02-08-2008 (Sat) あのー子はーどこーの子♪
■[映画]『どたんば』(内田吐夢)[C1957-33]
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3週連続同じ電車で渋谷へ。「イタリア萬歳!」には行けないまま、シネマヴェーラ渋谷の特集は今日から「内田吐夢百十年祭」。「内田吐夢、やったー」と思ったら、ほとんど観た映画ばかりだった。今日は、全く未見の『どたんば』(goo映画)を観る。
個人経営の小さな炭鉱で落盤事故が起き、5人が生き埋めになった事件を描いた映画。まず、雨の中を一両編成の電車が走り、道路脇に警官の姿をした交通安全の看板(たしか「徐行」と書かれていたと思う)が立っているオープニングが印象的。この看板は映画中繰り返し出てきてそのたびに目を惹き、そのユニークなたたずまいが渋くていちいち喜んでいた。そんな雨の朝の炭鉱の風景から始まって、事故が発生して被害者が救出されるまでの100時間をスピーディに描いた、なかなか見ごたえのある映画だった。
誰が主役ということのない群像劇で、登場人物も多い。炭鉱の経営者、そこで働く労働者、被害者の家族、救助を指揮する役人、救助活動をする近隣炭鉱の労働者、新聞などマスコミ関係者…。それらの人物が次々に登場し、その背景や関係を含め、非常に手際よく紹介される。また、経営者と被害者家族、対策本部と朝鮮人坑夫といった対立を含む様々な人間模様が、緊迫感たっぷりに描かれる。すかさずやって来るアイスキャンデー売りや、どこからか現れて断食救出祈願をするお坊さん(このお坊さんが高堂国典というのがまたいい)など、様々な思惑をもつ人々がひとつの事件の現場に寄り集まっているさまが興味深い。事故発生から時間が経ち、生存の可能性が薄れていくにつれ、現場で話される話題、現場の空気、登場人物の心情や考え、人間関係などが徐々に変化をみせていく様子も丁寧に描かれている(しかし90時間経って初めて、生存可能時間を医者に訊くっていうのはちょっとどうなんでしょうか…)。
どう展開するかわからないサスペンスフルな前半から、次第に5人は無事に救出されるに違いないという展開になっていき、興味はどうやって救出されるかに移っていく。それが外部から来た救世主によってもたらされる点が、いささか納得性に欠ける。救世主が朝の電車から降りてくるという登場のしかたはなかなかいいので、これががそれなりのスターであれば「待ってました」という感じで盛り上がる。ところが波島進という冴えない人なので、ちょっとご都合主義的な印象は否めない。
経営者の加藤嘉は、冒頭の商売に抜け目なさそうなところから始まって、その様子の変化が丁寧に描写されていて、終盤近くですべての責任を引き受ける覚悟をするシーンは、事件発生直後の「芝居だな」と思わせる謝罪の様子と対比されて感動的である。しかしここで彼が改心してしまい、ほかの対立も解消され、みなが協力したすえに5人が生きて救出されるため、最後がめでたく盛り上がっていささかクサいのが残念。
出演者は地味なようで案外豪華。最初にクレジットされている江原真二郎は、好きな女の子のいる炭鉱に就職しようとやってきた青年役で、とにかく若い。若いというよりほとんど子供で、後年の個性は皆無。江原真二郎というより歯みがきのコマーシャルに出ていた息子のよう。最初少し出てきたと思ったら、すぐに被害者になってほとんど出番がなくなってしまい、主役でもなんでもなかった。なにげに朝鮮人労働者のリーダーを演じている岡田英次がなかなか渋い。J先生は、組合長だかなんだかの山本麟一と、救助活動を指揮する東野英治郎が活躍するので大喜び。やまりんは珍しく弁の立つ役。時々芝居がクサい人がいるのが気になった。
■[映画]『白い馬(Crin Blanc)』(Albert Lamorisse)[C1953-S]
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急いで銀座に移動してシネスイッチ銀座に行くが、整理券も席の指定もないと言われてがっかり。しゃぶしゃぶランチを食べてふたたび劇場に戻り、アルベール・ラモリスの『白い馬』『赤い風船』の二本立て(公式)を観る。ラモリスの映画を観るのは初めて。
