすいすい走れ、環八の渋滞を我慢して(考えてみれば、134号の渋滞よりはずっとマシだ)第三京浜から帰る。関越の途中あたりで再び降り始めた雨は、いつのまにか大降り。暖房を入れたり冷房を入れたり、窓を開けたり閉めたり、今日はたいへんな一日だった。

「けっこう」はナポリを見てから言うことにして、逗子のカンティーナ(公式)でナポリピッツァを食べて帰る。

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08-06-2007 (Fri) 日光旅行第一日

[]鎌倉→日光 鎌倉→日光を含むブックマーク 鎌倉→日光のブックマークコメント

今日はJ先生がお休みなので、有給休暇を取って日光へ行く。目的は日光金谷ホテル(公式)に泊まること。

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天気予報は今日も明日も雷雨とか豪雨とかで、日光の最高気温は14℃とか16℃とか。長袖にジャケットを用意して8時半ごろ出かける。J先生が高速代をケチったので横浜まで渋滞にはまり、職場の横を通って(ドキドキ)高速に乗る。東京の首都高を初体験し、渋滞にもちょっとはまって東北道へ。蓮田SAで休憩すると、かなりむし暑くて長袖では死にそう。東北道はすいすい走れて、日光宇都宮道路へ入って日光で下りる。窓を開けると空気が変わっていて、予報どおり寒い。12時半ごろ日光金谷ホテル(左写真)着。昼ごはんは、渋い建物目当てで日光物産商会(公式)本店(右写真)にあるカフェレストラン匠でゆば弁当などを食べる。

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食事のあとは世界遺産めぐり。実は日光は二度目。前回は、骨董屋へ行ったりまんじゅうや湯波を買ったりした記憶はあるものの、観光や食事の記憶はほとんどない。二社一寺の共通拝観券を買い、まず日光山輪王寺の逍遥園や三仏堂を見る。それから日光東照宮に入ると、二度目とはいえあまりのド派手さに唖然。象や猿を楽しんでから眠猫(左写真)を見に行く。本社にあるにもかかわらず、奥社とセットにして別料金にするセコさにまた唖然。奥社へ行く石段がしんどい中高年は眠猫しか見ないので神社ぼろ儲け。

日光は、実は台湾ドラマ“烈愛傷痕(恋のめまい 愛の傷)”のロケ地だ。言承旭(ジェリー・イェン)主演だけどあまり面白くなかったので、ロケ地めぐりをする気は全然ない。ただこのドラマで、若い子が東京行きのツアーで日光にも行くのがちょっと衝撃だった。そこでさりげなく見ていると、います、います、台湾人観光客。数では韓国人観光客に負けているが、中高年中心の韓国人に比べ、台湾人は若い子がいっぱい。東照宮のトイレがいやに臭い(アンモニア系)と思ったら、汚物入れがフタのないくずかごで、そこに台湾人観光客(推測)が使用済みトイレットペーパーを積み上げていたのだった。

東照宮のあとは二荒山神社、日光山輪王寺大猷院とひととおり回る。二社一寺すべて、ところかまわず御利益グッズを売っているのでうんざりした。曇って風が吹くと寒いが、日が当たると暑いという不安定な天気だったが、ホテルに戻る途中で雨が降り始めた。

金谷ホテルの部屋は、下から二番目のエコノミーB。私たちが貧乏だからではなく、いい部屋はすでに埋まっていたからだ。それでも奈良ホテルに比べればゆったりした部屋である。豪雨になったので、チェックイン後はホテル内で過ごす。まずはラウンジ・メイプルリーフで、有名なチーズケーキを食べる。ラウンジはホテルの顔のひとつだと思うが、ここは奥まっているうえに味気ないインテリアで、全くいただけない。前述のカフェレストラン匠でも金谷ホテルのケーキが食べられるので、そちらのほうが趣があっておすすめだ。お茶のあとはホテル内を探検。柱やランプの写真を撮ったり(右写真)、竜宮(スケートリンク)で写真展を見たりする。

晩ごはんは、メインダイニングではなく、その続きの新食堂へ案内された。安い部屋の人はこっちみたいで(食事のコースも違うのだろう)、差別待遇がなんだか不快。ふつうのコースか虹鱒料理のコースか選べたが、赤い魚はあまり好きではないのでふつうのコースにした。メインはシマアジのポワレとローストビーフ。いまひとつだったので、やはり看板の虹鱒のほうがよかったかも。

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06-06-2007 (Wed) 団塊世代じゃない人はどう生きるの?

