25-11-2008 (Tue) 第9回東京フィルメックス第四日(参加一日め)
■[映画]『完美生活(完美生活)』(唐曉白)[C2008-11]
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今日は東京フィルメックスのための有給休暇。午前中はないので、ゆっくり出かけてCAFE FREDY TAPASで早めの昼ごはん。それから有楽町朝日ホールへ。
フィルメックス1本めは、唐曉白(エミリー・タン)監督の『完美生活』。中国人女性がよりよい生活を求めて流れていくお話。全体を覆っている重たい空気感がなかなかいい。
メインの物語のヒロインは、瀋陽附近と思われる地方都市に住む、21歳のYOU似の女の子(姚芊羽/ヤオ・チェンユイ)。これと並行して描かれるドキュメンタリーのヒロインは、中国から香港に移住した30代くらいの女性(謝珍妮/ジェニー・ツェー)。まず深圳へ、そして香港へ、という「南へ南へ♪」は、中国で上昇をめざす場合のひとつの典型的なパターンである。ふたりとも男を頼って、というか男を利用して南進するわけだが、ふたりとも「男を踏み台にする」と「男に人生を台無しにされる」の中間くらいの位置にいる。
姚芊羽は、まずボーイフレンドのコネでホテルに職を得て、そこで怪しげな男(『世界』[C2004-34]に出ていた成泰燊(チェン・タイシェン)が、いかにも怪しげだけどなんだか憎めない雰囲気で演じている)と知り合って深圳へ。だけど成功パターンへの道はそう簡単ではなく、成泰燊は殺され、姚芊羽はパッとしない男と結婚。一方の謝珍妮は、うまいこと香港人と結婚して香港に移住したものの、夫の事業の失敗→水商売→家庭崩壊→離婚の転落パターン。言葉の壁もある香港でまっとうな仕事を見つけるのは難しく、結局深圳へ戻ろうとしている。
そして深圳という、誰にとっても目的地ではない曖昧な場所で、ふたりは一瞬すれ違う。サブタイトルをつけるとすれば「流れて深圳」。あるいは「そして深圳」か。思うようにはいかないが、希望を持ち続けて進んでいくように見える姚芊羽と、一時は成功したかに見えたのに敗れ、それでも子供を抱えてなんとか生きていかなければならない謝珍妮。姚芊羽は最後までどこか浮ついた雰囲気があり、それに対して謝珍妮には切羽詰まった切実さがつきまとっている。姚芊羽が節目節目で撮る自身の写真が印象的だが、最後に結婚写真といっしょに写真を撮る彼女は、これから香港へ向かうのだろうか。謝珍妮は姚芊羽の未来を暗示しているようにも見える。
この映画には旧市街、老街みたいな街は出てこず、出てくるのは比較的最近発展したような地方都市。中国には数多あるこういった味気ない都市を見ると、わたしはいつも簡体字のあの独特のスカスカ感を連想する。簡体字のような街。それに対して、香港はやっぱり繁体字のような街だと思う。
姚芊羽が映画館で『花様年華』[C2000-05]を観ていたのがうれしいサプライズ。北京語版なのがちょっと違和感があったけれど。
■[映画]『黄瓜(きゅうり)(黄瓜)』(周耀武)[C2008-12]
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2本めは、周耀武(チョウ・ヤオウー)監督の『黄瓜(きゅうり)』。違法の路上屋台で野菜を売る大陳とその家族、そこの客であるリストラされた老陳とその家族、同じくこの屋台の客である映画監督をめざす小陳とそのガールフレンド。この三組の家族やカップルの物語が、きゅうりをキーワードに並行して語られる。フィックスの長回しで主要な登場人物を次々に紹介し、彼らが野菜売りの屋台で交錯する導入部分がみごと。
三つの物語はどこかユーモラスに進んでいくが、最後は悲劇。考えてみれば、最初から最後まで、どこから見てもかわいそうな、涙がちょちょぎれるような悲劇というのは現実にはあまりない。喜劇のような悲劇。あるいは悲劇のような喜劇。現実とはそのようなものなのではないか。
親子三人が食にとり憑かれている大陳の一家、親子三人がセックスにとり憑かれている老陳の一家に比べると、小陳のカップルはちょっと存在感がうすいように思った。
『完美生活』が南をめざす人々の物語であるとすれば、こちらは首都北京をめざした人々の物語。北京人であるにもかかわらず失業してしまった老陳。職だか豊かな生活だかを求めて北京に来たものの、違法な仕事にしか就けず借金に追われる大陳。映画監督になる夢を実現させるため北京に出てきたが、思うようにいかない小陳。現代中国っぽい背景と、誰もが抱えているような普遍的で日常的な問題が、ほどよくミックスされている。
舞台は北京の郊外(海淀あたりか?)。城内ほどではないにしても、簡体字の街ではない、どこか「ああ、北京だな」という美しさを感じさせる。デジタルにもかかわらず、暑さや風が感じられる長回しの映像が印象的。
上映後は周耀武監督をゲストにQ&Aがあったが、参加すると夕食時間が圧迫されそうだったので、パスしてMeal MUJIで晩ごはん。第一優先は映画だけれど、ごはんもかなり優先度が高い今日このごろである。
■[映画]『夜と昼(밤과낮)』(洪尚秀)[C2008-13]
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夕食後の3本めは、洪尚秀(ホン・サンス)監督の『夜と昼』。観終わって第一の感想は、「ああ、楽しかった」。「おもしろかった」でも「よかった」でもなく「楽しかった」。こんな夜中に145分。語るべき壮大なストーリーなど当然なく、例によってウダウダした男の話が145分。お怒りの向きもあろうが、わたしは長さを感じなかった。