まずは『白い馬』(映画生活/goo映画)。モノクロ映像、馬、韓国スターのような長い前髪の美少年という組み合わせは、『赤い風船』と比べてかなりシャープな雰囲気。馬が疾走するシーンや突然暴れ出すシーンが何度もあり、躍動感に満ちている。
少年と白い馬との友情などと書かれているのを目にするが、それは人間側の勝手な妄想という気がする。わたしはどちらかといえば、白い馬に魅入られてしまった美少年の悲劇と感じた。白い馬にとっては、たとえ気に入った相手であろうと人間に飼われることによって幸福にはなり得ない。したがってこの物語は最初から悲劇になるべく運命づけられており、そのことが映画に陰影を添えている。
■[映画]『赤い風船(Le ballon Rouge)』(Albert Lamorisse)[C1956-S]
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続いて『赤い風船』(映画生活/goo映画)。これはずっと前に好きな映画監督が名前を挙げていて、それ以来観たいと思っていたもの。だけどその映画監督が誰だったのか、どの作品に関連して言及していたのかはすっかり忘れてしまった。タルコフスキーだったかな。
少年と赤い風船との交流を描いた、たいへんかわいらしい映画。ちょっと昔のパリの街は、すべてのショットが絵はがきのように美しく、少し霞んだくすんだ色合いに赤い風船がよく映えている。
しかしながら、わたしは世間の多くの人たちほどにはこの映画に魅せられなかった。その理由のひとつは、ふつうのリアルな風船ではなく、不思議な力というか意志をもった風船という設定が、メルヘンやファンタジーが苦手なわたしにあまりアピールしなかったこと。もうひとつの理由は、わたしはこの少年が苦手です。ジャージみたいなヘンなパンツやかわいらしい顔が醸し出す幼い雰囲気と、妙に大人びた表情や仕草とがアンバランスでかなり気持ち悪い。
ところでこの二本立ては、誰よりもまず子供に見せるべきだ。ところが映画館に子供連れは皆無だった(ように見えた)。世の中のおとうさん、おかあさん、子供たちには、ポニョやカンフーパンダではなく、これかチェブラーシカを見せなさい(チェブラーシカのほうがモアベター)。
■[映画]『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン(Le Voyage du Ballon Rouge)』(侯孝賢)[C2007-30]
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天龍で餃子を食べてふたたびシネスイッチ銀座に戻り、侯孝賢の『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(公式/映画生活/goo映画)を観る。わたしにとってはこれが今日のメインだが、『赤い風船』へのオマージュである本作は、ほとんど『赤い風船』の添え物的な扱いで、19時からしか上映されないのにげきいかり。『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』というバカみたいな邦題にも憤慨。そもそも「ホウ・シャオシェンの」とかつけるのがはなはだダサいが、今回それには目をつむるとして、どうして『ホウ・シャオシェンの赤い風船』ではいけないのか?これで十分ラモリスとの(あるいは浅田美代子との)区別はつく。リメイク版の邦題をカタカナにしてオリジナルと区別するという手法はよくとられるが、これはリメイクではないし、原題はフランス語なのに英語をもってくるという点が最もマヌケだ。だいたい「レッド・バルーン」というフレーズには、「赤い風船」というフレーズがもつ叙情性が皆無である。それに日本語で「バルーン」というと、風船ではなくてもっと大きい気球のようなものを連想するのではないだろうか。
映画は、人形劇の声優をしている母親スザンヌと、その小学生の息子シモン、およびシモンのベビーシッター、ソンの日常を描いたもの。夕食後だから眠くなるかもという危惧は、冒頭、シモンの呼びかけによって高い木から下りてきた赤い風船が、メトロに乗ったシモンを追っていく長回しによって吹き飛んだ。でも、呼びかけられてから下りてくるまでのあのむだ時間はなんなんだ?