[]『ウェブ社会をどう生きるか』(西垣通)[B1229] 『ウェブ社会をどう生きるか』(西垣通)[B1229]を含むブックマーク 『ウェブ社会をどう生きるか』(西垣通)[B1229]のブックマークコメント

『ウェブ社会をどう生きるか』読了。

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

タイトルのあまりのベタさに、買おうとしてやめる、というのを3回くらい繰り返した。別に「どう生きるか」困っていないのだが、アンチ「ウェブ礼賛論」だというので、どんなことが書いてあるのか興味があった。とはいえ、『ウェブ進化論』『ウェブ人間論』『フューチャリスト宣言』といった、この本が批判している「ウェブ礼賛論」の本は全く読んでいないので、それらの批判になっているのかどうかは判断できない。私自身の立場をいえば、Web2.0に期待するところはそれなりにあり、一方でそれほど楽観的でもない。現状のWebとWeb2.0として語られることとの間の大きなギャップも感じている。

全体として言いたいことはまあわからんでもないが、個別的なところでは引っかかりまくりな本だった。以下、そのいくつかを断片的に記す。

  • ウェブ礼賛論批判と、Google批判と、Web2.0否定がごちゃまぜになっているという印象を受けた。Web2.0に関しては、半分ぐらいは一般に言われていることと重なるが、半分ぐらいは誤解または曲解しているように思われる。気になったのは、やたらと検索エンジンが出てくることと、集合知が短絡的にとらえられているようにみえること。たとえば次のような文。
     世の中の知識をたちまち検索できる、ウェブ2・0というすばらしい技術が出現した、それにもとづいて一般ユーザーがウェブ上で自分の意見を積極的に発表し交換しあい、集合知のユートピアができるはずだ、というのが粗っぽくいえば「ウェブ礼賛論」です。…(p. 11)
    「粗っぽくいえば」って、粗っぽくすぎないか? ページランクが一種の集合知であると言われることはあるが、ふつうWeb2.0に検索は出てこない(このあたりGoogle批判と一緒くたになっていると感じる)。また、Web2.0を取り上げているにもかかわらず、RSSもタグもフォークソノミーソーシャルブックマークも出てこないことに強い違和感をもった。

  • 著者はWebに対して、何か過剰な期待をしているのだろうか。Webで検索した情報断片から体系的な知を構築したり、検索した情報を状況に応じて理解し、自分にとって有用な情報にしたりすることは、少なくとも現時点ではWebの外で人間がやるべきことだ。検索エンジンはユーザにとっての重要度を判断できないからこそ、タグやフォークソノミーやソーシャルブックマークが注目されているのではないのか。

  • フローとストックは相補的なものであり、どちらが重要というものではない。でも、アイデア創出にはフロー的な断片情報が役に立つと思う。しかし著者は、
     けれども、逆に言うと、検索サイトの情報から基本的な文章のアイデアを得られたことはない、というのも事実です。……(p. 6)
    とまで言っている(おどろきですねえ)。もっとも「文章のアイデア」という限定付きだし、アイデアを得るのは検索して見つけたサイトの情報からであって、私も「検索サイトの情報」からアイデアを得たことはないけれども。これまでストックばかりが重視され、あまりにもフローが軽視されてきたと思うのだが(これでやっと普通になってきたの)、著者は次のように書いている。
     むしろ、現在のウェブの状況は、過去の発言のストックなどすぐ忘れられてしまい、現時点でのフローのみが影響力をもつ、という感じがします。……(p. 74)
    少なくともブログについては、RSSで現時点のフローを得て、検索エンジンで過去のストックを得るというふうに、うまく回り始めていると感じられるのだが。