舞台はパリ。ホン・サンスがパリに行ったらどうなるって、そりゃあロメールになる。しかも女の子たちは美大生だったりする。たぶん狙ってやっているんだろうと思う。観ていて、「ああ、ロメール、ロメール」といちいち思いながら、しかもどうしようもなくホン・サンスなので、もうほんとに楽しい。
主人公は画家のスンナム(キム・ヨンホ)。出来ごころの大麻で捕まりそうになり、パリまで逃げてきたという設定。彼のパリ滞在日記という体裁になっており、日々のパリ暮らしがスケッチ風に描かれる。もちろん長回しで。
ホン・サンス映画の登場人物はイヤなやつが多いけれど、今回はかなり好感をもった。主人公のスンナムはもちろん身勝手なダメ男で、もちろん女性を追いかける。しかしやることしか考えていないいつものホン・サンス映画の主人公とはちょっと違い、結婚してパリで暮らしている前の彼女ミンスンにホテルに誘われると、ダンナに知られるのを恐れて拒んだりする。聖書を持ち出して必死に説得するのがほほえましい。
彼は毎晩のように韓国にいる妻ソンイン(ファン・スジョン)に電話をかけ、会いたいと言って泣いたりするが、パリで三人の女性とかかわりをもつ。前述のミンスンと、宿の主人の知り合いと、そのルームメイトのユジョン(パク・ウネ)。彼女たちはいずれも画家や美大生。この中でスンナムが追いかけるユジョンはかなりの性悪女だが、なんとなく憎めない。パク・ウネ、かわいいです。彼女たちが、スンナムとふたりのときにほかの女性の悪口を激しく言いまくるところなど、女性のいやな面が描かれているが、いかにもなリアルな感じが楽しい。
スンナムが滞在するのは韓国人が経営するゲストハウスで、登場人物はみんな韓国人か朝鮮人。画家のくせに、ほとんどパリを見て歩いたりしないから、観光地映画のようでは全くない。いかにも「外国人がパリで撮りました」という感じでもなく、かなり自然に馴染んでいる。それでも、韓国が舞台の場合のこぎたない街並み(けなしているわけではない)に比べると、やはり大分きれいである。パリ名物の道端の犬のう○こを写さずにはいられないところ、それを流すための水に舟を浮かべたりするところには、東洋ならではのわびさびを感じずにはいられない。
以前は、ゴダールやフィッツジェラルドやヘミングウェイが描いたパリが見たくてパリへ行ったけれど、今度は侯孝賢(ホウ・シャオシェン)やホン・サンスや金子光晴が描いたパリを見に行きたいと思う。
■[本]『国境の南、太陽の西』(村上春樹)[B959]
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『国境の南、太陽の西』読了。たぶん三度めくらいだが、文庫版は初めて。かなり久しぶりに読んだが、なかなかおもしろかった。
- 作者: 村上春樹
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単行本が出たのは1992年の秋だったと思う。舞台となっている時代と書かれたときがほぼ同じで、村上春樹の小説のなかで、たぶんわたしが初めて出版と同時に読んだものである(買ってきて夜から読み始めたら終わらなかったので、翌日はたしか会社をずる休みした)。つまり描かれている時代と書かれた時代と読んだ時代がだいたい一致しているので、そこに描かれている時代の空気みたいなものがかなりリアルにわかる。そうすると主人公の時代の見方、捉え方もリアルに感じられ、しばしば村上春樹のエッセイを読んでいるような気になった。主人公に子供がいて、奥さんが専業主婦で、何度か浮気をしたことがある、という点はどうも違和感をおぼえるけれど。
村上春樹の小説の欠点は、大人の女性がぜんぜん魅力的でないことだと思うけれど、その最たるものがこの小説のヒロイン、島本さんである(だいいち名前が悪い)。魅力的でないというより、そもそもどんな外見、雰囲気なのかがぜんぜんわからない。ファッションなどが詳細に書かれているにもかかわらず、どういうタイプかすら想像するのが難しい。わたしは小説を読むとたいてい「この小説を映画化する場合のキャスト」を無意識に考えてしまうのだが、そういえば村上春樹の小説を読んでそのように考えたことはない。小説そのものは、かなり映画的というか情景が浮かぶタイプの小説なのだが。大人の女性に限らず、だいたいにおいて人物の外見が想像しにくいというか、実在の人物に当てはめにくいと思う。
村上春樹の主人公は、たいてい自分なりの仕事観をもっていて、それを語る場面がある。この小説では特にそれが目立ち、過去の退屈な仕事と現在のクリエイティブな仕事の対比として語られるため、特に村上春樹本人の仕事観を反映しているように感じられる。その内容は、そんなに変とか間違っているとかいうわけではないが、でもちょっと会社員生活を誤解していると思う。主人公が自分のジャズバー経営の理念みたいなものを語るところがあるが、ここで語られているのは「お客様指向」ということと「ユースケースを考える」ということで、現代の会社員が日々求められていることそのものである。自分の意見が言えない、改革が求められないというのもたしかに困るが、いつもいつもそれを要求されるのもけっこうしんどい。一日中机に座って校正をしていれば、ずっと給料が貰えるような会社なんて今時ないのではないだろうか。あったらわたしが働きたい。