24-10-2007 (Wed) 東京国際映画祭第五日
■[映画]『遠い道のり(最遙遠的距離)』(林靖傑)[C2007-07]
![『遠い道のり(最遙遠的距離)』(林靖傑)[C2007-07]のブックマークコメント 『遠い道のり(最遙遠的距離)』(林靖傑)[C2007-07]のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
今日は有給休暇。お昼前に六本木へ行く。食べようと思っていたフォカッチャ屋がなくなっていたので、代わりにひげちょうの魯肉弁当を食べる。今日の1本目、映画祭9本目は、アジアの風の『遠い道のり』(公式)。監督は林靖傑(リン・チンチェ)。ここでのカタカナ表記は基本的に公式プログラムに従って書いているが、北京語音からカタカナへの変換にはなんの規則性もなく、めちゃくちゃなようだ(時々明らかに間違っているし)。
この『遠い道のり』は、アジアの風の新作のなかでは一番の期待作だったが、観た結果は期待ほどではなかった。十分おもしろかったし、ラストシーンをはじめ、ところどころ心に残っているところもあるのだが、琴線にふれるとか、「このショットがすばらしい」みたいなところはなかった。逆に、私の警戒ポイントにふれるところがいくつかあった。
この映画は、三人の人物がそれぞれ旅をする物語だが、みんな「心に傷を抱えていて、旅に出て癒される」といった想定なのがまず第一に引っかかったところ。まず莫子儀(モー・ズーイー)は、彼女に去られて録音技師の仕事でも失敗し、「台湾の音」を探す旅に出るが、これは彼女にも仕事にも関わりのあることなのでまあ納得できる。次に桂綸鎂(グイ・ルンメイ)だが、前の住人にカセットテープの入った手紙が届き、その音に魅せられる、というだけで十分興味深く、旅に出る理由にもなっていると思う。不倫に疲れてアルコール依存症気味といった陳腐な設定は不要である。最後に精神科医の賈孝國(ジア・シャオグオ)だが、この人はひとりで十分楽しく生きているように見える。結婚生活の破綻とかなんとか、無理に設定することはないと思う。
次に引っかかるのは、東海岸へ旅に出るということと、原住民が出てくるところ。必然性があればいいけれど、なんとなく「またかよ」という感じで萎える。また、波や林の音に、「フォルモサの音」とかいう大仰な名前をつけるのも、台湾ナショナリズムっぽくて気になる。
キャスティングについては、莫子儀はちょっと存在感が弱いかなという感じ。桂綸鎂はすごく期待していたが、ちょっとおとなしすぎて十分に魅力を発揮しているとは思えなかった。賈孝國はたぶん初めて見る人だが、その存在そのものがかなり不気味で、顔は別に似ていないが、若杉英二に見えてしかたがなかった。着るものの趣味などを含めて、ちょっと生理的に受けつけがたい。
ロードムービーなのだが、あまり移動のシーンがなく、魅力的な移動のショットがなかったのも惜しいところ。また、桂綸鎂はテープで聴いた音を探しに行くのだが、行ったら音だけではなくその風景も見るわけで、そこには想像とのギャップとか、音で聴くのとは違った体験があるはずだ。それなのに桂綸鎂は音だけにこだわって、単にテープを追体験しているだけのようにみえ、そのあたりも残念に思った。
■[映画]『海辺の一日(海難的一天)』(楊徳昌)[C1983-44]
![『海辺の一日(海難的一天)』(楊徳昌)[C1983-44]のブックマークコメント 『海辺の一日(海難的一天)』(楊徳昌)[C1983-44]のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
今日の2本目、映画祭10本目は、アジアの風の『海辺の一日』。これも楊徳昌(エドワード・ヤン)追悼上映の一本で、ヴィデオでは観ているがスクリーンで観るのは初めて。映写の不具合で『遠い道のり』の上映が延びたので、マキアートを飲む暇もなく、劇場の移動程度の運動ですぐにまた3時間近い映画を観なければならないのは辛い。二本立てでもなんでもないのに、同じ日に観た映画に妙に共通点が見つかることが時々あるが、この『海辺の一日』は、『遠い道のり』と同じく波の音で始まった。