  • 結論がずれている。著者が提案している地域SNS団塊の世代の活用は、それはそれでいい。だけど私は、知りたいことがあるからWebを検索し、言いたいことがあるから情報を発信している。その場は地域SNSではダメだし、読んでもらうべき未知の人に情報を届けるには、公開して検索エンジンに拾ってもらうことが必要だ。それに私は団塊の世代じゃない。

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03-06-2007 (Sun) 祝・早稲田優勝

[]『インビジブル・ウェーブ(Invisible Waves)』(Pen-ek Ratanaruang)[C2006-29] 『インビジブル・ウェーブ(Invisible Waves)』(Pen-ek Ratanaruang)[C2006-29]を含むブックマーク 『インビジブル・ウェーブ(Invisible Waves)』(Pen-ek Ratanaruang)[C2006-29]のブックマークコメント

気がついたら2ヶ月も映画を観ていないので、今日は絶対に映画を観ると決めて出京。新宿へ行くと、東口にルミネエストというのができていたが、御用達のチケット売り場がなくなっていてげきいかり。しかたなく伊勢丹会館のチケットぴあへ行くと、発券の人と一緒に並ばされてさらにげきいかり。シネマート新宿で整理番号をもらい、セガフレード・ザネッティ(公式)でパニーニの昼ごはん。真っ白いパンツの上にトマトを落としてしまい、自分にげきいかり。

シネマート新宿に戻り、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督の新作、『インビジブル・ウェーブ』(公式/映画生活/goo映画)を観る。上映前に『西遊記』の予告編があり、深津ちゃんファンのJ先生は狂喜乱舞していたが、私は背筋が寒くなった。

『インビジブル・ウェーブ』については、浅野忠信主演のタイ映画という程度の認識だったが、タイ人はほとんど出て来ず、日本人がたくさん出てきて少し戸惑う。舞台も、タイ(プーケット)にたどり着くまでにかなり時間がかかる。冒頭、浅野忠信が住んでいるところが「どうも澳門(マカオ)っぽいなあ」と思っていたらやはり澳門で、ひとりでほくそえんでいたのに、浅野忠信がご丁寧にも「澳門に住んでる」と台詞で言ってしまってがっかり。香港・澳門ロケは、石段を効果的に使っていてなかなか印象的だが、ピークトラムが出てくるのはいささかベタな感じもする(登場のしかたは悪くないけれど)。

かなり細部に凝った映画で、特に船室のシーンの収納式ベッドのエピソードなど、妙なリアリティがあって楽しめた。一方で、そういった細部へのこだわりが多少やりすぎに感じられるところもあり、そのせいもあってか主内容の印象がうすい。その理由を考えてみると、冒頭に出てくるボスの妻に全然魅力がない、ということに尽きる気がする。ろくでもない女にしか見えないので殺されても気の毒に感じないし、浅野忠信も彼女を真剣に愛しているようには見えなかった。そのため、彼女を殺したことによる罪の意識とか、彼女を失った喪失感とか、そういったものを抱えているようには感じられない。また、姜惠貞(カン・ヘジョン)が最初の登場シーンであまり魅力的に映らなかった(サングラスをかけていたか何かで素顔を見せていなかったと思う)のも、理由のひとつかもしれない。

撮影は杜可風(クリストファー・ドイル)。悪い意味でのドイルっぽさがなく、昔のドイルのような空気感があって、スタイル的には好きな映画。フォーカスフィルムも出資していて、曾志偉(エリック・ツァン)とかMaria Cordero(マリア・コルデーロ)とか、地味で豪華な香港からの出演者が印象的。