映画に描かれるスザンヌとシモンの生活は、冒頭とラストを除いて、ソンがこの家庭を訪れているときのものだ。ソンの視点で撮られているわけではないが、描かれているのはソンの見た母子である。家族構成や仕事など、母子の背景は物語が進むにつれて明らかになっていくが、傍観者であるソンの背景はほとんど明らかにされない。わかるのは、以前は北京で映画の勉強をしていて現在はパリで映画の勉強を続けており、いまは赤い風船の映画を撮っている、ということぐらいだ。この情報から、多くのサイトで彼女を中国人留学生と書いているが、わたしは北京へ留学した台湾人と理解した。違う?
ソンが登場しない冒頭とラストは、いずれもシモンが赤い風船を目にするシーンである。赤い風船は、映画中何度もこの家庭を訪れるけれど、誰もその存在に気づくことはなく、気づかないのか、それとも見えていないのかも定かではない。仕事やトラブルに追いまくられる母親と、離れて暮らす姉くらいしか遊び相手のいない孤独な少年をそっと見守る赤い風船。それは、少しずつこの家族にとってなくてはならない存在になっていくソン自身なのかもしれない。
スザンヌを演じるのはジュリエット・ビノシュ。それがこの映画のいちばんの問題点だ。前からあまり好きではなく(きらいじゃないけれど興味がない)、最近はぜんぜん見ていなかったが、いつのまにか二の腕の太いただのおばさんになっていた。スザンヌという役も、感情の起伏が激しく、あまり感情移入できないタイプ。でも、シモンに「おかあさん、なにひとりで急いでるの?」みたいなことを言われて、「やることがいっぱいあるんだよー」と言っていたところに妙に共感した。
一方、ソンを実名で演じたソン・ファンは、クールだけれど決して冷たくはないという感じが出ていてなかなかよかった。口数が少なく、最高頻度語が“d'accord”なのになんとなく納得したりする。シモン(シモン・イテアニュ)はかわいいけれど、agnès b.を着ていたのが生意気だ。ジュークボックスでアズナブールをかける小学生って渋すぎるよ。
侯孝賢が中華圏の外で映画を撮るのは『珈琲時光』[C2003-18]に次いで二度めである。両者の共通点は、国境や文化圏を越えて移動していく人間や、伝わっていく芸術・文化を登場させていること。この映画では、スザンヌの家族が国境を越えて離散している一方、ソンや人形劇の先生は中国または台湾からフランスに来ている。そしてスザンヌは、フランス語に翻訳された中国の人形劇を上演しようとしている。スザンヌとソンの関係も、ただ子供の面倒を見てもらう、アルバイトをしてお金を得るというだけの関係ではなく、お互いの仕事や勉強に有益な助言を与えてくれる人として、プラスアルファのメリットを期待しているように思われる。国境を越えて影響を与え合う人間関係や、国境を越えて変容しながら伝わっていく芸術。それを直接主題として扱うのではなく、どこかに取り入れていくというのが侯孝賢のやりかたなのだと思う。
侯孝賢がパリをどう描くかにも興味があったが、絵はがきのような美しいパリではなく、交通渋滞が台北みたいだったりするのが新鮮だった。画として美しいショットはあえて撮らず、その反面、ガラスに映った風景や地面の影などの美しいショットがたくさんあった。
ちなみにこれはフランス映画だけれど、主要なスタッフはほとんど台湾の侯孝賢組だった。『珈琲時光』もそうだったけれど。脚本には侯孝賢が参加しているが、『珈琲時光』に続いて「ふつうの人の話、撮れるじゃん」と思った。今度は台湾を舞台に、ふつうの人(チンピラとかではなく、まっとうに働いて生活している現代人)の映画を撮ってほしいと思う(次回作はたしか武侠映画だからその次に)。
それでソン・ファンは大陸の人なんでしょうか?
情報ありがとうございます。
そうすると、わたしの勝手な解釈も変更する必要があるかもしれませんが…。
『レッド・バルーン』での彼女の演技は予想以上に良くて、個人的には出演者の中では一番良いと思っています。