映画は、張艾嘉(シルヴィア・チャン)がかつて兄の恋人だった胡茵夢(テリー・フー)と十数年ぶりに再会し、これまでのことを語り合うというもの。ふたりがカフェで話しているところを間にはさみながら、回想シーンによって張艾嘉の半生が描かれる。最初は、回想シーン=張艾嘉の語りの内容となっているのだが、次第に回想中の登場人物の回想が入り込み、複雑な入れ子構造になっていく。
あらためて観ると、この映画が楊徳昌の長篇第一作であることに驚く。映画としての完成度といったこともさることながら、このような「オトナの映画」を30代で作ってしまったことにである。タルコフスキーについても、『アンドレイ・ルブリョフ』[C1967-02]を観たときに「やはりこの人は早く死ぬ人だったんだ」と思ったが、この『海辺の一日』も、今観るとそのような印象を受ける。張艾嘉のお兄さんが、若くして癌で亡くなったことが最後に知らされるが、これも今思うと象徴的な気がしないでもない。
撮影は杜可風(クリストファー・ドイル)。印象に残るのは、張艾嘉の実家の日本家屋の光と影の感じと、語り合う二人の女性の、すべてを乗り越えたあとといった感じの穏やかな顔である。
今回、初期の二作品を観て気づいたのは、外省人である楊徳昌が自伝的な要素を含む『牯嶺街少年殺人事件』[C1991-16]を撮る前に、本省人の物語を撮っていたということ。『海辺の一日』では、少なくとも張艾嘉は本省人だし、『タイペイ・ストーリー』[C1985-52]の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や蔡琴(ツァイ・チン)も、父親が迪化街で商売をしているのだから本省人だろう。これは呉念眞(ウー・ニエンジェン)と一緒に仕事をしていたことと関連があるのだろうか。また、『海辺の一日』の張艾嘉のおとうさんのキャラクターは、『冬冬の夏休み』[C1984-35]のおじいさんと共通するところがあり、朱天文のおじいさんをモデルにしたところがあるのかもしれないと思った。
周囲の反対で結婚できなかった恋人たちとか、友人とやっている会社とか安易なお金儲けとかいった『海辺の一日』のなかのモチーフは、『ヤンヤン 夏の想い出』[C2000-03]と重なるところが多分にある。ただ、かなり図式的に感じられた『ヤンヤン 夏の想い出』に比べて、『海辺の一日』ではずっと生々しく描かれていると感じる。
上映後は呉念眞のティーチ・インがあったが、夕食時間を確保するため、残念ながらパスしてしまった。
■[映画]『雲水謡(雲水謡)』(尹力)[C2006-39]
![『雲水謡(雲水謡)』(尹力)[C2006-39]のブックマークコメント 『雲水謡(雲水謡)』(尹力)[C2006-39]のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
またもSoup Stock Tokyoで晩ごはんを食べ、恵比寿へ移動。今日の3本目、映画祭11本目は、「2007東京・中国映画週間」の『雲水謡』。この前は20分前開場だったのに今日は10分前で、しかもそんなことはどこにも書いてない。不親切はなはだしい映画祭である。かなりすいていて、観客は中国人が多い。
私がこの映画を観ようと思ったのは、冒頭の舞台が台湾だったから。大陸の映画で台湾がどのように描かれているのかが見たいというただそれだけであり、映画自体には全然期待していなかった。だから、尹力(イン・リー)監督の辞書に「淡々」とか「控えめ」とか「直接見せずに描く」とかいった言葉がなかろうと、音楽のつけ方が言語道断だろうと、ラストシーンが「なんじゃこりゃ」だろうと、いちいち文句はつけないことにする。
