23-10-2008 (Thu) 第21回東京国際映画祭第六日(参加三日め)
■[映画]『九月の風(九降風)』(林書宇)[C2008-06]
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今日も東京国際映画祭へ行くため有給休暇。台湾映画と彭浩翔に合わせて休みを入れたら飛び石になってしまい、一日ごとに気分を入れ換えなければならならなくて忙しい。今日は一日中六本木ヒルズ。
1本めは、アジアの風の『九月の風』(公式←公開予定があるようです)。監督は林書宇(トム・リン)。『ビューティフル・クレイジー』に続いて若い監督による台湾映画だが、こちらは落ち着いた画で安心した。
映画の舞台は、1996年9月から1997年6月まで(学校の一学年)の新竹。なぜか1年から3年まで学年をまたがってつるんでいる7人の男子、鄭希彥/イェン(鳳小岳/ライディアン・ヴォーン)、湯啟進/タン(張捷/チャン・チェ)、林敬超/チャオ(林祺泰/リン・チータイ)、李曜行/シン(王柏傑)、林博助/ボーチウ(沈威年/シェン・ウェイニェン)、謝志昇/シェン(邱翊橙/毛弟)、黃正翰/ハン(李岳承/リー・ユエチョン)と、彼らと絡む2人の女子、黃芸晴/ユン(初家晴)、沈培馨(紀培慧)よる青春群像劇。いつもつるんでバカなことをしていた7人が、リーダー的存在のイェンが事故で昏睡状態になったのをきっかけにばらばらになっていく、というもの。ちょっとした不良でそんなに悪いことをしているわけでもなかったのに、些細なきっかけから、家や学校だけで問題になる閉じた世界から、病院や警察に関わる手に負えない世界に入ってしまい、すべてが悪いほうに転がって取り返しがつかなくなる。
舞台となる高校は國立竹東高級中學(公式)。見るからに台湾の学校というごくふつうの校舎だけど、学校独特の空気が画面に充満していて、もうそれだけで胸がいっぱい。学校が舞台の映画に出てくる場所なんてどれも同じかもしれないけれど、屋上や夜のプールといったところに『藍色夏恋』[C2002-03]や『花蓮の夏』[C2006-17]の影響を勝手に感じて喜ぶ。
『些細なこと』[C2007-40]の“大頭阿慧”では陳百強(ダニー・チャン)だったが、この映画で彼らの青春や友情とその終わりが重ねられているのは、プロ野球選手の廖敏雄(リャオ・ミンシュン)である。廖敏雄は台湾プロ野球時報鷹(China Time Eagles)の当時のスター選手。彼ら7人は廖敏雄のファンで(これがそもそも彼らの結びつきのきっかけか?)、時々球場に観戦に行っている。冒頭の幸福感溢れる観戦風景から、黒社会が絡む野球賭博と八百長疑惑が問題化するのと同期するように、7人の運命と友情も暗転していく。そして廖敏雄は球界を追われ、7人は散り散りになる。
男の子の群像劇ということで、必然的に『グッバイ・ボーイズ』[C2006-06]を連想する。7人の描き分けは『グッバイ・ボーイズ』(こちらは8人)よりも巧みで、性格を表すようなシーンが全員にちゃんと用意されている。この7人は監督の高中時代の仲間がモデルということで、監督の役はいちばん地味なチャオだと推測したがどうだろうか。お約束でデブ(ハン)が一人混じっているのは『グッバイ・ボーイズ』と同様。『グッバイ・ボーイズ』も自伝的な映画だったはずだが、「デブが一人混じっている」という状況が実際にありがちなのかどうか、誰か検証してほしい(わたしは違うと思います)。
全裸シーンもあるが(誤解を招く表現ですね)、ホモエロティックな雰囲気は、ぱっと見にはそれほど感じない。しかしイェンが美しい少年で、彼のまわりにほかの人が集まる特別な存在であり、彼を失うことがグループの解体につながっていくことから、やはりひそかに漂っているといえるだろう。卒業式の日、タンがかつてイェンと一緒に行こうと約束していた屏東の野球場へ行くのも、『ブエノスアイレス』[C1997-04]で梁朝偉がイグアスの滝へ行くのと同じだ。そういえば、日本語字幕で「親友」となっていたところは、原文では‘兄弟’だった。