ところで、『インビジブル・ウェーブ』という表記のあまりのダサさ、間抜けさには脱力する(特に自分で入力すると感じる)。複数形をどうするのかという問題は置いておくとして、『インヴィジブル・ウェイヴ』でしょう、やっぱり。

[]『パッチギ!LOVE & PEACE』(井筒和幸)[C2007-01] 『パッチギ!LOVE & PEACE』(井筒和幸)[C2007-01]を含むブックマーク 『パッチギ!LOVE & PEACE』(井筒和幸)[C2007-01]のブックマークコメント

渋谷へ移動して、渋谷アミューズCQNで井筒和幸監督の『パッチギ!LOVE & PEACE』(公式/映画生活/goo映画)を観る。前の席の人が笑っちゃうほどお行儀が悪く、だけど恐そうな人だったので、J先生が怒ってイチャモンをつけたり椅子を蹴っ飛ばしたり頭を叩いたりして、あとでパッチギ食らわされたらどうしようと気が気でなかった。

『パッチギ!』[C2004-23]から6年後の1974年という設定で、舞台は東京に移っている。70年代風ファッションのみならず、国鉄のスト権奪還闘争(スト権ストは1975年だったんですね)、佐藤栄作のノーベル平和賞受賞、李小龍(ブルース・リー)ブーム(あんな看板が本当にあったの?)、ゲイラカイト、地方から上京した勤労青年、戦争賛美の大作映画製作といった当時の世情や風俗が反映されている。さらに、白血病や筋ジストロフィー、孤児院で育った青年など、70年代に数多く製作された映画やドラマを彷彿させる設定である。こういった設定にはリアリティがないが、70年代っぽさを狙ってわざとそうしているのだろう。タイトルの「LOVE & PEACE」も、その意味するところ以上に70年代っぽさを表すためのものだと思う。

このように、70年代という舞台設定が徹底されることは、かえって現在との相似を浮き彫りにし、この物語の現代性を際立たせてもいる。戦争賛美の大作映画の製作や、外国人や在日を排斥する偏狭なナショナリズム、あるいは難病ものの感動映画・ドラマの流行など、現在と70年代が似ていることにあらためて気づかされる。

本作では、日本の植民地統治下に生きた父親の世代のエピソードが加わっている。日本が植民地をもつようになり、「日本」「日本人」「日本語」といった概念は大きく揺らいだし、その時々によって都合よく解釈されてきた。その一端がこのエピソードからもうかがえる。戦後植民地を手放したあとも、内部に多くの在日などを抱え、また移住や外国との行き来が盛んになるなかで、やはり「日本」「日本人」「日本語」といった概念は揺らぎ続けていると思う。戦争映画『太平洋のサムライ』の試写会のシーンで、スタッフ・キャストの舞台挨拶と、映画のシーンと、キョンジャ(中村ゆり)の父親の逃避行のエピソードとが重なっていくところは、あらためて「日本とは何か」「日本人とは何か」を問いかけている。

また、今回、舞台が東京に移ったことと東北出身の青年(藤井隆)の登場とによって、日本語の共通語/京都弁/東北弁/韓国朝鮮語/これらのチャンポンなど、使われている言語もさらに多重化されている。これらは、「日本とは何か」「日本人とは何か」「日本語とは何か」ということに対する深い考察がないままに、やたらと「ニッポン」とか「ニッポン人」とか「日本語」とかいった言葉が空虚に撒き散らされている現状を揶揄するものでもあると感じた。

リアリティの欠如やメッセージ性など、一般的な私の好みから外れる面もあるが、全体としては楽しめる映画になっていた。試写会でのキョンジャの挨拶は、(内容的には100%賛同するけれども)メッセージが露骨に出すぎている感じもする。しかしながら、これによって描きたかったのは、内容的なメッセージ自体よりも、あのような行動をとることで自分の納得できる生き方を選び取るということであり、それによって一種のハッピーエンドにしたかったのだろうという気がする。

