20-09-2009 (Sun) 新宿バルト9のばかやろー
■[映画]『白夜』(小林政広)[C2009-06]
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今日は、この連休中に観たい映画3本を一日に詰めこむ計画を立て、ひそかにほくそ笑んでいたら上映予定が変わっていて、一本めに観るはずの映画が観られなかった。だからシネコンって嫌いだ。
昼過ぎまで時間が空いたので、新宿御苑をぶらついたり、昼ごはんを食べたりしたあと、新宿武蔵野館で小林政広監督の『白夜』を観る。『バッシング』[C2005-21]から観はじめた小林政広監督の映画は、『幸福 Shiawase』[C2006-47]、『愛の予感』[C2007-19]がよかったので、邦画で唯一、新作を必ず観る監督になっている。
まだ3本しか観ていないし、その3本でも作風はけっこう違うのだが、小林政広監督の映画には次のような特徴がある。
『白夜』は、そのようなこれまでの小林監督の映画の特徴をあまり備えていない。それは、登場人物が眞木大輔と吉瀬美智子が演じる男女ふたりだけであること、舞台がフランスのリヨンであり、半日だけのドラマであることから、ある程度必然的に導き出されるだろう。北海道ではないが、遠いところで出会う男女という点では『幸福』や『愛の予感』と共通する。しかし行動はほとんどなくて会話が中心、当然台詞も多い。わたしはその違いに馴染むことができなくて、ずっと違和感を感じながら映画を観ていた。
映画はイスラエルのパレスチナ攻撃に反対するデモで始まり、主演のふたりを手持ちカメラと長回しでとらえる。スタイルはドキュメンタリーっぽいのに、内容は芝居っぽい。わたしが違和感を感じたのは、その芝居っぽさだ。
ふたりは自分の身の上を饒舌に話す。そのこと自体にまず違和感を感じる。外国で出会った見知らぬ日本人ということで、つい話してしまうということはあるかもしれない。映画の設定上、台詞で説明するしかないということもあるだろう。しかし、いかにも映画か小説のような台詞の内容と、実際には誰も使っていなさそうな言葉づかいに、リアリティを感じることができなかった。
さらに、ふたりが演じるキャラクターにも魅力を感じることができない。映画や小説ではありふれていて、しかし現実にはそんなにいるのかどうかわからない役柄。それに、明日日本へ帰る予定なのに、日本人に声をかけたり日本食を食べに行ったりする眞木大輔が理解できない。役者に魅力があれば、そんなことは気にならないかもしれないが、ふたりに魅力を感じなかったのも大きいと思う。いちおう断っておくと、どうやらけっこう知られた人らしいが、眞木大輔も吉瀬美智子もわたしは全然知らないはじめて見る人である。
この映画は、上にも書いたようにリヨンロケである。最近東アジアではフランスで撮るのが流行っているらしく、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、洪尚秀(ホン・サンス)、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)が立て続けにパリで撮って、小林政広はリヨン。さすがに北海道ほど殺風景ではないが、ほとんど赤い橋とそのまわりしか出てこなくて、これは悪くなかったと思う。リヨンにも行ってみたくなった。
■[映画]『女の子ものがたり』(森岡利行)[C2009-07]
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銀座へ移動して、シネカノン有楽町2丁目で森岡利行監督の『女の子ものがたり』を観る。これは特別観たい映画というわけではなく、深津絵里ファンのJ先生のつきあい。深津絵里はけっこう好きだが、お金を出して観たいような映画にあまり出ていないので、つきあったのは『(ハル)』[C1995-36]以来か。『女の子ものがたり』は西原理恵子原作だが、わたしは彼女の漫画を読んだことがなく、原作の映画化としてどうか、という評価はできないので、以下は単純に一本の映画としての感想である。
この映画は、締め切りに追われているスランプ中の漫画家、高原菜都美(深津絵里)の現在の生活と、彼女の小学校〜高校時代の回想が並行して進んでいく。これが最終的に、「かつての親友たちのことを描くことでスランプから抜け出す」というふうに収束するのだが、そのことが最初からミエミエで、そのとおりに進行するのでシラける。深津絵里が演じる漫画家も、「適齢期を過ぎてそこそこ売れている独身の女性作家」像としては、あまりにもステレオタイプのように思われる。一方、回想シーンで描かれるのは女の子3人の友情とその崩壊。しかし残念ながら、ともだちと過ごす時間の煌めきも、それが壊れてしまうことの切なさも、ほとんど感じることができなかった。
これといった産業もなさそうな田舎町に住むなっちゃん(大後寿々花)、きいちゃん(波瑠)、みさちゃん(高山侑子)の友情は、「ここから出て行くこと」と密接な関連をもって描かれている。3人を親友として結びつけているもののひとつは、おそらく彼女たちの不幸な家庭環境だろう。あまり恵まれない家庭で育った子供が、親と同じ人生を送りたくないと思ったらここから出て行くしかない。そのことに幼いころから自覚的ななっちゃんと、そうではなく自ら進んで不幸な人生にからめとられていくように見えるきいちゃんやみさちゃん。なっちゃんはそのことが歯がゆくてならず、それが3人のあいだに亀裂を生んでいく。
友情がはっきりと壊れるきっかけは、結婚したきいちゃんとなっちゃんとの喧嘩である。ここでのきいちゃんの言葉をそのまま受け止めたなっちゃんが、きいちゃんが亡くなったあと、現在のパートできいちゃんの母親(風吹ジュン)を訪ねてその本心を知る、というのがこの映画の構造である。しかし、なっちゃんを罵倒するきいちゃんが、すべてを本気で言ってはいないこと、なっちゃんが思っているほど自分の境遇に無自覚ではないことは、観ていてはっきりとわかってしまう。そのうえきいちゃんの本心が、すべて母親の台詞で語られてしまうという芸のなさ。このように、先が全部読めてしまうため、なんだか映画に没頭できないで終わってしまったのであった。
■[本]『世紀末ウィーンを歩く』(池内紀、南川三治郎)[B982]
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- 作者: 池内紀,南川三治郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1987/03
- メディア: 単行本
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1987年の本なので最新情報は載っていないし、本の性格上、深く詳細なことは書いてない。しかし、わたしの知りたいウィーンについて、パンダ以外、かなり網羅した本である。オトー・ヴァーグナー、アドルフ・ロース。ゼツェシオーン、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ、クリムト、ヨーゼフ・ホフマン。シュニッツラー。ヴィトゲンシュタイン。ルドルフ皇太子情死事件。
新しい本を買うより、持っている本を読み直したほうがずっと有益らしい。