実録 亞細亞とキネマと旅鴉 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

22-07-2007 (Sun) またうっかりしたことするとギャフンだわよ

[]『日本女侠伝 真赤な度胸花』(降旗康男)[C1970-17] 『日本女侠伝 真赤な度胸花』(降旗康男)[C1970-17]を含むブックマーク 『日本女侠伝 真赤な度胸花』(降旗康男)[C1970-17]のブックマークコメント

朝からラピュタ阿佐ヶ谷の「昭和の銀幕に輝くヒロイン[第35弾]藤純子」(公式)へ。監督降旗康男なのがそそられないが、西部劇スタイルというところに惹かれて『日本女侠伝 真赤な度胸花』(映画生活/goo映画)を観る。明らかに、「ちょいとマカロニ・ウェスタンをやりたいなあ」ということで企画されたものだと思われる。北海道って、自然ばっかりで人の手垢がついていないので、あまり興味がないのだが、西部劇舞台として存在意義があるのだなあと思った。だけど、寒いし砂ぼこりもないしなんとなくウェットで、西部劇的な乾いた空気とは違っている。そのせいかお話もウェットだ。

馬市の利権をめぐって、博労総代の父を殺された藤純子が、北海道に渡って悪徳ヤクザと対決するというお話。悪役はヤクザだが主人公側はヤクザではなく、開拓初期の牧畜業者と農民の対立なども盛り込まれている。そのため任侠映画とはかなり趣を異にしており、任侠の美学みたいなものはない。途中で現れる高倉健を主人公にして、藤純子を助けるようにすれば西部劇的構図に、藤純子側とヤクザを戦わせて馬市を潰せばマカロニ・ウェスタン的構図になるように思うが、藤純子が主役で健さんは助っ人という『緋牡丹博徒』的構図はそのままなのでなんとなく中途半端西部劇的なものは、日活アクションなどですでにさんざんやられてきているわけだが、ヤクザ警察署を占拠したりするむちゃくちゃなストーリー展開に、「西部劇をやりたいんだよう」という意欲が現れている。マカロニ・ウェスタンをパクったような音楽も流れる。これを含め始終音楽が流れていて、やたらとうるさい。

藤純子は、最初を除いてずっと洋服姿で、馬も乗りこなすし腕も立つのだが、着物メイク着物の芝居をしているので、どうもスカッとしたかっこよさがない。ガン・アクションは全くダメヤクザではない健さんはやたらワイルドで、美しさも渋さもない。二度も藤純子を口説くのに、ふたりの間には濃密な空気が感じられず、それなのに藤純子が健さんを追うという任侠映画ではあり得ないラストも気に入らない。ヤクザの親分は天津敏。東北弁を駆使しての熱演で、こちらも全然渋くないが、天津敏は宮城県出身だから、なるほどうまいわけである。藤純子の父親が小沢栄太郎で、めずらしくいい役だと思ったら途中そうでもないことが判明し、この配役はぴったり。山本麟一、遠藤辰雄もなかなかのご活躍。

降旗康男映画は観たことがないので、どのへんが降旗色なのかよくわからないが、極端なクロース・アップが多いのが気になった。橘ますみが殺されるところと天津敏が殺されるところでは、血がぴゅーっと派手に噴き出していた。石井輝男山下耕作映画だと、それがうまくあとにつながって生かされるのだが、この映画ではただ出ているだけで趣味が悪い感じがした。

[]『しろばんば』(滝沢英輔)[C1962-40] 『しろばんば』(滝沢英輔)[C1962-40]を含むブックマーク 『しろばんば』(滝沢英輔)[C1962-40]のブックマークコメント

適当に昼ごはんをすませて、ふたたびラピュタ阿佐ヶ谷へ。北海道で暴れたあとは温泉でひと休みということで、今度は「映画×温泉 湯けむり日本映画紀行」(公式)。今日温泉は天城湯ヶ島、映画は『しろばんば』(goo映画)。「しろばんば」なんてタイトル映画はふつう観ようと思わないが、いづみさまご出演映画なのでおつきあい。原作ものなのでタイトルは変えにくいのだろうが、しろばんばは冒頭でちょっと出てくるだけ。ちなみに私はしろばんばが何か知らなかったので(虫らしい)、北林谷栄扮する変なおばあさんがしろばんばと呼ばれている恐い話かと思っていたら全然違っていた。

小学校低学年の少年、洪作(島村徹)を主人公にしたお話。旧家の生まれ、育ての親になつく少年上下関係にうるさい恐いばあさん、年上の女性への憧れといった基本的なことから、結核による死、『箱根の山』の歌、どこかへ行く途中で着物を脱いで裸になるといったことまで、先日観た『次郎物語[C1955-25]との共通点が多くて興味深い。『次郎物語』には温泉は出てこなかったが、ロケ地別所温泉附近ということである。四季の移ろいが描かれ、大人の世界の出来事が子供に影を落とすところは『子供四季[C1939-17]とも似ている(結核による死はこれにもある)。