ところで、そんなに似ているわけではないのに、アンソン役の井坂俊哉が劉徳華(アンディ・ラウ)を彷彿させ、「劉徳華だ、劉徳華だ」と思いながら観た(別にファンではないけれど)。

とんきでひれかつを食べて帰る。「今日は久しぶりのとんき」と思って朝からウキウキしていたが、よく考えてみたら2週間前に来ていた。待ち椅子で隣にいたおばあさんが、「まだ待つのか」とか「顔を憶えていないんじゃないか」とか、順番が来るまでずっとぶつぶつ文句を言っていて、隣のおじいさんが「入った以上は黙って待ってなさい」と言い続けていたのがおもしろかった。

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02-06-2007 (Sat) 待望の夜バレーナ

[]BALENAのアラカルト BALENAのアラカルトを含むブックマーク BALENAのアラカルトのブックマークコメント

5月後半の精進モードのお疲れさま会という名目で、藤沢のバレーナ(公式)へ晩ごはんを食べに行く。半年ぶりのバレーナ(これまで「バレナ」と表記していたが、公式サイトに「バレーナ」と書いてあるので変更)で、ワインを飲んでアラカルトを食べるため、夜、電車で行く。JRのほうが速いけれど、行きも帰りも江ノ電

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愛知産ムール貝のインペパータ(写真)、フレッシュトマトとリコッタチーズのシュエシュエ(写真)、鎌倉野菜のミックスサラダ“白バルサミコ風味”(写真)、真鯛の香草焼き(写真)を食べる。どれもよかったが、とりわけシュエシュエがうまかった。いつもランチについているフォカッチャがおいしいので、頼もうとしたら今日はなく、代わりに自家製パンを頼んだけれど来なかった。食事のあとチーズを頼もうとしたら、今日はチーズがあまりないとのことでこれも断念。その分おなかに余裕があったので、ドルチェにカッサータとチョコラータ。

休日の昼は満席のこともあればそれほど混んでいないこともあるが、今夜は満席。頼もうと思ったものがすでに終わってしまっていたり、頼んだものが来なかったりしたので、J先生はだんだん不快感をあらわにして、小さいことにも文句を言っていた。狭いわりに席数はあるので、スタッフ3人ではかなりいっぱいいっぱいのようだ。

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01-06-2007 (Fri) イタリアのトイレ事情は?

[]『イタリア縦断、鉄道の旅』(池田匡克)[B1228] 『イタリア縦断、鉄道の旅』(池田匡克)[B1228]を含むブックマーク 『イタリア縦断、鉄道の旅』(池田匡克)[B1228]のブックマークコメント

『イタリア縦断、鉄道の旅』読了。

イタリア縦断、鉄道の旅 (角川oneテーマ21)

イタリア縦断、鉄道の旅 (角川oneテーマ21)

これもイタリア旅行に向けてのお勉強の一環。私は基本的に鉄道旅行が好きだが(いわゆる鉄道好きではない)、イタリア旅行は鉄道にしようかクルマにしようか迷うところだ。最近クルマ旅行の便利さに気づいてしまったし、イタリアならレンタカーもイタ車だと思うと心が動く。でも鉄道にも乗ってみたい。この本は、鉄道旅行をする場合には役に立ちそうな情報がいろいろと載っているが、それではおもしろかったかといわれるとそれほどでもない。一般論として、行ったことのない場所の旅行記は行ったことのある場所の旅行記ほどおもしろくないものだが、あとがきを読んで、この本がいまひとつおもしろくない理由がわかった。それは、ここに描かれている旅が、旅のための旅ではなくて、本のための旅であるからだ。