主なロケ地である竹東高中は新竹縣竹東鎭にあるが、映画の中では新竹市内にあるという設定なのではないかと思う。ここはぜひ行ってみたいが、もっと気になるのは、7人がよく集まっていた大きな木のあるところ。米粉などの屋台街で有名な新竹城隍廟も出てきた。野球場はおそらく新竹市立中正棒球場と屏東縣立棒球場だろう。タンが最後に訪れる屏東縣立棒球場は時報鷹の本拠地だったようだが、時報鷹は賭博事件で解散に追い込まれている。
出演者は、タンを演じている張捷は『迷子』[C2003-04]に主演していた男の子。テレビドラマの“�子”にも出ていた。あとの少年少女はよく知らない。生徒指導の教官役で陸�靜(ルー・イーチン)が出ていて、映画を引き締めている。柯宇綸(クー・ユールン)や鄭有傑(チェン・ヨウチェー)監督もちょい役で出ていた。
ほかに特筆すべきこととしては、イェンとユンがMTV(個室ビデオ)で『恋恋風塵』[C1987-71]を観ていたこと(かなりポイント高)。メディアはLDのようだったが、当時台湾でこの映画のLDが出ていたとは考えにくいのだけれども。
上映後、林書宇監督、プロデューサーの葉如芬(イエ・ルーフェン)、アソシエートプロデューサーの曾國駿(ゲイリー・ツァン)、出演者の王柏傑(ワン・ポーチェ)、邱翊橙(チウ・イーチョン)=毛弟(マオディー)をゲストにティーチ・インが行われた。制服は竹東高中の本物の制服だが、女子もパンツなのでスカートに変えたとのこと。実は卒業式のシーンで、ブラスバンドの女の子がパンツ姿なのを目ざとく見つけて「あれ?」と思ったのだが、あれは本物の卒業式の映像らしい。冬はパンツの学校は時々あるが、6月なので変だと思ったのだが、スカートではない理由は風が強いからだそうだ。
王柏傑が「10年前の高校生活はシンプルで、今とはずいぶん違う」と言っていてちょっとびっくり。わたしには全然変わっていないように思えるが、高校生の目から見るとそうなのかな。当時すでにネットもケータイもあったが、高校生がふつうに使う状況でなかったのはたしかである。劇中でも彼らが使っているのはポケベルだ。
■[映画]『ゴモラ(Gomorra)』(Matteo Garrone)[C2008-07]
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ハーブズで、デザートにケーキがつくサンドイッチのランチを食べてから、2本めの『ゴモラ』。今回唯一のWORLD CINEMA部門の作品で、マッテオ・ガローネ監督のイタリア映画。
アメリカや日本や香港には、ギャング映画やヤクザ映画が多い。イタリアはマフィアの本場である。なのにギャング映画はあまり聞かない。その理由は、マフィアが怖くて作れないからのようで、『イタリア・マフィア』[B1217]では、たしか『シシリーの黒い霧』を作った際の困難さについてふれられていたと思う。
そんななか、ナポリのマフィア、カモッラについての映画ということで、けっこう期待していた。いわゆるギャング映画ではないことは予想していたし、複数の人物を取り上げ、それぞれのエピソードを並行して、淡々と描いていく手法も悪くない。しかしいまひとつぴんとこないというか、描こうとしているものを(頭ではわかるのだが)映画から十分に感じることはできなかった。画があまり好みではなかったのと、昼食後の集中力不足のせいかもしれない。あるいは、政界とか財界とか、表の世界にいかにマフィアが入り込んでいるかが描かれているのを期待していたが、それとはちょっと違っていたせいかもしれない。
しかし、途中で中国人の縫製工場が出てきて、その経営者の家で鄧麗君(テレサ・テン)の“小城故事”が流れていたときは、「やはりこれはわたしが観るべき映画だったんだ」と思った。
ところで上映前に、「ゴモラは円谷プロが著作権をもつキャラクターですが、本映画はこのキャラクターとは一切関係はありません」という趣旨のアナウンスがあった。どうやらゴモラという怪獣がいるらしいが(知りません)、それより前からある本来の意味で使われている言葉に、そのようなアナウンスが必要とされるのはなんだかおかしい。まさか、聖書やプルーストの日本語訳にも、そういう注意書きがあるわけではないですよね。しかしなんでまた怪獣にそんな名前をつけたんだ?