何の期待もなく観たらけっこうおもしろかった。「死んだらみんないい人になる」とか、「実家では長いものにはまかれろ」とか、北林谷栄が時々ぼそっと言う警句めいた内容がいい。「うちのぼんは勉強なんかしなくてもできる」と言うのもいい(勉強してできるのは反則だと思う)。原作の雰囲気を出すためか、原文と思われるナレーションが何箇所か入るが、これが唐突な感じがした。原作も読んでいない、思い入れのない観客の立場からいえば、別に原文を出す必要はないし、ナレーションなしで十分わかるように作れると思う。

洪作の叔母、さき子を演じる芦川いづみは、沼津女学校卒業して登場し、あかぬけていてこのあたりに釣り合う男はいないと噂されている。ところがあまりぱっとしない同僚教師(山田吾一)ととっととくっついた挙句、妊娠してできちゃった結婚し、さらには結核にかかって死んでしまうという薄幸の女。お嬢様なのに男には積極的で、しかもいちいち理屈をこねるところはいつものいづみさまながら、大正時代なのに妊娠までするのはいつもとちょっと違う。ファンの人は入浴シーンに注目。洪作とさき子によって『箱根の山(箱根八里)』が繰り返し歌われ、テーマソング的な位置づけだが、この歌はあまり好きではない。もっと別の歌ならよかったのに。

[]『その後の蜂の巣の子供たち』(清水宏)[C1951-19] 『その後の蜂の巣の子供たち』(清水宏)[C1951-19]を含むブックマーク 『その後の蜂の巣の子供たち』(清水宏)[C1951-19]のブックマークコメント

渋谷へ移動して、今日シネマヴェーラ渋谷の「清水宏大復活!」(LINK)。『その後の蜂の巣の子供たち』(goo映画)を観る。予習に『蜂の巣の子供たち』[C1951-19]DVD-Rを観ておきたかったが観られなかった。

『蜂の巣の子供たち』を観た雑誌記者が取材に来て記事にしたため、反響を呼んでいろんな人が訪ねてくるという話。はじめはあまりの台詞まわしの下手さが気になってしかたなかったが、子供たちが生き生きしてくると、だんだん気にならなくなった。けっこうかわいいしんちゃんと、最後にしんちゃんを探しに大阪まで行くおもろい顔の子(名前失念)のふたりの顔が映画映えするのがポイントだと思う。

会社のお休みを有意義に過ごしたい」と言ってやって来た二人のおねえさんは、勝手子供たちのルールを破り、仕事を奪う。それで「なかには世話をしたり面倒をみたりして、自分の気持ちだけが満足している人がよくあるんです」と言われると、「もうお説教聞かされてギャフンよ」と言って帰ってしまう。でもボランティアというのは別に崇高な行為でも何でもなく、「人の役に立っている私ってすごいわ」という自己満足のためにやるものである。だからこそ報酬を貰わなくてもやれるのであって、それがボランティアの本質だと思う。その行為が人の役に立つなら、それは別に悪いことではないが、この二人のおねえさんははっきりいって迷惑である。どちらかが日守新一の娘(日守節子)だと思うが、顔を見てもどちらかよくわからない。もうひとり、勝手に畑仕事をしてぶっ倒れてそのまま居座った変な男がいたが、その後のシーンでは、画面の隅に棒のように突っ立っていたり仏像のように座っていたりして、ものすごく妙だった。

『[映畫読本] 清水宏 - 即興するポエジー、蘇る「超映画伝説」』[B308](asin:4845900076)には、『蜂の巣の子供たち - 私と放浪児』という清水宏の文章が載っている。京都のお寺に住んで『蜂の巣の子供たち』を撮っている頃のものである。ここには、子供たちには身の回りのことしかやらせていないと書いてあるが、伊豆に移ったあとは映画のような生活をしていたのだろうか。実際は映画のようにはうまくいかないだろうが、このような生活はひとつの理想ではあると思う。強制労働じゃないかという意見もあるようだが、私はもともと「働かざる者食うべからず」という主義なのでそうは思わない(しかしながら、就職して以後は「働かないで暮らしていけるのならいつでも主義は捨てます」と思っている)。子供なんだから働かないで勉強したり遊んだりしていられたほうがいいのかもしれないが、施設でいろいろな規則にがんじがらめにされるよりは、このように楽しんで働いているほうがいい。私には子供はいないし今後もいるようになる予定はないが、もしいたら、小学校低学年から家事を仕込み、高学年になったら何でもできるようにして、全部やってもらう(つまり家庭内の労働力として思い切り使う)つもりである。ついでに言うと、学校なんかじゃんじゃん休ませて旅行に連れて行くと思う(子供のころ学校は休んではいけないと思っていたのが、今思うとものすごくバカらしい)。