行った先での体験や見聞を中心とした旅行記ならともかく、この本は鉄道自体が主役であり、鉄道に乗ることがメイン・イヴェントである。鉄道の旅においては、予算や旅程と相談しながら乗る列車を決めたり、切符を入手したり、途中で想定外の出来事に遭遇したりといったことが大きなウェイトを占めるし、それが旅の醍醐味でもある。しかしながら、この本の旅は「トレニタリアから多大なる取材協力をいただ」き、「白紙チケットをぽんと出し」てもらい、広報担当者に「チケット関係を手配して」もらっての旅なのだ。さらに、出版元の編集者(たぶん)が旅の途中で「冷静な指示をメールしてくれた」りしている。一等車に乗ったりタクシーに迎えに来てもらったりしていることも含め、なんだか白ける話である。こちらはドキュメンタリーが見たいのに、見せられているのはやらせ番組なのだ。旅行記というのは時に、プロが書いた本などより、個人サイトに掲載された素人のもののほうがおもしろくもあり、役にも立つことがある。それはおそらく、旅行者にとってのその旅の切実さやそれに伴う生々しさが、お金をもらっての取材に比べて圧倒的だからだろう。

タイトルも気になる。一回の旅で縦断したように思わせるタイトルだが、実は、比較的狭い地域の鉄道の旅が五つあって、全体を通してみると北から南まで縦断している、というもの。しかも、北から南まで抜けなくつながっているわけではないので、ちょっと騙されたように感じる。著者はフィレンツェ在住だが(フィレンツェからシチリアへ飛行機で移動していたのが許せない)、イタリアに行って鉄道に乗る旅行者は、大都市間を長距離移動することのほうが多いのではないだろうか。そのような移動は時間もかかるし、チケットも取りにくそうだし、不安も多いので、そのあたりもフォローしてほしかった。

ほかに気づいたことや、もっとこうしたらいいと思ったこと。

  • この本に限らないが、旅行記というものは、何年何月何日何曜日の話なのか、すぐわかるところにきちんと書いておくべきだと思う。そうでなければ値段などの細かい情報をいくら書いても意味がない。読み進むうちにどうやら2006年秋ではないかというところまではわかったが、読んでいてかなりイライラする。
  • せっかく値段が細かく書いてあるので、レートまたは円換算額も書いておいてほしい。
  • 写真がカラーなのはたいへんよろしい。各章の最後に写真がまとめてあるのも、印刷コストの問題だと思うので許容できる(ならば文章のページは紙質を落とせばもっと安くできるのではないかと思うのだが)。しかし、本文と写真が分離しているにもかかわらず、その間のリンクが存在しないので非常にわかりにくい。写真に番号をつけて、本文の関連箇所に「……(写真3)」というように書くべきだと思う。
  • 比較的小さな街が出てくることもあり、イタリアの地理に詳しい人でないと今どこを走っているのかわかりにくいと思う。2ページ(見開き)ごとに、その章の旅のルート図(各章扉にある)を小さく載せ、「このページはこの部分です」というのを明示してくれると嬉しい。
  • トイレの話があまりないのも気になった(そう思いながら読んでいたら、最後のシチリアの章にはけっこう出てきた)。著者はやたらと駅のバールでカプチーノや酒を飲んでいて、私もぜひ駅のバールでエスプレッソを飲みたいが、鉄道やバスの旅ではトイレに行きたくならないよう極力水分は採らない。イタリアのトイレ事情が気になるところだ。
  • 映画のロケ地への言及がいくつかあった。ラインナップは満足のいくものではないが、『親愛なる日記』が出てきた(p. 176)のはよかった。
  • カンノーロが出てきたのはよかったが、写真がなくて残念。

[]津久井のお好み焼き 津久井のお好み焼きを含むブックマーク 津久井のお好み焼きのブックマークコメント

今日の晩ごはんは鎌倉のお好み焼き屋さん、津久井(公式)。庭のある古い日本家屋である。

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左は豚天。自分で焼くのでおそろしくまずそうだが、食べるとおいしい。焼けるまで時間がかかり、その間にどんどんおなかがすいて待てなくなってしまうのがお好み焼きの困ったところ。右は豆腐焼き。こちらはお店の人が焼いてくれるが、できたそばから食べないといけないので、完全な姿で写真を撮ることができない。写真の4倍にもやしがついて一人分。

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