映画はたぶん1946年の台北を舞台に始まる。映画ではちゃんと「1940年代後半」と出ていたが、プログラムには「1940年代の台湾」と書いてある。同じ40年代でも、前半か後半かでは国も時代も違うのに、この書き方はあんまりだ。実際私は前半だと思っていて、主人公は抗日運動のために大陸に渡るのだろうと想像していたら全然違っていた。
台北の街はセットと、おそらく厦門(アモイ)あたりのロケだと思う。全然台北には見えないが、“美人座”とか専売局とかの宣伝が貼ってあったりして、それなりに努力のあとは見られる。主要な登場人物は本省人だと思われるが、みなたいへん流暢な北京語を家の中でまで話している、ありえない状況。ツボだったのは、国民党の兵士を満載した車がやってきて、売られているバナナを見て口々に「バナナ、バナナ」と言うところ。
お話は、医学生の陳坤(チェン・クン)が家庭教師先の娘の徐若瑄(ビビアン・スー)と結婚の約束をするが、二・二八事件で追われて大陸に渡り、その後一生会えない、というもの。老人になった徐若瑄=歸亞蕾の姪である梁洛施(イザベラ・リョン)が、両岸三地を飛び回って叔母の過去を探り、昔の恋人の行方を探し当てるという構成をとっている。ごく簡単ではあるが、大陸の映画で二・二八事件が描かれている点は興味深い。もっとも、陳坤は徐若瑄にうつつをぬかしていて、台湾の将来を憂えたりするシーンもないので不自然だし、二・二八事件で弾圧されたのが明らかな左翼だけのようにみえることなど、文句を言えばきりがないほどある。
無事に大陸へ逃れた陳坤は、医師として朝鮮戦争に従軍したかと思うと、次はチベットの病院に派遣されるという派手な展開。結局、朝鮮で知り合ってチベットまでおしかけてきた李冰冰(リー・ビンビン)と結婚する。二・二八事件や白色テロを逃れて大陸に渡った台湾人はけっこういるが、反右派闘争や文化大革命で迫害されたと聞く。しかしもちろんそんなことは微塵も描かれない。雪崩のために早くに亡くなってしまうものの、「チベットで結婚したふたりは幸せに暮らしました」という展開。チベットの医療に貢献した台湾人、というわけである。なんか臭いますね。陳坤と徐若瑄を隔てたものは何だったのか、といったことについても全く描かれない。誰もが知っている既知のもの、ただそこにある壁、という感じで。
大陸のアイドル、陳坤は初めて見た(と思っていたら、『小さな中国のお針子』[C2002-15]とか『恋愛中のパオペイ』[C2004-06]で観ていたらしい【2007-11-12追記】)が、唇が藤木くんみたいに紫色なのが気になった。陳坤、徐若瑄、李冰冰という主要キャストはどうでもいいが、陳坤のおかあさんが楊貴媚(ヤン・クイメイ)、徐若瑄のおとうさんが秦漢(チン・ハン)というのがなかなかの豪華キャストだ。結局結ばれない二人はそれぞれ別のパートナーを得るが、陳坤は李冰冰なのに徐若瑄は鼻血男というのはフェアじゃないと思う。
前のエントリーにも書いたように、たまたま連続して観た映画に共通点を発見することがある。『海辺の一日』と『雲水謡』の場合は、ヒロインの無理な制服姿である。『海辺の一日』は、当時30歳くらいの張艾嘉(シルヴィア・チャン)が女子高生に扮していて、常人の三倍はあろうかと思われるボリュームのおかっぱのカツラが激しく不自然だったが、北一女中(たぶん)の制服を着ているのでそれなりにリアリティもある。『雲水謡』は、やはり30歳くらいの徐若瑄が女学生に扮しているが、髪の毛は三つ編みだし、顔も童顔だから張艾嘉より違和感はない。しかし光復直後の台湾で、白いミニスカートのセーラー服に白いハイソックスって、絶対にありえない。
ところでこの映画祭では、上映開始までにスポンサーなどのコマーシャルが繰り返ししつこく流されているが、上映の冒頭にもう一度流すのはやめてもらいたい。おかげで終映が思ったより5分も遅く、ホームライナーに間に合うようにダッシュで帰る羽目になった。