■[映画]『水女(水女)』(金綺泳)[C1979-25]
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3本めは、アジアの風で金綺泳(キム・ギヨン)監督の『水女』。タイトルバックで「国際児童年なんとか映画」というのが出て、金綺泳と国際児童年という組み合わせに驚く。
この映画の主人公は、ベトナム戦争に従軍して足が不自由になった男性と吃音の女性の夫婦。『高麗葬』[C1963-35]を観てもわかるように、金綺泳は肉体的欠陥や障害に異常な執着をもっているようだ。男性が復員してくると、「帰還兵には補助金が出るが独身だともらえない」と言われ、『トルパン』[C2008-03]みたいに嫁探しが始まる。しかし『トルパン』とは違って、村長から「ちょうどいい出物がありますよ」と吃音の娘を紹介され、すぐに結婚話がまとまるのだ。
この林隆三みたいなベトナム帰還兵は、いつも怒ってばかりでかなり不快な人物。それでも途中までは、夫が農作業ができないので、妻が得意の籠づくりで家計を支え、夫も新製品のために材料の加工を工夫したり、輸出のための会社を作ったりして、夫婦力を合わせて生活を軌道にのせるさまが描かれている。しかし、生まれた子供は母親の遺伝で吃音であり、悪者の男女が現れて一家の幸福な生活が壊され、ドロドロ金綺泳ワールドに入っていく。ただ、この男女がいかにも悪者っぽくてあまり魅力がないため、このあたりはあまりおもしろくない。
物語は終盤まで国際児童年とは何のかかわりもないまま進んでいく。国際児童年との関係が突然明らかになるのはほとんどラストである。悪者男女のたくらみに引っかかり、男は妻を殺そうとして舟で連れ出すが、思いとどまって戻ってくる。そこにはソウルの学校で吃音が直った息子が待っていて、集まった村の人々(彼らは妻を殺した男が逮捕されるのを見に集まっていた)を前に、学校で憶えた児童憲章を暗誦しはじめる。この村にはほとんど子供などいそうにないのだが、「みなさんご一緒に」と村の人々にも児童憲章を復唱させ、みんなで児童憲章を唱えて盛り上がる感動のラストとなる。「取ってつけたような」という言葉があるが、それを逆手にとったというか、「わざと取ってつけてみました」というすごい唐突な展開に、もう唖然とするしかない。
さらに驚いたことに、一緒に復唱しているうちに母親の吃音まで直ってしまうのである。「これまで本音が言えなかったけれど、これからは本音を言うわよ」と妻が夫に言って映画は終わるのだが、韓国で本音が言えるようになるまでには、まだしばらくの時間を経なければならない(『水女』は1979年の映画である)。
この映画は、朴政権下のセマウル運動(地域開発運動)と連動した「セマウル映画」だということで、「名誉ある軍人の妻」とかなんとか国策映画っぽい台詞が出てくる。いちばんすごいのは、お見合いの席で「吃音でも『愛国歌』が歌えればいい」と言って歌わせるところ。ウリナラ、マンセー♪とかすごい歌詞で笑ってしまう。
夫婦の家と妻の実家の家の間には、何もない荒野のようなものが広がっている。そこを歩くふたりをロングショットで捉えたシーンが繰り返し出てきて印象に残った。
たしかにそうですね。張雨生には特に思い入れがないので書きませんでしたが、エンディングの曲が入ったCDを買おうかどうしようかと思っているところです。
あの事件もつい先日のことのような気がしますが、もう10年以上経っているんですね。